週刊通販生活トップページ  >  読み物:フクシマの首長【特別篇】「福島県知事選挙」(1)

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福島県知事選挙 取材・文・写真/畠山理仁

「投票に行かない」という明確な反応。

 我が目を疑った。
「本当にこれが『3・11』後はじめてとなる福島県知事選挙なのか」
 それが現場で取材してきた筆者の偽らざる感想だ。
 筆者は10月9日告示、10月26日投開票の福島県知事選の期間中、立候補している全6候補者の選挙戦をカバーするために福島県内を5500km走破して取材を重ねた。その間、告示日と選挙戦終盤の数日を除けば、他の記者に会うことは数えるほどしかなかった。我も我もと街頭演説に集まってくる聴衆も目にしなかった。それほど現場では「盛り上がっていない」選挙戦だった。

◯立候補者一覧(届け出順)

候補者名(読みかた) 年齢 党派 肩書き
 内堀雅雄(うちぼり・まさお) 50 無所属  元福島県副知事
 井戸川克隆(いどがわ・かつたか) 68 無所属  元福島県双葉町長
 五十嵐義隆(いからし・よしたか) 36 無所属  牧師、自営業
 熊坂義裕(くまさか・よしひろ) 62 無所属  医師、元岩手県宮古市長
 伊関明子(いせき・あきこ) 59 無所属  コンビニエンスストア店長
 金子芳尚(かねこ・よしなお) 58 無所属  建設会社社長

※文中の肩書は特に断りのない限り11月20日当時のもの。

 この選挙戦の構図を「1強多弱」と書いたメディアもあった。しかし、「1強」と呼ばれた内堀雅雄候補を取材している時ですら、他の記者に会わないことが複数回あった。街で出会った有権者や知り合いの福島県民に話を聞いてみても、県知事選への反応は鈍かった。

「ああ、県知事選……。そういえばそんなのニュースでちょこっと見たかな。でも誰が出てるかわかんねえし、投票日もいつだったか……。いまは自分の生活で手一杯だから投票には行かねえな」(いわき市小名浜の自宅を津波で流されて避難生活を送る60代男性)

 筆者は選挙の取材を16年以上続けているが、ここまではっきりと「投票に行かない」という反応が返ってきた経験はほとんどない。通常であれば実際に行くか行かないかは別として「行くつもり」「行かなきゃね」という前向きな反応が返ってくるものだ。
 しかし、今回は違った。福島県内の除染で出た土壌や廃棄物などを集約して保管する中間貯蔵施設の建設予定地になっている双葉町の住民ですら、

「原発事故から3年、東電の賠償だっていまだに出ていない。その交渉で頭を悩ませてるところなんですよ。自分の家は中間貯蔵施設の候補地になっているけども、いまだに自分がこの先どこに住むかも決められない。県知事選は重要だと思うけども、目の前の生活が大変でね。とてもじゃないが選挙どころじゃないって人もいるんだよ」(双葉町から郡山市内の仮設住宅に避難している60代男性)

 と、「投票に行くかどうかわからない」という反応を示した。
「こんなに関心が低い選挙はありえない」
 取材の現場に身をおき、筆者は何度もそう思った。

福島県知事選挙が盛り上がらなかった理由。

 なぜ、こんなに盛り上がらない選挙になったのか? 現場で有権者に話を聞いて回った結果、その理由の代表的なものは次のような意見だった。

「私が行かなくたって、もう決まったようなもんでしょ」(郡山市の60代女性)

「一人の候補に自民、民主、公明、社民が『相乗り』してしまった。あらかじめ選択肢を奪われてしまったんだから、盛り上がるわけないでしょ」(福島市の60代男性)

 こうした諦めにも似た県民感情を理解するためには、今回の選挙戦に至るまでの経緯をおさらいする必要がある。
 今年3月、当時自民党福島県連会長だった岩城光英参議院議員は、民主党出身の現職・佐藤雄平知事(当時)の面前で、「県知事選に独自候補を擁立する」という方針を表明した。この時点では佐藤知事は進退を明らかにしておらず、現職として知事選に出馬する可能性もあった。つまり、自民党から民主党に「宣戦布告」が行なわれたのだった。
 実際、自民党福島県連は今年8月に日本銀行元福島支店長の鉢村健氏(55)を推薦することを決め、9月初めには県庁そばに大きな後援会事務所まで借りていた。
 ところが佐藤知事がなかなか進退を表明しなかったこともあり、知事選の構図は固まらなかった。7月の滋賀県知事選に続く連敗を避けたい自民党本部は、福島県連からの再三の推薦要請にもかかわらず、なかなか鉢村氏に推薦を出さなかった。そのため鉢村氏は宙ぶらりんの状態が続いた。
 結局、佐藤知事が「県政の継続性」を訴えながらも引退を表明したのは9月4日になってからだ。すると、翌5日には、双葉町村会が当時副知事だった内堀雅雄氏(50)に出馬を要請。その翌日には民主党県連も内堀氏を支援することを決めた。さらに9日には県内の全町村でつくる県町村会も続いた。そして9月11日、内掘氏は満を持して県知事選への出馬表明を行なった。
 問題はこの後の自民党の対応にあった。日銀を辞職し、背水の陣で知事選への出馬を決めていた鉢村氏は、内堀氏が出馬表明する直前まで県内の仮設住宅を回って支持拡大を訴えていた。ところが自民党本部は鉢村氏に推薦を出さないどころか、独自候補擁立よりも「負けないこと」を優先し、自民党福島県連に内掘氏への相乗りを指示した。自民党福島県連は抵抗したものの、最終的には自民党本部に押し切られてしまったのだ。
 結局、土壇場で自民党にハシゴを外された鉢村氏は、内堀氏の出馬表明と同じ日に出馬断念の記者会見を開くという屈辱的な状況に追い込まれた。
 その状況を注視していたいわき市の30代男性は筆者にこう語った。
「これだけの震災があって、県民も厳しい目で県政を検証しなければいけない時だから、僕は佐藤雄平知事の後継者である内堀さんと他候補が争う『選択肢のある選挙』がいいと思っていたんです。僕らは選ぶ気満々でした。自民党福島県連が鉢村さんを擁立しようと決めたということは、県民の代表が選んだということ。それなのに自民党本部という『中央の都合』で取りやめにさせられた。これは『第二の戊辰戦争の敗戦』に近いと思っています」
 福島市に住む20代の若者も筆者にこう言った。
「自民党本部の動きは許せない。(無効票になるとわかっているが)僕は抗議の意味を込めて、投票用紙に鉢村さんの名前を書こうと思っています」
 今回の福島県知事選では、選挙が始まる前に、自民、民主、公明、社民がひとりの候補に「相乗り」する異例の構図が完成していた。つまり、政党間での争いがほとんどなくなった。「自民、民主で政策論争をして県政を総括し、県民が選択する選挙になる」と期待していた県民の期待を、中央の都合で「選挙前から裏切る」結果になったのだ。

なぜ「原発政策」が争点にならなかったのか。

 今回の福島県知事選は「争点が見えない」とも言われた。それは日本各地の原発再稼働を進めようとする自民党から支援を受ける内掘氏でさえも「県内の原発全基廃炉」を掲げていたからだ。
 しかし、福島県の場合、原発事故後の2011年10月、県議会で県内すべての原発廃炉請願が採択されている。また、2011年11月には県内すべての原発廃炉を求める方針が県の総合計画に明記された。そして2013年8月には、東京電力福島第一、第二の両原発が立地する福島県双葉郡の双葉、大熊、富岡、楢葉4町が両原発の全10基の廃炉を国と東京電力に求める方針を確認した。つまり「県内の原発」に限って言えば、もともと福島県は「全基廃炉」で一致していたことになる。それは今回の知事選に立候補した全6候補も同じだった。
 現段階で国は東京電力福島第二原子力発電所について、「あくまでも事業者の判断」との立場を崩していない。そのため一部の県民から「福島第二原発の再稼働を危惧する声」が若干は聞かれたものの、「全基廃炉は当然」というのが県民の共通した感情だったと思われる。
 今回の選挙戦で内堀氏以外の候補は県外の原発再稼働に慎重な立場を表明していたが、内掘氏は最後まで「県外の原発」についての明言を避けた。しかし、選挙の結果は次のようなものだった。

【福島県知事選結果】()内は有効投票数に占める得票率

  内堀雅雄 49万 384票  (68・35%)
  熊坂義裕 12万 9455票  (18・0%)
  井戸川克隆 2万 9763票  (4・1%)
  金子芳尚 2万 5516票  (3・6%)
  伊関明子 2万 4669票  (3・4%)
  五十嵐義隆 1万 7669票  (2・5%)

 得票率だけでいえば、「3分の2以上」を占める圧倒的な勝利である。つまり投票した福島県の有権者にとって「県外の原発再稼働」は最重要の課題ではなかったということだ。その理由を象徴的に表す声は次のようなものだ。
「福島の復興を進めるには、やはり行政経験のある人が望ましい。その点、内堀さんは副知事としての実績もある。事故から3年7ヵ月が経って、これ以上、遅れることは避けたい」(福島市の40代男性)

白河市内で演説する内堀雅雄氏。「今日の私はカジュアル」と。

 今回の選挙で2位になった熊坂義裕氏、3位になった井戸川克隆氏は、いずれも「原発事故時の県の対応」に疑問を呈していた。
 熊坂氏は「原発事故子ども・被災者生活支援法の理念にのっとり、被曝を避けて暮す権利を尊重する」と主張した。
 井戸川克隆氏は「県の原発事故対応の反省をしないまま、福島の復興はありえない。県内の放射能汚染土を核種ごとに調査し、情報公開していきたい。そのうえで県民がどうするかを決めるべき」だと主張した。
 いずれも原発事故時、事故後の県の対応に不満を感じる人々の受け皿になると思われたが、熊坂氏、井戸川氏ともに得票は伸びなかった。

福島市内の仮設住宅で演説する熊坂義裕氏

いわき市内の仮設住宅で演説する井戸川克隆氏

 また、「震災後の福島は暗いイメージになっている。原発の話だけになる選挙にはしたくない。福島の明るい未来の話をしたい」と訴えた金子芳尚氏や、「女性が一人も出ていない。組織のある人しか出られない選挙はおかしい。だから『普通のおばさん』である自分が出ようと思った」という伊関明子氏、「県民全員が参加する政治を」と訴えた五十嵐義隆氏も票を伸ばせなかった。

会津川口駅で演説する金子芳尚氏

伊関明子氏と選挙運動を支えた夫の伊関和郎氏

政策を訴える五十嵐義隆氏

 筆者はすべての候補者を取材したが、すべての候補がそれぞれの考えで福島のことを思い、真剣に立候補していることが伝わってきた。それは筆者が撮影した各候補の選挙運動を見てもらえればわかるはずだ。

→ 福島県知事選前半戦(動画)
→ 福島県知事選投票直前(動画)

 今回の選挙で多くの県民が重点を置いたのは「福島の総括」ではなく、「現状を受け止めたうえで、選挙後の福島がどうなるか」だったのかもしれない。
 しかし、今回の福島県知事選で一番気になるのは投票率の低さだろう。今回の福島県知事選の投票率は、史上最低だった前回知事選(2010年)の42・42%に次いで史上2番目に低い45・85%だった。前回知事選の投票日は「雨」だったが、今回は「晴」。通常、「晴」であれば投票率は上がるものだが、45・85%という数字はあまりにも低い。当日有権者159万9962人のうち、半数を超える86万6337人もの棄権者がいたことは忘れてはならないだろう。

「半径30mだけ」で盛り上がる選挙戦。

 10月9日の告示日。筆者は立候補届出の直後にJR福島駅東口すぐそばで行なわれた内堀雅雄氏の「第一声」を取材した。ここは復興庁の福島事務所が入っているビルの目の前だ。そこには双葉郡内の首長をはじめ、300人を超える聴衆が集まっていた。「1強」と呼ばれるにふさわしい大人数が街頭演説に集まっていたといえるだろう。

第一声での内堀雅雄氏

 しかし、集まった人々のほとんどが「スーツ姿」である。その顔ぶれをよくみると、森まさこ参議院議員(自民)や玄葉光一郎衆議院議員(民主)、坂本剛二衆院議員(自民)といった地元選出の国会議員や県議会議員たちが自民党、民主党問わずに集まっていた。
 県政の継承と3つの「しんか」(進化、新化、深化)を訴える内掘氏の演説会場に集まった人々は、「副知事の実績がある内堀さんとの『オール福島』のために」と口にした。内堀氏の選挙を手伝うスタッフも、
「内堀さんが勝つのは間違いないけれども、問題は投票率だね。国や東電にきちっと物を言ってもらうには、県民の圧倒的な支持がなければ強いことは言えない」
 とも言っていた。
 しかし、選挙の結果が出た今、「投票」という形で明確に内堀氏を支持した県民は有権者全体の約3割に留まる。この数字が今後の国との関係において「力」となるかは未知数だ。
 福島駅東口での第一声後、内掘氏は福島市から大きく東に移動して原発事故で大きな被害を受けた「浜通り」を南下。告示日最後の街頭演説は、夕方のいわき駅前で行なわれた。
 その場を取材して気づいたことがある。その日の朝、福島市で内掘氏の第一声を聞いていた人たちと、遠く離れたいわき市での街頭演説を聞いていた聴衆のうち、かなりのメンバーが重なっていたことだ。
 いずれもスーツ姿。つまり、地方議員など、ふだんから政治に関わっている人たちが多かった。これは「熱心な支持者がいる」という見方もできるが、「一般の有権者が街頭演説を聞きに来ていない」という見方もできる。

いわき駅で双葉郡の首長と握手する内堀雅雄氏

 筆者がいわき駅前での街頭演説を見た限り、「通りがかった一般の人たちが足を止め、聴衆の輪がどんどん広がる」という状況ではなかった。つまり、「ある程度固定化された半径30mの聴衆」だけで盛り上がる選挙戦に見えたということだ。
 このいわき駅前での演説で、内堀氏は聴衆に向かってこう呼びかけている。
「これからは私を『ウッチー』と呼んで下さい。私が『せーの』と言ったら、みなさんで『ウッチー』と答えて下さい。それでは行きますよ、『せーの!』」
「ウッチー!」
 半径30mの聴衆からは、一糸乱れぬウッチーコールが返ってきた。仲間内の結束は万全である。しかし、一般の有権者へのアピール、訴えかけがうまくいっているようには見えない。それが結果的に今回の低投票率にもつながったのかもしれない。
 別の日に、内堀氏は会津の連絡事務所の事務所開きにも参加した。この事務所開きに集まった聴衆も約200人はいただろう。しかし、ここでも集まった人たちのほとんどがスーツ姿だった。

会津若松市で連絡事務所びらきをする内堀雅雄氏

 この連絡事務所は大熊町からの避難生活を続ける人たちの仮設住宅から数百メートルの距離にある。事務所開きに向かう直前、仮設住宅の横を通過する内堀氏の街宣車はスピードを落としながら、「浜通りの復興にがんばります!」と大きな声を上げた。しかし、夕飯時の仮設住宅から、明確な反応は返ってきていなかった。

内掘氏は「強い知事」になれるのか。

 選挙戦初日に「浜通り」を遊説コースに選んだことからもわかるように、内堀氏は原発事故による避難者を決して軽視しているわけではない。それは内掘氏の選挙戦を取材すると、必ず「浜通りの復興がなければ福島の復興はない」とのフレーズが聞かれたことからも明らかだ。
 また、日中に仮設住宅に足を運び、原発事故で避難を余儀なくされた人たちに声をかけるシーンもたびたび見られた。

いわき市内の仮設住宅で聴衆と握手する内掘雅雄氏

「中間貯蔵施設、どうですか。お父さんのところはどのくらいの距離ですか」
 訪問先で出会った人に、内堀氏自らが声をかけていった。
 いわき市内にある、大熊町からの避難者が暮す仮設住宅を回っていた時のことだ。
「除染で無駄なお金を使うんだったらもっと違う使い方があるんじゃないかって。悪あがきしないで、世間体関係なくやってほしい」(50代女性)
「土地の賠償額を提示された時に、『なんじゃこりゃ』と思ったよ。山林の補償金額の桁が違うと思った。おれらはこーんな大木を何年もかけて育ててきたのに、それがこの値段かと」(60代男性)
 このように有権者から直接強い怒りをぶつけられることもあった。しかし、内堀氏はその声にじっと耳を傾けた。そして最後は、
「今日はありがとうございました。お話を聞けてよかったです」
 と言って握手をしていた。有権者は、
「こんなところまできて、話を聞いてもらえただけでもよかった」
 と話していた。

いわき市内にある楢葉町の仮設住宅で有権者と話す内堀雅雄氏

「何も変わらない」と思っていた有権者に「変わるかもしれない」と思ってもらうためには、やはり県政の側から県民に近づいていくしかない。とりわけ原発事故の被害が大きかった「浜通り」には、それほど疲弊した県民もいるというのが福島を取材してきた筆者の実感だ。
 内掘氏は今回の選挙で「現場主義」も訴えていた。内掘氏の「公約集」には、こんな言葉も書かれている。
「時間を惜しまず市町村や企業・団体を訪問し実情をしっかりと見聞きし県政に反映します。皆さんの声をもとに、復興計画などの県の骨格となる計画の見直しも、状況変化を捉えつつ前に進めるため、開かれた議論を始めます」
 45・85%という低投票率で生まれたリーダーが「強さ」を発揮するためには、投票所に足を運ばなかった県民の支持をどれだけ獲得していくかということが課題になる。そのためにもこうした「現場主義」は不可欠だろう。

「組織型選挙」の強さとは。

 今回の選挙戦、内堀氏はどの政党からも推薦は受けなかった。あくまでも「支援」を受けるという形での選挙戦だったため、選挙対策本部は様々な党派の議員関係者や支持者たちによって合同で運営されていた。
 県内各地での遊説は地元選出の議員の先導により行なわれていたため、街宣車が走るコースもきめ細かい。幹線道路だけでなく、住宅街にも細かく入っていき、支持を訴える。効率よく、くまなく回るために車を一時停止させ、窓から手を伸ばして有権者と握手する姿もよく見られた。

選挙戦最終日、福島市内で最後の訴えをする熊坂義裕氏

いわき市内にある双葉町の仮設住宅で演説する井戸川克隆氏

 街宣車でアナウンスを担当するウグイス嬢の動体視力も、今回立候補した全6候補の中では群を抜いていた。制限速度いっぱいで街中を走りながらも、人影を見つけるとすかさず声をかけるのだ。
「白衣のお父さん、お店の中からありがとうございます!」
「2階の窓からご夫婦揃って手を降っていただきありがとうございます!」
「畑のお父さん、腰を伸ばしていただきありがとうございます!」
 山あいの田園風景を走っているときなどは、有権者との距離は200m以上あった。それでも見つけて声をかける。内掘氏も負けじと、
「手ぬぐいを振ってくれているお母さん! 見えてます! ありがとうございます! あたたかいご声援でお力をいただきました!」
 と声をかける。典型的な「組織がしっかりした候補の選挙」だ。

福島県石川郡平田村で有権者と語る金子芳尚氏

郡山市内の仮設住宅で住民と対話する伊関明子氏

 なにしろ選挙期間中、翌日の遊説日程が時間を区切ってキッチリと決まっていたのは内堀陣営だけだった。そのため有権者も「内堀氏がいつ、どこに現れるか」がわかるため、時間を合わせて会いに来ることが可能だった。
 しかし、取材をしていて一度だけ驚いたことがある。筆者が内堀氏の遊説日程に合わせて街宣車の後をついて取材をしていた時、内掘氏の選挙スタッフ数人が筆者のもとに集まってきて、次のような言葉を投げかけたのだ。
「密着取材の許可を取っていますか?」
 選挙取材に許可など必要ないのは言うまでもないが、筆者は事前に選対本部から内堀氏の遊説日程を送ってもらっていた。それにあわせて街宣車の後を安全運転でついていき、取材をしていただけだ。そのことを筆者が説明すると、その選挙スタッフは筆者が名前を挙げた選対本部の広報担当者に確認の電話をかけ、電話を切った後に筆者に向かってこう話した。
「選挙戦を事故なく安全にやっていくために、密着取材はどの社の記者さんにも遠慮してもらっているんです。予定のポイントで待ち構えてもらうスタイルにしてもらえませんか」
 筆者はこの時点で街宣活動の様子をある程度取材し終わっていたため、この提案を受け入れた。そしてそこからは演説ポイントに先回りして待ち構えることにした。
「選挙中はいろんな人が来るんです。なかにはこちらの選挙を妨害しかねない人が来ることも予想されるんです。安全にやるためにもスタッフとしては気を遣わなきゃいけないんです。どうかご理解ください」
 その時点で筆者以外に街宣車を追いかける記者がいない理由がなんとなくわかった気がした。しかし、選挙戦終盤になると筆者の他にも街宣車の後をついて取材する記者が出てきた。それは決まったポイントでの取材だけでは見えてこないものが選挙には必ずあるからだ。

「オール福島」への第一歩は情報公開。

 10月26日、午後8時。開票が始まると同時にテレビ画面には「福島県知事選、内堀氏に当確」の速報が流れた。

「当選御礼」の紙が掲げられた内堀雅雄氏の会津若松連絡事務所

 その瞬間、筆者は内堀雅雄氏の事務所ではなく、共産党と新党改革が支援する元宮古市長、熊坂義裕候補の事務所にいた。
 それには理由がある。内堀雅雄氏の事務所では選挙の情勢がわかり次第、内堀氏の記者会見が行なわれることになっていた。しかし、その場では「福島県政記者クラブ」の記者以外は質問ができないと決まっていたからだ。
 筆者は内堀事務所の様子はテレビで見るにとどめ、「直接質問のできる」熊坂事務所に行ったのだ。

10月26日午後投開票日。投票箱が閉まる19時とほぼ同時刻に内掘氏当確の第一報。19時18分ごろから支持者を前に敗戦の挨拶をする熊坂義裕氏

 内掘氏は選挙戦を通じて、日本だけでなく「全世界の英知を集結する」と訴えてきた。また、福島の復興のためには幅広い情報発信が欠かせないとの認識も持っていた。あらゆる手段を通じて福島の思いをアピールしていく必要があるとも考えていたはずだ。それだけにあえて「記者クラブ限定」と決めての記者会見は残念だった。
 もちろん「県知事選での当選だけ」を考えれば、福島県政記者クラブ限定の記者会見でもいいかもしれない。しかし、「当選後の福島の復興」を考えれば、一人でも多くの理解者を全世界に増やしていく必要がある。ここは県政記者クラブに限定せず、全世界のあらゆるメディアからの質問を堂々と受け、全世界に向けて開かれた情報発信をしてもらいたかった。
 これはあまり知られていないことかもしれないが、福島県知事の記者会見への参加者は、長い間、「福島県政記者クラブの記者」に限定されてきた。そのため筆者は佐藤雄平知事時代の今年5月、6月の段階から複数回にわたり「県知事記者会見への参加」を福島県と福島県政記者クラブに申し入れてきた。
 しかし、10月末の福島県知事選以後も前向きな回答が得られなかったため、福島県の取材を続けるフリーランスの記者たちに呼びかけ、「フリーランス連絡会」として「福島県知事記者会見のオープン化」申し入れを行なった。
 送り先は福島県知事・佐藤雄平氏、福島県次期知事・内堀雅雄氏、福島県政記者クラブ。回答期限は内堀雅雄氏が新知事に就任する12日の前日、11月11日に設定した。これはもちろん「参加可能」という連絡が来た場合、内堀雅雄新知事の記者会見に参加するためだ。

ブログ:「福島県知事記者会見に関する申し入れ書」送付のお知らせ

 しかし、福島県と福島県政記者クラブからは「加盟社以外の記者会見の参加について、今後、協議することを検討していきたいと考えています。」という極めて残念な回答が届く結果となった。
 また、回答の確認のために県広報課と電話した際、「まだ緒についた感じですかね」と聞かされ、重ねて失望した。一般社団法人日本新聞協会編集委員会が「より開かれた会見を、それぞれの記者クラブの実情に合わせて追及していくべき」とする「記者クラブ見解」を出したのは12年以上も前のことである。今年5月、6月にも申し入れていたのに、その後、なんの検討もされていなかったということだ。

ブログ:福島県広報課・福島県政記者クラブから連名で回答

 ただし、11月12日の内堀雅雄新知事の初登庁後の就任記者会見では、新たに「インターネット生中継」が県のホームページで実施されることになった。
 フリーランス連絡会の申し入れ書でも触れられているように、今でも福島県外への避難者は4万6千人を超えている。つまりそれだけ地元メディアの報道に触れられない人たちがいる。そうした人たちへの情報伝達手段が一つ増えたことは一歩前進だろう。県知事の定例記者会見動画は今後も福島県のYouTube公式チャンネルで公開されることになっている。フリーランス連絡会の申し入れが全く無駄だったわけではないと思いたい。

YOUTUBE:福島県公式チャンネル

 また、11月12日の就任会見の冒頭、内堀雅雄知事は最初に県政記者クラブへの謝辞を述べ、続けてこんな発言も残している。
「会見のスタイルも変えさせていただきましたが、初めてのやり方なので、若干不慣れな点もあると思います。みなさんの御意見も聞きながら、より改善していい形での応答を作っていきたい。マスコミの皆さんへのお答えは、県民の皆さん、また国民のみなさんへの発信となりますので、より『しんか』させていきたいと考えています」
 また、11月17日月曜日午前10時に開かれた記者会見動画では、これまで月一回だった記者会見が「原則・毎週月曜日」に開かれることが判明した。この狙いについて内堀知事はこうも述べている。
「(記者会見で)大事なのは、福島県の思いを、まず県民のみなさんに知事の思いをしっかりと伝える。また、機会あるごとに全国的に発信するチャンスになろうかと思います。やはり今、いろんな時代の情勢が大きく激しく動いておりますので、月一回、二回ということではなくて、毎週一回、できるだけ発信する場を作るということが、福島の復興、再生においても重要ではないかということで、このような取り組みを進めています」
 少しずつではあるが、福島県の広報姿勢にも変わる兆しが見えつつある。全世界が福島県に注目する中、福島県には今後も新たな「しんか(進化、新化、深化)」が求められていくだろう。それが選挙戦中、「ミッション(使命)、パッション(情熱)、アクション(行動)」と強調して当選した内掘氏に与えられた課題の一つでもあるはずだ。
「行動がなければ意味がないんです!」
 内堀知事には、ぜひ選挙戦で何度も訴えた熱い言葉を思い出していただきたい。情報を広くオープンにし、全世界のあらゆる人たちと意見を交換していく。それが福島の課題を浮かび上がらせ、全世界の英知を集結して解決していく力になっていくはずだ。

いわき市勿来駅前で支援者の子ども握手

 今回の選挙戦中、「オレは選挙に行かない」と筆者に言った郡山市の30代男性はこうも言った。
「県が一方的に出す情報は信じられない。県には何も期待していない。もう政治に頼らず自分が頑張るしかないんだよ」
 これからの福島を作り、支えていく世代にこのような思いをさせていいのだろうか。知事選を棄権した86万6337人が福島県政に注目し、期待できる状況を作ること。それが「オール福島」への第一歩ではないだろうか。

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