まちは有機体
「仮の町」は難しい問題だと思います。これまでに、首長たちがそれぞれ違う方向性を打ち出していますから、それを前提とした「仮の町」になっていくのだと思います。正直、私は大枠でしか捉えていません。しかし、「双葉郡が氷解してしまう危険性をはらんでいる」と感じ、心配しています。たとえ名称が「仮の町」でも、双葉郡の人たちがいわきに住み始めたら、いわきの人たちは当然、市民として一緒にやっていこう、という感じになるはずです。そうなると、その村・町はなくなってしまうわけです。それでみんなが満足したとしても、私は「違うのではないか」と思うんです。
相馬藩がやって来たのは、1000年前です。その前からコミュニティーがあるわけです。だからこそ基本的にはできるだけ帰られるようにしていくことを考えてもらわないと、と思うわけです。ここで手打ちがなされ、いわき市民になることが前提のように進んでいくということは、双葉郡がだめになるということです。それはいわきも相馬もだめになるということにつながっていきます。
国道288号、常磐自動車道、そして常磐線を一刻も早く通す必要があります。規範的なものをきちんとつくらないと「1000年後に戻る」という気概も湧いてきません。3年もそのままにしておいたら、住民が双葉郡を捨ててしまいますよ。そうなると相馬は成り立たなくなってしまいます。仙台にも影響が出るでしょう。
いわきのなかに異質なものが入り、「絶対に帰る、帰せよ」という意識の高い集団が存在したら、それは、いわきのみなさんはやりにくいかもしれません。これは、私にとっても痛し痒しの問題です。でも、知事時代にこういう問題が起こったら県としては「帰る」ということを前提にしますね。どんなことがあっても「帰る」です。
例えば現実的かどうかは別にして、双葉郡に都庁のような高層ビルを建てたら放射線量
はかなり低くなりますよ。10メートル高くなるとずいぶん下がります。もし知事だったら、さまざまな方法を考えて帰られる努力をしますね。予算が2、3三年来て、政権が変わったからそれでおしまい、ということになってしまったら、福島県は、県内の7つの生活圏はおしまい、ということになってしまいますから。
まちというのは有機体なんです。まず双葉があって、いわきの木材市場は双葉の木材で成り立っている、ということです。仙台だって簡単に考えているかも知れないですが、常磐線があって常磐高速道が通
じているから仙台は中心になり得るかも知れないんです。海岸線ルートが全部だめになったら、盛岡と同じです。
非常時のリーダー
いまのような難しい時期にリーダーがすべきことは、コンセプト、理念をはっきりさせる、ということだと思います。方向性ですね。
知事時代、「7つの生活圏」を設定して過疎対策なども行ったわけですが、千年続いたコミュニティーがこの事故だけで帰れなくなる、というのはどう考えても許せません。「責任を持ってきれいにしろ」と言いながら、帰る姿勢を崩してはいけないと思うんです。
それは現実的には半分しか帰れないかも知れないですが、私は双葉郡内の人たちと会うたびに、「孫の時代でもひ孫の時代でもいいから、帰るんだよ」という話をよくします。実際の厳しさは彼ら自身が一番感じているのだと思いますが、そういう視点がないと絶望的になってしまいますから。そういう方向性は首長さん方が示してほしいと思います。それを意識した闘いをしていかないと、コロコロやられてしまいます。何年かたつと忘れられてしまいます。
いわきの市長は「いわきの都市計画の範囲で、分散型として仮の町構想を考えていきたい」と言っているそうですが、いまはリスク管理が重要なのです。
知事時代、部長会や課長会でよく言いました。「あなたたちは法律とマニュアルでしか動けないんだよ」と。結局は、辞める三年ぐらい前にリスク管理の担当までつくりました。なぜかというと、公務員は法律にないことに手を出すことができないからです。下手に手を出すと訴えられますからね。だから、法律やマニュアルにあることしかやらないわけです。
でもリスクというのは法律やマニュアルを超えてきます。そのときに判断するのが現場にいる課長や部長、そしてトップなわけです。3.11では通
常にないこと、法律にないことが起こったわけですから、トップが動かないとだめなわけです。法律にないことが起きないのではなくて、起きるわけですから。
そこで、渡辺いわき市長に言いたいのは、今度の原子力の問題というのは法律にもマニュアルにもない、それを超える異常な状況のなかでの判断をしなければならないわけです。それを職員に任せたらいつもの法律の範囲での判断しか出てきません。
だから、双葉郡のための「仮の町」がいままでの都市計画とぶつかることがあったら、役人の頭で考えるのではなくて、都市計画をつくったときとはまったく別
のことが起こったのだ、ということを前提にしながら考えないとだめだと思うんです。1000年に1度しかないことですから、平時につくられた都市計画は当てはまらないと思うんです。別
の観点でやる、まさにリスク管理です。今回の事故は国にも世界にもマニュアルらしいものがなかったわけですからね。新しい発想、やり方で取り組まなければなりません。
原発事故で、まさにガラガラ・ポンになりました。これからは、それぞれが腰を据えて次の時代の長期計画を作っていかなければなりません。廃炉のための仕事は長いスパンであるわけですから、それを踏まえて考えていかなければなりません。当然、研究施設も必要になってくるでしょう。まちをどうするかは、各首長にかかっていると思います。
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