奈良の秋を華やかに彩る恒例の正倉院展
66回目となる今年は80歳になられた天皇皇后両陛下の傘寿を祝いひときわあでやかな宝物が展示されています
いずれも正倉院宝物を代表する逸品です
今年宝物を守り伝えてきた正倉院の正倉が足かけ4年の修理を終え外構の一般公開も10月から再開されました
整備事業のすべてがハイビジョンと次世代の4K映像で記録されてきました
平成の修理を終えた正倉の内部です
1階内部・2階・屋根裏・瓦・耐震設備も新たに加えられ次の100年に備えます
次の修理は恐らく1世紀以上後のこと
21世紀の映像記録を次の世代に伝えることも私たちの大事なメッセージなのです
番組では正倉院展の宝物とそれを伝えてきた正倉の平成の修理の記録を紹介します
今から1000年前中近東のガラス工房で製作された水差しです
ハンドルの先端に突起がありますがそこを親指で押すと重心が移動し中の液体がうまく注げます
先端が丸い口も液体の切れをよくするための工夫です
長いネックに4本の弦を持つ古代の楽器です
・第1弦解放・
(桑木阮咸を演奏する音)
展覧会場に流れるのは今から60年あまり前に実際にこの楽器に弦を張って演奏した貴重な音色です
阮咸はいにしえの中国で琵琶の名手だった人の名前にちなんで名付けられました
(桑木阮咸を演奏する音)
中央には敷物の上に座って囲碁を楽しむ3人の人物が描かれています
・第11の10・
(桑木阮咸を演奏する音)・第12の10・
(桑木阮咸を演奏する音)・第13の10・
(桑木阮咸を演奏する音)・第14の10・
(桑木阮咸を演奏する音)
人勝は古代・中国でめでたい文様や言葉を表し正月7日にプレゼントした縁起物です
切り絵細工をした紙や絹に裏からレースを貼って文様を浮き出させています
小さな子どもと子犬の姿もあります
こちらは聖武天皇が使われた由緒ある宝物のひじつきです
天板には紫檀を貼り側面や台に金銀の絵の具で鳥や花模様を描いています
奈良の秋の風物詩・正倉院の開封の儀
現在正倉院宝物を納める宝庫は東西ふた棟あります
西の倉は天皇のお使いの立ち会いがないと開けることができません
正倉は南北に長い建物で内部は総2階建て
大仏開眼法要に使われた道具類が数多く伝わる南倉
武器や東大寺の道具類が入っていた中倉
聖武天皇の遺品を主に納めた北倉
正倉院宝物はつい半世紀前までこの倉で保管されてきました
世界に類を見ないすばらしい保存状態で1250年の間宝物を守り伝えてきた正倉院の正倉
間口が33メートル木造建築の巨大な倉庫です
正倉院とは宝物をかつて納めていたこの正倉をはじめ現在宝物が保管されている東西の宝庫や修理の作業室など宮内庁が管理する施設全体をいいます
国宝の校倉造りの建物が前回大修理を受けたのは1世紀前
屋根が下がってくるなど老朽化が目立ってきました
わが国では数百年に1回大修理を繰り返しながら古代の木造建築を現代に伝えてきました
正倉院の正倉もまた同じです
明治5年明治政府の文部省は奈良に専門家を派遣し正倉の調査を行いました
その時に撮影された貴重な立体写真が江戸東京博物館にあります
立体写真で見た校倉の建物
四隅の屋根の軒が垂れ軒の瓦が波打っているのが分かります
20世紀に入った頃の絵はがきです
屋根全体が下がってしまったので明治15年の工事で軒を支える添え木が加えられています
しかし対症療法では追いつかないほど正倉の傷みが進んだため大正2年校倉造りの建物の全面解体修理が行われました
この時宝物はすべて仮の倉に移されたあと組まれた校木という三角形の断面をした木材をすべて外し床を支える束柱も解体されました
ここまで大規模な修理を行ったのは正倉院1200年あまりの歴史の中でも初めてのことでした
工事は大正2年3月に始まり12月には再び組み直して終了しました
校倉造りは校木を縦横・縦横と釘を使わずに交互に組んでいくだけの単純な構造
とはいえ工期僅か9ヵ月という驚くようなスピードでした
この時の工事では屋根全体を取り外し木材を三角形に組み合わせた「トラス構造」という近代木造建築の技術を使った新しい屋根に替えられました
平成の修理前の正倉の屋根裏です
江戸時代の元禄6年という修理を行った年の落書きがありました
「大正二年十二月」と前回の大修理の記録を記した棟札が棟木に打ちつけられています
この大正の大修理の時新たに補った木材には「大正弐年補」という焼き印が押されています
1世紀前の大正の大修理では北倉と南倉の内側の壁を構成していた校木で屋根の重量を支えていたのをやめ新しい技術であるトラス構造に加え強度を増すために鉄板やボルトまで使われました
けれども調査の結果大正時代に補強した鉄板のボルトが一部緩み当時の技術にも欠点があることが分かりました
正倉も前回の大修理から1世紀がたち屋根のあちこちに老朽化が見られます
屋根を支えるために一番上の校木を伸ばした「三段校木」という部材も屋根の重さを支えきれず垂れて曲がっています
平成の修理が始まりました
西暦752年4月聖武天皇が東大寺の大仏開眼の法要に参列された時履かれたとされる革の靴です
牛の皮をブラシで起毛して濃い赤で染め表には十字の形をした銀製の台座に真珠やガラスをはめた飾りを13個縫い付けています
純金や銀の針金の縁飾りもあります
言い伝えや品質からみて古代最高の靴といってもよいでしょう
ガラスの玉を銀の針金で連ねたかごのように編んだものです
内側は最大で5ミリほど外側は最大11ミリ程度の小さなガラス玉を藍・緑・黄色と…配色の順番を考えながら連ねています
正倉院にはもう1つ雑玉幡が伝わっています
豪華絢爛なこのビーズのかごは「華籠」といって色取り取りの花びらを入れ法要の途中で僧侶が堂内にまく時の道具だったともいわれています
2011年冬
工事のために南北の長さ33メートルの正倉を覆う鉄骨の素屋根の建設が始まりました
基礎は地下の文化財保護のため土を掘り込まないでコンクリートの土台を置くような工法が採用されました
素屋根の大きさは南北が48メートル高さは19メートルでエレベーターまで付いた3階構造になっています
…ということを目標に丸3年の計画が立てられました
2012年冬
実は正倉の中には今もさまざまな文化財が保管されています
宝物は敷地の中にある東西2つの宝庫に移されましたがかつて宝物が収められていた「辛櫃」と呼ばれる収納ケースが残されています
辛櫃は奈良時代から始まりさまざまな時代のものが伝わります
・ゆっくり来よう・・上ぶつかるよ〜危ないよ〜・・変わった?後ろ・・はいOK!・・放します・・はい持った!・はい3番出ますはい放すで…放すで
工事に先立ち素屋根の下に設けた木造2階建ての倉庫に辛櫃が移されました
最新の研究では校倉の内部は外とあまり環境が変わらないことが分かっています
実は宝物はそれぞれ木の箱に入りさらにこの木製の辛櫃に収まっていたおかげで四季の温度や湿度の変化が和らぎ1200年あまり後の今日に美しい姿を伝えてきたことが分かっています
2012年早春
辛櫃が運び出されるとすべての倉にしつらえたガラス扉付きの陳列棚が分解されます
明治時代に宝物の公開と保存を兼ね備えた施設にとしつらえたものです
よっしゃちょっとその辺からゆっくり…
明治・大正・昭和と現在の宝庫に宝物が移るまでの80年間あまりほとんどの宝物はこの陳列棚の中にそのまま並べられていたのです
陳列棚が取り除かれた倉の中を見てみましょう
このようにガランとして何もない倉の中はこれから1世紀は見ることができない光景です
北倉は奈良時代の聖武天皇の遺品が主に納められていた倉です
1階には驚くようなものが残っています
火災の跡です
西暦1254年今から760年前に雷が扉の金具に落ち扉は吹き飛びました
炎が激しくあがりましたが東大寺の人々がなんとか消し止めました
その時燃えた火災の跡が床から壁そして天井に生々しく残っているのです
焼けて激しく傷んだ床板などの一部は火災後まもなく交換されました
この焼け跡を見ると正倉院宝物が21世紀の現在まで伝わったのはまさに奇跡としか思えません
中倉の表は板壁になっています
内部の南北の壁は断面が三角の校木がむき出しになっています
1300年近い歳月がたっているのにほとんど切り出したばかりの木肌を保っています
ヒノキの命がいまだ息づいていることに驚かされます
木材はほとんどがヒノキで古いものは8世紀前半までさかのぼることが最近の調査で明らかになっています
南倉は東大寺の法要などに使った道具がしまわれていました
この倉の板壁を見ましょう
壁の校木には隙間から吹き込んだ雨水の跡
床近くの校木はさらに黒く変色し水がたまった跡もあります
実は正倉の中は厳しい条件にさらされていたのです
これは聖武天皇ご夫妻が使われた寝具です
現代でいえばベッドのフレームとマットレス
そして敷布団にあたります
わが国現存最古の寝具のセットです
正倉院の中でもとりわけプライベートな宝物です
夫に先立たれた光明皇后は正倉院の宝物リストの最後に楽しかった思い出を封じるために特に大事な2人のベッドを仏に寄進したと書き残しています
長く保管されてきた御床と畳には雨水がしみこんだ跡が残っています
正倉の中は1250年の間厳しい環境にあったことがこうした痕跡からも分かります
倉の板壁には外の景色が見えるほど大きな隙間が開き雨が吹き込んだ跡もあります
平成の修理ではこのような大きな隙間を埋めることも決まりました
平成の修理の中心となる屋根裏です
現在の屋根は大正時代の大修理でトラス構造が採用されています
使える古い木材も活用していますが大正時代に採用された新しいヒノキ材が大量に使われているのが木材の色の違いから分かります
今回瓦の点検を行ったところ今も奈良時代の瓦が残っていることが分かりました
さらに鎌倉から大正まで瓦はあらゆる時代にふき替えられていたことが分かりました
ただし大正時代に近代工法で焼かれた瓦の焼きに不具合があったようです
日の当たらない北側の瓦は表面にこけが生えています
仏さまにささげる宝物を収めた箱です
絵を描いたあとから乾燥剤となる密陀僧という鉛の酸化物と油を混ぜ一面に塗った密陀絵という技法が使われています
丈夫な密陀絵は保存に向いた技術だったようで正倉院宝物でも密陀絵のものは色の残りがよいことで知られています
明治14年に当時最新の西洋印刷技術で作られた版画です
実物の細かい模様や質感が再現され写真に劣らないリアルな出来栄えです
密陀絵のモダンな色使いに明治の人も魅せられたのでしょうか?
2012年梅雨
瓦を外す工事が始まりました
瓦の下には葺き土が置かれています
断熱と瓦が滑らないように使うのですが重いので今回の修理では葺き土は古い瓦を使用する南側と東側の一部だけを残し屋根全体の重量を軽くすることが決まりました
葺き土の下には土居葺といって屋根全体に折詰のようにさわらの薄い板を敷き詰めています
しかし大正瓦が多く使われた西面の土居葺が広い面積で腐っていることが分かりました
その下にある野地板を外すと瓦の重量を支える垂木という構造材がむき出しになります
屋根の外から小屋組の中へ
古い木材は虫食いの穴だらけでした
2012年秋
いよいよ倉の中の補強工事が始まります
工事に使うヒノキの木材には平成の修理の部材であることが後世分かるように焼き印が押されます
これは梁の補強をしているところです
同時に柱の両脇に補強の柱を添えます
隙間のサイズに合わせ木材をはめ込んで埋めます
一方屋根裏では近代技術が使われた大正時代のトラス構造を補強するための作業が続きます
大正時代の木材にドリルで穴を開け鉄板を取り付けます
さらに小屋組全体が緩まないように南北に鉄筋を張り渡し締め付けます
奈良県平群町
正倉の屋根にふかれる瓦はここで作られます
軒を飾る軒丸瓦などには東大寺から発掘された奈良時代の瓦の文様が採用されました
また奈良時代の瓦の風合いを出すために麻布でたたき締め布目の文様を付けます
軒平瓦にも奈良時代の文様を付けます
傷んだ瓦と置き換えるために準備された瓦は2万6000枚に上ります
これは東大寺の落慶法要で伎楽というコミカルな演劇の演者がかぶったお面です
酔胡従というのはお酒に酔った西の王さまのお供という役柄で王さまのお相伴をしたのか顔が真っ赤です
この面はこれまで傷んでいたものを最近になって正倉院事務所で調査し修理したものです
慎重な作業を経て今回初めて公開されました
崑崙も伎楽の面です
女性を追い回す役らしいのですが詳しい役柄は分かっていません
崑崙の役者がまとった下着です
そしてこちらは靴下です
衣類をまとめる風呂敷のようなものも一式伝わります
これは舞人の衣装です
正倉院には東大寺の開眼法要など晴れの舞台で使われた衣類が多く残されています
破陣楽という舞の演者が足を覆った接腰という衣類です
(笛)
破陣楽は春日大社に伝わる舞楽・太平楽のように豪華絢爛な舞だったようです
瓦をふく作業が始まりました
屋根全体を覆う野地板の上に土居葺といって薄いさわら板を隙間なく張り竹釘で固定していきます
一般参観者が訪れた時に目にする東側と南側の屋根には古いこれまで使われた瓦をふきます
奈良時代の瓦は特に南側の両脇に寄せるようにふくことにしました
軒丸瓦は鎌倉から江戸そして近代に至るまでさまざまな文様のものが戻されます
鬼瓦は新しく焼かれた平成のものと1点が置き換えられ昔のものもそれぞれ元の場所に戻されます
環境の厳しい北側と西側の屋根はすべて新しく焼いた平成の瓦に置き換えられました
事業の大詰めが近づいてきました
最後は大棟の棟瓦を積み重ねて完成です
新しい工法のおかげで屋根の重さは3トン軽くなりました
屋根裏の修理・柱の補強そして瓦ぶきが終わりました
分解して保管していた陳列棚の戻し入れが行われます
せーの…よいしょ…はい
続いて辛櫃が元の場所に戻されます
古い棚も戻されそこに辛櫃が置かれます
よっこいしょ…
こうして北倉・中倉・南倉すべてが元どおりになりました
平成の修理が終わると巨大な素屋根が解体されます
360トンに上る鉄骨が取り払われいよいよ工事が完了しました
これが平成の修理が終わった正倉です
21世紀の現代に伝えられた奈良時代の宝物
正倉院展は1年に1回
今年の会期は20日間です
そのすばらしさに魅せられた人の列は絶えることがありません
平成の修理が終わり3年ぶりに一般公開された校倉造りの正倉
恐らくこの姿は数世紀変わらずに伝わるでしょう
宝物紹介の最後を飾るのは鳥毛立女屏風
美しい女性が木の下でたたずむ
中国の唐で流行した樹下美人という様式で描かれています
恐らく平城宮の聖武天皇の私的な空間を仕切った屏風なのでしょう
6扇に6人の天平美人が描かれた屏風のうち今年は4扇が正倉院展に展示されています
場所は変わってモンゴルの大草原
3年前大発見がありました
正倉院と同じ木の下で美女がたたずむ草原の樹下美人図が発見されたのです
モンゴルでは初めての発見でした
絵は草原の地下深く巨大な青龍と白虎が描かれた地下道を下がり奥へ進んだ部屋に描かれていました
今から1300年以上前にこの地に葬られた騎馬民族の王がとわに眠る部屋です
しかし描かれた絵はどれも剥落の危機にあります
この危機を救うべく現在京都の民間団体が協力し世界的にも貴重なこの壁画の保存に取り組んでいます
これは壁画に透明なフィルムを当て絵をトレースしている様子です
日本海を挟み正倉院の文化圏は壮大なユーラシア大陸に広がっているのです
なぜ同じ時代に同じような樹下美人の絵が残されたのか?
今その謎を解こうと世界の研究者が挑戦をしています
その成果は早ければ来年にはお披露目できるかもしれません
2014/11/03(月) 09:58〜10:53
ABCテレビ1
刻まれた歴史〜正倉院密着1860日〜[字]
正倉院100年ぶりの大修理の全て。秘められた正倉の内部と新しく生まれ変わる過程にカメラが密着。きらめく宝物の紹介とともに正倉院の全貌に迫る。今世紀最後のレア映像!
詳細情報
◇番組内容1
あしかけ4年にわたる正倉院の修理が終わった。朝日放送は修理前から正倉院に密着しその内部を動画で撮影を開始。かつてない正倉院の映像を動画によって記録し続けた。
◇番組内容2
屋根の瓦の風化、板壁のすきま、雨風による傷みなど正倉院は1200年余を経て老朽化が進んでいた。100年前の大正の修理に続き、平成の大修理が始まった。
◇番組内容3
瓦をはずし柱を補強、屋根裏には鉄骨を張り渡す。平成の大修理では外から見える部分だけでなく内部にもさまざまな工夫が施された。いにしえの部材をいかしつつ平成の技をこらしたその過程をカメラはつぶさに追った。
◇番組内容4
秋の奈良を彩る「正倉院展」に並ぶきらびやかな宝物。繊細な宝物はなぜ1200年の時を超えて21世紀の今、鮮やか存在するのか?それは古代からの知恵だった。宝物を守り続けてきた正倉院の全てが明らかに…!
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
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日本語
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