《河野洋平氏の後、友人代表としてお別れの言葉を述べたのは、作家の落合恵子さん。現政権の保守的な政策運営を強く批判しながら、土井さんを追悼した》
■落合恵子さん
土井たか子さん、あなたがここおられたら。
壁にぶつかり、ここに立ち往生するたびにあなたのことを考えます。土井たか子さん、あなたは大事な話をされるとき、目の前の人の名前をフルネームでお呼びになられましたね。だから、私も今日はフルネームで呼びます。
土井たか子さん、9月20日のあの日から、この社会におけるすべてのことを、とりわけ、平和と人権にかかわるすべてのことを空のどこかでごらんになっておられるのでしょう。ハラハラされたり、「それはいけません」と通せんぼするように手を広げられたり、腹を立てられたり、「さあ、あなたたちがんばりなさいよ」と背中を押してくださったりしてていることと思います。
私たちよりもはるかにクリアに鋭く深い視座。だから、一つ一つをあなたにご説明する必要はないのですよね。しかし、特定秘密保護法、集団的自衛権の閣議決定、武器輸出の緩和、TPPへの前のめりの移行、福島原発の収束を何一つみないままでの川内原発の再稼働…。私たちの社会は一体どこに向かっているのでしょうか。そして、先の沖縄県の知事選。その結果を受けて、多くの県民が喜びの涙を流した夜から3日も立たぬうちに機動隊に排除された85歳の辺野古のおばあが後頭部を打って救急車で運ばれました。
このおばあは沖縄戦のとき、火炎放射器で体を焼かれ、戦後、美しい辺野古の海で魚や貝をとって、子供たちを懸命に育ててこられた。土井たか子さん、あなたがここにおられたら、このおばあとともに拳(こぶし)を上げられたはずです。
晴れた5月の早い神戸、私が主宰する子供の本の専門店で、少し遅いお昼をご一緒したことがありましたね。旬の根菜や野菜の煮物を「おいしいわ」と次々に召し上がっていました。明るい日差しに目を細めた白いスーツ姿の土井さんでした。
あなたはおっしゃいました。
「人には何があっても、どんな状況でも明け渡したり、捨てたりしてはならないものがある。それは、他の人との約束よりも、まぎれもなく、自分との約束だ。私の場合は、その自分との約束が平和であり、憲法であるのよ」。
丁寧にいとおしんでこられた。けれど、最新とはいえない白いスーツ姿が土井たか子さん、あなたのりりしさとダンディズムを表していました。
女たちの集まり、誰かのリクエストで小さなステージに上がったあなた、はにかんで、はにかんで、躊躇(ちゅうちょ)して、躊躇して、けれど、マイクを手にすると、堂々と「マイウエイ」と「サン・トワ・マミィ」をアカペラで歌われました。
本当は、とってもシャイで、どこかの大学の研究室が似合いそうな土井たか子さん、マイクを握った瞬間のあなたを傍らでみて、こうして土井たか子という人は努力を重ね、必死に土井たか子を作り上げてきたのか、と胸が熱くなったことがあります。
土井たか子さん、あなたが私たち一人一人に手渡してくださった宿題をしっかりこの手で握りしめ、きょうを、あしたを紡いでいきます。
憲法をより生活化し、命と人権をおかすものに明確に拒否する思想と姿勢を私たちは受け継いでまいります。
新川和江さんという、あなたの同世代の女性の詩人が次のように記しています。
信じていなさい
痛みはおまえだけのものではないと
おまえが「う」とうめく時
真夜中の劇場の楽器置き場の片隅で
コントラバスが「う」ひくくうめいて
同じ苦痛の相づちを打ってよこすと。
土井たか子さん、人知れずうめいた瞬間があなたにもたくさんあったはずです。それをすべてを心の奥底にしまおうと、あなたは逝ってしまわれました。土井たか子さんらしいと思う半面、私たちはとても、とても寂しいです。それでも、ここにお約束します。今度は私たちが山を動かします。落合恵子。