100分de名著 枕草子(最終回) 第4回「エッセイストの条件」 2014.10.22

平安時代中期に生まれた日本初の随筆「枕草子」。
貴族たちの華やかでみやびな世界が描かれているかと思えば…今と変わらない人々の生き生きとした生活まで浮かび上がってきます。
なぜ「枕草子」は1,000年を超えて読者を魅了し続けるのでしょうか。
そこにはある秘密が隠されていました。
実はそこに虚構があるんだと。
だから明るく輝いて見えるのは実は虚構なのであって…。
「枕草子」最終回はこのすばらしい随筆が生まれた背景を探ります。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…さあ「枕草子」の最終回でございます。
今回はその1,000年もの昔にどうしてこんなすばらしい随筆エッセイがね書けたのかというところに迫っていきたいと。
はい。
まあもともとなかったジャンルですからね。
ねえ。
そこにこう現れてこんだけ残ってるって事はすごいそのエッセイストとしての資質があったんでしょうね。
さあ今回も指南役の先生は埼玉大学名誉教授でいらっしゃいます山口仲美先生です。
どうぞよろしくお願いいたします。
この清少納言が名エッセイストであった秘密があったという事ですけどこれ何なんでしょう?う〜んそうですね。
その前にそれじゃあちょっと伺いますが定子のサロンってどういう感じだと印象を持ってらっしゃいます?何か華やかな感じですよね今まで聞いてきた感じだと。
恋愛ありねそれからちょっと女子会的なあるある話もあったからこそこういうものが出来たっぽいし。
高貴な方がいっぱい出入りしてたみたいな話もありましたもんね。
何かすごく明るくてキラキラして輝いていたという感じがしますよね。
しますします。
でも現実はちょっと違うんです。
それでは清少納言の周辺では一体どんな事があったのかちょっと見てみましょうか。
あふれんばかりの美しさと知性を兼ね備えたおきさき定子。
才能豊かな女房たちが集うあでやかなサロン。
「枕草子」に描かれた宮中は夢のような世界です。
しかし現実は違っていました。
清少納言が宮仕えを始めて2年もたたないうちに定子の父親で最高権力者だった藤原道隆が病死します。
後ろ盾を失った定子のサロンは急速に輝きを失っていきます。
代わって権力の座に就いたのは藤原道長という人物でした。
道長は自分の娘彰子を強引に2人目のきさきとして宮中に送り込みます。
新しい権力者に取り入ろうと貴族たちは彰子のサロンに足を運ぶようになりました。
更に定子のサロンでは清少納言に関する黒いうわさがささやかれるようになりました。
道長の手先ではないかと疑われたのです。
このような中傷に耐えきれず清少納言は実家に帰ってしまいました。
そして宮中での輝やかしい思い出を筆の向くままに書き始めたのです。
これが後に「枕草子」になりました。
え〜!?ちょっと華やかというか調子が良かったのは2年間ぐらいの事でしかも書いてるのはその事を思い出して結構世の中が向かい風になったあとに書いてるんですねこれね。
7年間定子にお仕えしたわけですけれど最初の1年半だけが定子の絶頂期なんです。
1年半たったらお父さんが亡くなり。
そうすると後ろ盾がなくなっちゃって定子はそのあと惨めな生活をするわけですよね。
でも清少納言はとても定子の事を敬愛していましたのでともかく明るく輝いていたあのサロンの様子を書こうという事で「枕草子」は実はそこに虚構があるんだと。
だから明るく輝いて見えるのは実は虚構なのであって…捨て去ったというところに成り立ってる作品なんですよ。
ある意味定子様への思いがこう書かせてるみたいな。
定子様の何ていうのかな期待に応えたいという気持ちも彼女ありますよね。
モチベーション高まっちゃう。
ですから定子への本当の思いが「枕草子」を書かせたといっても過言ではないような気がします。
例えば今で言うと「枕草子」の下の所に「定子の輝いてた日々」じゃないけどそういう副題があってもいいぐらいのテーマ性が強いテーマ性があるわけですね。
そうですね。
この道長はほんと私たち歴史で習いましたけれどもほんとに時の権力者というか絶大な権力を誇った人というイメージですけどその同じ時代に清少納言がいた。
すごい身近になるでしょ?いや〜ほんとですね。
そこにいたんですね。
巻き込まれていたんですね。
はい。
歴史は歴史文学は文学と思ってたけど全く権力闘争とこんな文学がすごく近い所にあるわけですね。
だってこういう世の中にならなければずっと定子の所にいて例えばずっと幸せにしてれば書かないかもしれないですもんね。
そうですね。
何かちょっと立体的に見えてきましたね。
うれしいです。
うん。
さあこの名エッセイ「枕草子」が生まれた背景が分かってきました。
続いてはこの作者の清少納言がエッセイストとしての一体どんな資質があったのか見ていきたいと思います。
清少納言はエッセイストとしての優れた条件をいくつも備えていました。
まず…和歌の名手清原元輔を父に持つ清少納言。
しかし清少納言自身は歌が苦手でした。
「枕草子」には「父親の名を辱める事になるからもう歌を詠むのは勘弁してほしい」と定子に訴える場面があるほどです。
ところが散文を書く時には水を得た魚のように生き生きとした表現ができたのです。
2つ目の条件。
それは…例えば1段「春はあけぼの」。
「春は夜明け!だんだん白んでゆく山ぎわの空がほんのり明るくなって紫がかった雲が細くたなびいているのがすごくステキ」。
春という季節を「桜」や「うぐいす」といった風物ではなく…ちょっとこちらにまとめてみました。
「エッセイストの条件」。
歌が不得意で文章を書くのが得意だったんですね。
ですから文学的素養はあるわけですね。
でも和歌があまり得意でなかった。
和歌というのはやっぱり形式にのっとって自分の感動とか気持ちを直接的に表現する文学の形ですよね。
それに対してエッセイ随筆というのは形式ありませんね。
そうですね。
自分の経験とか感じた事を散文の形で書き表すと。
清少納言はもう圧倒的に散文型の人間でしたよね。
自由に書き表すという。
細かく描写したい所は文字使ったって細かく描写したいしさらっといきたい時はさらっといきたいしを自由にやりたいタイプ。
そうですね。
ですからもし和歌が彼女はうまかったら「枕草子」は残らなかった。
ほんとですね。
歌が不得意でありがとうというところですね。
そして2番目が「人と違ったものの見方ができる」というポイントを先生お挙げになりました。
非常に人と違ったものの見方ができる人。
人と違ったものの見方ができますと…そして興味をどんどん引き付けちゃうというメリットがありますよね。
そうなんですよね。
「あるある」なんだけどそういう「そうかそう言ってくれるか!」みたいなところなんでしょうね。
そうなんです。
ちょっと言葉遊びになるけど人と違ったものの見方ができるけど人と違ったもので例えられるけど人と思いはある程度一緒じゃないと共感は得られないじゃないですか。
すごい鋭いですね。
そこのバランスがすごいですね。
ほんとですね。
違いすぎても「分かんない」で終わっちゃいますもんね。
前回もちょっと触れたけど「私が思ってた事ってこういう事なんだよ」という文章が僕らは読みたいしそういう人に出会いたいじゃないですか。
まさにそこなんでしょうね。
春をそう表現する。
「あっ言われてみればそうだわ」というね。
面白いですね。
さあそれでは「エッセイストの条件」続きはVTRで見てみましょう。
清少納言「エッセイストの条件」。
例えば…「興ざめなもの。
昼ほえる犬」。
番犬なんだから夜ほえなさいよ。
「春になってもかかっている網代」。
冬なら魚もかかるけれど春には無用の長物よ。
「三四月に着ている紅梅襲の着物」。
季節を考えてよ。
初春ならいいけど。
テーマを決める事によってジャンルの違う事柄を意表をつく視点で結び付ける面白さが生まれます。
テーマは山や海など自然のものから「にくきもの」「すさまじきもの」など人間の感情までいくらでも広がっていきます。
4番目の条件。
それは…「枕草子」「うつくしきもの」に次のような文章があります。
「2歳か3歳ぐらいの幼児が小さいごみのあったのを目ざとく見つけて愛らしげな指につかまえて大人たちに見せているのはとてもかわいらしい。
」普通なら目に留まらないような一瞬の光景。
清少納言はそれを鋭く見つけて言葉にしたのです。
5番目の条件は…清少納言の好奇心は和歌や漢文だけにとどまりません。
派手でにぎやかなイベントは何より楽しみというミーハー的な性格でした。
お祭りの見物に出かけた時のエピソードを記した154段。
「見物に出かけるのが遅くなり着いたら行列が近くに来ていた。
車を桟敷に近く寄せる間じれったくて車を降りて歩いていきそうな気持ちになっちゃう」。
関心のある事にはためらわずに行動する清少納言。
それが「枕草子」に更なる魅力を加えています。
この「テーマを設定するのがうまい」というの何でもそうですけどすごく大事な事ですよね。
そうですね。
テーマねいろいろあるんですね。
こんな感じでございます。
「山は」とか「海は」とかいろいろあるんですけど。
またうまいのが広いものも狭いものもいろいろ強弱使い分けてくるでしょ。
それなんですよ。
それ本当に言いたいんですけど「すさまじきもの」で考えてほしいんですけれども挙げられたものをちょっと見て下さい。
まず犬でしょ。
ジャンルで見ると動物でしょ。
それから網代ってジャンルで見ると道具でしょ。
それから着物は衣装でしょ。
ジャンルが全部違うわけですよ。
これがね人と違った意表をつくものの見方にも通じる。
本当にくくり方うまいですよね。
だって言われてみれば同じくくりになるんだっていう。
すばらしい切り方でしょ。
それがいろんな方向に強弱あって挙げ終わったらまた全然違うテーマを持ってくるわけじゃないですか。
そして次のテーマ「エッセイストの条件」は「観察力・批判力がある」そして「興味関心の幅が広い」。
これね普通の女性が興味を持たないような事まで興味を持ってるんですよ。
例えば言語。
文学でしたら女性もすごく興味持ちますよね。
でも言語というとやや抽象的ですからあんまり興味持たないんですよ。
なんですけど清少納言は興味を持つ。
特に語源なんて興味を持つんですよね。
えっどんな感じですか?例えばね「里は」っていう章段があるんですよ。
面白い里の名前がいっぱい書いてあるんですね。
その中に「つまとりの里」って出てくるの。
地名ですか?。
うん。
「あら人の妻とっちゃったのかしら。
それとも自分の妻を人にとられちゃったのかしら。
どっちから来た名前?」って詮索してるのね。
はあ〜いろんな事に引っ掛かるんですね。
そういうちゃんとフックが引っ掛かる人なんですね。
一般の人が興味あるミーハー的なところには人一倍また興味を示すんですね。
VTRにありましたけどお祭り見物なんてみんな見たいわけですよ。
すごいミーハー的なわけですよ。
彼女はもう祭りが行っちゃいそうになると大慌てで車から降りて見に行っちゃうという勢いですよね。
だから僕が思ってたこういうサロンにいるような人というのはもっと何か落ち着いてて庶民の興味あるような事には興味ございませんって感じかと思ったら全然ですよね。
おきゃんな感じがしますね。
こういう人の興味が持たないところからミーハー的な興味まで幅があるこれがエッセイストのいい要因になっていたと思いますね。
こういう人が現れたからエッセイというものが出ざるをえない感じすら思いますね。
だってこんなに興味の幅が広い人が一方向の物語なんて書けるはずがないというか。
これも興味あるこれも興味あるという。
何だろうもうエッセイの…。
どっちが先か。
エッセイが先か清少納言のセンスが先かみたいな。
この紙からはみ出てる感じがしますもんね。
文学というのはこういうものでこういう事にしか興味を持たず…。
例えば短歌分かりやすいけど文字数で決められてという幅からはみ出てる人が生まれちゃってるから。
だから形式が嫌いだったのはそういう意味があると思いますね。
歌が不得意というよりはちょっと苦手そこよりももっと書きたいっていう。
型にはめるという事が清少納言は嫌だったんじゃないかと向いてなかったんじゃないかという気がしますね。
でもそもそもですねこの「枕草子」ってもともと清少納言が定子様のためというかひそかに自分で書いていたプライベートなものだったのにどうしてこのようにこの世に残ってるんですかこれは?これは「枕草子」の跋文後書きに書いてあるんですけれども彼女が家にいる私的な時間にサロンの事とか思う事を書きつけていましたね。
家に籠もっている時に友達の源経房という人がやって来ました。
そしたら縁側なんか座りますからさあどうぞどうぞというんで普通今だったら座布団出しますよね。
当時は薄べり出すわけですけどそしたらあろう事かその薄べりに書いた「枕草子」が載っかって出ちゃった。
それで経房は「えっ何だ」といって見たらすごく面白いんでそのまま持って帰っちゃった。
多くの人が面白がって読んで書き写して広まっちゃったと。
自分でそのように書いて。
跋文に書いてあります。
じゃあそのお友達が持って帰って面白いって書き写さなければ…。
読んだりね。
広まらなかった。
これはまたちょっと奇跡がそこにも。
何かいろんな偶然と運命みたいなものが重なりますね。
そうですね。
さて定子から離れてしまった清少納言その後はどうなったんでしょうか。
実家に引きこもった清少納言。
定子からは「再び自分に仕えるように」と度々催促がありました。
そんな中で清少納言の心を大きく動かしたのは定子の手紙。
くちなしの花びら一枚に「言はで思ふぞ」と書かれていました。
これは……という歌の一部分。
…という意味が込められていました。
「定子様のためにもう一度頑張ろう」。
清少納言は勤めに戻る決心をしました。
定子の住まいは宮中の外れのみすぼらしい場所に移されていて庭木の手入れもできないほど困窮していました。
しかし清少納言が戻ってきた事でサロンに活気がよみがえったのです。
それから5年の歳月が過ぎ定子は24歳の若さで波乱に満ちた生涯を終えました。
働き続ける目的を失った清少納言は宮仕えを辞め2度と宮中に戻る事はありませんでした。
日本初の随筆今も輝きを失わない「枕草子」は2人の絆が生み出した珠玉の作品だったのです。
とてもすてきな話だなと思うのはこの1,000年も前の事でいて清少納言は定子とのその輝いてたサロンの事を残したいと思って書いてそれが偶然も含めて残されたわけじゃないですか。
それはとてもすごい事だと思うんですよね。
思いが残ったわけですからねこうやってね。
清少納言の思いが残ったわけだから。
すてきですね。
先生がお考えになる今この「枕草子」を読む意義というのはどういうふうに思われますか?まず一般的に言えば日本初の随筆文学に触れる事ができるという事。
それから平安時代の美意識とか礼儀作法が分かるなんていう一般的な意義がありますよね。
でも私に「『枕草子』何で読むの?」と聞かれたら私は「面白いから」って答えますね。
どういう面白さがあるかってやっぱりものすごい描写力がうまい。
それから新しいものの見方感じ方を教えてくれますよね。
それから私ね清少納言の人柄が好きなんです。
何かこうすごいせっかちじゃないですか。
せっかちで恋の道になると乙女のようにドキドキハラハラするというところが何とも言えずかわいい人みたいですごい好きなんですね。
今から「枕草子」の研究家になってこの楽しさを世の子供たちに伝えたいみたいなそんな事すら感じる。
そうだね。
僕らは試験問題のために頭の「春はあけぼの」の所だけ暗記して作者の名前と大体時代を暗記して終わっちゃってたのはとても悔しい事ですね。
何かもっと面白く教えたらいいですね。
そうですよね。
古典ってまさに現代に生きているものだという事を痛切に感じさせてくれたのが「枕草子」じゃなかったかなと思います。
ここに「枕草子」じゃない清少納言の化身がこう何かいらしたので。
せっかちだしいろんな事に興味があってちょっとミーハーなとこも。
恋に関しては乙女なのよ。
本当に楽しゅうございましたね。
伊集院さんいかがでしたか?この300もあるというお話。
何か僕がすごく興味深いのはあるあるネタって…あるあるネタはすごく鮮度が割と短いものだと思ってたんですけどあっ1,000年前からこんななんだという事。
本当の珠玉のあるあるネタは1,000年残るんだという。
そうですね。
的を射ていれば。
すごいなと思いましたね。
新しく目が開いた感じでございます。
先生本当にありがとうございました。
またいつかよろしくお願いいたします。
こちらこそ。

(野球実況)「やった〜!」。
(大竹)やった!2014/10/22(水) 23:00〜23:25
NHKEテレ1大阪
100分de名著 枕草子[終] 第4回「エッセイストの条件」[解][字]

随筆の名作「枕草子」が生まれた背景には、清少納言の類まれな資質と、定子への深い愛情があった!第4回は、清少納言が優れたエッセイストたりえたのはなぜかに迫る。

詳細情報
番組内容
「枕草子」が生み出された背景には「テーマ設定のうまさ」「鋭い観察力・批判力」「興味関心の幅広さ」など、清少納言がもっていた優れた資質があった。そしてもう一つは時代背景だ。当時、清少納言が仕えていた定子は、実家が権力闘争に敗れたため、孤立を深めていた。そのため、定子を元気づけようと、厳しい現実には目をつぶり、輝かしい日々だけを記したのだ。第4回は清少納言が優れたエッセイストたりえたのはなぜかに迫る。
出演者
【講師】山口仲美,【司会】伊集院光,武内陶子,【朗読】山田真歩,【語り】三田ゆう子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

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