数字が好きな人のための「景気は良くなっている」発言への反証

「景気」という言葉は、「気」がつくだけに気分の要素が多いと言われ、だからアベノミクス(これは「アホのミックス」と呼ぶべきだと前に書きましたが)で景気がよくなったとは思わないと約85%の人が答えても、「それは実際には犯罪発生率が減少しているのに、『治安が悪化した』と答える人が多いのと同じ」だと反論する向きもあるわけですが、「それでは細かい数値を出して、それは嘘だと証明してみせましょう」というわけで書かれたのが、次の記事です。

安倍首相「15年間で最高の賃上げ」?→過去最悪の非正規化と貧困増で貯蓄ゼロが1年で250万世帯も急増

 実に親切な、わかりやすい図表入りの説明で、これを見れば「あと2、3年で賃金上昇が物価上昇に追いつく」なんて安倍の主張が嘘の皮であることは明白でしょう。円安と株高で業績好調の一部大企業の賃金(利益は大方内部留保に回されて、賃金にはあまり反映していないようですが)だけ上がっても、「悪い円安」のせいもあってそれは大多数を占める中小零細企業には波及しない。「2013年1月から比べると、正規労働者数は38万人減少し、非正規労働者は157万人増え」(同記事)るというすさまじいことになっていて、彼が「政権発足以来、雇用は100万人以上増えた」と豪語している「増加」の内訳は、何のことはない、これの差し引き計算の結果に過ぎないのですが、そのうちパート、アルバイトが人手不足になって、そちらの時給が雀の涙ほど増えることはあるかも知れません。それを見て彼は、「年収200万の人の収入が210万に、年収100万の人の収入が105万にそれぞれ増えた。暮らし向きがよくなったのが実感できるでしょう?」と胸を張るつもりなのでしょうか(数字のマジックで、こういうのも雇用者賃金増データには含まれるのです)。

 あるところに、「アベノミクスに原油安という神風が吹いた」という記事があって、実際これは彼には「神風」だったので、もしこれがなければ事態はさらに深刻なことになっていたでしょう。今頃は「師走を前に倒産続出」なんて記事があちこちに出ていたかも知れないからです。どうやらそれももう尽きかけているようですが、こういうところ、彼は今までは妙に運がよかったのです。

 安倍はいっそ、“復活”しているらしい懲りない「規制緩和」教の竹中平蔵を右にはべらせて、こう言わせたらどうでしょうかね。

「株高誘導、規制緩和、法人税減税、これこそ日本の経済成長に不可欠な『三本の矢』なのです。わが国はアメリカと較べて、そのあたりがひどく立ち遅れています。大企業、投資家などの富裕層を優遇しないと、経済成長は望めません。彼らに見限られたら、もうおしまいなのです! 私はかつて、小泉政権時代、そうしたことに尽力し、法改正に取り組むなどして、とりわけ労働分野の規制緩和には力を入れました。だからグローバル経済の下でも何とかやっていけるようになったので、企業はそれで国際競争力を維持できたのです。おかげで賃上げが抑制され、非正規雇用が激増したなんて悪口を言う人もいますが、そうした経済構造こそがグローバル時代の必然なのです。低賃金の発展途上国と張り合わねばならないのですからね(アメリカの労働市場はすでに発展途上国並になっています)。それでも今の日本はまだまだです。とりわけ農業や医療分野では、規制緩和が遅れていて、それを積極的に行ってもっと企業参入や外資の呼び込みを進めないと、それが足を引っ張って経済成長が妨げられるでしょう。安倍総理はそのあたりよくわかっておられて、まず経済特区というものを設けて、そのあたりにも風穴を開けようとしておられるのです」
「おっしゃるとおりです。『金持ち優遇政策』だなどと、共産党あたりはさかんにアベノミクスの悪口を言っていますが、彼らはケーザイというものがわかっていないのです。竹中教授が言われる『とっくりダウン効果』というものもありますしね」
「とっくりダウン? ああ、トリクルダウンですね。あらためてご説明しておきますと、これは富裕層を優遇して、彼らに好景気を実感してもらい、お金をもっと使っていただくというものです。そうするとあなた方貧乏人…ではなかった一般国民も、そのおこぼれにあずかることができるというもので、たとえば億ションや高級外車、宝飾品が飛ぶように売れるなどして、それが経済活性化につながって、新たな雇用を生むことにもなるわけです。とっくりダウンだと、貧乏なおとうさんが晩酌用の日本酒も買えなくなって、とっくりを下に向けて、トホホの禁酒を強いられるということになってしまいますが」
「わっはっは。さすがに先生はジョークも巧みでいらっしゃる」

 てなことを、「公正中立」を要求したテレビ番組で、「総理特別対談」とでも称して、1時間ぐらいぶっ通しでおやりになればよいのです。そうすると、楽しみな選挙結果となるでしょう。

 何はともあれ、上記記事、クリックしてお読み下さい。アベノミクスの素晴らしい“これまでの実績”が数値的にもよくわかります。

読売新聞が「日本版人民日報」になってしまったワケ

 最近このブログは「日刊」みたいになってしまいましたが、まあよしとしていただきましょう。今は僕から見れば「非常事態」なのですから。

 共同通信の28、29両日に行われた世論調査では、安倍内閣の支持率が「43・6%、不支持率47・3%となり、前回調査(19、20日)から逆転した」そうです。初めて不支持率が支持率を上回った。これは久しぶりの「明るいニュース」ですが、僕からすれば20%台に落ち込んでしかるべきだと思うので、まだこの政権のネオ・ナチ的な危険な病的体質は十分理解されていないのでしょう。

 それでついでにニュースを検索していたら、Business Journalの次のような記事に行き当たりました。これは今年9月21日の記事で、ライターはジャーナリストの須田慎一郎さん(顔はコワいが、いい仕事をする人です)。なるほどとナットクさせられたのですが、僕のように「知らなかった」という読者も多いでしょうから、ここであらためてご紹介しておきます。読売の記事はこういうことをよく承知した上で読まれるべきなのです。

「新聞は読売だけで十分」(政府高官) 朝日失墜で、安倍政権と読売の世論統制加速?

「もう朝日新聞や毎日新聞は読む必要はありませんよ。新聞は、読売の一紙だけ読んでいれば十分」。内閣官房高官が真顔でこう話す。9月11日、朝日の木村伊量社長が記者会見を開き、従軍慰安婦問題や吉田調書報道をめぐる誤報問題に関して経営トップとして初めて正式に謝罪し、吉田調書記事の撤回を表明した。

 この一件は朝日に対する読者、国民の信頼低下を招いたが、事の本質はそのことだけにとどまるものではない。冒頭のコメントは、安倍晋三政権が新聞メディアの中で読売を特別扱いしていることの証左とも受け取れる。「特別扱い」とは、読売に優先的に情報を提供している、ということにほかならない。それを裏付けるかのように、米国務省関係者は次のように語る。

「ここ最近の読売は、いうなれば『日本版人民日報』と化している。政府の公式見解を知りたければ読売を読めばいい、というのが各国情報関係者の一致した見方となっている」

 そして安倍政権の中枢は、そうした“見方”を強く意識するかたちで情報のコントロールに動いているようだ。前出の内閣官房高官が明かす。

「情報のコントロールがこちらの思惑通りに進めば、メディア統制も可能になってくる。そしてメディア統制に成功すれば、世論形成もリードすることができるようになる」

●崩れた「朝日の役割」
 こうした安倍政権のメディア戦略は、成功すれば政権基礎を安定させる上で、大きくプラスに作用することは間違いない。しかし、一方では国民にとって大きなリスクを背負わせることも確かだ。安倍政権のメディア戦略は、これまで政府の思い通りにはうまくいかなかったのが実情だった。なぜなら、朝日が反安倍派として大きな役割を果たしてきたからだ。

「もともと朝日は、これまでリベラル的な立場から反安倍というスタンスを強く打ち出してきた。一方、朝日と発行部数で1・2位を争う読売も、第一次安倍政権時代には容赦なく政権批判を展開していた。ところが、読売のスタンスは第二次安倍政権の発足とともにガラッと変わり、完全に体制擁護に回ってしまった」(経済官庁幹部)

 果たして、安倍首相と読売との間に何があったのだろうか。

 筆者の聞くところでは、安倍首相の後ろ盾となっていた大物マスコミOB(故人)が間に入るかたちで、安倍首相と読売トップが手打ちをしたのだという。そうなってくると、メディアによる公権力の監視、さらに公平かつ多面的な報道を担保する観点でも、朝日の役割が大きくなってくるわけだが、一連の誤報問題を受けて、朝日にその役割を期待できない状態に陥ってしまった。

 対メディア戦略という点でも、安倍政権は向かうところ敵無しという状況になりつつある。

(文=須田慎一郎/ジャーナリスト)

どんなホラー小説よりもこわい!~堤未果『沈みゆく大国 アメリカ』雑感

「これは、しかし、ホントの話なのかね?」

 読みながら、途中何度も僕はそうひとりごちました。アメリカがひどい状態になっているのはわかっているつもりでしたが、認識が甘すぎたというか、まさかここまで悲惨なことになっているとは知らず、愕然とさせられたのです。

 これは21世紀の先進国に出現した、巨大な奴隷制国家です。そう評する他ない。

 話はオバマ大統領の医療保険制度改革、いわゆるオバマケアを軸に展開されるのですが、それを通して今のアメリカ社会がどういう構造になっていて、どういう不具合が生じているのか、あぶり出されるようになっているのです。

 これは有名なリンカーンの言葉をもじっていうなら、「一握りの金持ちの、一握りの金持ちのための、一握りの金持ちによる政治」が行われている国家で、大多数の人間はあの手この手で搾取を受けて貧困層へと突き落とされ、そこでさらに「貧困ビジネス」の餌食にされ、最後は家さえなくしてロクな治療も受けられないまま、トレーラーハウスか何かで苦しい息を引き取るのです。

 医療保険制度云々の前に、僕がびっくりしたのは医療費の高さです。何より薬代が「目ン玉が飛び出るほど」高い。だから月々の保険料も馬鹿高いので、ほとんど無意味に近い最低の医療サービスしか受けられないような最低レベルの保険(すべて民間の保険会社が提供する)でさえ、わが国の国民健康保険の平均的な割当額より高いほどなのです。

 これと較べるなら、わが国は医療の天国です。僕はこの前、「必ずしもいいことづくめではない」と書きましたが、あれは“基準”が高すぎたと言うべきで、北朝鮮人民と較べればわが国庶民の生活は「天国」と呼べるのと同じで、アメリカの医療システムと較べるなら、日本のそれは「天国」に近いのです。

 アメリカでは医療費が払えなくて破産する、いわゆる「医療破産」が破産理由のトップになっているそうで、しかもそれは無保険者だからそうなるというのではなくて、支払額を極力低く抑えたい保険会社があれこれ難癖つけて支払いを拒むものだから、結局治療費が全部自分にふりかかってきて、高い保険に加入しているのにそうなってしまう。そういう話はマイケル・ムーア監督の『シッコ』でもやっていましたが、オバマケアでそのあたり改善したのかと思いきや、全然そうはなっていなくて、製薬会社と保険会社はこの法案を使い物にならない穴だらけのものにして、全体としては前より事態は悪化してしまったのです。

「なるほどねえ」と僕はその巧妙さに感心(?)しました。どんな善意の制度でも、骨抜きにして、さらなる搾取の道具にしてしまう。オバマケアに期待した人たちはものの見事に裏切られ、たとえば、この本に登場するある50代の中年夫婦の場合だと、この人たちは以前からちゃんと保険に加入していたのですが、同じサービスを受けるのに前と較べて保険料が2倍になり、かつ、自己負担額が増えるのを知る羽目になった(具体的に言うと、この夫婦の年収は日本円にして約650万で、月々の保険料が6万円だったのが、12万になるという話なのです。医者にかかった時の自己負担分も含めた年間医療費はトータル約130万だった。まだマシだったという“以前でも”ですよ。とくに大きな病気もなく、時々医者にかかる程度で、こんなに医療費を払っている人が日本にいますか?)。

 ともかく「改革後」のそれだと支払い能力を超え、高い薬が必要な病気になれば破産は目に見えているので、それなら保険は買わない(=保険に加入しない)ことにすると言うと、今回の法改正でその場合は罰金を支払わねばならなくなり、この罰金は年々上がることになっているので、2016年段階でおたくの罰金額は16万円になります、と言われる。無保険で病気になれば全額自己負担というリスクを冒す上に、さらにこんな罰金まで課せられてしまうのです!

 実に恐ろしい話ではありませんか? この本には類似の(というより、これよりもっとひどい)残酷話がこれでもかというほど続出するので、だから「どんなホラー小説よりも怖い」と言ったのです。しかもこれは、フィクションではなくて、全部実話なのです。

 アメリカ国民でなくてよかった!と胸をなでおろしていたら、「安心するのはまだ早い」ということで、アメリカのハゲタカ外資は虎視眈々と日本市場を狙っている、という話が最後に出てくるのです。

 2014年1月のダボス会議で安倍総理は、「非営利ホールディングカンパニー型法人制度」について言及し、投資家たちに日本に新たに生まれる新市場をアピールした。名前の頭に「非営利」とついているが、重要なのはその下にある〈ホールディングカンパニー〉という部分だ。

 詳しくは本書を直接お読みいただくとして、「投資家たちにアピール」するのは儲け話に決まっているから、それがロクでもないものなのはこの段階でわかろうというものです。こういうのも、アベノミクスの何番目かの「矢」には含まれているわけです。全体、アベノミクスというのは株価などの経済指標を上げることばかりで、経済の内実を問うものではない。それがわかっていない人が多いようなので、そのあたりをきっちり見ておかないと、何もかもが「アメリカ並」にされてしまいかねないのです。

 話を戻して、今のアメリカでは患者である一般国民が理不尽医療制度の被害者になっているだけでなく、医師も被害者なのです。どうしてそうなってしまうのかということは本書の第2章「アメリカから医師が消える」に詳述されていますが、これまた読んで憤りを禁じ得ない内容で、この現代の巨大奴隷制国家においては、医師も奴隷の一部なのです。本業そっちのけで投資で儲けていれば別として、アメリカの医師はもはやかつての「尊敬を受ける裕福な専門職」などでは全然ない(日本もこうだと、医学部進学希望者は激減して、「最も入りやすい学部の一つ」になってしまうでしょう)。

 他にもオバマケアの導入でどうして短時間パートが激増する羽目になったのかなど、興味深い(というより、これまた恐ろしい)話がたくさん出てくるのですが、そうしたあれこれについては直接お読みください。僕が最後に書いておきたいのは、この本全体から見えてくる今のアメリカ社会の透視図です。

 リーマンショック以後、金融機関の規制は進むどころか、巨額の税金投入で救済されたウォール街の大手金融会社はかえって焼け太りして、さらに支配力を強化したというのは有名な話ですが、今のアメリカはそうした金融機関と、投資家、この本に出てくる製薬会社、保険会社などの巨大企業のトップと幹部たちのためにだけ存在し、一般の労働者はその搾取を受けるためだけに存在しているかのようです。政治家は支配層の使い走りにすぎない。

 かつてアメリカが元気だった頃は、分厚い中間層が存在して、その代弁者としての産業別組合も元気でしたが、今やその組合も風前の灯のようです。労働者はバラバラにされて交渉力を失ってしまった。昔、法学部の不良学生だった頃、民法のテキストで、「民法上、社員とは株主のことを指すのであって、わが国で通常『社員』と呼ばれているものは、法律的にはたんなる労務者にすぎない」という記述を読んで苦笑したことを憶えていますが、今のアメリカはこうした法律用語に忠実に、「社員」たる株主への配当を増やすべく、必死になって利潤を上げ、「労務者」の賃金、福利厚生などは、「経営効率化」のために削れるだけ削って、かぎりなく奴隷の労働に近いものにしてきたのでしょう。そうして経営陣は、経営効率化と利潤増大に努めた見返りとして巨額の給与、ボーナスを懐にして、たんまり配当を得た投資家たちとにっこり笑って握手するのです。彼らは「同志」です。一般従業員は、彼らに奉仕すべく存在する奴隷でしかない。

 今のアメリカでは医療も教育もビジネスです。刑務所ですら民営化されてビジネスになっていて、ビジネス化されると、そこで働く者はすべて自動的にこの新種の奴隷制度に組み込まれることになるのです。サービスを受ける側も当然ただではすまない。それはビジネスに見合った性質のものへと変容するのです。究極的にはそれはサービスを受ける側のためにあるのではない、それを通じて儲ける側のために、投資家の利益に貢献するためにあるのです。つねに利潤が、その仕事本来の目的に優越する。

 製薬会社にとっては薬代は高ければ高いほどよい。原価の何百倍と吹っかけても、そんなことは一向気にしない(とうの昔に良心なんてものはなくなっている)。利潤こそすべてなのです。だから彼らはそれを高く維持できるようにするために、契約相手から価格交渉力を奪い去るために、巨額の資金を使ってロビー活動を行う。そうやってオバマケアも骨抜きにされ、彼らに好都合な内容に変えられたのです。保険会社もその点は同じ。従来から彼らは、加入者の医療費請求をできるだけ多く拒否できるように、従業員に山のようなノウハウを教えてきました。それで拒否件数が多ければ、「よく頑張った」ということでボーナスがもらえるのです。同じ労働者である顧客が電話の向こうでその理不尽に泣き、破産、自殺しても、そうしないと会社から評価されないのです。病院の医師に対しても同じで、煩雑極まりない書式の診療費請求書を押しつけて、かんじんの医療業務に支障が生じるほどの膨大な手間をかけさせ、やっとそのフォームを埋めて提出しても、あれこれ難癖をつけてその支払いを拒もうとする。患者に対してであれ、病院・医師に対してであれ、拒否件数が多ければ多いほど、出費は減って会社の利益は増大するからです。

 弱肉強食の仁義なき資本主義も行き着くところまで行き着いたという感じで、これはもう人間の世界の話ではありません。しかし、それが今のアメリカという国なのです。「自由と民主主義」が聞いて呆れる。

 念のためにお断りしておきますが、僕は別に「アカ」ではありません。問題は巨大資本とその所有者たちがフリーハンドを得て、「最大利潤」を目指し、制度や社会構造をカネと権力で自分たちの都合のいいものに変えてしまったことです。そして各界のエリートたちが、それに仕える走狗と化してしまった現状です。

 かくして古代の奴隷制は復活したのですが、ややこしいのは、見た目にはそれがそうとはわからないことです。オバマケアだって、本書には何度もオバマ自身の誇らしげな言葉が引用され、いかにもそれは「民主的」で「国民に優しい」医療制度改革案に見えるのですが、その法案の成立には資本の意を受けたプロが深く関与していて、細かい規定を見ていくと、それはオバマの説明とは全く違う結果になるよう仕組まれているのです。

 医療や法律の専門知識がないふつうの人には読んでもそれが現実に何を意味するのかわからない。「適用」段階で、それがオバマの説明したものとは、自分たちが期待していたものとは似ても似つかないものであるのを初めて知るのです。

 権力も財力も、専門知識も、それは持てる1%の側にあって、持たざる99%の側にはない。前者は後者に向かって「これはあなた方のためにすることなのですよ」と親切顔で言いつつ、実は自分たちに好都合なように法律、システムを変えてしまう。そうしたペテンの積み重ねの果てに、アメリカは今のような奴隷制国家になってしまったのです。

 メディアの重要な役割は、その欺瞞を暴いて人々に警告を発することですが、今や主要メディアも巨大資本の支配と統制の下に置かれ、御用メディアになり下がった。その御用メディアに、御用学者、御用文化人が登場し、人々を騙すことに一役買うのです。これはわが国の原発問題にもはっきり見られたことです。

 資本・権力が良心と自制を欠き、このまま暴走を続けて、人々が有効な抵抗のすべを失ったまま、奴隷制がさらに強化されるようだと、行き着くところは大規模な暴動とテロでしょう。アメリカはアルカイダや「イスラム国」だけでなく、自国内部に誕生した自前のテロリスト集団をもつことに早晩なるのです。それはむろん、一般国民を幸福にすることにはつながらないでしょう。破壊と殺戮の応酬の中で、社会は崩壊してゆくのです。

 アメリカの巨大資本(一般国民ではなくて)は、TPPでさらなる「規制緩和」をわが国に迫り、「奴隷市場」の開拓にやる気満々だと伝えられています。医療分野もその一つで、それでアメリカの金融・保険会社や製薬会社が大儲けできるようなものにして、実質的に今とは全く違うものに変えてしまおうと目論んでいるのです。

 実にお楽しみな話ですが、今の安倍政権だと、「外資を呼び込んで経済を活性化させる」などと、たんなるその使い走りにされていることも知らず、胸を張って言いそうです。そうして「善良な国民」はそれを信じる。それで見かけの経済指標は一時的に多少よくなるかも知れないが、その果実は全部外資の懐に入り、国民は保険料の大幅アップとサービス低下に苦しみ、「アメリカ国民の悪夢」を共有する結果となるのです。そのとき「やっとこれでわが国もアメリカ並になった!」と喜ぶのは、経済学者の竹中平蔵ぐらいのものでしょう。

 著者の堤未果さんは、続編の「日本版」を計画しておられるそうなので、周到な現状分析と未来予測を、僕らはそれで読むことができるでしょう。

 何はともあれ、この本は示唆に富む「全国民必読」の本です。まだの方はぜひお読みになって下さい。

堤未果『沈みゆく大国 アメリカ』(集英社新書 720円+税)

このままでは日本は確実に戦前回帰する~LITERAの記事に思う

 それは望ましいことだと、ネトウヨたちは狂喜するかもしれませんが、少なくともふつうの人は「勘弁してくれ」と言うでしょう。それは健康な反応です。

 安倍晋三は、集団的自衛権の容認は国家として「当然」のことで、それでアメリカのしでかす無益で理不尽な戦争(たとえば対アフガンやイラク戦争のような)にわが国の自衛隊や若者が駆り出され、さらにはその恨みを買って国内テロに悩まされることになるとか、そんなことは絶対にありえないと言います。例の秘密保護法にしても、それは「皆さん一般市民とは全く関係ないし、報道機関が規制を受けることもありえない」と断言するのです。

 彼はともかく、ロクな説明もなくこの「ありえない」一点張りなのですが、「そうですか? だったら何でそんなものが必要になるんですか?」と問い重ねると、自分でもよくわかっていないカタカナ語満載の支離滅裂な説明を苛立たしそうに試みた挙句、相手が怪訝な表情を見せると、最後にはキレて怒り出します。「あんたは朝日と同じで私が嫌いなんですね。だからしつこくそんなことを聞くんだ!」とか、「左翼の陰謀だ!」とでも言いたげな顔つきで、席を蹴って「お友達」のところに帰ってしまうのです(政府の諮問機関とか、何とか審議会とか、さらにはNHKの会長、経営委員まで、今はお友達ばかりで固めているから、どこに行っても慰め、励ましてもらえるのです。フェイスブックで「いいね!」を押しまくってくれるネトウヨたちもいるし)。

 この彼の「お友達ネットワーク(新聞だと産経や読売がそうですが)」を、僕は「安倍式大政翼賛会」と命名していますが、次のLITERAの記事(11.27)を見ると、彼はそれだけでは飽き足らず、ついに本物の「大政翼賛会」づくりに乗り出したようです。「ついにここまで来たか…」と実に感慨深い記事なので、全文を直接引用させてもらいましょう。


『NEWS23』(TBS系)の街頭インタビューに「厳しい意見を意図的に選んでいる」と陰謀論まがいの主張をまくしたて、各方面から批判を浴びた安倍首相。だが、本人はそういった声に一切耳を貸すつもりはないようだ。それどころか、直後から、自分たちを批判しないようにテレビ各局に圧力をかけはじめた。

〈選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い〉

『NEWS23』出演から2日後の11月20日、在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛てにこんな題名の文書が送られてきた。差出人は「自由民主党 筆頭副幹事長 萩生田光一/報道局長 福井 照」。文書はこう始まる。

〈さて、ご承知の通り、衆議院は明21日に解散され、総選挙が12月2日、14日投開票の予定で挙行される見通しとなっています。

 つきましては公平中立、公正を旨とする報道各社の皆様にこちらからあらためて申し上げるのも不遜とは存じますが、これからの期間におきましては、さらに一層の公平中立、公正な報道にご留意いただきたくお願い申し上げます。〉

 一見、低姿勢で〈公平中立〉などときれいごとを並べているが、わざわざこの時期に通達をしてくるということ自体、明らかに自民党に批判的な報道をするな、という脅しである。実際、この後にはこんな記述が続く。

〈過去においては、具体名は差し控えますが、あるテレビ局が政権交代実現を画策して偏向報道を行い、それを事実と認めて誇り、大きな社会問題となった事例もあったところです。〉

 ようするに、テレビ朝日の椿発言のことを持ち出して、「ゆめゆめ、政権交代の手助けをしようなんて考えるなよ」と釘をさしたわけだ。

 そして、以下のように、具体的な要求項目を並べたてる。

〈・出演者の発言回数及び時間等については公平を期していただきたいこと

 ・ゲスト出演者の選定についても公平中立、公正を期していただきたいこと

 ・テーマについて特定の立場から特定政党出演者への意見の集中がないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと

 ・街角インタビュー、資料映像等で一方的な意見に偏る、あるいは特定の政治的立場が強調されることのないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと〉

 おそらく、この最後の街頭インタビューのくだりが、この文書の最大の目的だろう。陰謀論に凝り固まった安倍首相が『NEWS23』に怒りを爆発させ、「街頭インタビューをつぶせ!」と指令を下したのは想像に難くない。

 政権を選ぶ選挙で現政権の政策批判さえ許さないというのは、自民党と安倍政権がいかに「報道の自由」「表現の自由」を軽視しているか、の証明だが、しかし、これが連中の本質なのだ。とにかく、安倍首相は第一次政権の反省から、メディアコントロールを徹底的に意識し、敵対メディアへの圧力と恫喝を繰り返してきた。

「NHK、フジテレビ、日本テレビは完全に支配下にある。あとは、テレビ朝日とTBS。今回の文書は事実上、この2局に向けられたものといっていいでしょう」(民放政治部記者)

 そして、今のメディアの状況を考えると、テレビ各局はこの通達に完全に屈服するしかなさそうだ。

「選挙で自民党が勝つのは確実。テレビの監督権をもつ総務相には高市早苗の続投が有力ですからね。選挙期間中にヘタな動きをしたら、後々どんな嫌がらせをされるかわからない。各局とも上層部はそんな恐怖でいっぱいでしょう。後は現場がどこまでふんばれるか、ですね」(前出・民放政治部記者)

 言論の自由さえも奪おうとする安倍政権をなんとしても止めたいところだが、状況は絶望的である。(田部祥太)



 安倍の二人の茶坊主が、点数稼ぎに“率先して”これを送ったのか、安倍本人が命じたのかは知りませんが、「時の政権がよくも選挙前にこんなアンフェアなことをするな…」と読んで呆れた人が多いでしょう。この分では例の特定秘密保護法も、アメリカの愛国者法以上の乱用ぶりになるおそれがあるので、何ともはや…です。

 それでも素朴善良な人は、「報道の公平中立ならびに公正の確保」の要請のどこが悪いのだと言うかもしれません。悪いにきまっています。なぜならそれは、安倍政権から見た「公平中立ならびに公正」にすぎないからで、この記事にもある総務相の高市早苗は、最近目立って人相(リンカーンの言葉ではないが、僕は人相を重視します)が悪くなってきましたが、先頃も靖国神社に参拝し、自慢げに「他国からとやかく言われる筋合いはない」と“愛国者”ぶりをアピールして悦に入っている御仁なのです。

 要するに、彼らの「公平中立」とは“ネトウヨ基準”なのです。だからたとえば、百田尚樹がテレビに出て、民主党を罵倒するトークをぶっ続け15分行っても、それには文句は言わないでしょうが、“左寄り”の論者が集団的自衛権容認や解釈改憲が危険極まりない暴挙だというコメント(数分)をして、それに対する反論を紹介しなければ、「公正に欠ける!」とただちに噛みつくハラなのです。

 僕は産経や読売の政治的主張に同意しませんが、気に入らないから潰してしまえとは絶対に言いません。右も左もあってこその言論で、それぞれのメディアはそれぞれの考えに基づく切り口で報道をすればいいのです。虚偽のでっち上げは許されないというだけの話。いちいち公平中立もクソもあるか。大体、安倍のお友達の百田なんか、控えめに見ても「偏向」しまくっているではありませんか。そういうのをNHKの経営委員に送り込んでおいて、今更「公平中立の要請」とは呆れてものも言えません。

 にしても、ここまで権力の自制、慎みに欠ける政権というものを、僕は見たことがありません。少なくとも戦後の日本の政治家の中にはここまでひどいのはいなかったのではないでしょうか。幼児人格の産物と言ってしまえばそれまでですが、こういう安易な政治家の安易な口約束を信じる人がもし多くいるとすれば、だから支持率もまだ50%近くあるのだとすれば、先が思いやられます。マスコミもこうした愚かしい「通達」に唯々諾々として従うようだと、われわれはすでに戦前に戻っているのです。


 追記:この自民の「通達」は確実に“効果”を上げているらしい、という記事が同じLITERAに出ています。「自民党の“公平”圧力に『朝生』が屈服!じゃあ安倍首相の単独出演は公平なのか」

「ネットをのぞくと、今も『公平を要求して何が悪いの?』と言葉を額面通りにしか受け止めない人たちの声があふれている」そうで、嘆かわしいかぎりです。このあたり、昔の庶民の方がはるかに賢かった。子供の頃、僕は投票から帰ってきた両親(尋常小学校卒の学歴しかもたない)に、「どこに投票したのか?」とききました。「社会党」と答えるので、「あんたたちは社会主義者なのか?」とたずねたところ、彼らは笑って「力をもちすぎると自民党は勝手なことをやらかす。最大野党である社会党がそれをしっかり牽制してくれないと困るのだ」と答えました。字面に惑わされず現実に即してものを考える当時の一般庶民なら、こうした「通達」のもつ意味をただちに見抜いて、許しがたいことをする奴らだと憤ったことでしょう。「教育の普及は浮薄の普及なり」という明治時代の文人、斎藤緑雨の言葉を思い出します。とくにセンター試験的な「平面学力」しかもちえない人間が増えたことが、こうした「リテラシーの低さ」には影響しているのかも知れません。「二次学力」が不足しすぎているのです。(11.30)

政治家にすり寄る経済団体の存在意義

 次のBusiness Journalの記事は「なるほど」と思わせるものでした。まだの方はお読みになって下さい。

「財界」は廃れたのか 経団連や同友会は過去の遺物か 大企業優遇で産業全体に負の影響も

 この記事の締めくくり、

【ある財界筋は、「かつては各業界の大物実力者たちが経済界を代表して政治や諸外国政府と張り合った財界という世界は、もはや過去の遺物となった。経団連や経済同友会もすでに歴史的役割を終えており、大企業優遇的な主張や行動がむしろ国内産業・経済全体にとってマイナスの影響を与えるケースも散見される。もはや存在意義はなく、解体したほうがよい」と言い切る。日本の産業構造の変化がもたらした当然の帰結といえるのかもしれない。】

 には同感される人が多いのではないでしょうか。自民党の経済政策を批判したからといって政府の経済財政諮問会議から経団連会長を外すというのはいかにも安倍政権らしい露骨さ(自分に賛成してくれるお友達しか仲間に入れない)ですが、それで平伏して「政治献金再開」を決め、タカ派外交政策への批判を封印してまで揉み手ですり寄るというのは、嘆かわしいかぎりで、一体何を「守る」ためにあの団体はあるのかと思います。それはもはや「国の経済と雇用」を守ろうとしているのでもない。総理と握手する姿を見せて財界団体としてのメンツを守ろうとしているだけのように見えます。

 今の子供や若者は「仲間外れにされる」のを何より恐れているという話ですが、何のことはない、いい年したオヤジになっても、定見もなく周囲を右顧左眄(うこさべん)し、自分の体裁を取り繕うことしか考えられないのだから、国が傾くのもあたりまえです。
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Author:大野龍一

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