昭和天皇:教育に影響 元東京帝大総長の日記写本を発見
毎日新聞 2014年12月04日 11時09分(最終更新 12月04日 12時21分)
東京帝国大の総長を計12年近く務め、昭和天皇の教育にも深く関わった山川健次郎(1854〜1931年)の日記の写本が見つかった。原本は所在不明で、今年9月、宮内庁が公表した「昭和天皇実録」も引用していない。専門家は「戦前の教育行政を知る上で貴重な史料」と注目している。
写本は原稿用紙約300枚にペン書きで、1913〜15年、19〜20年の4冊。2012年夏、中沢俊輔・秋田大講師(日本政治外交史)が、所蔵する秋田県公文書館で発見し、小宮京・青山学院大准教授(日本現代史)と解読してきた。今月下旬、芙蓉書房出版が翻刻、刊行する。
山川の専門は物理学。「東宮(皇太子)御学問所評議員」として、のちの昭和天皇の教育方針決定にかかわった。写本には1915年2月3日、「東宮殿下益々御機嫌よき由、但し御近眼の模様」などとある。また19年9月5日の会議で、20年度の1学期に、当初予定がなかった理化学と数学を週1時間ずつ入れることを決めたことも分かった。
同学問所は関東大震災で資料が焼失したとされ、カリキュラムなどを決定する会議の内容は明らかになっていなかった。昭和天皇がその後生物学を専攻したことから、中沢講師は「山川の尽力で理系科目が充実し、天皇の思想形成にも影響を与えたのでは」とみる。
山川は会津藩出身で、白虎隊士だった。1901〜05、13〜20年に東京帝大総長を務め、京都、九州帝大総長も歴任した。日記の存在は死後に編さんされた伝記で明らかにされていたが、内容の詳細は公にされなかった。原本は2001年、古典籍の市場で売りに出たことが分かっていたが、その後の所在は不明。
文部省との大学運営をめぐる折衝や学内人事の内紛なども詳細に記されている。小宮准教授は「日記が書かれた時期は帝国大学が変革を迫られていた。当局とのやりとりや内情を詳細に記した、貴重な史料だ」と話している。【栗原俊雄】