これから関白になろうという御方に公然と盾つく者を捨て置いては面目が立ちませぬ。
面目を守るための戦など愚の骨頂!大河ドラマでは度々衝突する黒田官兵衛と石田三成。
実際の仲はどうだったのでしょうか?秀吉の家臣数ある中で官兵衛と三成は目覚ましく活躍したまさにツートップ!次々と奇策を繰り出して秀吉軍を勝利に導く軍師・官兵衛は現代ならいわば…法律や税金などの制度作りに力を発揮。
政策面で秀吉を支えた三成はいわば…2人は…石田三成よ。
あの者の知恵は天下を覆うほどじゃ。
秀吉から寵愛を受ける三成と官兵衛。
しかし…。
それがならぬと申しておる!理想的に思えた2人と秀吉との関係は徐々に崩壊の道へ…。
そして迎えた天下分け目の…そこには互いに敵となってぶつかる官兵衛と三成の姿がありました。
「歴史秘話ヒストリア」共に秀吉に仕えそして袂を分かつ事となった2人の心の内に迫ります。
小さな領主の家に生まれました。
この事が後に官兵衛を比類なき戦上手にします。
官兵衛のいた播磨国は西の毛利と東の織田という巨大勢力に挟まれた地域。
攻められればひとたまりもありません。
そんな中…官兵衛のいる姫路を毛利攻めの拠点にしようと考えたからです。
この時信長の軍勢を率いていたのが後の官兵衛の人生を大きく変える事になる羽柴秀吉その人でした。
心の声我らはいかにすべきかよく考えねばならぬ。
官兵衛は生き残りを懸けて自らを秀吉に売り込むべく動き始めます。
まずは…更には…「毛利を攻める際の基地として使ってほしい」と申し出たのです。
瞬く間に毛利攻めのお膳立てをした官兵衛の手腕に秀吉は感激。
こんな手紙を残しています。
「我が弟のように頼りになる男だ」。
秀吉から「兄弟同然」とまで言わしめるほど強い信頼を勝ち得た官兵衛。
地方の一領主から秀吉の軍師となった官兵衛は数々の戦を共にする中でその信頼を揺るぎないものにしていきます。
官兵衛誕生から14年後…心の声身を立てるには学問を修めるしかない。
日々懸命に勉学に励んだ三成。
そんなある日の事一人の武将が鷹狩りの途中ふらりと寺に立ち寄ります。
この武将こそ当時の長浜城主羽柴秀吉です。
この時…三成の地元長浜市には2人の出会いを記念して駅前に銅像が建てられています。
よく見ると三成の手にはなぜか茶碗が…。
実はこれ2人の出会いのエピソードを表したものなんです。
茶を持ってまいれ。
寺を訪れた秀吉はお茶を所望します。
三成は大きな茶碗にぬるめのお茶をなみなみと入れ差し出しました。
あぁこれはうまい!もう一杯。
その後も秀吉は2回お代わり。
三成は2杯目には少し熱めのお茶を半分ほど。
3杯目は小さな茶碗に熱々のお茶を少々入れました。
なるほど。
秀吉さん何をそんなに感心しているのでしょう?実は「ぬるめをたっぷり」の1杯目は鷹狩りで喉が渇いている秀吉への配慮。
2杯目はまだ喉を潤したいと見て…3杯目はじっくり味わってもらおうと…飲む人の気持ちを察して毎回違ったお茶を出す。
三成の見事な気遣いです。
三成の人生が大きく動いた瞬間です。
官兵衛と三成こうして2人は秀吉と出会った状況こそ違っていても優れた才能を武器にその家臣としての道を歩み始めます。
2人の活躍はすぐに秀吉にとってなくてはならないものになっていきます。
官兵衛は秀吉と出会った後軍師としての仕事を任されるように。
例えば「佐用城攻め」の場合。
城を攻撃する時周りを完全に取り囲んでしまえば敵は逃げ道を失い最後まで必死に抵抗します。
そこで城を包囲する際一方をわざと空けておくと…。
逃げ道があると逃げたくなるのが人情。
敵は空いた方へと一目散に。
最小限の犠牲で城を落とす事に成功しました。
備中高松城を攻めた時は…。
城を囲むように堤を築き水を流し込む…城の周りは水浸し。
もはや戦どころではありません。
敵の戦意を喪失させ戦わずして勝利。
更に官兵衛が得意としたものがあります。
それは戦を…特にこれが発揮されたのが…敵とのにらみ合いが続く中官兵衛は驚くべき行動に出ます。
そちらの大将と腹を割って話したい。
それゆえこうしてそれがしが参った。
大胆不敵な行動に敵もびっくり。
その心意気に感心したのか…人並み外れた知恵と行動力。
一方秀吉の世話係となった三成はその後とんとん拍子に出世。
その才能を発揮します。
ある時三成は主君・秀吉から褒美として500石を与えようと言われます。
しかしなぜかこれを辞退。
そのかわり近くの川沿いにたくさん生えている葦が欲しいと申し出ます。
秀吉は不思議に思いながらも許可。
すると三成それまで人々が勝手に刈り取っていた葦に税を課しその収入でなんと500石どころか…秀吉はいたく感心し三成はこれを機に更に出世したと言われています。
三成の知恵は戦場においても存分に発揮されます。
秀吉が柴田勝家と激突した…しかし既に夕方。
日が暮れて辺りは真っ暗闇で兵を進める事ができません。
すると…。
見よ!明かりがともされておるぞ!暗闇の向こうに浮かび上がった松明の明かり。
それは峰から峰へ無数に連なり夜道を照らしていました。
実はこの松明…更に「腹が減っては戦はできぬ」と…秀吉軍は松明の火を頼りに食事を取りつつ山道を一気に駆け抜けました。
いち早く味方のもとに駆けつけた秀吉軍は見事敵を撃退。
三成の機転がもたらした勝利でした。
以後戦場での戦いよりも…最前線で作戦を練った官兵衛。
戦いを補給の面で支えた三成。
まさに車の両輪となって…ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
今夜は秀吉の天下取りを支えた2人の名家臣ご存じ黒田官兵衛孝高と石田三成をめぐる物語です。
ここで秀吉がいかに2人を大切に思っていたかそれをうかがわせるエピソードをご紹介しましょう。
まず官兵衛敵につかまっておよそ1年も行方不明だった折の事。
ようやく官兵衛が救い出された時秀吉はこう言いました。
「よくぞ無事であった!再び会えてうれしいぞ」。
そして人目をはばからず大泣きに泣いたとか。
次に三成。
秀吉が三成のどこを評価したのかその言葉が残っています。
正しいと思ったらたとえ秀吉にであっても耳の痛い事をズケズケと言う。
三成のこの生真面目なところを秀吉は愛したのです。
秀吉にとってまさに双璧二つの玉だった2人。
しかし理想的だった三人の関係は大きく変わっていきます。
ある時秀吉は大名たちを集めこう尋ねました。
わしが死んだ後天下を取るは誰と思うか?どうじゃ?遠慮のう申せ。
前田殿では。
恐れながら徳川殿かと。
うん家康か。
しかし家康の他に今一人おる。
毛利でも前田でもない。
石田三成よ。
あの者の知恵は天下を覆うほどじゃ。
ハッハッハッハ!こちら幕末に書かれた「名将言行録」に登場するお話です。
「三成には天下人になれるだけの知恵がある」。
秀吉はそう考えていたようです。
秀吉にとって三成がいかに重要だったのかそれは歴史の教科書を見れば分かります。
秀吉といえばご存じ「太閤検地」や「刀狩」。
これら重要政策の実行責任者が三成なんです。
こちらは三成自らが常陸国今の茨城県で行った「太閤検地」の台帳です。
田畑を形や面積から4つのランクに分けその生産高を記しています。
おかげで…検地を行ったうえで三成は各大名の土地を少しずつ切り取りそれを秀吉の領地としました。
ここからの年貢は直接秀吉のもとに。
少しくらいなら大名も文句を言いませんよね。
ところがちりも積もれば…。
全国から集まった年貢はなんと220万石。
三成は秀吉の財政基盤の確立に大きく貢献しました。
なかなかの知恵者です。
そしてもう一つ武士以外が刀を持つ事を禁じた…こんな手紙が残っています。
三成が大名の島津家に宛てたものです。
「まだ刀を納めていないのはお前の領国だけだ」。
三成は秀吉が命じた「刀狩」を徹底するため自らの名前で厳しい取り立ての手紙を送りました。
その高圧的な物言いに…秀吉に批判の矛先が向かぬよう三成は進んで泥をかぶったのです。
心の声三成め…まこと頼りになるやつじゃ。
秀吉にとって三成は決して手放す事のできない大切な存在になっていました。
では官兵衛について秀吉はどのように思っていたのでしょうか?わしが死んだ後天下を取るは誰と思うか?徳川殿かと。
前田殿では。
あら?さっきと全く同じやり取りに聞こえますけれど…。
皆一人忘れておるぞ。
ほれ足の悪いあやつめじゃ。
黒田官兵衛にございますか?わしが死なずとも官兵衛がその気になればすぐにも天下を取るであろうよ。
今度は官兵衛が天下を取るですって?でもこちらも同じ「名将言行録」に載っているお話。
秀吉は官兵衛についても最大級の評価を与えていました。
天正14年7月。
秀吉はいまだ従わない大名が数多くいる九州へ軍を進めます。
その司令官として官兵衛を派遣しました。
(銃声)九州に上陸した官兵衛は福岡の東宇留津城を瞬時に攻め落とし圧倒的な兵力を見せつけます。
このまま一気に敵を片づけるかと思いきやそこは官兵衛。
パタリと進撃を停止。
(鳴き声)秀吉軍は戦わずして勝利を収めたのです。
秀吉は官兵衛を褒めちぎりました。
しかし秀吉は官兵衛を評価しつつも内心ではその切れ者ぶりに恐れを抱き始めていました。
きっかけは主君・織田信長が討たれた…
(秀吉)うそじゃあ!秀吉様ご武運が開けましたな。
主君の死という悲しむべき事態でも冷静に状況を分析し平然と行動する官兵衛。
以来…更に秀吉が官兵衛を遠ざけるようになる別の理由もありました。
それがならぬと申しておる!もうよい。
下がれ!秀吉は九州攻めの褒美として官兵衛に豊前中津12万石を与えます。
これは後に三成に与えた近江佐和山19万石よりも少なく差をつけられた形となりました。
秀吉にとってなくてはならない存在となった三成と距離を置かれ始めた官兵衛。
2人の運命はやがて思わぬ方向に向かっていきます。
共に秀吉を支えてきた官兵衛と三成。
2人がお互いをどのように思っていたのかそれを示す同時代の史料はありません。
官兵衛の黒田家に残る江戸時代の記録にはこんなふうに描かれています。
三成は官兵衛についてある事ない事を秀吉に吹き込んだ。
そのため官兵衛は少ない領地しかもらえなかった。
ある日三成は官兵衛を訪ねたが官兵衛は囲碁の真っ最中だった。
長く待たされた三成は怒りまた秀吉にさんざん悪口を言った。
天下に並ぶ者のないキレ者の2人。
まさかこんな事で仲たがいするとは思えませんが…。
そして「歴史秘話ヒストリア」。
時代はもっと深刻な事態をもたらし2人に厳しい選択を迫ります。
天下を統一した秀吉でしたがまだ戦をやめるつもりはありませんでした。
次に朝鮮そして中国を手中に収めようとしたのです。
その野望の名残が佐賀県唐津市にあります。
玄界灘の海岸近くにある巨大な城の跡。
秀吉が朝鮮への出兵の足がかりにした…当時日本で大坂城に次ぐ2番目の規模を誇りました。
2人は朝鮮での戦いに大きな役割を果たします。
天正20年4月。
官兵衛と三成が見送る中総勢16万の大群が海を越え朝鮮半島に渡っていきました。
秀吉軍は緒戦を勝ち進みます。
当時「ハンソン」と呼ばれた首都ソウルを占領し中国明の国境近くまで攻め上ります。
相次ぐ勝利の知らせに気をよくした秀吉は天皇を北京に移し自分は南の寧波に移ってインドの地を狙おうと更なる野望を燃やします。
出兵から2か月後。
秀吉の代理として…しかし朝鮮の地に2人が赴いた時戦況は大きく変わっていました。
(砲声)現地で戦線を視察した三成が味方の深刻な状況を報告した手紙が残っています。
兵糧が全然足りていないんだという事ですね。
「討ち死に」ですねこれ「討死」って書いてますけど死ぬ者もいて手負いをする者も。
やがて冬がやって来ました。
備えが十分でない秀吉軍は寒さと飢えに苦しめられます。
我が軍の兵糧はほとんど底を尽き兵は寒さと飢えで身動きがとれませぬ。
何とかいたしませぬと。
もはや退くしかあるまい。
ここで撤退すれば秀吉の命に背く事になる。
しかし官兵衛は現地の大名たちの苦境をおもんぱかりました。
将兵共に塗炭の苦しみにあり。
皆戦ができぬのであれば致し方なし。
その事秀吉様に申し上げよう。
三成も官兵衛たちの意見に同意。
兵を退くなど断じて許さぬ!命令違反に秀吉は激怒。
怒りの矛先は官兵衛に向かい…この時…名前も…自分の心は水のように澄み渡り決して動じる事はない。
どんな境遇に置かれても己が進むべき道を冷静に見定めよう。
そんな思いを込めたのでしょうか。
一方…官兵衛が帰国したのと同じ月に明の使者と共に帰国。
しかし秀吉が明に対して突きつけた要求は想像を超える無理難題でした。
それに対する明の回答は…。
要求を無視された秀吉は烈火のごとく怒り戦いの再開を命じます。
また現地で苦しい戦いが始まってしまう。
しかし秀吉の暴走を止める事はもはやできませんでした。
交渉決裂の翌年慶長の役が始まり大名たちはまたもや苦戦を強いられます。
蔚山城の戦いでは5万7,000もの明・朝鮮連合軍に包囲され絶体絶命の窮地に陥ります。
この時他の場所で戦っていた大名たちが一斉に救援に駆けつけ何とか明・朝鮮連合軍を退却させる事ができました。
ところが…。
何たる腰抜けどもじゃ!領地没収などの厳しい処分を下します。
思いも寄らぬ処分にあぜんとする大名たち。
彼らの憎しみは自然と三成に向かいました。
慶長3年8月豊臣秀吉死去。
その死をもって慶長の役は終わりました。
ところが…関ヶ原で家康率いる東軍と三成の西軍が激突します。
実はこの戦いの直前三成は意外な人物に応援を求めていました。
それはなんと官兵衛。
しかし…9月15日戦いが始まります。
戦いは一進一退を繰り返します。
この時三成の陣に果敢に突撃してくる軍勢がありました。
官兵衛の息子黒田長政の部隊です。
次第に劣勢となる西軍。
僅か6時間で勝敗は決しました。
三成は背後の山を抜けて落ち延びようとしましたが追っ手に捕らえられます。
敗軍の将となった三成は京都・六条河原で処刑。
41年の生涯でした。
官兵衛はその4年後の慶長9年福岡の地で亡くなります。
何も望まず穏やかに過ごした晩年だったと伝えられています。
関ヶ原で勝利した徳川家康は江戸幕府を開き長く続いた戦乱の世は終わりを迎えました。
官兵衛と三成が共に駆け抜けた乱世は幕を閉じ新しい時代が始まったのです。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は官兵衛と三成2人は決別したままではなかった。
そんなお話でお別れです。
顔見知りの大名たちがそしらぬ顔で通り過ぎる中一人の武将が声をかけます。
官兵衛の息子で関ヶ原の戦いの折三成の陣に斬り込んだあの黒田長政でした。
その言葉に長年共に秀吉を支えていた官兵衛の影を見たのでしょうか。
三成は思わず涙したと伝えられます。
(掛け声)官兵衛が晩年を過ごした福岡の地。
毎年7月に行われる夏祭り博多祗園山笠に官兵衛と三成のつながりをうかがわせるものがあります。
祭りを彩る飾り山笠の一つ…きらびやかな博多の町並みの中心にいるのは豊臣秀吉。
そして博多の商人たちに交じって官兵衛と三成の姿が。
なぜ2人が一緒にいるのでしょうか。
戦国時代博多の町は相次ぐ戦乱で荒れ果てていました。
「太閤町割」と呼ばれた一大復興プロジェクト。
官兵衛と三成2人がタッグを組む事で博多の町は荒廃からよみがえり輝きを取り戻したのです。
共に秀吉に見いだされ天下に名をはせた黒田官兵衛と石田三成。
互いの固い信念のために図らずもやいばを交える事となった2人の生き方。
その裏には2人にしか分からない男の絆があったのかもしれません。
2014/10/22(水) 22:00〜22:45
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「君よ、さらば〜官兵衛VS.三成 それぞれの戦国乱世〜」[解][字]
豊臣秀吉の家臣ツートップ、黒田官兵衛と石田三成。秀吉に愛されたふたりは、ある事件をきっかけに決別し、刃を交えることに…。官兵衛と三成の知られざる絆と別れの物語。
詳細情報
番組内容
豊臣秀吉の家臣のツートップ、黒田官兵衛と石田三成。ふたりは「知恵」を武器に、出会ったその時から秀吉に重用される。一方は軍師として、もう一方は官僚として、秀吉の天下取りを支えたふたりだが、やがて時代はふたりに厳しい選択を強いることに…。秀吉の野望・朝鮮への出兵をきっかけに、それぞれの信念を貫いたふたりは決別。関ヶ原の戦いでは敵として刃(やいば)を交えることに!官兵衛と三成の知られざる絆と別れの物語。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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