【土井たか子さんお別れの会・詳報】(3)河野洋平・元衆院議長「あなたに謝らなければならない大きな間違いをした」

2014.11.25

土井たか子さんの遺影 =25日午後、東京・憲政記念館講堂 (川口良介撮影)

土井たか子さんの遺影 =25日午後、東京・憲政記念館講堂 (川口良介撮影)

 《村山富市元首相の後にお別れの言葉を述べたのは、河野洋平元衆院議長。衆院に小選挙区制を導入したことが現在の政治の混乱を招いたと指摘。導入を進めたことを土井さんにわびる場面があった》

■河野洋平・元衆院議長

 土井先生、あなたと同じ時期に国会に席を持った。外務委員会は土井委員会と呼ばれました。確かに、あの当時は、社会党も大変大きな政党で、力を発揮し、国会の委員会活動を社会党は活発にしておられた。しかし、その中にあって、あなたの外務委員会における活発な議論は見事なものでした。だから外務委員会のことを土井委員会と呼んでいたのです。論客でした。党は違いましたが、最も注目すべき議員と私は思っていました。

 その後、政界はさまざまな動きがあり、右に左に動く中で、あなたはビクともしなかった。一直線に、そして、一徹に国民に平和を願う、憲法を守る姿勢を貫かれた。そのあなたの姿勢が国民の多くに支持され、衆院議長になられ、衆院議長としてみごとな采配をふるわれた。私は土井さんをずっとみつめながら、尊敬しながら、政治活動をしてきましたけども、最後にあなたに大変申しわけないことをした。おわびしなくてはならない。謝らなければならない大きな間違いをした。

 細川護煕さんと2人で最後に政治改革、選挙制度を右にするか、左にするか、決めようという会談の最中、議長公邸にあなたは呼ばれた。直接的な言葉ではなかったけれども、「ここで変なことをしてはいけない。この問題はできるだけ慎重にやらなくてはいけませんよ」と言われた。あなたが小選挙区に対して非常な警戒心を持たれていた。

 しかし、社会全体の動きはさまざまな議論をすべて飲み込んで、最終段階になだれ込んだ。私はその流れの中で小選挙区制を選択してしまった。今日の日本の政治、劣化が指摘される、あるいは信用ができるかできないかという議論まである。そうした一つの原因が小選挙区制にあるかもしれない。そう思った時に、私は議長公邸における土井さんのあの顔つき、あの言葉を忘れることができません。

 言うことをはっきり言われるあなたが、あのときだけは、議長としてののりを越えない難しい言い回しで言われましたね。あのときのあなた以外は、常に明快で、大胆で、思い切りのいい発言をずっとしてこられた。だから、今、私はここに立って、お別れの言葉を申しあげながら、近年、永田町において、最も男性らしい政治家だったとあなたに言いたい。あれだけの勇気、決断、度胸の良さ、右に出るものはなかなかいないと私は思っています。

 土井さん、ご苦労さまでした。そして、まだまだ憲法を守り、日本の平和を守っていくためにあなたの残された志は大事だということをかみしめながら、お別れのご挨拶をしたい。土井さんご苦労様でした。安らかにお休みください。さようなら。

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