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【「戦後日本」を診る 思想家の言葉】
網野善彦 中世に資本主義の源流見いだす
都内の高校教師だった網野は、ある日の授業中、生徒の質問を聞いて愕然(がくぜん)とする。「先生、なぜ鎌倉時代に一気に仏教が隆盛したのですか」。日蓮、親鸞、一遍など誰でも知っている鎌倉仏教が、なぜあの時代に噴出したのか。
単純極まる問いに網野は口ごもった。この問いに挑むため、史料の森深く分け入った。史料に汗が滴(したた)り落ちるのもかまわず、ひたすら中世の人びとの声に耳を澄ましてみた-中世には不思議な空間があって、河原や大木の下、あるいは神社の境内に市場がたつ。そこでは品物はもちろん、売買する者の身分さえ問われず、すべては平等に交易されるのだった。
たとえば神社のような、神の支配する空間に注目しよう。そこで売買される物品は、銭を使用する「商品」となる。銭を使うことは、神を喜ばせる神聖で特別な行為でもあったのだ。
こうした、日常生活のルールや秩序から外れた場所、それを「無縁」「楽」などと呼ぶことにしよう、網野はそう思った。すると縁切寺などの仏閣も、同じ意味をもつことが分かる。ここに逃げ込めば、日常のルール=夫婦の縁を切ることができるからだ。これはまさしく「自由」な場所ではないか。