ケンブリッジ白熱教室 第3回「FBI 対 フランス哲学者」 2014.10.24

1209年創立のケンブリッジ大学。
800年以上の歴史と伝統を誇る名門大学です。
ニュートンやダーウィンなどの自然科学から哲学者のベーコンや経済学者ケインズなどの人材を排出。
ノーベル賞の全ての分野で受賞者を出しその数は90名に上ります。
市内に点在する31のカレッジから成るケンブリッジ大学。
学生数およそ2万に対して教職員の数はおよそ5,000。
最高の講師陣をそろえた大学の授業。
中でも「スーパービジョン」と呼ばれる少人数・対話形式が特徴です。
そんなケンブリッジで今注目を集めているのが…サッカー好きで冗談好きイギリス人男性。
マーティン博士の専門はフランス哲学と文学。
サルトルを中心とした人間の実在を思考の中心に置く「実存主義」が研究のテーマ。
難解な哲学的観念を身近な実例に置き換えた講義は学生たちに大人気です。
私は毎日の日常は哲学にあふれていると思います。
私は「哲学は役に立たない」「机上の空論」「学者だけのもの」という考え方から離れて哲学は実践的で日常の経験を理解するために役立つ学問なんだと言いたいのです。
マーティン博士が贈る「ケンブリッジ白熱教室」。
哲学が扱う問題は人間の心理にも関連する。
だから哲学は心理学ともつながりが深いのだ。
大胆な仮説や奇抜な思考実験を駆使して現代人が心の中に抱えるさまざまな悩みや矛盾の解決方法を探る「実践的フランス哲学講座」。
第1回の「ベッカム実存主義」では…。
ベッカムが自己をより意識するようになったのはパリだった。
だから私はベッカムのブログを始めた。
マーティン博士が考えたサッカー選手ベッカムがパリ生活の中で哲学的な考察を行う架空のブログを題材に講義を行いました。
アレックス・ファーガソンはベッカム実存主義者ではない。
ファーガソンは保守的な本質主義者だ。
ベッカム実存主義者からの最後のレッスンは「多様化」。
「本物らしさ」は妄想だ。
ベッカムを「実存主義者」ベッカムの師匠とも言えるファーガソン監督を「本質主義者」と見立てた思考実験を行い自分自身を主体として変化や多様性を認める実存主義的な生き方を学びました。
第2回の「美と醜悪の現象学」では…。
彼は確かに20世紀の最高のパフォーマーの一人。
どうして彼は自分の外見にそんなに不安を抱くのか。
世界的なポップスターマイケル・ジャクソンの美に対する執着と苦悩について考察。
今地球に理想形は存在しない。
理想形は生まれる前あるいは死後のものだ。
美は世界の人々に付きまとう亡霊だが決して実現されないもののままだ。
古代ギリシャのプラトンや自分の容姿に強いコンプレックスを抱いていたサルトルの哲学を用いて人間には「理想の形」というものが存在しない事「美」は人間を超越した状態だという考え方を講義しました。
第3回は「FBI対フランス哲学者」。
これまでとは打って変わってマーティン博士が入手したFBI捜査資料をもとにサルトルとカミュの変遷にスポットを当てます。

(拍手)「ニューヨークの嘔吐」。
もちろん私はアメリカに舞台を移してサルトルの古典的な哲学小説を踏まえている。
これから語るのはヨーロッパとアメリカの間の相互関係もしくは昨日の講義でも出てきた言葉「相互依存」。
アルベール・カミュジャン=ポール・サルトル対FBIとCIAという形で物語化しドラマ化したものである。
ちなみにこれは全て私自身の研究に基づいている。
時々アメリカから大きな資料の包みが私のケンブリッジの家に送られてくるのだが面白いのは重要資料である事を示すために大きな文字で「FBI連邦捜査局」と刻印されている事。
これらの包みを届ける郵便屋が心配してある日私を引き止めて言った。
「FBI捜査官はあなたに目をつけているんでしょう?いつもあなたの事を怪しいと思っていましたよ」。
私はその時誰もがやるように否定したのだが今思えばFBIに自分についてのファイルがあるという事はかっこいい。
言うまでもなくこれは名誉の印だ。
もしFBIにファイルがないとしたら十分な努力をしていなかったという事ではないか。
どうやってFBIの資料を入手したのですか?アッハッハ!とても理にかなった質問だね。
私がとても丁寧にお願いした。
実際には「ニューヨーク・タイムズ」で働く友人にどうやってFBIからフランス哲学者たちのファイルを見つけ出せばいいのかを尋ねた。
すると友人は情報公開法を利用してファイルを入手する方法を説明してくれた。
さて私たちはFBIを反哲学者と考える傾向がある。
FBI初代長官フーバーとその部下たちが哲学者特に外国人哲学者たちに深い疑いを抱いていなかったという人はいないだろう。
だがFBIの資料を調べていく中で私が強く興味を引かれたのはFBIは単に哲学者を監視していただけではなく彼らも哲学を持っていたという事だ。
彼らは監視や捜査の過程でFBI版の「存在と無」とも言える哲学的考察を展開している。
さてサルトルとカミュ2人のフランス人哲学者に対して行われたFBIの長期にわたる監視について考える前に反対に捜査機関の哲学について考えてみる。
1908年に戻ってみたい。
チェスタートンの作品小説「木曜日の男」だ。
小説の中には「哲学的警察官」と呼ばれる登場人物が描かれている。
これから引用するのは哲学的警察官の言葉。
「哲学的警察官の仕事は通常の刑事の仕事より大胆であると同時に繊細だ。
普通の刑事は泥棒を捕らえるために場末の酒場へ行く。
私たちは悲観主義者を見つけるために芸術家のパーティーに行く。
普通の警官は経理帳簿や日記から犯罪が行われた事を発見する。
私たちは詩集から犯罪が行われるであろう事を予見する。
私たちは彼らを知的犯罪へと駆り立てるこれらの恐ろしい思想の源をたどらなければならない。
『教育を受けていない者が危険な犯罪者だ』という上流気取りの英国的仮説を否定する。
今最も危険な犯罪者は全く無法な現代の哲学者たちだ」。
チェスタートンのすばらしい小説。
これに関してSF作家フィリップ・K・ディックの「マイノリティ・リポート」の小説や映画の事を思い出すかもしれない。
しかし哲学者に対する捜査は歴史をひもとくとSFでも目新しいものでもない。
いくつかの例がある。
古代ギリシャのFBIはソクラテスにも目を光らせていた。
プラトンも著書「国家」において詩人たちはブラックリストに載せられるべきだと考えていた。
私はかなりFBIに同情する。
なぜなら例えばジャン・ボードリヤールは「哲学者テロリスト」と自称していた。
一方で彼はアメリカについてのすばらしいエッセーも書いた。
もし私がFBIだったらボードリヤールを入国させるか?させないだろう。
「脱構築主義者」なんて名前を聞いただけで警鐘を鳴らす。
彼らは何をするつもりなのか。
エンパイアステートビルを破壊しようとでもしているのか?少なくともこの名前だけでGメンが注意を払うのに値する。
私が知る限りジャン=ポール・サルトルがFBIに目をつけられた最初のフランス人哲学者だ。
FBIは実存主義として知られるこの新しい「知的狂信主義」が一体何なのか「知的犯罪」につながるのかを知りたがった。
そして実存主義が「共産主義」の別名なのかを知りたがった。
20世紀のフランス実存主義哲学者ジャン=ポール・サルトル。
哲学の教鞭を執るかたわら哲学・文学両面にわたる執筆活動を行いました。
この作品はフランス全土に大きな衝撃を与え…第2次世界大戦終戦当時の状況を思い出してほしい。
アメリカにとって第一の敵は既にナチズムから共産主義へと移行していた。
そしてこれはFBIの歴史から見ると第1次世界大戦終戦時にまで遡る本来の敵だ。
つまりFBIは共産主義を監視するために設立されたのである。
新しいソビエト連邦が何をしているのか特にニューヨークにやって来るロシア人移民が何をしているかを監視するために。
だからFBIは第2次大戦後本来の使命に戻ったわけだ。
その時ソビエト連邦は東ヨーロッパの大部分を支配していた。
FBIは共産主義が西側に漏れ出してくるのをどう食い止めるかという事になった。
しかし共産主義者はずる賢い。
彼らは偽装していた。
全ては暗号化され内密に書き換えられた共産主義のマニフェストの可能性がある。
「マニフェスト」とは訳せば「明らかにする事」なのに。
フロイトならむしろ「潜在的なもの」と言っただろう。
だからFBIの捜査官は精神分析学者そして解釈学者になる事を強いられた。
これはイタリアの歴史家カルロ・ギンズブルグが「サイネジェテックパラダイム」と呼んだもの。
これはすばらしい言い回しだ。
誰か「サイネジェテックパラダイム」が何か分かるか?何か犬に関するものです。
犬に関するもの。
古典的な学者の言い方がそうだ。
猟犬が匂いをもとに追跡する事。
これは一般的に「推論的パラダイム」と訳される傾向がある。
だがこれは退屈な翻訳だ。
なぜなら「犬」が抜けているから。
君たちは匂いを嗅ぎ回って証拠を追い手がかりを追跡するんだ。
FBIの哲学的警察官は別の意味でも哲学的だったと言える。
哲学者たちを追ううちに「哲学的捜査」とでも呼ぶべきものを行う事になる。
(砲声)1939年9月。
ドイツ軍のポーランド侵攻に端を発した第2次世界大戦。
ナチス・ドイツは瞬く間にヨーロッパの大部分を手中に収め翌年にはフランスに侵攻。
そして1940年6月10日首都パリが陥落。
しかし占領下のフランスではナチス・ドイツに対する抵抗運動レジスタンス活動が活発化。
サルトルやカミュなどのフランス哲学者たちもこのナチス・ドイツへのレジスタンス活動に加わりました。
しかしフランスのレジスタンス活動の中心がフランス共産党だったためレジスタンス運動に参加した哲学者たちは第2次大戦終結後も共産主義との関わりを疑われる事になりました。
そもそもサルトルをアメリカに送り込んだのはレジスタンスの秘密新聞「コンバット」の編集者であったアルベール・カミュだった。
1945年の初頭終戦前ジャーナリズム的な使命としてだった。
実は彼らはアメリカ政府に招待されたのだった。
正確に言えば戦争情報局である。
その意図はアメリカの戦争努力についての肯定的なメッセージを広めさせようというものだった。
「アメリカで私たちが何をしているのか見に来てほしい。
そうすれば君たちは私たちがいかにすばらしいかをみんなに伝える事ができる」。
もちろんFBIはパニックに陥った。
「チーズ食いの降伏者の猿たちを招き入れて私たちは一体何をやっているんだ?戦争努力を台なしにしている。
なんて事だこれで私たちは負けてしまう。
ソビエト連邦の侵入を許してしまう」。
再び言うが私はFBIに対して同情しないわけではない。
とりわけアメリカの戦争努力に関するプロパガンダを書かせる目的で「存在と無」や「嘔吐」そして恐らく20世紀の最も辛辣な「地獄とは他人のことである」の作者であるサルトルを君なら呼び寄せるか?そんなFBIの長官はジョン・エドガー・フーバーだった。
自らの権力を盾に有名人や政財界人に対する監視活動や恐喝に加え政治的迫害を行った事で知られます。
フーバーは私が「情報主義者」と呼ぶ男だ。
今すぐあらゆる情報を要求する。
フーバーは昨年スノーデンの告発で知られるようになったアメリカ国家安全保障局による個人情報収集システム「プリズム」を先取りしていた。
FBIの資料を眺め続けてこの驚くべき新事実を発見した時の私の興奮を想像してほしい。
それがこれだ。
サルトルの行動に関わるもの。
この文字は「プリズム・コミュニケーション」を指しているように見える。
それが私の最初の解釈だった。
第2次世界大戦当時にプリズムがあったなんて!プリズムは最近開発されたものだと思っていたのに。
私はものすごく興奮した。
しかし後で気が付いた。
正確には「プライヤー・コミュニケーション」。
でもこれはプリズムの可能性もあると思わないか?私には「プライヤー」に見えます。
分かった。
そこにはある程度の曖昧さがあったという事にしておきたい。
でも私はFBIはインターネット時代を先行していたと言いたい。
やがてサルトルがニューヨークに到着する。
1945年1月だ。
サルトルが最初に書いたのはすばらしい記事だ。
サルトルは「ニューヨークの病気」に苦しんでいる。
私は「ニューヨークの嘔吐」とでも訳そうと思う。
とにかくサルトルが到着する。
彼はアメリカのプロパガンダを書かなくてはいけない。
「分かっている。
ニューヨークで吐き気に襲われた」。
戦争努力へのすばらしい助けというものだ。
これは間違いなくナチス・ドイツを倒せる。
実際サルトルはこの随筆の終盤で黙示録のように摩天楼の崩壊を予言する。
フーバー長官と彼の部下たちがすぐにサルトルの追跡を始めた事には何の不思議もない。
そしてフランスのレジスタンスに加わった誰もが共産主義者である疑いを持たれる事になった。
その間にアメリカを拠点に活動するフランス人ジャーナリストタブイがサルトルと彼のグループを監視していた。
彼女は複雑な人物だ。
今日は盗聴された会話に焦点を当ててみたい。
その一部を聞いてもらおう。
これはタブイとフランス報道官との会話を盗聴した記録ファイルだ。
この中でタブイはこう言う。
「オフレコで彼らが全員怪しいやつらなのかどうか教えて」。
それに対してフランス報道官のボーブはこう言う。
「いやそうとは言えない。
デノワイエとサルトルは大丈夫だ。
残りはよく知らない」。
後にタブイはサルトルらのグループが発行する別の新聞「フランス・ソワール」紙の特派員を尋問している。
特派員は内密にサルトルを含む9人のフランス人ジャーナリストについて彼女に話をする。
「彼らは私を除いて全員が共産主義者だ」。
そうだ。
みんなそう言うのではないか?その間自称「書く機械」サルトル彼は猛スピードで記事を書きまくっていた。
フランスの雑誌「ル・フィガロ」はサルトルの記事を出版した。
これも偉大な戦争努力についてのサルトルの意思表示だがその記事の中で彼は反レジスタンスだとしてアメリカを拠点に活動する他のフランス人ジャーナリストを非難する。
なぜなら彼らは国務省と組んでいて多額の資金提供を受けているとサルトルは見ていた。
そしてこの事は「ニューヨーク・タイムズ」の見出しへとつながる。
サルトルはタブイを十分に意識していた。
これが私の強調したい点だ。
サルトルはスパイ行為を働かれている事には最初から気付いていた。
しかしタブイ自身はこれを激しく否定する。
その事を私たちが知っているのはタブイが国務省に報告したからだ。
だから今もファイルに残されている。
彼女は自分が報告した事をサルトルに対してどのように否定したかを報告している。
なかなか複雑だ。
サルトルはアメリカから期待された役割を実際果たしていない事に気付き少し前言撤回をしようとしてある記事を出版する。
そこで彼は明るい語調をとろうとする。
サルトルの偉大な全作品を考慮してみてこれは実際彼の書いた中で最も楽観的な語調かもしれない。
特にアメリカに関するもので言えば。
「私はアメリカの兵士たちがフランスの国境を守るために戦っているからこのように言うわけではない。
フランス人がその事を忘れる事は決してないが私たちはアメリカの文学の影響を受けそして占領下にある間私たちの精神はアメリカの方へと向いた。
全ての自由国家の中で最も偉大な国の方へと」。
これが私の強調したい事だが簡単に言うとこの東西に「二極化した世界」において何か小規模の内乱のようなものがフランス側で起こっていて今それがアメリカで戦われている。
サルトルは監視の目をかいくぐる事のできる信用のならないゲストだと解釈されていた。
これはFBI資料に基づいて言うのだがある捜査官はサルトルを尾行していた。
そこはニューヨークからそれほど離れたところではない。
そこでサルトルは電気機械工場を褒めたたえるはずだった。
だがサルトルは逃げ出して電車に飛び乗ってしまった。
捜査官のレポートを引用すると「3月1日の午後ニューヨーク市行きの電車に飛び乗った」。
正しく言い換えれば捜査官はサルトルに巻かれたのである。
「あのフランス人共産主義野郎はレジスタンスの際にさまざまなごまかしの技を学んだに違いない」。
でももちろん私たちはサルトルの行動の本当の理由は知らない。
彼はただ単に工場見学に興味がなかっただけの事かもしれない。
ちなみにサルトルはニューヨークにガールフレンドがいたが捜査官はその事も知らなかった。
捜査官は疑問に思い続ける。
「なぜサルトルはこの番号に電話し続けているのだろう?」。
もちろんそれはサルトルがニューヨークでつきあった彼女の電話番号だった。
フランスのレジスタンスと関係のある人は誰でもソビエト連邦と共謀していると見られていた。
だからサルトルと仲間のメンバーがアメリカ国内を動き回る度に彼らはさまざまな共産主義組織いや偽装した共産主義組織と接触しているのではないかと疑われていた。
そのうちの一つFBIが非常に疑わしく思っていたグループがあった。
それは「フランス調査財団」と呼ばれる組織だった。
誰も彼らが何の調査をしているのか知らなかった。
FBIは「友好」という言葉の入った名前を持つグループにも強い疑いを抱いていた。
「平和」という言葉も非常に疑わしく見られた。
「平和」「調査」…。
(2人)「友好」。
…という言葉がまとめて入ったグループは用心のためにただちに隠れるべきというわけだ。
そうだ女性を含む委員会組織も怪しまれた。
脚本家これも非常に疑わしい。
FBIは基本的にハリウッドで働く人は皆共産主義者あるいはうそつきだと考えていた。
そして一度FBIに怪しまれると否定するのは難しい。
一方でサルトルの監視に対する態度はどうだったのだろうか。
考えてみてほしい。
サルトルの監視と情報収集に対する態度はどうだったと思うか。
なぜならサルトルはある程度それを見越していたからだ。
誰かこれについて考えのある人はいるか?軽蔑でしょうか。
それからいらだち。
なるほどいらだち。
恐らく正解。
なぜならサルトルはほとんどの物事に対して軽蔑しいらだつ傾向があるから。
その答えで間違う事は恐らくないだろう。
質問を変えてみよう。
彼は監視される事に驚いたのか。
答えはノーだ。
私は彼が驚いたとは思わない。
なぜならサルトルはむしろフーバー長官と似ていて簡単に言えばもう一方の情報主義者だったからだ。
サルトルは社会に対して情報戦争を挑んでいた。
サルトルは完全な透明性に価値を置く。
彼はまさに現代の「セレブ・ゴシップ」の予言者だ。
サルトルは私が言う「表裏社会」と呼ぶものに興味を持っていた。
この「表裏社会」において隠されているものは何もない。
だからフロイトの無意識についてのサルトルの冷笑軽蔑そしていらだちが理解できる。
サルトルは何か深く隠された秘密を掘り出さなければならないという考えが嫌いだった。
情報は何らかの形で明らかになっているべきだと考えた。
例えば「存在と無」の偉大な一節について考えてみよう。
哲学者が鍵穴を通して誰か別の人をのぞき見ている。
彼は凝視している。
鍵穴を通して彼が何を見ていたのかは忘れてしまったが。
彼は誰かの部屋を見ている。
彼はかがんで鍵穴を通して部屋にいる誰かを見ている。
そして彼に何かが起こるあるいは彼が何かに気付く。
ここで次に何が起こるか分かるか?彼は気付く。
自分の後ろに部屋をのぞき込んでいるサルトルを見ている誰かがいる事に。
彼は背後からスパイされている。
「存在と無」第3部「他者の存在」の中で「『のぞく』という主体的な行為を行う自分は同時に他者からのぞかれる事でまなざしの対象というものとして存在する」とサルトルは言います。
この事は実存主義において自分は他者にとってものという情報の一つとして存在する事は避けられない事を意味しています。
彼はいつも予期している。
自分が誰か別の人を追跡しているにしても同時に誰かが自分を追跡しているという事に気付く。
そこには凝視する目がある。
簡単に言うと誰かが彼をまたスパイしている。
でもサルトルは自分がスパイしたいと思う。
でも同時に誰かにスパイされる事も予期している。
スパイされる事を止める事はできない。
どうぞローレンス。
「存在」についての情報を作り出す事ができるという事でしょうか?恐らく「無」というのは「スパイする」という事ででも自分の存在についての情報を作り出すためには自分を見ている誰かが必要という事でしょうか?そのとおり。
そしてそれはとても根本的なもの。
誰かに見られている事を君は嫌がるかもしれないがあのオスカー・ワイルドの一節「誰かが陰で君について話をしているよりも悪い事がたった一つだけある」。
「自分の事が話されているよりも悪い事は話されていない事」です。
そのとおり。
だからひそかに話されている事を期待しているという事。
ひそかに自分についての会話がなされている事を知りたいと思っている。
これはサルトルの解釈だが面白いのは誰もが何となくその事を期待しているという事だ。
彼はそれが行動規範だと推測している。
もし透明性を欲するなら自分も透明でなければならない。
言い換えれば「監視しているもの」と一緒に進んでいかなければいけない。
なぜなら君もまた情報つまりものだからだ。
そしてこれが恐らく君が主張しているものだろう。
FBIはサルトルがアメリカにいる間たくさんの情報を彼から盗もうとしていた。
でも実際彼らはサルトルを丸裸にするために何も盗む必要はなかった。
サルトルから情報を盗む事はできない。
彼は実際情報を全て渡したくてたまらなかったわけだから。
FBIの資料にその証拠がある。
サルトルは1945年3月戦略諜報局のエージェントの一人のところに立ち寄って話をする。
それは「君たちは私に対して十分にスパイを行っていない。
私は君が気付いていないものを教えるために君に会いにやって来た。
私はニューヨークに彼女がいる。
君たちはそんな事にも気付いていないだろう。
役立たずが」と言っているようなものだ。
戦略諜報局は私たちが現在CIAとして知るものの前身だった。
CIA中央情報局。
それはもちろんこの諜報機関のもっと国際的な部門だがこの時点では出来上がっていなかった。
これは本当の話だが彼はエージェントに「ド・ゴール将軍が神話として語られているフランス国内の現在の状況基本的に全員が共産主義者だという事は間違いだ」という状況説明をする。
この話は恐らくエージェントがサルトルならこう言うだろうと思って書いたのではないかと想像しているが。
はいローレンス。
サルトルの情報の全体的な透明性の考えについてそれは政治的なものだったのですか?それとも単に情報や知識というものだったのですか?なぜならもしそれが政治的なものであった場合たくさんの隠されたものや未知のものがあります。
だから政治的な意味合いで「透明性」とサルトルが言うのは不思議な気がします。
面白い。
そして私は根本的にはその質問への答えを知らない。
でも私はこう言う。
君はサルトルの文筆キャリアにおけるある種の移行という意味で考えている。
個人的なものからより政治的で公的なものへの移行だ。
サルトル自身の中には疑いなく対立がある。
言い換えればある種の全体的認識論。
そこでは最大の情報に到達する事ができそれを熱望する事を期待する。
でもサルトルは本当に到達するように期待しているわけではない。
プライバシー隠された部分いわば情報のゆがみがある事を予期している。
でも同時に政治的目的については正確には第2次世界大戦の戦争経験全体がサルトルに影響を与えたに違いないと言う事もできる。
これはかなり複雑だ。
なぜなら彼は行動的な人間だったが第2次世界大戦の際には十分ではなかったからだ。
第2次世界大戦末期の1944年6月6日。
アメリカとイギリスを中心とする連合国軍はナチス・ドイツ占領下のフランスへの反攻作戦ノルマンディー上陸作戦を敢行。
その2か月後の8月25日には自由フランス軍とレジスタンスによってパリは解放されました。
レジスタンス活動においてある程度のステータスに到達したカミュと比較するとサルトルはあまりよいステータスには到達しなかった。
パリ解放闘争の間サルトルはすばらしい仕事を与えられた。
「君はヒーローになりたいだろう?君はこの建物に出向いて解放するように君一人でやるんだ」。
サルトルはナチスによって占領されたパリのオペラ座を解放するという仕事を与えられた。
だが実はナチスは既にそこを去っていた。
サルトルがオペラ座を解放するという仕事をもらうまでに誰もがその事を知っていた。
「サルトルこれが君の仕事だ。
やってきなさい」。
サルトルはカミュに報告を上げる事になっていたのだがカミュがオペラ座に立ち寄った時カミュはサルトルが劇場最前列にある快適な椅子で眠っているのを見つけた。
カミュはサルトルを揺さぶって起こしたという。
これはカミュの言葉だがカミュはサルトルについてこう言った。
「彼は肘掛け椅子を歴史の方向に向けていた」。
これはとてもおかしい。
でもサルトルはこれをあまり快く受け止めなかった。
サルトルは「行動的な男」でありたかった。
だから疑いなく第2次世界大戦後サルトルはある意味埋め合わせをしようとしていたのだと思う。
いわばもう一つの戦争を戦うというような。
その戦争は彼にとって決してやむ事がなかった。
1945年5月ドイツは連合国軍に無条件降伏。
5年間に及んだヨーロッパでの第2次世界大戦は終結しました。
大戦終了時東ヨーロッパの多くの国々をナチス・ドイツの支配から解放したソ連はその影響力を強め東側諸国が次々と社会主義国家を樹立していく事になります。
1946年2月7日。
君たちも当時を回想してみてほしい。
第2次世界戦の終戦直後。
FBI長官フーバーはニューヨーク支局の担当特別捜査官に手紙を書いた。
「『コンバット』のニューヨーク特派員とされる『アルバート・ケーナス』またの名を『コーラス』として知られる人物に注意を向けるように」という手紙だ。
「この人物は不正確な記事を書いている。
彼の記事はこの国の公益にとって不利なものである。
ケーナスは外国文書糾弾合同委員会のリストに名前が載っている」とフーバーは言う。
なんて名前の委員会なんだ!フーバーはニューヨーク支局に彼の素性活動そしてこの国での組織との提携について突き止めるための調査を行うように命じた。
ちなみに部下の一人がついに勇気を持ってこう言った。
「ターゲットの名前はアルベール・カミュです。
アルバート・ケーナスではありません」。
でも彼は「確かにケーナスもコーラスも彼がこの国にいる間に使っていた偽名です」と言う事にした。
上司にこびるずる賢いやつだ。
不条理の作家として知られるフランスの小説家アルベール・カミュ。
代表作「異邦人」は「きょうママンが死んだ」の書き出しで知られ人間存在の「不条理」が描かれています。
カミュの言う「不条理」とは理性を持って世界に対峙する時に現れる不合理性の事であり…アルベール・カミュ。
1946年3月25日彼は86埠頭にてオレゴン号を下船した。
彼はフーバーの職務質問命令によって取り調べを受けた。
「お前たち注意を払ってほしい。
ケーナスとかケーマスという男が現れるはずだ。
彼を引き止め取り調べをするように。
彼を捜査するんだ」。
「旅の日記」にある埠頭でのカミュのメモから引用しよう。
入国管理官が言う。
「すまないがこれをしなければいけない事になっている。
理由は言えない」。
それに対して…。
「奇妙だがでも5年間の占領のあとだ」。
でも言い換えれば「占領下のフランスで私はこういう事には慣れている。
止められて書類やらものやらの提出を求められる事には」。
それで彼は自分に疑いがかかっている事を知る。
カミュも同様に事の最初から監視疑惑に気付いていた。
ここで重要なのはサルトルとカミュが情報の在り方について異なる観点を持っていた事だ。
カミュはサルトルとは対照的に分別とプライバシーの美学を提案する。
「ちょっと待てよ。
君の監視には一線を引いてくれ」。
一方サルトルは情報の最大化透明化へと向かう傾向がある。
カミュにとっては情報過多というものが存在する。
カミュの著作「反抗的人間」の引用だがカミュはいわゆる「限界の哲学」を好む。
だから私はカミュは情報を開示しなかったと言いたい。
カミュは「不思議な」という言葉を使う。
それはたとえ分析や調査のあとでも他人についての知識の中には残されたものがあると予期しているからだ。
一方サルトルにとって文学は…ここで文学はわいせつとも言えるところまで現実主義的であるべきだと考える。
全てを見せるべきだと。
ニューヨークのサルトル。
彼のすばらしい記事の一つから引用すると…。
「薄い靄のような雰囲気。
始めや終わりを記すもののない縦長に引き延ばされたたくさんの塊」。
ちなみにこればサルトルが摩天楼の崩壊を予測した表現だ。
サルトルとカミュのニューヨークへの反応を比較すると非常に興味深い。
カミュはニューヨークについて書く時色彩食べ物匂いタクシーネクタイ店などを賞賛する。
カミュはニューヨークのネクタイがお気に入りだった。
引用しよう「暴力的光の乱交」。
これはブロードウェイの事だ。
どうぞ。
サルトルの監視への興味が読者を必要とする彼の文芸活動とリンクしているのではないかという事について先生はどのように考えていますか?読者が必要だという事を。
それは妥当な質問だ。
私はそのような観点で見た事はない。
作家としてのサルトル。
その主張は誰か自分の書いたものを読んでくれる人がいなければなぜ作家である必要があるのか。
だから同じ意味で個人として私が何をしても何を考えても何を言ってもその私を見る観察者が必要だ。
それゆえに私はある意味監視されている必要がある。
偉大な単独の個人でありたいと思うからうまくいかないのだと。
彼は「なんてすばらしい『単独の』個人なんだ」と言ってもらう必要がある。
だから周りに見ている人がいる事によってカミュの言う「孤独な魂」とか「異邦人」のような立場は全て崩れてしまう。
でもカミュはそれにしがみついていたかった。
一方サルトルはそれを限界まで突き詰めるとある時点で書く事そのものが必要なくなってしまう。
作家は必要なくなる。
なぜなら誰もが全てを既に知っている事になるからだ。
だから書く事が何も残されていないんだ。
完璧な情報の連続性が存在する事になると作家はいなくなる。
私たちは既に全ての人の間の完璧な親密関係を持っている事になる。
本があり読者がいて作家がいる状態は完璧な親密関係がないからだ。
サルトルとカミュは2人ともノーベル文学賞を授与された。
2人のうち一人が受賞を辞退した。
どちらだったか?
(学生たち)サルトルです。
よろしい。
サルトルは辞退した。
でもなぜ彼は辞退したのか。
それにはさまざまな説がある。
でもそのうちの一つはサルトルがその当時文学の概念に深く懐疑的になっていたからというものだ。
哲学的に言うと何が起こっているのか。
FBIなどの捜査機関は「哲学的警察官」という範疇に入るものだ。
明らかにFBIの人々は反共産主義者だ。
しかし彼らは十分に反共産主義的ではなかったと私は主張したい。
彼らは共産主義を決して真剣に捉えていなかった。
共産主義はFBIにとって実際には意味をなしていない。
なぜか?なぜならFBIにとって全ては意味をなさないからだ。
この考えは主にフーバー長官から課された長く続く命題「一体実存主義とは何なのか」に答えるニューヨーク支局の捜査官によるものだ。
フーバーは私の君たちへの答えのような曖昧な答えでは満足していなかった。
しっかりと実存主義の正体を確かめる必要がある。
それで捜査官は報告レポートを作成する。
そのため捜査官はFBIが哲学について書いた資料を真剣に読む。
「スーツを着た影の男」という私のイメージに一番近いと思う。
彼は言い換えれば究極の哲学的警察官だ。
例えばこれは捜査官がカミュについて言っている事。
「この哲学は不条理とともに生きる事を推奨する。
不条理ゆえに人生をより十分に楽しむよう勧める。
なぜなら人生には意味がないからだ。
人生の非合理を前にして痛いほどに明快」。
ここでサルトルの初期の哲学小説「嘔吐」に見られる古典的な物語批判に戻ってみよう。
フランスのとある町で絶望した研究者が物事や境遇によって彼自身の自我を定義する能力や理性的・精神的な自由が侵されているという確信に至り吐き気を感じさせられる様子が描かれています。
この質問をさせてほしい。
サルトルが物語に反対して「嘔吐」の中で何と言ったか覚えている人はいるか?連続する全体としてではなく部分部分を切り離したり入れ替えたりしてでも彼が言うには最終的に全ては同じものに行き着くという事です。
なるほど。
なぜならサルトルはバルザックの小説を読んでいたそうだったね。
「嘔吐」の主人公は君たちに思い出してもらうために言うが「ロカンタン」だ。
彼はある侯爵の伝記を書こうとしている。
18世紀の貴族を想像してほしい。
彼はこの観念について何と言っている?なぜ伝記はうまくいかないのか。
それは自分自身の人生ではなく別の人生を生きているようなものだからです。
そうだ。
それがこの部分の本質。
彼は一方で「生きている事」と他方で「物語る事」の区別をする。
物語は「目的論的」だ。
なぜなら物語は「目的」を視野に入れ結末を置いているからだ。
一方人生は「反目的論的」だと彼は言う。
言い換えれば捜査官が言うように人生には意味も目的もない。
だから君たちは選択をしなければいけない。
サルトルは「生きるまたは物語る」という対立関係を打ち立てる。
両方を同時に得る事はできない。
そして彼は人生において本当には何も起こらないと言う。
1950年代以降サルトルは社会参加する知識人と称して自らの政治的立場をより鮮明に打ち出します。
そしてフランスからの独立を目指すアルジェリア民族解放戦線やカストロによるキューバ革命政権を支持するなど独自の政治路線を展開します。
サルトルは戦後興味深くも魂を失った実存主義的カウボーイヒーローからいわゆる「融合集団的な概念」に向かって移行していくと思う。
そこで個人はいつも何かの目的を目指して誰かと協調し協力しようとする。
戦後のカミュはもっとずっとFBI的だ。
「反抗的人間」を見てみると古典的な反全体主義だ。
一部はフーバー長官が書いたと言ってもよいくらいだ。
彼らは「融合集団」を嫌う。
FBIは秘密の情報提供者によって広められた理論を好む。
ここで引用しよう。
「問題の人物のグループレジスタンスにおけるカミュのグループはもともとドイツからの侵入者に対抗してレジスタンスを形成するために個々の政治哲学者が集まって形成されたとカミュが言った。
解放が訪れた時このグループの目的はなくなりグループは解散した。
個々のメンバーは各自の政党や哲学へと戻った」。
これはカミュ本人が言っているのではない。
情報提供者がカミュの解釈について話している。
しかしこれは概してカミュ派の理論だ。
私はこれを「分解はいい統一はいけない」と要約しよう。
FBIはカミュを自分たちと同類の人間だと知る。
「不条理」と「異邦人」のカミュ。
それによると個人は世界に対して決して意味をなさない。
あるいは長期的に他人とつるむ事もしない。
捜査資料を見ていくとFBIは「サルトルとカミュの論争」を歓迎する。
つまり実存主義者は「親密な絆」あるいは「家族的類似性」を過小評価しているとも言えるだろう。
反対に共産主義は親密な関係性の過大評価だと定義される。
あるいはFBIの立場から言うと「感情移入」だ。
サルトルを調査したFBIは何年もサルトルの作品を理解しようとした末チェ・ゲバラバートランド・ラッセルブラックパンサー党そして反ベトナム戦争運動との関係に気付いた。
しかしサルトルが共産主義支持派なのか反対派なのかを知る事は不可能だと結論づけた。
そして私もどちらか分からない。
だから彼らと同じ意見だ。
まとめると…物語哲学そしてスパイ行為は共通の起源を持つ。
君たちも同意してくれるといいのだが。
これらは情報の欠如から生じる。
サルトルの「全体的情報」の世界への期待は全てのものの意味をなくしてしまう。
FBI小説家あるいはフランス哲学者の必要性はもはやなくなる。
でもサルトルが彼の豊かな表現の中で言うように私たちが持つのは「全体分解的な全体」だ。
カミュは「反抗的人間」で「全体をつかむ事の不可能性」に同意する。
だから結局私たちの中には哲学的警察官のようなものが存在する。
でも同時に結論として私は実存主義の意味と関係するものがあると思う。
なぜなら人々は私にこのように尋ねるからだ。
「実存主義を定義してほしい」。
これはちょうどフーバーが尋ねている事と同じ。
「私は私の情報ではない。
私は一連のデータに還元されるものではない。
私は全体分解的な全体だ」。
そしてこの謎めいた言明でこの授業を終わりにしたいと思う。
(拍手)2014/10/24(金) 23:00〜23:55
NHKEテレ1大阪
ケンブリッジ白熱教室 第3回「FBI 対 フランス哲学者」[二][字]

ケンブリッジ大学のアンディ・マーティン博士がおくる実存主義講座。現役大学生たちを相手に大胆な仮説や思考実験を駆使して、現代人の悩みや矛盾の解決方法を探ります。

詳細情報
番組内容
1209年創立、長い歴史と伝統を誇る世界的な名門ケンブリッジ大学で、いま注目を集めているアンディ・マーティン博士の特別授業。第3回の「FBI対フランス哲学者」では、マーティン博士が入手したFBI捜査記録をもとに、サルトルとカミュの二人を徹底分析。第二次大戦後、個人の存在にこだわりつづけたカミュ、そして、実存主義を社会や共同体にまで広げたサルトル。二人のフランス人の変遷と対立を考察します。
出演者
【出演】ケンブリッジ大学フランス学部講師…アンディ・マーティン,【声】斉藤茂一,杉山奈美枝,南雲大輔,渡部紗弓

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
趣味/教育 – その他

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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英語
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