その思いは今も家族に引き継がれています。
パンプキンパイはターシャの人生を彩る掛けがえのないスイーツでした。
奈良正倉院。
貴重な宝物を1,250年にわたり守り続けてきました。
奈良国立博物館で始まった恒例の正倉院展。
今年は59件の宝物が出展され連日大勢の人で賑わっています。
正倉院を代表する屏風が15年ぶりの登場です。
注目は女性のファッション。
一面に貼られていたという鳥の毛が再現されました。
豪華な装飾にはどのような意味が込められているのでしょうか。
華やかな時代の情熱がよみがえってきます。
金細工を施した刀。
きらびやかな武器や武具も今年の見どころです。
不思議な形をした鉾。
どのように使われたのか謎に包まれてきました。
現代の匠が再現。
そこから新たな可能性が浮かび上がってきました。
天平の人々が宝物に込めた思いが輝きと共によみがえります。
「日曜美術館」です。
今日は66回目を迎えた正倉院展です。
聖武天皇が亡くなってから正倉院に納められた宝物が今年に一度奈良国立博物館で公開されています。
やって参りましたね今年も。
やって参りましたねこの季節が。
正倉院の宝物群はものをつくる人にとっても本当にためになる宝物が多いので楽しみにされてる方たちはたくさんいらっしゃると思うんですけど伊東さん。
そうなんです。
実際足を運んできましたけど今年も調度品から仏具から楽器まで本当に幅広い展示で中に入ると一気にその当時の空気に包まれるような体験をしてきました。
さあ早速まずは国際性豊かな宝物の数々からご覧下さい。
中国・唐で生まれた4弦の楽器です。
紫檀ヤチダモ桑。
種類の違う木材が巧みに使い分けられています。
弦を留めているのは象牙で作られた可憐な花。
縁には金箔の上にウミガメの甲羅が貼られています。
中央に描かれているのは囲碁を楽しむ3人の老人たち。
中国で親しまれた楽器が日本では儀式に用いられました。
8世紀半ば唐は世界屈指の大帝国でした。
都の長安には世界の最先端のものが集まり成熟した文化が発展していました。
それを吸収しようと日本から派遣されたのが遣唐使です。
国づくりに役立てようと困難な航海を乗り越えさまざまな技術や知識を持ち帰りました。
30センチ四方の絹と紙の飾り物です。
レースのような金箔の切り絵。
その美しさから正月の贈答用に使われました。
中央には犬と戯れる子供。
その上には新年を祝う言葉が書かれています。
「ことほぎたもつことせんしゅん」。
日本の年賀状の起源とも考えられています。
当時日本は仏教による国づくりに力を入れていました。
仏教の儀式に用いる品々も唐からもたらされました。
仏への捧げ物を入れる献物箱です。
花や草のモチーフを幾重にも組み合わせた唐花文が一面に描かれています。
表面には油が塗られています。
鮮やかな色を長もちさせる「密陀絵」という技法です。
最新の技術が日本に伝えられ宝物に生かされました。
お堂を彩ったとされる飾り物です。
青赤黄緑。
2,700の小さなガラス玉が鮮やかな光を放ちます。
ガラスは飛鳥時代から日本でも作られていました。
その技法は大陸からの刺激を受け高められていきました。
長安から続く7,000キロの道。
シルクロードを通ってはるか西の国々からも文化が伝わりました。
ガラスで出来た水差しです。
白く透き通った美しいガラス。
日本では作れなかったアルカリ石灰ガラスが使われています。
まっすぐに伸びた取っ手は注ぎ口に結ばれ持ちやすいよう作られています。
熟練した技がデザインと機能性を見事に調和させています。
この水差しはよく似た形のものがシルクロードの各地で出土しています。
中でもイランで出土したものは「白瑠璃瓶」に最もよく似ています。
当時イランはガラスの一大生産地。
「白瑠璃瓶」は長い道のりをそのままの姿をとどめながら日本へもたらされたのです。
東西の文化の融合が生み出した最高傑作です。
鏡の周りを華やかに飾るのは葡萄のつるやチョウ鳥。
ペルシャで盛んに用いられた文様です。
中央には7頭の獅子。
厚みのある文様がくっきり浮かび上がり躍動感にあふれています。
その完成度の高さから唐で作られた事が分かっています。
しかし精緻な文様をどのように鋳造したのか謎に包まれてきました。
この時代の中国の鏡を研究している人がいます。
富山大学教授の三船温尚さん。
「鳥獣花背方鏡」は再現が非常に難しいと言います。
私はねこれをやり出して20年ぐらいたつんですけどもう何回タイムマシンに乗ってね工房の離れた所の高い木に登ってるんですよ。
大体夢みたいな話で。
その木の上からこうやって見てるんですよ古代人の鋳造を。
何回タイムマシンに乗って行きたいと思ったか。
三船さんに獅子と葡萄の文様を再現してもらいました。
長年の研究から鋳型は粘土と炭粉を混ぜて焼いたものにたどりつきました。
そこに線を彫っていきます。
(三船)細い線を間隔を狭く砂崩れなく彫っていくというのは非常に難しいと。
細い線を彫ろうとするとどうしても土が崩れてしまいます。
「鳥獣花背方鏡」の文様はこのままでは鋳造できません。
そこで三船さんはある方法を考えました。
じゃあ鋳型を蜜蝋につけます。
鋳型に蝋を染み込ませるのです。
これで彫ってみると…。
2日かけてようやく鋳型が完成しました。
この鋳型に銅とスズを流し込みます。
銀白色の文様が浮かび上がってきました。
今まででは一番だけどまだ本物の正倉院の鏡に比べると駄目。
まだ及んでない。
全然及んでない。
鋳型の細部まで流れ込まず正倉院の鏡のようにくっきりとした輪郭が出ませんでした。
現代我々が生きてるこの社会が必ずしも全て最先端ではないという事ですね。
我々の鋳造技術をもってしても千年前の鏡を復元できないんですから。
千年前の技術の方が高かった。
一枚の鏡に込められた繊細で高度な技。
私たちの想像を超えて神秘的な輝きを放ち続けています。
「鳥獣花背方鏡」。
ずっと見てられますね。
ほんとに!こうやって現代の職人の方が挑戦して下さるからこそ古代の技術の高さというのがほんとによく分かりますね。
いかに難しいかという事が分かりますよね。
さあ今日は奈良国立博物館の内藤栄さんと共に一緒に詳しく見ていきたいと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
内藤さんはこの「鳥獣花背方鏡」どのようにご覧になりますか?まず四角い鏡であるというところに特徴がございますね。
そして鋳造の鏡でも恐らくこれが正倉院の中では最も出来の良いというんでしょうか鋳上がりの良いものだと思います。
このデザインというか文様もほんとにこう浮かび上がって獣たちがいるまさにそこに存在しているかのような迫力でした。
この文様というんでしょうか鋳造の特徴なんですけども例えば鳥の羽の先がとがっているんですね。
先ほどの鋳造の時に型を取りますとどうしてもこういうとがった所というのは型が抜けないわけです。
ですからこういうとがった所あるいは獅子の顎の下がえぐれているんですがこういう部分をどうやって作ったかというのが長年の謎なんですね。
他に挙げるとすると「白瑠璃瓶」はかなり心を捉えられてましたね新さん。
そうですね。
もちろん形もそうなんですけれどもまずペルシャから渡って人が守り伝えながら渡って日本まで届いているというそこにすごいドラマを感じさせる宝物だなあという。
そうですね。
こちらは吹きガラスで作っておりますがところどころ気泡が入っているんですが。
それがきれいですね。
この気泡はまさにペルシャの1,300年前の空気を閉じ込めて現代に伝わっている。
そんな夢が広がるようなそういうものだと思いますね。
それを聞いてまた改めて見ると…。
それはすごいですね。
当時のペルシャの古代の空気が。
職人の方のね。
息遣いがそのまま閉じ込められてる。
まさにその息遣いが閉じ込められているわけですね。
ほんとにこう…当時の日本は大陸から進んだ技術や文化を学び取ろうとしてきましたけどじゃあ今度は自分たちの手でもすばらしいものを生み出していこうという事その志からも数々の宝物が誕生しました。
聖武天皇が儀式で履いたといわれる靴です。
赤く染められた牛の皮。
周りの花型の飾りには真珠や水晶色とりどりのガラスが惜しげもなく使われています。
正面の模様には金の線が用いられています。
模範としてきた唐に追いつこうと装束を豪華に飾った事がうかがえます。
聖武天皇が使った肘掛けです。
1メートル近い黒柿の天板に高級材の紫檀が貼られています。
側面には金と銀で細かい文様を描き緑に染めた鹿の角で縁取っています。
脚の部分にも工夫が施されています。
紫檀よりも軽いイスノキを使い持ち運びやすくしているのです。
豪華さを残しながらより優れたものを作ろうとした職人の知恵です。
今年最も注目されている宝物…もともとは一枚一枚が一つにつながった屏風でした。
岩に腰を掛けたり木の下にたたずんだり。
女性の姿がポーズを変えて描かれています。
穏やかな表情。
ほんのり染めた頬に赤く塗った唇。
唐の絵画に似た女性が描かれている事から当時流行った化粧だと考えられています。
女性が着ているのは一つなぎの衣装。
かつてここに鳥の毛が貼られていました。
これも唐で大流行していた事が当時の書物に書かれています。
「それが流行し…」唐の流行を描いている事からこの屏風は唐で作られたと考えられていました。
しかし戦後の調査で興味深い発見がありました。
屏風の下張りに奈良時代の年号が書かれていた事から「鳥毛立女屏風」は国産だと分かったのです。
中国でも絵に鳥の羽を貼る技法は見つかっていません。
なぜ日本でこうした屏風が作られたのか謎が残りました。
花鳥画の第一人者です。
自宅に飼っている鳥は260種類。
その美しさを日々描いています。
中でもひときわ目立つ鳥がいます。
ヤマドリです。
「鳥毛立女屏風」にはこの鳥の羽が使われたといわれています。
上村さんは25年前この羽で「鳥毛立女屏風」を再現しました。
ヤマドリにはさまざまな大きさの羽があります。
模様に合わせて一枚一枚丁寧にのりで貼っていきました。
屏風一枚に使った羽はおよそ1,000枚。
1か月がかりでようやく完成しました。
これが上村さんの再現した「鳥毛立女屏風」です。
力強く盛り上がる羽。
まるで毛皮を着ているような豪華な衣装です。
しかし上村さんは完成品を見て違和感を覚えたと言います。
(上村)ギラギラ光ってるんですよ。
ちょっときつい。
表現のために使うとすればきついですし。
日常は使わない。
使えないですよね。
日常では使いづらい強烈な印象の屏風。
いつどこで使うために作られたのでしょうか。
一つの答えが当時の国家プロジェクトにあったと推測されています。
752年に行われた東大寺の大仏開眼会。
日本はこうした儀式で国力を示すため海外から多くの使者を招きました。
「国家珍宝帳」には興味深い記述があります。
大仏開眼会のころ大量の屏風が作られたというのです。
大仏開眼会に向けて大々的な準備をしたんだと思います。
そういう一つに屏風が前年ぐらいから大量に作られたんではないかと。
日本の国というものをアピールするそういう場であったんだろうと思いますね。
屏風は天皇の内裏に置かれ海外の使者を迎える際使われたと考えられています。
中でも「鳥毛立女屏風」は世界でも類を見ない高い技術力と表現力を備えていました。
日本で作られた「鳥毛立女屏風」。
世界に追いつこうとしたかつての国づくりの情熱を伝えているのかもしれません。
いやすごいですね…ほんとに。
写しで作られたもの屏風もすごいですね。
当時の日本の絵師たちがこのような絵を描く事のできた国際性というんでしょうか技術力を持っていたという点がまず一つ驚きですね。
そうですよね。
恐らくなにがしかのお手本が遣唐使などによって持ち帰られてはいると思うんですがそれを用いてこれだけ完璧なというんでしょうか非常に完成度の高い絵を仕上げていく。
その技術力というのは驚くべきものだと思いますね。
つい鳥の毛の方に思いがいってしまうんですけれども実はこのようにして美しい天平美人が描かれているという事そのものに非常に価値が。
古代の絵画は例えば高松塚古墳の壁画であるとかあるいは奈良時代になりますと薬師寺の「吉祥天像」などもございますがこういう紙に描かれた絵という点では最も古いものと言ってもよろしいんじゃないでしょうかね。
紙に描かれたものでは最も古いものの…。
正倉院の中でも実際に絵画作品というのはそれほど多くは残っておりませんのでそういう点でも貴重であると言えますね。
そもそも紙に描かれた絵画の最古の美人。
まあそうですね。
女性像としても最も古いと思いますね。
新さんが今回の正倉院展の中で注目している一つの宝物があると。
数ある中でも「衲御礼履」。
いや〜…。
よく作ってるなあというのがほんとに。
聖武天皇が履いて使っているというところもワクワクしますね。
ドキドキさせられる。
これ31センチというちょっと長め。
随分大きいですね。
ちょっと大きいなあって思ったんですけれども。
先がこう…丸くなっておりますのでその部分はやはり足が入らないんじゃないでしょうかね。
それにしてもちょっと大きめです。
この中敷きの部分を見ますとこの部分は綾なんですがこの綾がこすれた部分がございまして実際に聖武天皇がお履きになりそしてそれなりの長い距離をお歩きになったんだなという事を感じさせる痕跡が残っています。
その大きさや立派さで象徴したい思いがあったって事ですよね。
周りの水晶や真珠を使った…ほんとにきれいですもんね。
ちょうどこの十字型というんでしょうかこの花の文様だと思いますが銀を使っていまして。
ですから当時は金の線と銀の花ガラスや真珠などが非常に美しい輝きを放っていたと思いますね。
こういうものと対面しますとまさに正倉院展の究極の宝物の美しさを見たという気が会場でもいたしましたけどでも実は正倉院展には決して華やかな宝物だけではなくて武器といったものも多く展示されているんです。
貴族が権威を示すために身につけた儀式用の太刀です。
ひときわ目を引くのは豪華な把。
つばには金。
白く光る粒はエイの皮です。
握りやすいよう作られています。
把頭はサイの角を金で覆い唐花文を施しています。
刀身は反りのないこの時代特有の形です。
まっすぐ伸びた刃紋。
「細直刃」と呼ばれています。
正倉院きっての美しい刀の一つです。
聖武天皇が愛用した杖です。
長さ1メートル30センチ。
鞘の一面には黒漆が塗られています。
実はこの杖中に刀が入った仕込み杖です。
聖武天皇が宮中でも万一の用心を怠らなかった事が分かります。
華やかな天平時代は不穏な時代でもありました。
聖武天皇の政治に不満を持つ者も多く「藤原広嗣の乱」のように朝廷に対する反乱も起きました。
実は光明皇后が正倉院に納めた宝物のうち半分がこうした武器や武具なのです。
他にも戦乱を裏付けるように多くの刀や弓などが残されています。
中でも謎に包まれた武器があります。
長さは1メートル。
特徴は直角に曲がった不思議な刃です。
このように短く刃が曲がった鉾は正倉院に残る5つしか世界に現存していません。
使い方が分からなかったため儀式用だと推測されていました。
「手鉾」の謎に迫ろうとしている人がいます。
刀を打って50年。
これまで数々の古代刀を修復してきました。
藤安さんは5年前の正倉院展で「手鉾」を見てその形に衝撃を受けたと言います。
見に行ったらまさに想像を超える変な格好なんですよ。
なんでこんなもの当時の人は作ったのかなというのが一つとやっぱり見た印象でこう…形作るのに非常に難しいんじゃないかなというのがあったんですよね。
それで好奇心があるもんだからやってみたいなあと思って。
そっからの始まりなんですよ。
藤安さんは誰も取り組んだ事がなかった「手鉾」の再現を試みました。
特に困難だったのは刃を曲げる作業です。
こうした工程は日本刀にはなく曲げる際何度も刃が折れました。
うまくこっち側を肉を残しながら。
ここを出すために無理するとねここが直角にガクンと入っちゃうんですよ。
そうするとこっから割れてくるんですよ。
ここを曲げる時にここへ応力かかるから。
ここからビリッと割れちゃうともうそれでおしまい。
なぜ刃が直角に曲がっているのか。
5年たった今でも解明はできていません。
しかしようやく完成した一振りを手にした時藤安さんはその使い方に気がつきました。
使うにはこれ片手で使ったんじゃないかと思うんですよ。
そうすると先のおもりがねすごい力になってものを切るために効果的になってくるんじゃないのかと思うのね。
ただ長さがこんなもんだから長い鉾には対抗できないと考えると馬かなんか乗ってこういうふうに水平に払ったんじゃないのかなと。
そうすればこの重さといいこの手溜まりといいねちょうど…使いやすいのかなあとは思うんですけど。
それから面白いのはこの寸法がねちょうど一握りなんですよ。
そしてここ持つとね非常にバランス取れて持ちやすいんですよ。
このおもりとこの長さの調子がね。
だからそんな使い方持ち方をしたのではなかろうかなとは思うんですけどね。
端正な形の「手鉾」。
実戦のための計算が尽くされているのかもしれません。
多くの武具が残された正倉院。
その背景には聖武天皇の思いがありました。
聖武天皇が生涯傍らに置いたとされるお経です。
天皇が深く信じた盧舎那仏の教えです。
信者が守らなければならない戒律が書かれています。
その中に次のような教えがあります。
仏教をもとに国づくりを進めてきた聖武天皇。
盧舎那仏の教えは自らが最も守らなければいけないものでした。
しかし不穏な時代武器を手放す事はできませんでした。
死後にこれらを納めさせる事で最後に仏の教えを守ろうとしたのではないか。
正倉院に残る武器や武具は華やかな時代のもう一つの姿を伝えているのです。
形や使い方などまだ謎に包まれている宝物があるんですね。
この「手鉾」のように調査がなかなか及ばないという宝物はまだ正倉院にはたくさんあるんでしょうか?まだまだたくさんあると思います。
ではVTRのように現代の職人の方がその写しとして作っていくというのはほんとに大きな手がかりが。
確かに横から切る時の力の加減というんでしょうかそれによいとかですねそういう事を今知りまして非常にそこら辺が興味深かったですね。
そういったところからどのような場所でどのように使われていたと推測されますか?宮中の例えば身辺警護であるとかそういう事がよいかと思います。
そして更に鉾に比べると短いという事を考えますと馬で使うというのも一つの考えですしあるいは建物の中という事も一つの前提としてあってもよいかなというふうに思います。
その長さからという。
そうですね。
ただ先ほども申しましたが類例がないためになかなかこの…当時の使われ方であるとかそういう事はなかなかいまだに分からないですね。
しかし正直言いまして正倉院の中の数々の宝物の中に武器武具というのが多くあるというのは初めて知ったんですけれども。
これは一つの考えですが聖武天皇は「梵網経」をとても深く信仰していました。
これは鑑真和上から戒律を受けた時の教科書テキストであったというふうに考えられています。
正倉院宝物の中にお経は実はこの一点だけなんです。
えっ!意外と思われるかもしれませんが。
意外ですはい。
戒律に書かれている事をところが天皇という立場のためにですねなかなか実践できなかった事があると思うんですがそれを亡くなったあとに実行されたのではないかなというふうに推測しています。
当時聖武天皇の仏教に対しての捉え方というか仏教への信仰心というのはどの程度の情熱があったと…。
大仏を造ろうと決心されたそのぐらい大きな情熱を持っておられましたしそしてこの仏教が国を救い国民を救ってくれるというこの信念はほんとに強かったと思うんですね。
それがこの正倉院宝物の奉納というんでしょうか自分の持っている宝物の奉納という事にもつながっていったわけなんですね。
今年特に正倉院展の宝物また改めてご覧になってどのような思いを今胸に抱かれていますか?あの正倉院宝物を見ておりますとやはり当時の日本人のですねどういう思いで外国の文化を学んでいたのか。
そしてですねそれを自分たちでどう吸収していきそして自分たちのものにしていったのか。
そういう日本人らしさというんでしょうか。
そして更にそれが現代の我々にも通じるような何かを見いだす事がありましてまさに宝物の裏に隠れている人々の暮らしであるとか息遣いであるとかそういうものを発見できる時がとても楽しくそういうものをまた皆さんにも感じて頂きたいなと思っています。
今回はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
2014/11/02(日) 09:00〜09:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「華麗なる天平の至宝〜第66回正倉院展〜」[字]
第66回正倉院展を紹介。シルクロードを経て伝わった天平時代の貴重な宝物の中から、美しい女性を描いた「鳥毛立女屏風」など、高度で洗練された工芸品の世界をひもとく。
詳細情報
番組内容
古都奈良の秋を彩る第66回正倉院展。今年は天皇皇后両陛下の傘寿を記念して会期を20日間に延長してひらかれている。シルクロードを経て伝わった天平時代の貴重な宝物の中から、美しい女性を描いた「鳥毛立女屏風」や金銀を施した「黄金荘太刀」「鳥獣花背方鏡」などを紹介。高度に洗練された工芸品ががどのようにつくられ日本にもたらされたのかをひもといていく。
出演者
【出演】奈良国立博物館学芸部長…内藤栄,【司会】井浦新,伊東敏恵
ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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