普天間基地の移設問題が浮上してから5回目となる沖縄県知事選挙が行われました
「世界一危険な基地」といわれているアメリカ軍普天間基地
その返還と引き換えに同じ沖縄県名護市辺野古沖への移設計画が浮上したのは今から17年前1997年のことでした
突然移設先として名前が挙がった地元の名護市では住民達が市役所を取り囲みました
当時私達のカメラは1人の赤ちゃんの姿を映していました
この時生後6か月
基地問題とともに歩み始めた家族
(渡具知武清さん)そうだな…無駄なお金だよな。
はいはいどうも。
(渡具知武龍くん)飛んだ飛んだ!
(武龍くん)飛行機飛んだ!
2002年には双子の姉妹和紀と和奏が誕生
ふるさとの海を守るために家族5人で力を合わせて来ました
しかし何年経っても辺野古への移設計画に終止符が打たれることはありませんでした
・新基地建設反対しましょう・
(渡具知和奏さん)辺野古の海を守りましょう!
(武龍君)守りましょう!
いちるの望みと大きな不安を抱いて暮らして来た沖縄の家族の17年です
名護市の東側に位置する大浦湾
絶滅危惧種のジュゴンが生息する美しい海美ら海です
その沿岸にはアメリカ軍基地キャンプ・シュワブがあります
辺野古と呼ばれるこの地域は去年普天間基地の移設先として新たに埋め立てが承認された場所です
この土地で生まれ育った…
地元で測量の仕事を請け負っています
現在息子の武龍は17歳
高校2年生になりました
「ふるさとの海を守ろう」と訴えてからもう17年が経ちました
基地移設に反対して来た歴史と息子の成長がそのまま重なります
(武清さん)これあそこの公園ですね。
あの…ニシザキ公園ですね。
武龍が生まれた1997年
それは辺野古への基地移設計画が持ち上がった年でした
・私達は名護市の犠牲になるのは嫌だ・
経済の活性化に期待を寄せる容認派と環境保護などを訴える反対派で地域は二分されます
母智佳子さんは生後6か月の武龍を抱いて反対運動に参加することにしました
(渡具知智佳子さんの声)結局この子が大きくなって被害を受けるのはこの子達であって何を言われようとうん…この子達の未来なんだからこの子達に見せる私達は義務があると思ったんで…。
ずっと連れ歩いてました。
名護市では移設受け入れの是非を問う住民投票が行われました
沖縄県民をはじめ…。
結果は反対派の勝利
心から厚く感謝の意を申し上げます。
ところが当時の市長が投票結果を無視する形で移設受け入れの方針を政府に伝え4日後に辞職しました
勝てば造られないとすごくみんなそう思ってたので。
私達も含めてみんなが100%思ってたので。
だからこう集中してもう仕事をそっちのけでみんなやってたし。
こんなみんなで決めたことを守らないとは思わなかったんですよ。
ホント。
(智佳子さん)ホントにねぇ。
信用してるというかね。
そう。
その後も基地の反対運動を続けた渡具知さん
すると測量の仕事に影響が出るようになったのです
地元の土木業者の多くは基地の受け入れを容認することで仕事が増えることに期待をかけていました
自分の仕事は技術職だからまぁ何とか食って行けるんじゃないかと思ってたんだけどやっぱりもう干されてしまって。
先行きが見えない生活の中で希望となったのは双子の姉妹和紀と和奏の誕生でした
(和奏ちゃん)お母さ〜ん!
(智佳子さん)・は〜い!・体操着!体操着!
その後2度の県知事選挙が行われ小学校2年生になった和紀と和奏
名前は基地のない平和な世の中に生きてほしいそんな願いから付けられました
(渡具知和紀ちゃん)これ何て言うの?「県内」。
「県内移設」だっけ?うん。
家族みんなペンキだらけになって作った看板
海の近くで暮らして来た渡具知家
いつも変わらないのがふるさとへの思いです
♪〜辺野古の海を守りましょう♪〜大浦湾の海を守りましょうこの子達の海じゃないですか将来。
この子達の子供の海…子供達の海じゃないですか。
だからこの海のことなんだから子供も巻き込んでいいと私は思ってるので…。
でいろんなこと感じてほしいと思うのでそういうところから。
武龍は小学6年生になった頃から基地問題について自分の考えを持つようになりました
地元の新聞に掲載された作文
初めて基地問題と父親について書きました
「『ピースキャンドル』名護市立九志小6年渡具知武龍。
『よし今日もやるぞ』。
ぼくの家族は毎週土曜日の夕方手作りのキャンドルを持ってキャンプ・シュワブ前を通る車に手を振っている。
キャンドルを始めた頃いつも行くのを嫌がるぼくにある日父さんがこう言った」。
(武龍くんの声)「『今基地が出来れば静かな時間はなくなり毎日のように戦闘機の離着陸でうるさい日々を送ることになる。
そうなるとお前も嫌だろう?だからずっと続けて来たんだ』」。
(武龍くんの声)「ぼくは今日もキャンプ・シュワブ前に立っている。
基地はいらないと思いながら道行く車に手を振っている」。
(和奏ちゃん)大浦湾の海を守りましょう!みんなでみんなで守りましょう!
(スタッフ)お父さんとお母さんが何を守ってるのか…。
え〜っと…。
(和奏ちゃん)えっとねぇ。
僕達の未来ですかね。
(和奏ちゃん)僕達の未来を守ってるんだよ。
(武清さん)うんそうですよ…。
何言うかなと思ったけどね当たってるよホント。
うん当たってる。
対岸に見える建物が辺野古のキャンプ・シュワブです
周辺の海を埋め立てて新しい基地が建設される計画になっています
子供達の未来までもが埋め立てられてしまうのでしょうか
反対運動を始めてから12年
ようやく基地問題に解決の光が見え始めました
一番いいのは海外に移設されることが移転されることが望ましいと思っておりますが…。
…が期待をされると。
民主党政権に変わり鳩山総理は普天間基地の移設先として「最低でも県外」と公約したのです
今ちょうど政権も代わってるさねチャンスじゃないかなと思うんだよね。
少しはもうホント期待してますよ。
いや〜少しじゃないね。
やっぱもう十分ね期待してるよね和奏ね。
え?「え?」じゃないよ。
何のこと?
数日後基地移設に反対する県民大会の会場に家族の姿がありました
集まった沖縄県民はおよそ2万人
(拍手)
壇上に上がったのは…
僕が生まれた1997年に名護市で市民投票が行われて「基地は造らない」という投票数が勝ったと聞いています。
あれから12年が経ち僕は今年12歳になりました。
「基地は造らない」と決めて12年も経つのになぜ今も沖縄に基地を造ることになっているのですか?大人になると約束したことを守らなくてもいいのですか?
(拍手)鳩山総理「基地は造らない」はとても大切な約束です。
約束は必ず守ってください。
(拍手)
(武龍くん)僕達の大切な海をそして僕達の未来を壊さないでください。
どうぞよろしくお願いします。
(拍手)
(拍手)
「最低でも県外への移設」と公約していた鳩山総理
ところが一転「引き続き負担をお願いしたい」とこの地元へやって来たのです
約束を守れ〜!鳩山総理約束守れ〜!
鳩山総理と名護市長の会談をガラス越しに住民達が取り囲む前代未聞の状況
そして総理の緊急会見
武清さんからは落胆のため息が聞こえて来ました
あ〜あ。
(鳩山総理)国外県外は困難との結論に至ってからは沖縄県内の辺野古周辺という選択肢を検討せざるを得ませんでした。
自分が何か情けなくなって来たホント俺…。
(鳩山総理)それ以上に沖縄の皆様方を結果的に傷つけてしまうことになったことに対して心よりお詫びを申し上げます。
沖縄本島の…。
分からんなぁ。
また振り出しへ
反対運動を始めて13年が経とうとしていました
辺野古の住民の中には基地移設の容認か反対かこの17年間揺れ動いて来た人もいます
キャンプ・シュワブの目の前でスーパーを営む…
オッケー。
かつて大勢のアメリカ兵を相手にしていた辺野古の飲食店は1975年にベトナム戦争が終わると軒並み閉店に追い込まれました
それ以降ずっと街の灯は消えたままです
Tasty?ディスストロング。
客の7割がアメリカ軍の関係者
新たな基地で売り上げのアップも見込めます
許田さんは地域経済の活性化にかけ17年前の住民投票では移設容認の立場でした
しかし4年前一転して反対派に
きっかけは孫の誕生でした
(許田さん)やっぱり40歳代の頃とね今現在まぁ50歳になり60歳になりね…。
子育てでがむしゃらに頑張ってた40歳代とは違ってね子供が卒業しね社会に出てまた孫ができてね。
そしてその時点で考えることはやっぱり…。
経済の活性化よりも孫が安心して暮らせる環境にしたい
移設反対へと背中を押したのは民主党への政権交代でした
地域がいくら反対してもねもう国と国の合意だからもう地域がどう反対しようとも基地は来るんだという諦めみたいなのがあったわけですよ。
だけど何か自民党に取って代わり民主党の政権に流れが全国的に変わりましたよね。
この状況はひょっとしたら変わるんじゃないかなと思ってね。
我々もやっぱり民主党に1票投票しましたよ。
まぁ家族全てね。
ところが再び政権は自民党へ
去年の暮れには4年前の選挙で県外移設を公約していた仲井眞知事が考えを翻したのです
描いた夢がまた破れ政治に翻弄され許田さんがたどり着いたのは再び移設容認
苦渋の選択でした
…ところまで来てると思う。
トータル的に考えますとやっぱり条件付きよね。
17年間反対派が何度選挙で勝っても辺野古への移設計画が白紙に戻ることはありませんでした
許田さんは今回「せめて騒音対策や生活補償だけでも」と考えたのです
一方高校2年生になった武龍は人生の選択を迫られていました
お父さんいってきます!
この春両親と一緒に基地の受け入れに反対をして来た双子の姉妹和紀と和奏は中学1年生になりました
和奏行くよ〜。
高校2年生の武龍は将来人の役に立つ仕事をしたいと考えています
そのためには一度沖縄を出て県外の大学で勉強したほうがいいのか悩んでいました
先生方も言うんですよねもうちょい上目指そうって。
でもそしたらここ出なきゃいけないじゃないですか。
そうするとねちょっと目の前にあれが残ってるかなぁと。
(スタッフ)目の前というのは?まぁ文字通り目の前ですよあっちの海のほうにデカい問題が残ってるじゃないですかまだ。
普天間基地の返還と引き換えに名護市辺野古沖への移設計画が浮上して17年
目の前の海では今年8月から辺野古沿岸部の埋め立て工事に向けた海底のボーリング調査が始まっています
大変危険ですので離れてください。
「ふるさとの海を守りましょう」
幼い頃から合言葉のように訴えかけて来た3人のきょうだい
(和紀さん)ほら〜。
(武龍君)投げ方おかしい…。
日本政府は目の前に広がるこの海に2022年度までには基地の完成を目指すとしています
まぁいつもの見てたらさお父さんのほうはさ短気だよね。
いつもさ…。
かっかかっか?怒りプンプンプ〜ン。
(武龍君)怒りやすいし自分が正しいっていうの曲げない。
そうそう。
(武龍君)でお母さんもさまぁ静かだけどさ静かだけどもう絶対にあれさ…。
でもカッコいいじゃん!
(武龍君)曲げないところがそうそこがいいんだよ。
子供達の未来を守る親が一番カッコいい。
(和奏さん)嬉しいは嬉しいけど。
まずはこの海に来て…。
暮らして。
暮らす?一回暮らしてみて…。
来てもらうだけでもいいんだよ。
来てもらうだけで十分分かるさこれ…見るだけでも十分だよ。
私達が未来の大人っていうか大人になったとしたら大人になったとしてこの海を見てどうあってほしいかなと思うとやっぱりキレイな海でいつでもわぁ〜って遊べるようなそういう海でいてほしいなっては思ってるけれど。
(武龍君)まぁホント第一の目標っていうかまず大人になるまでにはこの問題がすでに解決してることが願いですね。
海の向こうを目指す日本の米
アジアの巨大市場をつかむ戦いの先に米作りの未来はあるのか?
2014/11/17(月) 00:59〜01:29
読売テレビ1
NNNドキュメント「希望と翻弄の狭間で 基地の島 沖縄で暮らす」[字]
1997年、普天間基地の返還と引き替えに名護市辺野古沖への移設計画が浮上。移設の容認か、反対か、カメラは移設先の地域に暮らす家族の17年を見つめてきた。
詳細情報
番組内容
1997年、普天間基地の返還と引き替えに名護市辺野古沖への移設計画が浮上。その海を臨む集落に暮らす家族は、毎週土曜、基地の前でロウソクを灯し「移設反対!海を守ろう!」と訴えている。一方、商店を営む男性は「何度民意を示しても国は変わらない」と条件付きで移設を容認せざるをえない胸の内を明かした。辺野古をめぐる17年。「住民投票」「県外移設案」「埋め立て承認」“基地の島、沖縄で暮らすこと”を改めて考える
出演者
【ナレーター】
葉山いくみ
制作
日本テレビ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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