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  1. 正義のあかし(8)
  2. 虚構の大石寺疑惑(0)
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うらら様、だいせーどー様、信濃町の人びと様

 投稿者:しなのそば  投稿日:2014年11月27日(木)16時15分2秒
  皆さんの憂慮なされていることに賛同いたします。
南無妙法蓮華経が宇宙に遍満することを、大聖人の御書だけで立証できるのであれば、戸田先生の悟達や人間革命の記述だけで教義の整合性も取れるのでしょう。難しそうですが。
一方で、学会保有の御本尊や各家庭の日寛御本尊の立ち位置が全く不明です。戒壇の大御本尊を受持の対象にせず、なおも大聖人のご真筆御本尊よりも、大石寺歴代法主の御本尊の方をありがたがるというのは、今回の会則変更では全く説明がつかないですね。電源と端子の関係でもないし、血脈を否定しているのに御本尊だけは別だ、というのでは法華講の皆さんの主張に対抗しきれないのですが、現在の教学部の考え方が分からないから、自分の思うところを話しても己義を構えることにしかなりませんしね。
原田会長のコメントだけでは、とても説明しきれません。学会本部には、選挙のせいなんかにせず、早々の補足説明を求めます。
どう考えても、今回の会則変更は、池田先生のお考えではあり得ないですね。
 

だいせーどー様

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2014年11月27日(木)15時02分40秒
  その通り歴史認識を正確に行い、
教義を導き出す。大事なことです。

その努力のかけらもない会長発表ではないでしょうか。

教義解釈は後からでも可能ですが、整合性がとれない場合は、きちんとした説明が必要ですから。

それなしでは、新たな宗派の立ち上げとみなされる危険性があります。

教学部レポートにも目指すべき方向性の骨子が書いてあります。

この内容をしっかり論議する必要はありますね。

以下教学部レポートから引用します。


【3】 教学部では、「戒壇の大御本尊」「創価学会常住御本尊」の意義づけについては、 以前から研究を進めていました。この 7 月 9 日には、原田会長あてに「創価学会常 住御本尊と広宣流布の使命」というレポートを提出しています。その骨子は以下の 通りです。

1 御本尊の本質は「一念三千自受用身」すなわち「南無妙法蓮華経即日蓮大聖人」と いう人法一箇の法体の顕示にある。

2 「戒壇の大御本尊」も、法主によって書写された御本尊(以下、書写本尊)も、同 一の法体が顕示されており、そうした本質次元では共通している。

3 御本尊が御本尊として成立するためには、上記の様に人法一箇の法体が正しく顕示 されていることを第一の要件としつつ、「信心の本尊」であるがゆえに、どこまで も正しい信心で拝するという第二の要件が不可欠である。

4 「戒壇の大御本尊」における戒壇・本尊の意義も正しい信心が介在しなければ成立 しない。また「一閻題総与」という意義も、広宣流布があって初めて成就するものである。

5. 「創価学会常住御本尊」は、戸田先生が「大折伏大願成就の大御本尊」として当時 の日昇法主に申請されたものであり、戸田先生は、この御本尊を拝して75万世帯 の願業を成就された。また池田先生もまた、この御本尊を拝して世界広宣流布を進 めてこられた。その意味で、創価三代の師弟の誓願の結晶ともいうべき御本尊であ り、当時の和合僧団の化義に則り、法主の書写という形を取ったが、日蓮大聖人か らの直受と拝するべきである。「戒壇の大御本尊」が本体、他の御本尊は分身であるという論理から、あくまで「南無妙法蓮華経即日蓮大聖人」という人法一箇の法 体の顕示が本質であるという、日寛上人が本来意図していた本尊義に引き戻すとこ ろに、このレポートの主たる目的がありました。

========================

教義論争について  投稿者:だいせーどー
投稿日:2014年11月27日(木)01時40分35秒
大聖人の仏法の目的、意味を考えていく

つまり、だれのための教えなのか

そして、大聖人以降の歴史を見ていき、整理すれば方向性は見えてくると思う

創価学会の出現と三代の会長、そしてなぜ広まったのか

これを抑えるのが重要だと思う
 

高邁な思想

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2014年11月27日(木)14時56分28秒
  >>皆さん。ご存知の宮田幸一教授の論文から引用します。
  創価学会の前身。創価教育学会は牧口先生の価値論と仏法の融合から
  出発しています。
  この一部分の論文を観ても、牧口先生がいかに民衆救済の為に心血を
  注がれたか分かります。
  この難解な価値論を戦後戸田、池田両先生が庶民にもわかるような形で
  講義。指導してくださったのです。
  元の思想はヘーゲル、フッサール哲学を凌駕するほどのものです。
  優しく説かれているからと舐めてはいけません。
  創価の大幹部諸君。
  先生方の苦慮、苦闘を知らないとは言えませんぞ。
  いくら巨大組織、与党になったからと言っても胡座をかいててどうします。
  法華講、邪宗、他の新興宗教、権力与党に付け込まれるだけですぞ。
  今こそ、創立の原点に帰り蘇生するチャンスとするべき時期ではないでしょうか。

http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/paper19maki-reli.html

 

(無題)

 投稿者:うらら  投稿日:2014年11月27日(木)13時27分5秒
  本日聖教、紙面座談会読。
これを読むといつも、生命力削がれる。ムカつく。
この方々が実際話した内容なのかどうか知りませんが、いかに大衆の感覚とかけ離れているのかがよく分かる。
信仰の機関紙なのに、党の政策をもちあげ擁護してるだけ。
どこが立正安国の戦いよ?
普段、説明求めても「政治のことは党に聞いてください」しか言わないくせに。
大体、8%になる時、軽減税率導入できなくて、よくしら~と言えるわ。
軽減て、何%になるんです?全体を10%にして一部食品やらを8%のままだとしても「軽減したっ」て言うんでしょ。
「株価が二倍に上がって」「過去15年で最高の賃上げ」って、何年与党やってきたんだ。  株やってる人なんてうちの活動家地区で一人しか居ないつーの。賃金上がった実感なくみんな8%の重み受けてんのっ。
ただの自画自賛。ほんとにあほなのか。翻って票も部数も減らすんじゃないの。
 

香峯子抄

 投稿者:夢幻童子  投稿日:2014年11月27日(木)12時44分52秒
  平成17年2月27日 第一刷発行
編著者 主婦の友社
発行者 村松邦彦
発行所 株式会社主婦の友社
印刷所 大日本印刷株式会社
定価:本体1,500円(税込1,620円)
 

随方毘尼

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2014年11月27日(木)11時55分17秒
  なんでもありの魔法の言葉「随方毘尼」

テレビやラジオの宣伝は、法を下げる行為なので断じてとらないと、人間革命で明確に宣言していた。
それが今では当たり前のように宣伝している

時代は変わったから、随方毘尼であると
「随方毘尼」という言葉を用いれば、いかようにももっていける

将来この言葉を悪用する、ずるい幹部も出てくるでしょう(既にいるかも)

すべては物は言い様で、言いくるめることも可能
だからこそ、一人ひとりが賢くなることが大事

自分が少しでも違和感を感じるものは、何かあると考えるほうが自然
自分の感覚を甘く見てはいけない
 

香峯子抄??

 投稿者:真実  投稿日:2014年11月27日(木)11時21分9秒
  確か外部出版社だろ?

広報室絡みじゃねえのか?

あそこは闇だ。伏魔殿だ!

広報室絡みだとT口のリークかもしれんな。

彼の情報は幹部の不正のオンパレードで宝の山だからな。
 

博物館?

 投稿者:しぶけん@法華講  投稿日:2014年11月27日(木)10時40分2秒
  >大石寺は『博物館』でしょう。

まぁ、何と言おうと勝手ですが、週末にでも実物を見てきたらどうですか?入場料も、さい銭箱もありませんよ。東京からなら日帰りで行けますよ。

例えば「やきそば号」なんて知ってます?2時間しか散策できませんが。
http://bus.fujikyu.co.jp/highw/jikokuhyo/14.html
 

戸田門下生さんへ

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2014年11月27日(木)10時36分19秒
  >>本日は会議もなく、10時からひと通り、掲示板に目を通しました。
  掲示板の投稿者の方々は、真剣に法を求めるが故に、学会を内部告発
  や情報提供されている方々がほとんどであることがお分かり頂けたと思います。
  我々が崇めているのは歴代会長では有りません。
  あくまでも人生、信心指導の師匠として尊敬申し上げているのです。
  礼拝しているのは、法華経本門寿量文底の南無妙法蓮華経のご本尊で有ります。
  身延のように応身仏の釈迦像を拝んだり、一尊四士像を拝んだりしているわけ
  では有りません。
  私自身も其のような気持ちで勤行、唱題をしてはおりません。
  本因本果。因果倶時の法体、凡仏一如の境涯を顕されたご本尊様を崇敬
  しているのです。
  他の方も大体同じような感じでございましょう。
  会則改変で今後、どのような状況になるのかは予測も付きませんが。
  御書根本。日蓮、日興。日目。この御三尊から離れる事はありえません。
  若し、そういう事態になり、釈迦本仏や他門のような状況になれば、
  退会ということもあり得ます。
  そういう状況に陥らないように内部告発、投稿、情報提供されているのです。
  その当たりの事情は御勘案下さい。
  黒川和雄氏も登場されておりますが、まともな誹謗中傷の類の投稿でなければ、
  管理人さんも削除されることは無い事でしょう。
  では失礼します。
  辛口の意見をお待ちしています。
 

上げます

 投稿者:うらら  投稿日:2014年11月27日(木)10時35分3秒
  虹と創価家族 さまの質問

>●某副会長の香峯子抄に関する不正行為
     こちらの内容について情報をお持ちの方は、ご教授お願いできないでしょうか。
     何卒宜しくお願い致します。

私も知りたいです。あと、JTCの問題の続編はどうですか?よろしくお願いいたします。
 

宣伝費

 投稿者:しぶけん@法華講  投稿日:2014年11月27日(木)10時28分1秒
  >読売はともかく朝日は最悪。

いろいろコメントありますが、全国紙にカラー全面広告をうつのって、かなりの金額ですよね。第●刊発売とか。どうせ会員は言わなくても買うだろうに。

他にもラジオで「せいきょ~う・しんぶん♪」とかCM入るようになったのは何年ぐらいからなのだろうか。戸田会長は広告の利用を禁止されていたと聞いたような気もするが。
 

おはようございます

 投稿者:うらら  投稿日:2014年11月27日(木)09時33分46秒
編集済
  しなのそば様
先日の車窓の景色はいかがでしたか。無事お帰りで何よりです。(^^)

私は、学会本部って、「怠惰」なんだと思っています。
悪意がある、というより(そういう人もいると思いますが)、、、
でも、仏法は厳しいものなのですよね、そういった呑気さは広宣流布の牙城に勤める方は
特に自身を誡めなければならない、
それを自覚しないと仏法破壊の悪に通じてしまう、のだろうと。
先生にオンブに抱っこ、わからなくもないですが、護られてるからやっぱり何事も甘い。世間知らず。
本部のみなさん、ごめんなさい(。-_-。)  お詫びにこちらを。。。

          「難来るを以って安楽と意得可きなり」
 

博物館だって。

 投稿者:夢幻童子  投稿日:2014年11月27日(木)09時14分0秒
  会則改定に伴うある活動家の話「大石寺は『博物館』でしょう。」

素晴らしい発想に絶句。
 

「落花生」と「牡蠣」で有名な地域

 投稿者:夢幻童子  投稿日:2014年11月27日(木)09時07分21秒
  「検索」すると千葉県が出ますね。  

会則変更に対する教学部の認識

 投稿者:しなのそば  投稿日:2014年11月27日(木)08時54分5秒
  おはようございます。
今回の会則変更(教義変更)について、教学部が、ほとんど変更していないとか、現状の追認くらいの認識だとしたら、世間や一般会員を舐めくさっているとしか思えませんね。選挙体制になったから補足説明の機会を失ったなんて言い訳は聞きたくもありません。
王仏冥合の原理で言えば、学会的には世法より仏法、学会員にとっては会則の方が大切なはず。
外部からの質問に、会員が返答に困るような状態で放置するのはいかがなものかと思いますね。
もし、何も変わっていないのだとしたら、何故あのような中途半端な会則変更なのかと疑問が湧きます。そんなに後ろめたい動機なんでしょうかね?
 

【創価学会は御書根本で進む】池田先生指導③

 投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月27日(木)08時47分16秒
  「真心」が「真心」として最大に報われる世界――これが、大聖人の仏法の世界であり、私どもの世界でなければならない。
そうであってこそ、私どもは心から「安心」できる。

かりに、苦労知らずで庶民の真心がわからず、仏子の真心を踏みにじったり、
それで私腹を肥やすような人間が門下の中にいたならば、大聖人のお心に反逆する者と、私どもは断ずる。
ともあれ学会は、永遠に、庶民の心で、庶民とともに、庶民のために進んでいく。

大聖人はこの御文の前に、盂蘭盆の由来が、餓鬼道の苦しみから親を救うところにあることを示されている。
そして現実に渦巻く、あさましき餓鬼道の姿を、鋭く喝破しておられる。

たとえば、「食法餓鬼」。
法をむさぼり食う、出家の姿をした餓鬼である。
仏法を、自分の名聞名利のために利用し、人々を助けようという心もない――。

また、人に隠れて、自分一人だけ供養を受けたり(狗犬の僧)、
供養を受けたことを人に隠さなくても、欲の心に凝りかたまり、人にはまったく施さない姿――。

そうした不知恩、エゴむきだしの貪欲な僧の姿を、
大聖人は「形は人にして畜生のごとし」(御書一一一二頁)と、厳しく戒めておられる。

大聖人は正反対であられた。
大難の連続のなか、どこまでも「人間のため」「民衆のため」に、大法弘通に進まれた。
民衆利用の既成宗教界とは、まったく異なる崇高なお振る舞いであられた。
その大聖人の御遺命のままに、大聖人の教えられたとおりの「広宣流布」の道を行く学会である。

牧口先生が獄中に殉じられたのは、なにゆえか。
戸田先生が入獄されたのは、そして私があらゆる難を一身に受けてきたのは、なにゆえか。
一切は、法のためである。人々の幸福のためである。

ただ「広宣流布」のため、それ以外に何もない――それが学会である。
その真実の軌跡を、大聖人が御照覧にならないはずがない。
心して、何ものにもだまされてはならない。
正しき「信心の心」を、断じて破られてはならない。

大聖人は、このお手紙で、御自身につらなる檀那が、卑しい餓鬼道の世界を悠々と見おろしながら、
三世十方の諸仏とともに自在に遊戯しゆく大境涯を開いていけることを、お示しくださっている。
まことにありがたきお言葉と拝する。

「日蓮が檀那」と述べられているように、私どもは「大聖人の檀那」である。
ゆえに、どこまでも「御本尊根本」、どこまでも「御書根本」である。
御書に照らしてどうか。一切の基準は、そこにある。

戸田先生はよく弘法の大変さなどについて、「文句があったら大聖人に言ってくれ」と言われた。
冗談めかした言い方に聞えるかもしれないが、御本仏の仰せのままに進む学会の誇りと確信がこめられている。

今もまた同じである。何があろうと、私どもはただ大聖人の教えどおりに進んでいるだけである。
ともあれ、御書の御指南のままに戦う人、その人こそが、三世にわたる「幸福」と「使命」の王者であり、女王である。
汲めども尽きぬ「歓喜」と「福徳」と「誉れ」の境涯を満喫していける人である。
――その《永遠の勝利者》の世界が、まさに、わが創価学会であることを、断言しておきたい。

【第四十四回本部幹部会 平成三年七月五日(全集七十七巻)】
 

【創価学会は御書根本で進む】池田先生指導②

 投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月27日(木)08時46分9秒
  次元は異なるが、有名な「報恩抄」の一節には、
「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」(御書三二九頁)
――苦難のない極楽での百年の修行の功徳は、この汚れた国土での一日の修行の功徳に及ばない――とある。

現実は、さまざまな、いやなこと、苦しいことの連続かもしれない。
しかし、それらがあるからこそ、成仏への大境涯を広々と開くことができる。
あたかも、ジェット機が高速で急上昇していくように、苦難を糧として、境涯を急速に高めていけるのである。

大聖人が仰せのように、《難即安楽》である。
また《難即解脱》であり、《難即前進》なのである。

正義を実践するゆえに、世間から迫害を受ける。それが真の宗教人である。
法難も入獄もなく、形だけの仏道修行でわが身を安楽に養っているのは、いわば宗教屋である。
広宣流布の偉業も、苦難また苦難があってこそ、完成に向かって進むのである。

さて、あるフランスの学者が、SGIの発展ぶりを見て、次のように感嘆していた。
「仏教が、これほどヨーロッパに広まるとは、まったく考えられなかった。
そして、これほどまでに、全世界に広まっていることは、驚嘆の極みである。
これは、創価学会が『新思考』をもって、(=仏教を知らない世界の人々に)仏教を宣揚してきた正しさの証明である」――と。

一流の知性の《公平な眼》は、本質を見ている。
仏教史にかつてない、「正法」の世界的興隆。
この《事実》をありのままに虚心に見つめるとき、学会の《真実》もまた、鮮やかに映じてくるにちがいない。

新しき世界が開かれ、新しき時代がつくられていくとき、それまでの古い《常識》を打ち破る《新思考》が必要とされる。
その「知恵」にこそ、生きた仏法がある。

過去にとらわれず、現在に生き、現実に生き、未来を創りゆく仏法の自在無碍の英知の躍動がある。
一切を変化また変化と見るのが、仏法の基本である。
その変化に即して、不変の知恵を発揮するのが、仏法者の使命である。
かたくななだけの《旧思考》の安易さは、それ自体、真の仏法ともっとも縁遠い姿なのである。

【第四十四回本部幹部会 平成三年七月五日(全集七十七巻)】
 

【創価学会は御書根本で進む】池田先生指導①

 投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月27日(木)08時44分54秒
  ここで、根本である御書を拝したい。
罪なくして、信心ゆえの諸難と戦っていた四条金吾に対し、日蓮大聖人は次のように讃嘆しておられる。

「設い日蓮一人は杖木・瓦石・悪口・王難をも忍ぶとも妻子を帯せる無智の俗なんどは争か叶うべき、
中中・信ぜざらんはよかりなん・すへ・とをらずしばしならば人に・わらはれなんと不便にをもひ候いしに」(御書一一六三頁)

――(舎利弗・目連・迦葉等でさえも、この娑婆世界で、末法に法華経を弘通する大難を忍べず、弘通を辞退した。
まして末法の凡夫がどうして法華経の行者になれようか)
たとえ日蓮一人は、杖や木で打たれ、瓦や石を投げられ、悪口され、権力による大難を受けても忍ぶことができたとしても、妻子をもった、仏法に無知な在家の人たちは、どうして耐え忍ぶことができようか。

かえって初めから信じないほうがよかったのではないか、
最後まで信心を貫きとおせず、しばしの間の信心であるならば、人に笑われるであろうと、かわいそうに思っていたところ
(大聖人の大難にも不動の信心をあらわされ、そのことさえ不思議なのに、
このように自分が脅かされた時も、二ヶ所の所領を捨てても、法華経を信じとおしますとの誓状を書かれたことは、
言葉では言いようがないほど立派なことである)――。

妙法を正しく行ずれば、必ず諸難がある。
在家の身でそれらに耐えられるはずがないと大聖人は思われていたというのである。
いわば、難は本来、当然、出家が受けるべきとされていたと拝される。

にもかかわらず、金吾は立派に大聖人の大難にお供し、自身の難にも揺るがなかった。
このお手紙をいただいた建治三年(一二七七年)七月ごろ、
四条金吾は、同僚の讒言等により、主君から法華経を捨てるという誓約を書くよう命令されていたが、
決して誓約は書かないと大聖人にお誓いした。
この御文は、その報告に対する御返事の一節である。

大聖人は、その不動の信心を、こよなく讃嘆されているのである。
在家の身で、よくぞここまで――と。

私ども創価学会は、在家の身でありながら、ありとあらゆる法難の矢面に立ち、
ありとあらゆる攻撃を受けながら、「広宣流布」の拡大を現実に成し遂げてきた。

その厳然たる事実は、だれ人が何を言おうと、どんな詭弁や策謀を使おうと、微動だにしない。
御本仏日蓮大聖人に讃嘆してくださることは間違いないと信ずる。

大聖人は、ここで
《最後まで信心を貫けないくらいなら、初めからやらないほうがよい。人に笑われるであろう》
とのお心を述べられている。

同様の意味の御文は、御書に数多い。
重大な意義のあるお言葉と拝される。
貫いてこそ信心、歩みとおしてこそ成仏、戦いきってこそ地涌の勇者である。

【第四十四回本部幹部会 平成三年七月五日(全集七十七巻)】
 

(無題)

 投稿者:地方会館  投稿日:2014年11月27日(木)07時48分38秒
  例の朝日新聞バーター問題に関連して。
一部地域では聖教の配達をASAに委託する計画もあります。
無冠の友成り手不足は深刻化していて現状では配達に支障が出ている地域すら
ありますから。今のところ、「落花生」と「牡蠣」で有名な地域が候補と聞いて
います。
後、ASA求人への学会員優先採用についての案もありますが、これ以上は書け
ないので申し訳ありません。
 

信濃町の人びと様、皆様、質問です。

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2014年11月27日(木)07時47分34秒
  おはようございます。

>●某副会長の香峯子抄に関する不正行為

こちらの内容について情報をお持ちの方は、ご教授お願いできないでしょうか。

何卒宜しくお願い致します。
 

戸田先生 「ならば自分の好きな学会に変えなさい」

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2014年11月27日(木)07時36分31秒
  おはようございます。

最高幹部の醜態の事実を知るたび、日々思い出すことがあります。



池田先生はお若い時に、戸田先生に「今の学会は嫌いだ」と話されました。

それは当時の最高幹部の醜態、陰で戸田先生を裏切る姿を見て言われました。

戸田先生は「ならば自分の好きな学会に変えなさい」と言われた。



実際、現場では幹部の醜態の事実を知り幹部不信から学会不信になった方がいます。

最終的にその方は、折伏・新聞啓蒙・財務をしなくなりました。

しかし、勤行・唱題はきちんと行い座談会には出て家庭訪問もします。



自分としては大変難しいですが、今の現場での戦いを全力で行いながら、悪を叩き出すしかないと決意しています。

それが戸田先生の言われた「ならば自分の好きな学会に変えなさい」だと捉えました。

また池田先生が今日まで戦われた軌跡だと思います。



今の創価学会に足りないもの。

破邪顕正の「破邪」の部分です。

そして自身に「顕正」を弱めてはいけないと戒めております。
 

創価学会、ついに戒壇の大御本尊を否定

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2014年11月27日(木)07時15分36秒
  大白法 号外より

http://youtu.be/oiKvyKDaawA
 

(無題)

 投稿者:Rira  投稿日:2014年11月27日(木)06時29分54秒
  太ちゃんは、ブログをやっていたあの太ちゃんですか?
私は一年ぐらい前、何度か書き込みしていた名無し学会員です

唱題は、仏界へ至る視覚からのルート、聴覚からのルートがあるとの説で
個人信仰が大事だとされていましたね

「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」とあるように
個人で”正しい信力”を出せるとは思えないので、残念ながら私は反対の立場です。
どうして学会員を続けているのかもよく分かりません
 

教義論争について

 投稿者:だいせーどー  投稿日:2014年11月27日(木)01時40分35秒
  大聖人の仏法の目的、意味を考えていく

つまり、だれのための教えなのか

そして、大聖人以降の歴史を見ていき、整理すれば方向性は見えてくると思う

創価学会の出現と三代の会長、そしてなぜ広まったのか

これを抑えるのが重要だと思う
 

『改定』の別の意味を直感

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2014年11月27日(木)01時10分55秒
編集済
  http://taicyan42e.exblog.jp/21339804/
『近い将来の災害とその惨状』


まずは二つの動画をご覧いただきたい。

https://www.youtube.com/watch?v=ysZbRAkNgY0
【現場画像あり】富士山噴火カウントダウンか 異常な兆候まとめ2014 新しい

https://www.youtube.com/watch?v=qMwx2-zaHnw
東海地震(南海トラフ巨大地震)が切迫している理由


いま僕は『立正安国論』を身をもって実体験してるような感覚を感じている。
『創価学会』の会則変更になったら噴火の自然災害が起きた。
そして先生が陣頭指揮をとらなくなったタイミングであの東北の大災害。

先生が陣頭指揮をとっていた頃には『立正安国論』には正直なところ感覚的にピンとこなかった。
が、これだけ近年は災害が頻発して、なおかつ『創価学会』が揺れてる実情を思えば『立正安国論』がまさに『正しい』と実感しながら、同時に『危惧するもの』をリアリティーに体感的に感じるようになった。

富士は噴火はいつ起こっても不思議ないと、テレビや雑誌やらで取り上げられてきてるから日本人ならみんな知ってることだろうと思う。
『富士山』といえば宗門が近い。『東海』といえば『創価学会本部』が近い。これは偶然なのだろうか?

今回の創価学会の会則改定だが。他の『意味』もあるのでは?と感じた。
簡単には宗門の『大御本尊』は受持しません、ということであるが。
それは表に現れたものであって、ひょっとしたら『大御本尊』が『消える』のを深層心理から出た改正なのではないのか、そう直感したのだ。

いくら宗門の大御本尊といえど『正しい信力』でやってない実情では『ただの板キレ』にしてるのが残念ながら実際だ。
曼荼羅としての効力を無力化してる以上、『ただの板キレ』のようにその辺に落ちてる『板キレ』でしかない。
『効力』が無いのでは富士の噴火の際、大石寺は「マグマの火山流」なり「地震などの地割れ」で大御本尊を喪失するのではないか。
それだけではなく、坊主のこれまでの悪行から『大石寺』自体が「事実上の喪失」になるのではないか。
さらに、法主などはその時に亡くなる、と宗門について直感した。

一方で「東海地震」だが。『創価学会本部』は「東海地震」が起きれば大きく影響を受ける範囲だろう。
最悪のシナリオは東海地震と連動した富士の噴火だ。先生が生きている間は本部は致命的なほどの被害にはならないだろうが、宗門はすでに『広宣流布には役割が済んだ宗教』であるからすでに述べたような致命的被害になるかもしれない。

こういう事を書いてるのは、先生の威光が残ってるいまでさえこんな惨状であるものを、私物化しようとしている最高幹部連中が本格的に『悪事』を働けば「最悪のシナリオ」が起こってしまうのではないか。そう感じざるえないのだ。そしてそれはすでに水面下から表舞台になろうとしている。こんな流れでは『本格的悪事』になるまで『ほんの数年』であろう。

つまり、『東海大地震~富士の噴火』という大災害はこの後の『ほんの数年後』という直感をしてしまうのだ。もし先生が亡くなったなら、学会本部だって致命的だろうが、直感でしかないがその前に起こるだろう。

さて、それで結論というか、『個人レベル』のことだが。
今のタイミングでぜひ再確認をしておいた方がいい。
自分が間違いなく大聖人様や先生の意思・思いに沿っているのか。
他人の見方ではなくあくまで『自覚』のことゆえ、普段から自信を持って『自覚』できるようにしておきたいものだ。
いまのタイミングではそこまでになってないと、この『自然の大災害』の時に『命を落とす』ことになりかねない。

特に本部の方は最も『トバッチリ』に遭いやすい状況下にあるゆえ、再度の確認をお願いしたい。
それが『自分が護られる』ということに繋がるから。
 

(無題)

 投稿者:だいせーどー  投稿日:2014年11月27日(木)00時57分42秒
編集済
  大御本尊に関する教義論争が活発になってきましたね。

教学部レポートを読まないとよく背景が理解できないと思います。

教学部レポートを読むことをお勧めします。


http://6027.teacup.com/situation/bbs/index/detail/comm_id/16383
 

謝るなら僕の方です

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2014年11月26日(水)23時39分28秒
  うららさん、謝るなら僕の方です。
書き換えておきますね。
 

太ちゃん

 投稿者:うらら  投稿日:2014年11月26日(水)23時26分38秒
  次期会長こうほ、とfactaにあっただけで( 要は、誰かさんが勝手に決めつけている 、もしくは願望、いや陰謀?)
決定事項ではありません。全然。私が紛らわしいの掲載してしまいました。ごめんなさい。
 

幹部腐敗

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2014年11月26日(水)23時24分10秒
  ●T治副会長の金銭問題、同類のSH

●TとSのタニマチ問題

●秋谷罵倒の真相

●教学部レポートの内容と真偽

●葬儀屋と絡む謀略の数々

●54年問題の真相と裏側

●最高幹部の堕落腐敗

●某副会長の宗教ビジネス

●某副会長のハレンチ事件

●元会長の裏切り

●顧問弁護士の数々の疑惑

●矢野和解の裏側事情

●某副会長の怪文書騒動による追い落としと謀略、また便宜供与の実態

●某副会長の選挙に関する謀略ビラ配布と出版ビジネス、それに絡む葬儀屋

●某聖教新聞幹部職員のハラスメント

●某聖教新聞幹部職員の派閥づくり

●某副会長の男子部人事への介入

●某副会長、聖教新聞幹部職員の不正隠ぺいと弁護士との癒着

●某副会長のマスコミへの情報漏洩問題

●某幹部職員のマスコミ操作

●某幹部職員の出版社への本執筆の件と職員規定違反について

●某副会長のタクシー代問題

●某副会長の飲み屋代金領収書偽造

●某副会長の外資系コンサルタントに関するおかしな契約と接待疑惑

●某副会長の香峯子抄に関する不正行為

●某幹部職員の出張経費ごまかし事件
 

のび太さま

 投稿者:うらら  投稿日:2014年11月26日(水)23時14分55秒
  想いを共有する方がいらっしゃるって、嬉しいものです。ありがとうございます。  

ぽんぽこ貍さん 三宝について

 投稿者:戸田門下生  投稿日:2014年11月26日(水)23時04分1秒
  学会の皆さん ウザくて済みません

質問があったので答えます

見たくない人はスルーするか、仲間内であいつに質問するなと言って下さい


>戸田門下生さんに質問しました日開上人(日顕のご尊父)の謝罪文。…
これを観ても日開師がいかに自分のお立場(ご本仏と自余の大衆をつなぐお手継ぎの師)という役目を持った一貫主であるとの自覚を持っていた事が伺えるではありませんか。
誠に謙虚なお方だったと想定されます。
日蓮正宗の三宝とは正確にお答え願える方がありましたら、お答え下さい。
日開師の言葉に失礼に当たらないようにお答え願いたいと存じ上げます。


創価学会の方は【坊主憎けりゃ袈裟まで憎い】とばかりに御尊父である日開上人にまで憎しみを向けていますが、その後、日蓮正宗の信徒団体となった創価学会に正義はあるのかと哀しくなります。
ぽんぽこ貍さんの真摯な態度には敬服致します。

私は、日開上人の仰せは、『宗内撹乱の目的を遮るには謝罪してでも騒ぎを収める』という御慈悲の振る舞いであったと拝します。

御法主上人の無謬説を申しあげたこともありますが、何も完全無欠だとは申しません。人間ですから、勘違いや、忘れることもあるでしょう。
しかし、御本尊様・御法門の裁定に関しては、血脈相承を受けられた以上は、無謬であります。

日達上人は、日開上人を
『上人は資性篤実で謹厳至誠の方』と仰せです
(第66世日達上人『日開上人第25回御忌記念』序/『日達上人全集』1-5-719頁)

宗門に自浄作用はあるかという事も、前回言葉足らずでしたが、一般の御僧侶に関してはあります。信徒の投書には耳を傾けていただけますし、真偽を公平に精査して下さいます。
そして何より、うちの御住職がいつも仰せですが「御本尊様の素晴らしいところは、僧侶も御信徒も平等に罰も功徳もいただくことです」と指導されています。

日顕上人は、日如上人に御相承されたあとは、御隠尊として前に出られることもなく、座られる場所、猊座一つとっても一段下に座られ、必ず法要では先に座られて合掌礼拝されて日如上人をお迎えになります。
自ら、時の御法主上人への尊崇を我々に示して下さっているかのようです。

創価学会の人は、宗門から退転してしまった坊主しか知らないからか、極悪非道と教えられているからか、御僧侶を舐めすぎです。
小学生から親元を離れ、志して厳しい修行に耐えてこられた方々ですから、信行学に秀で、人格者の方が殆どです。
ダメな人は自然と淘汰されていきます。

さて、日蓮正宗の三宝についてですが

仏宝―日蓮大聖人
法宝―本門戒壇の大御本尊
僧宝―日興上人を随一とする御歴代上人

かつての創価学会は同じだったと思います。つい最近までは、「本門戒壇の大御本尊」とも言っていましたし。
僧宝に関しては、日興上人のみとしたり、和合僧団である我々学会のことと言う人も居ます。

下記の指導は、非常に分かりやすく日蓮正宗の正当性を述べていただけに残念です。

『聖教新聞』 昭和61年5月13日付
日蓮宗身延派にあっても、南無妙法蓮華経の題目を唱えている。御書もある。経文も、法華経の方便品、寿量品を読経している。また、もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認(したた)められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、我々と同じである。外見から見れば我々と同じようにみえるが、それらには唯授一人・法水瀉瓶の『血脈』がない。法水瀉瓶の血脈にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである。すなわち『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』なのである。

今となっては、どこ吹く風ですね。
本門戒壇の大御本尊を捨て、御歴代上人をも葬り去った創価学会は、これからどこへ飛んで行ってしまうのでしょうか?

しかも、日興上人の仰せに寸分違わず実践していると言いますが、選挙・民音・財務・呪いの題目・コマーシャル垂れ流し・他教団へのすり寄り・友好という名の祭り参加、これらがどう合致しているのか私には理解できません。


 

業と福運

 投稿者:桜@青い太陽  投稿日:2014年11月26日(水)22時51分53秒
編集済
  みなさん、こんばんは。




>公明党支援の実働部隊は婦人部である。もし配偶者控除が廃止になればパートや正社員として働かざる得ない世帯が増加するだろう。先輩婦人部から「目先のお金より福運を積むことが大事よ」と指導されてがんばってきたのに…?

今の公明党は、自民に追随している姿しか見えてこない。情けない!<



いや、公明党の支援で福運を積む事なんか出来ないですよ。


地涌の菩薩として、人々を救う行動が自らの福運として尊い心の宝となって功徳を得るのです。人を救った分だけ歓喜も功徳も得るのです。


反対に、お前は地獄に落ちると衆生を脅迫、威嚇する行為は、悪業として福運を消す行為です。


日顕宗の「罰だ。地獄だ。邪宗の害毒だ。」は明確に悪業を自身の命に刻んでいる事になります。


逆に、信濃町が、日顕宗に布施をすると堕地獄だと放言するのは、本部が腐っている証拠ですね。


原田会長がいい人かどうかは知らないですが、谷川さんが会長になるという事は、谷川さんの好き嫌いは別にして、そういう人事しか出来ない本部の腐敗が明明白白になるのです。


ここの教学レポートで、谷川追い落としを追求されている方々も、ROMされている方々も、谷川さんの下半身の問題に矮小化する事なく、本部がいかに腐敗しているかをよくよく凝視し、悪を責めるという行動を追求していただきたい。


谷川さんだけではなく、多くの幹部が腐敗しているのであって、本部はカネはあるが、信心はないという事ですよ。


宗門が腐敗したのはカネです。


別に地獄には落ちませんが、宗門に布施をしないのと同様、財務をお布施止めする勇気を持つべきです。

カネの流れを止め、聖教の購読を止め、公明党の支援を止める。

これが本部の打撃になるのです。


正面から息の根を断つ方法は、この三つです。


本部が、日顕宗に布施するのは謗法、堕地獄と聖教新聞で発信しているのは、文証ですよ。

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 

大聖人様が否定したも同然

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2014年11月26日(水)21時47分0秒
編集済
  T川次期会長候補が聖教新聞の記事に出たら「噴火」とはね。
立正安国論が正しいとすればT川は大聖人様から次期会長にふさわしくないと「叱責」を受けてるようなものではないか。

気になる事は他にもある。
富士山はいつ噴火してもおかしくないらしいし、東海地震にしてもそうだ。
これらはテレビや週刊誌などで度々取り上げられているゆえ日本人なら誰でも知ってるだろうと思う。

「先生」の威光が残っている今の時期でさえこんな状態だ。T川が本格的に悪事をやりだしたら富士山の噴火や東海地震など、もっと大きな災害が起こってしまうのではないのか?


https://www.youtube.com/watch?v=ysZbRAkNgY0
【現場画像あり】富士山噴火カウントダウンか 異常な兆候まとめ2014 新しい

https://www.youtube.com/watch?v=qMwx2-zaHnw
東海地震(南海トラフ巨大地震)が切迫している理由



妙なコトに気付いた。
富士山なら宗門、東海なら学会本部が大きな被害になるね。
偶然だろうか?
 

うららさんに、ポチ!

 投稿者:のび太  投稿日:2014年11月26日(水)21時44分17秒
  >消費税の問題、このまま行けば国民の大多数は生活が更に苦しくなって行く。
影に隠れているが、配偶者控除廃止などのさらなる増税も検討されている。

公明党支援の実働部隊は婦人部である。もし配偶者控除が廃止になればパートや正社員として働かざる得ない世帯が増加するだろう。先輩婦人部から「目先のお金より福運を積むことが大事よ」と指導されてがんばってきたのに…?

今の公明党は、自民に追随している姿しか見えてこない。情けない!
 

師子身中の虫を打ち破れ!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2014年11月26日(水)20時48分25秒
   一、ここで、戸田先生のご指導を紹介したい。
 戸田先生は本当に偉大な指導者だった。

 先生は、師である牧口先生とともに牢獄へ行った。日蓮大聖人直結の信心を 貫かれた。
 牧口先生は牢獄で亡くなられた。戸田先生は生きて牢獄を出られて、一人、
広宣流布の闘争を開始されたのである。

 戸田先生の指導は、一つ一つが本当に大事である。
 先生は言われた。
 「金銭にいい加減な人間は絶対に信用できない」
 「師子身中の虫は危ないから気をつけよ!」
 「外の敵よりも師子身中の虫のほうが大罪と知れ!」

 外ではない。
 内部から食い破り、広宣流布の組織を破壊する ── それが師子身中の虫で ある。「破和合僧」であり、仏法上の重罪である。
 御書には、「外道や悪人は如来が説いた正法を破ることはできない。

  仏弟子 らが、必ず仏法を破るのである。『師子身中の虫が、師子を内から食う』とい われる通りである」(957ページ、通解)と仰せである。

 我らは「師子身中の虫」を、鋭く見破り、打ち破っていかねばならない。
 また、戸田先生は言われた。
 「渉外・外交で鍛錬された人間でなければ、幹部にしてはならない」
 深いご指導である。
 敵とは断じて戦う。味方を増やす。誠実と智慧と勇気で、勝利への道を開い ていく。
 それが渉外だ。
 私は、戸田先生のもとで学会の初代渉外部長を務めた。徹して訓練を受けた。
 だから先生のおっしゃる意味がよくわかる。

 (2006・4・25)
 

信心以前

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2014年11月26日(水)18時32分51秒
  >>心有る内部告発が続いています。
  会長以下本部幹部よ。声なき声を聞け。
  大聖人の仏法を語る前に仁。義。礼。智。信。忠。孝。悌。
  こういう昔の修身からして君たちのやる事は師匠の意に叛いておる。
  これらは、世間の人でもわかっておる事である。
  論語読みの論語知らずとは君たちの事であろう。
  まず、修身の実践より始めよ。
  大聖人の仏法を語るには百年早い。
 

(無題)

 投稿者:Rira  投稿日:2014年11月26日(水)18時06分6秒
  地震に続き、阿蘇山が噴火ですか?
なんでこの時期?
きっと諸天が怒りですよ! 谷川総長!聞いてるかー!
 

阿蘇も噴火

 投稿者:うらら  投稿日:2014年11月26日(水)17時58分13秒
編集済
  知らなかった。とりあえず、桜島でなくてよかった。ドキッとした。  

けっきょく

 投稿者:うらら  投稿日:2014年11月26日(水)17時53分37秒
  侵食されてますね。  

『魅惑的』人々

 投稿者:大井町の鰻屋  投稿日:2014年11月26日(水)17時48分37秒
  あべひ氏の『論評』は、実に『的』を得たものであろう。
http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-314.html
 

(無題)

 投稿者:Rira  投稿日:2014年11月26日(水)17時44分25秒
  戸田門下生さん

あなたの言っていることの内容は正しかったとしても
ここは創価掲示板であり、谷川総長への批評、監視をする場ですので
聞く耳もたれないと思いますよ。

あくまで、池田先生は絶対に間違わない、すべて正しいという前提で
その後継者としての谷川総長を批判するコンセプトの掲示板です
 

話題の人

 投稿者:真実  投稿日:2014年11月26日(水)17時26分44秒
  Y子さん、どうしてるの?
偽装コトブキ?

T川って顔は、笑っていても眼が笑ってない。
貧相なひきつり笑いだよ

魔性に囚われてるね
 

天城五兵衛さんへ①

 投稿者:戸田門下生  投稿日:2014年11月26日(水)17時26分19秒
  あなたの主張や願望は、
「日寛上人の御本尊下付の正義の証明」「日顕宗の邪義を破す」の引用からのようですが、宗務院発行の【創価学会の偽造本尊義を破す】にて、既に木っ端微塵に破折済みです。
ネットでも購入できますから、御一読をオススメします。

あなたが出して来る「祖道の恢復と真の正信確立の為に」は、そもそも、日達上人が学会の模刻本尊の件で、本部の模刻本尊は追認され、残る7体は本山に収めさせて決着し、これ以上模刻本尊の件で学会を攻撃してはならないと事態を収めたが、これに納得しない正信会の僧侶へ諫める意味で発行された書です。

その書物で今度は学会が宗門を攻撃するネタにする。無慙としか言いようがありませんね。

>時の管長の允可や開眼の無い本尊や書写者不明の本尊は宗内に数多有ります。
>七百年の歴史においては平僧や所化ですら本尊書写、模刻をしているし、脇書きを削除したり、加筆したり、<


上古の交通事情・社会情勢に於いての一往の許可であって、書写は許されても【判形】は許されていません。要は、【仮本尊】なのですよ。

【判形】の重要性は、あなたが【紫宸殿本尊云々】で引用した日亨上人の仰せにありますよね。ちゃんと前後の御指南を読んでいますか?
『此は仮本尊にして形木同然の意なるベし、故に守に於いては「判形有るべからず」と制し・曼荼羅に於ては「判形為すべからず」と誡め給ふ、此の判形こそ真仮の分るゝ所にして猶俗法の如し、宗祖の御書中所々に判形云云の事あり・思ふベし・中にも大曼荼羅には殊に判形を尊ぶこと唯一絶対の尊境なるを以つてなり』(富士宗学要集1-113)

『御本尊七箇相承』には「一、日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰はく深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり。」とあり、御法主上人のみが【判形】を書かれてきたのです。

日亨上人は、【先師先聖の模写版又は形木に平僧が自らの判形を加へ又は平僧自ら書写して判形(自己)まで加ヘたるもの】は【大なる違法】とハッキリ仰せられ、
【有師斯く如く時の宜しきに従ひて寛容の度を示し給ふといヘど、しかも爾後数百年宗門の真俗能く祖意を守りて苟くも授与せず書写せず以て寛仁の化儀に馴るゝこと無かりしは、実に宗門の幸福なりしなり】と、今までこれに抵触する例は無いことを喜ばれているではないですか。

で、あなたが引用した「祖道の恢復と真の正信確立の為に」でも
「宗門中古より大聖人、日興上人、日寛上人の御本尊の模刻、模写のものも多く、時の法主尚かつそれを認めて御開眼の供養をされているもの多し。まして学会伸展の初期の頃地方末寺にて御未来本尊の摺形木を出していた所もあり、御棟札も書いていた。
 化儀抄の『末寺に於いて弟子檀那を持つ人は守りをば書くべし、但し判形は有るべからず、本寺住持の所作に限るべし云々』の許容のまま御守り、御形木御本尊を図せし証拠、東北四国等にも残っておる。」 (13頁)
どう読んでも、法主の允可と開眼がなされていたとしか読めません。

【仮本尊】である【未来本尊】や【棟札本尊】を出してきて、あえてごちゃ混ぜにして論じなくてもいいでしょう。
分かっていてあえて言っているとしたら、じつに狡猾なすり替え論ですね。

要は、ここを閲覧して居る学会諸氏の目を欺ければいいと。
そんな風に見えます。


>更には「宗門中古より、御本尊模刻し末寺に安置せる例多し、大聖人、日興上人寛尊等の偽筆御本尊も宗内に散見せり、一度時の法主時勢を鑑み下化衆生の為に、御開眼される上は御本尊としてまつりし事、例多し、是を破すれば現今御形木本尊のすべてが偽作となる事」(28頁)とあるのですから、何をか況やです。<

何が問題なんでしょう?
【時の法主時勢を鑑み下化衆生の為に、御開眼される上は御本尊としてまつりし事】と【時の法主】が【下化衆生の為に(允可)】され【御開眼】されたのですよ。
 

天城五兵衛さんへ②

 投稿者:戸田門下生  投稿日:2014年11月26日(水)17時25分15秒
  >> 記録にある『「そんなものは人目にさらすな。金庫の中にでもしまっておけ』云云
>この表記は幾らでも都合よく解釈出来、著しく客観性に欠けています。
「記録」を見る事は不可能でしょう。つまり、第三者が見て公正に判断出来る様な文書や写真が無いので、「文証」が無いのと等しいと思いますが如何ですか?<


歴史的事実として模刻本尊を、当時の学会と宗門でどう扱ったか見ていきましょう

・昭和49年9月2日
宗門と学会との連絡会議の席上、池田が日達上人に対して「学会本部安置の紙幅の御本尊様が、年月を経(へ)て傷みがひどいので板本尊にしていただきたい」と願い出た。


・昭和50年1月1日
池田は勝手に模刻した板本尊を学会本部に安置し、自身が導師をして入仏式を執行した。

※入仏法要の報道(『聖教新聞』S50.1.4)をきっかけに次第に問題視する声が出始めたため
池田は事態を収拾すべく、あわてて日達上人に模刻本尊の入仏開眼法要を懇請したが取り合われなかった。


・昭和50年11月17日
牧口初代会長のお逮夜法要と創価文化会館常住御本尊の入仏式を早瀬総監の導師で行う
(『聖教新聞』S50.11.18)


・昭和52年11月7日
創価学会創立47周年記念法要において、併せて日達上人が入仏開眼法要を奉修された。


・昭和53年正月
年始の挨拶のため御目通りをした赤沢朝陽の社長から「多数の本尊を池田の依頼で模刻した」との話が出た。

日達上人は、ただちに大宣寺御住職・管野慈雲御尊師(当時)に調査の指示を出された。その結果、追認を受けた学会本部安置の板本尊だけでなく、なんと合計8体もあった。

※浅草の赤澤佛具店本店に出向き、社長に面会して尋ねたところ、「全部で8体です」とのことでした。(中略)私は大変驚き、また、事の重大さを身を以て感じて、早速、寺に戻って日達上人に電話にて御報告申し上げました。日達上人は、お電話口で、「とんでもないことだ。誠に無礼なことである」と申され、特に御守御本尊を彫刻したことに対してお怒りの御言葉があったことを記億しております。(管野慈雲御尊師『大日蓮』H5.11)

※このようなことは承知していないし、許可したことはない(第66世日達上人)
(妙縁寺住職・光久諦顕師の話/『創価学会の偽造本尊義を破す』宗務院発行)


昭和53年6月30日
『教学上の基本問題について』と題する文書で、『聖教新聞』紙上で発表し、これまで逸脱してきた路線を改める事を誓う。


昭和53年9月
「本尊模刻事件」が露見してしまい、宗門どころか、学会内部でも大問題となり、脱会者も続出する騒ぎとなった。


昭和53年9月
学会が模刻した8体の内、7体の板本尊の処置について御指南を求めたのに対し【そんなものは人目にさらすな。金庫の中にでもしまっておけ】
(第66世日達上人・連絡協議会の記録)
-----------------------
『不正直な団体は、すり替えて発表』
今まで本部として謹刻させていただいた数体の板御本尊について御指南を仰ぎ、猊下よりすべて学会本部の宝物としてお納めくだされば結構ですとのお話があった
(『聖教新聞』S53.9.3)


昭和53年9月14日
大分県別府市の寿福寺において、創価学会の原田稔副会長、野崎勲青年部長、原島嵩教学部長と、反学会活動家僧である佐々木秀明、渡辺広済、山口法興、荻原昭謙、丸岡文乗、菅野憲道らとで話し合いがもたれた。
この時佐々木は、本尊「模刻」問題について、学会側を詰問した。


昭和53年9月28日
学会、夜中に人目を忍んで、7体の模刻本尊を総本山に納める


昭和53年10月3日
院達発行
①9月28日、学会模刻の板本尊は本山に奉納せられた。
②学会本部安置(3階)の板本尊は猊下の承認。
③よって、板本尊に関して論議無用
-----------------------
日達上人は一宗を統括し、御本尊にかかわる権能を所持あそばされる御法主のお立場から、創価学会が2度と過ちを犯さないという前提で、10月3日付の「院達」をもって本尊模刻事件に関する議論を禁止されました。
(教学部副部長・水島公正『創価学会の偽造本尊義を破す』宗務院発行)


昭和53年11月7日
「創価学会創立48周年記念代表幹部会」を、総本山で開催 【通称「お詫び登山」】

総本山大石寺こそ、信仰の根本道場である。戒壇の大御本尊を離れて、われわれの信仰はない。不用意にご謹刻申し上げた御本尊については、重ねて猊下のご指南をうけ、奉安殿にご奉納申し上げた(辻副会長『聖教新聞』S53.11.8要旨)

『学会の非を詫びたことによって、一往、模刻事件を終息することとなりました。』
(教学部副部長・水島公正『創価学会の偽造本尊義を破す』宗務院発行)


昭和54年7月
こちらが許可していない分(の板本尊)は取り上げて、注意をしました
(第66世日達上人『大日蓮』S54.7)

・49年9月2日 池田が本部に板御本尊を安置したいと申し出る
・50年元旦 本部の模刻本尊の入仏指揮を池田が行う(これだけでも不遜だが)
・この行為に、学会内部でも不信感が募る
・3年近くたって日達上人が開眼入仏法要を行われる
・53年正月 赤澤より複数の本尊を模刻した報告を受け日達上人は調査を命じる
(ご存知なら調査されるわけが無い)
・53年9月 日達上人より、残りの7体は、人目にさらさずしまっておくように御指示
・53年9月28日 学会、夜中に人目を忍んで、7体の模刻本尊を総本山に納める
(允可と開眼の無い模刻なので、当時倉庫代わりになっていた奉安殿に収納。現在は本山の倉庫に格納。御本尊として日達上人当時より扱っていない)
・53年11月8日 辻副会長 不用意にご謹刻申し上げた御本尊については、重ねて猊下のご指南をうけ、奉安殿にご奉納申し上げたと発表

これが紛れもない史実である。


>「創価学会創立四十七周年を記念する慶祝法要」
「正本堂記念御本尊」→「学会本部常住御本尊」→「創価学会文化会館安置の御本尊」→「日蓮正宗国際センター」(現在、創価国際友好会館)→「聖教新聞社本社」

>一連の行動には、日蓮正宗の最高責任者自らが移動してまで行う重要な法要があったと考えるのが自然ではないか?-と個人的には考えています。
特に、模刻された板御本尊の中に、アメリカ本部とヨーロッパ本部安置の御本尊が有った事と国際センターでの法要がヒントになるかな?-と考えています。
>ただ、板御本尊を少なくとも3体、日達管長以下阿部日顕氏、能化の面々が拝んだ事は紛れもない事実。


それはあなたの願望であって、聖教新聞にも【「創価学会常住の板御本尊」ならびに「正本堂記念御本尊」の入仏法要】とあるように、わざわざ『板御本尊』には『板御本尊』と書いているのだから、『紙幅の御本尊』には『板』と書いていないと見るのが自然でしょう。


>更に、昭和50年に謹刻された板御本尊が、「学会が許可なく勝手に模刻した」等と宗内で問題にしたのは2年半以上も経過しての事。
計画的な謀略が有ったと考える方が自然でしょう。<

計画的な謀略も何も、池田が無許可で模刻し、入仏法要を行い、学会内部から不信の声が上がったのは事実。
何とか学会を善導しようと日達上人は心を砕かれ、学会本部の本尊は不本意ながら追認された。
しかし、その後、3年近くたって赤澤より複数の本尊を模刻したとの報告があり、発覚したまでの事。
『学会やセンセーには一切の間違いは無い』との無謬説から、脱却しましょう。
今更、真実を糊塗しようとしても、見苦しいだけであり、謗法行為に無反省であるからニセ本尊作製という大謗法を犯し、勤行も改悪し、教義も改悪し、永遠の師匠は重篤な病に冒されているのである。
学会では妙の照覧・因果応報と言うことを教えないんでしょうか?


>【昭和49年4月に完成していた模刻本尊】
確かに、「模刻本尊のほぞに『昭和四十九年四月   朝陽』とハッキリと刻まれています。」が、この板御本尊は、学会本部常住御本尊ではなく、日達管長から池田会長に昭和四十九年一月二日授与された、「賞本門事戒壇正本堂建立」という脇書きのある所謂「正本堂記念御本尊」なのです。


本部へ板本尊の願いがされたのが49年9月2日です。
学会が、板御本尊云々の話を出してきたのがこの日が最初です。理由も、紙幅の御本尊様が経年によって傷んできたからというものです。
で、あなたが言う、【池田会長に昭和四十九年一月二日授与された、「正本堂記念御本尊」】を何故、授与後直ちに板御本尊に模刻する必要があるのでしょうか?

日達上人は、昭和48年8月23日御書写の「賞本門事戒壇正本堂建立」という授与書のある御本尊を池田に御下付されましたが、あろうことかこの御本尊の裏書きに、「此の御本尊は、正本堂が正しく三大秘法抄に御遺命の事の戒壇為ることの証明の本尊也」と書いてくれと、原稿まで持参し日達上人に迫りました。
日達上人は【此の御本尊は正本堂が正しく三大秘法抄に御遺命の事の戒壇に準じて建立されたことを証明する本尊也 昭和四十九年九月二十日】としたためられ、再下付されました。
もし、御下付戴いた時に池田が裏書きまで日達上人にさせておきながら、『猊下、板御本尊の方がよかったんですけど』など普通は言えませんよね?
あなたは率直にどう思います?
 

天城五兵衛さんへ③

 投稿者:戸田門下生  投稿日:2014年11月26日(水)17時23分59秒
  >「法蔵」等の反創価学会サイトではこの御本尊を「学会本部常住御本尊(日昇管長書写)」と誤解して投稿し、未だにその誤りを訂正しないのですから(管理人も管理放棄しているのでしょうか?)、笑い話でしかありません。

誤解ではありませんよ。日達上人に允可頂いていない模刻本尊が、学会本部の板御本尊申請の時にはすでに存在していたという事を言いたいのでしょう。


>正信覚醒運動は山崎の意のままに推進され、日達管長まで巻き込まれて行きました。

昭和五十二年路線〟と称される創価学会の第一次教義逸脱問題がそもそもの原因ですよね。この教義逸脱問題が浮上した際、時の御法主・第六十六世日達上人のもと、全国の僧俗有志が、創価学会の逸脱・謗法を改めさせるために起ち上がった。

日達上人は、当時の学会の誤りを指し
「日蓮正宗の教義でなし、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、決して、我々は喜ぶべきでないし、大聖人が、お喜びになるとは思いません」
(大日蓮 昭和49年8月号 20頁)
と御指南された。

その結果、創価学会は大量の脱会者を出し、ついに宗門に対し、特別学習会テキスト発表・お詫び登山・模刻本尊を収める・池田の引責辞任な訳ですよ。
これを受けて、54年5月3日、日達上人は〝学会の反省・懺悔を認め、しばらく学会の様子を見守っていく〟旨を決定され、事態にいちおうの終止符が打たれた。


>宗門が学会を破門にした以上、元々別々の宗教法人ですから、何ら問題はないですね。

結局そういう言い逃れですか。
その別法人が、なぜ別法人の法主のしたためた御本尊をありがたがって、全員で拝んでいるのですか?
我々からすると、退転した邪宗の坊主が、血脈の切れた本尊を学会に差し出し、変造コピーし、好き勝手に拡大縮小して販売しているに過ぎません。


>脱会運動の手段として御本尊下付停止を行っていたのですから、大聖人に違背する行為でしかありません。<

誠に残念でなりませんが、皆さんは既に退転しているのです。大聖人に違背している退転者に御本尊を下付できないでしょう。
それこそ、大聖人様からお叱りを受けます。


>全く思いません。宗門が学会授与の御本尊に難癖付ける際、出所不明の部分写真が有ります。この写真が浄圓寺格護の「日寛上人書写の御本尊」である証拠が必要です。
今のIT技術を駆使すれば、写真の変造など簡単に出来ますから。難癖をつけるならば、いつ、誰が撮影したのか?写真全体が明らかにならなければ、証拠としての価値は低いですね。


学会で正式に反論しませんよね。出来ないんですよ。
オリジナルは学会にあるんですから、オリジナルとニセ本尊を並べて示して下されば、疑惑は一発で解消しますよね。
本部に掛け合ってはいかがでしょうか?
部分しか出さないのは、いかに邪宗にある本尊とは言え、日寛上人の御本尊ですから、全体を出すことは避けられたのではないでしょうか?


>また、宗門の歴史を学べば、脇書き削除や加筆された本尊など数多有ります。勿論上述した通り、書写者不明の本尊すらあります。
第二次宗門事件勃発後、学会が寄進した寺院に安置されている御本尊から脇書きを削除した事例もありますね。
これらを踏まえた上での質問でしょうか?
また、学会草創期に下付されていた日寛上人の御本尊も、脇書きは削除されていた上、削除ミスと思われる部分が有りました。

上記でも示しましたが、御法主上人の允可があればそれで問題ないのです。
未だかつて、法主の許可も無く、在家が謗法の念慮も持って、他人に授与された御本尊の脇書を削り、好き勝手に大きさを変えてコピーし、無開眼で販売した例などありません。
発願主の名前に、破門になった池田氏の名前があったのを、時の猊下の允可の元で脇書を消しても問題は無いのです。
学会のニセ本尊の脇書を消すのは知らん顔なのにね。
学会草創期の御本尊は、元々何と脇書にあったのでしょう?
是非、教えて下さい。
いずれにしても、広大無辺なる御本尊様の功徳に、当時の学会の方も浴していたのではないのでしょうか?
どんなに学会が正しいとか、直結と言い張っても、大聖人様から御覧になって間違った化儀で当時下付されていたとしたら、功徳は無かったでしょう。


>> なんで「紫宸殿御本尊」なのかと聞かれても、そんなことは私が知るよしもありません。(苦笑)
>その理由を研究する事も大事だと思いますが如何?

いや思いません。資格も無いもない私のような者が、御本尊様のことを云々しても始まりませんから。
日亨上人もどなたも謗法と仰せでは無い。それが全てです。


>自分の所属する宗教団体の宗規ぐらい覚えておいた方がいいですよ。
「第三条 本宗は、宗祖所顕の本門戒壇の大漫茶羅を帰命依止の本尊とする。」
紫宸殿の御本尊は、市井の庶民が拝する本門戒壇の大漫茶羅でしょうか?

日蓮正宗に伝わる御本尊は、すべて【大聖人の御化導の上より、三大秘法整足の大御本尊の御内証を、唯授一人の御相承をもって書写された】御本尊ですから、何ら修正宗規に抵触していませんが。


今回も色々提示して下さり勉強になりました。


 

管理人さま

 投稿者:うらら  投稿日:2014年11月26日(水)17時00分24秒
  下の、多宝会なる方は悪質ななりすますです。削除、アク禁お願いします。  

池上伸一郎

 投稿者:多宝会  投稿日:2014年11月26日(水)16時08分9秒
  去る十一月七日、創価学会は会則の教義条項を変更し、ついに「本門戒壇の大御本尊」との訣別(けつべつ)を決定しました(『聖教新聞』十一月八日付)。
 平成三年に日蓮正宗宗門から破門されて以来、日蓮正宗の御本尊を変造したニセ本尊を印刷して会員に頒布(はんぷ)し、それまで邪宗教として一線を引いてきた諸宗との融和路線をとり、五座三座の勤行をも改変してきた学会が、最後の最後まで訣別を憚(はばか)ってきた「大御本尊」への信心を捨棄(しゃき)したのです。これで、学会の中にわずかに残っていた信心の歯止めも吹き飛び、際限なく大謗法が深まっていくことは確実です。
 学会から流出した内部資料によれば、学会首脳は、この「大御本尊との訣別」で一割くらいの離反者が出てもやむを得ない、と考えているようですが、このような大謗法の暴挙に九割の学会員が盲従(もうじゅう)していくとしたら大変なことです。ますます国土の謗法は色濃くなり、三災七難も深刻化していくことでしょう。
 そこで以下、七日の原田会長の発表の要旨を取り挙(あ)げ、破折を加えて、その誤りを糺(ただ)すことにします。

「(これまでの会則では)会員の皆さまの感情や歴史的な経緯(けいい)を踏まえ、この「一閻浮提(いちえんぶだい)総与・三大秘法の大御本尊」については、「弘安二年(一二七九年)の大御本尊」を指すとの説明を行っていました」

 ここで原田会長は、「弘安二年の大御本尊」を「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」であるとしてきたのは、会員の感情への配慮と、歴史的な経緯を考慮したからだ、としていますが、とんでもない話です。
 日蓮大聖人は『聖人御難事』に
 「此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年太歳己卯なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計(ばか)りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり」
 (御書一三九六頁)
と仰(おお)せられ、仏(釈尊)は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年、日蓮大聖人は立宗から二十七年(弘安二年)にして出世の本懐を遂げる、と宣言あそばされました。
 さらに、学会でも尊崇(そんすう)してきた第二十六世日寛上人は『観心本尊抄文段』に
 「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり」
 (文段集一九七頁)
と、弘安二年の大御本尊こそが大聖人出世の本懐にして、一閻浮提(全世界)の総(すべ)ての人々が信受すべき究極の御本尊である、と明かされています。
 それを今さら、「会員の感情への配慮だった」とか「歴史的な経緯を考慮したからだ」などと言って、この教義の根本を平気で覆(くつがえ)すとは、いったいどういう神経なのか。それでは学会は、初代会長以来、八十余年にわたり、数多(あまた)の会員を騙(だま)してきた、ということになるではありませんか。

「日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅(まんだら)と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等しく「本門の本尊」であります。
 そして、「本門の本尊」に唱える南無妙法蓮華経が「本門の題目」であり、その唱える場がそのまま「本門の戒壇」となります」

 この原田会長の「三大秘法」についての説明も誤りです。
 原田会長は、「本尊は全て、等しく『本門の本尊』であります」などと、わざと曖昧(あいまい)なことを言っていますが、日寛上人は『依義判文抄』に
 「一大秘法とは即ち本門の本尊なり。此の本尊所住の処を名づけて本門の戒壇と為(な)し、此の本尊を信じて妙法を唱うるを名づけて本門の題目と為すなり。故に分かちて三大秘法と為すなり。(中略)亦(また)三大秘法を合すれば則ち但一大秘法の本門の本尊と成るなり。故に本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり」
  (六巻抄八二頁)
と、「本門の本尊」とは三大秘法総在の「本門戒壇の本尊」であると明かされています。つまり、弘安二年の本門戒壇の大御本尊以外の本尊は、三大秘法の総てを含む意義を持たない(※その理由は、次に引く『折伏教典』の「戒壇」についての説明を読めば、わかります)ので、「全て等しく本門の本尊」とは言えないのです。
 ゆえに、学会でも『折伏教典』(※昭和四十年発行)の中に
 「日蓮大聖人は、出世の本懐としての大御本尊をご建立になり、弘安五年、ご入滅に先だって、御弟子日興上人にすべてをご相伝なされた。(中略)
 戒壇とは、広宣流布の暁(あかつき)に本門戒壇の大御本尊を正式に御安置申し上げる本門の戒壇、事の戒壇である。(中略)
 題目とは、この大御本尊を信じ奉(たてまつ)って南無妙法蓮華経と唱え、折伏することである。(中略)
 この大御本尊に対して信心修行に励むところに、成仏得道の道があるので、他には絶対ないのである」(総論・第六章・第三節)
と解説して、大聖人出世の本懐たる「本門戒壇の大御本尊」のみを三大秘法総在の「本門の本尊」とし、「他には絶対にないのである」と断じていました。
 これが草創期からの学会の教義だったのであり、全ての御本尊を「本門の本尊」である、と強調した原田会長の誤りは明らかです。

 「ある場所に特定の戒壇があり、そこに安置する御本尊が根本の御本尊で、その他の御本尊はそれにつながらなければ力用(りきゆう)が発揮されないという、あたかも〝電源と端子〟の関係であるかのような本尊観は、世界広宣流布が事実の上で伸展している現在と将来において、かえって世界広布を疎外(そがい)するものとなりかねないのであります」

 大石寺と大御本尊を否定したいからとはいえ、ずいぶん思い切ったことを言ったものです。この原田会長の説は日蓮大聖人の御遺命に真っ向から違背しています。
 大聖人は『身延相承書』において
 「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」
 (御書一六七五頁)
と仰せられ、広宣流布の暁には富士山下に一切衆生の信仰の中心地たるべき本門戒壇を建立せよ、と御遺命あそばされました。そして、その本門戒壇に安置すべき御本尊を、弘安二年十月十二日に御図顕あそばされ、その脇書にはっきりと
 「本門戒壇」(富士宗学要集八巻一七七頁)
と示し置かれたのであります。
 この本門戒壇の大御本尊こそ、「一閻浮提総体の本尊」(前出)と仰せのように、全世界の総ての人々が信仰すべき御本尊ですから、その他の、各個人等に与えられた数多の御本尊は、戒壇の大御本尊から分身した一分一分の御本尊に当たることは明らかです(もし、これらの御本尊が、「一閻浮提総体の本尊」から離れてしまったら、その存在意義を失います)。
 ゆえに、学会の『折伏教典』にも
 「この大御本尊に直結したお曼荼羅を拝(おが)む信仰でなければ、絶対に功徳もなく、ましてや、生命の本質をつかんで仏の境涯に立ち、永遠の生命を感得することなどは、とうてい望めないことである。(中略)
 ちょうど電灯にたとえて考えてみると、ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光を発しないようなもので、電球は本物であっても電流が流れてこなければ光が出ないのである。
 御本尊が大聖人の御真筆であっても、大御本尊に直結しなければ何の功徳もないのである。したがって、富士大石寺の大御本尊を拝まない者はすべて謗法である」(各論・第三章五)
と明記されていました。
 これを見れば明らかなように、原田会長の本尊観こそ、大聖人・日寛上人そしてかつての学会教学によって、木(こ)っ端(ぱ)微塵(みじん)に粉砕されています。
 重ねて言いますが、本門戒壇の大御本尊とつながらない御本尊には、絶対に功徳はなく、これを拝む者は謗法となるのであります。

 「法主詐称者の出現によって、永遠に法主が不在となり、宗門のいう法主の血脈なるものも断絶しました。大石寺はすでに大謗法の地と化し、世界広宣流布を目指す創価学会とは全く無関係の存在となったのであります」

 まことしやかに述べていますが、かつて、第六十六世日達上人から日顕上人への血脈相承を疑い、「法主詐称である」と誹謗していた正信会の徒輩(とはい)に対し、学会は何と言っていたでしょうか。
 「日顕上人は五十三年四月十五日、先代法主の日達上人から血脈相承を受け、五十四年七月二十二日の日達上人御遷化(せんげ)に伴(ともな)い、第六十七世法主・管長に就任。以来一年半にわたり、彼ら(正信会)も日顕上人を法主と仰いでいたのである。また、彼ら自身、法主の地位や血脈相承に異を唱えることは甚(はなは)だしい謗法なのである、と断じていたのである。」(『創価新報』昭和五十八年四月二十日付)
 日顕上人の御登座から、「一年半」どころか十二年間もの長きにわたって、日顕上人を法主として仰いできていながら(また、その間、日顕上人への血脈相承を疑った正信会を大謗法と責めておきながら)、いざ日顕上人から学会の誤りを指摘されるや、猛反発し、あげくは正信会と同様に日顕上人への血脈相承を否定する――御都合主義も甚だしいではありませんか。
 そのような無節操にして無信心な学会が、いかに「世界広宣流布を目指す創価学会」などと言ってみたところで、それは日達上人が
 「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります」(『大日蓮』昭和四十九年八月号)
 「日蓮正宗の教義でなし、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、決して、我々は喜ぶべきでないし、大聖人がお喜びになるとは思いません。むしろ正宗の精神がなくなってしまった、消滅してしまったということになるので、非常に悲しいことであり、我々の責任は重大であります」(『大日蓮』昭和四十九年八月号)
と仰せのように、邪義邪信の流布でしかなく、大聖人の仏法を滅ぼすことにしかならない、と知るべきでありましょう。

 「魂(たましい)の独立以来、学会員は皆、大石寺に登山することなく、弘安二年の御本尊を拝することもなかったわけであり、各人の御本尊に自行化他にわたる題目を唱えて絶大なる功徳を受け、宿命転換と人間革命を成就し、世界広布の拡大の実証を示してきたのです。まさに、これが会員が実践し、実感しているところなのであります」

 戒壇の大御本尊から離れても功徳がある、と言い、また、そのように会員にも思い込ませたいようですが、日蓮大聖人は『諫暁八幡抄』に
 「一分のしるしある様なりとも、天地の知る程の祈りとは成るべからず。魔王・魔民等守護を加へて法に験(しるし)の有る様なりとも、終(つい)には其の身も檀那も安穏なるべからず」
 (御書一五三一頁)
と仰せられ、邪義邪信にも、魔の加護によって一分の利益はあるが、ついにはその身が安穏安泰では済まなくなる、と指摘されています。
 日蓮正宗から破門となり、戒壇の大御本尊と遠離(おんり)してからというもの、この大聖人の御金言どおり、学会幹部の中には、ガンによる若死に、悲惨な事故死、病苦、経済苦などが渦巻いているではありませんか。よくよく周囲を見渡して、多くの学会員が何を「実感しているか」心静かに考えてみるべきであります。
 なおまた、この発表の冒頭で原田会長は、「お元気な池田先生・奥様と共に、晴れやかに」云々と言っていますが、池田センセーが脳に重大な障害をきたし、まったく「お元気」でないことは、今や大多数の会員が内心、知っているところであり、現今の学会には「絶大な功徳」どころか大きな仏罰がある、ということは明らかでありましょう。

 「創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅(ぶっちょく)の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。
(中略)大謗法の地にある弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません」

 これが原田会長の言わんとする結論ですが、そもそも、「御本尊を認定」するなどという発想自体が、自分が御本尊以上の存在になっている、ということに気付かないのでしょうか。そのような思い上がったところに信仰は成立しません。
 なおまた、「広宣流布のための御本尊」についても、今さら原田会長らに「認定」してもらわなくとも、日寛上人の『文底秘沈抄』に
 「富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり」
  (六巻抄六八頁)
と御示しのように、すでに日蓮大聖人御自らが、広宣流布の根源の御本尊として本門戒壇の大御本尊を定め置かれているのであります。
 この大御本尊を離れて他の御本尊に心を移す行為について、学会の『折伏教典』には
 「三大秘法抄、観心本尊抄等の御文に照らして拝察するならば、勝手な御本尊を拝むことが大きな誤りであることが、はっきりわかるのである。これは不相伝なるが故に仏法の深義に迷うのであって、不相伝家はみな本尊に迷うということができる」(各論・第三章五)
と破しています。
 したがいまして、本門戒壇の大御本尊を受持信仰しないと表明し、勝手に他の御本尊を「広宣流布のための御本尊」に認定するという原田会長は、仏法の深義に迷う謗法者であり、不相伝の創価学会は本尊に迷っている、というべきであります。
 学会員の皆さんには、今こそ真実を見極め、日蓮大聖人が定められた本門戒壇の大御本尊のもとへ戻られるよう、念願する次第です。

「慧妙」11月16日号

 

T川会長で顕正会化?

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2014年11月26日(水)15時40分40秒
編集済
  顕正会の浅井は池田先生に『修羅の命の丸出しの嫉妬』をしているかのような言動と行為のように感じている。じっさい、活動をやってる男性会員からはそういうのばかりしかいない様子であった。浅井からの『感応』でそうなってる、とみるのが自然であろう。
滅茶苦茶な終末思想でオーム真理教紛いだ。何年か前には入会を認めるまで帰さないなどの拉致・監禁がニュースや事件になったね。

T川の行状はオームを彷彿させるね。
こんなやつに『感化』されれば学会にいながら『顕正会』をやるようなものだ。

T川よ。
お前は『会長』どころか『除名相当』であるよ。
歴代の会長のなかで『学会を壊した張本人』としてその名を刻むだけであろうな。
『学会を壊す』というのは『仏法破壊』と同じことだ。
牧口先生や戸田先生、そして池田先生に並ぶほどのことができるか自己評価もできぬ愚か者のようであるな。

こういうのは『コンプレックスの塊』のせいか、『自己評価』が過剰なほど『甘い』のだよな。
傾向性としてはアルコール好きだったりで『酒場での自慢話』がよく似合ったりでね。
アルコールが入ってなくとも周囲が嫌悪してしまうほどの『醜悪な自己顕示欲』が旺盛だったりする。
その逆に他人への評価は過剰なほど低かったりだ。こんなヤツが会長になればどうなるか見る間でも無い。

と、いうのが僕の経験上の性分評価だが事実はいかに。
僕のブログでもT川について記事にしてるから掲載しておきます。


http://taicyan42e.exblog.jp/21237250/
教学レポートより ~ 谷川 ~


http://taicyan42e.exblog.jp/21169429/
レポート内容の記事より


●谷川総長●

●さらに「末法下種の三宝」についても、現在は、公式には仏宝が日蓮大聖人、法宝が三大秘法の大御本尊、僧宝が日興上人になっているのを変更するのかという議論になった際の発言

谷川「それも変えればいいんだ。何の問題ない」

★『何の問題ない』とはカネ集めビジネスには何の問題ない、ということなのだろうか?

●「それでは、歴代法主が僧宝であるという宗門に対して、僧宝は日興上人であると反論した学会の論拠が崩れてしまう」
と申し上げると、

谷川「それでもいいんだ。宗門とは別の教団なんだから」

★宗門どころか池田先生が極力正確に日蓮仏法を世間に伝えようとした教団でさえない邪宗化になるのでは?

谷川「過去との整合性など、どうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。完全に独立した教団として出発するんだから。結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ」

★まるで「オウム真理教」のニュースのようだな。完全に独立、とは谷川は単に私物化するだけであるから過去など『どうでもいい』と言ってるようにしか読めない。まるで日顕の『カマシてやればいいんだ!』みたいだね。


●●●●●●●●この人物について素直な感想●●●●●●●●
それで、池田先生と直接のやりとりができる立場にいても『信心』を全くわからないままのこのマヌケはなんと!『副会長』なのかい?(爆)
役職を一切放棄していち会員から出直したほうがよっぽどいいんでない?
『末端』のごく普通の学会員の方がよっぽどまともな信心だよ。
それどころか僕のような『冬眠者』ほども信心を知らないんだもん(笑)
『冬眠者』ほども信心を知らなくても副会長になれるのが今の『創価学会』なのか?(呆れた)

こんなのが居るから池田先生が『誤解』を受けることになるんです。
会長だの副会長だのどころか『除名』が相当でしょう。

信心がわからないどころか「やる気」の無い者が副会長なんてのは間違ってるでしょうね。
『論外』というしかない。
 

こちらもあわせてどうぞ

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2014年11月26日(水)15時22分53秒
  http://jbbs.shitaraba.net/study/12481/
★まとめマックス★

話題ごとにうまくまとめられてますのでこちらもあわせてどうぞ。
 

関西人様

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2014年11月26日(水)15時10分8秒
  T川は結果を出さずに会長になろうとしている。

池田先生はこう厳しく評価されています。


おそらく違和感はそうゆう理由ですね。

かっこだけ。ポーズだけの男。聖教の記事に出る時も1人だけ異質な感じで写りますね。

この前の大誓堂での壇上幹部の唱題している姿も彼だけは力づよいポーズで写ってます。

会長になる為に職員の道を選んだ。
本部内での彼はそう言われています。

(以下関西人様のポスト)

もう一度T川の記事が気になって読んでみた。
が、しかしやはり何が言いたいのかがわからない。
的を得ていないというのはこういう事を言うのかと
見本になるような記事だ。先生を持ち上げているが、
結局は自画自賛言葉だけが踊る。
だからあなたは何をしたのよ?と問いたくなる。
池田先生は戸田先生の言われたことや、戸田先生に誓ったことは全部やり遂げた。
で、自分は決意のみかい!?結果の話はないのかよ。
結果がないのが違和感だと気づきました。
 

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