日曜美術館「どこまでも新しい絵を作りたい〜菱田春草〜」 2014.10.19

朝もやが漂い無数の枯れ葉が散っている秋の雑木林。
まるで林の中を散策しているような気分にいざなう「落葉」。
近代日本画の最高傑作の一つです。
描いたのは菱田春草。
明治時代西洋化の荒波の中で新たな日本画を生み出そうと次々実験を試みました。
最近春草の作品の科学調査が進められ新事実が分かってきました。
西洋絵の具が使われていたのです。
代表作の一つ「賢首菩薩」ではカドミウムイエローやエメラルドグリーンなど4種類の西洋絵の具が使われている事が分かりました。
すごく的確なポイントに西洋絵の具の鮮やかな色を対比させながら置いていく事によって「賢首菩薩」の色彩という印象が出来上がっていると。
若き春草が美術界に衝撃を与えた作品。
背景の山々は濁った色合いでぼんやり霞んでいます。
当時日本画の命と言われた墨の輪郭線を使わなかったこの絵は「朦朧体」と呼ばれ激しい非難を浴びました。
春草の日本画の実験は短い生涯の最後まで続きます。
西洋画を思わせる生き生きとした黒猫。
しかし背景は江戸時代の装飾絵画のように何も描かれていません。
日本の伝統に西洋の技法を融合させようとした春草。
どこまでも新しい絵を作りたいと願ったその格闘の軌跡をたどります。
長野県飯田に生まれた菱田春草は明治23年16歳の時画家を志して東京美術学校に入学します。
ここで生涯の師に出会います。
当時美術学校の校長として新たな日本画を生み出そうとしていた岡倉天心です。
天心の指導の下春草は生涯絵画の実験に邁進し続けました。
後に天心は「春草の絵は実験室における試験だ」と評しました。
実験の最初の成果と言えるのが美術学校の卒業作品として描いた「寡婦と孤児」です。
我が子を抱き嘆き悲しむ母親。
その前に鎧と刀が置かれ夫がむなしく亡くなった事が分かります。
当時日清戦争の勝利に沸く陰で多くの戦死者が出ていました。
古典的な題材を借りながら戦争の悲劇を暗示する。
春草はその試みに挑んだと言います。
絵の評価を巡って「化け物のような絵だ」とこき下ろす教授と「これこそ傑作だ」とたたえる教授が激しく論争。
結局校長岡倉天心の裁断で首席となりました。
春草が一つの目標を定めてそれに向かってさまざまな工夫をしながら取り組んでいく。
ある程度の成果を収めたところで次の実験に取り組んでそれでまたある程度の成果を収めるというふうな事を立て続けに。
本当に春草の画業というのはほんの15年ほどしかないですから。
場合によっては2〜3年で目標を変えていくようなそんな目まぐるしい展開というのをしてるんですね。
春草は次なる実験として西洋の写実的な技法を日本画の中に取り込もうとしました。
林の中に大きな岩がいくつも転がり中央の岩の上で2匹の猿がくつろいでいます。
古くからの画題ですが伝統的な水墨画と全く異なる雰囲気です。
無数に生える木々の遠近感。
陰影を帯びた岩の立体感。
まるで白黒写真のようです。
この作品の中で墨の濃淡を光の明暗に置き換えようというそういったところがあるから白黒写真みたく見えるっていうところだと思うんですね。
後ろの樹木なんかを見ると黒く陰みたいに描かれている木があるかと思えば白く抜かれている木があったりするんですね。
一体全体どっちがポジでどっちがネガなのか分からないみたいな逆転現象がいろいろなところで起こっていると。
この作品で春草がトライしようとしているのは一歩西洋の写実に近づいて遠近感奥行きの表現だとか明暗光の表現だとかそういったものをいかにして画面の中に取り入れられるかというふうな事をこの作品では試みているのではないかと思われます。
春草が次に試みた実験は風景の中に漂う空気感を表す事でした。
この絵は山奥深くに追いやられた童が菊の葉の露を飲みその霊力で仙人になったという伝承を描いています。
春草は山あいの空気感を出すため墨の線を一切使いませんでした。
童を取り囲むようにうっそうと茂る木々には輪郭線がありません。
微妙に彩りを変える山の姿をぼんやりと濁った色合いで描いたこの描法は世間から「朦朧体」と呼ばれ嘲笑されました。
朦朧体の絵はなぜ激しい非難を浴びる事になったのでしょうか。
まずは線がないって事は衝撃ですよね。
画家の魂を捨てたようなものですよね。
当時衝撃を与えた朦朧体の描法を荒井経さんに再現してもらいました。
「菊慈童」で朦朧体の特徴が出ているこの部分を再現します。
その際荒井さんはよく似た秋の山を描いた橋本雅邦の絵と比較しました。
雅邦の絵は岩や枯れ木がはっきりとした墨の線でかたどられています。
また木の葉の一枚一枚も線で縁取られています。
しかもその葉の色は鮮やかな赤や緑です。
再現はまず岩から始まりました。
従来だとこの岩の線線で岩を描いていくっていうこういうザクザクッとした線がありますよね。
この線が岩の構造形を決めていってそこの上にぼかしが乗ってるんですよ。
あくまで線だけでも成り立つ。
ところが朦朧体の場合は岩を表現する線がないのでぼかしだけで岩の形とかボリュームを作っていくという事なんですね。
次に森の木々を描くためにまず顔料を混ぜ合わせます。
葉の色は緑の緑青赤の鉛丹をさまざまな割合で混ぜ合わせそこに更に白の胡粉で微妙な濃淡を出していきます。
こうした油絵のような混色は従来日本画にはなかった手法です。
(荒井)色面という色の面によって形を決めていかなければいけない。
この葉っぱとこの葉っぱが重なっている。
これを線を使えば簡単にその境目というのは表現できるわけなんですけれども線がない無線描法に関しては色を変えていくしかないんですよね。
それで微妙な色の段階を作って描き分けていくという事です。
朦朧体の代表作と言われる「菊慈童」を見ていくと色と色を混ぜて中間色を無限に作っていくというすごく理論的な技法が使われているわけですよね。
ぱっとみた感じは朦朧としているけれども細部を見ていくと緻密な計算によってできていると。
今日は菱田春草の生誕140年を記念する展覧会に来ています。
この春草の世界一緒に見て頂きますのは岡倉天心が創設した日本美術院に所属していらっしゃいます画家の宮廻正明さんです。
どうぞよろしくお願い致します。
宮廻さんご自身は特にこの中で改めて心つかまれる部分はどの辺りにありますか?
(宮廻)上の部分ですね。
描いてない部分。
下のこの童子がいる部分ではなくて上の描いてない部分。
これはもう絵描きとしてこの上もなく魅力がある。
心を持っていかれるっていう。
これで絵が出来たらいいなっていう感じがしますし描くところは技術があれば描けますけども描いてない部分というのは技術では描けない部分で心気持ちというものがないと描けない。
深い山の折り重なるような木々。
でも木々が一つ一つはっきり見えているわけじゃなくほんとにそこにある空気が見えてくるかのようですよね。
西洋だと遠近法でつながってきますけどこれは縦にず〜っと奥にしみこんでいくっていうこれが日本独特のまあ東洋独特の絵としてこういうふうに奥に入っていくこの奥行きというのが非常に魅力じゃないかなという感じがします。
非常に紅葉で紅葉してるという色を捨てるんですけども捨てる事によって自分が描きたいものを描いていくっていう要するに日本の絵画って捨てていくっていう事が全てに大きな大事な要素になってるんですよね。
朦朧体もまず一つは形を捨てていくという。
まず春草は先に色を捨てる。
固有色を捨てていった。
そして次何をやりたいかって今度は形を捨てる。
でも捨てる前にはいろんな事を自分で勉強して学ぶという自分の中にたくさんの事を蓄積していった。
蓄積していったら今度はそれをずっと捨てていくっていう。
当時は怪しい絵だとかなんて稚拙な絵だと本当に嘲笑…笑われてしまったという。
それはやっぱり自分が正しい事をやろうという新しいものに挑戦するという一つの心の表れというそれはどんどんものを蓄積して増やしていくんではなくてそれは引いていくという事。
それは勇気のいる事なんですよ。
それをするほど世間からはいろいろ批判を受けたりそれから絵というものの…全ての人は絵を強くしていこうと思いますので絵をどんどん足していくいろんな要素を増やしていくんですよ。
でもほんとに強くなると絵は下品になるので上品に描くにはやはり引いて引いて全て捨てて最後の大事なところだけを残していくという。
これがある意味では朦朧体というのは生き方もそうですし人間の心というのは強くして偉くなりたい。
そういういろんな欲望が出るんですけれどもそれを引く事によって絵を浄化させた一つの非常に魅力的な絵になるんじゃないかという気が致します。
明治30年代春草は岡倉天心が創設した日本美術院の中心メンバーとして活躍します。
財政難から日本美術院が東京からこの茨城県五浦に移転すると春草も家族ともども移住しました。
新たな日本画の創造のために天心と行動を共にした4人の弟子たち。
春草はここでも更に実験に取り組みます。
それは朦朧体の濁った色合いを脱却し色彩を取り戻す試みでした。
新緑に覆われた山の光景です。
緑の山肌を背に赤く咲き乱れるツツジ。
華やかな色彩が踊っています。
もやがかかったような夕暮れの森の姿です。
朦朧体独特の空気感ですがよく見るとそこに鮮やかな青が使われ異彩を放っています。
春草の絵にはひょっとして西洋絵の具が使われているのではないか。
そんな仮説のもと2年前から東京国立近代美術館が中心となり科学調査が行われてきました。
蛍光X線を当てて顔料に含まれる元素を割り出し西洋絵の具かどうかを見極めるのです。
日本画の青の顔料は主に群青ですがその特有の元素は出できませんでした。
伝統的な材料だと群青っていうものでそれだと銅の成分が顕著に出るんですけれども少なくとも銅は検出していないと。
合成ウルトラマリンブルーというものなんですけどそれだとあんまり顕著な元素が出ないんですよね。
それじゃないかなという感じですね。
結局この青は合成ウルトラマリンブルーなどの西洋絵の具が使われている事が分かりました。
これまでの科学調査で西洋絵の具の使用が顕著だったのが「賢首菩薩」です。
朦朧体を抜け出し色彩研究の成果が現れた春草の代表作の一つです。
高い椅子に座した高僧が尊い華厳の教えを述べる場面。
高僧が身にまとっている袈裟はオレンジと青。
椅子に掛けられた布は華やかな黄と緑。
袈裟をクローズアップにすると刺し子の模様が点描で施されています。
厳かな場面ですが鮮やかな色彩が入り明るい雰囲気が醸し出されています。
科学調査の結果布の黄色い鳥の模様は西洋絵の具のカドミウムイエロー。
地の緑はビリジャンとエメラルドグリーン。
袈裟の青は合成ウルトラマリンブルー。
オレンジは朱とカドミウムイエローを混ぜたものだと分かりました。
春草は西洋絵の具を使ってどんな効果を狙ったのでしょうか。
実際にこの作品の中でポイントとなる部分はここの衣の青い色とオレンジ色。
これは補色の関係になっている反対色なんですね。
補色とは色の環で反対側にある色の事です。
補色を隣り合わせると鮮やかさが増すという色彩理論を踏まえたうえで袈裟の青とオレンジという補色を使ったと思われます。
極めて計画的に色彩表現を行っているというところがこの「賢首菩薩」の大きな特徴という事になりますね。
それまで日本の絵画でこういった近代的な色彩感覚で描かれたものはおよそないと考えていいと思います。
春草は補色の効果をどのようにして出したのか袈裟の部分で使われている技法を再現してもらいました。
合成のウルトラマリンブルーです。
春草が使った西洋絵の具は粉状のものです。
それを接着剤の役目をする膠で溶いていきます。
もう滑らかに。
日本画に使う白い胡粉の中に溶いた青の顔料を入れ薄い青を作ります。
まずこの薄い青を袈裟の青みがあるところに塗っていきます。
縁は水をつけた筆で丁寧にぼかします。
薄い青の下塗りができました。
続いてカドミウムイエローを膠で溶きます。
そこに古来から使われてきた朱を混ぜてオレンジを作ります。
オレンジは薄い青の上にも塗り重ねていきます。
すると微妙な中間色ができます。
補色の関係にある色を隣り合わせるとすごくこう強烈な色彩対比になるんですけれどもただ単に強すぎるだけだと絵としてのまとまりは悪いわけですよ。
そこで春草は青とオレンジが混ざった色っていうのをその絵の中でのつながりを持たせて使ってるところがすごくこう計算されてるっていう。
次にオレンジを際立たせたい部分にもう一度オレンジを塗り重ねます。
そして青を際立たせたい部分には濃い青を重ねます。
最後に刺し子の模様をオレンジの点で表していきます。
(荒井)全体にオレンジ系の画面の中で青だけがすごく飛び出してる状態だったんですけれどもそこの上にもオレンジの点々が入っていく事によって全体に調和が生まれているという事が言えると思いますね。
春草が「涙のにじむような苦心」をしたと伝えられる「賢首菩薩」。
袈裟の一部を再現するのに5時間かかりました。
この「賢首菩薩」というのはただ一点だけの色彩表現にとどまらずやはり近代の日本画の色彩表現の一つのモデルを提示するような部分があったと思うんですね。
そういう意味では人がどう言おうとこの「賢首菩薩」において自分は一つの仕事をしたという意識はあったんじゃないかなと想像しますけどね。
そしてこれが4種類の西洋絵の具も使っているという「賢首菩薩」。
これですね。
西洋の顔料を使う事によってどのような実験を推し進めようとしてたんでしょうか?日本の絵の具というのは緑は緑青青は群青赤は朱ってある意味じゃもう限定された色を使うんですよね。
そこの中で複雑性を出していくっていう。
ところが西洋っていろんな色味があって青でも種類がたくさんある。
そういう意味で西洋の絵の具を取り入れて使ってみたけどじゃあ日本の絵に使えるのがこの色とこの色とこの色だった。
それで最後絞って描いたのがこのウルトラマリンとこのカドミウムのオレンジ系の絵の具とこの緑だったっていう。
だからまずいろんなものを取り入れてそれで使えない絵の具を排除して日本の絵の具とうまく融合する絵の具を見つけ出してると。
だから非常に西洋の絵の具を使ってる割には爽やかな清涼感がある絵なんですよね。
それともう一つはこの線なんですけども非常に線というのは近くで見て頂くとこう線が上下に動いてるんですよね。
プツプツプツプツと切れてるような線なんですよね。
ちょうど襟の…。
襟のところもそうですよね。
それから膝の前のところの膝の線もプツプツ切れてますよね。
それから衣のこういう線も全部。
線というのは形を切り分けるものではなくて縦にずっと形を切り込んでいく。
これがある意味じゃ線の究極じゃないかなと私は考えるわけですよね。
一度春草は墨の線を引き算しましたよね。
そして今度は引いた線ではなくて縦に彫っていった。
彫り込んでいった。
線ではなくてものを分ける時にこう切り取るんじゃなくて縦に切っていくんですよね。
普通こういう線を引くとたどたどしくなると絵は弱くなるし下手だと思われるのが嫌なのでどうしても巧みにシュッと引いてしまうんですけどそうじゃなくてこういうふうに引く線の方が一つのきちっと画面を切り刻んでいくという意味での魅力ですし絵が強くなる。
逆に強く見えるというのはそういうとこを見せるんですよね。
でも自然に顔や衣が浮き上がって見える効果があると。
それとあと顔の線はきれいに線を引いてる。
あの例えば目尻とか目元で…。
目元なんかはそうですよね。
これきれいに。
ただこれもスッと引くんじゃなくてこうゆっくりゆっくりゆっくり引いていくんです。
もううっとりするぐらいきれいな線を使ってるしこの衣には要するにさした線をずっと使ってだから形がすごく強く見えるんですよね。
そう見りゃこの線というのは私から見ても大変な魅力的な何かゾクゾクッとするような。
春草をこの一点だけで好きになる大好きになるという。
絵というのはこういう線をこういう事をやったから絵を見てて何かニマッとニコッとするような線の魅力なんですよね。
茨城県五浦で新たな色彩の実験に励んでいた春草。
しかし「賢首菩薩」を描いていた頃から画家にとって一番大切な目の病に侵されるようになります。
やがて病は悪化し東京に移って治療に専念します。
このころ春草は家の周りにある雑木林をしばしば散策します。
そして雑木林をテーマにまた新たな実験を始めます。
それは絵の中に奥行きのある空間を作り上げる事でした。
そして生み出されたのが春草の最高傑作「落葉」です。
落ち葉が一面に散らばる晩秋の雑木林。
木々は近くにあるいは遠くに立ち並び奥行きのある空間を作り出しています。
紅葉したとちの葉は一枚一枚の葉脈から虫食いの様子まで細密に描かれています。
くぬぎの幹もゴツゴツした肌が油絵で描かれたようにリアルです。
この絵がどう見られたか春草自身がこう言っています。
しかし師匠の岡倉天心はこの絵の独創性を見抜きこうたたえました。
(鶴見)春草がその当時課題としていたのは空間の表現というのを油絵と同様に日本画も取り組まなくてはならないという事を考えていたようです。
実は「落葉」というタイトルの作品が合わせて5点あります。
相前後して描かれたこれら5点を見比べていくと「落葉」で春草が目指したものが更に見えてきます。
向こう側が大きく開けてますでしょう。
開けててどうやら向こうには光がさしているらしく明るくなっていると。
明るくなっているのに遠くにある木がとても色が濃く表現されているので何となくここのコントラストが際立ってしまってる感じがしますね。
この木の配置としては現実的だし視点の高さというのも現実的ではあるんですけど遠くにフワーッと奥行きが生まれるかというと全然生まれてないんですね。
そういう間違い探しじゃないですけどそういうふうな特徴を持つ作品だと言えます。
2作目は途中で制作が中断されました。
よく見るとねこの丘がこうあって丘の向こう側に生えてる木というのもあって丘のこっち側に生えてる木もあるんですよね。
だから今は何も描かれていないこの丘の部分に落ち葉が散り敷かれるようなものが後から描かれるはずだったのではないかと思います。
でもそうした時にね落ち葉のつながりというか落ち葉がドーッと向こうの方に消えていくような感じというのはこの丘の稜線のところで断ち切られてしまう宿命だったはずなんですね。
そこで空間は限定されるというか空間が説明されるというのを春草は嫌ったのではないかなと思います。
次に描かれたのが重要文化財になっている有名な「落葉」です。
どうして遠くまで広がるような空間が感じられるのかというと一つは俯瞰で木々が描いてあるから向こうに奥に位置する樹木の根元というのが手前の木の根元よりも上に位置している。
もう一つ奥にある木の色を淡くするというそれは空気遠近法を利用した彩色のしかた。
よくよく見れば下に散り敷いている落ち葉も手前の方にはやや大きく描かれていて奥の方はちょっとずつ寸法を縮めていってるような雰囲気もあります。
そういうものが複合的にこの作品の中に空間ならびに距離の感じというのを生み出していると言えると思います。
春草は「落葉」を描く際「奥行きのある空間を作ろうとし過ぎると絵の面白みが損なわれる」と悩みを記しています。
「絵の面白み」という事で当時春草が着目していたのは江戸時代の装飾性豊かな琳派の絵でした。
紅葉の鮮やかさが金地一色の背景によって際立っています。
春草は奥行きのある空間を生かしながら琳派の絵のような無地の背景がもたらす装飾性を取り入れていきます。
5作目最後の「落葉」です。
(鶴見)ここで特徴的なのは遠くにある空気あるいは空間といったようなものを表現するために一切何も描いていないという事なんですね。
これ実は全く地のままの白い地が残されているだけのよく言う言葉で言うと余白なんですね。
いろいろ描き込まないで白い部分を増やす手段というのがはっきりと形を際立たせている。
そういうふうな効果が生まれてると思うんですね。
そういう意味ではこの作品は重要文化財の「落葉」と比べても装飾性を増しているというふうに言えるんだと思います。
今回の展覧会ではまさにずらりとそれぞれの「落葉」が展示されていてこれが重要文化財の「落葉」ですね。
もうほんとにちょうど今の時期でしょうかね。
散策してるような枯れ葉を踏む音が聞こえてきそうですよね。
カサカサと。
空気が空気を描いてますよね。
歩いてて気持ちいいです。
ほんとですね。
朝もやに包まれた…。
木肌とかこうやって見てると絵を見ているというよりかほんとに自然観察してるかのように。
鳥もいますよね。
宮廻さんまさに今散歩をしてきました。
「落葉」の前を散歩されて。
何か葉っぱの音がするような感じがするんですけどよく見てたら下の方に葉っぱがあるんですよね。
という事はこの下に前を通った下にたくさん落ち葉が落ちてる事を感じさせるわけです。
そうすると歩くと見てる人があたかも落ち葉を踏み締めながら歩いてるという。
という事は落ち葉を描かなくて落ち葉を感じさせるという事なんですよね。
見る人がそれを自分で想像してこの絵の中に入っていくという事。
あたかも自分がこの落ち葉を踏み締めてる。
落ち葉ってもっとたくさんきっとこう…。
中を歩いてるようなこの絵の前を歩いててそれが錯覚を感じるっていう。
確かに随分と余白というか空気の部分が多い絵だなと感じてたんですけどもそこはやはり見る側の心でまた更にそこを自分が想像していくというところの余白というか。
春草のこの絵が名品中の名品だと言われるのはなぜ葉っぱだけを…絵がそんな名品なのかというとこの絵は描かないで見る人がある意味で半分描かせてみせたっていう。
参加する。
見る人を参加…。
だからこの絵の前を歩くとカサカサカサッて音がして自分が落ち葉を踏み締めながら歩いてるという事を想像させる。
この絵の外側にすごく大きな世界が存在してるっていう。
そしてなおかつこれの緑の葉っぱから赤い落ち葉までこれが人の一生という生まれてずっと…。
これ常緑樹なんですけど緑。
落ち葉の中で緑を配した。
そして枯れていくというとこちらからこっちへずっと歩いていくと人の一生を絵の前で歩く事ができるという。
ある意味じゃ人生をこの屏風の中に凝縮して見せたっていう。
だからこれ見ると見る人が感動するしある意味じゃ自分の人生というものをここに映し出してみせる。
だから見てても飽きないというようなそういうとこだから言えるんじゃないんでしょうか。
宮廻さんここまで一緒に春草の挑戦の実験の連続を拝見してきて改めて画業の重さというすばらしさというのをほんとに痛感しましたが宮廻さんご自身は?短い人生ですけど全てをやりきって死んだという事。
そしてその人生の中で全て新しいものに挑戦して新しいものを作って自分が大きなものを勉強して自分で蓄えてそれを今度は捨てて新しいものを捨てて自分の大事なところだけを残すっていうそれを一生繰り返していった人生というのは非常にいい人生だったんじゃないかと思います。
そして残った作品がある意味では本当に精練された清い美を見つけ出したっていう。
紅葉したかしわ。
その幹に黒猫がうずくまっています。
背景は琳派の絵のように何も描かれていません。
かしわの葉は異なる色合いの金で描かれ装飾的な雰囲気です。
一方黒猫はリアルな存在感を持ち目がらんらんと光っています。
装飾性と写実性が見事に融合した作品です。
春草は「黒き猫」を描いた翌年病のため36歳で亡くなりました。
生涯新たな日本画を創造し続けた菱田春草。
最晩年こんな言葉を残しました。
「現今洋画といわれている油絵も吾々が描いている日本画なるものも共に将来は日本人の頭で構想し日本人の手で制作したものとして凡て一様に日本画として見らるる時代が確に来ることと信じている」。
2014/10/19(日) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「どこまでも新しい絵を作りたい〜菱田春草〜」[字][再]

新たな日本画の創造のため、生涯絵の実験に挑み続けた菱田春草。最新の科学調査などにより、春草が試みた実験の意味を明らかにしながら近代日本画誕生までの軌跡を辿る。

詳細情報
番組内容
新たな日本画を創造するために、実験を重ね、問題作を世に問い続けた画家、菱田春草。2年前から春草作品の科学調査が行われ、西洋絵具を使用したという新たな事実が確認された。輪郭線を無くした「もうろう体」の実験や、琳派の伝統を意識した装飾絵画の実験などを経て、近代日本画の名作、「落葉」や「黒き猫」が誕生した。菱田春草が試みた実験の意味を明らかにしながら、近代日本画が誕生するまでの軌跡をたどる。
出演者
【出演】日本画家、東京藝術大学教授…宮廻正明,東京藝術大学准教授…荒井経,東京国立近代美術館学芸員…鶴見香織,【司会】井浦新,伊東敏恵

ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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