ゆうどき ▽脚本家・倉本聰さんに「北の国から」執筆の裏側を聞く。 2014.10.22

生字幕放送でお伝えしますこんばんは、「ゆうどき」です。
味覚の秋です。
こんなところでこんなものを見つけましたきょうのニャンカメです。
合原⇒東京・練馬区から森さんです。
森⇒東京都練馬区の住宅街にお邪魔しています。
この閑静な住宅街に、ことし9月珍しい施設がオープンしました。
それがこちらワイナリーなんです。
東京都内で、ワインの醸造から販売まで、すべての工程を行っている施設というのは非常に珍しいそうなんです。
ちょうど今、このワイナリーではワインの生産の最盛期を迎えているということで作業場にお邪魔しています。
この中、ぶどうのいい香りに包まれています。
皆さん、よろしくお願いします。
今皆さんが造っているワインは山形の山ぶどうを使った、赤ワインなんです。
いい香りですよ。
店主の越後屋さんですよろしくお願いします。
今ちょうど作業が終わりました。
このまま、皮とか茎がついたまま潰していくんですか。
越後屋⇒赤ワインは皮のタンニンや渋みを出して赤色などを作るのでこうやって仕込んでいます。
潰したものがこちらに出てきています。
潰したものが隣にあります。
こちらのタンクで1週間から10日ぐらいかけて発酵させてアルコールへと変えていきます。
赤ワインのエキスが出てきたらそのままそれを搾って果汁だけにして、別のタンクに入れて熟成をさせていきます。
このタンクで熟成させていきます。
さまざまな場所のぶどうが使われています。
山形のものこちらは、長野県のもの。
そして、そしていちばん奥にあるタンクではなんとここ東京・練馬区のぶどうを使ったワインが、仕込まれているんです。
見せていただいていいですか。
きれいなピンク色。
ちょっと、赤ワインというよりはロゼワインのようですね。
フレッシュな感じのワインで皮目も薄いのでこういったきれいな色に仕上がります。
見てください。
きれいな桜色。
越後屋さん、なぜ東京・練馬区でワイナリーを始めようと思ったんですか。
23区でもっとも農地の面積が多い練馬区で、都産都消ということでワイン造りをやりたいということで。
地産地消ならぬ都産都消なんですね、いつごろ楽しめますか。
12月ぐらいにはお店のほうで販売しようと思っています。
ここでは見学をすることができるんですね。
小さいところですが、いつでも見学ができます、お気軽においでいただければと思います。
私たちこのあとちょっとワインを楽しんでから帰りたいと思います。
申し訳ありません。
失礼します。
いただきます。
山本⇒楽しんでください。
ちょっと若いかもしれませんけれどね。
練馬産のワインということですね。
そういえば月が変わると。
合原⇒ボージョレ・ヌーボーですね。
山本⇒ワイン好きな人にとってはたまらない季節ですね。
きょうの内容です。
「人生ドラマチック」は脚本家の倉本聰さんです。
記憶に残る名作ドラマの数々。
「北の国から」誕生秘話。
そして富良野への移住。
79歳となった今も新たな作品に挑むドラマチックな人生に迫ります。
「行ってみたい!」は石川県七尾市を訪ねます。
江戸時代から続く伝統野菜沢野ごぼうは太くて長いのが自慢。
丹精込めてごぼう作りに励む人たちに出会いました。
そして、番組へのお便りはこちらです。
番号お間違えのないようにお願いします。
5時になりました、ニュースをお伝えします。
製粉メーカー大手の日清フーズは、原材料価格の上昇や円安などを理由に、来年1月から国産のパスタの価格を家庭用で最大8%、業務用で最大13%値上げすると発表しました。
日清フーズは、来年1月5日の出荷分から、国内で製造している家庭用のパスタを、およそ5%から8%、業務用のパスタをおよそ9%から13%それぞれ値上げします。
対象となる品目数は、家庭用で35品目、業務用で29品目です。
家庭用の主な商品では、マ・マースパゲッティ300グラムが税抜き価格で218円から234円に、マ・マー早ゆでマカロニシリーズが、142円から151円にそれぞれ値上げされるということです。
また大手牛丼チェーンの吉野家は、牛肉の取り引き価格が上昇しているなどとして、期間限定で販売する牛肉を使った鍋のメニューを、従来より40円値上げすると発表しました。
値上げするのは、今月29日から期間限定で販売する牛すき鍋膳と牛チゲ鍋膳で、それぞれ並盛りの税込み価格を、前回販売した際の590円から630円に引き上げます。
値上げの理由については、主にアメリカから輸入している材料の牛肉の取引価格が去年の同じ時期と比べておよそ2倍に上昇していることなどを挙げています。
食品業界では、原材料価格の上昇や、円安などを理由に、さまざまな商品の値上げが相次いでいます。
維新の党は、国会議員に歳費とは別に、月額で100万円が支給されている文書通信交通滞在費について、使いみちの報告義務がないのは、国民の理解を得られないとして、使いみちの報告や公開を義務づける法案を、衆議院に提出しました。
文書通信交通滞在費は、国会議員の政治活動を支える経費として、歳費とは別に議員1人当たり月額で100万円が支給されていますが、使いみちについて報告や公開の義務はありません。
これについて維新の党は、地方議員の政務活動費の不正支出が問題になっていることなどを踏まえ、文書通信交通滞在費の使いみちの報告義務がないのは国民の理解を得られないとして、きょう、関係する法律の改正案を議員立法で衆議院に提出しました。
法案では、衆参両院の国会議員に文書通信交通滞在費の使いみちを議長に報告することを義務づけたうえで、両院の議長は、これを公開しなければならないとしています。
維新の党の江田共同代表は、法案を提出したあと記者会見し、各党に賛同を呼びかけるとしたうえで、次のように述べました。
小渕前経済産業大臣の群馬県内の選挙区に住む男性が、ことし5月、小渕氏の事務所から祝いの品として、ワイン2本を贈られたと取材に対して証言しました。
小渕氏はワインについて、おとといの会見で、選挙区外になんらかの形で使っているものと承知しているが、調査したいなどと話していました。
小渕氏の群馬県内の選挙区に住む70代の男性によりますと、ことし5月、小渕氏の地元事務所の秘書だった男性が自宅を訪れ、おめでとうございますと言って、祝いの品として、小渕氏の名刺と一緒に箱を手渡したということです。
箱の中には、赤と白のワインが2本入っていて、ラベルに小渕氏の写真とともに、優しさ輝く日本の未来おぶち優子といった文字が印刷されていました。
公職選挙法では、選挙期間中かどうかにかかわらず、選挙区内の有権者に寄付をすることは禁じられています。
小渕氏は、ワインについておとといの記者会見で、選挙区外になんらかの形で使っているものと承知している。
私が渡したのではないが、調査したいと話していました。
EU・ヨーロッパ連合の議会は、人権問題などに取り組んできた人に贈ることしのサハロフ賞に、アフリカ中部、コンゴ民主共和国で紛争下で性的な暴力を受けた女性に治療や心のケアを続けてきた、医師のデニス・ムクウェジ氏を選んだと発表しました。
ヨーロッパ議会は21日、人権問題や思想の自由を守るため、献身的な活動をしてきた個人や団体に贈られることしのサハロフ賞に、コンゴ民主共和国の産婦人科医、デニス・ムクウェジ氏を選んだと発表しました。
コンゴ民主共和国は、ダイヤモンドをはじめとする豊富な地下資源などを巡り、政府と反政府勢力の間で、断続的に紛争が続いています。
ムクウェジ氏は東部の紛争地帯、南キブ州に病院を設立し、紛争に巻き込まれて性的な暴力を受けた女性およそ4万人に対し、治療や心のケア、職業訓練などに取り組むかたわら、世界各地で紛争解決に向けた行動を起こすよう、国際社会に訴えてきました。
ヨーロッパ議会は、ムクウェジ氏を選んだ理由について、世界中を巡って、女性の人権を訴える活動を行う一方、週2日のペースで患者を診察し、手術を行うなど、女性を守るために闘ってきたと説明しています。
戦後の浅草の歓楽街の中心的な存在だった、老舗劇場、浅草ロック座を運営していた会社が、入場客の減少などで経営に行き詰まり、今月中旬、東京地方裁判所から破産手続き開始の決定を受けていたことが分かりました。
破産手続き開始の決定を受けたのは、東京・台東区の老舗ストリップ劇場、浅草ロック座を運営していた斎藤観光です。
昭和22年に開業した浅草ロック座は、映画館や演芸劇場が立ち並び、多くの著名なコメディアンも通ったことで知られる歓楽街、浅草六区の中心的な存在として人気を集めました。
新宿や渋谷といった繁華街が発展していく中でも、独自の経営を続けていましたが、破産管財人の弁護士によりますと、リーマンショックが起きた6年前から入場客が大きく減少し、資金繰りに行き詰ったことから、運営会社は、ことし8月に従業員を解雇し、経営から撤退したということです。
破産管財人は、負債額が2億3800万円に上るとしています。
浅草ロック座は、今も営業を続けていますが、今後の運営形態などは決まっていないということです。
続いて気象情報です。
初めにあすの天気です。
前線と低気圧の影響で、東日本では夕方まで雨の降る所が多いでしょう。
西日本と北日本は高気圧に覆われて、広い範囲で晴れる見込みです。
「ゆうどき」まずは「人生ドラマチック」です。
本日のゲスト倉本聰さんに質問です。
この1週間であったドラマチックな出来事を教えてください。
倉本⇒ないんですけどね。
ただ、この1週間はひたすら富良野で、雪虫が飛んでいましたね。
もう雪が近いんですか?もう2、3日でしょう。
冬はまもなくですね。
山の上はもう真っ白です。
ドラマ「北の国から」。
子どもがまだ食ってる途中でしょうが!ドラマの生みの親脚本家・倉本聰さん。
人々の記憶に残る作品を数多く生み出してきました。
その人生も、まさにドラマ。
39歳のときある出来事を機に、番組を降板。
そして出会ったのが、この人!その後、向かった先は北海道・富良野。
大自然に身を置く日々は倉本さんの作品世界を大きく広げていきました。
79歳となった今も新たな舞台に挑む、倉本聰さん。
そのドラマチックな人生に迫ります。
山本⇒きょうのお客様、倉本聰さんです。
よろしくお願いします。
私は勝手に、倉本さんて怖そうな人だなというイメージがあったんです。
VTRを見ると本当に怖そうだよね、だから、きょうはできるだけにこにこする。
きょうは根掘り葉掘り伺います。
僕たちは「前略おふくろ様」「北の国から」そういう中で育ちました。
倉本さんに育ててもらった世代かもしれません。
合原⇒プロフィールからご紹介します。
北海道・富良野に移住したのは42歳のときでした。
そして21年間にわたり放送されたドラマ「北の国から」の原作・脚本。
83年に脚本家や俳優を養成する富良野塾を開き2006年には地球環境教育プロジェクト富良野自然塾を立ち上げました。
現在は被災地の福島を描いた舞台に取り組んでいます。
倉本さんを語るうえで欠かせない作品といえば「北の国から」。
まずはこの物語の誕生秘話から見ていきます。
電気がなかったら暮らせませんよ。
そんなことはないですよ。
夜になったらどうするの!夜になったら寝るんです。
大自然の中でたくましく生きる家族を描いた「北の国から」。
実は、倉本さん自身の体験がもとになったといいます。
北海道・富良野に単身移り住んだのは42歳のときでした。
しかし、待っていたのは水道もなく、沢から水をくんで使うという厳しい暮らし。
真冬となれば外は氷点下30度以下。
想像を超える、過酷な環境でした。
倉本さんは、次第に都会の人たちが知りえない人々の暮らしをそのまま表現したいと考えるようになったといいます。
田中邦衛さん演じる主人公の娘蛍を演じた中嶋朋子さんです。
山本⇒うそはだめ。
そうですね。
ドラマってもともとうそですから大うそはついていいんですよね。
でも、小うそは、ついてはいけないんですよ。
小さいところのうそね。
大きなうそで土台は、ついていますよね。
設定ということですね。
だけど?小さいところは絶対うそをついてはいけない。
それはやっぱりそこにこだわるというのはどういうわけですか?そうしないとリアリティーが出てこないですよね。
小うそをやたらについていると。
さっき中嶋さんがおっしゃっていたように、一輪車で石を運ぶときも本当の重い石をそのままのせて、運ばせる。
そうですね。
だから、みんなね苦労したんですよ。
例えば田中邦衛さんなんか一日じゅう、まき割りをする。
そうしたら、のこぎりでまず切るわけでしょう一生懸命切ってしまうわけね。
あんなに一生懸命切ったら一日続きませんよ。
のんびりとやらないと、一日の作業はだから持続力がどうやって出すかということが第1次産業というか、農村の生き方なんですね。
でも役者にやらせるとそこが大事だと思うから一生懸命やるでしょう。
それを違うよと言ったり。
生活するということなんですかね。
一生懸命やったら生活はできませんね、疲れて。
へとへとになって10分ぐらいでダウンしちゃいますよね、だれだってだから向こうの人は、のんびりしてますよね、まき割りにしても。
まきを外してまたやるそのリズムというのが、とてものんびりしたものですよ。
そこにリアリティーがあるんですね。
それが暮らすということだと。
そうでしょうね、たぶんね。
実際に暮らすと東京で考えるのとは違いますよね。
きょうも富良野から、おいでいただいたわけですけれどもそもそも「北の国から」私も旅行で訪ねましたけれどもあの場所を。
「北の国から」というのは何で生まれたんですか?何で生まれたかって言われても困るんですけれどもね。
僕はあっちに住んじゃったでしょう。
こういう暮らしがあるんだと思ってちょうど日本がバブルに向かっているときだったんですよ。
どんどんどんどん東京が、なんていうかせわしなく、にぎやかに豊かになったでしょう。
僕は戦時中の子どもだからこんなに何かぜいたくに豊かになっちゃうというのが続くわけがないというものすごく不安感に襲われたんですよね。
身の丈に合う暮らしができないかと思ってそれで富良野にたどりついた本当のもとなんですけどね。
それでそれをやっているとやっぱり知識というのが全然役に立たないんですよ。
知識が役に立たない?全然役に立たない。
知恵ですよね。
合原⇒知恵と知識は違うんですね。
全然違う。
大きな岩がうちに入る林道に顔を出していてほとんどのことを自分でやろうと思ったんですけれども、これが動かないんですよ、どうしても。
動かないですよね。
そこがどこまで入っているか分からないから、近所の農家の青年が訪ねてきて、あなたならどうすると聞いたら重機も何もないと言ったら剣先というスコップがありますよね。
先がとがったやつそれで周りから掘っていくんですよ。
それを丹念に掘って丸太を2本持ってきててこにして四方八方からやるんですよ。
一日3cmぐらい、動くんじゃないかと言うんですよ。
10日もあったら、1mぐらい動くでしょと言って。
やっぱり僕らも、諦めてしまうでしょう。
そうすると動かすというところから考え方を振るんです。
誰に頼むと早く安く動かしてもらえるのか。
彼は開拓民の、末えいだからやらなければいけない。
そういうものの考え方やっぱり知恵ですよね。
そうすると大学に入るのに2年も浪人して大化の改新サインコサインとかあんなものを役に立たない。
何のために学校に行ったんだろうと思って因数分解の簡単なものが税金のときに役に立つぐらいですよね。
今も4年間学校に行くのも意味がないと思うよね。
合原⇒話が戻りますが、身の丈に合った生活をと思って富良野に行かれたということですけれども、とても厳しい環境だったということで。
厳しいですよ。
東京に戻ろうとか別の場所にいこうとか思わなかったですか?全く思わなかったですね。
全く思わなかった。
行ったときから、すっとなじんだんですか。
なじみはしませんでしたけれどもね。
変な言い方をするとノイローゼになったんです。
最初の冬はうつ状態になったんです。
それでも。
なぜだか分からないけれども死のうということばかりしか考えていなかった。
そうなんですか。
どういうわけかね。
たぶんカルチャーショックだと思うんですよ。
山本⇒それだったら、また帰ろうかなと。
そうは思わなかった。
死んでしまおうと。
だから自殺して酒を飲んで、外のジープの中で眠れば当時、外は氷点下34度ぐらいですからね。
簡単に死ぬことができるでしょう。
合原⇒それから富良野に住み続けて、今でも住んでいらっしゃる倉本さんを引き止めているのは何ですか。
うつになった状態というのが病院に自分から駆け込んだんですよ、最後2週間くらい我慢して癖になって来年もなりますよとそのときに言われてでもならなかったんですよ。
つまり僕は、当時というか自然というかあの辺りの神様にテストをされたんだという気がする。
住んでいいのかどうかを。
本気で住むことができるかどうかそのテストに合格したんだと思う。
それから安定して性格も穏やかになるし。
そうですか。
そうそうそううそだという顔をしないで。
ちょっと何か表情が出ましたか。
出ましたよ。
どうやって乗り越えたのかもう大丈夫だと思ったのは覚えていますか?1年ぐらいたってやっぱり自分で体を動かしていろんなことをやっているうちですよね。
それから、自然の中でいちばん怖いのは闇です。
暗やみですね。
吹雪に巻き込まれたりいろんなことがあったけれども、やっぱり闇がいちばん怖いです。
3年目か4年目に夜中に耳が動くようになったんですよ。
動物って寝ていて耳をピコピコするでしょう。
あれと同じ状態。
耳が動くものだから目の奥の神経がたぶん引っ張られて目が覚めるんですよ。
そうすると、表をね窓の外をキツネがこそこそと動いている音が聞こえるわけね。
だから野生が戻ってきた。
すごくうれしいですけどね。
今も動きますか。
動きますよ、多少ね寝ていて意識しないで動いちゃうの朝を知る季節音を知るということですね。
うちは山腹なんです。
朝起きると真っ白い霧、それに包まれて森がシーンとして動かないで本当にここからすぐそばでも見えなくなるときがあるんだけれども2種類あるんですよ。
白くなる現象が。
1つは山の斜面だから雲がおりてきて、雲の中に入ってるときがある。
もう1つは空知川というところからけあらしというのがあるんです。
それは最初はね。
区別がつかなかったんだけれどもその区別がつくようになった。
においなんですよ。
山からの雲は動物的なにおいがするんです。
でも川から出てくるにおいというのは動物の腐臭なんです。
合原⇒倉本さんはどうして富良野に移り住むことになったのか見ていきます。
倉本聰さんは東京出身。
5人きょうだいの次男として生まれました。
6歳のとき太平洋戦争が始まります。
親元を離れて、山形へ学童疎開。
疎開先でも、厳しい食糧不足に悩まされました。
いつも心待ちにしていたのは実家から送られてくる胃腸薬。
薬の周りを糖分で覆った糖衣錠がごちそうだったのです。
戦後、大学に進み没頭したのは、演劇でした。
劇団に入り脚本も手がけるようになります。
二十歳のときにはラジオドラマを書き脚本家として活動を始めます。
大学卒業後は、ラジオ局に入社。
ディレクターとして働きます。
脚本や劇団の仕事と掛け持ちでしたが、もちろん会社にはないしょでした。
毎日睡眠は僅か2時間。
心身ともに疲れ果てた倉本さんはついに入社4年目に退社。
脚本活動に専念します。
その実力は高く評価されなんと38歳の若さで大河ドラマの脚本を担当。
ところが制作に対する姿勢の違いから倉本さんはスタッフと衝突。
途中降板を余儀なくされたのです。
そして1人、向かったのが北海道でした。
山本⇒今から40年前のことです。
聞いたところによるとNHK放送センター、このスタジオがあるところですがその西口玄関から羽田空港に直行そして北海道へと。
僕は覚えていないんですよ。
記憶がとんでいるんです。
だけど、本当にここは嫌なんだよ。
NHKが嫌?NHKの、この建物が嫌いここでね組合に囲まれてつるし上げを食らって途中まで覚えているんだけど涙が出かけてきたのでサングラスをかけてごまかしてその途中から何で西口を出て羽田に行ったのかなんで札幌行きの飛行機だったのかほとんど覚えていないんです。
気が付いたら千歳空港にいって札幌の友達に電話してどこか泊まるところを探してくれって、それで札幌の生活が始まったんです。
よく北海道に行っていたからというわけではないんですか?時々、北海道の放送のドラマを書いていましたけれどね好きは好きでした。
やっぱりね人に言われたんだけど負けたわけでしょ?NHKという大きなものに。
逃げるときっていうのは北に逃げるんだって敗北って言うでしょってその字のままですよね。
そういう感じでしたよ。
西口からチケットを自分でお買いになったんでしょうけれど記憶はほとんどない?自分でお買いになったんですね?そうそう。
それで羽田っていったらしいんですよね。
40年前ですけれどそのときのことを今でも思い出すことありますか。
ありますよ、だから思い出したくないんですよ。
だからデング熱がこのそばではやったときに、それ見たことかと。
あんまりこの話は聞かないほうがいいですね。
でもそれが1つの転機になったということですね。
でもねあれのおかげで僕は富良野に行けたしこれは、神様が、いいほうへ動かしてくれたんだなという気になりましたよ。
本当ですか。
ほんとほんとNHK様のおかげでございます、今があるのは。
かなり皮肉を交えていますけれどね。
あれがなかったら、何していたんですかね、今東京にいてつまらない人生だったでしょうね。
でも脚本家といえば東京にいたほうが都合がいいじゃないですか。
向田邦子さんに忠告されましたよ、やめなさいって仕事は東京からしかこないんだからって。
若気のいたりで、そんなことをやったら書けなくなっちゃうと。
向田のお姉様に諭されましたよ。
そのころ出会ったのがなんとあの北島三郎さんなんですよね。
北島さんの付き人をされていたということで今回、当時の話を北島さんに伺ってきました。
これは僕は勉強になったというか衝撃でしたよ。
なぜ北島三郎さんの付き人なんですか。
それはね。
僕の書いた北海道放送のドラマがあって、それに北島のさぶちゃんが出たんですよ。
でも北島さん、ものすごく忙しくて、しかも吹雪に巻き込まれてなかなか来れなかったんです。
小樽でロケをしていてさぶちゃんが来ない間、僕はスタンド要員をやったんです。
僕がさぶちゃんの衣装を着て本当にさぶちゃんだとお客さん思って。
いっちゃっていいんですか。
新聞に褒められたんだから北島三郎の後ろ姿に男の哀愁がにじんでいたと。
ところがそれは倉本さんなんですね。
そう。
ちゃんとビデオが残っている。
相当なことをされていますね。
とにかくさぶちゃんについたときに北海道の人たちが漁師さんとかいろんな人が2000人から3000人まあ冬の、すごい寒いところだったんだけど帰らないんですよ。
北島さんがきたときに大歓声で田中絹代さんや笠智衆さん、桃井かおりさん室田日出男さんなんかいたんだけれど見向きもしないの、皆さんこの人気は何なんだろうと思って北洋漁業に出る漁師さんがね。
船に乗せていくつまり北海の海にたえる音楽は北島三郎さんか都はるみさんだって聞いたんだよね。
それで付き人をさせてくださいでも僕は、4番目の付き人ですからね。
南部せんべいに蜂蜜をつけて差し出す役でした。
で、ずっと見ていたんです。
観客とかけ合うんですね。
これがねなんともすごいの差別をしないわけ。
どんな人もちょっと寅さんなんだよ。
テキ屋の口調なんだけれどね。
すごいですよ。
目線が、完全に下だなって僕が描いていたドラマなんかはどこかで玄人に褒められたいプロデューサーにいいって言われたいとか役者とかだけどさぶちゃんは、目線が下だということに気が付いたんです。
それでだめだと思ってそれが富良野に行くきっかけでもあったんですよ。
富良野に行くと書くときに隣の農家のいとうさんやわたなべさんが8時9時まで働いてね。
うちに帰って風呂に入ってビールを飲みながら俺のテレビを見てくれるんだろうかってリアルに考えていた。
倉本さんの中で、大きな変化があったわけですね。
すごいありましたね。
倉本さんはその後も新たなことに挑み続けています。
倉本さんが今、取り組んでいる富良野自然塾です。
自然の恵みを次の世代に残したい。
地球環境について広く理解してもらうためのプロジェクトを8年前に立ち上げました。
活動は富良野だけでなく東京、九州など、全国各地に広がりつつあります。
倉本さんの思いに共感しともに活動する、竹下景子さん。
そこで見る倉本さんは?そして今、年明けから始まる公演に向けて準備を進めているのがこの舞台です。
3月15日。
第一原発から半径20kmから30km圏内。
東日本大震災で甚大な被害を受けた福島。
その記憶を風化させてはならないと書いた作品です。
脚本は、まだ完成していません。
ぎりぎりまで手直しを続けています。
福島の経験を風化させてはいけないということですけれど、どういう思いなんですか?3.11から何度も福島に通っているんですけれどもね。
本当に…時間軸的にも空間軸的にもどんどん離れていくし、忘れちゃってると思うんですよでもね福島の地方の新聞は2つあるんですけどねその一面の記事を見ると中央の新聞の一面と全然違いますよ。
常に、要するに原発事故の後遺症の話ですよ、後遺症というか、今どうするかっていう。
その影響をどう捉えるか。
またその最中にいるわけですよ。
それを例えば福島の電気というのは、福島の人たちは使っていないんですよ福島の電気はほとんどを東京とか関東にきているでしょう恩恵を受けた人たちがこんなに早く忘れてしまってはまずいと思うしましてもっと西の人はどんどん遠くなっちゃうんですよね。
だからねあの事故の直後に東京の人だってみんな停電して歩いて帰ったわけでしょ?うちまで絆だって言ってね。
でも絆も何もへったくれもないですよね。
彼らにも起こっているのは絆がぶち切れている状態、この間、僕も第一原発の近くに入ってきたけれど前に行ったときに比べるとね第一原発の敷地は広いんだけど森がどんどんなくなっている。
そこに、汚水タンクがどんどんたっちゃってるからね。
切った桜はただ捨てられないんですよね、汚染しているからそういう状況の中で双葉町に中間処理場ができたでしょう、貯蔵場棄民されちゃうんですよ、福島、よくカタカナで書くじゃない。
あれはやめてほしいって言われました。
皆さん嫌がりますよね。
そういう思いで今舞台に向かわれているんですけれど倉本さん、いろんなドラマをつくって見ましたけれど人を描くここを大事にしているということは何ですか。
人っていうのはドラマを1本の木に例えればね根っこなんですよ。
そこがしっかりしないときは立たないんです。
木は根っこによって立つされど根っこは人の目に触れずということを教えているんだけれど人を徹底的に描いていくドラマって厚みが出てくるし自然にいろんなドラマが出てきますよね。
根っこって何でしょう?根っこっていうのはその人の育ち方というのかな例えば、どんぐりがあるでしょ?どんぐりはいきなり芽を出すだけじゃない、根っこを出すんです。
それで養分吸収して初めて根を出すんです。
根っこから始まってるんですよ。
少年期にどういう育ち方をしたのかとかそういうことを1人ずつ考えていくとものすごく大事なんですね。
それがドラマの中に出てくるということですね。
テレビドラマ、またお書きにならないですか。
ならないつもりです。
変な言い方だけれどなんかもう、嫌ですね。
はっきり言って嫌になっちゃったんですね。
書ききったということですか。
そんなことない。
書ききっては全然ないと思う。
放送は時間に限りがあるので申し訳ないです。
何ですか?この辺りで。
終わりね。
ここは生放送です。
ありがとうございます。
「人生ドラマチック」倉本聰さんでした。
ドラマチックな終わり方ですね。
小学生が引き抜いたのは極太ごぼう。
石川県の七尾市で採れる絶品です。
しかし、その収穫は一筋縄ではいきません。
「行ってみたい!」今回は、太くて長い伝統のごぼうを味わい尽くします。
山本⇒縄でごぼうです。
合原⇒金沢放送局の早坂アナウンサーです。
早坂⇒こちらです。
お芋みたい。
そうなんです、この太さ。
石川県の七尾市で採れる、沢野ごぼうというごぼうなんです。
これが、ごぼうですか。
大きさだけでなく、香り豊かで味のいいごぼうなんです。
山本⇒土のにおいがするね。
こちらは非常に生産量が少なくて地元でも、なかなか出回らない幻のごぼうと言われているんです。
今が収穫の最盛期。
全身で味わってきました。
能登半島の中ほどにある七尾市です。
山あいにある沢野地区では古くから傾斜地を利用してごぼう栽培が行われてきました。
江戸時代から続く伝統野菜沢野ごぼう。
幕府にも献上されていた逸品です。
太さは3cm長さは70cmほどあります。
肉質は、軟らかく風味豊かなのが特長です。
こんにちは。
あ、こんにちは。
このごぼう、収穫のしかたがちょっと変わっていると聞いて訪ねました。
ごぼう一筋60年前田さんご夫妻です。
まずは、ごぼうの横に深さ1mほどの穴を掘っていきます。
地上からでは絶対に抜けません。
これが、かなりの重労働。
思うように進みません。
粘土質の土は養分を蓄えやすいためごぼうを、太くたくましく成長させるといいます。
合原⇒これが土なんですよね。
逃げにぎっていくと粘土になっていきます。
そして、穴を掘ったあと断面を慎重に掘っていくとようやくごぼうが見えてきました。
最後の仕上げに取り出したのは腰縄と言われるものです。
これを、ごぼうと自分の腰に結びつけます。
初心者はこうすることで、体の力を使ってまっすぐ引き抜くことができるんです。
ん、これ抜きやすい。
抜けた、抜けた、抜けた。
いやあ、立派なのが採れました。
いいほうやね。
合原⇒全然量が違う沢野ごぼうの地元ならではの食べ方を前田さんに教えてもらいました。
ぶつ切りにしたごぼうをみそでじっくり炊き上げた七日炊きです。
かつて、いろりの上に鍋をつるし7日ほどかけて作っていたことからこの名前がついたそうです。
いただきます。
はい、どうぞ。
あ、軟らかい。
食感がいいですよ。
ちょっとしゃきしゃきが残っている感じで。
そして取れたてを手軽に味わうならこちら。
水洗いしただけのごぼうをアルミホイルで巻いて焼きます。
棒でたたいて細かくしてしょうゆをつければたたきごぼうの完成です。
香りがすごい強い。
んん、おいしい。
洗っただけで全然土の嫌な感じが全くないですよ。
沢野ごぼうの魅力をもっと引き出したいと七尾市ではさまざまなメニューが生み出されています。
よろしくお願いします。
こちら、和菓子屋さんです。
砂糖で煮た沢野ごぼうをあんに混ぜます。
こちらが、ごぼうのあんです。
軟らかくほどよい食感の沢野ごぼうスイーツの食材にもなるんです。
完成品がこちら秋の山。
中にごぼうのあんが入っています。
ごぼうの収穫に沸く沢野の里山を表しています。
ごぼうの風味がしっかりあるんですけど甘いものと合いますね。
この沢野ごぼう。
高齢化などで農家が減り続ける中伝統を守ろうという取り組みが行われています。
地元の小学生向けのごぼう掘り教室です。
山本⇒ぱきって、折れた音がしたね。
前田さんたち農家は毎年、5年生の授業の講師を務めています。
せーの!だめか。
穴を掘らないとなかなか抜けないんですよ。
自分で掘って、食べて。
地元で採れる野菜に誇りを持ってほしい。
前田さんたちの願いです。
地元の人の思いと豊かな土が育む沢野ごぼう。
里山の恵みを味わい尽くした旅でした。
山本⇒見た目とはまた違って軟らかいとか。
そうなんですよ。
合原⇒いろんな使い方ができるんですね。
癖がないので加工品にぴったりなんです。
こちらには加工品も用意しました。
パウンドケーキとごぼうリキュールです。
パウンドケーキは沢野ごぼうを軟らかく煮たものを生地に混ぜ込んでいます。
薄いのが沢野ごぼうで濃い色はレーズンです。
そしてリキュールです。
能登の地酒、日本酒に沢野ごぼうを漬け込んでいます。
糖分を加えて甘くしているものなんですね。
合原⇒私はパウンドケーキをいただきます。
山本⇒リキュールはごぼうの香りがします。
やはり日本酒ですよね。
合原⇒どうですか?山本⇒飲んだ感じ、ごぼうの香りが広がるんですね。
一瞬、何か焼酎のようなんですけれどもでも日本酒なんですよね。
土の嫌な感じはないですよね。
合原⇒パウンドケーキごぼうの香りがします。
甘いものと合いますよ。
特別な品種ですか?ほかの産地でも作られている、一般的なものです。
ここで、番組のお知らせです。
東京・六本木。
昭和35年に伝説のイタリアンレストランがオープンしました。
世界の芸術家や文化人が集う店の中心にいたのがオーナー夫人・川添梶子。
彼女が六本木の街に与えた輝きとは?BSプレミアム、今夜10時です。
そして本日のゲスト、倉本さんにお便りが届いています。
ご紹介します。
「北の国から」の大ファンです。
今の時代にこそ、このドラマをもう一度見たいです。
ものであふれ返った現代の子どもたちに感動を与えてくださいということです。
そしてもう1つ「北の国から」、息子が小学生のころから毎週楽しみに見ていました。
そして中学、高校、大学と進み再放送のたびに見ました。
2人の息子は結婚し、子どもができ、その子どもたちとまた見ていました。
倉本作品、大好きということです。
そして質問もきています。
倉本さん、若者に言っておきたいことがあれば教えてください。
倉本⇒もう時間がないですよね。
先ほど途切れてすみません。
難しいですよねこのような質問は。
ただ僕が親に小さいころ言われて残っているなと思うのはひきょうなふるまいはするな、ということを言われたのが残っていますね。
でも、ひきょうというのはやっぱりずっと考えていると今ひきょうなやつが増えたなと思う。
だから役に立ったんじゃないかなという気がします。
自分の信念を貫くということですか?ひきょうというのはちょっと違いますよね。
それは難しいんだけれども、僕らの時代にはそのことばを理由にして戦争に行かされたんですよ。
ひきょう者になるなと言われてそれはあったんだけれどもただひきょうなふるまいをするなというのは男の生き方としては美学として残っていますね。
じゃんけんでもしますか残り時間。
また来てください。
2014/10/22(水) 16:55〜18:00
NHK総合1・神戸
ゆうどき ▽脚本家・倉本聰さんに「北の国から」執筆の裏側を聞く。[字]

脚本家・倉本聰さんをスタジオに招き、ドラマ「北の国から」執筆の裏側や現在の活動について話を聞く。旅コーナーは、石川県七尾市で絶品の極太ごぼうを味わう。

詳細情報
番組内容
【キャスター】山本哲也,合原明子 <中断>5:00−5:10 [字]ニュース
出演者
【キャスター】山本哲也,合原明子

ジャンル :
ニュース/報道 – 定時・総合
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
情報/ワイドショー – グルメ・料理

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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