震災の年に発足した政府の原発事故調査委員会。
その委員長を務めた畑村洋太郎さんです。
翌年に最終報告書を提出し調査活動を終えました。
おはようございます。
こんにちは。
畑村さんは委員長の責任を果たしたあとも福島に通い続けていました。
飯舘村は全村避難が続き一部の地区では立ち入りさえも制限されています。
事故が起こったらこういう事をやらざるを得なくなってやる事になるというのを原発原子力で発電するという事と一緒に考えていたのかなというとこういう事僕ら全然考えていなかったなという気がするね。
僕は原発賛成の人でも反対の人でもいいから一度ここに来てごらんよというのをすごく思うね。
何が復興を阻むのか。
その最大の理由は国が行う除染の遅れだと畑村さんは考えました。
飯舘村では事故から3年の時点で除染は計画の1割未満しか進んでいませんでした。
ではなぜ除染は遅れているのか。
問題と見たのが除染廃棄物でした。
どこに集めどうやって処分するのか。
その処理の流れが具体的に進まない状態が続いていたのです。
帰りたいと思うし帰れると思っているのに帰れないという現実だけが残って時間だけがず〜っと過ぎていっちゃってねそれで避難をさせられている人自身がどんどんと萎えていっちゃうんじゃないかという…。
このままじゃいけないなという感じはする。
原発事故と向き合い続ける畑村さん。
「失敗学」「危険学」という学問を長年提唱してきました。
人間が日々繰り返すさまざまな事故。
その背後にある法則や真の教訓を解明する事の意義を説いてきました。
見つめてきたのは危険と正しく向き合えないこの社会の在り方です。
そして行き場が定まらないまま積み上げられた大量の廃棄物。
畑村さんはこの処理の壁に真正面から挑みます。
国とは異なる処理の方法を模索し始めたのです。
しかしそれは容易な事ではありません。
元政府原発事故調査委員長畑村洋太郎さん。
被災地と向き合った1年を追いました。
去年8月畑村さんは長野県木祖村にいました。
夏休みに福島県の子供たちを招く保養プロジェクト。
畑村さんは震災以来このプロジェクトを主催してきました。
子供たちを招いた施設には見慣れない形をした子供の遊具が置かれています。
「遊動円木」って言ってる…。
普通丸太ん棒をつるしてさみんながこうやって動くやつね。
これらは畑村さんらが独自の設計思想で開発した適度に危険な遊具です。
ここの動きがすごい複雑でしょう。
育ち盛りの子供が喜ぶ動きのある遊具。
それでも挟まれて指を切断したり体が潰されたりといった重大な事故が起きないよう工夫されています。
近年こうした遊具は全国の子供の遊び場から次々に姿を消しています。
事故が相次いだ事で危険性が指摘されたからです。
これに畑村さんは危機感を感じました。
「危険を排除するだけではむしろ別な危険を生み出す」と考えたのです。
一番いけないのはね危なさに鈍感でほとんど危なさを考えない子供をいっぱい今つくってるという事なんだよ。
排除する事で。
だから危ないもんをなくそうというのは間違いなんだよ。
だから事故が逆に起こるんだよ。
全然危なさを考えない子供ってどこに危なさがあるか判断ができないんだもん。
適度にけがをしたり痛い目に遭ったりしたりしながら学んでいくようなそういう子供をつくんないといけないと思うんだよね。
2011年東京電力福島第一原子力発電所の事故。
畑村さんはこの事故にも同じ問題が潜んでいると感じました。
それは危険を直視せず考え続ける努力を怠る日本社会の姿でした。
「原発は安全です」なんてうそついてたろう。
「安全です」って言うから事故が起こったあとどうするか誰も考えないし準備もしなかったじゃない。
今ひどい目に遭ってるのはみんなそれだよね。
だから遊具の話と僕なんかは原発の話と同じに見えるんだよ。
原発事故から3か月後畑村さんはその経験を買われ政府が設置した事故調査委員会に委員長として迎えられました。
およそ1年間にわたって関係者の聴取を行い報告書がまとめられました。
この報告書に畑村さんは異例の記述を盛り込みました。
7項目にわたる「委員長所感」です。
危険性はどんなに対策をとってもなくなりはしない。
にもかかわらず対策の形ができるとそれに安住し危険を見つめなくなる。
そうした傾向を改め危険に正対して議論できる文化を作らねばならない。
畑村さんは文化や意識の在り方までも問い直す提言を報告書に書き込んだのです。
報告書の公表からおよそ1年後の去年6月。
畑村さんは被災地福島にやって来ました。
そこで危険を直視しないがゆえの問題が再び生じていると感じていたのです。
これが村の方の仮置き場だと思います。
それは廃棄物の問題に答えを見いだせないままでいた除染です。
でも随分な数だね。
うん…。
訪ねたのは全村避難が続く飯舘村。
村の除染は国が直接行う事となっています。
しかし震災から2年半が経過しても飯舘村での除染の進捗率は計画の1割未満にとどまっていました。
停滞の原因の一つは廃棄物の行き場が定まらない事でした。
国の方針です。
まず廃棄物は市町村ごとに設置される仮置き場に保管。
その後福島県内に造られる予定の中間貯蔵施設へ移送します。
そして30年以内に県外で最終処分をする計画です。
しかしこの時中間貯蔵施設や最終処分場の建設のめどは立っていませんでした。
更に飯舘村では国の計画は初めからつまずきました。
飯舘村では当初この山中を造成し仮置き場とする計画でした。
しかし予想を大幅に超える廃棄物が発生しました。
そこで国は仮置き場の仮置き場いわゆる「仮仮置き場」を村の地区ごとに設置する事を要請しました。
しかし地区のどこに設置するのかいつまでそこに置くのか議論が紛糾。
除染の実施が大幅に遅れていました。
畑村さんはこうした遅れが人々に致命的な影響を与えていると感じていました。
特に憂慮していたのは震災関連死の数が福島県だけ突出して増え続けている事実です。
去年の春の段階で1,300人を超えていました。
これはもう原発の避難だよ。
そうすると死んじゃうんだよね。
だから死んでる人の数が異常に多いのにそんなの全部オープンの情報でそうなっているのに何にもしないで人が死んじゃうってのは変じゃないかってのを僕はすごく思うんだよ。
それでねそうするとすぐに誰が悪い何がおかしいという話に持ってってそういう人ってみんないつも自分は正義で周りがやんないからおかしいって人のせいにしてる議論に思えてしょうがないんだよ。
すごく無責任だと思うんだよね。
気が付いているんだったら誰がおかしい何を言う前に俺にできる事を自分でやろうって動く方が僕はやっぱり人の生き方としては正しいと思うんだよね。
だから自分はそう動こうと思ってるから動く事にしてる。
この日畑村さんらは飯舘村南部比曽地区にある農家を訪ねました。
啓一さんは国の除染が進まない中自らの田畑を使って独自に除染実験を続けていました。
線量ちょっと測ってもらえる?表土5センチをはぎおよそ8割の放射性物質を除去する事ができました。
しかしその代償に出たのが70袋に及ぶ行き場のない廃棄物です。
こういうのがあるのがけしからんと考える人ってのがいっぱいいるんじゃないかと思うけど…。
そうなの。
やっぱりそう思ってる。
これが毒だと思ってるんだね。
いや分かんだけども。
比曽地区では仮仮置き場をどこに設置するのか結論が出ていませんでした。
そのため国の除染はまだ始まっていませんでした。
現在で全然置き場がないわけなんでじゃあどうすんのと何年かかんのという事をきちんとした事がないんです。
やっぱり自ら早く帰りたい人かなりいると思うんですよ。
そのためにはどういう形がいいのかね。
僕ね3年30年100年って考えてるんですよ。
それでね3年というのがねみんなのコミュニティーが離散しないで元に戻れる限度じゃないかと思ってるんです3年ぐらいがね。
それから30年って言ってるのが地域が自分らの村だの…それぞれのコミュニティーだと思ってもう一回前と同じように固まれる限度じゃないか。
それから先は代替わりがしたら絶対に共同の価値観ってなくなると思うんですよ。
それで100年って言ってるのが多分いろんな事があって放射能の問題が基本的にはぐらいまで落ちてほとんどの人が気にしないで普通に生活できるようになるのにそれくらいかかるんじゃないか。
3年30年100年って考えていて。
もうすぐ3年が限度が来ちゃうのに何もちゃんとそういう動きがないままいってるというのはとっても時間の空費っていうかもったいない感じがしてしょうがないんです。
震災からおよそ半年後の2011年10月。
畑村さんがこの飯舘村比曽地区と関わるきっかけが生まれました。
当時政府事故調の委員長を務めていた畑村さんが初めてこの地区を訪ねたのです。
被災者の声をじかに聞きたい。
菅野啓一さんら飯舘村の住民が案内を務めました。
それでここで毎日計測してるわけなんです。
飯舘の中でもこの辺の南は高いんですが一番高いと言われてるのが隣の長泥という集落。
こっから…そうですね約2キロ…3キロかな。
比曽地区は事故以前はおよそ80戸300人が暮らす集落でした。
かつては度々冷害に見舞われる過酷な土地でした。
それでも人々は風土を生かした農作物や和牛の育成に力を入れ暮らしを築いてきました。
人々の強い絆や美しい自然に恵まれた風土が地域の誇りでした。
もしかすると今回の事故でこういう生き方というのはもしかするとできなくなります。
これはお金で評価したり補償できたりするものではありません。
だけども本当はこういうのが大切なんですね。
何とか復帰してまたこういう事ができればいいですがそれはできるかどうか本当に私どもも厳しいですが本当の豊かさはこういうものにあるという事はやっぱり知って頂きたいなと思います。
奪われたのは人々が大切にしてきた営みそのものでした。
もう全部の生活も生産も何もかにも全部ひっくるめてここの場所自身が根こそぎ全部なくなってるんだねこれ。
形はあるんだよね。
でももうそいつは前と同じように使ったりする事ももうできない場所になってる。
除染が進まない現状に何ができるのか。
畑村さんは手弁当の勉強会を続けてきました。
たどりついたのが……という独自の発想による除染の手法です。
除染を行うそれぞれの敷地の一角に廃棄物を埋設。
これで最終処理とします。
大規模な処分場などは必要としません。
汚染土など廃棄物は放射性物質を集めた事でより強い放射線を放ちます。
その廃棄物をその場で穴を掘り埋設。
汚染されていない土で遮蔽し地上への影響を封じ込めます。
この汚染土に含まれた放射性物質の大半はセシウムです。
セシウムは土壌の粘土と固く結び付くと簡単には分離しない事が研究から分かっていました。
そのため雨水などが浸透してもセシウムが粘土から離れて水に溶け出す事はなくセシウムは地中に保たれたまま動かないはずだと考えました。
あとはそれ以上手を加えず時間とともに減衰するのを待てばよいというのです。
この半年ぐらい「その場処理の深穴埋め」というのがいいんじゃないかというんで淵上さんが徹底的にあちこちに聞き回るだの調べるだのをみんなやってくれて。
まず最初に一番分かってる情報を発信してる国立の研究所回ったわけですよ。
そうするとさっき畑村さんが言うとおりでほとんどの人たちが「全くそのとおりです。
これがいいんです」と。
まあちょっと言い過ぎかもしれないけど「淵上さんたちから言ってほしい」みたいな顔してるわけですね。
「それはおかしいんじゃないか。
あなた方は国の機関で政府に情報を出す責任者であるのに」という話をすると「分かってます。
だけどもう政治が違う答え出して動いてる以上なかなか言えないという政治的社会的な話なんです」という事で。
情報や知識を作るところまでは自分らの仕事だと思って一生懸命やるんだけどそれが今世の中でどういう働きかけをしてみんなにそいつを伝えないと今のひどい状態というのが変わっていかないかというそっちの側から見るというのは誰もやってない感じがするんだよ。
去年11月飯舘村比曽地区を舞台に畑村さんを中心とした除染実験のプロジェクトが動きだしました。
実験には手弁当で集まった研究者と共に飯舘村の菅野啓一さん菅野義人さんが参加する事になりました。
除染を行うのは15メートル四方の屋敷林です。
ここでは放射能が木の枝葉に付着。
それが地面に落ち腐葉土となっていました。
除染前の空間線量は毎時7〜8マイクロシーベルト。
国の避難基準の目安の2倍近い汚染が計測されました。
今回の調査で汚染が思った以上に深く浸透している事が分かりました。
3年の時間経過で落ち葉などの腐敗が進んだ事が原因と見られます。
8割の汚染を除去する事を目標に15センチ程度をはぎ取る事にしました。
はぎ取った汚染土はその場で深さおよそ1.8mの穴を掘り埋め込んでいきます。
埋めた汚染土の上に穴を掘る際に出た汚染されていない土をおよそ50センチかぶせました。
処理が終わった空間は放射線量が目に見えて落ちていきました。
毎時7〜8マイクロシーベルトあった空間線量が…土の中には太いパイプを埋め込みました。
これを使って土の中の放射線量を測る事ができます。
埋め込んだ汚染土の中央部では強い放射線が観測されたものの地上にはほとんど影響がない事が分かりました。
あっきれいに出てきたよ。
出てきた出てきた。
しかし多くの住民には不安がありました。
地下水や雨水に汚染が溶け出し拡散するのではという心配です。
理論上は土と固く結び付いたセシウムは水にほとんど溶け出さないというものの検証が必要です。
そこで急きょもう1本パイプが備え付けられました。
廃棄物からしみ出した地下水をくみ上げ観察してみる事にしたのです。
まだ数値的な結果がはっきり出てないからだからうんと強く言うのはできないんだけども早く帰還ができないともう時間切れになりかかってるから本当はものすごく早くやってほしいなというのをとっても強く思います。
だから早く僕らこの結果で確かにそうだよねというのをみんなで共有できるようにしたい。
比曽地区では国の除染は相変わらず始まっていませんでした。
飯舘村の菅野啓一さんと菅野義人さん。
実験に参加したのは自分の力で行える除染の方法を手にしたいと考えたからです。
住宅から離れた山林の除染についてはどのような扱いにするのか。
国から具体的な説明がありませんでした。
2人はこのまま国に全てを任せていても自分たちが望む除染が実現できないと考えていました。
事故発生から3年。
やっぱりはっきり私ら思うのは除染の限界があるという事。
ほんとに国が直轄除染で除染やった事によってじゃあ若い人たちも含め子供たちも含めて安心して帰れるって方策までにはレベルまでにはいかない。
あとは除染をやる場所がかなり限定的だからね。
農地と住環境の一部だから。
国がやるのはね。
当然自分の土地だから周りはきちんと除染をしたいというのは誰しもあると思うよ。
それをどうするのという事になると国が再除染できちんとやってくれっかどうかなの。
で一方ではある程度の賠償金が出たという事もあってじゃあ戻って苦労するよりは新しい場所で生活しましょうという人たちも出てきてる。
2人が不安に思う事があります。
飯舘村の住民を対象とした去年のアンケート。
村へ戻らないと決めた人の数はおよそ3割に上りました。
20代以下30代と若い世代ではその数は5割以上に上っていました。
避難中は家賃補助に加え1人当たり月10万円の精神的損害賠償が支払われます。
しかし避難が解除されればこれらはじきに打ち切られます。
今のところはね皆さん戻りたくないと言えばそれが永遠に続くような錯覚に陥ってますが国なんかそんなに甘いものじゃない。
早い話月10万円の精神的損害と家賃助成がいつ打ち切っかです。
その時に自分たちで払いながらも避難生活ができんだったらばそれはそれでいいんです。
だけどもここの地区だってみんながそうではないですから。
その事を考えればよりいい環境を作っていくための方策を自分たちでできる事を見つけていかないと私は間に合わなくなるんじゃないかなと。
今からやっとかないと。
今から始まらないと後々の人たちがやっぱり見んでねえべか。
その地域がじゃあ先輩たちは先祖たちはどんな頑張りをしたんだというのが私はやっぱり最終的に長い目で見た時の復興の原動力につながってくんでねえのかなとそんな気がするんだな。
大したものは残せないけども何とかしようという努力の足跡ぐらいはちゃんと残す事によってあとにつながってくんでねえのかなとそんな期待も私らにはあるんだけどな。
前回の実験からひとつき後。
予想外のデータが出てきました。
(一同)おはようございます。
地下水を観察するため急きょ取り付けた採水管。
ここからとった水から飲用水の基準値以下ながらセシウムが検出されたのです。
なぜ地下水からセシウムが検出されたのか。
考えられたのが地下水を採取する方法の問題です。
前回の実験では汚染土の底にたまった地下水を採取していました。
その際モーターの吸引によって汚染土そのものを地下水と一緒にくみ上げた可能性があります。
加えて汚染土に混じった有機物の一部が腐敗するなどし溶け出したセシウムを直接吸い上げた可能性がありました。
しかしこれでは汚染土を埋めた事による地下水への影響を調べた事にはならないと畑村さんらは考えました。
そこで新たにより自然環境に近い形で水が採取できるような仕組みを考えました。
汚染土の下に配置した土の中に採水管を置きました。
モーターに頼らず自然の高低差を利用して水を取り出せるようにしました。
配置する土はできるだけ現実の環境を再現するためこの地域によく見られる砂質土や黒ボク土を使いました。
みんなの納得性みたいなものにきっちりちゃんと直接訴えるものでないと駄目なんじゃないかというそういう感じがします。
冬の間この仕組みで採取した地下水を継続的に観察する事にしました。
原発事故を経験した日本。
畑村さんは原子力発電における「安全」とは何かを考え続けてきました。
去年畑村さんは原子力規制委員会に招かれ意見を求められました。
訴えたのは「原子力発電では絶対の安全はない」という事でした。
要するに今規制庁や規制委員会で考えられたりやられたりした事でも完全ではなくて考え落としがあるんだという事を自分たちはきちんと意識していますと。
従って今自分たちが審査したりいろんな事の中にもまだ抜けているものとか未知のものとかそういうものが残りますというのを初めにしっかり言わないといけないんじゃないかという気がします。
国民に「絶対安全」という誤解を与えてはいけないんだというお話なんですが…。
これをどういうふうに発信するかというのは大変…お聞きしててどうしようかなって…。
今委員長が「分からないんだ」というんで誠にそうだというふうに思うんですが私は多分やり方があるんじゃないかとこのごろ思うようになってきています。
それは個の独立です。
これは誰かが決めた事を着実に守ってそれをやっていればいいんだと考えるんではなくて全ての事柄を自分の目で見て自分の頭で考えてそして判断して決める。
そしてそれを実行するという。
これは今日本で一番不得意な部分ですが不得意であってもそれをやらないともうどれにも対応できないんじゃないかというふうに思うんです。
実は我々の実力から見るととっても大きい事を今日はたくさん付託されたような思いでいます。
(司会者)ありがとうございました。
それでは以上で本日の会合は終了させて頂きたいと思います。
今年6月。
新緑の季節を迎えた飯舘村です。
除染実験をした場所の空間線量はほとんど変わっていませんでした。
菅野さんたちが続けてきた地下水の採取。
汚染土の下の土の層からとった地下水からは放射能は検出されていませんでした。
汚染土の周囲の土がセシウムの移動を妨げていると考えられました。
今のところは出てきていないのでそれなりに土が吸着してくれていると。
やっぱりもう少し時間的な経過で追っかけないといかんだろうなと思ってますよね。
ですから例えばあと半年後にどうだったかあと1年後にどうだったかというような測定も必要だと考えております。
実験チームはこのあとも値に変化がないか調査を続ける事にしました。
飯舘村の全村避難から丸3年。
放置された田んぼが目立ってきていました。
避難先から手入れに来る人が減っているといいます。
この春比曽地区でも国の除染を巡って大きな動きがありました。
除染廃棄物の仮仮置き場の設置が決まったのです。
国が求めてきたのはおよそ30ヘクタール東京ドーム6個分の土地でした。
決まったのは地区の中心に広がる水田地帯。
山あいの比曽地区で国が決めた条件と合致するのはここしかありませんでした。
一番比曽で一等地。
田んぼが。
条件としては最高の土地なんです。
(取材者)何でわざわざここが仮仮置き場になるんですか?車が出はいりできて約30ヘクタールの面積というのはここでは水田しかないわけです。
この地区では。
それでただこの水田はこの地区の復旧にとっては一番大事な部分だからもっと別の場所で確保できないかという話をしたんですが仮仮置き場の提供がなければ結局除染が遅れる。
そういう話もあって。
(啓一)納得は…。
(啓一)ここの中央部にダーッと置くわけだからそれを見ながら我々は暮らしていけるのかと。
戻ってきてじゃあ何やっぺ。
汚染物のね置く場所が…一番いい条件の場所にそれが汚染物を置かれたんではほんとにこれから復興に向けて邪魔ものがあったんでは全然動きができないというか。
それが一番みんなもこれからは感じるんじゃねえのかなと俺は思うの。
(義人)実際積まれればね。
集落総出で維持管理を続けてきた水田でした。
それでもここに仮仮置き場を設置する事に明確に反対したのは菅野啓一さんと義人さん2人だけでした。
土地を提供すれば地権者には一定の補償金が国から支払われます。
地域の仲間たちの考えは時と共に食い違ってきました。
それでもそれを責めるわけにはいかないと義人さんは言います。
金に釣られたのかという話になるとじゃあ全てな生産手段を失って家族がバラバラになってる人たちがあと何が頼れる?そういう考え方だってあっていいと思う。
だってもしかすると息子だって遠くに行ってる。
地域のつながりだって希薄になってる。
農業にしたってリスクがある。
そういう人たちが将来何に頼る?村頼れる?国頼れる?そうなった時にやっぱりお金で自分の将来を考えなくちゃいけねえというふうに考える事だってありでねえかな。
今までだったらば金だけでねえという言い方ができたんだよ。
金だけでねえよ。
みんなで力を合わせるのが大事なんだよという事をこの地域で言ってきたんだ。
だけどそれが奪われてるんだ。
この人たちがじゃあ何を頼りにする。
やっぱりお金しかないというふうに考える事だってしかたのない事なんでねえかなって最近は思えてきてるな。
菅野義人さんは2か月に一度飯舘村の有志と共に復興を考える勉強会に参加しています。
この日は除染実験の経過について義人さんが報告しました。
自分の敷地に廃棄物を埋める事をどう考えるか。
義人さんは意見を聞いてみたいと考えていました。
(義人)ものの程度にもよるんだろうけどね。
(義人)あとどういう方法で下げられる?うちの方でね…だからそういうのを考えると……自分では思ってます。
廃棄物を埋める事への根強い抵抗感。
義人さんは改めてそれを知りました。
6月下旬畑村さんは再び飯舘村を訪ねました。
これまでの実験結果を地元住民に説明するためです。
比曽地区の住民などおよそ40人が集まりました。
名前はここのところでやったんですが「その場処理の深穴埋め」という名前でやってみる事にしました。
自分のところを何かほんとに処理を自分でしようと思ったらこういう考えでやっていったらいいんだなと分かってくれたらそれでもう僕たちの目標というかやりたい事というのは実現した事になります。
畑村さんはこれまでの実験結果では汚染の拡散は起きていない事を説明しました。
場所を移しての質疑応答。
住民からは思わぬ声があがりました。
風評の問題です。
実験に協力してきた義人さん。
しかしこの時口にしたのは畑村さんの提案を受け入れる事の難しさでした。
この汚染土を埋めるという事に対しては地元の方はまだまだ抵抗感を持っております。
やはり原子力政策の中で非常に経済的に効率的な事を追求してきて結局こういう事故が起きてそして汚されたという意識は皆さんお持ちになっております。
ですからですねこの方法を実際に実行するためにはやっぱり国であれ電力事業者であれ十分にこの責任を果たして頂いたその上でね私たちがもう少し線量を下げるための方法だという事で検討するあるいは実現できるような方策ではないのかなって考えております。
こういう事故になって果たして日本がこの原子力事故から学ぶべきものというのは学んでるかどうか。
もう今既に我々は東京オリンピックに国が向かってるような非常に危惧を抱いております。
ですからやっぱりいろいろ反省すべき事は反省し将来に生かすような道を見つける努力をしてそして責任を取るところはきちんと責任を取ったうえで我々も協力できる事は協力すると。
そういうのが実現可能な方策ではないのかなというふうに考えております。
汚染土を自分たちの敷地に埋める前になされるべき事がある。
義人さんは住民の思いを代弁しました。
とっても不思議な会合を開いて不思議な集まり方してねこういうもんができて終わりまで来ました。
とてもうれしく思っています。
僕らのやってるのは全くのおせっかいです。
でもね自分がもしも皆さんの立場だったらやっぱりこういうふうに思うなとかこういう事を知りたいなとか。
もう一つねちゃんと忘れないで気にして見ててほしいなって僕だったら思うと思うから。
ちゃんと思ってるんだよって。
そうならおせっかいやろうっていうのでおせっかいをやりに来たわけです。
それで大事なのは誰かが何かやってくれるというのを待ってたって大体ろくな事はないしね。
あんまり大した事になんないと思うから。
やっぱり自分が考えて自分が主体的に動くんだ。
ちゃんといろんな事は立派になんかできないけどやっぱりちゃんと動こうと思って動くのが大事で。
自分で測定して自分で考えると自分の頭の中がちゃんと進んでいってちゃんとものが考えれるようになってそれが全部のもとになるんだよというのが多分言えるんだろうというふうに思うんです。
だから僕らの危険学プロジェクトはおせっかいをまだしばらくはやり続けるつもりでいますので是非ご協力頂きたいのと皆さんもそういうおせっかいがあるからだまされたと思ってつきあってみるかでもどれでもいいんです。
でもそういうものがやり続けている事自身が大事だと思うからまた元気を出していろんな事をやっていってほしいなと思います。
今日はどうもありがとうございました。
(拍手)だから彼の言うのは全部そのとおりでね。
だから自分たちも努力するつもりはあると。
それからある部分荷物をしょわなきゃいけない部分があるんだったらちゃんとしょうよと。
だけどその前に東電なり国なりがちゃんとそこの責任でやんなきゃいけない事ってやってくれと。
やらないで先にお前我慢してくれというようなそういう論理の持っていき方はおかしいと思うって彼はそう言ったわけでね。
僕もそう思うね。
でもまたここにいる住民の人もね僕は「被害最小の原理」って言うんだけどどうせ嫌でも付けが回されてくるっていうのでひどい目に遭うんだったらひどい目になり方を最小にするのにどうするかっていうのを考えて。
深穴埋めみたいなのは僕らがああやってデータなり何なりで分かる形にまでしたらそれから先はそれを受け入れるかどうかは今度住民のそこの人たちの問題だと思うね。
この夏福島県は中間貯蔵施設の建設受け入れを表明しました。
国は来年1月には廃棄物の搬入を始めたいとしています。
しかし地権者との合意はまだできていません。
国の除染作業が始まっていました。
除染実験に参加した菅野義人さんと菅野啓一さん。
2人は比曽地区で除染の終わった家を回っていました。
除染の効果の検証を自分たちで行おうとしています。
空間線量が…住宅の周囲の放射線量は大きく低下していました。
しかし隣接した裏山には除染のあとも強い汚染が残っていました。
大体1mの高さで…この斜面では汚染された土や杉の葉などの多くが残されていました。
除染によって土壌の流出が起こる事が懸念されたためです。
やっぱりここに戻る事を考えてる人にとってみればとてもじゃないけども不十分な除染だという事をやっぱり言えると思いますよね。
2人はこうしたデータを蓄積し除染が住民の望む形になるよう国に働きかけていきたいと考えています。
7マイクロくらい。
汚染物だね。
向かいのうちの汚染物なんです。
放射線量を下げるためには更なる除染が必要です。
それは更なる廃棄物の発生を伴います。
初めから分かっていたはずの事でした。
比曽地区の仮仮置き場の造成が始まっていました。
地区の人々の誇りだった30ヘクタールの水田。
一応計画では5段積みになるの。
計画ではね。
(啓一)これの高さ5倍。
(義人)こういうふうにつまった時にここに仮仮置き場を設置しようと考えた人たちがどういうふうに責任が負えるのかって私は思うんです。
小作料もらってんだからいいんだっていう話になるのか。
私はそうではないんでねえのかな。
…でこうやって仮仮置き場になった土地をきちんと回復させる事ができんのか。
それだけの力が私たちにあるかどうか。
その事を問われるんでねえのかな。
人々の暮らしを取り戻すために何が必要なのか。
その問いから目をそらす事なく議論を尽くす力が今私たちに問われています。
2014/11/01(土) 23:00〜00:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集「除染のゆくえ〜畑村洋太郎と飯舘村の人々〜」[字]
元政府事故調委員長の畑村洋太郎さんが、飯舘村で除染を早く現実的に進めるための実験を始めた。畑村さんの現場での実践を通して、被災地・福島の抱える困難を考える。
詳細情報
番組内容
政府の原発事故調査委員会委員長をつとめた畑村洋太郎さん。「失敗学」「危険学」を提唱、危険を直視し失敗から学ぶことの意義を説いてきた人物である。畑村さんは、委員長の責任を果たした後も飯舘村に通い続けている。今、村の除染が廃棄物の問題で停滞し、その遅れによって住民たちの帰還が危機に立っていることを深く憂慮しているのだ。そしてとうとう手弁当で実験を始める。早く現実的に除染を進めるための実験だった。
出演者
【語り】山根基世
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:30264(0x7638)