歴史に対する憧れと深い知識を持ったアイドルの養成所。
それが日本史研究の殿堂高橋歴史女学館である。
日本史研究の殿堂高橋歴史女学館へようこそ。
館長の高橋です。
今回のテーマは…このテーマに関係のあるあるものをご用意致しました。
我が女学館の生徒諸君!
(生徒たち)は〜い!
(込山)よいしょ。
(向井地)重〜い。
おお〜。
(土保)重いよ〜。
落ちそう。
(3人)はあ〜。
は〜いご苦労さま。
(3人)はあ〜重かった〜。
館長この大砲一体何なんですか?重かったでしょう。
これは…19世紀の中頃ですね。
それまでの青銅製の大砲に比べて格段に性能がよくなったんだそうです。
(3人)へえ〜。
おっきい。
ねっ重かった〜。
大きいし重いしね。
重いです。
しかも車輪がついてますよね。
でかいよね車輪も。
ねっそう。
でも館長どうして大砲なんですか?どうしてなんでしょう。
これはいつものVTRを見て考えてみましょうか。
それでは!今回の時代は…大国ロシアが通商を求めて来航。
イギリスアメリカの船も相次いで日本に接近します。
外国からの脅威に加え国内では繰り返す飢饉や財政悪化など問題が山積み。
この難局を江戸幕府はどう乗り越えようとしたのでしょうか。
今回押さえるべき「三つの要」は…外交そして国内財政の危機は日本にどのような変化をもたらしたのでしょうか。
外国から日本を守るために大砲を作ったんですか?うん。
外国からの脅威に備えまして日本でも大砲を作り始めた訳ですね。
国際情勢の変化によってこの時代もう鎖国を続けるのは…無理!難しくなってきたんですよ。
それでは「三つの要」に沿って見ていこう。
その一。
14世紀ごろから領土を拡大していたロシア帝国。
17世紀にはオホーツク海まで勢力を及ぼしやがて日本にも通商を求めるようになりました。
1804年長崎にロシア使節レザノフの船が現れました。
レザノフは皇帝の親書を持ち日本との通商を求めます。
しかし幕府は半年以上長崎でレザノフを待たせたあげく通商も親書の受け取りも拒否しました。
無礼な態度で追い返せば腹を立てて二度とやって来ないだろうと考えたのです。
レザノフは日本側の無礼な態度に激怒。
レザノフの部下たちは独断で樺太や択捉などにある日本の施設を襲撃しました。
そして日本はこの襲撃事件への報復としてロシア軍艦ディアナ号の艦長ゴローニンらを国後島で捕縛。
ロシア側は更にその報復として北方を航海中の商船を襲いました。
そして乗っていた商人の高田屋嘉兵衛たちを捕らえました。
嘉兵衛たちを捕らえたのはゴローニン艦長を失ったディアナ号でした。
副艦長リコルドは嘉兵衛たちを重要参考人としてカムチャツカに連行します。
ロシアと日本の間には緊張が高まりました。
ロシア以外にも外国船は次々とやって来ます。
1808年イギリスの軍艦フェートン号が交戦国オランダの商船を探して許可なく長崎に入港。
オランダ人を捕らえてまきや水食料を要求しました。
これに危機感を覚えた幕府は1825年異国船打払令を出します。
そして1837年浦賀に現れたアメリカの商船モリソン号を砲撃してしまいました。
悪い船じゃなかったのに大砲撃っちゃうなんてひどい!しかもモリソン号はですね海上で助けた日本人の漂流者を連れてきていたんですよ。
ところで館長。
緊張関係が続いたロシアと日本の関係ってそのあとどうなっちゃうんですか?そういえば戦争になりそうでしたよね。
気になりますよね。
(向井地土保)気になります。
ではここはねやはり先生にお聞きしましょうか。
(生徒たち)はい。
はいそれでは。
せ〜の。
山本先生お願いしま〜す!どうもお願い致します。
(生徒たち)こんにちは。
こんにちは。
先生どうぞこちらへ。
(一同)よろしくお願いします。
我が女学館の特別講師山本先生です。
よろしくどうぞお願い致します。
ロシアと日本の緊張関係が一体どうなったかという質問でしたね。
実はこの人によって解決されたんです。
これは高田屋嘉兵衛という人です。
ディアナ号に乗ってですねロシア人に連れ去られた北前船の商人なんですね。
捕まったあと高田屋嘉兵衛はですね自分は捕虜であるにもかかわらず非常に堂々とした行動を取るんですね。
まずは船長の…え!船長にですか?捕まってるのに?捕まってるのに一緒にいると。
で世話係についた少年から…
(3人)すご〜い。
で意思疎通してるうちにですね自分が捕まったのはゴローニン艦長が日本に捕まったからその報復として捕まったという事がだんだん分かるんですね。
しかもゴローニンが捕まったのはなぜかって言うとそれ以前にロシア船が樺太と択捉を攻撃してますね。
この攻撃したのがロシアの国の命令でやったと日本が思ってるので報復としてゴローニンを捕まえたんですけどもそれは実はロシアとしては彼らが勝手にやった事にすぎなくて既に裁判も終わってるんですね。
命令してないんですか。
それをきちんと幕府に伝えれば幕府もゴローニンを釈放するだろうという事で自分が交渉役を買って出るんですね。
偉いですねこの人。
(山本)もう信頼関係が出来てますからリコルドは高田屋嘉兵衛を日本に帰して幕府と交渉させるんです。
ほう。
(山本)で幕府の方の誤解も解けてゴローニンはロシアに帰すと。
高田屋嘉兵衛は日本に帰されるといういきさつでこの事件は解決するんですね。
ええ…何かねえ。
すごい人ですね考えてみると。
(山本)なかなかすごい人なんです。
この人がいたおかげで…ほう〜。
(3人)すご〜い。
今高田屋嘉兵衛さん必要ですね。
そうですね。
こういう人がいれば…。
へえ〜。
先生どうもありがとうございました。
(3人)ありがとうございました。
さてこのころの日本は外国からの脅威だけではなく国内にも多くの問題を抱えていました。
そこで幕府は更なる改革を迫られる事になります。
そこで「三つの要」その二。
1833年天保の大飢饉が起こり全国で多くの人が餓死します。
農村は荒廃し都市でも食糧難と物価の高騰に人々は苦しみました。
この危機に有効な手だてを打てない権力者に対し民衆の怒りが爆発。
国内では財政治安ともに悪化。
外からは外国船の脅威にさらされるという危機的状況に陥った幕府。
1841年老中水野忠邦は幕政を一新すべく天保の改革に着手しました。
その改革は享保寛政の改革を理想としそれ以上に厳しい倹約令と取締りを行うものでした。
農村を復興するためとして地方の農村から江戸に出てきた人々を農村へ返す人返しの法など強引な政策を推し進めます。
更に物価の高騰の原因になるとして株仲間の解散を命じ経済の混乱を招きました。
経済の統制を強めるため屋台や露天までをも制限。
庶民の娯楽の場であった歌舞伎の芝居小屋も風俗取締りのため浅草の外れに移転させられてしまいます。
このころ大国と考えられていた中国がアヘン戦争でイギリスに敗北。
危機感を覚えた水野は1842年異国船打払令を撤回薪水給与令を復活させました。
更に幕府の財政再建の名目で江戸大坂周辺の大名旗本の知行地を没収して幕府の直轄地にしようという上知令を発表。
しかし譜代大名や旗本までもが猛反対。
上知令は撤回されました。
これがきっかけとなり僅か2年で水野忠邦は失脚。
天保の改革は幕政に混乱をもたらし幕を閉じました。
何か江戸の町がつまらなくなっちゃいそう。
うん。
庶民の楽しみを奪っちゃったらかわいそうだよね。
うん。
何かこの改革って日本に混乱を招いただけで終わっちゃいましたね。
確かに。
そういう事ですよね。
天保の改革はですね経済の混乱を招いたり一度出した上知令を撤回したりとむしろ幕府の動揺を表面化させて終わってしまったんですね。
江戸幕府がそこまで混乱していたんだったら地方はもっと大変じゃないですか?いいところに気が付きましたね。
地方も大変だったんですよ。
各藩も実はね改革を迫られていたんです。
(生徒たち)へえ〜。
はい。
それではここで「三つの要」その三。
幕府の財政が傾いていた頃同じように各藩の財政も逼迫していました。
どの藩も独自の改革に取り組みますが悪化した藩財政を立て直すのは容易な事ではありません。
そんな中でも改革に成功した藩がありました。
まずはその一つ。
村田清風が主導した長州藩の改革を見てみましょう。
まず…また下関に越荷方という藩営の機関を置きここを通る船の積み荷を預かり委託販売を始めました。
越荷方の営業は大成功。
僅か4年で負債の1/3近くを返済。
こうして長州藩は財政立て直しに成功しました。
薩摩藩では調所広郷が改革を始めました。
膨大な借金を無利子250年での返済にすると一方的に通告します。
産業では特産品の黒砂糖の専売制を強め更に琉球を通じた密貿易で利益を上げ財政を立て直します。
後の藩主島津斉彬の時代にはこうして蓄えた財源で集成館と呼ばれる近代工場を造りオランダ製の工作機械などの技術を導入しました。
そして日本初の鉄製大砲を作った佐賀藩です。
鍋島直正が1837年から藩政改革を行いました。
産業としては…佐賀の伊万里焼は中国の陶磁器としてヨーロッパで人気が高まりよく売れました。
こうして財政を立て直すと軍備の強化に着手します。
オランダに技術を学び大量の鉄を溶かす事のできる反射炉を建設しました。
そして…佐賀藩の大砲は江戸の台場などに設置され江戸湾の防備にも役立ちました。
このように藩政改革に成功し力をつけた藩を雄藩といいます。
特に長州薩摩佐賀に土佐を加えた西南雄藩は後の幕末の政局に強い影響を及ぼしました。
藩が独自に技術を持って軍事力を強めたっていうのはすごいと思うんですけど確か一国一城令で幕府は大名たちが戦力を持つ事を制限していませんでしたか?よく覚えてましたね。
幕府は藩が軍事力を強化する事を禁じてましたからね。
でもこのころはですね…
(3人)おお〜。
この外国へ向けて築いた軍事力これが倒幕へ向かってしまうんですね。
何とも皮肉でしょ?
(3人)うん。
今回は外国からの圧力と薩摩や長州などの台頭を学びました。
このあとの明治維新が突然始まった訳ではないという事がよく分かりましたね。
(3人)はい。
ここで我が校の特別講師山本先生にお話をお伺いしましょう。
(一同)よろしくお願いします。
今日は藩政改革について生徒の方から質問があるそうです。
はい!あの〜…ああいい質問ですね。
1つはですねばく大な借金があった訳ですね。
その借金をまず棚上げにしたと。
そのために下級藩士を登用するんですね。
下級藩士だったらそれがうまくいかなくなった時に切腹すればいいんで彼らに命懸けでこの借金は棚上げさせる訳ですね。
はあ〜。
それで今までのおもしが取れる訳です。
しかも下級藩士っていうのは非常に能力があっていろんな事知ってますので彼らにいろんな政治のノウハウを委ねる訳ですね。
一番大きいのはですね外国との貿易あるいは国内の流通をですねきちんと注目するって事なんですね。
はあ〜。
長州佐賀薩摩っていったら九州…。
外国とこう連絡取りやすい場所ですよね。
確かに。
薩摩藩はですね琉球を介して中国と貿易をするんですね。
これは密貿易なんですけれどもそれが大変な利益につながる訳です。
ふ〜ん。
長州藩は外国との貿易はないんです。
下関を管轄してるのでそこに来た商船から品物を買い取って委託販売するとかですねあるいは商船にお金を貸す事によって利子を取るとかそういう流通を支配する事によって…。
必ず船はそこを通る訳ですから。
あの関門海峡狭い所利用してるんですね。
あそこ通った時に「寄れ」と。
そう。
それでかなり利益を上げる訳ですね。
はあ〜。
そういう外国との貿易それから国内の流通って一番お金が入るところに注目したと。
しかも能力のある下級藩士をどんどん登用して政治に当たらせたと。
これが薩摩藩とか長州藩とか佐賀藩が雄藩に成長した一番大きな理由だったと思うんです。
はあ〜。
歴史って面白いですね。
はい。
(向井地)全部つながってるんですね。
つながってるんだね。
ありがとうございました山本先生。
(生徒たち)ありがとうございました。
海外に目を向けた藩たちが力をつけていったと。
こういう事ですね。
私たちも海外に進出できる海外アイドルを目指したいです。
目指せ海外!目指せ海外!目指せ海外!アハハハハ。
いいねえ若いって。
そうですね。
19世紀初頭からロシアやイギリスアメリカなどの船が度々日本に来航。
幕府に危機感を与えた。
内外の問題に対処するため水野忠邦は天保の改革を始めたが…2014/10/24(金) 14:00〜14:20
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 日本史「幕藩体制の危機」[字]
日本の今は、誰が、どのように作り上げたのか? 日本史研究の殿堂、高橋歴史女学館がその謎に迫る。出演:高橋英樹・AKB48(向井地美音、土保瑞希、込山榛香)
詳細情報
番組内容
17世紀末頃から日本近海にロシアやイギリス、アメリカの船がたびたび現れるようになり、幕府は危機感を募らせた。また、この頃、老中水野忠邦による天保の改革が行われたが、十分な成果は上げられなかった。その一方、長州藩や薩摩藩では藩政改革が実を結び、雄藩(ゆうはん)として台頭する。幕府の動揺と雄藩の誕生にはどんな背景があったのか? 幕末の動乱の予兆を感じさせるこの時代の変化を見つめる。
出演者
【講師】東京大学史料編纂所教授…山本博文,【出演】土保瑞希,向井地美音,込山榛香,【司会】高橋英樹,【語り】杉村理加
ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
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