登山客でにぎわう穏やかだった山が突然牙をむきました
・ヤバい・・こう何かここらの下…・・どうする?この陰にいたほうがいい?・・ヤバいねこれ・・下がる?もっと・
長野と岐阜にまたがる御嶽山が噴火
・避難小屋ってどこにある?・・避難小屋どこ?・・避難小屋まで行こう…・・避難小屋行こうみんな…・・移動しましょう・・移動しましょう・・いいよゆっくりで…・・あ〜ダメだ間に合わないね・・間に合わん・・うわっうわっ…・
火山灰に混じって飛んで来る噴石
戦後最悪の火山災害となりました
御嶽山が噴火した後も活火山に登る人は後を絶ちません
うわ〜すごい。
真っ黄っ黄ぃよ。
すごい黄色。
日本全国に活火山は110あります
(読み取り音)・OK・御嶽山登ろうと思ってたんですけどもちょっと登れなくなったんで。
活火山好きなんでまぁ代わりにというかそんな感じで登りました。
活火山に登る
噴火の危険とどう向き合うのか
御嶽山では9月27日11時52分頃に火砕流を伴う噴火が発生しました。
噴煙の高さは7000mに達しました
山腹にいくつも開いた火口から大きな噴石が次々に舞い上がっています
こんなのが飛んで来るんで。
(スタッフ)直径何cm…?頭ぐらいの石が。
あれが結構危険でしたね。
(スタッフ)かなりの数?数もですし飛んで来る時音がするんですよ。
ヒュ〜ンとすごいスピードで。
頭から血流してる人が…。
(リポーター)何人ぐらい?僕が見たのは2人です。
雷がパパパ〜ンってあちこちで…その後ねひょうというのかあられみたい…。
ババババ…と体打ち付けて来て。
それでだんだんだんだん僕の背中には熱風がねブワ〜と熱い風が来て次来たらもう背中が焼け死ぬわとジ〜っとこういう感じで。
この男性逃げ込んだ山小屋で撮影していました
夜になってケガ人が麓の病院へ次々に運ばれて来ました
(リポーター)7時15分です自衛隊の大型ヘリが今ヘリポートに到着します。
本格化する救出活動
警察消防そして自衛隊
1000人態勢での捜索が続きます
山頂付近は想像を絶する状況でした
噴石が当たり大きく割れた小屋の窓
壁には飛んで来た石が刺さったままです
・硬いですから大丈夫です・
(消防隊員)ちょっとこっち振ったら右行きます。
亡くなった人の多くは噴石が当たったことによる損傷死でした
地元サッカーチームのファンだった…
夫が身に着けていた遺品です
(女性)山雅の…山雅の帽子こんなになっちゃった。
こんなに土が付いていますね。
(女性)あと下着とか手袋とか…。
何かもう少し体を守ってくれるものが登山の服にあれば…。
服は穴だらけでした
(リポーター)これは何で破れちゃった…?
(女性)この時間に亡くなったんでしょう。
私は携帯電話にしょっちゅう電話してたんですけどももし倒れて埋もれてるようなことがあれば電話が鳴ればねすぐに掘ってもらえるんじゃないか…と思ってたんですけど。
電話は鳴らなかったですね。
壊れてました。
カメラも壊れていました
けれど写真は50枚以上残っていました
たどった登山道は妻と一緒に登るはずでした
そして…
「いつか噴火が落ち着いたら夫と同じ道で御嶽山に登りたい」と話してくれました
御嶽山の長野県側
山に抱かれるように裾野に広がる王滝村です
人口865人の小さな村
噴火に伴う救出活動でのどかな風景は一変しました
村の中心から御嶽山へと向かう途中に創業100年の老舗旅館があります
ここに泊まって翌朝御嶽山に登ります
主人の家高弘文さんは4代目
噴火の前日に泊まって御嶽山に行く人はいませんでしたが噴火当日は翌朝登る客の予約が入っていました
(家高さん)御嶽山と共にやっぱしその時代をつくって来た…っていうか生きて来てますので地元の人に言わせるとおんたけさままたは「御山御山」って言ってますので切っても切れない御嶽山でございます。
御嶽山は古くから山岳信仰の対象とされて来ました
信者は夏と冬の2回訪れ特に7月下旬から8月上旬の夏参りでは白装束で山頂を目指します
御嶽山は車で7合目まで行ける他1989年にはロープウエーも開通
標高3000mを超える山としては比較的登りやすく日帰り登山ができることでも人気がありました
旅館の主人家高さんは噴火の二十日前の9月7日山頂に登っていました
その時は全然感じなかったですね。
僕ら実際その7日の日に上がっててですねちょうど今の噴火した火口から200〜300mぐらいのとこでイベントやったんですけど全然その前兆みたいなものはなかったです。
その3日後から火山性地震が増えましたが噴火警戒レベルはそのままでした
新聞とテレビとあったのかな。
ちょっと10日11日あたりは増えてると。
それからまた少し落ち着きましたのでね別にお客さんに対してはですねそういうことはお知らせはしておりません。
御嶽山は1979年に長い沈黙を破り噴火しました
もう噴火しない死火山と思われていた山の突然の変貌
以来1991年2007年と火山性地震に続いて小規模な水蒸気噴火が起きました
今回の火山性地震は噴火の前兆とはいえなかったのでしょうか
2007年の噴火は火口周辺に200mぐらいの範囲にわたって火山灰を降らすような非常に小規模な噴火だったということもあってその時のその観測データの変化の程度に比べて今回の観測データの変化というのは非常に小さいものだというふうに見ておりました。
今回の噴火では火山性地震はあったもののマグマが動くことによる山の膨らみなどは観測されず御嶽山の警戒レベルは1「平常」のままでした
仮にレベル2に引き上げられると火口周辺の登山道に規制がかかります
山頂付近犠牲者が多く見つかった場所を赤く示します
もし黄色いレベル2の規制がかかっていれば赤い部分にほとんど入ることはできません
一般的な話として火山性地震が増えたといっても噴火しない例が非常に多くあります。
火山性地震の多い少ないだけでレベルの上げ下げを判断する…というようなことだとホントに地下で何が起こっているのかということを見誤るかもしれないなというふうに考えます。
気象庁が24時間監視している活火山は全国で47
噴煙が立ち上る御嶽山から北におよそ40kmにもう一つの活火山がありました
全国有数の景勝地長野県松本市の上高地
この上高地から4時間半で登ることができる活火山が長野と岐阜にまたがる標高2455mの焼岳です
御嶽山の噴火から2週間後の今月11日も多くの登山客が登っていました
焼岳は御嶽山の北40kmにある活火山
御嶽山と同じように今年5月に地震活動がありましたが噴火はせず現在は観測データに異常がないレベル1「平常」のままです
・ここが一番黄色いですね・あっそう。
じゃあちょっと見て行こうちょっとこの辺置いといて。
・卵持って来た?・卵持って来ない。
登山道から10mほど入ると…
・熱いの?・・ここね・うわ〜すごい。
・やけどするぐらい熱いんだ・真っ黄っ黄ぃよ。
すごい黄色。
・あぁホントだ・
登山客は自然の力を感じそして北アルプスの眺望という2つの魅力を堪能します
焼岳の山頂からおよそ1.5km
登山道で唯一の小屋焼岳小屋があります
小屋には御嶽山噴火後に松本市からヘルメットとマスクが配備されました
今回みたいなとっさの時にヘルメットかぶった人いるんですかね?やっぱり。
持ってない人のほうが多いんですかねやっぱ…。
(青木さん)御嶽山はやっぱり少ないでしょうね。
少ないでしょうね。
小屋を任されて12年の青木進二さん
・2名来てるんであと12名・
(青木さん)12名。
宿泊予約は噴火の影響で半分以下に減りました
やっぱりこういう活火山でいつ噴火するか分からないと。
まぁ今年ぐらい噴火するんじゃないかと毎年言われてますんでね皆さんに脅かされてますけど。
やっぱりそういった場合にここに小屋があるとお客様…。
…としての重要な役割を果たせるかと思うんで。
やっぱりここにあることは絶対必要かと思いますね。
焼岳は明治から大正の活動期の後1962年にも水蒸気噴火を起こします
今より火口に近かった当時の焼岳小屋も火山灰に埋もれ2人がケガをしました
焼岳の噴火対策は長野県と岐阜県でつくる協議会で進められています
今年7月には12年ぶりに新たな防災マップを作成しました
気象庁の噴火警戒レベルを反映させています
新たな防災マップでは想定される火口の範囲を広く取り噴火警戒レベルが2に上がると焼岳への登山道は全て通れなくなります
協議会に出席する火山の専門家は焼岳の危険性を指摘します
(三宅教授)いや〜あり得る話です。
マグマが動いてマグマ噴火になるならば予知の手段はあるんですけどね。
それなりに地震計が置いてありまして。
マグマが動かないで水蒸気爆発に至った場合ですね今回の御嶽と似たような…そうするとその手段ではなかなか噴火の予知ってのは難しいですね。
噴火予知の限界
身を守る備えを持つ活火山がありました
御嶽山の噴火から2週間捜索は続いていました
山頂付近の火山灰は雨でぬかるみに変わり隊員の行く手を阻みます
冬を前に10月16日で年内の捜索を終了
再開は来年の春以降です
長野県と群馬県にまたがる活火山浅間山
この10年で2度噴火
登山道の入り口には火山への注意を促す大きな看板があります
今月11日浅間山にも多くの登山者が訪れていました
(読み取り音)・OK・
ここでは登山口で登録すると火山情報をメールで配信してくれる独自のシステムを4年前から始めています
御嶽山登ろうと思ってたんですけどもちょっと登れなくなったんで。
活火山好きなんでまぁ代わりにというかそんな感じで登りました。
やっぱり自然の魅力を一番感じれるのは活火山かなと思って。
まぁ阿蘇とかも登ってますし焼岳も登ってますし結構好きで今後も登って行きたいなとは思ってます。
浅間山のもう一つの防災対策が火口から500mの場所にありました
噴石から身を守るシェルターです
この覆いの中には80人ほどが避難できます
もうホント活火山に登る人は半ば自己責任…全部自己責任なんで。
半ばそのへんは諦めて登らないと割り切って登らないとやっぱりそのへんはダメでしょうね。
御嶽山の噴火はいつまで続くのか…
麓の旅館の家高さん
これまでのキャンセルは延べ300人以上です
戦後最悪の火山災害
御嶽山は活火山の現実を突き付けました
まぁこの地元に暮らしてる私どもにとってですね何か御嶽山機嫌を悪くしてるのかな?御山が怒ってるのかな?
全国でシェルターの設置や登山者への火山情報の伝え方など見直しが始まります
噴火が収まった時御嶽山はどんな姿で再び登山客を迎えるのでしょうか
命をつなぐはずの119番
助けを求める声は届かなかった
残された通報記録が問い掛ける救急の今
2014/10/20(月) 00:50〜01:20
読売テレビ1
NNNドキュメント「活火山 御嶽噴火 被害軽減の教訓」[字]
「登りやすい山」「信仰の山」として親しまれてきた御嶽山の噴火。火山災害として戦後最悪、犠牲者50人以上を出す大惨事だ。火山防災の現状を紐解き被害軽減の道を探る。
詳細情報
番組内容
山が牙をむいた。長野と岐阜にまたがる木曽・御嶽山。火山災害としては戦後最悪、犠牲者50人以上を出す大惨事となった。御嶽山は1979年に突然噴火し、静かな山が生きている=活火山だったことを知らしめた。活火山を抱える地元は、その多くが観光地。火山自体が貴重な観光資源だ。「登りやすい山」「信仰の山」として多くの人が登ってきた身近な火山が御嶽山だ。火山防災の現状を紐解きながら、今後の被害軽減の道を探る。
出演者
【ナレーター】
杉山裕子
制作
テレビ信州
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
ステレオ
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32725(0x7FD5)
TransportStreamID:32725(0x7FD5)
ServiceID:2088(0x0828)
EventID:42683(0xA6BB)