浜松市北区の新東名高速道路と東名高速道路をつなぐ連絡路の上り線で、大型トラックや観光バスなど、車4台が関係する事故がありました。
10年前最大震度7の揺れに見舞われた新潟県中越地方。
新たなふるさとを作ろうという模索が始まっています。
新潟県中越地震からあすで10年。
多くの集落が存続の危機に直面しました。
過疎と高齢化が止まらない中で今、都会から通う若者が地域の活力となっています。
どうすれば集落を維持していけるのか。
行政の役割を住民どうしで担う取り組みも始まっています。
全国の中山間地が抱える課題。
中越地方から見えてきた新たな光です。
こんばんは。
「クローズアップ現代」です。
過疎化、高齢化が進む中山間地の集落は新潟県中越地震の被害を受けどうなっていくのか。
被災したことで集落の衰退が一気に加速するのか。
それとも地震に見舞われたことで地域の再生、あるいは持続性につながったといえるような方向に進むのか。
人口が減少し、集落機能の維持自立が厳しくなることが予想される中山間地の集落は全国に多数あります。
10年前に最大震度7という大地震に見舞われた中越地方がもともと抱えていた課題に向き合いながらどのように復興していくのかは中山間地の活性化のいわば試金石です。
ご覧のように美しい棚田を抱える山々。
2004年10月23日に起きた地震によって土砂崩れが3000か所以上で起き60もの集落が孤立状態に置かれ農業を中心に生活をしていた人々の中には、住まいだけでなく働く場も失った人が大勢いました。
10年たち、被災地ではハード面の整備はほぼ終わっています。
この間、被災者の多くが集落にとどまって生活を再建するのかそれとも移転するのか選択を迫られました。
結果的に人口の減少に歯止めをかけることができずいっそう厳しい高齢化と向き合う集落が少なくありませんがその一方で人口が減少する中行政機能を住民みずからの力で担うなど自立性が高まりコミュニティーが強化されたり地域機能の維持や活性化を外部からの力を継続的に呼び込むことで実現し活力を取り戻した集落もあります。
被災を契機に人口減少が加速した被災地でどのような住民意識の変化や外部との関わりが生まれたのか。
逆境の中で自立を促す鍵となるのは何か。
初めに、被災後人口が半減した旧山古志村の模索です。
今月上旬コメの収穫を終えたばかりの旧山古志村です。
佐野玲子さんです。
この10年ボランティア活動などを通して山古志の支援を行ってきました。
最近さ、もうだいぶ寒くなってきたけど体大丈夫ですか?
大丈夫、大丈夫。
なんか最近困ってることとかありますか?
村を見続けてきた佐野さん。
今、高齢化は限界に達していると感じています。
山古志村の上空です。
棚田が崩れています。
農地や住宅のほとんどが壊滅的な打撃を受けた山古志。
地震の2日後には住民2200人全員が市街地への避難を余儀なくされました。
どうしたら、ふるさとをよみがえらせることができるのか。
当時、村役場で復興プランの作成を行った青木勝さんです。
復興プランは被災直後のアンケートで9割以上の住民が戻りたいと答えたのを受けて作成されました。
プランに盛り込まれた住宅の整備や公園の設置。
なるべく多くの住民を呼び戻すことが最大の目標でした。
しかし、現実は復興プランどおりには進みませんでした。
山古志の人口推移です。
地震の2年後から急激に減り始め今ではおよそ5割にまで落ち込んでいます。
山古志に戻ることを選択した住民たちは、この10年間厳しい現実に直面してきました。
地震から3年後に戻った青木幸七さんもその一人です。
元区長として、この間、集落の維持に頭を悩ませてきました。
地震前、100人いた集落に残ったのは30人ほど。
幸七さんは離れた人たちに戻ってきてもらおうとさまざまな取り組みを続けてきました。
少ない住民で協力し除雪や道の草刈りなどいつでも帰ってくることができる環境を整えてきました。
幸七さんは、村で代々続く闘牛も復活させふるさとの伝統を守る取り組みも行ってきました。
地震でもう、潰れちゃって。
それでもいったん離れた人たちが再びここで暮らすことはありませんでした。
これまでの方向性に限界を感じた山古志は別の形で地域の活性化を図ろうとしています。
10年前、復興プランを作成した青木勝さんです。
今、青木さんは人口の減少に縛られず日中だけ農業に戻る人などを増やしていくことが地域にとって最も大切だと考えるようになったといいます。
山古志を離れた人たちはこれまで残った人たちに対し負い目を感じることも少なくなかったといいます。
山の外がちょうど山古志になりますね。
地震のあと、家族と共に市街地に移り住んだ川上孫一さんもその一人でした。
今、川上さんは時間を見つけては山古志に通っています。
自分の田畑を耕作放棄地にだけはしたくないと考えています。
よう来たなって歓迎してる。
10年前に復興プランを立てた青木勝さんです。
日中の人口を増やすために新しく作った牧場を利用しようと考えています。
アルパカの人形や毛を使った衣類は今新たな産業になり始めています。
青木さんは山古志を離れた人が日中だけでもこうした産業に携わることができれば集落を維持する力になっていくと考えています。
今夜は中越地震の復興に関わっていらっしゃいます、長岡造形大学の准教授、澤田雅浩さんをお迎えしています。
村全員で帰ってこようというふうに計画を立てていましたけれども、10年たってみると、旧山古志村の人口はおよそ50%になっているという、この現実は厳しいですね。
そうですね。
やはり今まで、その地震の前から進んでいた過疎化を止めることができなかったというのが現実です。
特に、村を離れた人の多くというのは、子育てをしている人だったりとか、まだ勤めに出ている人ということで、その村の次を担うような世代という人たちが村を離れたという現実もあります。
世代で分かれてしまった。
そういった中で、今ではなんとか、日中の人口を増やそうというふうに、発想を山古志村のほうでは転換したわけですけれども、この発想の転換ができるまでっていうのは、容易ではなかったんではないですか?
やはり本当はそこに住む人でなんとか協力をしながら、村の生活というのを維持したいというのが本音だと思います。
しかしながら、そこに住む人自体は、ずいぶん減ってしまった。
でも山の暮らしを維持していくためには、外の人の力を借りることということが重要だということに気付いたんじゃないかと思うんですね。
それはやはり被害があったあとのボランティアの人との関わりであったりとか、そのあとの復興プロセスにおいていろんな関わりがあって、そういう人たちに協力をあおぐことで、いろいろな成果が出てきたと、そういう実感があって、住む人だけじゃなくて、どういうふうにそこに関わってもらえる人を増やすかっていうことが重要だということに気付いてきたということだと思います。
初めはなんとか自分たちだけの力でという思いはあったんですか?
恐らくそうだろうというふうには思いますけど、なかなかやはり雪も深いですし、お年を召された方も多い、そういう中ではなかなか難しかった。
そういうときに、やはりボランティアを契機として、その地域に関わってくれた人が継続的に地域に関わってくれたりするという中で、やはりそういう人たちの力を借りても、地域というのは、維持できるんだということに気がついたというふうに思います。
そして今のVTRにありましたけれども、帰らないという決断をされた方、その決断が間違っていたんではないというふうにしたいっていう、つまり山を下りていった人たちが、日中に帰ってくる、そういった人々も積極的に受け入れようという気持ちが伝わってくるわけですけれども、そこに至るまでのわだかまりってなかったんですか?
恐らくあっただろうと思います。
出ていった人にもなんとなく後ろめたい思いがあるし、残った人にしてみると、あいつは山を下りやがってみたいな気持ちがあったと思います。
ですから、当初はなかなか難しかったと思うんですが、この10年を経過する中で、そうやって、地域外の人と関わるということに対して免疫力が少しついてきたというか、そういう中では、やはり山を下りたけれども、もともと住んでいて、そこの地域に思いがある人を受け入れるってことは、その地域の生活を支えていくのに本当に重要な応援団にもなりうるという状況が、ようやく今、最近できてきたのかなというふうに思います。
やはり愛着のある方々が帰ってくるっていうことは、本当に大きな力になるでしょうね。
さあ、旧山古志村ですけども、お伝えしてるように、日中の人口を増やすという発想の転換を行ったわけですけれども、人口が減るということは、行政機能の維持が難しくなるということも意味します。
次は行政に頼らず、集落の力、活力を維持する新たな取り組みをご覧いただきましょう。
およそ5000人が暮らす旧川口町。
12の集落が点在しています。
最大震度7の揺れが襲ったこの町では7割以上の住宅が全半壊。
多くの人が地域を離れ行政機能も縮小し続けてきました。
こうした中生活を維持していくために集落どうしが連携する取り組みが始まっています。
3年前にすべての集落の住民が集まり立ち上げたNPO法人です。
現在、200世帯が会員となり年会費や事業収入などで町づくりを進めています。
そのリーダーを務めるのも兼業農家の住民です。
NPOでは住民からの声を集めるため、週に6日相談窓口を開いています。
要望を受けてNPO自体が事業を運営したり実現に向けて行政との交渉を行ったりします。
こうして出来たのが山あいの集落をつなぐコミュニティーバス。
行政が運営していたバスをNPOが独自に運行しています。
NPOでは協力してもらえる大学や企業専門家も新たに確保。
さらなる事業を手がけたいと考えています。
町にこれから必要なものはなんなのか。
この日はすべての集落の住民が参加して検討会が行われました。
住民からは農家を支えるため農機具を貸し出す事業などのアイデアが出されました。
NPOでは協力関係にある機関と相談し具体的に検討することにしました。
住民だけでなく地域の外からやって来た人を活用することでふるさとの暮らしを守っている集落もあります。
100人余りが暮らす小千谷市の若栃集落。
地震のあと人口が3割以上減りました。
農業を中心とした暮らしの復旧にボランティアなどを積極的に受け入れてきました。
若栃集落には、そうした若者が10年たった今でも通い続けています。
きっかけは、集落の方針を話し合う会議に訪れたばかりの若者も参加させ積極的に発言を求めたことでした。
そうすることで若者たちにも次第に集落の一員という意識が芽生えていったのです。
こんにちは。
よろしくお願いします。
今では、人口100人のこの集落に首都圏などから10人もの若者が定期的に通い農作業などを担っています。
若者たちが集落の魅力をソーシャルメディアなどで発信することで年間1000人の観光客が訪れるまでになっています。
地域を外から支える取り組み。
そうした人材を組織的に育てる試みも始まっています。
学生たちに集落でのボランティアに参加するよう呼びかけている長岡大学の脇田妙子さんです。
地震直後から被災地を支援する活動をしてきました。
脇田さん自身が経験した集落に関わっていくことの魅力を伝えています。
この日は高齢化が進む市内の集落を学生たちが訪ねました。
学生が集落に通うようになるために脇田さんが最も大切だと考えているのが、まず一度その場に足を踏み入れることです。
脇田さんはおととしから取り組みを始めていますが卒業後も集落に通い続ける若者も徐々に出始めています。
地震をきっかけに始まった集落の活力を維持していくさまざまな模索。
新しいふるさとの形を作ろうとしています。
今の若栃集落の取り組みですけど、本当に外部の力を震災から10年たっても、継続的に取り入れながら活力を保っていると。
ものすごくいい循環が生まれていますけれども、若者たちが関わり続ける、この一番のインセンティブってなんだと思われますか?
まずは、もともとすごく美しかったり、すてきな山の暮らしというのが存在をしていたわけですけれども、なかなかそういうのは、自己完結で内側に閉じていて、外に開くことがなかったわけですけども、震災を契機として、外にうまく開けるようになった。
そこに若者がうまく関われるようになった、そうするとそこの本当の身の丈の山の暮らしっていうのを体験することができて、それが新鮮な魅力に映ったということ、そこでやはりコミュニケーションもしっかりと取れるようになると、そういった人たちにとってなじみの田舎というふうな感じの状況になって、ふらっと行っても誰かが受け入れてくれたり、やることがあったり、そのときにありがとうって言ってもらえるような関係が、ああいった所にあると。
さらには、日本の原風景ともいわれるような美しい風景があって、そこに根ざした生活があるというのも魅力に映るんじゃないかと思います。
そして、大いに期待されて、そして育てられているという感覚はうれしいかと思うんですけども、もう一つ、すごく印象的だったのは、旧川口町で、やっぱり地域全体が連携してNPOを作り、そして自分たちの地域の課題を、事業を通して解決しようとしている、こうした集落どうしの連携っていうのは、果たしてこの震災が起きなかったら、可能だったんだろうかとまで思うんですけれども。
恐らくなかったんじゃないかと思います。
集落単独でいろんな取り組みというのはたぶん今までにもありましたし、この震災以降もかなりいろんな取り組みがあったと思います。
それぞれの集落が成功体験をしたり、いろんな失敗をして課題を抱えたりしていたと思うんですけども、それはいつもたぶん、集落で解決をしようとしていたと思うんですね。
でも同じような動きをしているところが、同じような課題を抱えていたら、もしかしたら一緒に連携をしたり、情報共有すれば、もっとうまい解決方法があるんじゃないかって。
自分たちで気がついて、ラウンドテーブル、情報共有の場を作ったってことは本当に画期的だと思います。
そうすると、その解決手法が新たに見つかったりとか、そこに対してまた外部の支援が入ったりというようないい循環を生み出す仕掛けになっているかなというふうに思います。
一番、被災地をずっと見つめてこられて、住民の方々の意識の変化の一番鍵となった部分はなんですか?
それ、なかなかひと言で言うのは難しいかもしれないんですけども、やはり自分たちで何かをやろう、自分たちで考えて、自分たちで一歩踏み出そうということが、いろんな人ができるようになったということと、やはり、ほかの人に対してオープンな環境を作ることができるようになったというのは非常に大きいかなと思います。
まだまだ高齢化、過疎化というのが、これからも続いていく厳しい現実がある中で、これからの集落、細くなっていく集落を、自分たちでどうしようかというところまで、話し合いが進んでいくと思われますか?
可能性は大いにあると思います。
そういったところで暮らしをどうするか、集落をどうするかではなくて、暮らしをどうするかという視点で考えることで、いろんな解決策というのが見えてくるんじゃないかと思います。
そして行政に頼らない姿勢というのが、強まっていきますか?
そうですね、なるべく自立をする、人に頼らなくても、暮らしていける状況を作ろうという動きというのは、非常にこれからも大切だと思います。
そうした住民自体の発想で、自分たちにとって一番暮らしやすいことを見つけ出していく、このプロセスって、2014/10/22(水) 19:30〜19:56
NHK総合1・神戸
クローズアップ現代「新しい“ふるさと”へ〜新潟県中越地震 10年目の模索〜」[字]
今月23日、死者68人、12万人を超える避難者を出した新潟県中越地震から10年を迎える。被災した集落の10年目の現実を追い、中山間地の未来を展望していく。
詳細情報
番組内容
【ゲスト】長岡造形大学准教授…澤田雅浩,【キャスター】国谷裕子
出演者
【ゲスト】長岡造形大学准教授…澤田雅浩,【キャスター】国谷裕子
ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
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