明日へ−支えあおう−証言記録東日本大震災34▽遠野〜内陸の町 手探りの後方支援 2014.10.26

あの日未曽有の災害に襲われた人々と町の証言記録。
第34回は岩手県遠野市。
海岸からおよそ50キロ離れた内陸の町です。
遠野市は震度5強の地震に見舞われます。
幸い命に関わる被害はなく津波に襲われる事もありませんでした。
しかし東日本大震災は思いがけない形で遠野の人々を巻き込んでいく事になります。
きっかけは市役所に一人の男性が駆け込んできた事でした。
遠野市はすぐに物資を被災地に送りました。
そこで知ったのはあらゆるものが足りない被災地の実情でした。
何よりも足りなかったのは被災地の情報でした。
ようやく物資が増えても新たな問題が起きます。
日ごとに変わる状況の中で錯そうする情報に振り回される事もありました。
混乱の中で手探りの後方支援に力を尽くした遠野の人々の証言記録です。
遠野市は北上高地のほぼ中央に位置し四方を1,000m級の山々に囲まれています。
古くから三陸海岸と内陸を結ぶ宿場町として栄えてきました。
市役所です。
災害が起きると災害対策本部が置かれ市民の安全を守る役割を担います。
震災のあと災害対策本部で情報収集に当たった…あの日は市役所の2階で事務作業をしていました。
遠野市を襲った地震は震度5強。
激しい上下の揺れが2分以上続きました。
市役所の柱は折れ建物全体が傾いていました。
余震が何度も続きます。
職員たちは駐車場でただ立ち尽くすしかありませんでした。
地震発生からおよそ20分後職員たちは駐車場にテントを張り情報収集拠点となる災害対策本部を設置します。
まず市内の被害状況を把握するため町の巡回を始めます。
当時総務課の係長だった佐々木徹さんは市内の被害調査を行いました。
災害対策本部には被害調査に当たった職員一人一人から停電や断水などの情報が寄せられます。
情報は大きな模造紙に書き込まれました。
職員全員が情報を共有するためです。
地震発生から2時間後。
遠野市内に命に関わる被害がない事が確認されました。
災害対策本部立ち上げと同じ頃市役所から2.5キロ離れた遠野運動公園に駆けつける人がいました。
施設の管理を行う…遠野市の指示を受け公園の扉を開きました。
実は遠野市は津波災害が起きた時に自衛隊や消防などの活動拠点としてこの場所を提供する事を決めていました。
2007年に行われた自衛隊や消防との合同訓練の様子です。
沿岸部に救援物資を送り被災者を避難させる事を想定していました。
遠野市から岩手県南部の沿岸には1時間ほどで着く事ができます。
津波災害が発生した場合救援活動を行う自衛隊などの拠点として最適だと考えられたのです。
この構想を発案したのが…3月11日の夕方から未明運動公園に消防警察自衛隊などが各地から集結していきます。
ここを拠点に被災地に入るのです。
がれきで埋まった道を切り開いたり行方不明者を捜索する活動が展開されていきました。
市内の安全を確認し後方支援の拠点を提供した遠野市。
ここまでは想定どおりでした。
しかしその後事態は思わぬ形で進んでいく事になります。
この夜市長をはじめとする災害対策本部の職員は泊まり込みで情報収集に当たりました。
しかし長引く停電で電話が使えず沿岸部の情報は全く入ってきません。
情報源は1台のラジオのみ。
じっと耳を傾けるしかありませんでした。
動きがあったのは深夜午前1時40分。
一人の男性が駆け込んできました。
男性は市長の本田さんに訴えかけます。
大高校に勤務する妻の安否を確かめに行ったところで大の状況を伝えてほしいと校長に頼まれました。
市長の本田さんはすぐにでも大町に物資を届けたいと考えました。
しかし遠野市の職員を派遣するのには問題がありました。
災害対策基本法によると災害が発生した場合被災した市町村に対する支援の指示を県が近隣の市町村に行います。
それを受けて初めて支援を行えるのです。
しかしこの時点ではまだ県からの指示はありませんでした。
遠野市は大高校に支援物資を運ぶ事を決めます。
送られる事になったのは消防本部に備蓄していた毛布250枚カンパン500缶更に水と灯油をトラックに積めるだけ詰め込みました。
物資を運ぶ事になったのは…佐藤さんには物資を届けるほかにもう一つの指示が与えられました。
早朝4時50分物資を積み込んだトラックは大高校へ向けて出発しました。
駆け込んできた佐々木さんの情報では沿岸の道は津波で被害を受け通行できません。
通れるのは峠道を通るルートだけです。
当時は車一台の幅しかない狭い山道でした。
市役所を出発して20キロ。
大高校は高台にあったため被害を免れました。
しかし高校の前を流れる大川を津波が逆流し川からあふれた水が住宅街をのみ込みました。
峠を抜けた佐藤さんが撮った写真です。
想像を絶する光景でした。
大高校に到着したのは市役所を出発しておよそ2時間半後でした。
校舎の中から次々と人が出てきました。
トラックに積み込んだ物資は僅か5分でなくなりました。
佐藤さんは避難していた人に声を掛けられます。
佐藤さんは一刻も早く支援が欲しいという声を背に災害対策本部に戻ります。
報告をする佐藤さんです。
大高校に食料がない事支援は急を要する事を懸命に伝えました。
更に撮ってきた写真を見せて報告を行います。
初めて見る被災地の惨状。
本田市長は本格的な支援を決意します。
すぐに職員が市内を回り必要な物資を集めます。
4時間後には物資の積み込みが始まりました。
積み込まれた物資は…再び大高校に届けられました。
遠野市の支援は大から釜石陸前高田など5つの市や町に拡大します。
職員の報告で何より緊急を要するものが分かりました。
おにぎりです。
一度に何千個ものおにぎりを作るには市の職員だけでは足りません。
遠野市の支援は職員だけでなく市民も巻き込んでいく事になりました。
おにぎり作りに参加した市民の一人…おにぎり作りは市内の9か所で行われおよそ1か月続きました。
毎日数千個単位のおにぎりを市民総出で作り続けました。
参加した市民の多くは沿岸部に親戚や友人がいました。
おにぎりには市民からのメッセージも添えられました。
震災から2日後の13日。
遠野市は物資支援を本格化させるため屋内運動場を物資センターにしました。
防災無線で市民や市内の企業に物資の提供を呼びかけます。
続々と運び込まれる米や毛布などの支援物資。
日頃から交流のあった友好都市からも届きます。
しかしそれは支援の難しさを知る始まりでもありました。
物資センターの責任者…集めた大量の物資を被災地に送り届ける時になって困った事に気が付きます。
支援の難しさはそれだけではありませんでした。
被災地の人々が必要とするものは日々変わっていたのです。
物資センターの菊池武夫さんはニーズの変化に対応するために通信の回復を待って被災地の物資担当者と連絡を取り合いました。
集まった大量の生活物資。
菊池さんは新たな問題に気付きます。
生活物資には食料品と違う仕分けが必要なのです。
大量の物資を一つ一つ仕分けしたのは市民ボランティアでした。
市役所職員だけで始まった被災地支援は市民全体を巻き込む形に広がっていったのです。
日々変わる状況を共有するため模造紙に書き込まれた情報。
その中には遠野の人々の努力が空振りに終わった出来事の情報もあります。
岩手県から申し入れがあった避難者の受け入れ要請です。
最初の要請は地震発生からおよそ4時間後の夜7時でした。
対応に当たったのは災害対策本部で情報収集を行っていた小向さんでした。
すぐに受け入れ施設をどこにするのか話し合いが行われました。
決まったのは上郷中学校の体育館でした。
遠野市で最も沿岸部に近く200人を収容できるからです。
受け入れ準備を任されたのは当時建設課の課長だった…多田さんは大急ぎで上郷中学校の体育館に向かいました。
扉を開いて中を見た多田さんは途方に暮れてしまいました。
体育館には発電機はおろか暖房器具さえありませんでした。
この日は氷点下の寒さ。
着のみ着のままで避難してくる人たちを迎える事はできません。
多田さんが頼ったのは日頃からつきあいのある建設会社の社長でした。
すいません社長。
訪ねたのは遠野市で建設業を営む…多田さんの困り果てた様子をよく覚えています。
三浦さんは早速社員に機材を集めるように指示を出します。
しかし地震の影響で電話がなかなかつながりません。
地元の建設会社の協力を得ながら夜を徹して発電機や暖房器具などを設置します。
あとは避難者が来るのを待つだけでした。
しかし避難者は現れませんでした。
小向さんは県の担当者に問い合わせますが何も分かりませんでした。
2日後県から山田町の避難者200人の受け入れ要請が入ります。
遠野市はすぐにバス3台を待機させます。
更に受け入れ先となる上郷中学校では避難者への炊き出しも準備しました。
そこに県から避難者数の追加情報が入ります。
まずは100人の追加。
更に200人増えます。
合計500人が避難してくるというのです。
結局この日も県から要請があった山田町の避難者は来ませんでした。
避難者受け入れに奔走した多田さんは1週間避難者を待ち続けました。
被災地の情報を掌握するはずの県も把握しきれない混乱。
市長の本田さんは現地から直接情報を得る事が何より大事だと痛感します。
震災から8日後の3月19日。
遠野市は被災地の災害対策本部に職員を派遣する事にしました。
第1陣として大町の災害対策本部に派遣を命じられた…飛内さんが支援に入った大町は役場が津波にのみ込まれ町長を含め32人の職員が行方不明になっていました。
津波のあとの火災で町は焼け野原になりました。
家を失った6,000人近くの人々が避難所で支援を待っていました。
役場が被災したため大町の災害対策本部は高台の公民館に設置されていました。
そこで飛内さんが目にしたのは生き残った職員たちが膨大な量の仕事を前に途方に暮れる姿でした。
飛内さんは支援物資の仕分けを手伝う事にしました。
集積場所の会議室には大量の物資が届けられたまま山積みになっていました。
管理に当たる大町の職員は僅か7〜8人。
物の仕分けまで手が回りませんでした。
飛内さんは派遣された2日間仕分けや避難所へ物資を送り届ける支援に当たりました。
その中で何よりも支援物資の整理に人手が必要だと感じます。
飛内さんの報告を受けて遠野市は職員に加えボランティアも被災地に送り込む事にします。
陸前高田や釜石など5つの町で物資の仕分けや配送に当たりました。
人手不足に苦しむ災害対策本部の力強い助けとなったのです。
遠野市から被災地への職員派遣はこの年の12月末まで続きました。
自衛隊や消防の後方支援拠点となった遠野運動公園。
その傍らに2012年遠野市の総合防災センターが建設されました。
2階の展示室には職員たちが情報を共有するために書き込んだ模造紙が残されています。
遠野市が被災地とどう向き合ったのか。
後世に伝える教訓として劣化しないよう加工を施し保存しています。
次の災害への備えにしたいと考えているのです。
思いがけない形で行う事になった被災地への後方支援。
大災害が起きた時近隣の市町村はどう動いたらいいのか遠野市が投げかける課題です。
茨城県日立市に来ています。
この茨城県も東日本大震災の際には津波の被害大きな揺れそして広い範囲で起きた液状化で2万5,000棟を超える家屋が全半壊したんですね。
こうした被災した地域でおなじみの番組を公開収録する事で皆さんに元気や笑顔を届けようというNHKの試み「公開復興サポート明日へ」。
今回は日立市民会館を会場に開かれています。
「公開復興サポート」は6回目になりますが茨城県では初めてです。
5つの番組とイベントが参加しました。
「ラジオ深夜便」ではリスナーとの集いを開催。
湯原昌幸さんが茨城県出身です。
・「桜桜冬桜」・「風に吹かれて舞い上がる」ほんとに3月の震災に遭った時にはこれからどうしようかなと思いました。
勇気を頂きました。
全国的にもっと放映して頂いてもっと震災の件をもう少し知って頂きたい。
(ニコル)こんにちは〜。
Eテレの「ガールズクラフト」はかわいいおしゃれアイテムを手作りしたいという願いに応えます。
モデルのニコルさんが司会でドライフラワーのコサージュを作ります。
もうちょっと先っぽにも塗っても平気かも。
ちょっとね。
薄く薄くね。
アイデアが豊富!すごいね皆さん!・「花は花は花は咲く」そして特集番組「つなげるコンサート」。
震災の記憶をそして人々の心をつなげる名曲の数々。
地元の方々のリクエストに歌手の皆さんが応えました。
・「いつか生まれる君に」・「花は花は花は咲く」・「泣きながら歩く一人ぽっちの夜」・「忘れたいのに忘れられないせつない恋よ」・「おんな港町別れの涙は誰にもわからない」番組の他にも復興支援するNHKの取り組みを紹介するコーナーも設けました。
そしてステージと客席が一つになった「ワンワンとあそぼうショー」。
子供たちの笑顔がはじけていました。
・「わおわおわおわ〜お!」みんなが元気になってもらいたい。
一番だよね。
みんなでね。
子供にもこれから希望を持ってね頑張ってもらって大きくなってもらってね。
いいと思います。
この「公開復興サポート明日へin日立」で収録された番組は全国に向けて放送されます。
詳しくはホームページをご覧になって下さい。
では被災した地域で暮らす皆さんの今の思いです。
皆さんの支援で閖上の海にみんなが立ち寄れる施設が出来ました。
ここで震災の悲惨さその後の私たちの生きざまを伝える事が私たちの恩返しです。
油断は禁物です。
私は「閖上復興だより」という新聞を作っています。
震災の年の10月から発行しまして今年の10月で30号になります。
これから発行回数や部数も減ってくると思います。
閖上で酒造りをしておりましたけれども被災して今仮設工場でお酒造りの方を仮に復旧する事ができました。
これから閖上の復興が進むうえで私たちの目的である…。
2014/10/26(日) 10:05〜10:53
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう−証言記録東日本大震災34▽遠野〜内陸の町 手探りの後方支援[字]

岩手県遠野市は震災発生後すぐに独自の判断で本格的な被災地支援に踏みきった。現地と情報のキャッチボールを重ねながら行われた手探りの支援を遠野の人々の証言でつづる。

詳細情報
番組内容
岩手県遠野市は震災発生からまもなく独自の判断で本格的な被災地支援に踏み切る。それは一人の男性が市役所に駆け込んで避難所の窮状を訴えたことに始まった。しかし、物資支援では現地のニーズとのミスマッチが起こり、錯そうする情報は支援の空振りを生む。結局、現地の生の情報を自ら入手するしかないとして、被災地の災害対策本部に応援を送り込むまでになる。情報が少ない中、手探りで行った後方支援を遠野の人々の証言で綴る

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他

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