私は苦しくて何度も自分の手の甲を切りつけました。
母と姉どちらでもいいから一番身近な2人に私の苦しみを分かってほしかった。
それは夢を失ってから初めて自分の力で何かを勝ち取った瞬間でした。
今月3日茨城県水戸市で開かれた全国盲学校弁論大会。
視覚障害と共に生きる日々の不安や葛藤そして夢を地区予選を勝ち抜いた9人の出場者が熱く語りました。
後編の今日は特別賞と上位3人のスピーチをお届けします。
特別賞を受賞したのは出場者の最年少…10歳の時病気で弱視になった清水さんはその苦しみや絶望を空手を続ける事で克服した体験を語りました。
演題は…「目が見えなくなるくらいなら死んでやる」と母に言ったのは当時僕が10歳の時でした。
その時母はこう言いました。
「どうしても死にたくなったらその時は一緒に死んであげるから今は頑張ろう」。
僕にはスターガルト病という目の障害があります。
徐々に視力が低下していき目の中心が見えにくくなる病気です。
この障害が発覚した時僕が小1から習っている極真空手を母はやめさせようとしたそうです。
僕が空手を楽しくなる前にやめさせた方がいいと思っていたようです。
日に日に見えにくくなっていく自分の目になぜ自分だけこんな思いをするんだろうと思っていました。
それを一番強く感じたのは小学校の友達とケンカをした時に「目の不自由な人」と言われた時です。
バカやアホという言葉はケンカをした時によく使われそうな単語かもしれませんが僕にとって「目の不自由な人」は一番言われたくなかった言葉だったので深く傷つきました。
そのころ母がたまたま見ていたテレビで全盲の極真空手家でありパラリンピックのメダリストでもある高田晃一さんの存在を知りました。
それを知った母が「全盲の空手家がいるなら弱視だって諦める事はない」と言いました。
そして僕は空手の試合に挑戦し続ける事を決意しました。
晴眼者には負けたくなかったので必死に練習しました。
全盲の空手家の高田さんが教えてくれた言葉に「苦しい時ほど強くなる。
強くなればなるほど優しくなれる。
挑戦を楽しみながら続けていく」という言葉があります。
僕はこの言葉どおりになれるよう日々努力を続けています。
そして今では新極真会の大会で好成績を残せるようになりました。
それは自分だけの力でなく指導して下さる道場の先生周りの応援があり対戦相手がいてくれたからです。
僕は今盲学校に通っていますが初めは盲学校に通うつもりではありませんでした。
それはまだ自分を障害者とは認めていなかったからです。
しかし盲学校の見学の帰り1つ上の先輩が「今度はいつ来てくれるの?また来てね」と言ってくれました。
そのような事を言われたのは初めてでした。
周りにも自分と同じような悩みを抱えている仲間がいると分かり考え方が変わり盲学校に進学する事を決めました。
進学後はフロアバレーボール部に入りました。
フロアバレーでは空手のような個人プレーではなくチームプレーを学ぶ事ができました。
そしてその年の関東大会で優勝する事ができました。
その時の喜びは自分一人ではなくチーム全員で分かち合う事ができました。
目の不自由な事も今では普通だと思います。
このように思えるようになったのは両親空手道場の先生学校の先生友達などたくさんの人々の支えがあったからです。
挑戦し続ける事は大変な事やつらい事があるかもしれませんが僕はこれを神様からのチャレンジだと思いこれからも全ての事に挑戦し続けます。
押忍!ご清聴ありがとうございました。
(拍手)冨士さんは50歳の時に視力が低下。
一時は自暴自棄になりましたが盲学校に通い新たな目標を見つける事ができました。
演題は…これまで積み重ねてきたものが崩れ去り生きる意味や目的も見失いかけた。
8年前自分が20万人に1人しか発症しないという難病レーベル病だと知った時の素直な感想です。
私は鳴門市内で焼き肉店を経営していました。
世間の世の字も知らないような二十歳の時に開業し52歳で閉店するまでただがむしゃらに仕事一筋に生きてきました。
月に2日の定休日以外は朝7時から肉の仕入れに自ら出かけ深夜12時ごろまで働く。
家族経営の店なので手伝ってくれていた家族には迷惑をかける事もありましたが「ここの肉を食べると幸せな気分になる」というお客様の言葉が原動力となり日々やりがいを感じていました。
そんな自分の頑張りも功を奏したのか店の経営は年々上向き2人の息子を大学に行かせる事もできて地元では名前を言うと多くの方が「知ってる」って言ってくれる店になりました。
そんな幸せの絶頂期病魔は静かにそして急速に私をむしばみ始めました。
異変に気付いたのは8年前の50歳の時。
正月の繁忙期を終えた頃でした。
突然左目が見えなくなりました。
一向に回復する様子はなくついには右目の視力もだんだんと落ちてくるようになりました。
それから僅か2か月後右目の視力も0.01になりました。
病気の進行の速さに心がついていけません。
このままではお客様に迷惑をかける事になると32年間の店の歴史に自ら幕を下ろしました。
自分の全てだった仕事を辞めると心には大きな空白が出来ました。
毎日毎日「何かせなあかん」という強迫観念に襲われ…しかし現実にはそれができないでいる自分が嫌になり自暴自棄になりました。
そんなある日看護師さんから「盲学校に行くのも一つの方法」というのを教わり気持ちの整理がつかないまま入学しました。
それが5年前の事です。
1度目の入学は結局数か月と続かないままやめてしまいました。
人は病気や障害をもつと社会や他人が自分に合わせてくれると勘違いしてしまうようです。
やめた理由は通学時の高校生の会話がうるさく聞こえるなどささいな事へのいらだちからでした。
学校をやめたあとは拡大読書器を購入して新聞や小説を連日貪るように読みました。
しかし達成感や生産性を感じる事は難しく毎日わびしさを感じていました。
そんな折盲学校のある先生から再入学を勧められました。
そのお誘いを今でも大変感謝しております。
学校をやめていた時期に強く心に思っていたのは何かを頑張りたいという事。
自分は32年の間一心不乱に仕事を続けてきた。
一時期は見失っていたその自信が時間の経過とともに少しずつ回復してきました。
「病気がどうしたんだ!?目が悪くても人の役に立つ事はできる!」。
次第にそう思うようになりました。
自分から社会に合わせて融合していかなければならないと。
2回目の入学以降以前の仕事のように人を笑顔に幸せにできる人間になろうという新たな目標を見つけました。
現在は専攻科手技療法科であん摩師になる事を目標に励んでいます。
いつか「あなたにもんでもらって幸せ」って言って頂けるようなあん摩師になりたい。
そのために今日を一生懸命頑張る!今はただこんな事を考えながら新たな目標に向かって進んでいます。
ご清聴ありがとうございました。
(拍手)
(取材者)お疲れさまでした。
緊張されました?準優勝に輝いたのは…中学3年の時に病気で視力が低下した山田さん。
希望を失っていた時期に巡り合った水泳によって大きな夢をつかむまでの体験を語りました。
演題は…今からお話しするのは私が奈良県立盲学校に来てからの2年余りのお話です。
私は中学生までは晴眼者でしたが突然病気に襲われました。
当時の担当の先生からは何年後か分からないが将来見えなくなる可能性があると宣告されたのです。
読書が好きな私…映画を見るのが好きな私…スポーツをするのが好きな私…好奇心旺盛であった私が暗闇に一人ぽつんといるような感じでした。
消極的になっていくのが肌で感じました。
高1の春4月の暖かく喜びに満ちた入学式のはずなのに心はなかなか朗らかにはなれませんでした。
はっきりとした目標も夢もないそんな日々がしばらく続きました。
でも今から思えばそんな自分を大きく変えるきっかけを探していたのかもしれません。
そして幸運にも自分を大きく変える事になるある出会いがあったのです。
それは皆さんもご存じである水泳です。
その年の夏に水泳部に入部しました。
練習はきつくなかなか速く泳ぐ事ができない事もつらかったのですが夏の盲学校の大会を目標に一生懸命に打ち込みました。
結果は第2位でした。
ですがそれは夢を失ってから初めて自分の力で何かを勝ち取った瞬間でした。
それがめちゃくちゃうれしくてそれをきっかけに水泳にのめり込んでいきました。
ある時学校の先生に全国障害者スポーツ大会が来年東京で開催される事を教えてもらいもっと大きな大会に挑戦できると意気込み強い気持ちで練習に臨みました。
それから数か月後放課後に体育の先生が言ったのです。
「陽介東京行けるぞ!」。
その時無意識に心の中でガッツポーズをしていたのを鮮明に覚えています。
しかし冷静に考えた時自分が県代表で行く事への重圧と覚悟も身にしみて感じました。
何と言っても全国から選ばれし怪物たちが東京に集結し5日間戦い抜くのです。
それでも早く彼らを相手に泳ぎたくてしかたないという気持ちの方が強かったです。
そして大会の日が来ました。
会場全体が興奮と緊迫した雰囲気に包まれ平常心を保つのが大変でした。
そして自分のレースの時です。
アナウンスの声観客の声援それら全てが消えた感じでした。
飛び込んだあとの事は全く覚えていません。
気が付けばレースは終わっていて自分が1位だとアナウンスが流れていたのです。
一瞬の事ではっきりとした記憶はないのですが確かに1位だと発表されていたのです。
そして表彰台に立ちメダルを首に掛けゆっくりと会場全体を見渡した時自分に誓ったのです。
必ずまた6年後戻ってくると。
私は盲学校で大きな夢を抱く事ができました。
それは6年後の東京パラリンピックで金メダルを取るという私の最大の夢です。
そもそも視覚障害者になっていなければこの夢を抱く事はできなかったと思います。
視覚障害者になった事を悲観せず志高く貪欲に生き続けたいと思います。
Nevergiveupmydream.ご清聴ありがとうございました。
(拍手)水泳で世界を目指すという夢を熱く語った山田さん。
その夢に向かって週5日自宅から市営のプールに通い練習に励んでいます。
自己ベストを更新しようと練習メニューを細かく決めてこつこつと努力を続けています。
そして見事優勝したのは…柿野さんは大きく揺れ動いた母と姉への思いを心を込めて語りました。
演題は…皆さんが今大切にしているものは何ですか?決して失いたくないものはありますか?私にはお金や自分の命に代えても失いたくないほど大切なものがあります。
私は生まれながらの弱視で肢体不自由という障害も生来のものです。
そのため幼い頃から一歩踏み出せば私の歩き方に後ろ指をさされ障害者とは非難されるものなんだと深く植え付けられてきました。
小学校中学校と一般の学校に通っていた私は周囲の人たちの顔色ばかり気にして黒板の文字が見えず友達にノートを借りたいと思った時も嫌われるのを恐れ頼み事もできずにいました。
ただ目立たないように反感を買わないようにと自分を偽る事で精いっぱいでした。
今思うと障害者である私自身が障害者という存在を認めていなかったのかもしれません。
私には健常者の姉と障害のある母がいます。
当時の私はそんな姉を憎らしく思い障害者である自分の母親でさえも恥ずかしいと感じてしまうほど心がゆがんでいました。
私が「学校を休みたい」と言っても背中を押す事しかしない母。
同じ障害を持っているのに何も分かってくれない。
障害者として私を産んだ母が憎い。
健常者として生まれてきた姉が憎い。
家族なのに私の苦しみを分かってくれない2人が憎い。
でも本当に憎かったのは障害のある自分の体。
私は苦しくて何度も自分の手の甲を切りつけました。
母と姉どちらでもいいから一番身近な2人に私の苦しみを分かってほしかった。
そして一緒に背負ってほしかった。
今の現状をほんの少しだけでも変えるきっかけが欲しい。
疲れ果てた私は最後の望みを懸けて母に助けを求めました。
もう限界なんだと。
母は少し黙って「転校する?」と言いました。
それは何よりうれしいひと言でした。
早速転校手続きを済ませ特別支援学校に通い始めました。
そこには私と同じように障害のある生徒たちがいました。
先生方も優しく受け入れてくれて初めて温かいと思える人たちと出会えました。
特別支援学校で過ごしていく中で次第に心が軽くなり自分でも感じるほどに笑顔が増えました。
そしてそれまでほとんどなかった家族との会話が以前とは比べものにならないくらい増えました。
そうなって初めて気付いた事があります。
私だけでなく姉も友達との人間関係に疲れ精神的にボロボロだった事。
母は私が苦しんでいる事に気付きながらも背中を押す事しかできない自分に悩んでいた事。
そして何より体力的精神的に私の何倍も疲れていた事。
2人が苦しんでいた事を知った時私は胸が張り裂けそうでした。
自分の事で精いっぱいになり母と姉の事を何も見ていなかった。
見ようともしていなかった。
今まで生きてきた中で一番自分を情けなく思った瞬間でした。
私が中学1年生の時両親が離婚しました。
その時障害のある母の負担にならないようにと父親についていく事を決めそれを母に告げると母は涙声で「千晶と明里一人でも欠けたら生きていけん。
2人ともママの生きがいなんやけん」。
そう言いながら私の手を強く強く握ってくれました。
その手の痛さは心地よくて温かくてうれしくて…。
それなのにどうして忘れていたんだろう。
私はもう二度と同じ過ちを繰り返さない。
こんな私を大切に思ってくれている2人のためにも精いっぱい生きていきたい。
そして今度は私が2人の事を大切にしたい。
何があってもたとえ力がなくても私は2人を守りたい。
私と母を力で支えてくれる天然な姉。
そんな姉と私を育てるために一生懸命働いてくれる本当は泣き虫な母。
どちらも欠けてはならない大切な家族。
2人のために私は今自分にできる事を精いっぱい頑張っています。
決して失いたくない2人を守るために。
(拍手)柿野明里さんが通う…今は家族と離れ学校の寮で生活しながら勉強を続けています。
大会当日は仕事で会場には来られなかったお母さんとお姉さん。
優勝の知らせを聞いて誰よりも喜んでくれているという事です。
聞く人に大きな感動を与えて幕を閉じた全国盲学校弁論大会。
84回になる来年は静岡県での開催が予定されています。
2014/10/23(木) 20:00〜20:30
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV「いま、伝えたいこと〜第83回全国盲学校弁論大会 後編〜」[解][字]
盲学校生が熱弁をふるう全国盲学校弁論大会。予選を勝ち抜いた9人が茨城県水戸市で開かれた全国大会に臨んだ。上位入賞者の4人の弁論を紹介する。
詳細情報
番組内容
茨城県水戸市で行われた第83回全国盲学校弁論大会を2日にわたって紹介する。2日目は、上位入賞者4人の弁論を紹介。17歳の柿野明里さんは弱視で肢体不自由。自分のことも、障害のある母のことも受け入れられず、苦しんできたが、あるきっかけで変化が生まれたと語る。その他、6年後の東京パラリンピックを目指す17歳の男性や、中途で視覚障害となり、盲学校で新たな夢を見つけた58歳の男性などの今の思いに耳を傾ける。
出演者
【語り】河野多紀
ジャンル :
福祉 – 障害者
福祉 – 音声解説
福祉 – 高齢者
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz
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