みんな居なくなった

 
 いよいよ「昭和」が消えていくな … 。
 そんな気持ちが強い。
 今年の冬は、いったいどういう冬なんだ?
 キャンドルが一斉に消えていくように、自分がずっと愛していた人たちが次々と闇の奥に遠ざかっていく。
 
 徳大寺有恒さん、高倉健さん、ジョニー大倉さん、そして今度は菅原文太さん。
 たぶんこのことは、自分のブログなどを持っている多くのファンが、きっと書くのだろうけれど、あまりにも次々と訃報が続くので、ちょっと怖い気もする。

 徳さんと高倉健さんの訃報に関しては、自分もブログに書いたけれど、ジョニー大倉さん、菅原文太さんのことは、まだ気持ちの整理がつかない。
 
 日本のバンドの凄さというものを改めて感じたのはキャロルだった。キャロルというと、矢沢永吉のバンドだったというイメージが強いけれども、自分はジョニーのギターとヴォーカルが好きだった。
 彼がリードを取る「ジョニーBグッド」の“ジョニー”とは、まさにジョニー大倉のことだと思えたくらいだった。
 オリジナルの「ヘイ・タクシー」なんかも、あれはジョニーのヴォーカルがあってこそ成り立っている。
 自分は、今でも日本の最高のロックンロールは、ジョニーと矢沢がユニゾンで歌う「Good Old Rock’n Roll」だと信じている。音の強度と疾走感において、この曲は本場モノのロックンロールをはるかに超えている。

 ただ、ジョニー大倉は、矢沢永吉と違って、「弱さ」もあったと思う。いろいろな意味での … 。
 でも、その弱さも奮い立たさせるようにステージの前面に躍り出ていくジョニーは、矢沢永吉とはまた違ったカッコ良さがあったように思う。

 菅原文太さんは、一時代の自分を支えてくれた役者である。
 東映の『仁義なき戦い』シリーズによって救われた過去があると思っているのだ。
 仕事がうまくいかなかったり、私生活でも周囲と孤立しちゃうようなことがあったときに、とりあえず新宿の『昭和館』に飛び込んで、文太や梅辰、小林旭、成田三樹夫、室田日出男などのドスの利いたセリフと、暗くて切ない表情を見ていると、まるで深海の底で眠るように癒された。

 特に、菅原文太の演じる広能昌三の、威勢よく飛び出すくせして、いざとなったら、煮え切らずに逃げ腰になる弱さに惹かれた。
 親分と子分、そして敵対組織との間で、にっちもさっちもいかなくなって苦悩する男のみじめさがよく伝わってくるのだ。
 今年の正月も、BSで『仁義なき戦い』シリーズが再放映されたので、欠かさず見た。
 舞台背景も含め、グレていく若者たちの悲哀もすべて含めて、今のTVドラマなどでは作ることのできない “本物の昭和の味” がした。ノスタルジーも半分だが、それはやはり、昭和の大半を過ごしてしまった自分の半生と重なる。
 
 ジョニーも文太も、若い頃の顔しか浮かばない。
 革ジャンを着て、ジョン・レノンのように少し股を広げてリードを取るジョニー。
 頭を角刈りにして、煙そうに顔をしかめて煙草を吸う文太。
 そんな二人の姿が、ぐるぐる頭の中をめぐる。

 みんな居なくなっていく。
 

参考記事 「GOLD☆LUSH (キャロルと矢沢永吉)」

参考記事 「仁義なき戦い」
  
参考記事 「建さんの美学」

参考記事 「徳大寺有恒氏 死去」

  
   

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芸能人雑感

 
 ネタがないときに、ピンチヒッター的に作り置きしていたブログ記事をひとつ。
 「芸能人雑感」
 なんとも工夫のないタイトルだが、そんなに深く考えているテーマでもないので、タイトルもごくあっさりと。

 で、テレビなどを漠然と見ていて、なんか気になるなぁ。… なんでかなぁ ? と思うような人々を、とりとめもなく挙げていく。 

【 マツコ・デラックス 】

 で、最近テレビなんか見ていて、すごく気になる芸能人の一人にマツコ・デラックスがいる。
 この人は、とにかくバラエティーやCMなどにおける登場回数が多く、顔を見ない日はないと思えるくらい露出度のすさまじい人だが、不思議なことに、自分には、どんどんきれいになっていくように見えるのだ。

 最初にテレビで見たときは、… もう10年くらい前になるけど、あの巨体と、あのご面相なので、「なんとも “悲惨な人” が登場してしまったなぁ」という感想を持った。
 しかし、そこが “マツコ・マジック” 。
 いまテレビに出ている彼女(彼?)は、日増しに美しくなっていくではないか。

 もちろん、人気が高まれば、CMなどにおいても一流のメイクアップアーチストが付くだろうし、衣装合わせもセンスのいいコーディネーターが担当し、ライティングの調整などにも時間をかけるだろう、… ぐらいのことは分かる。

 でも、そういうビジュアル的な環境整備だけで表現しきれない内面的な輝きが、増えてきた仕事量に対する自信とともに、外に向かってほとばしり出ている感じがする。

 その「内面的な輝き」 … ってのを説明するのは難しいんだけど、批評精神といえばいいのだろうか。
 要は、「世の中」を眺めるときの分析力と独創性。
 それが彼女にはあるように思えるのだ。

 単に物事を斜めに見るでもなし。
 もちろん時のメインストリームに擦り寄るでもなし。
 頭を使わないと吐けない緊張感ある毒舌を、彼女は芸にしている。

 そこに、私などは “孤高の精神” を感じる。 
 男にも組せず、女にも迎合しない存在として、いわばこの世に「住み心地のよい場所」を見出せないオネエの悲しみと開き直り。それが、あの歯切れのよい毒舌の背後に潜んでいるように思えるのだ。

 そのような複雑な思考の軌跡が、CMにおいても陰影に富んだ表情の作り方として表われている。
 「いい “女” だな … 」と、私などは素直に思ってしまう。

【 中森明菜 】

 もうひとりの “いい女” 、中森明菜。
 新曲入りのベストアルバム『オールタイムベスト』のCD売上げが25万枚のセールスを記録しているという。
 … なのに、本人は一向にファンの前に姿を見せない。かなり前から体調不良説が取り沙汰されており、現在は強度のうつ病ともささやかれている。年齢も49歳。若い頃の美しさが遠のいてしまったという自覚も、本人に重くのしかかっているのだろうか。


 
 しかし、私は、この女性は昭和歌謡を代表する “美しい歌姫” であると思っている。
 なぜ、「昭和」か。
 歌手である以前に、あまりにも昭和的悲劇が彼女の周りに起こりすぎた。
 熱愛した恋人との婚約トラブルでリストカットする女なんて、平成になってからのアイドル歌手には、想像することもできない。

 あどけない笑顔で男も女も食い散らかしながら天辺を目指すイマドキの女性タレントにはないものが、中森明菜にはある。
 それは、目を覆いたくなるような “弱さ” だ。
 あまりにも繊細なガラス細工であるため、持ち上げただけで壊れ、その破片が手のひらに突き刺さるような、鬼気迫るほどの “弱さ” が、彼女にはある。

 この傾向は、すでにデビュー曲や初期のヒット曲にもかいま見えたものだった。
 『少女A』、『飾りじゃないのよ涙は』。
 大人や社会をにらみ付けながら突っ張る少女の、その内心に巣食っている繊細な弱さ。
 はつらつとした可愛さをたたえながら、この少女の目は笑っていなかった。彼女はデビューのときから、すでに “はぐれ者” の心細さを歌っていた。

 たぶん彼女が、ファンの前でたくましく「復活宣言」を打ち上げて、精力的に稼ぐ日はもう来ないだろう。
 何度も、整形手術と結婚・離婚を繰り返しながら、相変わらずトップアイドルのように振舞っている明菜のライバル歌手とは大違いである。

 しかし、レジェンド(伝説)というのは、往々にして「美しく壊れてしまったもの」の方に残る。
 20年ぐらい先になって、誰もが「1980年代の日本の歌姫」として思い出すのは、明菜の方である。

【 斎藤 工 】

 美しい女たちの話が続いたので、今度は美しい男の話。
 今、自分がもっとも “気になっている” 男優は斎藤工である。彼には、男でも「色気」を感じるときがあるのだ。
 もちろん、「女子」たちの間でも評判が良いらしく、特にオバサン方に、熱を上げている人が多い。

 その理由はなんだか分かる。
 斎藤工には、どこか韓流スター的な甘さと逞しさがあるのだ。
 彼の表情には、甘さが漂うと同時に、たとえ人を殺して惚れた女を幸せにしてやる風の、一途な執念が感じられるのだ。まさに、徴兵のある国で心身を鍛えてきたような肉食的な逞しい面魂(つらだましい)が備わっている。
 それでいて、はかなげな虚無感があり、笑い顔には憂いさえ滲ませる。

 彼は下積み生活が長かったという。
 あれだけ甘いマスクなのに、ずっとバイプレイヤーの位置に甘んじ、周囲から「ネクストブレイク」(次に期待される芸能人)といわれながら13年間陽の目をみることがなかったとも。

 しかし、この男。
 そのような雌伏の時期が幸いしたのか、心の奥底を見せないしたたかな男を演じるのもうまいし、気性のさっぱりした筋を通す男を演じるのもうまい。まぁ、芸域が広いのだ。
 
 男優の価値は、凄みの利いた悪役ができるかどうかで決まる。
 いくらイケメン男優であっても、魅力的な悪役がこなせないと、主役を張っても人物像に幅が出ない。
 斎藤工は、それができる。
 かなり昔、単発モノのサスペンスドラマで、斎藤工が犯罪テロ組織の若いリーダーをやっていたのを見たことがあったが、彼はクールで残虐な役柄を演じながらも、悪には悪なりの哀しい犯行理由があることもうまく表現していた。

 同じイケメン男優ながら、西島秀俊や向井理(ともに最近婚約を発表した)には悪役ができない。基本的に二人とも顔の作りが “良い人” なのだ。たぶんキャラクターとしても真面目な方々なのだろう。
 だから、こう言っちゃ失礼かもしれないが、「悪」というものに対する想像力が足りないように思える。それでは、やがて芸の幅が狭まっていくだろう。
 平々凡々の二枚目役しかできなかった三浦友和も、年とって悪役もこなせるようになってから、芸に奥行きが生まれた。

 悪役というのは、単に冷酷非情な役をやることではない。そこに甘美なものを漂わせないと、本当の怖さも出ない。
 官能的なほどに甘く、鋭利な刃のように危険な香り。
 斎藤工には、それがある。
 急激な人気の高まりにテングにならないことを祈るばかりだ。最近の彼の表情を見ていると、チラッとそんなふうに思えることもある。
 
 
参考記事 「マツコ・デラックス」

参考記事 「聖子と明菜」

参考記事 「飾りじゃないのよ涙は」

 
 

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なぜ古いテクノロジーはノスタルジーを誘うのか

  
 1年に1回ほど会う友人がいる。
 出身校は違うが、同年齢だ。
 団塊世代の少し下という世代である。

 その彼は、昔からクルマの好きな男で、マニアックな知識をいっぱい蓄えている。
 駆動系を自分で自由に改造できる時代にクルマにのめり込んでいた人なので、「ボアアップ」とか、「ソレックスの3連」とか、「2T-G」とか、もう私が30年も遠ざかっていたボキャブラリーが飛び交うような会話で盛り上がった。

 その彼が、「自動ブレーキ」が定着しつつあるような風潮を嘆き始めた。
 「ドライバーが自分で危険を感知し、緊急回避できないようなクルマに乗るぐらいだったら、もうクルマから遠ざかって生きていた方がまし」だという。
 内燃機関の鼓動が感じられないEVとかハイブリッド車なども、クルマから得られる人間の感性を衰えさせたとも。
 要するに、「クルマが便利になりすぎて、“白物家電”のようになってしまったから、若者のクルマ離れが進行した」という。
 そして、最後は「我々はいい時代に生きた」という結論になった。

 ま、そうなんだけど、私は新しいテクノロジーが登場すれば、古い時代のテクノロジーに郷愁を感じるのは人間の常であって、「我々」だけが良い時代を生きたということではないように思った … が、そのときはそうは言わず、「ほんとうに言うとおりだよ」と相槌を打った。

 しかし、たぶん20~30年して、EVやハイブリッドの運転感覚に慣れた人たちは、その後の新技術を搭載した自動車に、我々と同じものを感じるはずだ。
 
 なぜ、我々は、古いテクノロジーに郷愁を感じるのか。
 真空管のアンプに凝ったり、ターンテーブルを回してレコードをかけることに生きがいを感じたり、古いネジ巻きの柱時計を収集したりしている人も後を絶たない。
 誰もが、自分が生まれて最初に手にしたテクノロジーに、生涯そこはかとない郷愁を抱き続けるというのは、いったいなぜなのだろう。

 それは、テクノロジーこそが人間の感受性を決定づけてきたという近代の歴史があるからだ。

 普通、人の感性は、絵画だとか、音楽とか、小説だとか、詩のようなアート系の創造物の影響を受けると思いがちである。
 だが、そのような絵画や文学というものは、感性を磨くというよりも、「永遠・普遍」というものが存在するという啓示を授ける役目を負ったものなのだ。それらは、時代を超えて人を感動させるものがあることを教えてくれる。

 それに対し、テクノロジーは、決して「永遠・普遍」に至ることがない。いわば使い捨ての文物だ。
 特に近代の資本主義社会が確立されてからは、時代の先端を行くテクノロジーは新しい商業価値を実現するシンボルとして喧伝されるようになり、古いテクノロジーは侮蔑的なレッテルを貼られて葬り去られる運命となった。スマホの普及で、それまでの携帯電話が「ガラケー」(ガラパゴス的ケータイ電話)と言われるようにである。
 
 フィルムカメラもレコードも、それぞれデジカメやCDにとって代わられるようになり、いまやそのCDですらも、街の商店から姿を消そうとしている。
 まさに、諸行無常の響きあり。
 万物流転の法則、ここに極まれり。

 だからこそ、テクノロジーは、逆にひとつの時代を生きた人間に決定的な感受性を植え付けるのである。
 ひとつのテクノロジーが「お役ごめん」となって消え行こうとしている姿を見て、それに密着して生きてきた人々は、そこに時の推移の非情さを感じ、物質のはかなさを発見する。
 そこにノスタルジーが生まれる。
 
 しかし、そのようなノスタルジーを誘う古いテクノロジーでさえも、実は、それが普及する前には別のテクノロジーを葬り去っていたことは忘れられている。
 SLにノスタルジーを感じるファンは多いが、そのSLだって、19世紀の中ごろに「馬車」というそれまでの移動手段を排除して、世に広まったものである。
 
 作家の中には、今でも紙の原稿用紙に向かって手書きの文字を書くほうが、パソコンやワープロを使うよりも小説がうまく書けるという人が多数存在する。
 だが、その原稿用紙を構成する紙だって、一般庶民が手に入れられるような現在のスタイルが確立されたのは、15世紀ぐらいからである。
 しかし、そのことは忘れられており、あたかも紙は、古代エジプトあたらりから連綿と続く人類の文化遺産のような価値を与えられている。
 そして、それはさらに神格化され、電子メディアでは実現できない人間の“温かみ”を伝えるコミュニケーションツールのようなイメージを付与されている。
 しかし、そのようなイメージも、やはりテクノロジーの産物にすぎない。

 テクノロジーの変化によって、新しい感性が生まれる例を、もっと卑近な例からあげてもいい。
 たとえば、ロックサウンド。
 エレキギターが主流になってきた1950年代以降のポピュラーミュージックシーンにおいても、初期のロックンロールといろいろなサウンドエフェクトが多用されるようになったジミヘン以降のギターの音は全然違う。
 ビートルズにおいても、4トラックで録音していた時代のものと、多重録音に移行した後期のものとでは、表現される音が違うだけでなく、背後にひかえた世界観まで異なっている。
 当然、その差異は、聞き手の音楽に対する感性をも変えていく。
 
 われわれの感性というのは、新しい時代がくれば容易に捨て去られる運命にあるテクノロジーがによって左右されている。
 しかし、そのことを自覚するのは、たいてい自分の感性を育てたテクノロジーがこの世から消えようとしているときである。
 
 
参考記事 「内燃機関の鼓動」

参考記事 「我々はロボットだ」
 
 

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ターミネーターの世界は現実のものとなるのか

 
 テレビを観ていたら、池上彰が解説者となって、世界の軍事技術の現状をレポートする番組が放映されていた。

 それによると、ステレス戦闘機のようなレーダーに映らない戦闘機などはもう珍しい段階ではなく、レーダーに映らない戦車なども開発され、さらには鳥と見間違えるほどの高性能小型偵察機、9mもの壁を自在に跳躍して敵の施設内に飛び込んでしまう偵察ロボットのようなものまで実現化されているのだという。

 そのような小型無人偵察機や小型無人戦闘機は、どのように操縦されるのだろうか。

 番組を見ていたら、ゲーム機のコントローラーのようなものが提示された。それは軍事用に開発されたコントローラーではなく、実際にゲーム機で使われる市販のコントローラーを流用したものなのだという。
 操縦者は、そのコントローラーを使い、モニター上に反映される “敵” の戦闘員を攻撃したり、“敵” の軍事施設を破壊したりするのだそうだ。

 スタジオに登場していた一人のパネラーが、すかさず「ゲーム感覚で戦争をするとなると、人間の傷の痛みや死の苦しみにも無頓着になりますね」という危惧を表明した。
 池上彰氏が、即座に「その通りです」と答える。
 戦争はゲーム化の一途をたどる。
 だから、「人間の死」をもって戦争の悲惨さを糾弾する思想は、今後ますますピンチに立たされる、ということなのだそうだ。

 さらにいえば、戦争を行う主体も、やがて人間ではなく、ロボットになっていくという時代がすぐそこに来ているという。
 番組では、造形的には人間と同じ構造を持ちながら、より強靭な腕力とスピードを持つ “戦闘ロボット” のプロトタイプが披露された。
 また、地上戦になったときに、人間が背負うには重すぎる物資を軽々と背中に背負って野山をかけめぐる “犬型ロボット(Big Dog)” も登場していた。
 そういうものが、実際の紛争地域に登場するのは、もう時間の問題らしい。


 
 今までハリウッドのSF映画の出来事だと思われていたものが、もう実用化の段階まで進んできている。
 ロボットの知能は、I T 技術の進歩によって幾何級数的に緻密化されており、演算能力だけでなく、やがて戦略上の総合的な判断においても、人間を凌駕していくといわれている。

 …… いったいどういう時代になっていくのか。
 機械と人間が、やがて地球の主導権を争って敵対するような『ターミネーター』のような世界が、本当にそこまで来ているのかもしれない。

▼ ターミネーター

 このような事態は、何も「戦争」だけに限定されているわけではない。
 ある科学者によると、「今は人類がこれまで築き上げてきた技術史の延長戦では予測不能な未来モデルが現われる時期」なのだという。
 これから先の世の中では、技術の進歩を支配するのは人類ではなく、人工知能やそれを組み込んだ超人類(ロボットとか、サイボーグとか、アンドロイド等)であり、人類の知能や経験に基づいた未来予測は通用しなくなるとも。

 そのことに言及した科学者の予想では、「機械の知能が人類の知能を超える日」が到来するのは、2045年だという。
 …… ほんまかいな、… という気もしないでもないが、テレビに登場した無人戦闘機や戦闘ロボットを見ていると、にわかに信憑性が増すように感じられる。
 コンピューターの処理速度は、この20年間で千万倍ほど向上したといわれており、そうなると、2045年などという年よりもさらに早く、ここ10年ほどで、巨大人工知能が人類をコントロールするような世界が訪れるかもしれない。

 週刊文春で連載コラムを受け持つ辻野晃一郎氏は、2013年にオックスフォード大学が発表した『雇用の未来:コンピューター化によって職はどうなる?』という論文を引用し、「今後10~20年間でアメリカの雇用の半分がなくなる」と予想している。
 現在、日本では労働者の派遣法改正の話が議員たちの間で議論を呼んでいるが、問題はそんなところにはないとか。
 派遣社員とか正社員などという区別などとは関係なく、もっと深いところで雇用環境が大転換を遂げる時代が来ているというのだ。

 その環境変化の要因を二つ挙げるとすれば、ひとつは先ほど言った「人の雇用をロボットや人工知能に置き換える」という要因。
 もうひとつは、労働における知的作業の主要部分を、インターネットにつながる「不特定多数」の人間に外注するというワークスタイルの台頭(← これをクラウドソーシングというらしい)。
 この二つの労働環境が整うにしたがって、近い将来、10人中9人は、今とは違う仕事におもむかなければならなくなるとも。

 企業経営者にしてみれば、正社員や派遣社員を使うより、コンピューターとロボットや、さらには「不特定多数」の人間の英知を活用した方がコストも安くなるし、創造性も高まるという計算が成り立つ。

 そのような企業形態が一般化されれば、会社組織というのは、そういうワークスタイルをマネジメントするごく少数のエリートがいれば十分ということになる。
 そして、その「少数のエリート」も、やがて機械にとって代わられるようになるだろう。
 「超高性能巨大コンピューター」が人類を管理する映画『マトリクス』のような世界が、すぐそこまで来ているのだろうか?
 そんな世界は見たくもないが、ちょっと好奇心も働く。
 
 
参考記事 「VRの旅と、リアルの旅  東浩紀 『弱いつながり』 」

参考記事 「ヒト型ロボットの誕生で、男の性欲はますますバーチャル志向になる」


参考記事 「貧者の兵器とロボット兵器」

 
 

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壁ドン

 …… って、やられてみたいよな。
 うんと背が高くてきれいな女に、壁に押し付けられてさ、
 「おい、町田よ。私に惚れないと承知しないよ」
 などと威嚇されながら、ドンと壁に押し付けられるの。
 きっと、いい気持ちだろうな。

 「壁ドン」って、Wikipediaによると、
 「男性が、女性を壁に追い詰める行為。2014年上半期に、女子中高生の間で流行ったもの。いわゆる草食系男子に対する女性の苛立ち、および “男性から迫ってきて欲しいという気持ちの現れ” 。女性が、男性から積極的に言い寄られる快感を表現したもの」
 … とかいう説明がある。

 普通は、男が女にするものらしいけれど、最近は “逆壁ドン” も流行っているらしいな。

▼ 一般的な壁ドンの例(1)

▼ 一般的な壁ドンの例(2)

▼ 逆壁ドンの例

 
 俺なんか、もろに “逆壁ドン” 期待派。
 雇用均等法以降、男に伍して社会進出を果たしている女が多くなってきたんだから、女だって、男に「壁ドンする権利」ってのを持っているだろうし、逆にいえば、男が女に壁ドンを要求したっていいわけだよな。
 
 ま、現実的には、俺の周りにそんなことをやってくれそうな相手はいないし、カミさんにお願いしたら、いきなり立ち上がって、「ウォー !! 」とか吠えて、壁に突進してくる感じ。
 

▲ 画像に特に意味はありません
 
 そのとき、「壁ドン」の勢いが強すぎて、家の床柱に亀裂が入って、「家ドン」になってしまうかもしれない。
 でも、そのまえに手元が狂って、“顔ドン” になる可能性の方が高い。そうなったら、俺の顔が原型を保っているかどうか、不明。
  
 しょうがねぇから、いま犬に壁ドンしてもらっているわけよ。
 メス犬のクッキーに。
 でも、こいつは上背もないし、重量もないから、俺が抱きかかえてやんなきゃいけないわけ。
 で、俺が壁に自分の背中をつけるだろ。
 そして、犬の前足を俺の耳元まで引っ張ってきて、壁にドンさせるわけだけど、その前に犬の顔が、俺の顔にくっついちゃうの。壁ドンの前に “顔なめ” になっちゃうんだな。

 …… ここまで筆まかせに書いてきたけど、こういう話はオチが生まれようもないよな。
 だから、ハイ、おわり。
 
 

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健さんの美学

 
 俳優高倉健が逝去して、ここ数日のワイドショーはその訃報を知らせる特集一色になった。
 改めて、高倉健の存在の大きさを思わざるを得ない。


 
 しかし、それにしても、多くの人は高倉健の何に共感したのだろうか。
 ワイドショーの切り口を見ていると、もちろん俳優としての業績を称えるものも多いのだが、それ以上に、「人間」としての魅力に言及したものが目立つ。
 どうやら、「健さん」は、今の日本人が持っていないような美質を生涯貫き通した「人」であると見られているようなのだ。

 「今の日本人が持っていないもの」

 それは、「誠実」とか「人情」、「筋を通す」 … などという言葉で表現されがちであるが、要は、ストイシズムである。
 特に、最愛の妻であった江利チエミに生涯愛を捧げ、彼女の死後も他の女性をストイックに遠ざけていたというエピソードは、多くのファンから半ば驚嘆され、かつそこに最大の賛辞が集中しているかの感がある。

 それは「愛の深さ」がもたらしたものなのだろうか。
 もちろん、それが健さんの心の中心部を占めていたことは間違いのないことなのだが、それだけでは説明がつかない。
 
 私はそこに、『葉隠』などに代表されるような、武士道的精神の発露を見る思いがする。
 武士道の歴史は意外と新しく、江戸時代以前にさかのぼることはないというのが通説である。
 むしろ、300年続いた江戸期の平和による武士の惰弱化をいましめるように発達したものだから、ある意味、実利を度外視した “不自然なくらい” の精神性が際立つ。

 「武士道」の定義や解釈はさまざまあるようだが、その本質となるところは、そぎ落とすことによって生まれるストイシズムである。
 「自分を語らない」
 「欲をかくことを恥とする」
 「一度誓った愛は、たとえ相手が故人となろうとも、生涯貫く」
 そういうストイシズムを、高倉健という「人間」は、死ぬまで手放さなかった。

 その徹底ぶりが、彼の凛とした風情に結実していった。
 これほど、恥ずかしげな笑顔を持つ人間を、私はほかに見たことがない。
 万人が、「幸せ」のバロメーターとする笑顔に対して、彼は終始それを他人に見せることに恥じらいを持った。
 たぶん、江利チエミという伴侶を亡くした自分が人並みの幸福を得ていいのだろうか。
 そういう「ためらい」が、その照れくさそうな笑顔の奥にわだかまっていて、それが「人間・高倉健」の笑顔に、独特の陰影と孤独感を忍ばせていたのではないかと思う。

 高倉健は、その存在自体が、「抜かれることのない日本刀」であった。
 ひとたび抜けば、その鋭利で強靭な刃は、どのような人間をも一刀のもとに切り裂いていただろう。
 その怖さが分かるから、彼は(映画以外では)抜くことのない刀を胸に秘めて、他の人間に、仕事に、社会に接していた。

 でも、ファンは分かる。
 高倉健が忍ばせていた日本刀は、身の凍るような見事な反りを持った、魔性の美しささえ湛えた剣であったことを。
 日本人は、最後の「武士」を失ったのかもしれない。
 
 
関連記事 「高倉健の存在感」
 
 

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安藤家の秋

 
 安藤家住宅を訪れたのは、11月の中旬であった。
 「晩秋」という言葉で表現されるような季節だ。
 そこから1.7kmほど離れた「RVパークやまなみの湯」のオープンセレモニーを取材し、その足で、国の重要文化財だといわれたこの古い館を訪ねたのだ。

 予備知識も持ち合わせていなかったので、「やまなみの湯」のスタッフから「江戸期に建てられた豪農の家です」と教えられただけでは、どんなたたずまいの屋敷なのか、イメージが湧かなかった。
 「蝋人形でも飾ってあるテーマパークのようなものなのだろうか … 」
 私の乏しい想像力では、そんなことぐらいしか思いつかない。

 カーナビを頼りに、のどかな田舎道を進む。
 「重要文化財安藤家住宅 駐車場」の案内板を見つけて、車を止める。
 
  
 
 周囲には、典型的な日本の農村風景が広がっている。
 駐車場の前方には、南アルプス。
 道路を隔てた反対側には、うっすらと雪化粧を始めた富士山。
 朝晩は、冬の気配が立ち込める季節となったが、お昼時のわずかな時間帯だけは、陽射しも明るく、空気もぬるい。

 赤く色づいた柿の実を見ながら、ゆるやかな坂を上がる。
 火の見やぐらを抱えた古い町並みが現われる。
 正午の光がぼんやりと漂う路上には、人の姿が見えない。


 
 ―― 火の見やぐらで火災を発見したり、警鐘を鳴らしたりした時代というのは、いつまで続いていたのだろう。
 車を降り、歩き出したときから、いつの間にか「時間」が止まっていたことを知る。


 
 どこまでも続く、黒い板塀。
 その奥に、安藤家住宅が広がっているのかもしれない。
 だとすれば、そうとう広大な敷地を持つ建造物のようだ。
 今どき、こんな長い板塀を持つ屋敷などなかなか見ることができない。いったいどの時代に建てられたものなのか?
 意識が、平成から昭和へと巻き戻され、さらに明治から江戸へと、止まった「時間」が、今度は少しずつ過去に逆流し始める。
  
 
  
 茅ぶき屋根を持つ表門に到着。
 それをくぐると、もう「歴史」の中だった。

 正面に、古式豊かな意匠を持つ中門が見える。
 散り始めた樹木の葉が、中門前の地面を黄色い絨毯(じゅうたん)のように覆っている。
 その絨毯の上に、高くそびえた木々がくっきりと濃い影を落としている。
 正午を回ったばかりだというのに、晩秋の庭には、早くも夕暮れの気配がまぎれ込んでいる。
 
 受付けに座る女性に、入館料を払うついでに、この屋敷の由来を聞いた。

 建てられたのは、宝永5年だとか。
 西暦でいうと、1708年。
 江戸史をゆるがす「宝永の大地震」の翌年であるらしい。
 館の持ち主である安藤家は、この地の名主であったというが、元は武田信玄に仕えた家臣として、「小尾」姓を名乗っていたという。
 その小尾氏が、武田家滅亡のあとに帰農して、母方の「安藤」姓を名乗り、名主としてこの地を管理していたとのこと。
 
 「現在の敷地は1300坪(4400平方m)ですが、その昔は、国道52号線で1時間くらい走った場所まで、安藤家の敷地だったんですよ」
 と、受付けの女性が教えてくれる。
 あまりにも広すぎて、想像力が追いつけない。


 
 それにしても、建物内の作りや家具調度のなんという格調の高さ !
 一枚のケヤキ板から削り出された戸板。
 頭上に張りめぐらされた骨太の梁。
 そのどれにも、300年という年月が「塗料」となって黒々と染み込んでいる。
 新建材を組み合わせたテーマパーク風のディスプレイには見られない “本物の手触り” をはじめて知ったような気になった。
 
   
 
 ―― 日本建築の美学とは何だろう?
 ふと思った。
 それは、障子、畳、飾り棚などが織りなす “四角形” の変奏曲の美しさなのではなかろうか。
 一見、無機質な縦軸と横軸が単純に組み合わされているように見えて、そのどれもが同一の面積を持たない。
 複雑に埋め込まれた “四角形” の組み合わせの妙。
 それは幾何学的な正確さに裏打ちされながらも、人を幻惑する魔法の糸を紡ぎ出す。

 庭園の見える母屋の奥にたどり着く。


 
 外から差し込む「光」と、内側を覆う「影」が、渡り廊下のところで混じり合っている。
 屋外の「自然」と、建物の「人工物」が溶け合う不思議な空間。
 このような異空間を、欧米の建築物に見ることはない。
 
 「うつろい」という意味を表す言葉が英語にはないという話を、どこかで聞いた。
 意識したときには止まっていながら、意識しないときに、いつの間にか過ぎ去ってしまう「時間」。
 そのような感覚を「うつろい」というのであれば、それは、「光」と「影」が一つの空気となって溶け合う日本建築の空間から生まれてきたに違いない。

 
 
 茶室の廊下から、用意されたサンダルを履いて、庭に立つ。
 樹齢350年といわれる老松が、名工の手によるオブジェのように大地に根を張っている。
 ここまで年月を重ねた樹木となれば、もう「アート」なのか「自然」なのか区別もつかない。
 庭の鉢に活けられたススキも、同じように自然と一体となって、「庭」なのか、「荒野」なのかも定かではない異空間に漂っている。

 見上げると、木の枝から離れた枯葉が空を埋めているのが見えた。
 静かな晩秋の一日を、無心に遊ぶかのように、虚空を舞う枯葉の群れ。
 それは、冬の気配を漂わし始めた秋の最後の饗宴のように思えた。
  
 
 
 
安藤家住宅 インフォメーション

所在地:山梨県南アルプス市 西南湖4302
開館時間:午前9:00~午後4:30
入館料:大人300円/子供100円
休館日:毎週火曜日(祝日の場合は開館、翌日が休館)、年末年始(12月27日~1月7日まで休館)
問い合わせ電話:055-282-7269(南アルプス市 教育委員会)
  〃    :055-284-4448(安藤家住宅)
 
  
関連記事 「RVパーク『やまなみの湯』 」
 
 

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RVパークやまなみの湯

 
 

 キャンピングカー専用の宿泊施設として、いま全国的に整備されているRVパークも、山梨県南アルプス市にオープンした「RVパークやまなみの湯」で、37号目を迎えた。
 この11月13日にオープンセレモニーが行われたので、さっそく取材に出かけた。… ついでに、1号目の客となった。エヘン……。

▼ 日本RV協会の高橋普及部長(左)より、「やまなみの湯」の三沢社長(右)へ、RVパークの認定書が交付される

▼ お泊り第一号は、俺さまだぁ !

 やぁ、まぁ、すごく良いところだぞ !!
 実際に、自分もいくつかのRVパークを泊まり歩いてきたが、ここは自分が体験したものの中でも、1、2位を誇る過ごしやすい環境に恵まれた場所であった。

 なにしろ、温泉が同じ敷地内にある。
 これだけでも、RVパークのなかでは相当なアドバンテージに恵まれていると思うのだが、敷地内の雰囲気が良い。
 目の前には、「南アルプス ユネスコ エコパーク」として認定された南アルプスの雄大な景観がドーンとひかえ、遠方には富士山。

▼ RVパークエリアの向こう側には南アルプスの山並みが広がる

▼ 公園の広さもハンパない !

▼ 公園の裏からは、でっかい富士山

 そういう景色を眺めながら、散歩をしていると気持ちがよいし、施設内にさまざまな設備(食堂・地元物産品販売コーナー・休憩所・マッサージルーム・子供用遊戯スペース等)が整っているほか、複合型の大型スーパー、和食レストラン、コンビニなどが歩いて行ける距離。
  
 さらに、場内にはテニスコート、ゲートボール場、バスケットコートなどのスポーツ施設も整っており、心地よい汗をかいたあとに、すぐ温泉に入れるという恵まれた環境が整っている。

 

 では、さっそく温泉の館内をご案内。
 建物のエントランス (↓) は、「温泉」というより、美術館・博物館を思わせるモダン建築である。 

 入館料は、2時間券で、大人(中学生以上)600円・小人(3歳~小学生)300円。お風呂とプールが使える。
 1日券(朝10時~夜10時)となると、お風呂・プールのほかに大広間が使えて、大人900円・小人450円。

▼ 自由に休憩できる大広間。カラオケ大会などもできる。

 ちなみに、RVパーク利用者は、RVパークエリアの駐車料金が1,000円。AC電源を使う場合はプラス500円。さらにゴミ処理をしたい場合は、ゴミ袋が500円。

▼ 館内には、地元の新鮮な野菜などをそろえた直売所も設けられているほか、地酒、名産品のおつまみなどを販売するコーナーも。


 
▼ お風呂の横には、マッサージルーム(写真右)もある。 

▼ 喫煙者のために用意された贅沢な “喫煙エリア” 。景観も満点。木々の間から流れてくる風が気持ちよし。ただし、冬はちと寒いかな…。

▼ 子供の遊具や絵本などを豊富に取りそろえた “キッズコーナー” 。絵本の種類も豊富。大人も楽しめそうだ。

▼ さて、お風呂。整然とした脱衣所を抜けると、内湯。エステ湯、リラックス湯、気泡湯、うたせ湯などのほかプール(15×8m)、幼児プール、ジャグジーなどもある。サウナは、スチームサウナとミストサウナ。
 温泉の特徴は、ナトリウム塩化物を主成分とした淡黄緑色のお湯で、神経痛、筋肉痛、関節のこわばり、うちみ、くじき、冷え症、やけど、慢性皮膚病などに効くという。温度は45℃。しかし、なかには38~39℃程度の湯船も用意されていて、長い時間ゆったりと浸かっていることができる。

▼ 露天風呂がいい感じ。ちょっとした竹林の中の “隠し湯” といった風情だ。
 訪れた日は、紅葉が山を彩るシーズンの晩秋。風が少し冷たく感じられる肌を温かく包んでくれるお湯の心地よさが、ひとしおありがたく感じられた。

▼ 湯上りには、冷えたビールなどがよろしいようで。お子様にはソフトクリームなどもいかがでしょう。
 軽食コーナーの「もも果」(11:00~20:00)ではアルコール、清涼飲料水などのほか、ラーメン、カレー、から揚げなどのスナックが用意されている。

▼ このおねぇさんが、一人で調理し、一人で食事をデリバリしていた。「ネットで紹介していいですか?」、「えっ、私をですか?」、「はい、そうです」 バシャッ! 

▼ おつまみメンマ、から揚げを食べながら、焼酎のお湯割りを堪能。

▼ ラーメンがうまい ! あっさりした関東風の醤油味ラーメン。年をとると、もう豚骨ギラギラが食べられない。こういうラーメンに出会うと、年寄りは感涙にむせんでしまう。

▼ 館内には惣菜を売るコーナーもあり、巻きずし、稲荷ずし、赤飯などのほか、から揚げ、ポテト、天ぷらそばなど、豊富なメニューが用意されていた。電子レンジも自由に使えるようになっていて、館内の休憩室で食べるのもよし。RVパーク利用者なら、そのまま車内に持ち帰ってもよし。

 RVパーク「やまなみの湯」の特徴について、運営する株式会社アルプスの三沢聡社長 (↓) にインタビューすることができた。
 
 
 
【町田】 ここの温泉施設の中に、RVパークを設けようと思った動機はどんなところにあったのでしょう?
【三沢】 車中泊という “旅行形態” が新しい文化になりつつあるように感じられたんですね。なかでもキャンピングカーは、それ自体がベッドやキッチンのような宿泊機能を備えているわけですから、RVパークならば、駐車スペースだけを用意してあげればいい。
 そのように考えると、この南アルプス市周辺というのは、キャンピングカーで旅するにはまたとない環境を備えているわけです。ユネスコ エコパークの認定を受けた南アルプスという豊かな自然観光資源がある。さらには、果物の一大産地でありますからグルメも堪能できる。また、いろいろな歴史的名所旧跡のような文化遺産もある。
 それらの観光資源をキャンピングカーで回ってもらうときのベース基地として、この温泉を大いに活用してもらいたいと思ったのです。

【町田】 それらの観光資源を、もう少し具体的にいうと?
【三沢】 まず、「食」の楽しみでいうと、ここは果物が有名なんです。特に、「貴陽(きよう)」という高級なすももや、西洋梨の「ラ・フランス」、そして柚子などは定評があります。
 特にそういう果樹園が集中しているわけではないのですが、直売所ならあちこちにあります。そういうところを車で回るという観光形態がひとつ。
 そして、もう一つは、この富士川(ふじかわ)沿いは昔は駿河湾と甲斐の国を結ぶ海運業が栄えた土地なんです。そのため、すぐ近くにある「安藤家住宅」のように、往時の繁栄ぶりを今に伝える歴史・文化施設がこの土地には多いんです。

安藤家住宅。1708年に建てられた昔の豪農の暮らしぶりを伝える由緒ある建築。国の重要文化財になっている。

【町田】 そういう情報は、温泉の館内にも用意されているんでしょうか?
【三沢】 はい。ここをお訪ねいただければ、周辺の観光資源の情報を逐一ご提供できると思います。温泉に浸かって、まず心身をリラックスしていただき、このRVパークに2~3日滞在して、それらの観光資源をゆっくり見ていただく。そのような「情報」と「憩い」の拠点として、このRVパークを活用していただければうれしいですね。

RVパーク「やまなみの湯」インフォメーション

〒400-0411 山梨県南アルプス市西南湖1299-1
問い合わせ先 電話番号 055-280-3340
問い合わせ受付時間、平日10:00~22:00
※予約受付時間は10:00~21:00(毎月第2・第4水曜日の休館日を除く)
URL http://www.yamanaminoyu.com/
RVパーク利用料金 1泊 1,000円/1台(トレーラー含む)
チェックイン  当日13:00~17:00
チェックアウト 翌日10:00
ゴミ処理 指定のゴミ袋1枚につき500円
AC電源代 1日500円
ペットOK ただし、公園内のペットの立ち入りは現段階では禁止。
【公園】 芝生広場、遊歩道、遊具広場 (無料)
【テニスコート】 8時~18時迄:600円/2 時間 18時~22時迄:1,000円/2 時間
【ゲートボール場】 8時~18時:無料 18時~22時:屋根付200円/1時間、屋根無し100円/1時間

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町田のRVパーク探訪記事

「RVパーク南きよさと」(山梨県)

「RVパークたまがわ」 (山口県)

「RVパークおおた」 (群馬県)
 
「RVパークやまが」(熊本県)
 
「RVパーク豊平どんぐり村」 (広島県) 
 
「RVパークひなの里かつうら」 (徳島県)
            
「RVパーク毛馬内 七滝温泉」(秋田県)

「RVパークさかた温泉」 (青森県)

「RVパークエビスヤ」 (山形県)

「RVパークアップルランド」 (青森県)
  
「RVパーク犬山ローレライ麦酒館」(愛知県)
 
「RVパークおだぎりガーデン」(栃木県)

カテゴリー: 旅&キャンプ | 4件のコメント

小説を書く人々

 
 僕の周りには、「小説を書いている」と、こっそり打ち明ける人が、昔からたくさんいた。

 別に、僕が“文芸サークル”のようなものに所属していたということではない。
 キャンパスの芝生広場で、偶然話し合うようになった他の学部の人間とか、飲み屋でたまたま隣り合って話し合うようになった人とか。
 ことさら「親友」になったわけでもないのに、そういう人たちは、たわいもない雑談の途中に、ふと声を潜めて、
 「実は、いま小説を書いているんだよ」
 と、打ち明けてくるのだ。
 
 なぜ、“声を潜める” のか。
 小説を書くということは、それほど後ろめたい行為なのだろうか。

 「釣りを始めたんですよ」
 「ゴルフが趣味です」
 「囲碁に凝ってましてね」
 … などという会話を、声を潜めて語る人はいない。
 「ジャズが好きです」
 「ロックバンドをやってます」
 … などというのも、こっそり打ち明ける人はいない。

 なのに、「小説を書いています」という人は、みな一様に、恥ずかしい思いを押し殺したように、ひっそりと語り始めた。

 たぶんそれは、小説のテーマが何であるかを問わず、「小説を書く」という行為自体が、自分の恥ずかしい部分をさらけ出すという意識を伴うからだろう。
 「作家と主人公は別物」とは言うけれど、小説に表現される登場人物には、どこかで作者の自己が投影される。作者が、自分のキャラとは正反対の人物像を作り上げたと思い込んでも、… というか、そうであるがゆえに、そこには無意識のうちに、その作者の自己がひっそりと表現されてしまう。
 作者は、それが本能的に分かるがゆえに、「恥ずかしい」のである。

 それと、もう一つ。
 小説というのは、「自己採点」できない作文だからである。
 エッセイとか評論は、なんとなくその出来ばえが自分でも採点できる。
 ロジックに頼れる部分があるからだ。
 そこに客観性が生まれる。
 それが自己チェックするときにも機能する。

 しかし、小説というのは、どこかでロジックを振り切るパワーがないと成り立たない。
 “魔物” の力に頼るといえばいいのか。
 内の中からこみ上げてくるデーモニッシュな情熱がないと、書き続けられない。
 だから、筆が進み、気持ちがのめり込んでいるときは、誰もが「自分は天才ではないか !? 」と信じることができる。

 だが、それは(多くの場合)、錯覚にすぎない。
 夢から覚めた後に、作者を襲うのは、落胆と自己嫌悪。
 「傑作」と思い込んだ作品を他人から酷評されたとか、自信満々で小説新人賞募集に投稿したのに、ボツになったか。
 一度でもそういう経験を持っている人は、他人に「小説を書いている」と告白することが怖いのである。
 世の中で、現在「小説家」と呼ばれるようになった人たちも、ほぼ例外なくそんな時期を経験しているはずだ。

 アマチュア作家とプロ作家の才能の差は、書き始めた時点における才能の差とは無関係かもしれない。
 アマチュアは、一度挫折を経験すると、あっさり自分の才能に見切りをつけて、あきらめる。
 あきらめなかった人が、プロになる。
 気持ちを切り替えて、再チャレンジするメンタルの強さ。
 プロとアマの差を分けるのは、そのメンタルの部分だけのような気もする。
 再チャレンジの過程で、はじめてプロとしての技量が磨かれていくというわけだ。 

 小説を書くことに挫折したときの落胆は、逆に言えば、それだけ書き始めたときの夢の大きさを物語っている。
 僕に、こっそり打ち明けた人々は、みな警戒心の奥に、夢と期待をはらませていた。
 そして、一度、告白することの怖さを乗り越えてしまうと、今度はみな多弁になった。
 

 考えるに、小説は、書き上げるときよりも、実は構想を抱いているときの方が楽しいのではないか。
 そんなふうに思うことがある。

 僕に最初に告白した人は、これから「恋愛小説」を書くつもりだと言っていた。
 学生の身分でありながら、田舎の地元の商店街のオヤジたちに混じって、韓国まで行き、女性から接待を受ける店で豪遊したときの体験を書くのだという。
 「水商売だというのに、日本人女性が忘れていたような恥じらいや礼節を持っている女性に会ったんだ。その感激を小説にするんだ」
 と、彼は語った。
 タイトルも決まっており、『釜山旅情』というのだとか。

 しかし、完成作を見せてくれることはなかった。
 もしかしたら、最初の1行すら書くことはなかったのかもしれない。
 5年ほど経って再会したとき、僕はその告白を思い出し、「小説はどうなった?」と尋ねてみた。
 「あ、あれか …。いま構想中」という答が返ってきた。
 たぶん、永遠に“構想中”のままで終わるのだろう。
 しかし、5年経った後も、彼はその構想を楽しそうに語った。

 飲み屋で親しくなって、構想中の小説のことを話してくれた人は、もともと出版社に勤めていた人だった。
 大手とはいわぬまでも、歴史モノ、思想モノにも名著の多い中堅どころの有名書店だった。
 年齢的には、団塊のど真ん中という世代の人で、中国文学や中国文化に詳しく、司馬遷や魯迅にまつわるエピソードをよく教えてくれた。
 しかし、やがてその出版社の上司と折り合いが悪くなったのか、それとも一念発起して独立したかったのか(…詳しい話は忘れたが)、彼は出版社を辞めたのだという。
 その後、いくつかの仕事を転々としたらしい。

 僕と知り合ったころのその人は、建設系の肉体労働者として、日々の労働の疲れを癒すために、居酒屋で飲んで、泥酔し、他の客に議論をふっかけるような生活を送っていたときだった。
 「今、小説を書いているんだよ」 
 と、彼は酔って他の客と大声で議論している最中、ふと隣りにいた僕に振り返り、人が変わったように、小声でそうしゃべった。
 「別に大作家になろうなんて野心などないのさ」
 と彼は言った。
 「でも、バカたちと議論することの空しさから逃れるために、自分の力を信じて、一からやり直したい」とも語った。

 彼も構想をしゃべった。
 あまりよく覚えていないが、19世紀のロシア文学みたいなスケールのでかい話だったように記憶している。

 その後、何度か会って、構想の続きは聞いたが、ついぞ一度も書き始めたという話は聞かなかった。
 彼にとって、小説の構想を練ることは、やりきれない日常に埋没しそうなっていく自分を奮い立たせるための大事な「心の支え」だったのだろう。

 頭の中の構想を、しっかり文字にして、実際にナマ原稿の形で見せてくれた人もいた。
 もうかなり昔の話だが、学生時代に、友人から原稿を手渡されたことがあった。
 その人は、私を喫茶店に呼び出し、その場で読んだ感想を聞かせてくれと言う。
 400字詰めで、70枚か、80枚ぐらいの小説だったか。
 読む時間はそれほどかからないと思えたが、さすがに、作者を目の前にして、読むというのは、気が重いものだった。

 僕が読んでいる最中、彼は煙草をふかしながら、身を乗り出して、僕の読んでいる部分を覗き込み、
 「そこはさぁ、ちょっと心理描写が多いと思えるところなんだよな。自分でも少し煩わしいように思っているのだが、読んでいてどうだった?」
 などと訊いてくる。
 そのことで気が散り、僕は読後にたいした感想も延べられなかったような気がする。
 だから、小説の内容までははっきりと覚えていない。
 ただ、彼が、僕が読み終えるのをすごく楽しみにしていたことだけは、しっかり覚えている。

 最近もそういうことがあった。
 古い友人の一人だった。
 映画評論・音楽評論などでは、専門誌に原稿が掲載されたという実力の持ち主で、小説の方も、文章の冴えはあった。
 純文学にSF小説をかみ合わせたような作風で、結末に一種の“不条理感”を盛ったような作品だった。
 私は良い出来映えだと思って、好意的な感想文をメールで送ったが、応募した小説雑誌の選考に取り上げられたという話は、その後聞いていない。

 たぶん落選してしまったのだろう。
 選考に残っていれば、連絡してくるはずだから。
 しかし、落選したにせよ、私に原稿を手渡すときは楽しそうだった。
 声が弾み、目が生き生きとしていて、人間そのものが魅力的に輝いていた。

 小説というのは、それほどの魔力があるのだ。
 出版文化が衰えたとはいいつつ、今でもいろいろな文芸誌で作品募集の要項が載り、様々な人が「未来の作家」を夢見て、膨大な作品群を出版社に送っている。

 原稿を読ませてもらった人の中には、女性もいた。
 僕が社会人になって、2~3年経った頃だった。
 「読んで、感想を聞かせてくれない?」
 と頼まれて、ずしりと束になった原稿を手渡された。
 ワープロも普及していない時代だったので、400字詰め原稿用紙で100枚を軽く超える大作は、ちょっと荷が重かった。
 
 しかし、これは読み進めているうちに、すぐ引き込まれた。
 面白いのである。
 感心したのは、構成力の緻密さだった。
 短編小説なら、ひらめきだけで書けることもある。
 しかし、長編となると、そうはいかない。
 どこで、事件を仕掛けるか。何が主人公の落とし穴になるのか。最後のシーンを鮮やか見せるには、どういう伏線を張っておけばいいのか。
 そういうプロットが綿密に計算されていないと、読者が楽しめる長編にはならない。

 その構成力の堅牢さが、その女性の小説からは感じられた。
 「この人は、もしかしたら、本物の小説家になれるかもしれない」
 そう思ったのは、結局その女性だけである。

 案の定、彼女はその後、ジュニア小説の分野で作品を発表するようになり、さらには「桐野夏生」というペンネームで、江戸川乱歩賞を受賞し、その後『柔らかい頬』で、直木賞を受賞した。
 
  
参考記事 「自作小説 『暗黒街の掟』 」

参考記事 「小説における 『現実感』 とは」

参考記事 「桐野夏生 『ローズガーデン』 」

参考記事 「同人雑誌仲間」
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ | 4件のコメント

徳大寺有恒氏 死去

 
 自動車評論家の徳大寺有恒氏が逝去された。
 2014年11月7日のことだという。

 お台場キャンピングカーフェアの取材の後、懇意にさせてもらっているビルダーさんたちと新橋で飲んでいたときのことだ。
 同席していたキャンピングカー評論家の渡部竜生さんが、それを教えてくれた。
 「ひとつの時代が終わりましたね」
 と、彼は言った。
 まさに、その通りだと思った。

 自分も60余年生きてきて、多くの著名人の訃報に接してきたけれど、「ひとつの時代が終わる」という感想を持った人はそう多くはない。1980年にジョン・レノンが死んだとき、そんなふうに感じた。
 1996年に司馬遼太郎氏が亡くなられたときも、そう思った。
 
 だけど、徳大寺さんの場合は、少し違う。
 生きているときの “温もり” のようなものが、まだ自分の心の中に巣食っているからだ。
 一緒に仕事をさせてもらったときの思い出が “濃い” のである。 
 彼の「代表作」とは言い難いのかもしれないが、一部の読者からはとても評価されている 『ダンディー・トーク』 という本を発行する仕事に、編集者として携わることができたからだ。

 実は、まだ私の手元に、その 『ダンディー・トーク』 をまとめる際に、口述筆記という形で残してくれた数編の章が残っている。とりとめもない “雑談” に近いものだったので、本のボリュームが増えすぎることを懸念して割愛してしまったが、逆にいうと、そういう部分に、くつろいだときの徳大寺さんの本音があらわれていたようにも思う。

 「徳大寺さんのようなモノを書いていきたい」
 それが、私のモノを書くときの原点にある。
 彼は、自動車評論を、文学の視点で、アートの視点で、歴史の視点で、ファッションの視点で書ける人だった。
 自動車という無機質な物体に、「心」を入れられる人だった。
 その旺盛な知識欲と、深い見識は、若い私から見ればまぶしいほど魅力的だった。
 
 その徳大寺さんが、『ダンディー・トーク』という作業の終了まぎわに、「あなたは自動車評論が書ける人だ。今度は自分で書いてごらん」と言って、万年筆をプレゼントしてくれたときの思い出は、自分の生涯の “宝” になっている。

 自分が携わっていた雑誌で、塩野七海さんと徳大寺さんの対談を企画したことがある。
 イタリア史に新しい光を当てて、常にベストセラーを刊行し続けた塩野さんに対し、対談の場所にかけつけた徳大寺さんは、モーニングのような礼服に近いスーツで現われた。
 目を見張るようなダンディーぶりで、さすがの塩野さんも惚れ惚れするような表情で徳大寺さんを見つめていたときの印象が、いまだに記憶に刻まれている。

 とにかくお洒落な人だった。
 ファッションセンスもピカイチだったが、本当の「お洒落」とは、内面の輝きから生まれるものだということを、よく御存じの方だった。
 生きていらっしゃったら、まだまだ学ぶことがたくさんあったように思う。
 なんだか、自分の中の “芯” となるようなものが抜けてしまったような心細さを感じる。

 冥福を祈りたい。
   
  
関連記事 「徳大寺有恒という生き方」

関連記事 「徳大寺有恒 『ダンディー・トーク』 」 

参考記事 「塩野七海 × アントニオ・シモーネ 『ローマで語る』 」
 
 

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VRの旅と、リアルの旅  東浩紀 『弱いつながり』

 
 ( 「VR時代のRV」 の続き)
 バーチャル・リアリティー(VR=仮想現実)が、リアル世界よりも “リアリティー” を持つような時代になると、人間にとって「旅」とは何なのか、という議論が起こってくるような気がする。
 なぜなら、今後飛躍的な進歩を遂げると予測されるVR機器を手に入れるだけで、人間は実際の旅行に行かなくても、世界中のあらゆる名所旧跡を自分の目よりもクリアに、詳細に眺めることができるようになるからだ。

 そのような機器は、すでにそうとう高度な段階にまで開発が進んでいて、視覚に飛び込んでくる映像が、テレビモニターのような平面ではなく、頭を動かせば360度対応するという、まさに本物の景色と同じような立体映像になるという。
 これをゲーム機に応用すれば、体験者が “3次元感覚” で、恐竜時代にタイムトリップしたり、海底を遊泳しているうちにサメと遭遇したり、宇宙船を操縦して敵の宇宙船とバトルを展開したりすることも可能となるとか。

 このような機器を使ったヴァーチャル旅行は、将来もっともポピュラーなアミューズメントとして普及していき、やがて人間は、普通の人ではなかなか行けない秘境のギニア高地とか、アマゾンの密林、ヒマラヤの山頂なども、あたかも自分が現場に立っているようなリアル感を伴って体験することができるようになるというのだ。

 こういう “VR旅行” が完璧に実現するのは、まだもう少し先なのかもしれないが、すでに我々の日常感覚は、徐々にリアル世界から離れ始めようとしている。
 ネット世界が、すでにそうなっている。
 行ってみたい場所を検索エンジンに打ち込むだけで、今はほとんどの地球上の風景が瞬時にモニターに現われてくる。
 テレビなどの旅行レポートも充実してきたが、しかし、まだそれは放映される日を待たなければ見ることはできない。
 だが、ネットの検索エンジンは、思い立った瞬間に、間髪入れずに人が見てみたい世界を眼前に取り出してくれる。

 しかも、グーグル検索のカスタマイズ化はかなり進化していて、人が何かを調べたいと思ったときに、検索エンジンの方で勝手に、その人の調べたい世界を予測検索してくれるらしい。
 だから、「世界遺産になった風景を集中的に調べたい」と思った人のパソコンには、グーグルがその人の嗜好するデータを効率よく収集してくれるため、類似情報がどんどん検索ページの上位に上がってくる。

 「便利になった」
 といえば、その通りだが、そこで実現される「VR旅行」と「リアルな旅行」では、いったい何が違うのだろう。

 批評家の東浩紀は、『弱いつながり 検索ワードを探す旅』という本のなかで、その違いを「移動時間のあるかなしか」だと指摘する。
 リアルな旅には、そこにたどり着くまでに「時間」がかかる。また、そこから戻るときにも「時間」を要する。
 そこが、プラウザを閉じれば、すぐに日常に戻るVR旅行とは異なっているという。

 リアル旅行が人に要求する “目的地にたどり着くまでの時間” は、効率社会の原則に従えば、“無駄な時間” である。
 しかし、そこで押し付けられる「時間」を享受することによって、旅そのものが変質していく、と東浩紀はいう。
 現地に着いた時に眺める景色そのものは、ネットの画像と変わらないかもしれない。
 しかし、そこにたどり着く間に、身体の中に染み込んでいく「移動時間」が、画一化されたネット画像とは異なる、その人の固有の風景を現前させる。

 どういうことか。
 つまり、人は「旅行先」にたどり着くまでの移動時間を使って、その目的地を想像したり、期待したり、推理したりするという精神活動を行うからだ。
 「旅行が非日常の体験だ」とよく言われるのは、実はこの移動時間中の精神活動が、日常的な思考から解放される契機を生み出すからである。

 ネットを通じて眺める風景は、「情報」でしかない。
 「情報はいくらでも複製(コピー)できるが、時間は複製できない」
 と東浩紀はいう。
 複製できないものこそが、人間の想像力を刺激する。
 要するに、リアル世界で「旅」することは、活発になっていく想像力の力を借りて、誰が見ても同じであるはずの風景を、見る人ごとに “異なる” 景観に作りかえる作業なのだ。
 検索エンジンで眺める “風景” は、ただの情報にすぎないから、誰が見ても同じものにとどまってしまう。

 情報は、ノイズを払いのけることで、精度を増す。
 しかし、想像力は、そのノイズの無作為な乱反射によって生まれる。
 それまで、その人が持っていたさまざまな知識や記憶の断片がノイズとなって、脳内でスパークし、撹拌され、きらきらと乱反射することによって、想像力は高まっていく。
 旅の移動時間は、その想像力を飛翔させていく必要不可欠な時間なのである。

 東浩紀は、学生時代に「表象文化論」というものを研究したという。
 表象文化論とは、いわば言語にできない体験を「言葉」にしようとする思考を指す。
 たとえば、災害や戦争のように、あまりにも深刻で複雑なものは、単純な記録だけではその本質に迫れない。そのような言語化できない世界を、あえて言語にしようと努力するときに、災害や戦争に巻き込まれたときの人間の痛みに対する想像力がつちかわれる。
 表象文化論でいう「表象」とは、いわば、「表象されないもの」を通じて、ものごとの本質を浮かび上がらせる作業のことをいうのかもしれない。

 彼は次のように書く(途中の行を多少省略した意訳)。

 「ネットは記号でできている世界である。(記号とは)文字だけに限った話ではない。音声や映像も記号である。
 … つまり、ネットはすべて人間が作った記号だけでできている世界なのだ。ネットには、そこに誰かがアップロードしようと思ったもの以外は転がっていない。 “表象不可能なもの” はそこに入らない。
 … 重要なのは、(その)言葉にならないものを言葉にしようと努力することである。
 … 言葉にならないものを、それでも言葉にしようと苦闘したとき、その言葉は本来の意図とは少し異なる方法で伝わることになる。哲学的な表現を使えば “誤配” されることになる。
 僕たちは、言葉にならないもの自体を知ることはできないけれども、その誤配を通して、言葉にならないものがこの世界に存在するという事実を知ることができる。
 要は、記号を扱いつつも、記号にならないものがこの世界にあることへの畏れを感じることができる」 

 多少小難しい表現だが、これは重要な指摘であるように思う。
 つまり、移動時間を費やすリアルな旅とは、“言葉にならないものがこの世界にある” ということを知る旅なのである。 

 この『弱いつながり 検索ワードを探す旅』という本は、I Tという情報技術革命によって情報へのアクセスが格段に向上した世の中で、いかに “情報化されない” 体験を手に入れるか、ということを追求した本である。

 情報化されない体験とは、個人の身体性が関わる体験である。
 たとえば、自分で歩いたり、バスに乗ったり、キャンピングカーを使ったりして体験する旅は、個人の身体を使わなければ手に入らないものであり、それがゆえに、他の誰とも共有できない、かけがえのない体験となる。
 
 そういう自分の身体性の根ざした欲望は、机の前に座って、検索エンジンを作動させて情報を得るときにも大事になってくる。
 誰もが無意識に使っているありきたりの言葉を使って検索エンジンを作動させても、そこから得られる情報は、やはり、ありきたりの情報に過ぎない。
 しかし、自分の身体性と関わる欲望は、ありきたりの言葉とは異なる検索ワードを探し始める。
 いわば、グーグル検索のカスタマイズ化を裏切って、グーグルが勝手に「この人ならばこういう情報を欲しがるだろう」という押し付けを振り切るような新しい言葉を探すこと。
 それが、ネット社会が人間に押し付ける画一化から逃れる方法となる。

 ネットには、あらゆる情報が日々流れ込み、それと接するユーザーは、どんな情報でも自分が任意に取得できるものだと信じ込んでいる。
 しかし、それは逆で、ネットの情報は、どんどん世の中の最大公約数の人間が求める情報の総和となっていく。
 そこには、自分が世の中のマジョリティーであるという安心感はあっても、自分が世の中から外れているのかもしれないという、不安も驚きもない。
 
 東浩紀はいう。
 「ネットにはあらゆる情報が溢れていることになっているけれど、むしろ重要な情報は見えない。ネットでは自分が見たいと思っているものしか見ることができないのだ。なぜなら、みな自分が載せたいと思うものしかネットに載せないからである」

 このようなネット情報の画一化は、まさに日本の景観の画一化と歩調を合わせている。
 日本国内にいるかぎり、九州に行っても、北海道に行っても、一歩コンビニに入れば並んでいる商品はみな同じ。ファミレスに入ってもメニューはみな同じ。書店に入っても、並んでいる本はみな同じ。
 それは、何も日本に限ったことではない。

 東浩紀は、「世界はいま急速に均質化している」という。
 20世紀には、旅に出ればまったく異なる他者、まったく異なる社会に出会うことが可能だった。けれども21世紀には、世界中のほとんどの人が、みな同じようなショッピングモールに行き、同じような服をまとい、同じような音楽を聴き、同じようなファストフードを食べる、そういう光景が当たり前になってきている。

 彼は、それを “息苦しい” という一方で、それを肯定もする。
 そこのところが、私にはよく分からない。
 彼はこういうのだ。
 
 「このような画一化を批判する人もいる。たしかに、地方性や固有性がフラットに均され、世界中がマクドナルドとハリウッドに収斂していくのは退屈かもしれない。
 しかし、そもそも人間は、民族や歴史の差異にかかわらず、みな同じ身体をしている。
 となると、求めるものにそこまでバリエーションがあるわけではない。その前提のうえで、商業施設や交通機関といったインフラのデザインが効率的な形に収斂していくのは、別に暴力でもなんでもなく、一種の必然のように思う。
 …… そこで文化の多様性が失われるとしても、それはやはり歓迎すべき動きである。それは、アジアやアフリカの人々が、貧困や病気といった苦しみから今急速に解放されつつあることを意味するからである」

 というのが、彼の言い分。
 世界の均一化を「息苦しい」という反面、一方ではそれを肯定する。
 この本を読んでいて、どうも印象が拡散してしまうのは、彼のそういう立ち位置のあやふやさが作用している。

 でも、それこそが、彼のいう「ノイズ」なのであろう。
 整然と矛盾なく整理された情報ではなく、光の当たり方によって、さまざまなきらめきを生み出すノイズ。
 それが大事だという彼の主張は、このようなベクトルの異なる視点の混在によって保障されていると見るべきかもしれない。

 最後に、この本で面白かったと思える部分を挙げる。
 それは「性」についての記述。
 彼は、18世紀の思想家ジャン・ジャック・ルソーに言及して、次のように語る。

 「ジャン・ジャック・ルソーは、文学史的に見ると、はじめて性について赤裸々に描いた作家でもある。
 … ルソーは、唯物論的に、人間をとても生々しくとらえていた。(僕は)、ネットは強い絆をますます強くする世界で、そこにノイズを入れるためにリアル世界があるのだと思っているが、そう考えると、人間に「性」があるということはとても重要だ。なぜなら、性の欲望はまさに人生に “ノイズ” を入れるものだからだ。
 (男と女が)一晩一緒に過ごしたという関係性が、(その人の)親子や同僚といった強い絆をやすやすと超えてしまうことがある。社会的に大成功を収めていた人が性犯罪で破滅することがあるかと思えば、まったくの敗北者が権力者(との性の結びつきで)政治を左右するようなパートナーになったりする。
 そういう非合理性が、人間関係のダイナミズムを生み出している。もし人間に性欲がなかったら、階級は今よりもはるかに固定されていたことだろう。人は性欲があるからこそ、本来ならば話もしなかったような人に話しかけたり、交流を持ったりしてしまう。
 ……人間は、目の前で異性に誘惑されれば思わず同衾してしまう、そういう弱い生き物であり、だからこそ、自分の限界を超えることができる」

 あらゆるアートや文学では、恋愛が大きなテーマとなっている。
 恋愛とは、身もフタもなくいえば「性衝動」である。
 ネットには、性衝動を満足させるようなあらゆる画像や記述があふれている。
 しかし、それは単なる「情報」でしかない。
 情報である限り、そこには「人」はいない。
 「人」がいなければ、性衝動は、単なる個人の排泄欲求のひとつにすぎない。

 東浩紀のこの本は、「リアル旅」と「VR旅」の違いを明らかにするとともに、「リアルセックス」と「VRセックス」の差も、いみじくも指摘しているように思える。
 
 
参考記事 「東浩紀 動物化するポストモダンの現代人」

参考記事 「ヒト型ロボットの誕生で、男の性欲はますますバーチャル志向になる」

参考記事 「都市と消費とショッピングモール」

参考記事 「二人のルソー (アンリ・ルソーとジャン・ジャック・ルソー)」

 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ, 映画&本 | 4件のコメント

ナッツRV感謝祭 2014

 
 ここのところ年に1回、静岡県の富士ふもっとぱらキャンプ場で開かれるナッツRVのユーザー感謝祭も、今回で11回目。
 過去3回お声をかけていただいたので、今年も取材に行った。


 ▲ イベント翌日の午前中は快晴 

 天気予報では、当日と翌日は雨。
 その予報を聞いたユーザーからだいぶキャンセルの連絡があったらしく、当初の400台という申し込みよりも減りそうだとスタッフは話していたが、それでも最終的には340台が集合。
 うぉー !
 前回の感謝祭よりもさらに増えた。
 参加者も、北は北海道から南は九州に及び、全国のナッツファンがここに集結したという感じ。まさにナッツ車の人気の高さが分かろうというものだ。

 なにしろ今の日本で、同一メーカーのキャンピングカーが300台以上も集まるキャンプイベントというのは、ほかにない。
 340台集まったユーザーの中には、シニア夫婦もいれば子供の多いファミリーもいる。特にナッツユーザーにはファミリーが多いから、1台が平均3人家族で構成されていると計算しても1,020人。4人家族ならば1,360人。
 これもすごい数。

 取材陣の数も多くて、「オートキャンパー」、「キャンプカーマガジン」、「ガルヴィ」、「カーアンドレジャーニュース」、「キャンピングカースーパーガイド」などのキャンピングカー専門メディアやアウトドア専門メディアがこぞって参加。この大会が報道ネタとしても十分な価値があることを示唆しているようだ。

 ▼ 1,000人以上の家族が集まった集合写真

 小雨が降り続く中での開催ではあったが、雨なんかにもめげない元気なユーザーが集まってくるのも、このイベントの特徴。
 開催に先立ち、ナッツRVの荒木社長 ( ↑ 左) がステージに登場。
 「新しい遊びの提案と、出会いの場を提供することが、この会の目的です」
 という挨拶のあと、すぐに、場が盛り上がるジャケン大会 (↓) が始まった。

 

 なにしろ、このイベントの景品の量と豪華さはハンパない !
 キャンピングカー乗りには必需品であるサイドオーニング、ソーラーパネル、サブバッテリー。10万円を軽く超えるような商品でも取り付け工賃込みで、ジャンケン大会や抽選会、ビンゴゲームなどでふんだんに振る舞われる。
 子供たちを喜ばせたのは、プレステ4HDDやニンテンドー3DSのような人気ゲーム機。
 さらに、キャンピングカー旅には欠かせないクーラーボックス、発電機、各種自転車、アウトドア用チェア。
 ほかに、ビール詰め合わせ、ラジコンカー、プラモデル、ぬいぐるみ、お菓子類、お米、Tシャツ、タオル……。
 最低でも、1家族に1品の割合で当たるほどの景品が用意された。

 ▼ 自転車を射止めた奥様

 ▼ オークションを楽しむ参加者たち

 この感謝祭の特徴は、“大人も子供も楽しめる” こと。
 ジャンケン大会 (↑) や抽選会、ビンゴゲーム、オークションなどには大人向け商品と同時に、子供向け商品が豊富に用意され、さらに射的、輪投げ、ヨーヨー釣り、ダーツなどで遊ばせてくれる “縁日” (↓) には毎回長い列ができる。 

 1,000人を超える参加者たちの食事の世話もたいへんだ。
 ステージ横には、軽食コーナー・フードコーナーのテントが並び、焼きそば、豚汁、から揚げ、コロッケ、ポテトフライ、ポップコーン、ドリンクなどが行列をつくるユーザーたちに手際よく配られていく。
 
 
  
 ▼ アウトドア専門誌の「ガルヴィ」もおでん作りで応援
 
 

 ▼ ナッツ荒木社長も先頭に立って、カレーライスの提供にいそしむ

 ▼ フードコーナーの裏舞台を覗くと、まるで火事場のような大騒ぎ。それでも大量の食材が、ナッツスタッフの手で、見事なほど手際よく調理されていく。


 
 開催2日目の朝は、恒例のカレーサービスがあるのだが、前日の雨のせいか、自分のサイトで朝食を作る人が減ったため、途中でカレーが足りなくなるという事態が発生。
 このときの対応も鮮やか。
 荒木社長の号令のもと、一度きれいに洗われて運搬車の奥に仕舞い込まれたカレー鍋や食材が再び持ち出され、調理担当のスタッフが急いでカレールーやご飯の準備を再開。
 ものの40~50分で、参加者全員に行き渡るほどの追加カレーが用意されたのだ。
 そのスタッフたちの集中力、参加者に喜んでもらうための誠意。それらの徹底ぶりには目を見張るものがある。


   
 初日のユーザーイベントが終了し、フードコーナーや縁日のテントが片付けられた後、荒木社長がスタッフと報道陣を慰労するためのささやかな集まりを開いた。
 缶ビールなどを開けて一日の疲れをねぎらう気楽な宴であったが、驚いたのはスタッフたちの仕事にかける熱い情熱。

 きさくな飲み会のノリでいいはずなのに、私の横に座ったスタッフの二人が、営業の心得のようなものを議論し始めたのだ。
 私は、別の人と会話しながらも、そちらの議論にも興味が働いて、つい盗み聞きしてしまった。 
 彼らの話は、単に営業戦術のノウハウを交換するような話ではなく、テーマはビジネス哲学。一種の人間論。
 まさに、今のこの会社のパワーが、そんなところにも象徴されているのかもしれない。 

 翌日の午前中には雨もさっぱりとやんで、帽子のような雲をかぶった富士山のシルエットも顔を見せるようになった。
 富士ふもっとぱらキャンプ場の景観を特徴づける池 (↓) にも、明るい陽射しが跳ね返る。

 カメラを片手に、ユーザーのサイトを覗く。
 とにかく、これだけのユーザーが集まると、個性のある車を披露する人たちの数も増える。
 会場のサイトを歩いてみると、人気漫画のキャラクターなどを外装にあしらったユーザーの車 (↓) も目立つ。 

 ペットの数と種類もたいへんな数 (↓) 。まるでドッグショーの会場にでも入り込んだような気持ちになるエリアもあった。

 地面がぬかるんだため、人気の綱引き大会などは中止となったが、来年はキャンプ場の許可をとって、キャンプファイアの周りでフォークダンス大会をやりたいと、閉会式の挨拶で社長は語った。
 盛大な花火大会を催した回もあったし、プロの歌手を呼んでのコンサートもあった。このイベントのアトラクションは、常に新しい意匠を盛り込んで参加者を楽しませている。
 
  
関連記事 「ナッツRV感謝祭2013 富士ふもとっぱら」
  
  

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VR時代のRV

 
 キャンピングカープラザ大阪から発売されたNV200ベースのキャンピングカー「RIW(リュウ)」の開発コンセプトの解説には、次のような記述がある。(↓ 以下、多少意訳)

 「20世紀末に勃発したデジタル革命の進行により、バーチャル世界がものすごい勢いで、リアル世界に浸透している。
 このままいくと、21世紀の中頃には、大多数の人間は自分の部屋から一歩も出ることなく、安楽な仮想世界で楽しめるようになるかもしれない。
 しかし、もしかしたら、人類の頭脳の総和をはるかに超えるスーパーコンピューターによって、人類そのものが抑圧的に管理されてしまうというSF物語のような世界が生まれる可能性もある」
 ……と、その解説には書かれている。
 
 で、この「RIW」というキャンピングカーは、世の中がそのようなバーチャル世界に侵食されてしまう前に、ありのままの地球の姿をしっかりと目に焼き付けておくために開発された “アウトドア志向” の強いキャンピングカーだという。

 この開発コンセプトの解説文を読んでいて、深い感慨に襲われた。
 ―― これからの時代は、たとえキャンピングカーであろうとも、もうこのような未来予測をしっかり持たなければ開発できない時代になったんだ … という感慨である。

 最近、コンピューター技術を駆使して、リアル世界と同等の現実感を人間に体験させる世界を、「VR」という言葉で説明しようとする動きが出てきている。
 「VR」
 バーチャル・リアリティー=仮想現実という意味だ。
 そういう言葉がマスメディアに頻繁に登場するようになってきたということは、“VR商品” がついに一般マーケットにも浸透してきたことを物語っている。

 その一つの例が、アメリカの「Ocrulus(オキュラス)VR」社が開発した、ヘッドマウンティング・ディスプレイ(オキュラス・リフト)。
 要するに、“安眠用アイマスクのお化け” みたいな装置を頭に取り付けるだけで、自分が恐竜時代にタイムトリップしたり(ジュラシックパーク)、海底を遊泳しているうちにサメと遭遇したり(ジョーズ)、宇宙船を操縦して敵の宇宙船とバトルを展開したり(スター・ウォーズ)できるというわけだ。

 視覚部分を刺激するメインとなるものは、今のところ液晶パネルだが、魚眼レンズとPC側での逆補正を組み合わせることで、体験者は完全にバーチャル領域に入り込んでしまうらしい。
 頭を動かせば、それに応じて視覚に飛び込む映像も360度対応するため、うっかりすると、「自分が今バーチャルな世界にいる」ということを忘れてしまうほどのリアリティーがあるのだとか。

 昔、ある雑誌に、この装置を紹介するためにレポーターが自ら実験台となって装着したときのルポが掲載されていたことがあったが、「海底でサメが近づいてきたときは、その恐怖で心臓が張り裂けそうになった」という告白が載っていた。

 たぶん、きっとその逆もあり得るだろうから、体験者が、世界遺産になるような景色や建物の中に入り、その美しさや面白さを、まるで現地に行っているかのように楽しむことも可能になるだろう。

 元ライブドア社長である堀江貴文は、次のように言っているらしい。
 「VRを体験すれば、その世界観の凄さに誰もが驚く。(この技術を応用すれば)ゲーム類がよりリアルになるだけでなく、旅行や過去の思い出に浸ることもできる。宇宙でもニューヨークでも行き放題。動画を撮っておけば、死別した人にだって(リアル世界と同じ感覚で)会える」(週刊朝日 10/10号)

 このようなVRコンテンツを制作するための撮影機材などは、今後さらに小型化・高性能化の一途をたどり、2020年の東京五輪では、VRでの観戦が当たり前になるとも言われている。
 
 ただ、現在のところ、VR機器の代表選手であるアメリカの「オキュラス・リフト」の価格は4万円もするらしい。
 だから、すぐには子供のゲーム機にまで浸透してこないだろうが、日本の理化学研究所では、このオキュラス・リフトのシステムを低価格帯でも売れるように簡易化した「ハコスカX」なる装置を開発。その装置を頭に被り、所定のアプリに用意されたデータを自分のスマートフォンにダウンロードするだけで、アメリカ製のオキュラス・リフトと同じようなVR世界が体験できるようになったらしい。

 ま、ここまでは3D映画を見るときに使うメガネの “上級版” といった感じで、人間のライフスタイルがそんなに変化するようには思えないが、現代の技術は、さらにその先を行っている。

 VRの次の段階では、いよいよチップやセンサーなどの人工物を、人体の内側に組み込むような研究が進んでいるらしいのだ(週刊文春 11/06号 = 辻野晃一郎のビジネス進化論)。
 つまり、人間の神経細胞レベルのナノコンピューター・デバイスを作って人体に埋め込み、人間の頭脳中枢をコンピューターに直結させて「意識」をコントロールできるようになるというわけだ。
 さらには、脳細胞に存在する情報を取り出して、外部ネットワークとやり取りすることも可能になるらしい。

 ここまで来ると、もうSFだ。
 『マトリックス』や、『ブレードランナー』的世界が身近に迫っているような気がする。
 たぶん、そういう時代になると、人類はそれを “特殊” なことだと思わずに、「時代の流れだ」と面白がって、何の抵抗もなく受け入れていくだろう。
 
 現に、スマホがそういうテクノロジーの到来を示唆している。
 電車の中でも、街を歩きながらでも、スマホに没頭している人は幾何級数的に増えている。
 そういう光景を、もう誰も奇異には思わない。

 スマホの先には、コンピューターネットワークが広がっている。スマホ族は、(辻野晃一郎氏的にいうと)、恒常的に、個人の意識を広大な電脳ネットワークの世界に「プラグイン」しているということになる。
 それは、多様な情報を個人が自由に取捨選択しているように見えながら、実は、キャラのない、… つまりは、もう「人間」ともいえない抽象的な電脳システムのもとに管理されているということに他ならない。
 
 こういう時代の「旅」とは何だろう … ?
 と、考えざるを得ない。
 キャンピングカー「RIW」は、世の中全体がそういう流れに染まってしまう前に、地球の本当の姿をこの目に焼き付けておく … という開発コンセプトを謳った。
 しかし、VRがより巧妙に、より鮮明に、自宅にいながらの「旅」を実現してしまうようになったら、リアルな旅というのは、ただの面倒くさい “肉体の行使” にすぎなくなってしまうのではなかろうか。
 
 さらにいえば、そのようなバーチャルな旅の美しさと楽しさに慣れた人間の目が、リアルな旅に対し、それと匹敵するような魅力を感じることができるだろうか。
 汗水垂らすだけのリアル旅が、VRの旅と拮抗できるのか?
 
 「旅もスポーツだ」と割り切ればいいという声が出そうだが、VRは、そのスポーツでさえも、椅子に座った状態で楽しめるようにしていくだろう。
 現に、自動車の世界でも、このVRを活用することによって、クルマの特性 … すなわちコーナリングのロール感とか、ハンドリングとか、エンジンの吹けなどを、実際に運転をせずとも体感できるようなプログラムが開発されていると聞く。

 VR時代のRVとは何か?
 電脳的なプログラムとは異質の「旅」を約束できるRV開発は可能か?
 キャンピングカー業界も、あと10年もすれば、そういう問題を突き付けられそうな気がする。
  
 
関連記事 「新キャンピングカー 『RIW』 」
  
関連記事 「VRの旅と、リアルの旅」 (本稿の続編)
 
   

カテゴリー: campingcar, コラム&エッセイ | 5件のコメント

アメリカン・ポップスがビートルズに駆逐されるまで (昔の洋楽の話)

 
 このブログのコメ欄にコメントをお寄せいただいた読者の方が、私のプライベートメールの方にも、私が好みそうな洋楽のソースを拾ってきては紹介してくださるようになった。
 19歳だという。
 私との年齢差は45歳ぐらいある。

 それなのに、60年代あたりのR&Bが好きだったり、70年代から80年代あたりにかけてのフュージョンが好きだったりする。

 時代の流行音楽というのは、それが巷に流れていた時代が過ぎれば、なかなか新しいファンを獲得するのが難しいものだが、昨今YOU TUBEなどで昔のヒット曲が簡単に聞けるようになったせいか、若い人の中にも、過去の名曲を楽しむ層が広がってきたような気がする。

 そんなこともあって、自分がなぜ洋楽を聞くようになってきたのかということを、漠然と思い出してみる機会があった。

 こういう話は、自分の年齢と無関係に進めることはできない。
 1950年生まれ。64歳。
 もの心がついた頃、… つまり5~6歳ぐらいだった自分の周りには、童謡か歌謡曲しかなかった。
 J ポップなどあるわけもなく、ジャズもロックもなかった。
 当時、耳馴染んでいた曲といえば、「ゾウさん」みたいな童謡のほかは、春日八郎の「お富さん」、ペギー葉山の「南国土佐を後にして」、曽根四郎の「若いお巡りさん」、高英男の「雪の降る町を」、若原一郎の「おーい中村君」という、戦前の匂いが立ち込めるような昭和歌謡だけだった。
 
 この時代、ビル・ヘイリー&コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」、プラターズの「オンリー・ユー」などもアメリカでは流行っていたが、それを自分が聞くようになったのは、ずっと後の話だ。
 
 ラジオから洋楽が流れ出したのは、… というか、自分が洋楽番組があることを意識したのは、ようやく1960年代初期、小学校の5年生から6年生になった頃である。
 デル・シャノンの「悲しき町角」。
 パット・ブーンの「悲しきカンガルー」。
 ニール・セダカの「悲しき慕情」。
 ケーシー・リンデンの「悲しき16歳」。
 ヘレン・シャピロの「悲しき片思い」。
 ジョニー・ディアフィールドの「悲しき少年兵」。
 ジョニー・プレストンの「悲しきインディアン」 。
 スティーブ・ローレンスの「悲しき足音」。
 ハーブ・アルパートの「悲しき闘牛」。
 ザ・カスケーズの「悲しき雨音」 ………

▼ ニール・セダカ 「悲しき慕情」

 私にとっての“洋楽”は、「悲しき…」というタイトルを持つものだという固定観念がそのとき生まれた。

 しかし、歌を聞いていても、ほとんどの曲から “悲しい情感” というものが伝わってこない。
 弾むようなメロディー。ポップでリズミカルなビート。
 「アメリカ人は、こういう曲を悲しく感じるのだろうか?」
 聞いていて、不思議でならなかった。

 後で知ったことだが、原曲のタイトルには「悲しき」などという言葉を持つものがほとんどなかったのだ。
 とりあえず「悲しき」を頭に持って来ればヒット曲が生まれるという日本の洋楽担当者の、いい加減な、かつ商魂たくましい戦略にすぎなかった。

 でも、それは自分にとって、新しい発見だった。
 洋楽というのは、「楽しい曲に悲しいというタイトルをつけることをいうのだ」という驚きは、カルチャーショックとして心に刻まれた。
 タイトルも、曲調も、歌詞もすべて悲しい情感に統一された日本の演歌とは異質の文化との遭遇だった。

 この小学生のときに聞いた “悲しきシリーズ” に代表される洋楽は、次第に私の音楽的感性に色濃い影響を与えていくことになる。

 この時代に流行歌していた洋楽は、ほぼアメリカ産。
 ときにイタリアのカンツォーネも混じったが、どちらもファンシーで、メローで、スイートで、センチメンタル。
 スポンジケーキの上に、べたべたに甘いバタークリーム・生クリームを3倍くらい盛り付けたような甘さを極めたサウンドが特徴だった。
 当時、好きだった曲は、シェリー・フェブレイの「ジョニー・エンジェル」。ポール・アンカの「あなたの肩に頬を埋めて」。ポールとポーラの「ヘイ・ポーラ」。
 「なんて甘いメロディーなんだろう !! 」
 ため息が出た。

▼ シェリー・フェブレイ 「ジョニー・エンジェル」

 “極甘” の音楽世界が、後年になって強烈なノスタルジーを誘うことは、映画 『アメリカン・グラフティー』 (1973年)を見ているとよく分かる。
 ジョージ・ルーカスは、自分自身の高校生活を甘美な映像として残すために、あの映画を作った。
 登場人物たちが無邪気な青春を送れば送るほど、後年それを回顧するときに、泣きたくなるようなノスタルジーをかもし出す。『アメリカン・グラフティー』 は、ベトナム戦争前に青春を送った世代に対する “心地よい泣き” を約束してくれる音楽映画 であったかもしれない。

▼ 映画 「アメリカン・グラフティー」

 甘い洋楽は、今でも自分の音楽の嗜好の原点にある。
 後年、R&B志向が自分の中に生まれたときも、基本は “甘茶ソウル” 。メロメロにスイートなサウンドがやはり自分の好みの底流に流れている。
 ソウルミュージックに染まったのは、二十歳を過ぎてからだったが、結局、これが今でも自分のもっとも好きな音楽ジャンルとして定着した。

 小学校を卒業してからは、われわれの世代にはある程度共通する “ビートルズ体験” となる。
 ビートルズの「抱きしめたい」、「プリーズ・プリーズ・ミー」、「シー・ラブズ・ユー」などがラジオから流れてきたのは、1963年。中学1年のときだ。
 騒音 !
 … とはいわないまでも、あの暴力的な音に、極甘サウンドに慣れた耳が着いていかなかった。
 違和感7 対 共感3 … といったところか。
 
 しかし、音楽に対する違和感というものは、新しい「刺激」という形をとって、容易に共感に変わる。
 ビートルズの曲を10回ぐらい聞いた後は、共感10 対 違和感ゼロになった。

▼ ビートルズ 「シー・ラブズ・ユー」

 この時代、なぜビートルズサウンドがあっという間に世界的共感を集めるようになったのか。
 楽曲的解説は、すでにあまたある。
 意表を突くコード展開。
 6度のハーモニー。
 絶妙なシンコペーション。

 音楽理論的な分析は枚挙にいとまがない。
 しかし、そんな小難しい解説など、小学生か中学一年くらいの成熟した耳を持たない子供にはどうでもいいことだった。

 「若者」の誕生。
 彼らのブームを分析する言葉は、それ以外にない。
 それまでの音楽には、子供の音楽か、大人の音楽しかなかったのだ。
 メローなアメリカン・ポップスは、背伸びした “子供の音楽” 。
 子供が一気に大人の“快楽”を手に入れようとしたときの「疑似的大人感」を味わうための音楽にすぎなかった。

 もちろんビートルズ以前にも、すでにロックンロールは登場していて、エグイ不良的サウンドを奏でていた。
 しかし、それは、“反抗期の子供” の音楽。
 不良を卒業すれば、やがてビング・クロスビーやフランク・シナトラを聞くことになるだろう、という予定調和が約束された人たちの “一時的な反抗の音楽” だった。

 しかし、ビートルズは、はじめて「大人」でもなく、「子供」でもない、「若者」という存在を明らかにした音楽だったように思う。
 ある意味でそれは、成熟してきた世界資本主義が、大人と子供だけのマーケットでは利潤が確保できないようになったため、「若者」という新しい市場を獲得するために “若者文化” なるものを用意し始めた時代と歩調を合わせている。

 そして、ビートルズは、そういう若者マーケットの掘り起しなどという世界資本主義の思惑など意識することもなく、世界中に「若者」を作り出してしまった。
 
 若者が、自分で「若者」を意識するときの最大の事件は、「恋愛」である。
 ビートルズは、「恋愛」が、男女のスイートなときめきでは収まらないものであることを、そのサウンドと歌詞で謳いあげた。
 デビューシングルは「ラブ・ミー・ドゥー」である。
 「♪ 俺に惚れろ、こんにゃろめ !」
 と脅迫したのだ。
 次のヒットシングルは、「シー・ラブズ・ユー」。
 「♪ あいつはお前の方が好きなんだぜ」
 やけっぱちな恨み節。
 「恋愛なんて、うまくいくわきゃないんだ」、と思い込んでいる不器用な思春期を送っている若者たちに向かって、彼らはめっちゃくちゃリアルな世界を現出させたのだ。やけっぱちに軽快なロックビートに乗せて。

 ただ、ビートルズが流行り出したころ、すべての若者が最初からビートルズファンになったわけではなかった。
 今でも明瞭に覚えているのは、「あんな女みたいに髪の毛伸ばして、楽譜も読めないような連中の音楽のどこがいいの?」というクラスの同僚たちの冷たい反応。
 中一の頃、休み時間にビートルズの話ができるのは、わずか2~3人にすぎなかった。

 アンチビートルズ派にとって、違和感が共感に変わることは、その後もなかったのかもしれない。
 エッセイストで、小説家でもあり、ワイドニュースのキャスターも務めたことのある亀和田武氏は、この頃の音楽体験を次のように語っている。
 「ビートルズが憎かった。それまでなじんできたメローでスイートなアメリカンポップスを葬り去ったビートルズは、天敵のように思えた」

 その彼が、後にローリング・ストーンズのファンになっていったというのは、この “ビートルズ憎し” がつのった復讐心のなせるワザだったような気もする。

 それはさておき …… 、とにかく中学生活の3年間は、私は「ビートルズ少年」として過ごし切った。
 もちろん、ストーンズも含め、同時代の “リバプールサウンズ” というものはほとんど聞き尽くした。
 サウンド的には、ストーンズの方が荒々しかったし、「朝日の当たる家」を歌ったエリック・バードンのドスの利いた声には、怖さすら感じた。
 しかし、あの時代、ほんとうの意味での「毒」を持っていたのは、ビートルズだけだったような気がする。

 明るく陽気にロックロールを奏で、しんみとラブバラードを歌うビートルズ。
 しかし、その底には、普通の音楽ファンには分からない虚無と退廃があった。
 それが少しずつ明らかになっていったのは、アルバムでは「リボルバー」以降、「サージャント・ペッパーズ・ロンリー・クラブバンド」や通称「ホワイトアルバム」ではその片鱗がはっきりした形を取り始め、「マジカルミステリーツァー」や「イエローサブマリン」ではそれが全開になっていく。
 そして、それが “美しい怖さ” になったのが、「アビー・ロード」。

 「マジカル・ミステリーツァー」以降、彼らの曲には童謡のような明るく陽気な曲がたくさん登場する。
 一見、無邪気な子供時代に返ったような曲調。
 ディズニーアニメのようなほのぼのとしたポップ感。
 しかし、それはビートルズの「毒」なのだ。
 そのあたりの歌からかいま見えるのは、ルイス・キャロルの『不思議な国のアリス』のような悪夢の世界だ。
 LSDなどのドラッグが醸し出す、神経が侵されるときの高揚感にも近い。

 私が、特に個人的に怖いと感じるのは、ジョン・レノンの「ストロベリーフィールド・フォーエバー」である。
 「名曲」と評価する人も多いが、歌詞も含め、サウンド全体から永遠に覚めることのない夢に引き込まれるような恐ろしさが漂う。

 …… 「ストロベリーフィールドへ君を連れて行きたいな。この世にリアルなものなんか何もない。だから目を閉じて生きる方が簡単さ。永遠の楽園ストロベリーフィールドに、君を連れて行きたいな」

 子守唄のようにささやくジョン・レノンの “ストロベリーフィールド” とはどんなところか。
 それは、永遠に陽の昇ることのない、無明長夜の闇の道。
 限りなく「死」に近いけれど、その「死」にもたどり着けない世界。
 そんな 「負」の酩酊感に引きずり込む怖さが、この曲には漂っている。

 そして、曲がいったん終わったかのように思える数秒を経て、テープを逆回転させたような不思議な音が、地面の裂け目から浮上してくるときの怖さ。
 「これって、ホラーじゃね?」
 と思えたくらいだ。
  アルバム「サージャント・ペッパーズ … 」の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」にも、こういう怖さがある。
 逆にいえば、そういうところがビートルズの “凄さ” といえば、凄さなんだけど …。
 
▼ ビートルズ 「ストロベリーフィールド・フォーエバー」

 ビートルズの「毒」を本能的に理解したのは、新興宗教的な疑似共同体のカリスマ的指導者であったチャールズ・マンソンのような犯罪者だった。彼は、その狂気に満ちた世界観をビートルズの「ヘルター・スケルター」に象徴させている。

 そのように、ビートルズの音楽は、一般的なファンには感じられないものの、神経が異様に高ぶった者には、ある種の「毒」に近い快楽を持っていたともいえる。
 だから、ビートルズの最後期の「レット・イット・ビー」などには、そのドラッグの酩酊感から覚醒した後のような、静寂に満ちた透明感が漂うようになる。

 私にとって、ビートルズが絶対的な “神様” だったのは、高校生ぐらいまでだったかもしれない。
 大学に入ってからは、もろにニューロックの影響を受けることになる。
 ラジオから流れてきたジェファーソン・エアプレイン、ジミヘン、クリーム、ツェッペリン、ドアーズ、ジャニス・ジョプリンなどの音は、世界の音楽が一変したことを感じさせた。
 
 これ以降の話は、すでにこのブログの「音楽」というカテゴリーでたくさん書いている。
 とりあえず、今ここでお話しできるのは、このくらいまで。
 いずれ、続編も書きます。
 少しでも興味を感じてくださった方は、本ブログの「音楽」カテゴリーを逍遥してくださるとありがたい。
  
 
参考記事 「悲しき闘牛と皆殺しの歌」

参考記事 「ジョン・レノンのバラードに潜むエスニックな響き」
 
参考記事 「ビートルズの評価」 

参考記事 「ジョン・レノン 『イマジン』 の予言」 

参考記事 「ホワッツ・ゴーイング・オン」

参考記事 「大好きスモーキー・ロビンソン」

参考記事 「70年代スイートソウル」

参考記事 「70年代スイートポップス」

参考記事 「ブルースに抱かれて眠る」

参考記事 「音楽の危険な匂い (FREEについて) 」 
  
 

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2014アネックスキャンプ大会

 
 関西のキャンピングカービルダー「ANNEX(アネックス)」のキャンプ大会がこの10月25日~26日に、静岡県浜松市の「渚園キャンプ場」で行われた。
 お声をかけていただいたので、カミさんと二人で参加させてもらった。

▼ 美しく陽が沈んでいく渚園キャンプ場の湖畔

 今回の大会は「50th Anniversary ANNEX CAMP 2014」。
 

 
 50周年 !!
 同社が自動車販売業・板金塗装業などを手掛けるようになってから、ビルダーの道を歩み始めるまでの50年の歴史を記念する一大イベントだったのである。
 そこで、地元の営業拠点を代表する「キャンピングカープラザ大阪」と、関東地区を受け持つ「キャンピングカープラザ東京」および全国のANNEX車オーナーが参加する参加する盛大なものとなった。
 参加した車両台数は、約70台。
 参加人数は、約210人。
 同行したペット数、犬50匹。

▼ 集合写真撮影のために集まった70ファミリー。


 
 天候にも恵まれ、美しい芝生のフリーサイトに整然と並んだ白いキャンピングカーの姿が目に沁み込むように鮮やか ( ↓ ) 。


 
▼ 楽しそうにくつろぐユーザーたちの姿を眺めながら、アネックス田中昭市社長もうれしそう。

 中央ステージでは、昼過ぎからライブパフォーマンスが繰り広げられ、飛び込みでステージ上で歌うユーザーたちに交じって、アネックス社員たちが “なつかしの昭和歌謡” などを披露 ( ↓ ) 。

▼ ステージのライブを楽しむ聴衆たち


 
 ステージ横には、軽食コーナー・おやつコーナーなども設けられ、アネックス社員や腕に自信のあるユーザーたちが自慢の腕を奮った名品の数々が並ぶ。

▼ 東京・葛飾柴又で老舗スイーツを制作・販売しているユーザーさんの屋台「壺焼き芋」コーナー。あまりもの人気に、東京でもすぐ品切れになる焼き芋と芋ようかんがたっぷりと味わえる。芋を蒸す壺は、一個 … 十万という貴重なもの。

▼ キャンピングカープラザ大阪の高西さんが担当する大判焼きコーナー。

▼ 料理名人として知られる「キャンピングカープラザ東京」の“木村シェフ”は、得意のソースで絶品パスタなどを仕上げて、参加者に提供。 

 豪華賞品の抽選会なども開かれ、夜になっていよいよ盛り上がった同キャンプ大会。
 ステージ進行を受け持つMCから、突如、
 「皆様もびっくりのスペシャルゲストの登場です !! 」
 という紹介の後に、飛び出してきたゲストに会場は騒然。 
 

 「うわぁー、日本エレキテル連合だぁ !! 」
 というどよめきとともに、「だめよ~、だめ、だめ」のおなじみの声が会場内に響き渡る。
 一瞬、私も驚いた。
 「アネックスさん、よくあの連中のスケジュールを押さえられたな。それにしてもギャラばか高いだろー」
 と思ったのだが、よく見ると、プラザ大阪の高西さんたちの扮装。
 田中社長も、
 「出し物を考えておけと言っておいたので、何かやってくれるだろうと期待していたけれど、まさか、これをやるとは…」
 と、半分絶句しながらも、面白そうに笑い転げる。

 その後は、「テーマ別かたらいコーナー」という集まりが企画され、
 ① グルメ愛好家の集まり
 ② お酒愛好家の集まり
 ③ ペット愛好家の集まり
 ④ 「くるま旅」愛好家の集まり
 … など、各ユーザーがそれぞれ分かれて、自分の興味を持ったテーマを語り合うユニークな企画が進んだ。

▼ 「くるま旅」愛好家の集まり。ここは充実したセミナー形式で談論が行われたようだ。

▼ お酒愛好家の集まり。乾杯だけで楽しそうに盛り上がっていく、ただの「のんべいの会」だった。

 夜のひと時、田中社長から、アネックス50年の歴史を振り返る貴重な談話をいただくことができた。
 手広く事業を拡げた先代の後を継ぎ、キャンピングカー一本に絞り込んでいった田中さんの半生記は、言葉にすると、なかなか含蓄のあるもの。
 彼なりのキャンピングカー作りの哲学というものをじっくり聞かせてもらう貴重な時間となった。

 なかでも印象に残っているのは、「キャンピングカーという狭い空間だからこそ、逆に得られる、広大な世界」という話。
 キャンピングカーの窓から眺める自然の景色だって、小さく切り取られるからこそ、その見えない部分が無限に広がっていく。
 それを可能にするのは、ユーザーのイマジネーション。
 そして、そのユーザーのイマジネーションを引き出すビルダーの想像力も、またそのときに試される。

 話を聞いていて、「面白い発想を持つビルダーさんだな」と感心した。
 多くのビルダーは、まず新技術や新装備を手に入れたとき、それが可能にする新しい車両コンセプトを構築するという方法で、新車開発を進める。
 しかし、田中さんは、まず「新しいライフスタイル」というものから企画を練り込んでいくようなのだ。
 「こんなライフスタイルを創造するためには、どんなキャンピングカーがそれを可能にするのだろう」
 そこから企画をスタートさせる。

 ときに、これまでのキャンピングカーの “常識” をくつがえすようなアイデアが生まれる。
 しかし、それに強引に “形” を与える。
 すると、そのキャンピングカーが、アッと驚くほどの新しい空間を獲得する。
 アネックスの人気バンコンとなったリコルソ、新しいバンコンのRIWなどは、まさにそのような発想から生まれてきたものだ。

 話の途中、同社の工場長を務める石原さんも参加。
 技術畑の人なのに、アートや歴史に関する知識もめちゃ豊富。
 中学生の頃から、レオナルド・ダ・ビンチが大好き。
 芸術の巨匠として知られるダ・ビンチが、技術者としてガトリングガンの原型を考案していたことに衝撃を受けたという。

 「人々を大量殺人に追い込む兵器を考えた人間が、同時に大量の人を感動させる芸術を生み出していたんですよ」
 そう語る石原工場長は、巨大な人間しか持ちえない想像力の広がりに、ショックとも感動ともつかない複雑な思いを抱いたという。
 人間は、恐ろしくもあり、偉大でもあり、美しくもある。
 そんな石原氏の感慨も、アネックスキャンピングカーの開発思想に、少なからず反映しているのかもしれない。

 自分にとっても、キャンピングカーを新しい視点で眺めることができるようになった貴重な体験だった。

▼ 日曜日の「マイカー&サイト自慢コンテスト」の表彰風景。キャンピングカー専門誌の『CAMP CAR MAGAZINE』の井田さんから、愛車にユニークな意匠を考案して採り入れたユーザーに表彰状と記念品が授与された。


 
 
参考記事 「新キャンピングカー 『RIW』 」
 
 

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新橋 「ジン アンド トニック BAR」

   
 「BAR」という空間が、洋酒を中心としたお酒を飲ますところ、という漠然とした常識は当然持っていたけれど、その本当の楽しみ方というものを、実は、自分はあんまり知らなかったのではないかと思わされた体験をした。

 堅苦しいことを言うわけではないが、たとえば、カウンターの奥に並べられた数々の洋酒の瓶を眺め、そのボトルの形の美しさ、中身の味わい、それにまつわる種々のエピソード …… なんてものに興味を持つか持たないかで、楽しみ方がうんと違ってくることがあるのだ。

 もちろん、そんなことに気をはらわなくても、良いバーは十分にお客を楽しませてくれる。
 だけど、もしお客が、自分の飲もうとするお酒に興味を持ったら、良いバーは、必ずそのお客に合った素敵な “物語” を用意してくれる。
 
 物語とは何か。
 
 たとえば、メニューから、何かの酒を選ぶとする。
 それを水で割るのか、トニックウォーターで割るのか。
 そこから “物語” は始まる。
 水だって、選び抜かれた水で割れば、味が違うだけでなく、まずグラスに注いだときの透明度が違う。
 そのグラスも、きれいに磨かれた薄いグラスならば、お酒の繊細さが視覚的にも浮かび上がってくる。
 
 さて、そのグラスに、どのような酒を盛るか。
 同じ種類の酒でも、常温を良しとするするもの、ぎんぎんに冷やしたボトルから注いだ方が引き立つもの、もうブランドによって千差万別。
 マドラの回し方によっても、味は変わる。
 そういうバーテンダーの知識と芸が、一遍の美しい “物語” になるということなのである。

 知人の紹介で、そのような素敵なバーを知ることができた。
 東京・新橋の『Gin and Tonic BAR (ジンアンドトニック・バー)』。
 
 

 これ ( ↑ ) が、入口。
 なんとも控えめな看板。
 しかし、上品なロゴのたたずまいが、なかなかお洒落なデザインになっている。
 店内はカウンターが8席。
 その奥に、5人掛けと2人掛けのボックスが二つ。


 
 比較的小作りなバーだが、その分、カウンターのこっちと向こう側をつなぐ空気に温かみが生まれる。

▼ 店内全景

 さて、どのような酒のメニューが用意されているのか。

 「洋酒は一通りそろえていますが、メインはジンです」
 と語るのは、このバーのオーナー塚越貴之さん。
 現在用意されているのは、ウィスキー、リキュールなども合わせ、全150ブランド。そのうち、ジンが35ブランド。

 かつて目黒で店を開いていたときは、400ブランドほどの洋酒を持っていたという。

 塚越さんにとって、ジンを揃えるのは、“コレクション” のようなものらしい。
 だから、日本では滅多に手に入らない希少価値のブランドもたくさん所蔵されている。
 タンカレー、ゴードン、ビフィーターなどのおなじみのジンに始まって、
 スコットランドの「ヘンドリックス」
 ドイツの「モンキー」
 イタリアの「フェルネットブランカ」
 ドイツの「イエガ―マイスター」
 イギリスの「プリマス」
 プリマスなどは、1993年に200周年を記念して発売された貴重なものだという。

▼ 左が「モンキー」、右が「ヘンドリックス」

 それぞれのジンには、みな独特の味わいがあるが、それをストレートに口に含むと、みな同じような味に感じられ、テイスティングが難しいという。
 ところが、面白いことに、ソーダや水などで割ると、それぞれの個性が浮かび上ってくるとか。
 「だから、味の違いを比べるときは、ソーダ、水、氷なども厳重に管理された同質のものを使う必要があるんですね」
 と、塚越さん。

 『Gin and Tonic BAR』 の売り物には、ジンのほかに、季節のフルーツをベースとしたオリジナルカクテルがある。
 それにも、塚越さんのこだわりがある。

 「カクテルなら何でも承りますが、うちの場合はレシピどおりには作っていないんです。というのは、古典的なレシピ通りに作ると、現代人には甘すぎてしまうようですね。それだけ現代人の舌はセンシティブになっているのかもしれません。だから、少ない甘さのなかで生まれる微妙な味わいを大事にしています」

 なるほどなぁ …。
 こういう話は、聞いているだけで面白い。

 趣味の話も楽しかった。
 塚越さんのいちばんの趣味は、釣りだという。
 それも、かなり難易度の高いライギョ(雷魚)釣り。
 
 ライギョがどのような場所に生息しているのか。
 これは、釣りの趣味がない自分にとっても興味深い話だった。
 ライギョが棲むのは、人里離れたところにひっそりと広がる沼なのだという。
 およそ魚などいそうに思えぬような奥深い沼に、釣り人が憧れる大型淡水魚のライギョが潜んでいるらしい。

 「そういう沼は、地図にも載っていないことが多いんです。それをグーグルアースを使って見当をつける。さらに現地に行って、丹念に調べる。そして、勘を働かせて釣り糸を垂らすわけですが、しかし、そう簡単に食いついてこない魚なんですよ。技量や経験はもちろん大事かもしれませんが、最大の武器は忍耐なんです」

 それだけに、釣り上げたときは感無量とか。
 釣り上げたライギョは、釣果の証拠として写真に残し、あとは未練なく沼に戻してやる。

 こういう釣りの深さを見てきた人は、ロッドや竿などにもこだわりがあるようだ。
 良い道具は、性能が良いだけでなく、形も美しい。
 釣り具に対する目利きは、洋酒選びともどこか通底するところがあるように感じた。

 まだある、塚越さんの趣味。
 自動車。
 それも旧車。
 スカイラインの “ケンメリ” に憧れて始めた自動車のカタログ集め。
 それも今では膨大なコレクションとして大事に保管されている。

 ほかには鉄道。
 そして、ブログの執筆。
 これも、あとで自分の家に戻って開いてみると、なかなか味のあるブログであった。

 人の気持ちをなごませるオーナーの気配りで、楽しい時間を持つことができた。
 「BAR」に対する新しい楽しみ方を知った一夜だった。

Gin and Tonic BAR
住所:105-0004 東京都港区新橋2-16-1
新橋駅前 ニュー新橋ビル316(3階)
営業時間:PM 3:00~AM 0:00
定休日:日曜日・祝日
電話: 03-3502-0575
HP:http://ameblo.jp/raboge/
  
 

カテゴリー: コラム&エッセイ | 3件のコメント

尿路結石で七転八倒

 ブログの更新が10日ほど滞りました。
 僕の場合、ブログがお休みのときというのは、たいてい病気。

 今回は、腎臓から膀胱に至るまでの細い尿管に“石”が詰まるという尿路結石 (にょうろけっせき)。
 “石”の正体はさまざまらしいが、体内に蓄積されたシュウ酸がカルシウムと結合するというのが一般的だといわれているらしい。

 で、こういう結石ができやすい人の食生活を調べてみると、動物性タンパク質を取る人に多いのだとか。
 まさに、豚の生姜焼きを食べているときに発症したものな。

 食い物のなかでも、僕は特に豚が好きで、生姜焼き、トンカツ、ポークソテーなどが大好物なのだ。(ポークソーセージも好き)。
 そんな僕の嗜好を心配してくれているカミさんは、ここんとこ食事メニューに豚制限を設けていたのだけれど、その日は、豚を切望する僕の気持ちに根負けして、豚肉6枚が重なる“大生姜焼きパレート”を敢行してくれたわけ。

 そうしたら、とたんに … !! だよ。
 6枚の肉の5枚目辺りを平らげたところから、みぞおちの辺りに鈍痛が走るようになったわけ。
 その部分を押すと、かすかに硬くなっている。
 そのうち治るだろう …、ぐらいに高をくくって、豚肉6枚を完食したら、10分後にもう激痛だ。

 夜の7時を過ぎていたので、病院はやってない。
 タクシーで10分ぐらい走ったところに、僕が血栓症治療のために通っている大学病院がある。
 そこの緊急医療を受けるために、大通りまで歩いて、タクシーを拾った。

 「今、どんな症状ですか?」
 と尋ねてきた窓口の看護士さんが、美人だったので、気が紛れたからよかったものの、次の医療受付で保険証などをチェックするのが男性だったので、とたんに痛さが増した。

 待合室を見回すと、4~5家族ぐらいがそれぞれ家族単位にまとまって診察を待っている。
 親子、夫婦などさまざま。
 そういう家族のなかで、患者本人は苦しんでいるのかもしれないが、付き添っている連中は健康体だから、顔に“気楽さ”が表れている。

 激痛に耐えているときは、こういうのが腹立つんだよな。
 そういうお気楽家族は、テレビが流すサスペンスドラマの中で、役者が殴られて血を流しているシーンには同情するものの、病院の待合で七転八倒しているリアルな患者には無頓着。
 どうかしているよ、この世の中。

 ようやく、自分の診察の順番が回ってきて、インターンみたいな若い男性医師から問診を受けることになった。
 美人の女医さんを期待していたのだが、出迎えてくれたのが男性だったので、さらに痛みが増した。

 「今どのくらいの痛みですか? たとえば一番痛い状態を10だとすると …」
 と聞かれたが、そのときすでに痛みが本格化してきたので、
 「水泳中にサメに襲われて、下半身を噛み切られた痛さを10だと仮定すれば …」
 などと、相手をからかう余裕もなかった。

 問診のあと、血液検査、尿検査、レントゲン、MRI(磁気共鳴画像)を受けることになった。
 余談だけど、僕はこの「MRI」という言葉がなかなか覚えられない。
 MIRとか、MTRとか、MCRとか言ってしまう。
 ときどき、似たような検査器の「CT」(コンピューター断層撮影)とごっちゃになってしまうから、CRIとか、CTRとか、CIAなどというときもある。
 この日は、その“CIA”すら出てこなくて、家に戻ってからカミさんに「FBI」といって怒られた。
 
 それはさておき、MRI、レントゲン、採尿・採血検査結果が出るのを待つこと約1時間。
 処置室の医療ベッドを貸してもらって寝ていたのだけれど、横になると、起きていた方が気がまぎれるような気がして、ベッドから起き上がる。
 しかし、起きると、横になっていた方がいいように思えるので、また寝る。
 10秒ごとに、寝る、起きる、寝る、起きる …を繰り返した。
 ラジオ体操でも、こんな激しい運動はしなかったように記憶する。

 ようやく先生が治療室に戻ってきて、レントゲンやMRIの画像をライティング台に張り出す。
 「まずですねぇ、採血・採尿の結果は正常でした。内臓疾患から来る痛みという可能性は、今回は特に確認できませんでした」
 …… ハイハイ、分かりました。
 それより、結論の方を先に言って。
 
 「次にレントゲンです。腎臓上に黒い部分が見えると思いますが、特に肥大している様子もなく、正常に機能しているように見受けられます」
 …… ハイハイハイハイ ! 分かりました。
 で、痛みの原因は何なのよ ?
 
 「最後はMRIです。まずこの図をご覧ください。異常なしですね。次にそれを45度回転させたのが次の図です。ここの部位もまだ異常は発見されませんでした」
 …… いいから、早く痛み止めの薬を出して !!
 
 「今度は今の画像をさらに20度ほど倒します。すると、うっすらと、ほら、何かが見えてくるでしょう? これが何であるか。もうお分かりだと思いますが、これです。この部分 …。これ、何だと思います?」
 ……  もう何でもいいよ。

 「ピンポーン ! 石です」
 …… “ピンポン” ったって、あ~た、別に僕は「石」とか答えてるわけじゃないんだよ。

 で、めでたく「尿路結石」というご診断がくだされた。
 石の直径は約3mm。
 それが狭い尿路を通過するときに、痛みを発生させるらしいのだ。
 膀胱まで落ちればもう痛みはなくなるのだが、そこに至るまでは、激痛、残尿感、発熱までをも伴うという。
 現在、日々アスピリンと座薬を6時間ごとに交互に使い、痛みを追い払っている。
 
 
 
闘病記

「病院は楽しい」


「血が固まっちゃった」


「妻から嫌われる本当の理由」

「またやっちゃった(蜂窩織炎 再発) 」
 
 

カテゴリー: ヨタ話 | 4件のコメント

「マッサン、面白くない」? 

  
 自分のブログのアクセス解析をときどき試みる。
 特に注意しているのは、その検索ワード。
 多くの人が、どんな情報を求めてこのブログにアクセスしてきたか、ということを調べるのは、人々の興味の動きを知る意味で参考になる。

 最近、ちょっと目立つのは、
 「マッサン、面白くない」
 「マッサン、つまらない」
 というワード。
 
 NHKの新しい朝ドラ、『マッサン』について、確かに自分は、見始めたときの感想をちょろっと書いた。
 しかし、その記事では、「マッサンは面白そうだし、今後に期待できそうだ」という内容を書いたつもりだった。
 だが、文中に「つまらない」という言葉が含まれると、検索エンジンはそれを拾う。
 すると、「マッサン、つまらない」という気持ちを共有したい人々の検索がそこに集中してくる。

 私は、このドラマは面白いと思って見ているのだが、「つまらない」と思う人々の気持ちも分かるような気がする。
 ここ最近の朝ドラとは異質な面が多すぎるからだ。
 まず、ヒロインが外国人であるということ。
 さらには、これまでのお約束事であった、子役を使ったヒロインの幼少期が省かれていること。
 ネットの声を拾うと、それに対する違和感を抱いている人がかなりいることが分かった。

 また、ドラマの展開自体も、今のところ、ちょっとヘビーなのだ。
 主人公亀山政春(マッサン)の母親を演じる泉ピン子が鬱陶しいという声が散見されるのも見た。
 迫力がありすぎるのだろうか。
 私は、それを泉ピン子の役者としての存在感だと思っているが、「朝からヘビーなドラマは見たくない」という視聴者には、あの迫力は重いのかもしれない。

 また、住吉酒造の娘役をやっている相武紗季の演技がうますぎて、ヒロインのエリーに対するいじめシーンが本当に怖い。
 こういう、女の心の奥に潜む怖さというものを、最近の朝ドラは避けていたように思う。

 基本的に、朝ドラには“悪役”は出ない。
 悪役のような顔をして登場する人物たちは、コミカルに描かれるか、もしくは「この悪役はやがてヒロインと和解するのだろう」ということを予想するように描かれる。
 『マッサン』 の泉ピン子も相武紗季も、最後はヒロインに好意を寄せるのだろうな … という予測はつくが、今のところはヘビーな “悪役” に徹している。
 朝、爽やかな気持ちで出勤したいという人には、この種の重苦しさは敬遠されるのかもしれない。

 しかし、朝ドラでヒロインが過酷な環境に耐えるという設定は、昔は珍しいことではなかった。80年代の『おしん』などは、その典型であった。

 「時代が変わったんだなぁ …」
 と思う。

 特に、歴史ドラマの変貌は激しい。
 NHK大河は、ここのところずっと苦戦を強いられている。
 『軍師 黒田官兵衛』 も、いっとき視聴率が回復したとはいえ、40話までの平均視聴率は15%台だという。

 たぶん、こういう正統派の歴史ドラマはそろそろ命運が尽きてくるのではないか。
 過去の史実を再現するだけのドラマは、若い人たちの興味をつなぎとめておくことが難しくなっているように思う。

 代わりに台頭しているのが、タイムスリップもの。
 TBSの 『JIN – 仁』 (2011年)以来、現代感覚とリンクした歴史ドラマでないと、視聴率が取れないような傾向が出てきている。

 確かに、過去の歴史世界に現代人がまぎれ込んでしまうという設定は、歴史に興味がなくても面白い。
 歴史上の人物と現代人が交し合う“異文化の衝突”は、歴史そのものを現代的に解釈する以上に、歴史を身近なテーマとして引き寄せる。
 テレビ朝日の 『信長のシェフ』 もそう。
 10月13日にスタートした、漫画を原作にしたフジテレビの 『信長協奏曲』 もしかり。

 『信長協奏曲』 を観ていて思ったのは、歴史となった過去の時代を、“異文化” として捉えようとする意図が明瞭に伝わったことだった。
 信長に成り代わったサブロー(小栗旬)は、謀反を起こした弟の信行が、謀反の失敗を恥じて切腹する気持ちが理解できない。
 腹を切って、血を流す信行を見て、信長の家臣たちが一様に、「信行様、立派なご最期 !! 」と感動する意味が分からない。

 もちろん、このシーンの描き方は史実とは違う。
 実際の信長は、謀略を駆使して信行を自分の城に招きよせ、自らの手で成敗してしまう。
 ま、そんな史実はどうでもよくて、血を流す信行の姿にろうばいして、「誰か、早く救急車を呼べ」とわめき散らすサブローの “異文化への衝撃” を単純に面白がればいいように作られている。
 
 こういうドラマは、歴史を「教養」として理解してきた人々には、バカバカしく見えるのだろう、と思う。
 しかし、歴史に興味のない人には面白く感じられるかもしれない。
 信長の弟の信行が、謀反を起こして兵をあげたとき、
 「殿、信行様が挙兵されました」
 という家臣の報告に、
 「キョヘイって、何よ?」
 とうろたえるサブローの姿は、なんだかおかしかった。
 そして、「挙兵」という言葉も分からない人たちに向かって、ていねいにシナリオが作られているんだろうな … と思った。
 
 いろんな意味で、時代は変わりつつある。
 テレビの世界では、歴史ドラマと、商品のCMが、それを端的に表現する。
 
 
関連記事 「NHK朝ドラ 『マッサン』 」
 
 

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「しゃべる」才能と「書く」才能

 
 地域の有志を20人ほど集めた“キャンピングカー講演会”なるものが催された。
 その講師に抜擢されたのが、この界隈ではまだ貴重なキャンピングカー所有者として見られている、この私。
 
 「この地域の住民の親睦を図るため、キャンピングカーを使った旅の特徴、面白さみたいなものを語っていただきたい」
 というのが、話を持ってきてくださった人の狙い。

 「えっ、この私が?」
 「町田さんは有名人ですよ。ブログのファンも多いらしいし、テレビにも出ていらっしゃる」
 う~ん……。
 間違ってはいない。
 しかし、“有名人”という一言だけは、違う。
 むしろ、有名人などとは呼ばれたくない。
 人にあまり顔を知られていない“謎のライター”。
 そういうのが、好みのポジショニングだ。

 「僕は人前で話すことって、苦手なんで…。話せないから、文字を書いている、っていうわけなんですがね」
 「いやいや、大丈夫ですよ。頭の中に言葉がいっぱい詰まっている人は、それをしゃべればいいだけなんですから」

 … というわけにはいかないんだよな。

 モノを書くということは、
 「次に、どんな言葉を持って来ればいいのかなぁ … 」
 と、考える余裕を維持することをいう。
 しかし、人前で話すことは、その“考える余裕”がない状態をいう。速射砲のように、間髪入れず言葉をはじき出していかねばならない。
 しかも、よどみなく話せばいいというものでもなく、表情の作り方も含め、間の採り方とか、抑揚とか、そういう“話芸”も大事になる。 

 そういう能力が自分にはないことが分かっているから、「話せる人」というのがうらやましい。
 
 でも、その依頼者となんだかんだと話しているうちに、引き受けることになってしまった。
 まぁ、テーマがキャンピングカーなら、ネタはある。
 が、それをどんな順序で、どんな配分でしゃべればいいのか。
 講演時間は、だいたい30分だとか。
 30分 !!
 それは、人前で話す経験のない人間にとっては、とんでもなく“長~い”時間である。

 しょうがないから、事前に原稿を書くことにした。
 … だけど、原稿を書くということは、今度は「その通りにしゃべらないといけない」というプレッシャーにもなる。
 「次、…何を言うんだっけな…」
 と、書いたものを思い出す瞬間が、しゃべりの場では「言葉につまった瞬間」になってしまう。 
 また、一生懸命、原稿内容を記憶し、それを忠実に再現しても、そういうものは“棒読み”に聞こえてしまうことが多い。
 まっこと、人前で話すということは、難しい。

 で、原稿を書くのは途中であきらめて、項目だけを抜書きしたカンペをつくり、それをチラチラ見ながら、話すことにした。

 自分が思うに、「書く才能」と「しゃべる才能」というのは、異なるコミュニケーション文化に属する能力だという気がする。
 「書く」というのは、オタク文化。
 「しゃべる」というのは、バラエティー文化。

 「オタク」文化というのは、自己完結型である。
 対象がアニメであっても、フィギュアであっても、基本的には自分の脳内世界で完結させるのが「オタク」たち。
 仮に同好の士が集まっても、それは情報の「開陳」であって、「共有」ではない。
 他人の開陳する情報を見ても、「あいつはこれを評価しているけれど、俺はチョイと違うんだよな」という、おのれの強固な世界観を崩すことなくつながるのが、「オタク」的コミュニケーション。

 それに対し、「しゃべる」というのは、周りの空気によって、どんどん自分の対応を変えていける人たちが紡ぎ出す文化。
 それが、いまテレビ番組の主要部分を形成するバラエティー番組という形で隆盛をきわめている。
 この“バラエティー文化”をリードするタレントたちに求められるのは、自分の好みを主張することよりも、その場に流れる空気を巧みに読み、空気を読み切れない人を“いじって”笑いを取れる能力である。

 精神科医の斎藤環は、このバラエティー文化を「ヤンキーのメンタリティ-」だと喝破し、次のようにいう。

 「ヤンキーのコミュニケーション能力のロールモデルは、お笑い芸人だ。ヤンキー的ヒーローとして賞賛されるのは、仕切りのうまさである。
 いま学校で、スクールカーストの上位を占めるのはそういう人々だ。教室内の身分を決定づけるのは、基本的に、“仕切りのうまいヤンキー”で、その仕切りの内実は会話能力などではなく、空気が読めて、他人をいじって笑いがとれる才覚である」

 ま、バラエティーとヤンキーの相関関係はともかく、きわどい話芸で人気を集めているタレントというのは、確かに「話し上手」として人気がある。
 綾小路きみまろとか、毒蝮三太夫などが、それ。
 有吉やマツコなどもその系統。
 彼らは、確かに、観客を“いじる”。
 そして、そのいじり加減で、周囲を笑いの渦に巻き込み、その場の空気を変えていく。

 で、「書く」という行為は、こういう“場の空気”をいじれない人々の表現行動なのだ。
 誰かが上手に仕切って、その場を笑いの渦に巻き込むような場所に入ってしまうと、じっと身を固くして、自分が“いじられる”人間にならないようにひっそりと隠れてしまうのが、「書く人間」のメンタリティー。
 その代わり、そういう人は「場の空気」をいじれない無力感を、「おのれの空気」をふくらませることで代替しようとする。
 要するに、オタク化する。

 私なんぞは、完全にオタクの系統。
 もの心からついてから、今日に至るまで、ヒマさえあればマンガを描く。小説のまねごとなどを書く。粘土や紙を使って自分でフィギュアを作る。ギターを弾いて、下手な歌を作る。種々のゲーム類に興じる。
 パソコンゲームの呪縛力から完全に脱したのは、ようやく2年前だ。

 こういう人間が、講演を引き受けるというのは、カタツムリが殻から乱暴に引っ張り出され、ナメクジ(厳密には違う生物だけど…)になってしまうようなものだ。塩(野次とか)をかけられたら終わり。ヘナヘナとその場で溶けてしまう。

 講演の方は、ま、愛に満ちた聴衆に恵まれたせいで、なんとか溶けないですんだ。
 話の下手さをカバーするために、レンタルモーターホームを借りて、アメリカ南西部を回ったときの画像などを披露しながら話を進めたのが良かったのかもしれない。
 やはり画像の有無は大きいと感じた。

 本人は必死で役目を果たしたつもりであるけれど、地元の有志のなかには、
 「あの人、やはりしゃべり出したら止まらない人よね」
 とか賞賛 ( ?? )してくれた人もいるらしい。
 自分では、完璧オタクのつもりでいるのだが、人から見ると、場馴れしたトーク名人に映ることもあるという。

 どっちが本当の自分だか、自分でもよく分からない。
 血液型がAB型だからかもしれない。
 昼は、目立つことが嫌いだが、責任感を持って仕事をこなすA型。
 夜は、はちゃめちゃに弾けて自分勝手に悪乗りするB型。
 講演を行ったのは、ちょうどお昼過ぎ。
 A型とB型がうまく混じり合った時間帯でもあったようだ。
  
  
参考記事 「反知性主義の時代」
 
 

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赤羽の居酒屋

 
 所用で、東京・赤羽まで出た。
 用事が終わり、少し時間が余ったので、コーヒーでも飲んで一息入れようかと思い、駅周辺をふらついた。

 いやぁ、不思議な町だ。
 猥雑な活気にあふれる下町の感じもするし、私鉄沿線に立ち並ぶ新興商店街のスマートさもある。
 新旧の景観が、色の違う小さな破片となって、点描画のように混じり合っており、古いものをめくると最新の意匠が現れ、新しい意匠の裏には、昔ながらのたたずまいが潜んでいる。

 コントラストがくっきりと浮かび上がるデジタルの街ではなく、すべてが霧のなかに溶け合うようなアナログの街。
 赤羽の駅周辺を歩いていて、そう思った。

 飲み屋街が連なっている一角があった。
 これも不思議。
 道路と店内の境界が、グラデーションのように“あいまい”なのだ。
 道路側に、屋台のように張り出したテーブル席を設けた店もあり、その屋台部分が、魔法のように、いつのまにか店内の続いているという雰囲気。
 あるいは、店自体がすでに “大きな屋台” というか … 。

 このような解放的な気分にさせてくれる飲み屋街が続くと、やはりそのうちの一軒でも選んで中に入らないわけにはいかなくなる。
 時間は、午後3時。
 普通の居酒屋ならば、まだ「仕込中」の時間帯だ。
 が、この一角はすでに営業が開始されている。
 のみならず、お客が満杯なのだ。

 後で知ったことだが、このへんの飲み屋街には、朝の9時から営業している店もあるとか。
 なんでも、近くに大きな印刷所があったらしく、(今でもあるのかもしれないが… )、徹夜で印刷に従事していた人々が、徹夜明けの朝、家路につく前に一杯やって帰るからだという。

 う~む ……。
 朝の9時から飲める飲み屋街。
 3時という時間帯に客が仕切りなしに入っていくというのは、そういう習慣が浸透しているからだろう。

 で、その3時にお邪魔したのが、下の写真の店。
 「まるます家」
 軒先にずらりと並ぶ提灯が、実に素敵じゃないか。

 この提灯。
 なんともうまいディスプレイだよな。
 「安いよ」
 「おいしいよ」
 「にぎやかだよ」
 「楽しいよ」
 というメッセージが、この提灯の並び方に凝縮している。

 BS-TBSで、「吉田類の酒場放浪記」(大好きな番組だけど)、というのが放映されているが、まさに吉田類さんのお眼鏡に適った店という感じ。実際に、この店は、同番組でも取り上げられたらしい。

 やぁ、店内が素敵です。
 定年退職を迎えた爺さん同士。
 現役バリバリの事務系サラリーマンたち。
 「今日の訪問セールスはもうやめだ ! 」 と開き直っているような営業マン。
 仕事の合間に一休みというカップルの姿も目立つ。
 みんな顔を赤くしながら、大声で談笑している。


  
 なんだい、この世界は?
 午前3時ですよ !! まだ。
 爺さん組はまだ分かるけれど、サラリーマンやカップルたちはナニビト?
 君たち、どういう種類の仕事やってんの?

 ま、そんなことは気にせず、一杯楽しみますか。
 で、生ビールの小ジョッキから始まり、いつもの緑茶ハイへと。

 つまみは、しめ鯖、ネギヌタ、ドジョウの玉子とじ(柳川?)。
 おお、みんなうまいねぇ。
 さらに、アスパラマヨネーズ、サトイモ揚げ…と続く。

 たらふく食べて、2,500円程度だった。

 店を出ても、まだ夕方の4時。
 陽が短くなった秋とはいえ、あたりはまぶしいほどの明るさ。
 普通のサラリーマンたちは、これからまだ一仕事という時間帯である。

 それなのに、俺、こんなに酔っぱらっちゃっていいのかな?
 会社に戻らず、直帰でした。 
 
 
参考記事 「酒場放浪記」
  
 

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旅の帰りに


 
 週末、相模湖のキャンプ場に遊びに行った。
 古い友人と、その長男。
 そして私。

 3人とも家庭がある。
 いわば、カミさん抜きで男3人が集まったむさぐるしいキャンプだ。
 しかし、そういうシチュエーションだから、語れるような話題がある。

 男から見た「家庭」。
 男から見た「家族」。
 一般論に収まりきらないような、具体的な手触りを持つ“男の家族論” 。
 そういう話題は、女子供が混じっていると、なかなか交わせない。
 
 男の家族論というのは、同時に仕事論でもある。
 友人は、商業メディアの分野で活動する独立系クリエイターだから、仕事を維持するということは、自分の心と身体を切り売りしていくようなものだ。
 当然、年老いてくると、身体の不調があちこちに起こる。
 その不調によって、仕事が中断されるだけでなく、モチベーション自体が低下する。
 しかし、それを押して、自分で自分をムチ打っていかなければ死活問題にかかわる。
 だから、「ここで働けなくなったら、うちの家族はどうなるんだ?」 という不安との戦いになる。

 友人の長男は、ずっと父のもとで働いているから、結婚して世帯を持ったといっても、父の苦労を見つめ続けている。
 食べていくことの苦しさを肌で感じながらも、そこには、両親に対するいたわりがあり、そこで培われた優しさが、他人に対する繊細な気づかいにつながっていく。

 「いい親子だな」
 焚き火にあたりながら、二人の会話を聞いていて、そう思った。
 ふと脈絡なく、今の時代が強いる孤立感、孤独感からかろうじて人間を支えているのは、親子という “絆” だけなのかもしれない … という気がした。

 台風前だというのに、サイトにはテントを張って、小さな子供たちを遊ばせている何組かの家族がいた。

 大型台風が関東を直撃するというニュースがすでにあちこちで流れていた。
 天気は土曜日の夜まで持つかどうか。
 すでに、空を流れる雲は、不穏な動き方を見せている。

 私がテントキャンパーだったら、キャンプ場の予約は現地に来る前にキャンセル。
 土曜の夜から風雨の激しさが増してくることが分かっているのに、撤収に苦労するテントを担いでキャンプ場に行くなど、愚の骨頂だと思う。

 しかし、テントを張っている親子たちは、それを承知で、きれいに張ったテントをペグで固定し、タープを取りつけ、行儀よく並べた椅子とテーブルに食器類を広げている。
 「きっと、難しい日程をやりくりして、ようやくこの土曜日に休みを取れた人たちなのだろう」
 私はそう思った。
 「せめて土曜日の1日だけでも、雨が降らない限りは、子供たちを自然の中で遊ばせてやりたい」
 親たちのそういう思いが、丁寧に作られたテント周りのたたずまいから伝わってくる。

 いつもなら、面倒くさいテント張りから解放されるキャンピングカーをありがたいと思っていた自分も、彼らの一生懸命さを見ていて、少しうらやましくなった。

 明け方近くから、風雨が厳しくなった。
 テーブルや椅子も夜のうちに引込め、オーニングも出さなかったので、撤収は簡単。
 車内でコーヒーを沸かし、友人の親子と軽い朝食を取ったあと、「お互いに土石流や冠水の被害に遭う前に家に戻ろう」 ということで、さっさとキャンプ場を後にした。

 こういうときはキャンピングカーのありがたさが身に沁みる。
 そのサイトからの脱出は一番早かった。
 しかし、雨の中、子供たちにカッパを着せて、濡れたテントの撤収を手伝わせている親子たちと、どっちが幸せなのか。
 子供たちは、暴風雨のなかで親のテント撤収を手伝った記憶を後生大事に心にとどめていくかもしれない。
 親子の思い出として。

 雨に煙る中央高速を、一人で家路に向かう。
 ワイパーが規則正しく揺れる音が、車内にまで響いてくる。

 ラジオを付けると、二人の女がしゃべっていた。
 一人はシンガーソングライター。
 女性アナウンサーが、その彼女の活動の近況をあれこれ尋ねている。
 名古屋出身の歌手らしい。
 
 「名古屋って、とっても大きな都会だと思い込んでいたんですよ。こんな大都会って、近辺にはそうないから。しかし、東京に出てきて、びっくり !! 名古屋の10倍くらい広い。こんな街が日本にあったんだ !? 衝撃で言葉が出ませんでした」
 シンガーソングライターの女は、屈託なく笑い転げる。
 明るい性格の女性のようだ。
 つられてアナウンサーも大笑い。

 「私、音楽をやる前、歯科衛生士になる勉強をしていたんです」
 と、その歌手が語る。
 「おやまた、それはなぜ?」
 「うちの母が歯科衛生士だったんですよ。母は歯科衛生士の仕事をしているときは本当にハッピーなんですよ。だから、私も、歯科衛生士になれば、自動的に幸せが転がりこんでくると信じて疑わなかったんです」
 「あ、ははは、楽天的 ! 」
 「そうなんです、はははは」
 
 今どきの若者らしい会話が続く。
 「でも、コンサートのときは、泣きだすファンが続出するとか …」
 と、アナウンサー。
 「そうなんです。もう私がステージに立っただけで、泣いてくださるお客様も多くて … 」

 この会話には違和感を持った。
 簡単に泣く。
 簡単に感動する。
 簡単に「絆」を称揚する。

 … 軽薄な風潮だな。
 と、この手の安っぽい “感動” に辟易(へきえき)としていた私は、そこでラジオのスイッチを切ろうと思った。

 が、手が止まった。
 ファンたちが泣き出すという自作の歌を、その歌手がピアノで弾き語りをするという。
 ―― 少し聞いてみようか、という気持ちになった。

 自分の父と母に手紙を送るという歌だった。

 「♪ お父さん、お母さん、今日まで私を大切に育ててくれて、ありがとう」

 というフレーズが、シンプルなピアノの旋律に乗って、車内が流れた。

 演奏もシンプル。
 メロディーもシンプル。
 アレンジもシンプル。
 そして、歌詞の内容もシンプル。
 すべてストレートで、ひねりも、陰影もない。

 このようなシンプルな歌が、なぜ若者たちの “泣き” を誘うのか?
 私は、最初違和感でいっぱいだったが、よく考えると、今の若者たちは、このシンプルでストレートな家族賛歌にすがる気持ちでしがみついているのかもしれない、という気がしてきた。
 
 それは、現状の厳しさの “うらっ返し” ともいえそうだ。
 おそらく、われわれが “若者” だった頃などに比べて、今の若者はとてつもないプレッシャーの中で生きているのだ。
 社会の過酷さは、団塊の世代たちが過ごした時代などの比ではない。
 会社、学校、地域共同体。
 そのどれもが、真綿のように若者を管理して締め付けるか、もしくは冷酷に引き離す。
 友達からだって、いつ虐められるか知れたものではない。
 
 そのとき、最後の拠りどころとなるのが、「両親」。
 そして、「家族」。

 両親に従順すぎる若者が増えていると、老人たちは嘆くが、
 「あんたたちが青春を過ごした時代とは違うんだよ」
 と、今の若者は、無言でそう言い訳しているような気がする。

 老人たちは、
 「今の若者は “夢” を持たない」
 とも非難する。
 それも違うような気がする。
 夢を持てない時代に、それでも夢を見ようとするならば、それはシンプルでストレートな形を取るしかないのだ。
 なにげない親子の触れ合いに涙する、というような … 。

 この記事の前のブログで、自分は是枝裕和の『歩いても、歩いても』 という映画にいたく心を奪われた、と書いた。
 あの、愛憎こもった家族間の心のヒダを描き切った監督の手腕に脱帽した。
 そして、シンプルな家族愛を描くドラマなどを見下す気持ちになっていた。

 しかし、今の若者たちにとって、あの『歩いても、歩いても』で描かれる家族像というのは、深刻過ぎて、やりきれないのかもしれない。
 若者たちは、あの映画の “繊細な表現” を理解できないのではない。
 むしろ日常的すぎるから、息苦しいのだ。
 家族間にシミのように広がっていく “断絶の気配” を見るのが切ないのだ。

 シンプルでストレートであることが、ときにもっともデリケートな心映えを反映することがあり得る。
 旅の帰りに、クルマを一人で運転しながら、ふとそう思った。

▼ 藤田麻衣子(↑) 「手紙 ~ 愛するあなたへ」

 
 
関連記事 「歩いても歩いても、まだ本気出してないだけ」

参考記事 「焚き火で育つ感性」

参考記事 「父親と息子の理想的な関係」
 
 

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歩いても歩いても、本気出してないだけ

  
 邦画鑑賞の一日。
 テレビのハードディスクに録画しておいた是枝裕和監督の『歩いても 歩いても』と、福田雄一監督の『俺はまだ本気出してないだけ』を立て続けに観る。
 たまたまだが、両方とも音楽はゴンチチが担当していた。
 
 冷めた抒情 … というか、さらりとした感傷というか、両方の映画に表れる “チョイとだけしんみりした” 人間同士の触れ合いを、ゴンチチのギターワークが巧みに表現していた。
 それが、「まさに邦画だなぁ …」 と思わせる日本の空気感みたいなものを鮮やかに演出していた。

 『歩いても 歩いても』(2008年)は、この映画が撮影された現場を見ている。ここに登場する「横山医院」という建物は、うちから歩いて100mぐらいのところに建っている。
 もちろん名前は変えてあるけれど、その「横山医院」の向かい側にある家は、実名のままの表札が出てくる。
 通りの全貌がかすかに現われるシーンがあるが、その先に、まるで私の家が映っていそうに見えた。

 しかし、映画ではその道はすぐ坂道に続いており、さらに林に囲まれた階段を降りると、海が見えてくる。
 映画だから、シーンは自然につながっているが、その近辺の地理を知っている自分はなんとも奇妙な世界に引きずり込まれた。
 「あれ、こんな坂道なんかないよな … 」
 と、思わずつぶやいた。

 映画のストーリーは紹介するまでもない。
 というか、ストーリーがない。
 あえて設定をいえば、主人公の阿部寛とその家族が、お盆休みに実家に帰り、老いた父(原田芳雄)と母(樹木希林)と対面するという話。
 そこに、阿部寛の姉(YOU)の家族もやってきて、3家族の一日の団らんが描かれている過ぎない。
 実に、“何も起こらない” 映画。
 ただ、恐ろしいまでの日常性がそこに横たわっている。
 ほとんどの観客は、自分が透明人間にでもなって、見知らぬ人の家に上がり込み、ひたすら彼らの脈絡のない日常会話を聴いているという気分になっただろう。

 だが、その “さりげない日常” には、きわめて微妙なノイズが混入している。
 阿部寛と父の間には、スムーズな会話が続かない。
 阿部寛の妻と、姑の間には、かみ合わないファスナーを無理やり引っ張っていくような、かすかな不自然さが生まれていく。
 それは、ともに、この映画にはまったく登場してこない二人の “死者” が関係しているからだ。

 阿部寛にとっては、事故で死んだ自分の兄。
 嫁にとっては、阿部寛と再婚する前に失ってしまった最初の夫。
 画面に登場しない二人の死者が、この一見平和な家族たちの間に割り込んで、黙ってそこに座っているという、かすかな恐ろしさと悲しさが、この映画の通奏低音として流れている。

 父と母から見れば、本来なら家業の医者を継ぐはずだった長男を失い、その長男の代わりを務めるはずだった二男の阿部寛は、家業を継ぐどころか、家を飛び出し、妻の前夫の連れ子を伴って実家に戻ってくる。
 父と母には、血の通った孫を可愛がる予定だった家族関係が、そこでいったん断ち切られているという思いが、言葉に出さずとも心の底にわだかまっている。

 一方、阿部寛と再婚した妻(夏川結衣)は、いまだ亡くなった前夫のことを忘れられない。阿部寛と一緒にいるときは、むつまじい夫婦の関係に収まっているが、前夫の連れ子と一緒にいるときは、今は亡きその子の父とのつながりを大事にしている。
 
 しかし、そういったぎくしゃく感は、このストーリーの流れを変えるまでには至らない。
 あくまでも、「空気のよどみ」として描かれるに過ぎない。
 表面的には、父と母と息子夫婦のなごやかな団らんが続く。
 最後まで続く。
 
 映画全般を貫く、その微妙な “空気の流れ” みたいなものを面白く感じられるかどうかによって、この映画の評価は変わるだろう。
 私は、すごいと思った。
 事件らしい事件がまったく起こらないのに、ましてや人間同士の対立や葛藤など何ひとつ描かれないのに、人と人の触れ合いと、そこで生じるかすかな摩擦をこれほど繊細に描いている映画をほかに知らない。

 監督の手腕もさることながら、芸達者の役者をそろえたということに尽きる。
 特に、圧倒的なくらいの日常性を生きる女に潜む “恐ろしさ” みたいなものをさらりと見せる樹木希林の演技には、鬼気迫るものがある。
 こういう芸達者たちの洗練された芸を見せつけられると、テレビドラマに出てくる演技指導も十分にできていない役者たちがかすんで見えてしまう。
 
……………………………………………………………………………… 

 『俺はまだ本気出してないだけ』(2013年)は、青野春秋の漫画を福田雄一監督が映画化したもの。
 さしたる動機もなく会社を辞めてしまった中年男が、だらだらした日常生活に区切りをつけ、漫画家として再起を図るというストーリーなのだが、こちらは一貫して、主人公のオーバーアクションによってコミカルに話を引っ張っていくという設定になっている。
 演出は、まさに漫画・アニメ的。是枝監督の 『歩いても 歩いても』 の対極にあるような作りといえよう。

 しかし、ここで描かれるのも、恐ろしいほどの “日常の重さ” だ。
 主人公の大黒シズオ(堤真一)は、一念発起して漫画家を目指しつつも、絶えず、さぼり病を再発する。
 老いた父(石橋蓮司)と、一人娘(橋本愛)のいる前で、食事中もサッカーゲームに興じ、娘がバイトして稼いだ金を借りて居酒屋でくだを巻き、ファストフードのバイト先では、あくびを連発して年下の上司に怒られる。
 ダラダラと過ごしてきた日常生活の鎖を、いつになっても断ち切れないのだ。

 それでいて、漫画雑誌の編集者のお情けで自作漫画を佳作に推薦してもらっただけで、もう大家になった自分の将来を妄想し、急にそれまでの知人に横柄な態度をとったりする。
 そのようなダメ男を、堤真一がなかなか上手に演じる。

 だが、そのような能天気な男にも、日常の切れ目から顔をのぞかせる闇に包まれることがある。
 「俺って、こんなことやっていて、いいのかなぁ … 」

 主人公の父は、
 「もういい加減に夢を見るのをやめたらどうだ。漫画なんてあきらめて、さっさとまともな仕事先を見つけて、再就職しろ」
 と迫る。

 彼の夢は叶うのか?
 映画は、夢が叶う日が来ることを暗示しているようで、逆にそのままの日常がダラダラと続くようで … という微妙な思いを観客に抱かせながら、ストンと終わる。
 たぶん、「終わりなき日常」は、そのまま続いていくのだろう。

 問題は、この主人公に才能があるのか、ないのかということである。
 観客には、一発でその答が分かる。
 「お前サイノーないよ。あきらめた方がいいよ」
 
 しかし、人間は自分の才能というものを見抜けないものなのだ。
 自分を悲観的に安く見積もるか、もしくはうぬぼれるか、そのどちらか。
 だから、この映画のテーマは、
 「才能のないものが夢を持つことは正しいのか?」
 … でもある。
 そして、夢を持つことの素晴らしさと、夢を持つことの愚かさが同時に描かれている。

 そのすべてを、『俺はまだ本気出してないだけ』というタイトルが見事に語りつくしている。
 なんという素晴らしいタイトル。
 言葉にならない複雑な陰影が、このタイトルに表現されている。
 
 邦画は、このようなセンシティブな表現を、いったいいつから手に入れていたのだろう。
 二つの映画を見て思うのは、そのこと。
 結論を下すのは、観客。
 観る人によって、様々な解釈や結論が生まれる。
 いわば、ストレートなメッセージを盛り込むのではなく、あえて「ノイズ」を混入し、そのノイズの乱反射によって、映画のテーマに多様な光を当てる。

 二つの映画をともに観ていたカミさんは、韓国ドラマにもハリウッド映画にもない世界だという。
 「人に話すとき、どう説明すればいいのか分からない映画だ」
 とも。
 私は、それを邦画の豊かさだと感じる。
 
 
参考記事 「是枝監督 『空気人形』 」

参考記事 「是枝監督 『そして父になる』 」

関連記事 「『歩いても 歩いても』 の映画ロケ」

参考記事 「映画のノイズ」
 
  
 

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NHK朝ドラ 「マッサン」

  
 いつの間にか終わっていたNHKの朝ドラ 『花子とアン』 。
 毎朝、このドラマを見てから出勤していたわけだが、今日気づいたら別のドラマに変わっていた。

 もちろん、『花子とアン』 に関しては、映像だけは流し続けていたので、画面を眺めれば 「あ、いま戦争だな … 」 、「空襲かぁ … 」 ぐらいのことは把握できた。
 でも、それが面白いという印象にまでは至らない。
 けっきょく画面は見ていても、ストーリーは上の空。
 そんなわけで、最終回も観たはずなのに、どんな終わり方だったのか、思い出せない。

 部分的には、面白いと思うところもあった。
 たとえば、九州の“炭鉱王”のお父さんをやった役者は、さすがあちこちで話題になるぐらいの存在感があって楽しめた。
 
 けれど、ヒロインの花子に映像が切り替わると、“劇団一期生か二期生の練習公演” というレベルに思えてくる。
 吉高由里子は、確かに美人かもしれないけれど、演技力がなぁ … 。
 妹役をやっていた黒木華のほうがはるかに演技がうまい。美人度では吉高に劣るかもしれないけれど、チャーミングさでは上。私はこっちの役者のほうを主人公に据えてもいいと思ったくらいだった。

 で、あのドラマで炭鉱王の次に面白かった人物は、意地の悪いアナウンサーとして花子をいじめる有馬次郎。要は、プライドだけが高い、融通の利かない、了見の狭い人なんだけど、その病的な一徹さによって、花子をいじめるだけでなく、軍部に対しても批判的という愚直な姿勢を貫くところが潔いと思えた。

 NHKの朝ドラには、面白いと思えるものと、つまらないと思えるものがある。
 ま、誰だって、好き嫌いはあるだろうけれど、自分の場合は、世間の称賛度が高いドラマになればなるほど、つまらないように感じる。

 社会現象にまでなった 『あまちゃん』 は、いったいどこが面白いのか、自分にはさっぱり分からなかった。
 全編に漂うのは、バブルっぽい80年代的狂騒。
 80年代というのは、地球上の物事がドラスティックに変わっていく人類史的な転換点だったのに、その大変化を “ジュリアナ東京お立ち台” 的な空騒ぎで見過ごしてしまった80年代エンターテイメントに対する嫌悪感は、今でも胸の奥から去らない。

 この80年代的なアイドルになじんだ人は、『あまちゃん』 に対しても、“当時のアイドル文化が思い出されて懐かしいですねぇ” なんていう人が多かったけれど、こっちは80年代アイドルそのものが好きじゃないんだから、もう話が合わない。
 自分の場合、アイドルといえばバスボンのCMに出ていた松本ちえこか、せいぜい 『サンタフェ』 までの宮沢りえ。
 現在でいえば、かろうじて、はるな愛なんだけど、はるな愛は「アイドル」とは言いがたいし、まず女じゃない。

 話が逸れたけれど、 … んなわけで、私にとって、最近の朝ドラで出色のドラマといえば、『カーネーション』 なのだ。
 あれはストーリーそのものが面白かったし、演出も小気味よかった。
 でも、最大の魅力は、やはりヒロインを演じた尾野真千子の存在。
 私はあのドラマで尾野真千子という役者を知り、以来 “魂の恋人” だと思うようになった。

 だから、私の朝ドラの評価基準は尾野真千子の 『カーネーション』 であり、それが、朝ドラを評価するときのスタンダードとなっている。
 となると、『あまちゃん』 は、小学校の学芸会。
 『花子とアン』 は、二流劇団が親戚縁者に券を買ってもらって、地方の公民館などで公演する “素人演劇” 。

 ま、こんなことを書くと、ますます世のなかの主流派を自認する人たちからバッシングを受けて、炎上しそうな気もするけれど、でもやっぱり朝ドラって、ヒロインの魅力がすべてを決定するから、存在感のない女優では務まらない … と私はきっぱりと言いたいのだ。
 女優としての訓練を積むことによって生まれる演技力はもちろんのこと、さらに人生経験とか、度胸とか、個人の胆力の強さとか、そういった総合力がヒロインの存在感を生むと思うわけ。

 能年玲奈じゃ、まだ無理でしょ。
 吉高由里子も、淡白な、浅漬けの白菜みたいな演技をやらされていたなぁ ……。定食の小鉢にちょっと添えられたお新香みたいな演技。脚本のせいか、演出のせいか知らないけれど。

 でも、それがいまの日本人のマジョリティーの求めるものなんだろうね。
 特に朝ドラのヒロインには、演技力とか存在感を浮き上がらせる女優よりも、むしろ、「キャラ立ちの希薄なヒロイン」を据えるほうが一般受けするということを、NHKもよく分かっているようだ。

 で、話がようやく本題に入るのだけれど、今回のNHKの朝ドラ 『マッサン』 はとてもいい滑り出しだったと思う。
 こいつは久しぶりに楽しめそうだな、という予感が働いた。
 なんといったって、子役から始まらずに、いきなり大人のヒロインが登場するところがいい。
 亀山エリーを演じるシャーロット・ケイト・フォックスさんという女優は、顔がアップになると、ちょっと目元のシワなどが目立つけれど、演技力はありそうだし、存在感もありそう。

 NHKも、異文化の「衝突」とその「調和」という、最もドラマが生まれそうなテーマに対し、ようやく本腰を入れて挑む気になったようだ。
 『花子とアン』 でも、英米文学と日本語という異文化の接触がテーマになっていたが、しょせんは、翻訳を通じて外国語を日本語に訳すという程度の異文化交流にすぎなかった。

 それに対し、異文化のもとでそれぞれ育った人間同士が「夫婦」になるときに飛び散る火花の激しさは、翻訳などの比ではない。
 同じ日本人同士だって、それぞれ育つ家庭が異なれば、結婚したときは小さな異文化対決が生まれる。
 ましてや、言葉も、習慣も、宗教も異なる外国人同士となれば、それぞれの背負った「文化」と「文化」の激突となる。

 しかし、それだけに、異文化を背負った夫婦が理解し合って、その波長がうまく合ったときのパワーは、日本人同士の結婚などとは比べ物にならないほど強靭になるだろう。
 そこをうまく描けるかどうかが、このドラマの勝負どころ。

 泉ピン子さん、どうか意地悪なお母さん役の手を緩めないでくださいね。
 ピン子さんが視聴者に嫌われれば嫌われるほど、このドラマは面白くなっていきそうだから。

 
関連記事 「 『マッサン面白くない』 ? 」
 
関連記事 「はるな愛ちゃん可愛い」
 
関連記事 「尾野真千子に漂う 『昭和』 の匂い」   

関連記事 「胸キュン美女図鑑」

参考記事 「じぇじぇじぇドラマ(あまちゃん)には、なじめなかった」

参考記事 「朝ドラと安倍政権」

参考記事 「妻から嫌われた夫の生きる道」 
 
関連記事 「アイドルはジュディ・オング」
 
 

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跨線橋を見に行く

  
 跨線橋を見に行った。

 コセンキョウ ……
 家内にそう言われても、それが何を意味するのか、にわかにイメージが湧かなかった。
 「ほら、電車の線路をまたぐ橋 … 」
 そう言われて、はじめて呑みこめた。

 そういえば、ずっと前から「跨線橋」というものを、一度見てみたいと思っていたのだ。
 もちろん、電車の上を渡る橋だから、どこかでそういう場所は通っているはずだ。
 しかし、ことさら意識したことがなかったので、今日まで「跨線橋」というものが、どういうものなのか、記憶のなかの映像をたどっても、具体的な像を結ばない。
 
 ただ、一枚の絵だけは脳裏に浮かんでくる。
 松本竣介という画家が描いた 『Y市の橋』 。
 昭和17年頃の横浜市にかかる跨線橋を描いたものだという。

 夕暮れの寂しさを背負った不思議な形の橋。
 無骨な鉄材を組んだそっけない橋なのに、それがなぜか夢のなかに出てくる橋のように見えた。まるで、魔法の国の入り口のように思えたのだ。

 もう一枚、やはり松本竣介の 『Y市の橋』 の別バージョン (↓) 。
 前の絵より跨線橋が遠ざかっているが、この絵にも、はじめて見る風景に「デジャブ」を感じたときのような、奇妙なノスタルジーを覚えた。
 
 

 松本竣介の跨線橋の絵を思い出し、にわかに想像力が刺激されて、
 「今日は、跨線橋まで、小さな旅をしてみよう」
 ということで、家内といっしょに跨線橋を見に行くことにした。

 幸い一番近い跨線橋は、家から自転車をこいで30分ぐらいのところにある。
 
 「中央線が好きだ」
 というJRのポスターがあった。
 そのポスターに使われた跨線橋だという。

 今でもそのポスターの絵柄を覚えている。
 いくつかのバリエーションがあったと思う。
 どれも、夕暮れの情景だったような気がする。
 “旅へのいざない” をテーマにしたJRのポスターが多いなか、そのポスターだけは、どこにもありそうな日常の景色を扱っていた。

 なのに、不思議だ。
 橋の向こうまでたどり着くと、その先には、まったく知らない世界が広がっていそうな気がした。
 跨線橋のマジックだ。
 もともと「橋」は、文化史的にみても、“この世とあの世をつなぐ場所” だといわれている。
 その橋のなかでも、跨線橋は特に異色だ。
 「旅」をイメージしやすい電車が通る線路を越えるのだから、もう橋を越えること自体が、ひとつの旅になってしまう。

 私たちが向かった跨線橋も、近づくにつれて、「旅」の様相を強め始めた。
 周りの家々の雰囲気がもう違う。
 いまどき、こんな家屋があるのだろうか? と思えるような古びた木造建築の家があったりする。
 昭和30年~40年頃の雰囲気。
 すでに、タイムトリップが始まっている。

 橋のたもとに、小さな案内板が立てられていた ( ↓ ) 。
 太宰治の写真が掲げられている。
 生前、太宰治がこの跨線橋をよく訪れたのだという。

 「中央線の上にかかる陸橋に友人を案内することもありました。この陸橋は1929年(昭和4年)に竣工した当時の姿を今も留めています」
 という一文が、案内板に添えられている。
 太宰の書いたものらしい。
 いったいどの作品の、どこに出てくる文章なのだろう。
 太宰治の作品を全部読んだわけではないので、それが分からない。

 
 
 階段を上がる ( ↑ ) 。
 いつ頃に作られた階段なのか。
 敷石は黒ずみ、斜面は急だ。
 
 
 
 跨線橋の上にたどり着く ( ↑ ) 。
 誰もいない。
 秋の太陽に照らされたフェンスの影が、地面に不思議な幾何学模様をつくっている。
 
 
 
 フェンスの隙間から電車が見える ( ↑ ) 。
 しかし、動いていない。
 ここは東京のJRでも、比較的大きな電車庫になっている場所だからだ。
 そのため、運転手のいない電車が無造作にレールの上で休んでいる。
 ダダン、ゴゴン …… というレールのきしむ音も、ここでは聞こえない。


 
 無数の線路が見える ( ↑ ) 。
 それも、奇妙な静けさに満たされている。

 登ったときと、反対側の階段を降りる ( ↑ ) 。
 なんとも “慰藉のない” 風景だ。
 しかし、その “殺風景さ” がまたいい。
 どこもかしこも小奇麗に整えられていく東京の風景のなかで、こういう “ささくれだった” 風景に触れると、整備される前の “荒っぽかった昭和” が見えてくるような気がする。


 
 跨線橋の近くに広がる「車両センター = 電車庫」( ↑ )。
 こういうそっけない建物を見ると、遠くに去って行った 「昭和」 のエコー(残響)がまだこだましているようで、奇妙な懐かしさを覚える。
 うるおいのない風景が、ノスタルジックな美しさを漂わしているという逆説。
 自分がとんでもない時代まで生きてしまった、という不思議な気分にとらわれた。

 跨線橋を見たあとは、「丸亀製麺」のカレーうどんを食べて帰った。
 
  
  
  
参考記事 「松本竣介の描く 『沈黙の都市』 」
  
 

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ロイヤル・アカデミー展を観る

 
 秋の深まりを感じさせる秋分の日。
 八王子にある富士美術館に、『ロイヤル・アカデミー展』 を観に出かけた。

 絵を観るのは好きだ。
 特に、今回の美術展には、前から興味を抱いていたウィリアム・ターナーや、ラフェエル前派として知られるウォターハウスやクーパーなどの絵画も上陸するという。
 時代も、技法も、思想も異なる画家たちの作品が一堂に会するという意味で、「ロイヤル・アカデミー」というイギリス国家が管理したコレクションを眺めるのは効率がいい。

 バスで向かう道中、秋の残照を葉に照りかえらせている木々が続いているのが見えた。
 この季節の緑は濃い。
 初夏のはつらつとした緑とはまた異なる熟しきった緑だ。
 冬の予兆をどこかに秘めた、影のある緑。
 その間を流れゆく風も、爽やかさの中に一抹のさびしさを宿す。

 それはそれで、なかなか美学的情緒をかもし出す。
 誠に、芸術鑑賞にふさわしい日であった。
 今は絵画に限らず、どんなアートもネット検索で見ることのできる時代だが、美術展に足を運ぶということは、絵を見る以外の副産物がある。
 道中の風景を目に焼き付けるというのも、その一つ。
 そこから、実は、芸術鑑賞はすでに始まっているともいえる。 
 
 ロイヤル・アカデミーというのは、18世紀の中ごろにイギリス国王のジョージ3世の庇護のもとに創設された “英国美術” のコレクションであるという。
 ヨーロッパ絵画に関心を持つ人たちも、英国美術というものにはうとい。日本で人気を誇るのは、イタリアルネッサンス美術かフランス印象派で、それらの作品を並べた美術展は商業的にも成功するが、イギリス美術となると、多くの人はその代表的な画家の名前すら知らない。

 それだけに貴重な展覧会であり、また実際に見ごたえのある作品が並んでいた。
 下は、英国美術では巨匠となるジョセフ・マラド・ウィリアム・ターナーの 『ドルバターン城』(1800年) 。
 

 ターナーというのは面白い画家で、初期の作品は新古典派のような端正な構図の静的な絵を描いていたが、やがて波のうねりのような動的な描写に魅せられ、どんどんダイナミックな絵に転じていった画家。

 そのうち印象派を先取りするような、光の濃淡だけで輪郭を描く手法に転じ、最後はアブストラクトアート(抽象画)のような世界にたどり着いた人。
 『ドルバターン城』 というのは、新古典派的な静謐感を脱し、ダイナミックな技法に移行していく中間ぐらいに位置する絵だと思われる。流れゆく不穏な動きを見せる雲の描写に、それが見て取れる。

 下は、イギリスでは、ターナーと並び称される風景画家ジョン・コンスタブルの 『フラットフォードの水車小屋』 。
 彼が幼いころから馴染んだ故郷の田園風景を描いたものだという。
 遠景の森と、その上に広がる雄大な雲が印象的な絵だ。
 写実的描写のように見えるが、右側の木々の葉の描き方に、ロココ美術のような “理想化された自然” の痕跡が混じる。
 その混じり具合がのどかな空気感を漂わせ、この絵に “癒し” の効果をもたらしている。

 下は、ウィリアム・ホッジスの 『ベナレスのガート』 (1787年)。
 
 
 
 ホッジスは、イギリス人風景画家として、はじめてインドを訪れた人だという。
 絵の解説を読むと、“ガート” とは、ヒンズー教の入浴の儀式が許された階段状の宗教施設のようだ。
 この絵からエキゾチシズムが漂うのは、水際まで階段がつながっているような施設がヨーロッパなどの建築様式にはないからだろう。
 画家のホッジスは、そのようなインド的情景に接し、異文化体験の興奮を感じたのかもしれない。中央左手に見える寺院の丸屋根が、薄い靄にかすんでいて、画家の “神秘なる東洋” への憧れを表現しているように感じられる。

 今回の美術展のもうひとつの話題になりそうなことといえば、ラファエル前派の作品が登場していること。
 ラファエル前派というのは、イタリア・ルネッサンスの巨匠の一人に数えられるラファエロよりも前の芸術 … すなわち中世の騎士物語や妖精伝説などを主題として扱うという芸術運動のことを指し、絵の傾向も神秘的・耽美的な嗜好を示すことが多い。
 その運動の旗頭となった人々が、英国ロイヤル・アカデミーに所属していたというだけあって、今回の展示物にもその作品が中心の一角をなしている。

 下は、ラファエル前派の代表選手の一人ジョン・エヴァレット・ミレイの 『ベラスケスの想い出』 (1868年)。今回の美術展のポスターにもなった絵だ。


 
 輝く金髪を左右に垂らした少女の顔には、いかにも高貴な身分の生まれであることをうかがわせる気品が横溢している。
 それもそのはず。
 この絵が原型となったのが、スペインを代表する画家の一人ベラスケスの描いた王女マルガリータ (下がオリジナル)。

 ミレイは、その作品に魅せられ、いわば巨匠ベラスケスへのオマージュとしてこれを描いたといわれている。
 金髪はもとより、着ている衣装も少女のポーズも、まさに 『王女マルガリータ』 そっくり。
 なのに、少女の顔だけは、ラテン系スペイン人の顔ではなく、アングロサクソン系イギリス人のきつさが現れているから面白い。

 ラファエル前派というのは、物語や伝承をテーマにした作品が多いことでも知られており、下のジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの 『人魚』 (1900年)などは、その代表例の一つ。

 アンデルセンの 『人魚姫』 の例をとるまでもなく、人魚は、世紀末ヨーロッパ人たちにとっては、珍奇でエロチックな格好の文芸上テーマであった。
 人魚は、人間の男たちをいとも簡単に魅了する妖しい上半身を持ちながら、その下半身はけっして人間の男たちを受け入れる構造になっていない。
 いわば、それは男を拒絶するエロスである。

 このようなパラドキシカルなエロスは、また世紀末ヨーロッパを生きた男たちの嗜好を無類にくすぐるものとなった。
 そこに、世紀末の女性観として流行った “ファムファタール” (運命の女 = たいがい悪女)の系譜を読み取ることも可能かもしれない。

 実際に、“悪女” の存在感を生々しく伝えるのが、下のフランク・カダガン・クーパーの 『虚栄』 (1907年)。
 
 
 
 虚栄心とナルシシズムに酔った女を描いているものだという。
 その証拠となるのが、彼女が手に持つ手鏡。
 自分が男を酔わせる美貌と才気に恵まれているのを確認するかのように、女は満足げに目を閉じている。

 鼻持ちならない女。
 しかし、世紀末の男たちはそれを承知で、こういう女に魅了されていく。
 描いたクーパーにとっても、この絵に描かれたヒロインは、『虚栄』 というタイトルとはうらはらに、自分の理想像であったかもしれない。
 それを証拠に、彼女のかぶりものが、まるで聖母マリアの頭上を飾る光背(こうはい)のようにも見えるのだ。 

 悪女の聖女への転換。
 そういうアクロバティックなテーマこそ、ラファエル前派の特徴であったともいえる。
 かつヨーロッパ的なエロスの根底に横たわる通奏低音でもあった。

 絵を観ることは、言葉にならないものを探すことでもある。
 そこが、文字文化とは違う。
 どのような優れた解説があったとしても、それがその絵の本質に迫っているとはいえない。
 絵に付帯する解説は、あくまでもヒント。
 その絵の本質は、つねに描かれた作品と、それを眺める鑑賞者の “間” にひっそりと漂っているものであり、鑑賞者の知識や教養、美学的感性によってさまざまな変貌を遂げていく。

 絵に答はない。
 だからこそ、絵画の鑑賞は、スリリングな体験ともなりうるのだ。

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アート系 blog 記事

「黒木メイサの 『野性』 (ファムファタールとラファエル前派) 」

「写真を撮るなら、絵画から学べ(ターナーについて)」

「シャバンヌ 『貧しき漁師』 (絵の言葉にできない世界) 」

「ヴァロットンの絵の謎」

「アルカディアの牧人たち (ニコラ・プッサン)」

「退屈な天国、楽しい地獄 (ボッシュの絵画)」

「松本竣介の描く 『沈黙の都市』 」

「フェルメールの生きた時代のオランダ」

「フリードリッヒの描く 『自然』 」

「ナチス芸術の空虚さとメランコリー」

「長谷川等伯の絵」

「草原の孤独 (クリスティーナの世界) 」

「ヘアリボンの少女 (ロイ・リキテンシュタイン)」

「ジョルジョ・デ・キリコの世界」

「エドワード・ホッパーの “晩秋” 」

「ベックリン 『死の島』 の真実」

「ハンマースホイの 『扉』 」

「怖い絵 (ラ・トゥール) 」

「官能美の正体 (ロココの秘密) 」
  
「目白美術館で、桐野江節雄展を観る」

「西洋の誘惑 (美術史家 中山公男について)」

「ジュリアン・オピー (スーパーフラットについて)」

「マックスフィールド・パリッシュの絵画」

「クロード・ロラン」

「カラヴァッジオ 『聖マタイの招命』 」

  
  

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新キャンピングカー 「RIW」

  
 2014年9月20日にインテックス大阪で開かれた「大阪キャンピングカーフェスティバル2014」において、キャンピングカープラザ大阪を通して、チーム「R I W」より、新ブランドのキャンピングカーがデビューした。

 その名も、ずばり「R I W (リュウ)」 。
 

 R I Wとは “Ramble In Wildness” の頭文字を表わしたもので、その意味は、「荒野の散策」。
 「キャンピングカー」という存在が、“キャンプ” という言葉をはらみながら、どんどんアウトドアから遠ざかろうとしている現在、このR I Wは、あえて 「自然」、「アウトドア」、「アナログ」、「フィールド」などという言葉と親和性が高いコンセプトを打ち出したクルマだ。

 外観からして、ワイルドネス(荒野の精神)に貫かれたこの R I Wは、都会的ファッション性などとは逆方向を志向しながら、実に都会的なハイセンスを身にまとった不思議な存在感をかもし出している。

 このクルマの狙いは何か?
 アネックスさんより、コンセプトメイクの概要と画像のメールが送られてきたので、以下、その内容を転載する。

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 キャンピングカープラザ大阪では、このたびキャンピングカーの第2ブランドとして「R I W」を立ち上げ、同時にコンセプトモデル「R I W」の発売を開始しました。
 既製の旅に飽き足らず、自分自身で旅を組み立てたいと願うアウトドアファンのために商品を開発しました。

 ホームページ : http://www.riw.jp/

① 【 車両概要 】

ベースカー : 日産NV200 16X-2R
サイズ(長さ×幅×高さ) : 4400mm×1695mm×1850mm(オプションのルーフキャリアは含まず)
ホイールベース : 2725mm
最小回転半径 : 5.2m
排気量 : 1597cc
燃料:無鉛レギュラーガソリン
最高出力<ネット> : 80kW(109PS)/6000r.p.m.
最大トルク<ネット> : 152N・m(15.5kg・m)/4400r.p.m.
燃料タンク容量 : 55㍑
乗車定員 : 4名
種別 : 小型乗用(5ナンバー)

② 【 価格 】

車両本体価格  3,400,000円 (消費税込み・標準架装装備含む)

③ 【 開発の背景と想い 】

 たとえば、20世紀末に勃発したデジタル革命の進行により、現在のほとんどの写真は、加工され、美化され、すでに「真実」を写したものではなくなっています。
 まさにバーチャル世界が、もの凄い勢いで、リアル世界に浸透しているのです。

 このバーチャル革命がそのまま進行すると、21世紀の中頃には、一部の探検家を除き、大多数の人間は自分の部屋から一歩も出ることなく、安楽な仮想世界で楽しめるようになるかもしれません。

 あるいはそういった楽観的な期待は裏切られ、人類の頭脳の総和をはるかに超えるスーパーコンピューターによって、人類そのものが抑圧的に管理されてしまうという、まるでSF物語のような世界が生まれる可能性もあります。

 そういう空想に身をゆだねているうちに、―― たとえそれが楽観的未来であろうと悲観的未来であろうと ―― 現在のありのままの地球の姿を、しっかりと目に焼き付けておくべきだと思うようになりました。

 たとえば、デジタル化されていない大自然を肌で感じるために、自分の足でリアル世界の荒れ地を走破してみる。
 そのようなアナログの旅のすばらしさを、自らの体験に基づいて夫婦で語り合う。
 そして、それを友人たちや子供たちに伝える。
 それは現在、つまり21世紀初頭においては、とても有意義なことなのだろうと思うようになりました。

 R I Wはそんな旅の移動手段として誕生しました。
 シンプルな色合いの中に、アナログっぽい懐かしさを感じさせるデザインの実現。
 ただし、メカニカル部分は信頼できる最新のテクノロジーを導入。

 ぜひ、R I Wで、地球最後の荒野を目指す旅へお出かけください。われわれに残された時間は、もう少ないのかもしれません。

⑤ 【 スタイルコンセプト 】

 R I Wは、いわゆる “キャンピングカー” です。
 キャンピングカーは、移動する家です。
 車中泊の延長であるバンコンバーション・モデルから、まさにモーターホーム(移動する家)といえるキャブコン、トレーラーのように、R I Wはどこに行っても家の延長として活躍し、どんな環境でも安心できる居住空間を実現するキャンパーです。

 もちろん、フィールドは、人によってそれぞれ異なります。
 キャンプに始まり、釣り、ハイキング、自転車、バイクレース、菜園、ボランティア …
 しかし、今の多くのキャンピングカーは、それらの非日常環境であるフィールドに「居住性」、「機能性」、「快適性」、「安心感」といった日常性を持ち込みます。
 
 でも、フィールドとの一体感を求めるならば、キャンピングカー自体にも非日常性があっても良いのでは?
 例えばキャンピングカーの室内に入るとき、これまでの「靴を脱ぐ」という習慣から解放され、土足のまま上がってみる。
 そして、その靴から落ちた汚れですら “絵” になる。
 そういう体験を持つことが、フィールドとの一体感につながるのではないでしょうか。

 キャンピングカーに、ラグジュアリーな空間はほんとうに必要か?
 私たちは、そのように考えました。
 もちろんかたよった見方かもしれませんが、R I Wが求めたコンセプトはそこにあります。
 私たちは、それが分かる人のために、まったく新しい旅の相棒を創りました。

 キャッチは、これです !!

 HARDでROUGH、 RAMBLE in WILDERNESS !!

⑤ 【 R I Wについて 】

 R I Wは2014年4月、キャンピングカープラザ大阪に誕生したプロジェクトチームです。アウトドア好きなメンバーが集まって、これからも自由な発想で商品開発を進めていきます。

 ⑥ 【 商品のポイント 】

アウトドアに特化

 R I Wは荒野においてはシェルターのような役目を果たします。当然、室内は土足でのご使用を前提として設計。泥んこのトレッキングブーツや雨でずぶ濡れのワンコもそのまま乗れるように制作しました。

豊富なカラーバリエーション(オプション)

 ファブリックやファニチャーパネルに多数の選択肢をご用意しました。お好みのカラーでご自分だけのR I Wをオーダーできます。
 なおかつ、ファニチャーパネルはスクリュードパネル(ネジ止めパネル)ですので買ったあとでも気分に応じてD I Yによる色替えが可能です。

電装

 サブバッテリーにはドイツの名門VARTA製AGMタイプを採用。荒野における車中泊をしっかりサポートします。

調理

 キャンピングカー用としては世界で最も小さい(ANNEX調べ)コンビネーションシンクを装備。
 エネルギー源はカセットコンロ用ガスカートリッジなので旅先でも調達しやすく、省スペースです。
 また、ガラスカバー付なので、使わないときにはすっきりしたシンプルなデザインを実現しています。

冷蔵庫

 DC電源のコンプレッサータイプ冷蔵庫をキャビネット内に設置。マイナス24度まで庫内の温度を下げられるので冷凍庫としての利用も可能です。

セカンドシート

 ロングタイプのスライドレールによりトランスポーターとしても活用可能。いろんなアウトドアグッズをしっかり運搬できます。
 
 
 
TurnTech(ターンテック)

 TurnTechによりフロントシートを回転させ、セカンドシートと対面させてテーブルを囲むことができます。

FFヒーター(オプション)

 エンジンを停止したまま使用可能なFFヒーター。燃料消費量は一晩で約2リットルという省エネタイプです。

⑦ 【 標準装備 】

運転席+助手席 SRSエアバッグ/ABS(アンチロックブレーキシステム)/EBD(電子制御制動力分配システム)/ハイマウントストップランプ/フロントスタビライザー/パワーウインドウ/リモートコントロールエントリー/車両情報ディスプレイ/運転席、助手席フルリクライニング/助手席シートバックテーブル/カラードバンパー/メッキフロントグリル/カラードドアハンドル/フロントフォグランプ/電動ドアミラー(電格無し)/フロントエアコン/TurnTech(フロントシート回転台座)左右/リアシート(REVOバタフライシート)ISOFIX付/リアシート用ロングスライドレール:2000mm/後部ベッド兼アウトドアベンチ(搭載品、2SET)/床面フローリング(古杉板材仕上げ、後部の一部クッションフロア)/サイドカウンター(アルミフレーム構造+エイジング処理された天板付き)/カセットガスアダプター/ポリタンク(10リットル)清水、排水各1個/コンビネーションシンク&コンロ/冷蔵庫(15リットル)/集中スイッチ/サブバッテリー システム/LEDランプ(天井×4、ディマーリモコン付き)/LEDランプ(リアゲート内側×2)/LEDランプ(サイドカウンター下、天井後部右側)/12V ソケット/バッテリーメーター/テーブル(アウトドア兼用)

⑧ 【 販売チャンネル 】

 キャンピングカープラザ大阪限定発売とさせていただきます。

⑨ 【 車検等 】

 正規に予備検査取得していますので、全国どこのエリアでも登録が可能です。
 車両本体部分には、日産自動車さんの正規保証がつきますのでお近くのディーラーさんで保証修理も受けられます。
 
 
キャンピングカープラザ大阪
大阪府箕面市西宿2-20-7 
TEL:072-729-7700
Email: ramble.in.wilderness@gmail.com
HP : http://riw.jp/
 
  
参考記事 「アネックス 『ファミリーワゴン』 」 (2013年)

参考記事 「アネックス 『ファミリーワゴン SSユーロ』 (2013年)

参考記事 「アネックス 『NS-F』 誕生」 (2013年)
 
 

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バレンシア プラス

  
 2014年度も、いよいよ秋のキャンピングカーイベントシーズンが到来。
 その皮切りとなったのが、9月20日(土)~21(日)にインテックス大阪で開かれた「大阪キャンピングカーフェスティバル2014」。

 その会場において、「完全自立型」キャブコンとして人気を誇るマックレーの新型車がデビューした。

 車種名は「バレンシア・プラス」。
 外装デザイン、内装レイアウトとも、これまでの “デイブレイク” シリーズとは一線を画する新意匠が盛り込まれ、早くもマックレーファンの間では話題にのぼっている画期的な新キャブコンだ。
 その最新データと画像が送られてきたので、ここにご紹介。

 まず、外装デザインに注目。
 上品で落ち着いた外版色と、スポーティーなライン取りがうまく溶け合っていて、最近のキャブコンとしては、かなり出色のデザイン。
 ヘッドクリアランスを十分に取ったバンクベッドが搭載されているにもかかわらず、スマートなフォルムが形成されているのは、キャブ段差のところからボディ側に切れ込んでいる白い塗装部分の意匠が利いているのかもしれない。

 内装も白色系と濃茶系を組み合わせた色使いがお洒落。
 ボディ左サイドは、長めの天板を持つキッチンカウンター。エントランスを挟んで冷蔵庫。キッチンカウンターの下には、電子レンジ、スライドボックス、給排水ポリタンクなどが効率よく並ぶ。
 冷蔵庫の容量は40㍑。DC12V仕様。

 注目すべきは、今回リヤ側にトイレ室や収納庫としても使えるフリールームを設けているところ。
 これまでデイブレイクシリーズといえば、リヤ側にも小ダイネットを持つ “ツーダイネットスタイル” の印象が強かったが、扉で仕切られたフリールームを持つことによって、オプションのトイレ、シャワー設備なども付けられるようになり、使い勝手の幅が広がった。

 バンクベッドのサイズは、190×182×76cm。
 寝返りも楽に打てるだけでなく、バンクに乗って座れるくらいのヘッドクリアランスが確保されている。

 「完全自立型」というキャッチを定着させたキャンピングカーだけに、このバレンシア・プラスにおいても、ヤマハ2.8kW発電機(OEMを含む)が標準装備(↓)。
 スライドレールが付いているので、メンテナンスも簡単。
 写真は、発電機を床上に設置する低価格帯のGUパッケージ。
 ほかに、床下に搭載するGDパッケージも用意されている。


 
▼ ダイネットベッドも広々

 いろいろな選択肢が用意されているのも、このバレンシア・プラスの特徴。
 ベース車としては、カムロードのほか、アトラス、エルフ(4WD)も選べる。
 また、外装のカラーリングも6色用意され、好きな色をチョイスできる。
 
 
株式会社マックレー
京都市左京区静市野中町404
電話 : 075-200-3709
HP : http://www.mcley.co.jp

参考記事 「マックレー 『ディアラ』 」 (2013年)

参考記事 「バレンシア・デュエット」 (2011年)
  
 

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祭りは楽し

 

 この前の日曜日は、わが町の八幡大社のお祭りであった。

 これが好きなんだ。
 毎年、この日が楽しみで、カメラを肩に下げて必ず出かける。

 なにしろ、わが町の神輿(みこし)は、日本でも有数な大きさを誇る神輿であるとか。
 その重量たるや約1.3トン。乗用車1台分くらいの重さになる。
 それ以上重い神輿もいろいろあるらしいが、あまり重すぎると、けっきょく担ぎきれない。作ったはいいけど、ただの飾りにものになってしまうわけだ。

 で、わが町の神輿は、担ぎ神輿としては自慢できるくらいに、そうとう大きくて、重いらしい。
 当然、100人~130人くらいの担ぎ手がいないと持ち上がらない。

 だから、少し練り歩いては、休憩。
 沿道には、担ぎ手に麦茶などを配るテーブルが並ぶ。
 
 その間、神輿を担ぐ若衆は地べたに座って、麦茶なんか飲んでいるけれど、お囃子部隊と大太鼓は、休むことなくフル稼動。

 ピ~ヒャララ、ピ~ヒャララ …
 ドーン !! ドーン !!

 特に、周囲1kmぐらいまでは響きわたると思われる大太鼓の音には、何度聞いても興奮させられる。

 この太鼓も大きさが並みじゃない。
 ちょっと前までは、全国で2番目の大きさを誇っていたとか。
 一時は、全国一を誇っていたこともあるらしい。
 今でも、一本の木から枠を作り出した太鼓としては、全国一だという人もいる。皮も、アフリカに生息する一番大きな牛の皮を特注で取り寄せたんだそうである。
 
 そんな大太鼓だから、叩き方にも要領がある。
 足を「ハ」の字に開いて、腰を落とし、バチを大きく後ろに反らしながら、全身を一本のムチのようにして振り切る。

 このとき、軸足をしっかり地につけて、ビクともブレさせないのがコツ。
 そうしないと、上半身だけに力が入り、太鼓の反発力に弾き返されて、のけぞることになる。
 太鼓を打ったときの反発力たるや、相当なものだ。
 ヘタをすると、バチなど、あっという間に手を振りちぎって、後方に飛んでしまう。
 だから、太鼓が叩かれている間は、周囲を綱で囲んで、聴衆が近づかないようにしなければならない。

 バチを思いっきり振りきったときに響き渡る太鼓の音は、まさに “雷鳴” のごとし。
 近くで聞いていると、鼓膜が破れそうな感じ。
 だけど、この迫力に魅せられると、そう簡単にそばを離れることができなくなる。

 休息が終わり、神輿が立ち上がる瞬間が、またステキだ!
 「木が入りま~す !! 」
 と、指揮を執る人の声が響き渡る。
 「木が入る」とは、拍子木が打たれるという意味。スタートの合図だ。
 
 神輿の周りに、にわかにものものしい空気が流れる。
 くつろいでいた担ぎ手と、沿道で見物していた人々の顔に緊張が走る。
 あわただしく隊列が整い、神輿を載せた台座が取り払われる。

 一呼吸おいて、神輿が持ち上げられると、もうあたりは奔流するエネルギーに包まれ、まるで「爆発」が起きたようになる。
 「静」から「動」の鮮やかな転換だ。

 

 なにしろ、1.3トンの大神輿である。
 コントロールを失うとどこに暴走するか分からない。
 そのため、スピードが出てくると、反対側に押し戻す力が必要となる。
 前に進もうとする力。
 それを食い止めようとする力。
 神輿全体が微妙なコントロールによって支えられていることが、その揺らぎ方から推測できる。
 
 夕暮れが迫る頃、いよいよクライマックスの宮入り。
 警察官が20人ほど交通整理にあたり、すべての交通を遮断して、神社へ向かう神輿と大太鼓の通り道を確保する。


 
 大通りの交通が遮断されるということは、いわば非日常の実現。
 神輿の “ご威光” というものが燦然と輝き出す瞬間だ。

 小回りの利かない大太鼓と神輿が、交差点をほぼ全面使いきるように大回りして、神社の門を目指す。
 太鼓のバカでかさが、その上に立って指揮を執る人間の頭が信号機に触れそうなことからも分かる。
 
 神輿の群が近づくと、門の前に店を広げていた露天商たちが、店をあわてて奥に引っ込めて、通路を確保する。
 
 観客に注意をうながす警備員の怒号。
 それでも、好奇心をまる出しに前に進もうとする観客。
 “音だけ拾う” と、まるで戦場のようだ。
 
 門から本殿までの距離はほぼ100m。
 その間の道幅はわずか2mだ。
 両脇には、たこ焼き屋、射的屋、金魚すくいなどの屋台がびっしり。
 そこを入っていくのだから、交通整理の先導隊も、神輿を担ぐ人間たちも神経を極限までにつかう。
 もっとも緊張が高まる瞬間。
 
 大太鼓が神社の門をくぐった瞬間は、地鳴りのような人々の足音と太鼓の響きで、門が揺らぐようだ。

 「神さま、神輿に降り来たりて、民を祝福せんとす」
 実際に、そう思える瞬間がある。
 西日を浴びて、黄金色の神輿が、ひときわ燦然 (さんぜん) と輝くとき、
 確かに、「神様が訪れたな」と感じることがある。

 祭りはいいな。
 血が騒ぐ。
 
 

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反知性主義の時代

 
 かつて思想的な立ち位置を示す標語であった「右翼」とか「左翼」という言葉が、今は意味をなさなくなった時代だといわれている。
 冷戦時代までは、わが国においては、マルクス主義を報じて革命を目指す思想を「左翼」。天皇を崇拝の頂点に置き、その左翼革命から “国を守る” 勢力を「右翼」という分かりやすい対立構造があった。

 しかし、冷戦構造が崩壊して、ソ連が資本主義国家となり、中国も開放経済に邁進するようになった現在、かつて日本で “左翼” といわれた人々は、“お手本とする国家” を失い、せいぜい「右傾化を強める安倍政権に反対して、日本の平和と民主主義を守ろう」風の、リベラリストとしての主張を繰り返すぐらいしかできない。
 
 一方、今の「右翼」といえば、ネットなどで「嫌韓」や「反中国」を標榜する “ネトウヨ” 勢力を指す場合が多く、そこには、かつての右翼が持っていたような思想的先鋭さはない。
 「右と左の対立」などという言説も、急速に風化しつつあるようだ。

 それに代わって、新たな対立軸として浮上してきたのが、「教養主義あるいは知性主義」と、それを毛嫌いする「反知性主義」だという。
 最近たまたま読んだ本が、2冊とも、これに言及するものであった。

ヤンキー化する日本

 一冊は、精神科医の斎藤環氏が著した 『ヤンキー化する日本』 (角川ONEテーマ21)。
 斎藤氏には、『世界が土曜の夜の夢なら - ヤンキーと精神分析』 という面白い本があり、自分はこの本からいろいろな刺激を受けた。
 今回の 『ヤンキー化する日本』 はその続編ともなるものだが、前著のように持論を述べるだけではなく、“ヤンキー文化” を考察できる人々との対談集という体裁をとっている。

 斎藤氏は、同著のなかで、
 「現代は、ヤンキー文化がかつてないほどの広がりを見せている時代ではないか」
 とテーマを投げかけ、そこに、日本人の精神風土に深く根差した “反知性主義” の系譜を見出す。

 氏に言わせると、
 「ヤンキーは、熟慮を嫌う、理屈を嫌うという反知性主義の傾向が強い」
 … のだそうだ。
 
 それは、ヤンキーの好む言葉からも推測できる。
 「ヤンキーにとって無条件に「良いもの」とされている言葉は、『夢』、『直球』、『愛』、『熱』、『信頼』、『本気』、『真心』、『家族』、『仲間』、『覚悟』、『遊び』、『シンプル』、『リアル』、『正直』 … 」

 どれもヤンキーとは関係なく、現代日本社会で、当たり前のように賞賛されている言葉に過ぎない。
 しかし、それこそが、斎藤氏のいう “現代はヤンキー文化がかつてないほどの広がりを見せている” という考察を裏づける。

 それらの語群の背景にあるものは、
 「アツさと気合いで、やれるだけやってみろ、という行動主義」。

 ゴールには「夢」があり、そのゴールに向かうエネルギー源は「愛」や「熱」、そして「気合い」と「アゲ」が至上の価値観となる。
 つまり、
 「判断より決断が大事、考えるな、感じろという世界」
 感じるためには、思考は邪魔になる、という論理展開となる。
 
 
お笑い芸人たちが天下を取った背景

 同氏は、このようなヤンキー気質を持つ人物像として、次のようなモデルを提出する。

 「ヤンキー親和性の高い人々は、基本的にコニュニケーションが巧みである。いま学校で、スクールカーストの上位を占めるのは彼らだ。
 ちなみに教室内の身分を決定づけるのは基本的に 『コミュ力』 だが、その内実は会話能力などではない。空気が読めて、他人をいじって笑いが取れる才覚のことだ。理屈を言うヤツ、考えるヤツは「キモイ」と言われ、カーストの 『中』 以下になってしまう。
 彼らの 『コミュ力』 のロールモデルはお笑い芸人だ。お笑い界にはヤンキー出身の芸人も少なくない。
 ヤンキー的芸人といえば、引退した島田紳助がいる。
 彼は 『自頭(じあたま)が良い』。彼が賞賛されたのは、司会者としての仕切りのうまさであった。
 このような自頭を計る基準もまた 『コミュ力』 である。学校空間のみならず、日本社会においてインテリが束になってもかなわないのは、『自頭の良い(キャラの立った)ヤンキー』 であろう」

 現代社会で人気を集めているのは、まさに、このような人物。
 特に、子供たちの注目を集めるお笑い芸人の大半は、上の引用がそのまま通用するようなキャラクターを持っている。
 お笑い芸人ではないが、かつて一世を風靡した橋下徹大阪知事も、この系譜に入る。
 橋下氏のように、「情報量の少ない会話を無限に続けることができる 『コミュ力』 こそが、覇者の条件なのだ」という。 

 実際、橋下氏が反論するインテリたちを相手に、ばっさばっさと快刀乱麻に切り捨てるトーク番組は痛快ですらあった。
 それを観ていた若い人たちは、さぞや “知性なんてなんぼのものか” という思いに駆られたことだろう。
  
  
ヤンキーは実利をとる

 このような “反知性主義” 的な文化風土が形成されてきたのは、それほど新しいことではない。
 斎藤氏にいわせると、
 「昔から日本人の大多数の価値観では、空気を読まずに理想を語り続ける者は、どの集団でも敬遠され、『ホンネという現実』 を受け入れた者だけが周囲からの承認を集め、力を獲得してきた」
 … のだという。

 氏にいわせると、そもそも坂本龍馬の時代からそういう系譜が顕在化したのだとか。
 龍馬人気というのは、「理屈よりも自頭の良さで世の中をリードした」という神話が結晶化したもので、裏を返せば、ヤンキー人気。
 彼の先見性というのは、封建社会に生まれ育ったにもかかわらず、いちはやく資本主義的な嗅覚を働かして、商売を立国のかなめに据えようと考えたことにある。
 それがなぜ “ヤンキー的” かというと、理屈よりも実利を重んじたところにあった。
 
 斎藤氏はいう。
 「ヤンキーは反知性主義だからといって、勉強が苦手、とは限らない。自頭の良いエリートヤンキーは、タテマエとしては学歴をバカにしつつも、猛勉強して一流大学に入り、弁護士や行政書士の資格を取るものもいる。
 ただし、彼らは徹底して実学志向になる。哲学とか精神医学とか、実利につながらない学問は洟(はな)にもひっかけない」

 そこには、意外と計算高いリアリズムがあり、
 「彼らは、“社会を変えよう” とは言わない。“社会が変わる” とも信じていない。彼らの夢をポエム風にまとめると、こうなる。
 『世界は変わらない。変えられるのは自分だけだ』 。
 つまり彼らは、自らの夢すらも実現可能な範囲にとどめておけるだけのリアリストなのだ」
 … ということになる。

 「社会を変えよう」
 というのは、これまで左翼的なインテリの専売特許だった。
 彼らは言い続けた。
 「今までの既存の政治体制や古びた思想から脱却し、大衆よ目覚めろ。家を捨てて荒野に立て」
 と。
 しかし、このような “切断” を強要する言説は、ヤンキーからもっとも毛嫌いされる。
 何しろ、ヤンキーが尊重するのは、「夢、愛、信頼、家族、仲間」なのだから。
 
 
安倍首相はヤンキーだ !?
 
 このようなヤンキー気質が、特に世の中のメインストリームを形成し始めたのは、
 「2012年の暮れに第二次安倍政権が成立してから」
 と、斎藤氏は指摘する。
 対談パートに入ってから、氏は、中国文化に詳しい歴史学者の與那覇 潤(よなは・じゅん)氏との対談で、こういう。
 
 「(安倍さんは)さすがに 『瑞穂(みずほ)の国の資本主義』 という迷言を吐いただけあって、ヤンキー的としかいいようがない体質を持っている。
 思想的な一貫性はあまり重視せず、ロジックがなくてポエムだけがある。ヤンキー的な人々というのは、感性を肯定するために知性を批判する」

 ちなみに、「瑞穂の国の資本主義」というのは、安倍首相が2013年1月号の『文藝春秋』 に掲載した論文 (以下一部を孫引き) 。
 
 「日本という国は古来から、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら、秋になれば天皇家を中心に五穀豊穣を祈ってきた 『瑞穂の国』 であります。
 私は瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、しかし、ウォール街から世間を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国にふさわしい市場形成の形があります。
 …… 安倍家のルーツがある長門市には棚田があります。日本海に面していて、水を張っているときは、ひとつひとつの棚田に月が映り、遠くの漁り火が映り、それは息をのむほど美しい。
 棚田は生産性も低く、経済合理性からすればナンセンスかもしれません。しかしこの美しい棚田があってこそ、私の故郷なのです。そして、その田園風景があってこそ、麗しい日本ではないかと思います」

 … というような詠嘆調の美文で綴られた論文で、斎藤氏は、その無邪気な率直さを認めながらも、“内容空疎の名調子” と喝破する。
 そこに散りばめられた言葉には、「自立自助」、「汗を流す」、「道義」、「美しさ」などという、およそ政治の言葉とは無縁なボキャブラリーが横溢し、ヤンキーの愛する「夢、愛、熱、信頼、真心、家族、仲間、覚悟、正直」などという言葉と親和性が高いことを指摘する。
 
 ヤンキーは、事あるごとに、
 「考えるな、感じろ」
 というが、それに対して、斎藤氏は一言。
 「考えない者には、感じることすらできない」
 
 
日本劣化論 

 安倍政権の本質を「反知性主義」と断じたもう1冊の本に、笠井潔&白井聡両氏の対談集 『日本劣化論』 (ちくま新書)がある。

 ここで笠井氏は、今の安倍政権が、アメリカの意向を汲むような政治路線を歩んでいながら、対中国戦略などにおいて、アメリカとの関係がぎくしゃくしてきた理由として、
 「 …… (安倍政権が対米関係に鈍感なのは)安倍個人の知性の問題もあるが、日本社会に深く根を張りつつある新たな反知性主義の問題でもある」
 と指摘。
 それを受けて、白井氏は、
 「こういう時期にああいう人間が首相になって、最高権力者になってしまったということは偶然ではなく、ある意味必然。社会全体に反知性主義が蔓延してきた結果である」
 と応じている。

 ここでもテーマは、「日本に広まりつつある “反知性主義” 」だ。
 では、笠井・白井両氏のいう「反知性主義」とは何か。

山の手エリート文化人への反発

 もともと、知性主義とか教養主義(あるいは啓蒙主義)というのは、日本古来のものではない。
 それは、明治以降、欧米から輸入されてきたものだ。
 カタカナ書きのヨーロッパの思想家や学者たちの書物が、時代の先端思想としてもてはやされ、教育レベルの高い山の手文化人の家庭に広まっていった。

 が、それは日本古来の伝統的な思想形態とは異質なものだった。
 (これは私の言葉だが)、ヨーロッパ系知性というのは、必ずしも共同体の絆を大切にするものとは限らない。時には、反社会的ですらもある。
 「大衆蔑視」という言葉を使うと語弊があるのかもしれないが、共同体とは切断された “自立した個人” を尊ぶ傾向があって、文学的、美学的に大衆から決別した価値観を志向することを重んじた。

 当然、このような “山の手文化気質” は、庶民といわれる層の反感を買う。
 日本には、ヨーロッパ的な教養とは別に、「勤勉に働き、他人から見て恥ずかしくないような常識を身につける」という生き方 … 笠井・白井両氏は、これを「二宮尊徳型人物」と定義する … そのような生きざまを体現する人物像こそが社会で評価されるものとなり、ヨーロッパ的教養人などは、鼻持ちならない人種として敬遠される傾向にあった、という。

 この “庶民的人物像” に対する世間的な評価の確立が、汗水垂らして経済復興を目指した戦後の高度成長を支え、それが80年代の 『プロジェクトX』 (NHK)まで続いた。
 だから、日本の “反知性主義” というのは、ある意味、戦後日本を支えた主流イデオロギーであったというのが、笠井・白井両氏の見立てだ。

 ところが、このような戦後経済を領導した “反知性主義” も、バブル崩壊以降の経済的失速で、急速に実体を失っていく。
 後に残るのは、「実体」ではなく、「気分」。
 「知的なもの」、「教養主義的なもの」を生理的に毛嫌いする “気分” だけが残り、それが日本中に蔓延していく。

 ここで、前掲した斎藤環氏の 『ヤンキー化する日本』 との接点が生まれる。
 『日本劣化論』 の中で、白井聡氏はいう。
 「反知性主義というのは、知性が不在だということではなく、知性への憎悪である」

 この言葉は、まさに斎藤環氏のいう、「ヤンキーの特徴は、熟慮を嫌う、理屈を嫌う」という言葉と呼応する。 
 
 
知性の崩壊は、日本の経済的成功がもたらした
 
 『日本劣化論』 のなかで、笠井氏は語る。
 「教養主義が失墜した最大の理由は、日本経済の大成功。1980年代の消費社会とポストモダンな近代批判が、それに追い打ちをかけた」

 たらふく食べられて、楽しく遊べる社会では、知性などは要らない。
 1980年代のバブル期においては、「知性・教養」はますますウザくて、イケていないものの代名詞となり、町の本屋から教養書は消えて、代わりに、いかに儲けるか、いかに楽しく遊べるかというハウツーものが大量に並べられていく。
 「知性」と「教養」は、バブル以前のステータスであったから、それを葬り去るには、「時代遅れ」のレッテルを貼るだけで十分だった。

 また、80年代のポストモダニズムでは、「知性」と「教養」は “近代の生んだもの” と定義づけられていたから、近代批判をメシの種としていた当時のインテリ層をも巻き込んだ。

 このようなバブル期から現代まで続く「反知性主義」の系譜を、笠井・白井両氏は、アメリカの実学主義的な学問の浸透とは無関係ではないという。
 白井氏は述べる。

 「90年代、様々な学問分野でドイツやフランスの学問からアメリカの学問に変わった。ここも一つの転換点となる。
 そもそもヨーロッパとアメリカでは、学問が前提とする人間観が違う。ある意味、アメリカは動物の国で、人間の人間性を認めないため、ヨーロッパ人が想定した人間の人間性を前提としない形で学問ができあがってきた。
…… 『人間の不在』 は、心理学などで特に典型的に見て取れる。また、経済学や政治学にかんしても同様で、計量分析的な手法が急速に幅を利かせるようになってきた。
 計量分析とは一人ひとりの内面を考えず、(人間を) “群れ” としてとらえるものである。そうした方法がまったく無意味だとは思わないが、それのみが学問であるという傾向が90年代以降強まった。
 このことが教養主義の崩壊とどこかで通底している。
 つまり、アメリカ的な学問はどんなに極めても教養ある人間にはなれないともいえる。それは、悪く言えば、飼い馴らされた群れを統御するための技術学であり、その技術のマイスター自身もそのような人間観に疑問を抱くことがない」

 言い得て妙だという気がする。
 笠井・白井両氏は、批評家・学者だから、学問についてのアメリカの影響を語っているが、ことは学問だけですまされない。
 ハリウッド映画などの映像文化、ファーストフードのような食文化に至るまで、私には「人間を群れとしてしか考えない」思想が蔓延してきているように思えて仕方がない。
 
 ヤンキーの愛する「仲間、絆、家族、夢、愛、熱、信頼、真心」などという言葉も、美しい響きを持ちながら、しょせんは “群れの思考” である。
 
 もちろん、それらの言葉が、現在、人々の折れそうな気持ちを立て直すことにつながることは認めるが、「愛」 も、「絆」も、「夢」も、言葉そのものよりも、それがどういう文脈の中で語られるかが問題なのだ。
 文脈を無視して、「愛」や「絆」という言葉だけが独り歩きしているのが、現状。
 それは、結果的には、「愛」や「絆」の意味を空洞化することにつながりかねない。

 私は、「時代遅れ、へそまがり、天邪鬼」と言われようとも、「愛」や「絆」の彼方に広がる荒野の知性を見つめる人間であり続けたい。
 
 
関連記事 「斎藤環 『世界が土曜の夜の夢なら』 (ヤンキーの美学)」

参考記事 「ヤンキーとドン・キホーテ」 

参考記事 「 『桐島、部活やめるってよ』 とスクールカースト」

参考記事 「朝ドラと安倍政権」

  
参考記事 「GOLD ☆ RUSH (キャロルと矢沢永吉)」

参考記事 「孤独を嫌う時代」
  
 

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目白美術館で、桐野江節雄展を観る

 
 わが国で、最初の国産キャンピングカーによる海外旅行を体験した画家の桐野江節雄さんの絵画展が、東京・豊島区の「目白美術館」で開催された。
 同美術館のオーナーである高島穣(たかしま・じょう)さんに招待状を送っていただいたので、さっそく鑑賞にでかけた。

 招待状をいただいたきっかけは、高島さんがネット検索で、桐野江氏の記事を書いた当ブログを見つけてくださったから、とのこと。
 ありがたいお話である。 
 

 
 その高島氏が営む「目白美術館」は、山手線目白駅より徒歩1分。駅を出て横断歩道を渡り、ほぼその向かい側に位置している和菓子屋「寛永堂」ビルの8階にある。


 
 この7月にオープンしたばかりの新しい美術館だが、黒を基調としたモダンデザインで統一されたお洒落なインテリアが特徴。
 ビルのワンフロアだけというこぢんまりとした規模だが、なかなか落ち着いた空気に満たされていて、都心にぽっかりと浮かび上がった清冽な “オアシス” という雰囲気がある。

 オーナーの高島穣氏( ↓ )に、桐野江節雄展を催した経緯などを聞いた。
 

 きわめて、個人的な動機だったという。
 「私の実家が、たまたま桐野江先生が住んでいらっしゃた家に近いところにあったのです。父は趣味で絵をやっていましたから、自然と桐野江さんと親交を重ねることになったんですね。
 だから、私の家には桐野江さんがキャンピングカーでアメリカやヨーロッパを回っていたときに描かれたスケッチなどがありました。それを子供のころから眺めていましたから、桐野江さんの絵が空気のように家庭環境のなかにあったんです」
 
 そんなことがきっかけとなり、お父様から間接的に “桐野江さんのキャンピングカー道中記” などを聞いて育った高島氏。キャラクター的にも、桐野江さんが魅力溢れる個性の持ち主であることを知り、親近感を感じるようになっていた。
 それが縁で、
 「桐野江さんの絵を買い集めるようになりました」
 とのこと。
 だから、今回出展された30点ほどの絵は、その大半が高島氏の個人所有なのだという。

▼ 桐野江節雄 作 『自画像』

▼ 桐野江節雄 作 『雲映える日の出』

 ちなみに、高島氏のメインのお仕事は何なのか。
 「大学受験塾を経営しているんですが、昔から絵を集めるのが趣味で、ネットなどのオークションを検索しながら、コツコツと絵を集めてきました」
 
 その数は、小品、スケッチなども含めて約400点。絵のコンディションを保つための施設も用意し、コレクションの数も充実してきた。

 「そうなると、一人で眺めているのももったいないと思うようになり、多くの皆様にも観ていただくために、この美術館を開設することにしたんです」

 作品の多くは、日本の近代美術。昭和から平成初期に描かれたものが中心となる。
 それを作家単位の「企画展」として、随時公開していくとのこと。
 今回の桐野江節雄展の前には、日展などで活躍した刑部人(おさかべ・じん)の企画展が開かれ、今後は楢原健三、鈴木千久馬(すずき・ちくま)といった画家の特集を組んでいくという。
 
 「今回の桐野江さんのように、すごい実力を持ちながら、まだまだ一般的な評価が広まっていない絵描きさんが日本にはいっぱいいらっしゃるんですよ。生前は人気作家だったのに、今はだんだん忘れられつつある方もいらっしゃいます。
 そういう実力のある画家の業績を一人でも多くの人に伝えたい、というのが、この美術館の趣旨ですね」

 今回の企画展に選ばれた桐野江氏の絵の特徴とは何か。

 「やはり、いちばん有名で評価が高いのは、日の出を描いたものですね。桐野江さんが描かれる日の出の情景には、この人でなければできない独特の色使いがあって、観ているだけで網膜に朝焼けがしみこんでくるような迫力があります」
 と、高島さんは語る。

▼ 『港の朝』

 “桐野江朝日” に宿っている迫力を一言であらわすと、
 「臨場感です」
 と、高島さんはいう。

 桐野江氏は、日の出前に絵を描くための準備を進めておいて、陽が昇り始めると、一気呵成に描いていく。
 時間との勝負。
 紫色の空に赤みが差し、雲も海も刻々と変化していく様子を、すべて一枚の絵のなかに、精魂を込めて圧縮する。
    
 「その気迫、技法、経験。すべてが朝焼けシリーズには凝縮しています」
 と高島さん。

 同展覧会には、桐野江氏の朝陽に込める思いをつづった文章がパネル化されていた。

 「とにかく日の出は美しい。朝陽、朝焼け、その日その日で毎日違う。百回拝めば百回違うんで、おだやかに昇る日、カッと強烈に照り映える朝、霞にかすむ日、それぞれに毎回違う」
(日動画廊編 『繪』 1979年179号、桐野江節雄 「赫い雲」より)

▼ 『九十九里浜の日の出』

 さらに、次のような桐野江氏の言葉も。

 「油絵具の赤色は明度が低い。黄や青や緑では相当明るい絵の具があるのに、赤い絵の具だけは明るくないから見えたように写生しようとするとたいそう困ることになる。
 赤を明るく描こうとするなら、まわりを暗く描くか、隣に寒色を持ってきて相対的に明るさに引っ張り込むかということなんだろうが、赤い朝霞の中に赤く輝くお陽様を描け … となると、もう私には打つ手がない。
 私がずっと日の出・朝焼けを描きつづけているのも、日の出が好きだ、美しいと感激することの次に、明るくない赤絵具でどうやったら明るいお陽様が描けるだろうかやってみるのが面白い。
 やってみるけれども、出来ないから、また、描いているみるという繰り返しでもあるらしい」

 ここに、“桐野江マジック” の秘密が明かされている。
 さらに、次のような制作過程も記録されている。
 
 「夜明け間近、東の空が白んでくるころから日の出までの、約1時間が勝負。刻々と変化する対象を前にして、15分、20分 … と経過する時間の中で、絵の進行ぐあいを見て、描いていく。
 雲の細かい部分を描き込み、形を決めていく。
 色は、実際に見えるよりも強く置く。乾いてから明るい色を重ねて、柔らかくなる分だけ強く。つねに眼をクルクル往復させていることを忘れてはいけない」

 観る人の網膜にまで染み込んでくる桐野江氏の朝焼けは、このようにして生まれてきたのだ。

 もちろん、桐野江氏は日の出ばかり描いていたわけではない。
 垣根に咲くバラの花を描いた作品などは、ほんとうに薔薇が浮き上がって迫ってきそうだ。

 さらに得意だったのは、人物画だとか。
 同展覧会では、数多く描かれた人物画の代表作も展示されていた。

▼ 『婦人像』

▼ 『裸婦』

 上の裸婦は、どことなくゴヤの 『裸体のマハ』 を思わせる構図。
 スペインの巨匠といわれる画家の作品にも匹敵する日本の近代絵画の成果がここに生まれている。

 個人的に好きだったのは、オランダのマーケン島を描いた絵(下)。キャンピングカーでアメリカ、中南米を経て、ヨーロッパに渡ったときの作品だという。


 
 なにしろ、桐野江氏が国産キャンピングカーを手に入れてヨーロッパを回ったのは56年前。
 それもマツダのオート3輪を改造したものだった。
 会場には、そのときの様子を伝えるペーパークラフトや、現地で取得したナンバープレート、その旅行記を綴った著作( 『世界は俺の庭だ』 )なども展示されていた。

▼ キャンピングカー旅行の記録を綴った 『世界は俺に庭だ』 。名文 !!

▼ そのなかに登場するキャンピングカー 「エスカルゴ号」 (右側のオート3輪)

 「目白美術館」に寄った後は、1階の和菓子屋「寛永堂」で、人気の高い老舗の和菓子を食べて一休み(※ 奥に喫茶スペースがある)というのもお薦め。寛永堂は美術館とセットで、都会の中の “憩いの空間” を形作っている。

 

目白美術館
東京都豊島区目白3-14-3 8F
電話 : 03-5906-5521
HP : http://mejiroartmuseum.com/
※ 桐野江節雄展は、9月14日(日)まで 


 
 
関連記事 「エスカルゴ号の話」

関連記事 「エスカルゴ号2」
 
 

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ヴァロットンの絵の謎

 
 スイス生まれで、フランスで活躍した画家フェリックス・ヴァロットン。
 … という画家を知らなかった。
 2014年の9月6日、テレビ東京の 『美の巨人たち』 で紹介されるまで、その名を聞くことも、描いた絵を見ることもなかった。

▼ ヴァロットン 『ボール』

 しかし、番組で紹介されたいくつかの絵を観ているうちに、すぐさま虜(とりこ)になった。自分の “好きな絵” の系譜に入る絵だったのだ。

 どういう絵が好きなのか。
 自分の好みは一貫している。
 “不穏な絵” が好きなのだ。

 何やら、まがまがしい事件が起こりそうな絵。
 真相を知ると、不幸な運命に巻き込まれそうな絵。
 深い憂愁と、けだるいアンニュイに包まれた絵。
 そういう “祝福されない” 絵を自分のアンテナが拾ってしまう。

 絵の奥に、表面に描かれたものとは別の世界が口を開けているような雰囲気が漂うもの。
 「絵」というものは、概してみなそういうものだが、その中でも、ことさら「謎」を感じさせてくれるようなもの。

 画家でいえば、
 ジョルジョ・デ・キリコ。
 エドワード・ホッパー。

 そういう絵に触れると、神経回路がピピピッと動き、謎解きの衝動が脳内を駆け回る。
 
 ヴァロットンの絵は、そういう自分の嗜好を見透かしたかのように、ひっそりと寄り添ってきて、「迷宮に行ってみないか?」という呪文をささやいた。
 
 フェリックス・ヴァロットン。
 1865年に生まれ、1925年に60歳で亡くなったという。
 19世紀の世紀末気分の中で呼吸し、20世紀初期の爛熟した妖しげな文化に包まれたまま逝った人だ。
 あまり名前を知られていないのも当たり前。
 日本はおろか、地元のフランスでさえ、これまで無名に近い扱いを受けていた画家だという。

 しかし、その画風が現代社会の陰影をも映し出すという評価が与えられ、先ごろパリで開催された大回顧展では、なんと31万人の人々が会場に足を運んだといわれている。
 日本で、ようやくその個展が開かれたのが、今年の6月(6月14日~9月23日 三菱一号館美術館)。
 テレビなどでもいろいろな特集が組まれ、いちやく話題の画家になった。

▼ フェリックス・ヴァロットン

   
 テレビ東京の 『美の巨人たち』 では、そのヴァロットンの 『ボール』 という絵が「今日の一枚」として選ばれていた。

 夏の陽光が照り輝く豊かな芝生。
 麦わら帽子をかぶった少女が、夢中になって、転がる赤いボールを追いかけていく。
 

 少女の行く手には、緑の豊かな森が広がり、健康的な爽やかさが画面の手前を覆っている。
 少女の無邪気さ、天真爛漫さが、地面を蹴る足の躍動感から伝わってくる。

 ここだけ切り取ってみれば、明るい牧歌的な世界を描いた絵のように見える。
 しかし、画面後方にたたずむ二人の人物まで視線が届くと、突然別の空気が絵の中に流れ込んでくる。

 白い服と青い服を着た貴婦人たち。
 顔までははっきりと見えない。
 しかし、遠くにいるこの二人の人物が、少女の生きている世界とは違う住人であることははっきりと伝わってくる。

 二人の貴婦人は何者なのか?
 そして、少女とはどういう関係なのか?

 『美の巨人たち』 では、パリの街頭でこの絵をさまざまな人々に見せ、それを推理させていた。
 「どちらか片方は、この女の子のお母さんだわ」
 という声が多い。
 
 しかし、そうは言いつつも、
 「でも母親なら、普通もっと女の子のそばにいない? こんな距離があるなんて不自然。女の子のことが心配じゃないのかしら? きっと話に夢中になっていて、女の子のことを忘れているのね」
 という意見を添える人もいる。

 そう。
 この二人の貴婦人と少女の間には、「距離」があるのだ。
 単に物理的な距離というだけではない。
 芝生の途切れるところから、なにか別の世界が広がっているような “距離感” だ。
 それが、この絵に得体のしれない怖さをもたらしている。
 明るく牧歌的な風景が、この二人の貴婦人のかもし出す不穏な空気に染まり、にわかに暗さと冷たさを増していくように感じられる。
 
 自分はこの絵を見て、不吉な匂いを嗅いだ。
 遠景の二人の人物に見覚えがあったからだ。
 特に、右手の人物。
 全身を白い衣装で包んだ人間は、私にとって、この絵ではじめて見た人物ではなかった。
 別の画家が、これとそっくりのシルエットの人間を描いていた。
 アルノルド・ベックリンの 『死の島』 においてである。
 
 
  
 その記憶が自分の脳内に沈んでいて、ヴァロットンの 『ボール』 を見たとたん、『死の島』 の人物が深海から泳ぎだすように浮き上がってきた。
 だから、「遠景にたたずむ二人は、“死の島” からの使いなのだ」 と、自分には思えたのである。

 『美の巨人たち』 でも、やはりこの二人の人物が、少女のいる世界とは別の世界を暗示していることに触れる。
 番組に登場する美術研究家の一人は、「大人と子供の世界の分離」を指摘した。
 明るい芝生の世界は子供の世界。
 そして、その芝生を閉じ込めるように包んでいる緑の森が、二人の貴婦人たちが生きる大人の世界。 

 少女は、赤いボールを夢中になって追いかけている。
 そこには、大人の約束事にとらわれない自由な幼年期に対する憧れが描かれている。

 しかし、そのボールは、大人たちのいる森の方向に転がっている。
 懸命に少女が追いかけても、やがてボールは、大人の世界を暗示している深い森の中に吸い込まれていくだろう … と。
 だから、この絵は、至福の幼年期の終わりを … つまりは終末の予兆を描いているのだと。 
 
 そういわれると、確かに、少女の行く手をふさいでいる森の木は、無邪気な幼年期を呑み込む “津波” のように見えてくるし、少女の背後に迫る影は、少女の幼年期にとどめを刺そうとしている “狩猟者” のように見えてくる。

 こういう絵を描くフェリックス・ヴァロットンとは、どういう人物なのか。
 ネットから拾った情報によると、彼はスイスのローザンヌの中流家庭に生まれ、絵画を学ぶためにパリに移住し、芸術運動のナビ派に属して、若い画家たちとの交友を図ったという。
 
 そして、1989年にパリの大画商の娘で、3人の子供がいる未亡人ガブリエルと結婚。ブルジョワの仲間入りをして、生活は安定する。
 
 しかし、番組の解説によると、この結婚は必ずしもヴァロットンに幸せをもたらしたわけではなかったともいう。
 血を分けた実子ではない連れ子たちとの生活は、彼に精神的なプレッシャーを与え、家庭生活を息苦しいものにしていった。
 そんな気分が濃厚に描かれているとして紹介されたのが、下の1枚。
 『夕食 ランプの光』

 

 家族が集う楽しいはずの夕食だというのに、食卓の上にはやるせないほどの空虚な空気が流れている。
 特に正面にいるおかっぱ頭の少女は、瞳の奥に、黒々とした虚無を抱えている。

 ここでは妻の姿が見えない。
 それは、妻がこの空漠とした生活に助けをもたらすような人間ではないことを物語っている。
 だから、主人公のヴァロットンは、やり場のない目を伏せているだろうと思われる後ろ姿のシルエットとして描かれざるを得ないのだ。

 彼の妻は、どんな人物だったのだろう。
 たぶん彼は、その妻の心根に、ついに触れることはできなかったのではなかろか。
 … と思えるような作品が、下の1枚。
 『赤い服を着た後姿の女性のいる室内』

 後姿。
 “顔” が見えないのだ。
 文字通り、ヴァロットンには、妻の “素顔” … すなわち「正体」を見ることが叶わなかったのだ。
 いくつもの部屋にさえぎられた室内は、まるで迷路のようだ。
 それも、ヴァロットンが新しい家族たちの心が読めない不安さを表現しているように感じられる。

 この 『赤い服を着た後姿の女性のいる室内』 も、私にはかつて見たことのある1枚の絵を招きよせる。
 ハンマースホイの描いた 『背を向けた若い女性のいる室内』 (下)
 タイトルまで似ている。
 
 
 
 ハンマースホイもまた19世紀に生まれた画家。
 ある意味で、ヴァロットンと共通の精神世界を持っているように思える。
 彼もまた女性の後姿を描く。
 あたかも、相手の顔を正視することに恐れを抱いているかのように。

 そして、ハンマースホイの絵には、陽光の差し込む静謐な室内が描かれても、その光は、この世とは別のところから差し込む光のように感じられる。

▼ ハンマースホイ 『居間に差す陽光』

 
 ヴァロットンの女性観がどのようなものであるのか、私はよく知らない。
 しかし、下の絵( 『貞淑なシュザンヌ』 )に描かれた女性の目を見ていると、彼にとって女性は、油断のならない、危険な香りに満ちた存在であったのではなかろうか。
 ハゲおやじ二人に囲まれた “シュザンヌ” は、「貞淑」という言葉とはうらはらに、声をひそめて悪だくみでもしているように見える。

 この “女” にも、自分は前に会っている。
 ジョルジョ・ドゥ・ラ・トゥールの 『いかさま師』 (下)という絵の中でだ。

 中央の女は、周りの連中とグルになって、いかさまトランプで無邪気な若者から金銭をまきあげようとしている。
 その女の恐ろしい目と、ヴァロットンの描くシュザンヌの目は酷似しているように思える。

 ヴァロットンにとって、「女性」は男を惑わす妖婦だったのかもしれない。
 彼は油彩と同時にたくさんの版画も制作していたが、その版画にも女性のしたたかさを表現したようなものが目立つ。
 下の版画のタイトルは、『お金』 。

 絵は、まさにタイトルどおりの物語を匂わせる。
 お金をエサに、若い女性に言い寄る中年紳士。
 彼の背中がそのまま部屋の暗さと一体となっているのは、男が自分の欲望を闇の中に隠しながら、甘い言葉で女性に迫っているからだろう。

 女は、男の視線から逃れるように、外を見つめている。
 しかし、彼女もまた、自分の心を隠している。
 これは、女が男をじらしているのだ。
 その証拠に、その表情には、甘い媚が浮かんでいる。

 男と女の駆け引きを、白と黒の対比によって描く手腕はなかなかのものだ。
 ここにも、女を邪悪な存在として描き続けたビアズリーとも共通した世紀末美学が感じられる。

▼ オーブリー・ビアズリー 『サロメ』 

 ヴァロットンはまた、女の妖しげな官能美も巧みに描く。
 下の絵は、『エウロペの略奪』。

 ギリシャ神話に出てくる牡牛に化けたゼウスが、美しい人間の王女エウロペを誘惑して略奪するという話がテーマになっている。
 エウロペの美しい尻を見てほしい。
 このような肉感的な美尻を描いた画家は、ロココ時代の画家フランソワ・ブーシェ以外に見当たらない。

▼ ブーシェ 『金髪のオダリスク』

 
 豊饒なエロスと、邪悪な精神。
 ヴァロットンは、そこに女性の本質を見た。
 それは、いかにも19世紀的な女性観だが、ある意味で、男が理想としているものでもある。
 数々の男を転がして泣かしてきた邪悪な女が、自分だけに見せる甘い笑顔。
 現代では、それを「ツンデレ」という。

 もちろん、邪悪な女の甘い笑顔がいつまでも自分に向けられるとは限らない。
 しかし、裏切られるという “期待” がなければ、官能的な恋は生まれない。

▼ ヴァロットン 『怠惰』 … アンニュイも、また男にとってはエロスの源泉だ
 
   
 
参考記事 「ジョルジョ・デ・キリコの世界」

参考記事 「エドワード・ホッパーの “晩秋” 」

参考記事 「ベックリン 『死の島』 の真実」

参考記事 「ハンマースホイの 『扉』 」

参考記事 「怖い絵 (ラ・トゥール) 」

参考記事 「官能美の正体 (ロココの秘密) 」
  
 

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キャンピングカーで行く軽井沢

 キャンピングカーで観光地を回るというのは、車両サイズが大きすぎて一般の駐車場に入らないというような大型車を除けば、けっこう気楽なものである。

 歩き疲れたら、車内に戻って、昼寝ができる。
 冷蔵庫があれば、生鮮食品などのお土産も気楽に買える。
 場合によっては、その駐車場に1泊料金を払って宿泊する覚悟を決め、近くの居酒屋などに繰り出せる。
 天気予報をチェックして、目的地が雨ならば、自由に行き先を変えることもできる。
 まあ、フレキシブルな旅ができるというわけだ。

 夏休みをとった8月の後半は天候不順だったので、まさにそんな旅になった。
 朝、目が覚めてから天気予報をチェックし、雨の降らない場所を求めて出かける。
 気に入った場所があれば、高速のSAでも道の駅でも休憩・仮眠ができる。
 そもそも宿をとっていないので、予約に拘束されることがない。
 
 8月下旬のウィークデイ。
 中央高速の諏訪SA(上り)で目覚め、須玉インターまで下りてきたところで、
 「さて本日雨の降らない場所はどこだ?」
 と天気予報を調べてみると、軽井沢方面が晴れていると分かった。
 犬も含めた家族会議で相談し、
 「じゃ、そっちへ行ってみるか」
 と決まった。

 車中泊に飽きた犬だけは反対して、「もう帰ろうよ」と訴えたが、人間たちに押し切られた。
 しょせん自活能力のない飼い犬の悲しさだ。
 無慈悲な旅である。
 
 須玉から軽井沢に至るには、国道141号を北上する。
 左手に八ヶ岳山麓。
 高原の夏は短く、空にはすでに秋の気配がみなぎっている。

 途中、JRの駅としては “最高峰” を謳う小海線の野辺山を通る。
 最高峰 !!
 ホームに行くには、天まで続くような階段を、ヨッコラと登ることになるのだろうか。
 駅舎から、眼下に広がる雲海を眺めることができるかもしれない。
 私は “鉄ちゃん” ではないが、駅を見物をすることにした。
  
 マチュピチュに登る高原列車が走るような駅を想像していたが、着いてみたら、普通の駅だった。
 しかし、駅舎の形は、確かにユニーク。“遊園地感” がたっぷり。

 駅前ロータリーの「標高1,345.67m」と書かれた案内塔の前では、観光に訪れたオバちゃん3人組が、「やっぱ涼しいわ」などとはしゃぎながら、代わる代わる写真を撮っていた。

 運よく上りと下りの列車が入ってくる時間帯で、ホームには乗客が並んでいる。
 カメラを構え、列車の入線を待つ。
 東京の山手線などを走っている電車と顔つきが違うので、なかなか面白い。

 野辺山から走ること2時間ばかり。
 いよいよ天下の避暑地、軽井沢だ。
 トイレ休憩も兼ねて、目に飛び込んできたスーパーに入る。
 おやおや … お客がみなセレブっぽい。
 このへんに別荘地をかまえるお金持ち向けのスーパーという雰囲気で、買物かごを下げている奥様が、上品に頬に手を添えて、「オホホホ」と笑いそうな感じ。

 アルプスの岩塩というのが売っていて、珍しいから買う。
 うちの近くのスーパーなどでは目に入らない珍品。
 さすが、軽井沢のセレブ系スーパーだ。

 軽井沢駅近くの駐車場にクルマを入れて、町を歩くことにする。
 犬はまたキャンピングカーの中で留守番。
 「だから嫌だって、言ったのに … 」
 運転席の窓から、去っていく人間たちをうらめしげに見送っている。

 旧軽井沢方面に向かって歩くことにする。

 途中、「軽井沢チーズ熟成所」という看板を見つける。
 フランスのチーズの本場で修業したご夫婦が30数年前に開いた「アトリエ・ド・フロマージュ」という店の軽井沢店だとか … ということは後で知ったのだけれど、チーズ専門店というのが、いかにも軽井沢っぽいと思って、中に入る。

 試食したチーズがとてもうまい。
 コンビニでよく買っている6Pチーズとは大違いだ。
 よって、一かたまり買うことにする。

 さらに旧軽方向に歩く。
 「三笠ホテルカレー専門店」という看板を見つける。

 上手に撮影されたカレーの写真が、食欲をそそる。
 三笠のカレーといえば、昔とてもおいしかったという記憶がよみがえった。
 値段は、1,400円。
 「きっと、うまいんだろうなぁ …」
 と期待させる、絶妙の値付けだ !!

 

 オープンテラスがあって、店内の雰囲気も上々。
 昼飯はカレー、と決まった。

 なかなかいい感じのカレー。
 ただし、自分の舌が記憶していた “三笠のカレー” とは異なっていた。
 昔食べたのは東京・銀座の「三笠会館」のカレーで、「軽井沢三笠ホテル」のカレーとは別物だった … ということも、後で調べて分かった。

 三笠ホテルは1906年に創業され、当時 “軽井沢の鹿鳴館” といわれた格式の高いホテルだったらしい。
 もちろん今はない。
 しかし、ここで出されたカレーが評判だったため、町おこしのために、その味を軽井沢全体で復活させようというプロジェクトが組まれたとか。
 しかし、当時のレシピが残っていないので、再現する方法がない。

 そこで、かつてホテルのキッチンで働いたことのあるシェフを探し出し、試行錯誤のうえ、現在のカレーができあがったのだという。
 つまり、「三笠カレー」というのは、いわば軽井沢の町の総力を結集した新しいメニューだったのだ。

 その後歩いていると、「三笠カレー」というメニューを掲げたレストランを何店も発見する。
 値段もまちまち。
 もしかしたら、店ごとに味が違うのかもしれない。

 カレーで腹を満たし、さらに歩く。
 「アラモードカフェ」という店の前に椅子を出し、ギターを弾きながら歌っているオジサンがいた。

 手相を占うシンガー・ソングライター中村羅針さん。
 弾き語りの旅を20年以上続けているという。
 “神秘哲学史” というものを研究しているとのこと。
 夏は、このカフェの店主が親切に場所を提供してくれるので、軒先を借りているのだとか。
 面白そうな人だったが、雨が降ってきそうな空になってきたので、先を急ぐ。

 舗道では、衣装店や雑貨屋、骨董品屋が目立つ。
 売っているものは高級品ではないが、観光地のアクセントとして、にぎわいを演出してくれる。
 たぶん、ここを訪れた観光客が、「お座興」とばかりに、祭りの夜店で射的や金魚すくいを楽しむ感覚で買っていくのだろう。

 ようやく、旧軽井沢のロータリーに到着。
 人、人、人 ……
 この夏の旅行で、最大の観光地に来た気分。
 もう夏も終わりだぜ ?
 なんだってこんなに観光客がいるのよ !!
 長野新幹線が開通してから、観光客も増える一方だという。

 
 
 このロータリーから、旧碓氷峠方面へ向かう約500mのこの区間が、この地域最大のメインストリートであるらしい。
 バブルの頃には “旧軽井沢銀座” などとも呼ばれたらしいが、銀座というより、原宿の竹下通りの大人版といった感じだ。

 10年ぐらい前、やはり夏の終わりに、キャンピングカーでこの地を訪れたことがあったが、こんなに人が溢れてはいなかった。
 夏の終わりの避暑地は閑散としていた方が情緒があると思うのだが、そういうのは、へそ曲がりの発想なのだろう。
 ツルゲーネフの小説 『初恋』 に出てくるような、晩夏のさびしい避暑地の風情を期待していたのに、裏切られる。

 「寺子屋本舗」(↑)の店先で、おかきを1枚買い、歩きながら食べる。
 「一味」という唐辛子つきのおかきを選んだが、口に入れたとたん、舌が大火事 !!  迫力満点のおやつだった。

 有名なパン屋さんの「浅野屋」(↑)に到着。  
 昭和8年に、東京・千代田区で洋酒、食料品などを売る店として誕生。特に自家製のパンが評判となり、外国人の顧客の間に評価が広まったとか。
 そこで、外国人の避暑客も多いこの軽井沢の地で、夏季出張店を開いたのがこの店の始まり。… というのも後で仕入れた知識。

 カミさんに言わせると、ジョン・レノンが生前愛した店で、来日するたんびにここを訪れ、パンを買っていたんだとか。 
 「ここに来たら、買うのは当然フランスパンでしょう」
 とカミさんがいうので、フランスパンを仕入れる。
 チーズとパン。
 これで、明日の朝食のメニューは決まり。

 では、夕食は何にするか?
 「ここまで来たのなら、夕食は当然おぎのやの 『峠の釜めし』 でしょう」
 とカミさんがいうので、上信越自動車道に入り、横川SAで釜めしを買って帰る。

 今回、馬籠、蓼科、清里と高原の観光地を回ってみたが、やはり軽井沢といのは別格。
 見事に観光地化されているので、人工的とはいえ、ファッション感覚では随一。
 ドンキやドラッグストア、コンビニなどが見当たらないので、町の景観としてはかえって新鮮だ。
 若いカップルには楽しいデートコース。
 シニア夫婦も若返った気分になれる。
 今度来たときは、駅前の駐車場にクルマを止め、夜は居酒屋などを探して車中泊しようと思う。  
 
 

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リチウム蓄電池搭載キャンピングカーがテレビで紹介

 
 日本初の走行充電可能なリチウムイオンバッテリーを搭載したキャンピングカー「インプラス」(キャンパー鹿児島)がテレビで紹介され、あちこちで反響を呼んでいるようだ。

 同キャンピングカーがテレビで放映されたのは、先月の27日。
 制作したのは「KTS鹿児島テレビ」。
 鹿児島県のローカル局であるが、なかなかしっかりした取材が行われ、リチウムイオンバッテリーの機能的特長やメリットなどが要領よく簡潔に解説されている。

 さらにはRV協会発行の『キャンピングカー白書』からもデータが拾われており、キャンピングカーブームの背景なども語られていて、日本のキャンピングカーの “現在” が簡潔明瞭に伝わるようになっている。

 テレビ局が注目したのは、旅行のツールとしてのキャンピングカーという役割もさることながら、広い意味でのリチウムイオンバッテリーを搭載した車両の未来。
 膨大なエネルギーを蓄電できるバッテリー性能を生かして、たとえば災害が起きたときの緊急避難車両としての役割や、福祉車両、さらには移動販売車などの可能性が訴求されている。
  
 キャンパー鹿児島さんより、放映日をメールでご連絡いただいたが、夏休み旅行中で見逃した。
 しかし、同店ではそのときの動画を収録してYOU TUBEにアップしたようなので、皆様にもご紹介 (↓)。
 なお、YOU TUBEには、他局のものも含め、二つの動画が収録されている。
 

 
 
関連記事 「初のリチウム蓄電池を搭載したキャンピングカー」

関連記事 「キャンパー鹿児島 『インプラス』 」
  
……………………………………………………………………………
記事修正のご連絡
 
 8月18日に発売された 『キャンピングカー super ガイド2014』 の「インプラス」の記事で、キャンパー鹿児島さんの住所および電話番号が移転前のものになっておりました。現在の正しい住所・電話番号は下記の通りです。
 本書をお買い求めになられた読者の方々ならびにキャンパー鹿児島様には多大なご迷惑をおかけしたことを、この場を借りて心からお詫び申しあげます。(編集長 町田厚成)

正誤表

誤 → 鹿児島県鹿児島市宇宿6丁目18-7 電話:099-264-8182
正 → 鹿児島県鹿児島市東開町5-17-1  電話:099-268-8082

………………………………………………………………………………

キャンパー鹿児島さんよりの追記 (2014年9月10日)

車載用リチウム蓄電システム クロスもいよいよ最終段階のテストも、もうすぐ完了。
通常は外部充電が一番確実な電力が落ちてくるのですが、当社のリチウムイオンバッテリーのクロスは、走行充電・アイドリング時でも外部充電と同じ数値の電力が入って来ています。
さらに、キャンピングカー用ソーラーシステムからも電力を取り込みます。

もちろん、製品としてはすでに開発を終えてはいましたが、「完成」という言葉を使うとなると、実際にさまざまな条件を考慮して試験をくりかえさなければなりません。
どうしてもやらなければならない試験のひとつに、「破壊試験」があります。

これに関しては、数日テストをして限界値を見ていたのですが、製品が良すぎて、なかなか限界値が見えてこない。 ^^;
喜ばしい事ではあるのですが、やはり限界を見るために破壊する必要があります。
これを現在やっているところです。

さらに、このクロスの内部で貯めた電力を外で使う機能もさらに完成度を高めています。
所有している車にクロスが搭載されていれば、いざという時 車内のバッテリーで貯めている電力を店舗や自宅内部の電気機器に使用することができます。この機能を、さらに進化させていきます。


いよいよキャンピング業界初のシステムは、完成です!

もうすぐです。いよいよ、正式にデビューします!
http://www.aa-k.com/kulos.html

これから、各地で防災への意識が高まっていくことでしょう。

新しいシステムを積んだキャンピングカーをぜひよろしく。
http://www.aa-k.com/camp/stock/inplus.html

また、直営店全店で、次世代の「オリジナル・ハイエースキャンパー」に防災機能を搭載した車両を発売することを検討しています。

 

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勘違い

 
 言葉を誤って覚えている、ということがよくある。
 人の話す言葉、テレビなどから流れてくる言葉を、よく聞きもせずに、先入観で覚えてしまうからだ。
 自分の場合は、特にそういうのが多い。

 ちょっと前、マスコミをにぎわした「デング熱」。
 蚊が媒介となって、高熱を発するウィルスをもらってしまう病気だが、てっきり「テング熱」だとばかり思い込んでいた。
 だから、「鼻が天狗(てんぐ)みたいに腫れてしまう病気なんだろう」と勝手に解釈していたが、カミさんから、「あれはデング熱だ。恥ずかしいことを人前で言わないように」と諭された。

 8月後半に中央道を走っているとき、「中央道原」というパーキングエリアの看板を見て、「ちゅうおうどうげん」だと思って止まってみたところ、「ちゅうおうどう・はら」というPAであることが分かった。
 「ちゅうおう・どうげん」の方がカッコいい。
 「たけだ・しんげん」とか「さいとう・どうさん」みたいに、戦国武将の名前のように響くではないか。
 これはちょっとガッカリしたが、考えてみたら、「どうげん」と読ませる方に無理がある。
 ま、自分の注意不足でしかない。

 昔は、「生姜焼き」という言葉が読めなくて、食堂などに入ったときには「豚のなま・しょうが焼き定食をください」などとよく言っていたものだ。
 それを聞いたウェイトレスが、「しょうがやき、でいいんですね?」とか、「焼いていいんですよね?」などと念を押すので、“バッカじゃねぇの?” と怒っていたが、これもこちらの減点。

 「胡散臭い」という言葉がある。
 「うさんくさい」を漢字で書くと、こうなる。
 しかし、胡散(うさん)の「胡」の字が、胡麻(ごま)の「胡」の字だったので、早とちりして、人にはよく「ごまくさい」としゃべっていた。
 何かの本を読んでいて、「胡散臭い」という言葉に接し、読み方を知らなかったから、勝手にそう読んでいたにすぎない。

 ごまくさい。
 本人は、「まじりっけのある不純物」というような意味で使っていたのだ。
 聞いた人間はポカンとしていた。
 何やら、新しい言葉のように思えたのだろう。

 「町田はよく本を読んでいる人間だ」
 という先入観が相手にあるらしく、知らない言葉を教えられたように神妙に聞いている。
 その顔を見ながら、得意になって「ごまくさい」を連発した。

 正しい読み方を知ってから、そいつの顔を思い出すたびに、恥ずかしい記憶がよみがえる。
 だけど、ひょっとしたら、そいつは新しい言葉を覚えたと思って、今でも人に「ごまくさい」という言葉を使っているかもしれない。

 私のような人間が、ものを書くというのは怖いことだ。
 物書きとしては失格だ。
 もしかしたら、このブログでも、“勘違い言葉” を気づかずに使っているのではなかろうか。
 見抜いた方は、遠慮せずに指摘してください。
  
 

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木曽路を走り、馬籠宿を歩く

 

 木曽路を走ったのは、実は生まれてはじめてであった。
 漠然と、“山深い難所” というイメージがあって、走り抜けるにも時間がかかり、長期の休みでも取らないかぎり行けない場所という印象を持っていたからだ。
 お盆明けに1週間ぐらいの休みが取れたので、ようやく行くことができた。

 走ったのは、塩尻と中央道・中津川インターを結ぶ国道19号線。
 旧中山道ともいわれる道だ。

 山深い。
 右を見ても、左を見ても山が迫ってくる。
 道は、ところどころ細くて曲がりくねっているにもかかわらず、トラックとすれ違うことも多く、物流の大動脈でもあるようだ。
 
 道路沿いに「道の駅」が多いことも特徴。
 北から順に、
 「木曽ならかわ」
 「奈良井木曽の大橋」
 「木曽川源流の里きそむら」
 「日義木曽駒高原」
 「三岳」
 「木曽福島」
 「大桑」
 「賤母 (しずも)」
 10km ぐらい走ると、次の道の駅が出てくるといった印象だ。

 南木曽町を超えると、妻籠宿(つまごじゅく)と並んで人気の高い馬籠宿(まごめじゅく)がある。
 テレビの観光番組ではよく紹介される場所だが、もちろんここを訪れたのもはじめて。

 駐車場にクルマを止めて、まず周囲の景色を見渡す。
 どこを見ても、濃い緑に覆われた山、また山。
 「木曽路はすべて山の中である」
  と、この地で生まれた文豪島崎藤村は、代表作の『夜明け前』の書き出しでそう語ったが、なるほど木曽山脈と並行して走る道だけあって、見飽きるほどの山々が連なっている。

 この山深い地が幸いしたのか、早々と整備が進んだ東海道などと違い、江戸時代からの街道や宿場町の景観が残されているのが、この旧中山道の特徴ともいえそうだ。
 馬籠宿は、そんな古(いにしえ)の宿場町の風情をたたえた貴重な観光地のひとつである。

 
 
 もっとも、町そのものは新しい。
 明治28年と大正4年の火災により、江戸期からの町並みは焼失し、現在残されたものは、その後に復元されたものだという。
 確かに古びた家々が連なっているようで、どことなくテーマパーク的な雰囲気があるのは、観光地としての再生を意図した町づくりが進んだせいかもしれない。
 とはいえ、建物の “色あせ具合” が本物っぽく、並みのテーマパークとは年季が違う。土産物屋の看板などもほど良くくすんでいて、いい味を醸し出している。


 
 坂を登っていくと、左手に古びた水車小屋。
 そこから道は、直角に折れ曲がり、ゆるやかな坂がさらに続いていく。
 このあたりを「枡形(ますがた)」というのだとか。
 枡形というのは、城郭などで敵の軍勢が通過するのを妨げるためのクランクのことをいうらしいが、昔はこの宿場町の防衛のために機能していたのだろう。


 
 やがて右手に出てくるのは、清水屋資料館(↓) 。
 島崎藤村の作品『嵐』に出てくる登場人物の家だという。
 中には、藤村の書簡、掛け軸、写真などをはじめ、江戸期の生活道具などを保存され、この町でも貴重な文化遺産となっている。

 資料館の近くには、土産用の銘菓などを売る商店が連なる。
 川上屋(↓)は、元治元年(1864年)から続いている和菓子屋。本店は中津川宿にあるらしいのだが、これはその馬籠店。

 ここでは名物の栗きんとんを買う。
 本来は、栗の収穫期となる9月に入ってから売り出されるものらしいが、今年は栗が早くから採れたため、8月後半に売り出したという。
 製法は素朴ながら、栗そのものの味を濃く保った本物の風格があった。

 その近くには、焼いた山栗を売る田中屋(↓)がある。
 どうやらこのあたり一帯は、栗の産地のようだ。
 焼き山栗は試食するだけでもいいので、観光客がむらがっている。
 小袋で600円。
 一袋買っても、「もう一つおまけ」とばかりに、さらに試食品を手渡してくれる。
 実に鷹揚(おうよう)。
 この地が観光地として潤っているせいか、どの店を覗いても、ぎすぎすした感じの店主がいない。 

 土蔵を改造した「茶房 土蔵」(↓)という喫茶店に入る。
 120年近い米蔵を改装した店だという。

 入口は、いかにも「狭くて暗い土蔵」という雰囲気であったが、中は意外と広く、坂道に面したテーブル席が長く続いていて、見晴らしは上々。
 いちばん奥のテーブルに陣取ると、そこから中津川市内の景観が遠望できた。

 周りの空気が、急にひんやりと感じられるようになった8月の後半。
 開け放たれた窓から入る風は天然のクーラー。
 ていねいに落とされた香りの高いコーヒーの温かさが、なぜかほっとする1日だった。
 

  
  

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カモのいるRVパーク「南きよさと」

 

 RVパークには、ときどきマスコットのような動物が挨拶にやってくる場所がある。
 先だって訪れた「RVパークおだぎりガーデン」では、駐車スペースに入るやいなや、ヤギが「メェー」とばかりに歓迎してくれた。

▼ 「おだぎりガーデン」のヤギ

 今回訪ねた「RVパーク 道の駅 南きよさと」では、アイガモ軍団の歓待を受けた。
 受付で、RVパークを利用するための申し込みを終え、給水のために池の手前にある水道の蛇口にクルマを寄せたときのことだ。

 「あなた誰? ここに何しに来たの?」
 と、ばかりにカモの軍団が近寄ってくるではないか。
 総勢10匹。
 よちよちと内股で歩きながら、
 「グヮッ、グヮッ、グヮッ …… 」
 と好奇心まる出しで、殺到してくる。
 しかも、タイヤの内側まで入り込もうとするから、クルマを移動させるときには神経をつかう。

 スタッフに聞くと、5日ほど前に人にもらったカモたちなんだという。
 「池のほとりに巣を作ってあげたんですけど、そこでおとなしくしているわけでもなく、朝晩エサを求めるために歩き回るのでしょうが、その行動範囲が意外と広くて、実は、手を焼いているのです」
 とのこと。
 人間に慣れているので、平気で人に近づくし、通行の邪魔になることもあるらしい。

 ま、そうは言われても、カモ軍団の行進は、見ている限りは面白くて飽きない。
 先頭のカモが、くるりと首を回して行き先を定めると、後続のカモたちもいっせいにそれに続く。
 「グヮッ、グヮッ、グヮッ …… 」
 見事な隊列をつくって、リーダーの後を懸命に追いかける。

 人の姿を見ると、きょとんと見上げ、
 「こいつは害がなさそうだな」
 と判断すると、いっせいに駆け寄ってきて、くちばしで足をつつき始める。
 逃げると追いかけてくるし、まぁ、カモに慣れない人は、確かに「うるさい」と思うかもしれない。
 こちらは、足をつつかれるのは平気だったが、給水場所からRVパークエリアにクルマを移動するときに、轢いてしまうのではないかと気をつかった。
 
 しかし、このカモ軍団。
 観光客には人気があるらしく、小さな子供はカモの群れを見つけて大喜び。
 ファミリーでカモの行進を眺めている観光客が後を絶たなかった。
 うまく飼いならしていけば、ぜったいこの「道の駅」のペットとして人気を集めること請け合いだ。

▼ これは、それから3ヶ月後に写した画像。最初は敷地内をきままに闊歩していた軍団だが、野生動物などに捕獲されないように、今までは池の一部に囲いが作られて、その中に保護されている。


 
 本題から逸れた。
 で、お盆明けに長期の休みをもらい甲州、信州、木曽路、軽井沢などを回る旅に出て、その1泊目がこの「RVパーク 道の駅 南きよさと」だった。

 

 ここに宿泊したのははじめだったが、ロケーションが素晴らしい。
 RVパークエリアに指定された場所も広く、そこから南アルプスが遠望できて、空間的な解放感は抜群。
 トイレ棟は100mぐらい離れているが、な~に陸上選手なら10秒そこそこで走りきれる距離だ。
 自動販売機もすぐそばにあるので、夜中に冷たい飲み物が欲しくなっても、クルマから10mほど歩けば手に入る。

 

 RVパークだけあって、もちろん電源完備。
 電源代は1泊500円。自分のクルマを止めたい場所を選んで、その電源キーさえ確保すれば、あとは「要予約」と書かれた三角コーンを駐車スペースに置くだけで自由に出かけることができる。
 
 
 
 食堂 (レストランほたる) もあるので、食事の心配もない。
 蕎麦類、ラーメン、ソースかつ丼などのメニューがそろっているが、メインメニューは「清里カレー」。
 約60年前、アメリカ人のポール・ラッシュさんという人が、この清里高原で酪農・野菜の栽培などの開拓支援を行い、そこで収穫された食材を使って、ポールさんが独自のカレーを作ったのがこの清里カレーの起源だとか。

 地元産のソーセージ、ベーコン、さらに季節に応じた直売所の野菜やフルーツなどを素材にしたカレーメニューがずらりと並ぶ。
 ちなみに、下のベーコン・ソーセージカレーは1,100円。

 食堂にはテラス席もあって、ここからの眺めも素晴らしい。
 目の前の池にはさまざまな鯉が気持ちよさそうに遊泳し、旅に疲れた眼をいやしてくれる。


 
 レストランの脇はケーブルカーの発着所があって、山の上にある「花の森公園」までスルスルと登ることができる。
 それには乗らなかったが、山頂には展望台があるほか、手作りピザが楽しめる石窯や農場体験のできる施設などがそろっているようだ。


 
 

 産直市場は朝の8時半からオープン。
 地元の新鮮野菜を中心に豊富な食材が並ぶ。


  
 とにかくこのRVパークは遊べる施設がそろっていて、ファミリーにはうってつけ。
 スタッフに尋ねると、夏休み中の土日は、RVパークの全エリアがほとんど埋まっていたという。
 リピーターも多いというから、このRVパークの人気のほどがうかがえる。

 ただし、場内の施設がみな夕方5時ごろには一斉に閉まってしまうのが難点。
 5時が近づくと産直市場も、レストランも、土産物ショップも、珈琲・ソフトクリームコーナーも、みなバタバタと店じまいを始める。
 RVパークの申し込みも、5時ごろには終わらせておいた方がいいようだ。

 しかし、RVパークを出て須玉インター方向に下れば、ドライブインやコンビニがたくさん連なっているので、夕食が食べられなくて困るということはない。

 いちばん近い温泉は、RVパークから5分ほど走ったところにある「たかねの湯」。
 露天風呂はないが、内湯からの見晴らしもよく、泉質もよいので入浴後の肌がすべすべして気持ちがいい。

 「たかねの湯」の休館日は水曜日。
 そのときは、20分ほど北に走ったところにある「パノラマ温泉」がお薦め。
 JR小海線の「甲斐大泉」駅より歩いて3分。
 “パノラマ温泉” というだけあって、きっと昼間は南アルプスの山々や富士山が展望できるのだろう。(夜に行ったから何も見えなかったけど … )。

 結局、「RVパーク南きよさと」には2泊した。
 1泊目は、コンビニで買ったグラタン、おにぎりなどをつまみに、70年代R&Bを聞きながら、焼酎で楽しむ。
 2泊目は、スーパーで買った半額の刺身と豚汁などをつまみに、昭和歌謡を聞きながら、ウィスキーを飲む。

RVパーク 道の駅 南きよさと

所在地 : 山梨県北杜市高根町長沢760番地
アクセス : 中央道 須玉ICから国道141号を清里・小諸方面へ車で約12km。長坂ICからは主要地方道路32号を高根町方面へ走り、国道141号を北上。
電話番号 : 0551-20-7224 (平日8:30~17:00)
利用料金 : 1泊 1,000円/1台(トレーラー含む)
利用可能台数 : 5台
利用可能車両サイズ : フルコン、セミフルコン、バスコン、キャブコン、バンコン、キャンピングトレーラー
ホームページhttp://www.alps-hs.co.jp/minamikiyosato.html

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町田のRVパーク探訪記事

「RVパークたまがわ」 (山口県)

「RVパークおおた」 (群馬県)
 
「RVパークやまが」(熊本県)
 
「RVパーク豊平どんぐり村」 (広島県) 
 
「RVパークひなの里かつうら」 (徳島県)
            
「RVパーク毛馬内 七滝温泉」(秋田県)

「RVパークさかた温泉」 (青森県)

「RVパークエビスヤ」 (山形県)

「RVパークアップルランド」 (青森県)
  
「RVパーク犬山ローレライ麦酒館」(愛知県)
 
「RVパークおだぎりガーデン」(栃木県)
 
 
   

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百億の昼と千億の夜

 
 我々が把握できる「空間」と「時間」は、はたしてどのくらいの規模までなのだろうか。
 目に見える範囲なら、我々は経験上、それがどのくらいの広さなのか、そしてその「空間」に、任意の目標地点を設定したとき、そこに至るまでのおよその「時間」というものを把握することができる。

 範囲が広がって、他府県、あるいは他国ぐらいまでなら、地理的な学習を身につけた範囲で、その「広さ」をイメージすることは可能だろう。
 
 さらに、地球を超えて月に至るぐらいならば、すでに月面に人類が降り立った経験をもとにして、漠然とした「距離」やそこに至るまでの「時間」を計算することができる。 
 
 だが、そこから先の「空間」と「時間」を、我々はイメージすることができない。

 たとえば、火星までの距離は、6,000万kmともいわれているが、そう教えられたとしても、数字からその「距離」を何かに置き換えてイメージすることはもう不可能だ。

 ましてや、「オリオン座にまでの距離は地球から500光年~1500光年離れている」などと言われても、もうそれが「遠い」のか「近い」のかという感覚すら生まれてこない。

 我々には、「把握できない世界がある」と知ったときに、人はどんな感慨を持つのだろう。
 パスカルは、
 「無限の空間の永遠の沈黙が、私に怖れを抱かせる」
 と言った。

 誰もが幼年期に、「夜空の星の彼方には、無限の空間が広がっている」と大人に教えられ、身の凍るような畏れ(おそれ)を抱いたことがあるのではなかろうか。
 
 たぶん、人間が抱く “心細さ” の原点には、常にそのときの気分が横たわっている。
 そして、それは必然的に、
 「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」(ポール・ゴーギャン)
 という問を引き寄せる。

 もちろん、答などはない。
 
 どうあがいたところで、答の出ない問には、いつしか人は無頓着になる。
 たいていの大人は、やがて現実生活の忙しさにかまけて、「無限の空間の永遠の沈黙」を忘れてしまう。
 忘れるというより、その畏れの感覚を失ってしまうのかもしれない。

 私もそうだった。
 しかし、二十歳の頃だったか、光瀬龍のSF小説 『百億の昼と千億の夜』 を読んだときに、その「畏れ」の感覚が強烈によみがえった。


 
 ここで光瀬龍の同小説をテーマにしようと思ったきっかけは、若手批評家の宇野常寛が、週刊誌の編集部から「人生最後の読書」というテーマを与えられて、この小説を挙げていたからだ。
 
 宇野常寛は、現在36歳。
 高校生のときに同小説を読んで、「ただただその言葉の美しさと、物語の壮大さに圧倒された」という。

 若者文化の代弁者を気取り、インターネットとサブカルチャーの領域でイマドキの気分を器用に描き出す宇野常寛という批評家を私は毛嫌いしていたが、彼の光瀬龍に対するオマージュを読んで、気が変わった。
 親近感が湧いたといってよい。

 それほど、私もまた 『百億の昼と千億の夜』 という小説には思い入れがあるのだ。 
 この小説が誕生したのは、1973年である。
 後の1977年になって、萩尾望都が漫画化し、そちらの方でむしろ有名になったといっていい。

 私は漫画の方は未読だが、ある意味で、漫画という表現手段の方が、この奇想天外な話を適切に伝えきれたのではないかと推測する。
 なにしろ荒唐無稽な話なのだ。
 ここに登場するのは、ギリシャの哲学者プラトン。釈迦国の王子シッタータ(釈迦)、そしてナザレのイエス(キリスト)、興福寺の阿修羅像で知られる阿修羅王。    
 それに、仏教説話に登場する帝釈天、弥勒(みろく)などといった神や菩薩のたぐいで、それらの人物(?)たちが、宇宙規模で迫りくる破局を前に、謎を解き明かし、お互いに戦いに明け暮れるという話なのだ。
 
 テーマは、この世の滅亡である。
 この地球に生物 … 特に人間が誕生したときから、実は、それは何者かによって破滅に至るプログラムが仕組まれていたというのが、この小説の骨子。

 何者
 それは人類が「神」という名で呼んでいたものだが、実はその「神」ですらも、その「何者」かの意志を実現するために存在していたに過ぎない。
 宇宙を守るために、その生成原理を突き止め、かつ滅亡を企画した「何者か」に対する戦いを挑むことが、主人公たちの使命だ。

 主人公たちの中心となるのは、阿修羅王である。
 説話では、阿修羅は天界から追われた悪鬼神とされるが、小説では中性的な魅力をたたえた美少女の姿で登場する。
 光瀬龍が、興福寺の阿修羅像を見てイメージ形成していった体験が、そこには凝縮している。

 阿修羅は、この世の破滅を企図する “何者か” に対して壮大な戦いを挑むのだが、この世の破滅が、どういう形でやってくるのかは分からない。
 作者も、それがどのような破滅なのか、具体的なことはいっさい描かない。
 ただ、銀河系とアンドロメダ銀河の衝突といったスケールの大きい破滅であることだけは示唆される。
 そして、それは阿修羅の奮闘にもかかわらず、すでに避けようのないものであることも暗示される。

 概説だけ聞くと、低学年向けのファンタジーのような印象を受ける。
 だが、読み進んでいくうちに、低学年の子供には歯が立たないような複雑な陰影をはらんだ小説であることが分かってくる。
 ここには、(1970年代当時の)最新の宇宙科学が解き明かした物理的な見地があるかと思えば、仏教・バラモン教を軸とした東洋哲学、新約・旧約聖書などの最低限の予備知識がないと理解ができないような世界が広がっている。

 途中、何度も書から目を離し、茫漠と広がる夜空を見上げたくなる。
 きらめく星の光が、何億光年の彼方から届いてきた星の最後を伝える滅亡のの光のように思えてくるし、星と星の間に広がる宇宙の闇が、ブラックホールのような虚無を胚胎しているように思えてくる。

 この小説には、冒頭で書いた「無限の空間と永遠の沈黙」を、脳ではなく肌で感じるような恐ろしさがある。
 そして、それがポエムのような美しい言葉で描かれるから、なおのこと恐ろしい。
 その「恐ろしさ」の核には、茫漠たる寂寥感 (せきりょうかん) が潜んでいる。
 宇宙の正体は分からないが、「宇宙は寂しいものだ」ということだけは、確実に伝わってくる。

 この寂寥感は、のちに諸星大二郎の 『孔子暗黒伝』 や 『暗黒神話』、押井守の 『イノセンス』 に引き継がれていく。
 リドリー・スコットの映画 『プロメテウス』 も、このテーマを焼き直している。
 
 
参考記事 「諸星大二郎の漫画」

参考記事 「イノセンス」

参考記事 「答のない問 (ポール・ゴーギャン)」
  
参考記事 「プロメテウス」
   
 

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ホワイトトップ 「アジサシ」

2014年 話題のキャンピングカー ピックアップ

アジサシ(2014) Ajisahi

L型ラウンジと常設Wベッドを備えたお洒落な車

 ホワイトトップを代表するオリジナルキャンパーの「アジサシ」が、装いも新たに洗練されたスタイルでリニューアルされた。
 ニューアジサシは、夫婦の快適な2人旅をサポートする車というコンセプトはそのままに、優雅なL型ラウンジと常設ダブルベッドを備えるというヨーロッパスタイルが特徴。

 常設ダブルベッドのサイズは1850×1051mm。大人2人が楽に寝られるサイズだ。
 ベッド下は外からもアクセスできる大型収納となっていて、旅の荷物の大半のものは詰め込めるようになっている。

 L型ラウンジの方もベッド展開できるようになっていて、昇降式テーブルをそのまま下げてベッドマットを埋めるだけ。長さが1700mmなので就寝定員の規定を満たしてはいないが、女性や子供ならば十分に寝られる広さが確保されている。

 前モデルのアジサシは機能性の良さを前面に打ち出したインテリアに特徴があったが、このニューモデルは、それに加えてデザインセンスの良さが際立つ。日本を代表するお洒落なクルマの一つだ。

リヤにマルチルームを備えているので女性も安心

 入り口は多少狭いながらも、マルチルームが設定されているのがこのニューアジサシの特徴のひとつになっている。
 もちろんここは、トイレルームとしても更衣室としても使える。
 個室トイレがあると女性には安心できるもの。夫婦といえども、お互いのプライバシーが確保されてこそ長旅も快適なものになる。快適な2人旅を実現するには理想的なレイアウトといえる。

Staff Talk
(株)ホワイトトップ 池本拡太郎

 アジサシは、快適なWベッドを備えた夫婦2人旅用の車ですが、ダイネットベッドも展開できるので、お孫さんといっしょに旅をすることも可能です。この車で充実したセカンドライフをお楽しみください。

《 アジサシスペックデータ 》

全長5380mm 
全幅1930mm 
全高2285mm 
乗車定員4人(DXは5名)/就寝定員2人
価格 4,840,000円(税抜)

ベース車 ハイエース・スーパーロング
エンジン 直4 DOHCガソリン
排 気 量 2693cc
最高出力 111kW(151ps)/4800rpm
最大トルク 241N・m(24.6kgf・m)/3800rpm
ミッション 4速AT
駆動方式 2WD(FR)/4WD

■標準装備 (一例)
フロントマット/ポンリュームフロア/床・壁・天井断熱材フルトリム/デュアルエアコン/リヤヒーター/給水タンク(20㍑)/排水タンク(20㍑)/カセットコンロ/12V冷蔵庫/遮光カーテン/ポータブルトイレ/サブバッテリー(105Ah×2)/外部電源25Ah/走行充電システム/L型ラウンジシート/マルチルーム/ルーフベンチレーター(MAXFAN)/常設ベッド(1850×1051mm)/室内LED照明/テレビ/地デジアンテナ/インバーター 他
■オプション (一例)
サイドオーニング/FFヒーター/バックカメラ&バックカメラモニター/FRP断熱パネル&アクリルウィンドウ/ベバスト製エアヒーター 他

ホワイトトップ
熊本県菊池郡大津町引水800-2
096-340-3288 
http://www.whitetop.net
 
 
参考記事 「ホワイトトップ 『シーガル』 」

参考記事 「ホワイトトップ展示場」

 
 
キャンピングカースーパーガイド2014 好評発売中

 
 
 
 

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キャンピングカーライフのノウハウ

 
 これまで3回にわたり、日本RV協会が発行した『キャンピングカー白書2014』の内容を紹介しながら、「現在もっとも売れているキャンピングカー」、「キャンピングカーユーザーのプロフィール」、「ユーザーが楽しんでいる旅のスタイル」などに触れた。
 今回はその白書の中から、ユーザーがどのようにキャンピングカーに接しているかという具体例をいくつかピックアップする。
 これからキャンピングカーライフを始めようという方には、なにがしかの参考になるデータがあるのではなかろうか。

 
キャンピングカーユーザーは経済的な旅行を楽しんでいる

 キャンピングカーで家族旅行する場合の家族1日当たりの平均的総予算を調査したところ、具体的な金額を提示した中では、「8,000円~10,000円未満」という答が最も多く、全体の20.9%を占めた。
 次に多かったのは「10,000円~15,000円未満」(16.6%)、3番目は「5,000円~8,000円未満」(14.1%)だった。

 これは安いのか、それとも高いのか。
 国土交通省観光庁が、平成23年7月29日に発表したリリースによると、平成22年10 ~12月期における国内観光旅行の1人1泊の観光旅行単価は、53,744 円であったという。
 それと比較すれば、「1家族で1日あたり2万円未満」と答えた人が7割近くを占めるキャンピングカーユーザーは、一般的な旅行客よりかなり低予算で旅行を楽しんでいることが分かる。

 キャンピングカー旅行が低予算で楽しめるのは、やはりホテル・旅館代がかからないということに尽きる。
 また、電車・飛行機などの旅に比べ、キャンピングカーの場合は車1台で移動できるため、家族が増えれば増えるほど、1人あたりの移動費は割安になっていく。
 時間があれば、高速道路を使わず、一般道を走ることによって高速料金も必要なくなる。実際に定年退職をして自由時間が持てるようになったシニアユーザーは一般道の旅を楽しむケースが多い。

 ちなみに、2013年度の(社) 日本オートキャンプ協会の調べでは、1家族1回(1泊2日)平均のキャンプ費用は19,583 円であることが分かった。
 このことから、比較的低予算でレジャーを楽しんでいるといわれるテントキャンパーと同じぐらいの予算でキャンピングカーユーザーも旅行していることが分かる。
 
 
キャンピングカー購入の決め手はサイズと価格 

 キャンピングカーユーザーは自分の車を選ぶときに、何を基準に選んでいるのか。これも、これからキャンピングカーを購入しようとしている人には参考になるかもしれない。

 白書では、キャンピングカー購入時の決め手となったものを「四つまで」答えるという複数回答で調査していた。
 それによると、いちばん多かった答は「サイズ」(67.1%)であった。
 以下「価格」(59.5%)、「装備類の充実度とその機能性」(47.5%)、「乗車定員・就寝定員」(42.1%)と続く結果となった。
 
 「サイズ」が最上位に来るのは、ある意味、当たり前のことで、キャンピングカーの大きさは自由に選べても、自分の駐車場の広さは家の敷地などが関係するため、自由に選べない。
 また、月極め駐車場の場合は、そのスペースが乗用車を中心に考えられているから、だいたい2m×5mぐらいの広さしかなく、それを超える車両の場合は、スペース内に収まったとしても、隣の乗用車のドアを開けづらくしたりすることが多い。
 そういう意味で、誰もが自分の車庫に応じたサイズの車を選ばざるを得ないわけだ。

 次に「価格」が来るのもごく自然のことで、誰もが払える額の車しか買えないのだから、これも “決め手” の大事な要素となる。

 「装備類の充実度とその機能性」というのは、ユーザーがどういう使い方をするかによってさまざまな見方が可能になる。コンビニやファミレスもないような場所を長期にわたって旅行するとなると、冷蔵庫・コンロ・シンクなどのキッチン機能はもとより、冷暖房機能、ベッド機能、水タンクの容量、さらには収納スペースなどがしっかり確保されたものでなければ快適に過ごせない。
 反対に、道の駅やSA・PAで仮眠をとりながら、1泊~2泊ぐらいの旅が多い人なら、ベッド機能さえ充実していればいいということになる。  

 4番目の「乗車定員・就寝定員」というのは、1台の車を何人で使うかという問題で、家族が多くなれば、これも大事な決め手となる。
 ただ、就寝定員を満たしているからといって、その数字に合った人間全員が快適に寝られるわけでもなく、反対に就寝定員が少ない車であっても、身長の低い大人なら十分に寝られることもある。
 このへんは、実車を見て確認するしかない。
 
 なお、“決め手” の5番手以降の回答は下記の通りだった。
 ⑤ 「内装・外装のデザインセンス」 (32.5%)
 ⑥ 「走行性能」 (25.1%)
 ⑦ 「荷物などの収納力」 (23.1%)
 ⑧ 「販売店(ショップ)に対する信頼性 (17.6%)
 ⑨ 「ランニングコストなどの経済性」 (15.3%)
 ⑩ 「メーカーに対する信頼性」 (12.6%)
 ⑪ 「営業担当者に対する信頼性」 (7.8%)。

 どれも、重要なものばかりだが、個人的には⑦番の「荷物などの収納力」というのは非常に大切なように思う。
 キャンピングカーショーなどに行って展示車を見ても、そこには荷物が積まれていない。
 しかし、実際に旅行するときは、車の中に着替え、毛布・シュラフのたぐい、あるいはキャンプ道具、釣り・スキーなどの趣味の用具などが積まれることになる。そのような荷物をどの場所に入れられるのか。それを考えながら車を見る習慣をつけておいた方がいい。
 
 
車種選定の判断材料は専門誌とカタログ

 ユーザーは、キャンピングカー選びの判断材料として、どんなものを参考にしているのか。
 同白書では、キャンピングカーを購入するときの判断材料を「二つまであげる」という設問を設けて、ユーザーに答えてもらっている。
 それによると、いちばん多い回答は「専門誌などの情報」(49.0%)であった。次に多いのが「販売店スタッフの意見や販売店のカタログ」で、39.5%を占めた。

 こうしてみると、やはりキャンピングカー情報をソフト・ハードの両面にわたって定期的に提供するキャンピングカー専門誌の力は大きく、初心者や買い替えユーザーが新しいキャンピングカーを選ぶときの大きな指針となっている様子が浮かび上がってくる。 

 一方、キャンピングカーを販売する側も、近年は営業スタッフの接客能力を高めたり、商品知識を深めたりする努力に余念がないため、それが顧客の信頼感を獲得することにつながっており、「販売店スタッフの意見を聞く」という項目が上位に上がってくる要因をつくっている。

 また、車種選定においては「自分の過去の経験など」と答える人も多く、その回答が33.0%を確保して3位を占めた。販売側の対応力が向上するとともに、ユーザー側の知識も厚みを増してきたことをうかがわせる。

 一方、インターネットからの情報を重視している人も増えており、販売店が発信するインターネット情報などを参考にする人が14.7%と前回より1.2ポイント多くなったという。

 なおこの設問には、より具体的なデータを確保するために、記述式による解答欄を設けている。
 それによると、「キャンピングカーショー・展示会で見て」という回答が353 回答のうち190件(53.8%)という圧倒的な数を占め、各地で催されるキャンピングカーショーが車種選定の大きな判断材料となっていることが判明したという。
 
 
ゴミ処理では「持ち帰り」意識が浸透

 旅行中に発生したゴミをどのように処理しているか。
 実は、これはキャンピングカー旅行の一大テーマでもあるのだ。
 乗用車による1泊~2泊程度の旅なら、ゴミもたいした量にならない。また宿泊がホテル・旅館なら、ゴミも発生しない。

 しかし、キャンピングカーは車自体が “生活空間” なのだから、食材を買ったり、調理したりするたびにゴミが発生する。長期旅行となれば、これがやっかいな問題となってくる。
 特に夏場の生ゴミなどは傷みも早く、臭いも強烈で衛生的にもよくない。そのようなゴミを車内に放置しておくのは難しいので、ユーザーの中にはゴミ捨て専用のボックスを車外に取り付けて一時しのぎをしている人も多い。
 
 この問題に対して、多くのユーザーはどう対応しているのか。
 白書では、ゴミ処理に関してどう対応しているかという設問を設け、「三つまで」答えてもらうという調査を行っていた。
 それによると、「ゴミを持ち帰っている」という回答が85.0%も寄せられた。
 次に多かったのは「高速道路のSAで」という答で37.0%だった。
 3番目は「キャンプ場で処理する」という回答で、34.9%であった。
 続いて「道の駅で」(20.4%)、「コンビニやスーパーで」(20.3%)という順に続いた。

 ゴミの持ち帰りが定着してきたことは、ユーザーのマナー意識が向上してきたことをうかがわせるが、高速道路のSAや道の駅へのゴミ投棄が絶えないという意味では、まだまだ課題は残されている。
 もちろん、高速道路のSAや道の駅、あるいはコンビニやスーパーでは、原則的にそこで買った商品のゴミを回収することに関してはやぶさかではない。しかし、そこに立ち寄る前に発生した生活ゴミの処理は歓迎していない。

 このあたり、ユーザーのマナー意識のさらなる向上が望まれると同時に、溜まったゴミを上手に処理させるノウハウの提示など、キャンピングカー供給側の対応も望まれる結果となった。

 ちなみに、『オートキャンプ白書2013』によれば、キャンパーのキャンプ中に発生したゴミを分別回収してくれるキャンプ場は、有料収集と無料収集を合わせると90.7%に及ぶという。
 キャンピングカー利用者がゴミ問題を解決する方法のひとつとして、キャンプ場に宿泊する回数を増やすというのも有効であろう。
 
 
ユーザーの8割は、出発前に自宅で水の補給をすませている

 キャンピングカーの多くは、室内に水道設備を持ち、そのための給水タンクを設けている。
 ただ、給水タンクへの水の補給はどこでもできるとは限らない。白書では、ユーザーは水の補給をどんな場所で行なっているのかを尋ねている。

 それによると、77.7%のユーザーは出発前に自宅で給水をしていることが分かった。
 次点は「キャンプ場」であったが、その比率は「自宅」よりはかなり少なく、7.3%であった。
 3番目は「ガソリンスタンド」で、燃料を補給した時に給水するという答(3.0%)だった。
 4番目には、車両を購入した「販売店」に立ち寄って給水するという答があがったが、その比率はさらに少なく、わずか0.2%にすぎなかった。

 この調査は、前回から続いているものだが、新しい項目として「RVパークにおける給水」を設定したところ、0.2%ほどの回答が寄せられたという。RVパークの給水例が少ないのは、同システムが稼働し始めた頃の調査結果が反映されたもので、今後RVパークが全国的に普及していくにつれ、給水場所としての比率も高まっていくと予想される。

 また、上記の場所以外のものを調べるために、「その他」という項目を設けて自由記述方式で尋ねたところ、「給水タンクは使わない」、もしくは、「タンクがない」という答が約300回答のうち約180件(60%)を占めた。
 次が「その土地の名水を探す」という答に代表されるような「名水・湧水」を求める回答例で、これが25件ほど数えられたという。
 
 
旅行に携行する必需品のトップは「温泉セット」

 キャンピングカーユーザーは、旅行に行くとき、はたしてどんな物を用意していくのだろうか。これも、これからキャンピングカーライフを始めようとする人には興味のあるデータではなかろうか。

 白書では、キャンピングカー旅行の必需品として必ず携行していくものをユーザーに三つほど答えさせていた。
 それによると、上位にあがったのは「温泉セット(立ち寄り湯用入浴セット」(61.7%)だった。
 このことからも、キャンピングカーユーザーの行動パターンとして、「温泉めぐり」が大きな柱となっていることが伝わってくる。

 2番は「スマートフォン・携帯電話」(43.6%)。
 3番は「道の駅ガイドブック・温泉ガイドブック・キャンプ場ガイドブック」(40.6%)。
 4番は「カメラ」(39.4%)。
 5番は「健康保険証」(19.9%)。
 6番は「ペット関連グッズ」(15.1%)という順になった。

 健康保険証が伸びてきたのは、旅先で不意の病気やけがに見舞われたときの備えを意識したユーザーが増えたことを意味し、それだけシニア層を中心に現在のキャンピングカー旅行が長期化していることを物語っている。
 また、ペット関連グッズがあがってきたのも、キャンピングカーユーザーのペット保有率が高いことを反映している。

 それ以外の携帯品としては「飲料水」(14.7%)、「酒類」(12.0%)、「パソコン」(10.9%)、「簡易食料品」(10.6%)、「薬類」(7.6%)、「クーラーボックス」(7.2%)、「発電機」(5.3%)、「自転車」(3.3%)という品目があがったという。
 
 
キャンピングカーにはトイレがあった方が便利か、それとも必要ないか

 キャンピングカーには、トイレが付いているものと、トイレのないものがある。
 行く先々の観光地にトイレが完備している日本では、キャンピングカーにトイレを載せる必要がないという意見もよく聞く。

 キャンピングカーは、乗用車よりも室内が広いものが多いが、それでもたくさんの人間が乗ったり、荷物を多く積み込んだりすれば、やはり狭くなる。少しでも物を積みたいときに、限られたスペースをトイレに割くのはもったいない … というのが「トイレ不要派」の意見だ。
 また、キャンピングカーのトイレは、使用した後、自分で処理しなければならず、それを嫌がるユーザーも多い。

 しかし、個人的な意見を言わせてもらえば、トイレはあった方がいい。
 道の駅やSA・PA、キャンプ場などに24時間使えるトイレがあったとしても、悪天候のときに傘など差してトイレまで歩くのは面倒。
 また、道の駅などでは、夜間に女性や子供がトイレまで歩くことに不安を感じることもあるだろう。
 それに、年を取ってくると、トイレが近くなってくるので、いちいち車外のトイレに行くのが億劫になるのだ。
 
 では、実際にトイレを載せているキャンピングカーはどのくらいあるのか。
 白書の調査によると、トイレ付きのキャンピングカーは全体の61.5%を占めていた。
 その内訳を見ると、主にキャブコンなどで使われる固定式のカセットトイレが33.3%。輸入車などに搭載されるマリン式トイレが4.2%。持ち運びが自在にできるポータブルトイレを装着しているものが24.0%であった。これに対して、「トイレがない」と答えた人の率は36.4%であった。

 数値的にはトイレを装着しているキャンピングカーに乗っている人の方が多かったが、前回調査と比べると、トイレ装着車は2.1 ポイント下降し、トイレを搭載しないキャンピングカーの方が2.9 ポイントほどアップした。

 トイレを持たないキャンピングカーが増えてきたのはバンコンの増加とも連動していそうだ。キャブコンに比べ、バンコンは構造的に本格的なトイレスペースを持つ車が少なく、ポータブルトイレを収納する場所があっても、そのポータブルトイレ自体がオプション扱いになることが多い。そのため自然とトイレの装着率も減ってきたと思われる。

 なお、この設問では、「その他」と答えた人に記述式で回答を書き込んでもらうようになっていた。
 それによると、「携帯・簡易トイレ」という答が目立ち、51回答のうち23回答(45%)を占めたそうだ。最近は排泄物を薬剤で凝固させ、ラップに包んでそのまま捨てられるようなトイレも普及しており、今後はこのようなトイレが増えていくことも十分考えられる。
 記述式回答の中からさらに細かい例を拾っていくと、「子供用おまる」、「ペットボトル」などという回答のほか、「バケツ」という豪快な答も見つけることができたという。
  
  
キャンプ場では電源・給水などのサービスを享受

 車中泊場所としてのキャンプ場の利用率は、道の駅やSA・PAに続いて3番目であった。
 しかし、キャンプ場にはキャンプ場なりのメリットがあり、それを評価しているユーザーも多い。白書では、そのキャンプ場泊のメリットを「二つまであげる」という設問を設けて、キャンプ場泊の魅力をリサーチしている。
 
 それによると、一番多かったのは「風呂・シャワー・AC電源・給水のサービスが楽に得られる」というもので、70.4%に及んだ。
 その次は、「サイドオーニングや椅子・テーブルなどを堂々と出してくつろげる」というもので、68.5%に達した。
 道の駅やSA・PAでは、マナーの問題から車外にキャンプ道具を持ち出すことができない。誰にもとがめられることなく堂々とオーニングやキャンプ道具が使えるキャンプ場に魅力を感じる人が多いのも納得できる。

 それ以外のメリットとしては、「夜間は通行人や車両が入らないため静かで安眠できる」(26.5%)という理由や、「管理人がいるので安心できる」(18.1%)という理由が目立った。

 上記の回答以外のものをリサーチするために「その他」という項目を設け、具体的に書き込んでもらったところ、「ゴミ処理」をキーワードとした答が92 回答のうち15件(16.3%)を数えて一番手にあがった。

 その書き込み式回答の2番目にあがったものは、「バーベキューや焚き火ができる」といったキャンプ場ならではの火を使った調理や遊びを評価したもので、件数は14件だった。
 3番目は「人数(台数)が集まれる」(8件)というキャンプイベントの視点から見たメリットがあげられた。
 4番目は「自然を満喫できる」といういかにもキャンプ場らしい美点に注目したもので、これが7件。
 それ以外のものとしては「子供が遊ぶところがある」、「トレーラーを置いて出かけられる」、「外部から不審者が来ない」といった例があがっていた。
  
  
くるま旅クラブに入会すると、数々の特典が授けられる

 同白書のユーザー調査は、日本RV協会(JRVA)が主宰する「くるま旅クラブ」に入会しているキャンピングカーユーザーを対象に実施されているが、このクラブに入会すると、湯YOUパークの利用が可能になるほか、JRVA提携キャンプ場のサービスを受けたり、フェリー料金が割引になったり、イベント会場に無料で入場できるなど、数々の特典が授けられるようになっている。

 それらの特典のうち、ユーザーがよく利用するものを「三つまで」答えてもらったという。
 1位は「イベントの無料入場」で、47.4%を示した。
 2番目は「湯YOU パークの利用」(30.7%)だった。
 また、提携キャンプ場のサービスを受けることに使った人が13.6%ほどいたことも確認された。
 それ以外の答としては、「フェリー割引を利用している」という声もあがった。
 
 
犬連れキャンピングカー旅行を楽しむときのコツ

 キャンピングカーユーザーが、ペット同伴旅行を楽しむ頻度が非常に高いことは、前回のブログ記事でも触れた。
 ここでは、なぜキャンピングカーが、ペット同伴旅行に適しているのかということを白書のデータから拾ってみる。

 ペット連れユーザーが、キャンピングカーを使う理由として掲げたものの一番は、「ペットといっしょに泊まれるホテル・旅館が少ない」というもので、その回答が全体の50.7%を占めた。
 次に多いのは、「室内が広いので、ペットと人間が無理なく過ごせる」という回答だった(20.5%)。

 そのほかの理由としては、「乗用車より断熱性が高いので、ペットを室内に残して食事・入浴に出かけられる」というキャンピングカーの耐候性の良さを評価したもの、さらには、「エアコン、FFヒーターなど、冷暖房設備があるので、季節を問わずペットの体調管理が行いやすい」などの機能面を評価した声が目立った。
 また、近年、高速道路のSA・PAやキャンプ場などにもドッグランができるなど、ペット同伴の自動車旅行をサポートする環境が整ってきたことも、理由のひとつになったようだ。

 それでは、ペット同伴旅行を楽しむキャンピングカーユーザーは、果たしてどのようなことを心がけているのか。
 それを尋ねたところ、「移動時間が長い時は、適度に休息を取ってトイレや散歩をさせる」という回答が72.2%を占めトップに立った。

 それに続くのは、「知らない場所でペットが不安にならないように、車を離れる時間を少なくして、食事などもなるべく車内ですませる」(10.8%)というものだった。
 以下、「むやみやたらに人に吠えさせないようにしている」(7.1%)、「運転中に室内を動きまわると危ないので、座らせる場所を確定している」(5.1%)と続いた。

 また、ペットと一緒に旅行に行きたい場所を尋ねたところ、「アウトドアライフまではいかないが、自然の景観が美しい郊外の観光地」という回答が32.0%を獲得して1番に入り、2番目は、「温泉施設や入浴施設が近くにありそうな道の駅めぐり(25.5%)というものだった。
 3番目は、「アウトドアライフがたっぷり楽しめる自然の豊かなキャンプ場」という回答だったという。
 
 
ユーザーは、道の駅をどのように使っているか

 「道の駅」というものが生まれなかったら、キャンピングカーライフが今日のように、これほど充実したものになっていなかったのではあるまいか。
 道の駅は “宿泊場所” として公認された場所ではないが、とりあえずそこの駐車場までたどり着けば休息・仮眠がとれるし、トイレの使用、食事、買い物ができる。
 道の駅のなかには、温泉やキャンプ場が併設されているものもあるし、その地方の観光情報も手に入る。キャンピングカーライフを豊かにするには最適な空間といっていい。

 では、キャンピングカーユーザーは、その道の駅をどう使っているのだろうか。
 白書の第三章では、RV協会がホームページ上のアンケート調査で、約400人のユーザーに、その「利用目的」の内容を尋ねている。

 その結果、いちばん多かったのは「休憩・仮眠」(47.0%)という答であったという。
 次には「食事・地場産品(野菜など)の買い物」(31.4%)が続き、以下、「温泉などの入浴」(15.1%)、「周辺地域の観光地などの情報収集(4.4%)」、「スタンプラリー」(2.1%)という順に並んだ。

 「休憩・仮眠」がトップを占めたのは当然としても、その施設内で「食事」をし、「地場産品」を購入している率が意外と高い。
 ユーザーがどのような食事スタイルを採っているかということは前回のblogでも触れたが、それによると、「スーパー」という答と並ぶぐらいの率で、「道の駅」で食事をテイクアウトしたり、食材を仕入れているということも浮かび上がった。
 それだけ、キャンピングカーユーザーの存在は、地元経済の発展に寄与しているともいえる。

 また、ユーザーの最大の利用目的が「仮眠・休憩」であることを反映して、利用時のセキュリティーに関心を持つユーザーが多いことも同調査で判明した。
 同調査では、「道の駅での休息時に最も気になることは何か?」という設問を設けたところ、約60%のユーザーが「夜間の安全性や騒音の有無」という回答を選んだという。
 それ以外のものとしては、「夜間も使える施設の充実」(14.7%)、「駐車場の広さ」(10.7%)、「場内の清潔さ」(5.9%)、周辺観光地のアクセス」(4.6%)などという答もあがった。

 では、道の駅に立ち寄ったとき、ユーザーは食事・買い物などで、いったいいくらぐらのお金を消費しているのだろうか。
 調査によると、いちばん多かったのは、「2,000円以内」という答で、その回答率は42.4%。次に多いのが「2,000円~4,000円」で、回答率は40.7%だった。
 こうしてみると、1台のキャンピングカーに乗ってきた家族の8割が、一つの道の駅で4,000円以内の額を消費している計算となった。
 ちなみに、4,000円以上のユーザーは15.1%となり、それを足すと、55.8%の人が、道の駅で2,000円以上消費していることが分かったという。 

 では、ユーザーは、道の駅をどのように探しているのかのだろうか。
 これについては、別調査において239人のユーザーより回答が得られたという。
 それによると、「旅の前に、ネットや地図で探しておく」という回答が半数に近い49.0%を獲得した。
 以下は次のような結果になった。
 「目的地に向かう途中で、カーナビで検索」 21.3%
 「行き当たりばったりで見つけたら立ち寄る」 15.5%
 「車中泊の情報誌などでリサーチしておく」 14.2%
 これを見ても、ユーザーが道の駅情報をさまざまな形で入手している様子が伝わってくる。
  
  
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RVパーク 「おだぎりガーデン」

   
 RVパーク「おだぎりガーデン」(栃木県)は、この2014年8月18現在ではかなり新しいRVパークのひとつになる。
 32号目。
 2012年には、全国で三つしかなかったRVパークだが、この2年で10倍ほど普及したことになる。

 さて、どんなところか。
 お盆休みのドライブかたがた覗いてみることにした。

 那須ICから、那須街道(国道17号)を進み、「道の駅・那須高原友愛の森」を左に見ながら、広谷地(ひろやじ)交差点を右折。
 目印は、ファミレスの「ココス那須高原店」。
 交差点周辺は、一大観光地の那須高原らしい観光施設がずらりと並ぶ。
 
 広谷地を曲がって、しばらく走ると大型のスーパー「ダイユー」がある。
 後で知ったことだが、食材を仕入れたりするのは、ここが便利。

 インターから11.7km。約35分。
 ようやく道路右手に「おだぎりRVパーク」の看板を発見。

 そこから細い道を道なりに進む。
 周囲は、なだらかな牧草地。
 その草地の脇に、「罰金、入るな、盗るな」という看板が立っているのだが、「 … はて、何を盗るな」と言っているのか、よく分からない。
 小麦畑でもないようだし、トウモロコシなどが植わっているわけでもない。

 草原の小道を分け入るように進むと、「RVパーク」のマークを掲げた場内図のある施設が現れた。


 
 “手作り感” 満点。
 看板も、トイレ棟も、「kichen」と書かれた炊事場も、オーナーがコツコツと楽しみながら作り出したという手作り感が横溢していて、初期の民営キャンプ場の雰囲気だ。
 

 お盆休みの真っ最中。
 テントを広げ、タープを張って、火を熾している先客の姿も見える。
 キャンプ場だったのだ。
  
 傾斜のある坂道を少し下った空き地に車を止めると、管理棟から管理人らしき人が現われて、まずはご挨拶。
 ここのオーナー、小田切進さんだ。
 お年はいくつぐらいなのだろうか。
 60代後半か、70代といったところか。
 
 「RVパークの場所はどこでしょう?」
 と尋ねると、
 「ご案内しますよ」
 と、気さくに先に歩いて誘導してくれる。 
 
 突然、ヤギが 「こんにちわ」 とばかりに顔を出す。
 「ヤギは2匹いるんだけど、こっちの方は気が荒くてね。飼い主の私にもつっかってくることがあるんだよ」
 と小田切さんはいう。

 「メェー」
 と、ヤギは一生懸命歓迎しているようで、特別気が荒いようにも見えない。

 RVパーク用に用意されたスペースは6台分。
 「今日はもう誰も来ないだろうから、好きな場所を自由に選んでいいよ」
 電源は15アンペアだそうだが、エアコンは十分に回るという。
 「突入時に高負荷がかかってブレーカーが落ちたりしませんか?」
 と聞くと、
 「今までそんなことはなかったよ。落ちたら落ちたでいいよ。気にしなくていいさ」
 と笑顔。
 なんともおおらかな人柄の管理人さんである。

 なら、お言葉に甘えて … と、木陰の涼しげな場所を選んで2台分を独占した。
 「いいんですか?」
 「好きにしていいよ」
 と、また笑顔。
 
 電源をつなぎながら、このRVパークの由来などを小田切さんにお尋ねした。
 「キャンプ場を始めて、まだ3年目。ツリーハウスを導入するようになって2年かな」

 ツリーハウス。
 よく見ると、木立をうまく利用して、上手にツリーハウスがたくさん建てられている。
 みんな小田切さんの手作りだという。
 「すご~い !! 一棟作るだけでも、たいへんな時間がかかったでしょう?」
 「そうだなぁ、どのくらいかかるのかな…。計ったこともないけど」
 のんびりした返事。

 なんとなく、ここに入ってきてから時間が止まったような気分に襲われていたのだが、小田切さんの茫洋とした人柄に接していると、なおさらのこと時間がまのびしたような感覚におちいっていく。

 周囲には、ここかしこと廃材が並んでいる。
 それは、これから増設していくツリーハウスの資材なんだそうだ。
 「暇を見つけて、コツコツと建てていくのが楽しみでね」
 「ほぉ。ではキャンプ場を始める前は、ここはどんなところだったんですか?」
 「もうただの林だよ。それを伐採し、ユンボを使って均して、池を作ったり、トイレを作ったり … 」
 「失礼ですけど、お年は?」
 「俺かい? 75歳」
 「お若い !! 」

 「東京に住んでいたけど、この那須の自然が気に入ってね。ここを終の棲家にすることに決めたんだんだ」
 「へぇー。確かに、ここは自然が豊かですものね」
 「いいとこでしょ? 自然はあるんだけど、交通の便もいいし、スーパーも入浴施設も近い。このキャンプ場もまだこれからさ」
 「今後のご計画は?」
 「ツリーハウスを増設しながら、釣り堀もつくる」
 「楽しそうですね」
 「楽しいよ」

 なるほど。このRVパークは、オーナー小田切さんの夢を実現するパラダイスでもあるようだ。
 そう思うと、小田切さんの風貌が、俗世間から足を洗って新天地で遊ぶ仙人のようにも見えてくる。

 「明るいうちに、お風呂でも行ってきなよ。サービス券があるから」
 と手渡してくれたのは、ここから2.6kmほど離れたところにある「ホテル・フロラシアン那須」の入浴サービス券。
 その券をフロントに渡すと、1人1,500円の入浴料が3分の1の500円ですむという。

 さっそくお言葉に甘えて、ホテル・フロラシアンを目指す。
 いやぁ、立派なリゾートホテルのたたずまいでびっくり。
 泉質もよいのか、風呂からあがっても、肌がさっぱりして汗もかかない。

 帰りにスーパー「ダイユー」に寄って、タイムサービスで半額になった刺身の盛り合わせ、鰻弁当、焼酎のジンロ、それを割るペットボトルのお茶などを買って、RVパーク「おだぎりガーデン」に戻る。

 夕暮れが迫る那須高原の晩夏。
 すでに秋の虫の声がここかしこに聞こえた。

《 RVパークおだぎりガーデン 》
所在地 栃木県那須郡那須町大字高久丙4597-1
電話番号 090-3316-0475
料金 1泊 2,800円/1台(トレーラー含む)
利用可能台数 6台(5m×6m)
利用可能車両サイズ キャブコン、バンコン、トレーラー
予約 原則予約不要 ただし事前に連絡すれば予約も可能
その他利用可能施設 ツリーハウス13棟(5,000円~12,000円:要予約)/BBQサイト(一組1,000円・薪付:要予約)
HP http://www13.plala.or.jp/nasu-treehouse/  

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