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【正論】民社党にみる戦後政治の「不運」 社会学者、関西大学東京センター長・竹内洋

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【正論】
民社党にみる戦後政治の「不運」 社会学者、関西大学東京センター長・竹内洋

 ちょっとした偶然が、強い逆風のもととなり、成敗(せいはい)の分れ目になる。歴史にはよくみられることである。こうして多くの不運な敗者が生まれた。これは個人だけのことではない。戦後日本の民社党(民主社会党)は、こうした不運で勢いを無くし、歴史から消えた政党である。

 ≪社会問題化した60年安保≫

 1960年1月、西尾末広や片山哲などが日本社会党を離党して新党・民主社会党が誕生する。与党・自民党と野党第一党の社会党による55年体制のなかで、保守よりの野党として独自の政策を掲げた。階級政党ではなく国民政党を宣言し、格差の拡大になりかねない資本主義経済を是正する福祉国家構想が提起される。69年11月に民社党と改称するも党勢を得られず、94年に解党に至った。

 保守と革新の時代にその間をいく政党だから、人気がなかったかといえば、そうではない。

 民社党が誕生したころは、日本が敗戦後の貧困から立ち直り、豊かになりはじめたときである。保守の自民党と左派の社・共両党の水と油の激突に人々は倦(う)みはじめていた。民社党結党3カ月後の支持政党調査では、自民党39%、社会党17%、民社党12%。衆院議員40人の民社党がその3倍以上の議員を擁した社会党と互角の支持率を持ったのである。「次期首相には」の調査では、現職の岸首相17%、西尾末広(民社党委員長)12%と続き、石橋湛山(自民党)11%、浅沼稲次郎(社会党委員長)10%をわずかだが上回っていた。

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