歴史の大海原を旅するキャプテン歴史アイドルの小日向えり。
世界中のさまざまなゲストと一緒にいざ船出しよう!
(小日向)初めまして。
小日向えりと申します。
(ジェーニャ)ロシアから来ましたジェーニャです。
ロシア出身のジェーニャさん。
日本のアニメの大ファンになり日本語を学んで来日。
今ではプロの声優歌手として活躍しています
ロシアのお話を聞かせて頂けるんでしょうか?そうですね。
ロシアが大きくなったという時代についてお話ししたいと思います。
そうなんですね。
お土産持ってきました。
わ〜い。
ロシアといえば…これなんです。
何でしょう。
はいロシアの文学です。
えっ文学?はい。
わあ!世界中で有名なドストエフスキーやトルストイの本なんですけれども。
「罪と罰」聞いた事あります。
有名ですよね。
そうこれ…ロシア人は中学とか高校で読みますよね。
ただこれ高校とかで読んでも意味が分からない事も…。
難しいですよねすごく。
結構難しい。
なるほど。
いろんなロシアに大きな変化があったという時期について話そうと思います。
ナビゲーターはこちらの方です。
はいピョートルピエルヴィ。
ピョートル1世。
(ピョートル1世)世界一広大な国土を誇るロシア。
豊富な地下資源世界に影響を与えた文学や芸術。
そして宇宙開発や軍事の技術。
現代では目覚ましい経済発展を遂げた大国だ。
しかし17世紀から18世紀には主権国家体制が確立し華麗な宮廷文化が花開いていたヨーロッパからロシアは文化の遅れた貧しい国だと蔑まれていた。
そのロシアを大帝国に発展させたのが私ピョートル1世だ。
私はロシアを一気に近代化しヨーロッパ世界の仲間入りをさせる事に成功した。
今回お伝えするのは…遅れた国とされていたロシアがどうやって近代化する事ができたのか私ピョートル1世がご紹介しよう。
ヨーロッパ諸国に遅れた国っていうふうに思われてただなんてびっくりしちゃいましたね。
そうですね。
ピョートル1世さんってどういう人なんですか?そうですね。
イメージとか。
女の子として…すごいかっこよくてイケメンで背が高くてもうすてきな…お〜肉食男子。
かっこよくていいですね。
それから政治家としてヨーロッパとロシアをつなげた……という言い方もあるんですけど。
そういう方なんですね。
そういう決まり文句があるんですか?「窓を開いた」。
そうですね。
そういうふうにロシアでいいます。
どういうふうにロシアをヨーロッパに認めてもらえるような国に変えていったんでしょう。
それはもうピョートル1世にお話を聞きましょう。
うん。
確かにロシアの急速な発展は私の功績によるところが大きいといえよう。
しかしその話をするには前の時代から語らねばならない。
遡る事中世の時代。
ロシアはいくつかの国が勢力を競っていた。
その中で14世紀ごろからモスクワ大公国が頭角を現しやがて勢力を拡大していく。
17世紀になるとシベリアにも領土を広げモスクワ大公国の勢力はオホーツク海にまで及んだ。
東へ西へと領土を拡大し大国へと成長していったが国民の多くは貧しい農民だった。
そのため西ヨーロッパの国々からは文化の遅れた国だと見られ相手にされなかった。
1682年このモスクワ大公国の君主となったのが私ピョートル1世だ。
私はこの国を世界に通用する真の大国にするには領土を広げるだけでなく徹底した近代化と西欧化が必要だと考えた。
そこで私は自ら各国へ視察旅行に出かけた。
イギリスやドイツオーストリアで当時の最先端の技術や思想を学んだのだ。
オランダでは身分を隠し船大工として造船所で働いた。
私にとって船大工に成り済ますなどたやすい事だった。
幼いころから手先が器用で戦争ごっこをする時も自分でミニチュアの要塞を作っていたほどだった。
だがヨーロッパの最先端の技術に触れた私は身をもってロシアの遅れを実感した。
国へ帰った私は専制君主として強力なリーダーシップを発揮し次々と近代化を進めた。
まずは学んだ造船技術を生かし最新の船を建造した。
そして軍隊を強化し隣国の要塞を攻め落とした。
国内の政府組織や教育建築なども西欧風に改めていった。
ロシアには昔からひげを生やしている大貴族が多くいたがひげを伸ばす事を禁じ違反した者からはひげ税を徴収した。
海外貿易の発展にも力を注いだ。
先進国と同じように海外へ進出しなければならなかったが我が国には良い港町がなかった。
そこでスウェーデンに北方戦争を仕掛けて勝利しバルト海に面した土地を手に入れた。
何もない沼地だったこの土地に国中から農民を連れてきて工事をさせ10年かけて港と西欧風の都市を完成させた。
そして首都をモスクワからうつしサンクト・ペテルブルクと命名した。
スウェーデンとの戦争に勝ち近代的な都市を完成させた私は1721年ロシア全域を束ねる皇帝の地位に就いた。
ここにロシア帝国が誕生したのだ。
私の近代化の試みを示したペテルゴフ宮殿を見て頂こう。
150もの噴水が設置され水圧を利用して水を噴き上げている。
高度な技術を駆使したこの水の庭園にヨーロッパの貴族たちは驚いた。
こうして私は専制政治の下ロシア帝国を築きヨーロッパ世界への仲間入りを果たしたのだった。
まるでヨーロッパですね。
宮殿とか噴水ですっごくきれいですね。
やっぱりペテルブルクは私も行った事ありますけどほかで見ない町並みがありますね。
そうなんですね。
ロシアに旅行に行くんでしたらモスクワだけではなく是非ペテルブルクにも行ってほしいんですね。
防寒具を着て行きたいと思うんですけれども。
それにしてもさっきのVTR見たらピョートル1世すごい人ですね。
すごいですね。
私もこんなにすごい人だったんですねと改めて思って。
こんなに国を大きくして本当に努力して自ら工事とか覚えてとかそういうものをつくってとか。
何だか頭も良さそうな方ですし生まれながらにしてリーダーの素質を持った方なのかなって。
ピョートル1世の偉大さがすごくよく分かりました。
よかったです。
ピョートルがロシア帝国を誕生させてからおよそ40年。
当時世界最大の領土を誇ったロシア帝国の皇帝にじかに面会した日本人がいました。
三重県鈴鹿市にその日本人の記念館があります。
その人の名は…
江戸時代半ば伊勢に住み米や木綿などの物資を運ぶ船の船頭でした。
1783年嵐で遭難した光太夫は仲間と共にはるか北方のロシア帝国に漂着します
帰国を目指しますがシベリアの寒さと飢えに仲間たちは次々と命を落としてしまいました
当時ロシア帝国に君臨していた皇帝は女帝…
ピョートルと同様に領土拡大と国の近代化を推し進めた専制君主です
海外進出に励むロシア政府は鎖国政策をとっていた日本の徳川幕府との貿易を望んでいました。
そのため国の方針で日本人漂流民の帰国を禁じ日本語学校の教師として定住させていたのです
生き残った仲間の中には帰国を諦めロシア人女性と結婚する者やキリスト教に入信する者など別の人生を歩み始めた者もいました。
しかし光太夫と仲間の数人は諦めませんでした
ロシアに漂流して9年。
光太夫はついに皇帝と直接話しをするチャンスをつかみました。
ヨーロッパ式の宮廷マナーを身につけ貴族のような振る舞いでエカチェリーナと面会します。
そして漂流の苦難や次々と死んでいった仲間たちの無念故郷日本への帰国の思いをロシア語で訴えました
光太夫の訴えにエカチェリーナは心を打たれ帰国を許したのです
こうして光太夫と仲間は1792年エカチェリーナが派遣した使節ラクスマンたちと共に日本への帰国を果たします。
エカチェリーナはこれをきっかけに交渉を始めようと考えたのです
次の年史上初の日露交渉が行われそこで光太夫はラクスマンの通訳を務めました
大黒屋光太夫記念館にはロシア貴族の服を着た光太夫の絵が残されています
1人の漂流民が時の皇帝の心を動かした事で日本とロシアの外交の第一歩が記されたんですね
近代化を進めてヨーロッパの一員となったロシアであったが実は大きな課題を抱えていた。
それはロシアの農民だ。
ロシアの人口のおよそ8割は農民だった。
彼らが国の生産力を支えサンクト・ペテルブルクの町を建設し兵士となって他国と戦い近代化を支えたのだ。
彼らなくしてロシアの発展はありえなかった。
だが近代化を進めてもロシアはヨーロッパから遅れた国だと見られ続けた。
その原因は16世紀から続く農奴制という古い体制だ。
農奴とは…人格的にも領主の支配下に置かれいわば奴隷のような存在だった。
自由と平等の理念を掲げていた19世紀のヨーロッパから見れば専制政治の下農奴制が残るロシアは古い体制の国だったのだ。
フランス軍との戦争で西ヨーロッパの政治や社会に触れた青年貴族たちはロシアの遅れを痛感した。
彼らは皇帝による専制政治と農奴制の廃止を求めて1825年デカブリストの乱を起こしたがあえなく鎮圧されてしまった。
しかし1853年に起きたクリミア戦争で状況は一変する。
南への領土拡大をねらいイギリスフランスに支援を受けていたオスマン帝国と戦ったが技術的に劣り国民意識も低い古い体制のロシアの軍隊は敗れてしまった。
危機感を持った当時の皇帝アレクサンドル2世は1861年近代化を徹底するために農奴解放令を発した。
そしてそのほかにもさまざまな改革案を打ち出した。
地方自治機関の設置司法改革。
教育の充実軍隊の強化兵器の近代化だ。
ロシアは大改革の時代と呼ばれる時期を迎えた。
ようやく農奴の身分から解放された農民だが土地は領主から買い取らなければならなかった。
しかし彼らにそんな資金はない。
結局経済的に領主に頼るしかなく力関係は変わらなかった。
そのほかの改革も十分な結果を得られなかった。
かえって混乱を引き起こし帝国内の不満は高まってしまった。
こうして近代化を進めようとする一部の人々と古い体制のまま変わらない大多数の農民の間の大きな格差が埋まらないまま残ったのだ。
農民たちはやがて工業化が進んだ都市で労働者となったがそこでも彼らは抑圧され続けた。
苦しみ続けた彼らがそこから解放されるのはまだ先の話であった。
先生どうして農奴解放令を出しても農奴は自由にならなかったんですか?
(中嶋)そもそも農奴解放というのは農民の事を考えてというよりもむしろ農民の経済的な不満が爆発してそれが革命的な情勢になるのを防ぐ…むしろ上から防いでそしてロシア帝国の体制を維持して経済的にも強化させていくこういう目的を持って行われた改革だったという性格を持っていたためなんです。
人権を守るためじゃなかったんですね。
(中嶋)必ずしもそういう訳ではなかった訳です。
そこから始まる大改革と呼ばれる一連の改革はヨーロッパの進んださまざまな制度を取り入れていってロシア帝国を近代の強力な帝国にしていこうという目的を持っていたんですけれどもロシア帝国が基礎としていた専制政治とは必ずしも相いれない。
専制政治を超えたところでつくり出されたさまざまな制度をロシアに移植しようとしたこういう改革だった訳でここに大改革が結局は不十分なものに終わってしまう大きな理由があった訳です。
なるほど〜。
先生よく分かりました。
またお話あったら聞かせて下さい。
はいどうも。
今日のロシア帝国のお話いかがだったでしょうか?はい何だかこう…ロシアがぐ〜っと成長した華々しいお話なのかな?と思ってたんですけどちょっともどかしかったですね。
ロシアではこう…何か政治で大きな事を打ち出しても実際私たち普通の人にはそれを感じづらい印象があります。
その…先ほどお話ししたロシアの文学でも当時の貴族と庶民の差とか苦悩とか分かると思うんですね。
読んでみたいなって思いました。
いや是非。
ロシア人の心も多分より深く分かると思います。
近代化と西欧化を推し進めヨーロッパ世界で頭角を現した。
国内で近代化の妨げになっていたのは農奴制だった。
改革を試みるも専制政治が続いたロシアにはヨーロッパの進んだ制度は適さず改革は不十分なものに終わった。
2014/10/24(金) 14:20〜14:40
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 世界史「ロシア帝国」[字]
歴史好きな「歴女」の部屋を、世界各国にルーツを持つゲストが訪れ、歴史上の人物のメッセージを届ける…船大工になった皇帝が語るロシアの光と影
詳細情報
番組内容
「18世紀には“遅れた国”だったロシア」「急速な近代化と農奴制の矛盾」について学ぶ。ゲストは日本アニメに魅せられたロシア人声優。学習ポイントは「ロシア帝国の形成と拡大…ピョートル1世からエカチェリーナ2世へ」「体制の動揺…デカブリストの乱とクリミア戦争」「“大改革”と帝国の発展…ロシアの近代化とその矛盾」。【司会】小日向えり【ゲスト】ジェーニャ【講師】中嶋毅(首都大学東京教授)【語り】置鮎龍太郎
出演者
【講師】首都大学東京教授…中嶋毅,【出演】小日向えり
ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
バラエティ – その他
趣味/教育 – 大学生・受験
映像 : 480i(525i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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