-シャカ。シャカよ。
お前は何が悲しい?わずか6歳のお前が、
毎日そうやって座したまま、何をそんなに憂いているのだ?
その川岸では、インド中から集る巡礼者が沐浴をしておりました。
私はその姿が生きることよりも、まるで死ぬことを願っているようにも見えました。
私が生を受けたこの国は、なぜこんなにも貧しいのでしょう。
人々は苦しみや悲しみだけを味わうために、この地上に生まれてきたようではありませんか。
-シャカよ。それがお前には悲しいか?
-それは違う。苦しみがあれば、必ず喜びがある。
その逆もまたしかり。美しい花が咲く。それもいつかは散る。
この世に生あるものは、一瞬たりとも留まってはおらぬ。常に動き、変わる。
それを、無常という。人の一生も同じなのだ。
生きている間に、いかに苦しみを克服しようと、愛をもとめ、喜びをもとめたとしても、
結局は死が全てを無にしてしまう。それなのに、人間はなぜ生まれてくるのでしょう。
死という完璧で永遠なるものに逆らうことなど、決して出来はしないのに。
-シャカよ。お前は忘れているぞ。
-死がすべての終りではあるまい。死でさえも、変化の一つにすぎん。
シャカよ、忘れてはならん。決して死が最終的なものではないという事を。
【阿 頼 耶 識】
[2011/07/19 14:47] |
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