今から半世紀以上前戦争の敵国となっていた中国
「大陸の花嫁」と呼ばれた若き日本人女性たちがいたあのころ
彼女らは一体どんな人生を歩んだのか?
すみません…
日本から中国の上海までは今回日本人女性がいるのは湖南省石門県楚江鎮という町ですそこにはトゥチャ族・回族・ミャオ族といった少数民族が暮らしているということですさぁ本日のゲストは楠田枝里子さんでございますが毎週欠かさずこの番組を見て頂いてるとしかも
(スタジオ内拍手)ありがとうございますほんとに六平さん今回行かれていかがでしたか?
お昼過ぎ上海虹橋国際空港に…
こわもておじさん・六平が降り立った
みずからのOK出しも高らかにますます元気な御年60
気温は24℃と過ごしやすいがあいにくの雨
上海にも四季があり気候は日本とほとんど変わらない
ここから探し求める日本人がたどったであろう道程を追体験していく
日本人女性がいる湖南省石門は今いる上海から西南西に1,000km行ったところ
どうやって行くのか?
行き方も分かりこの日のうちに便があるというのでグングン前へ進む
実は六平の次男は清水エスパルスのイケメンサッカー選手
チームメートの大前元紀選手からもらったサイン入りユニフォームを着てきたのだ
公共の電波を使って軽〜い自慢をして…
飛行機が出発するのは午後3時
それまでの間空港内をブラブラ
お目当ては?
待ち時間ができたら食う!これが六平流日本人探し
お昼ごはんに選んだのは…まずは豚のスペアリブをしょうゆで炒めた「排骨飯」
でもちろんお目当ての「水餃子」も
自称・水餃子研究家の六平
本場・中国の水餃子はいかがでしょう?
水餃子には人一倍こだわりを持つ六平
何やら語り始めた
午後3時出発の時間
長沙行きの飛行機へ乗り込んだが…
天候不良のため飛行機に遅れが
さらに発着する飛行機も多いので遅れるのは日常茶飯事
現地の人からしたら慣れたものだがこの男は…
予定どおりにいかないとごねる
機内では離陸していないのに食事が提供され始めた
これは…炒めた野菜をパンで挟んだもの
お昼ごはんを済ませ満腹なはずの六平
こりゃもうやけ食いか?
簡単に機嫌も直りお行儀よく待つこと1時間
午後4時
ようやく飛行機が出発すると…
移動の時は寝る!これが六平流日本人探し
上海を出発し1時間もすると途中の街・長沙が近づいてくる
爆睡していた六平も…ようやくお目覚め
この先にいる日本人女性はどんな暮らしをしているのだろうか?
午後6時長沙の空港に到着したジャイアン六平
探し求める日本人も立ち寄ったであろう長沙の街へ
その車内目の前には美女が2人
すると…
ジャイアン六平喰いつきやがった!
早速ナンパ!どうだ?
速攻で撃沈!しかし…
ただでは終わらないのがこの男
美女に褒められ気をよくしていると…
到着したのは湖南省最大の都市
その歴史は古く3世紀三国志の時代に決戦の舞台の1つとなった場所
中国建国の父・毛沢東の出身地でもある
水路・陸路の要衝また化学工業が発達し都市開発も進んでいる
人口も増加の一途
700万横浜市のほぼ倍の人々が暮らす中国有数の地方都市だ
街を歩いてみると…
長沙の人はとにかく夜が大好き
周りを山に囲まれた盆地の為昼は暑く涼しくなった夜外出することが多い
公園では健康志向の高い男女が集まり軽快な音楽に乗って社交ダンスを踊ったりカラオケをしたりなどとにかくにぎやか
そして何よりの娯楽は食べること
屋台には郷土料理がズラリと並ぶ
熱々を食べながら仲間と集い夜遅くまでゆっくり過ごす
で六平
美女たちオススメのザリガニ料理が食べられるレストランへ
まずはビールをグビッと
でお待ちかねのザリガニ料理
実は中国のザリガニは1929年に日本からやって来たアメリカザリガニ
最初はウシガエルの餌だったがその美味しさから食べられるようになりエビよりも安いと中国全土に普及
日本人にはあまりなじみがないが本当においしいのか?
はいお口をアーン!
水餃子研究家も大満足のザリガニ料理
しかし食べれば食べるほどじんわりやってくるのが…
中国の辛い料理といえば四川料理のイメージだが実は湖南料理のほうが辛いといわれている
山々に囲まれた湿地帯にある湖南省は唐辛子産地の1つでもありかつて塩が高価だった時代に塩の代用品として唐辛子を使ったのが定着
ほとんどの料理にこれでもかと入っている
この日は遅いのでここで1泊
午後9時日本を出発してから12時間半でようやくホテルへ
部屋もきれいで一安心
こうして1日目が…
あら?
大丈夫だな…終了
日本人女性がいる
(六平)石門14時買おう
日本人探し4度目ともなれば慣れたもの
ササッと石門行きを発見しあっさりチケットをゲット
出発までは2時間近くとなると…
注文したのはシンプルな「五目チャーハン」
とにかく食欲旺盛な還暦の六平
長沙から石門まではバスで4時間の道程
午後2時いよいよ日本人女性がいる石門へ出発!
で移動になると…寝る
しかも耳栓までして完全に就寝モード
長沙を出て2時間も走ると…景色は一変田畑が広がる
さらに走ると行く手に建物が増えてきた
到着したのは湖南省の北部にある
探し求める
この町は600年以上のみかん産業の歴史を持ちここ数年で開発も進んできている
人口は12万
少数民族のトゥチャ族・回族・ミャオ族などが昔から暮らしている
日本人女性がいるのはこの町の育才路という通り
育才路があるのは町の外れ
バスに乗って西駅で降りればいいらしい
15分ほどで西駅に着いた
ついに日本人女性がいる育才路に到着
そこは特に目を引くものもない中国の田舎町
一体なぜこんなところに?
あれ?六平さんなんかこう4回も出て頂いてますけど六平さん実際女性に会われていかがでしたか?いや〜だから…っていうかそういう人が今中国にまだ生きて暮らしてらっしゃるそれがやっぱすごかったなぁさぁそれではどんな女性だったんでしょうかご覧頂きましょうどうぞ
中国南東部に位置する湖南省石門県
その中心楚江鎮の外れ育才路にいる日本人女性とは?
あら〜ご機嫌斜め?
気を取り直して…
日本人女性のいる場所が分かった!
日本人女性がいるという3階へ
一体どんな人なのだろうか?
(ノック)
しかし返事がない
(ノック)
何度ノックしても…
大きな声を出しても出てこない
部屋は見つかったがお留守のようだ
間違いなく部屋にいるという
戻ってみるすると…
ついに日本人女性を発見!
日本人女性がいるのは中国・上海からおよそ1000km離れた湖南省石門県にある楚江鎮
昔からトゥチャ族・回族・ミャオ族といった少数民族が暮らす町
ついに日本人女性が住む家へたどり着いた
突然訪ねてきた六平を快く招き入れてくれた
1927年昭和2年
熊本市で7人兄弟の4女として生まれた文子さん
満州とは現在の中国東北部
1932年から事実上日本の支配下にあった場所
国策として開拓が進められ資源豊かな新天地を求め多くの日本人が移り住んだ
しかし文子さんが満州へ渡ったのはまた別の理由だった
日中戦争により多くの成人男性が戦地に動員され満州への移住者が激減
そこで人員を確保するため16〜19歳の青少年が開拓民として送り込まれた
彼らの結婚相手の候補として多くの若い女性たちも満州へ
そんな彼女たちは「大陸の花嫁」と呼ばれた
文子さんもその一人
すてきな結婚相手を探しながら日々平穏に暮らしていた…
しかしある出来事をきっかけに文子さんの人生の歯車は狂い始めていった
1945年8月15日日本敗戦…
その6日前ソ連は日本とは戦争しないという日ソ中立条約を一方的に破棄し満州へ侵攻していた
終戦を迎えると満州はソ連軍により占領
当時満州にいた日本人は155万
命からがら日本へ帰った者もいたがほとんどはソ連軍の管理下に置かれた
男性はシベリアへと連行され抑留
その数は…
満州に残されたのは子どもや老人・文子さんのような女性ばかり
当時の恐怖は今も脳裏に…
女性であることを隠し日本人であることを隠しソ連軍の迫害から身を守った
しかし命を落とした人も少なくない
そんな暗い闇に包まれた満州にようやく光が差し込んだのは終戦から9ヵ月
しかし
心はすさみ悲しみに暮れる日々
そんな文子さんにとって彼の優しさは希望の光だった
結婚しおなかには双子の赤ちゃんをみごもった
文子さんのように中国人との結婚を選び残った日本人女性は推定4000人
だがそれは苦労に苦労を重ねる人生の始まりでもあった
そこは少数民族・トゥチャ族が暮らす白泥村
農業で生計を立てる静かな村だった
これで穏やかな暮らしができるそう信じていたやさき
白泥村に来て僅か1年ご主人と娘さんを立て続けに亡くしてしまった
(六平)結婚した?あとで…
24歳の時周囲の勧めで政府に勤めていた白泥村の男性と再婚
男の子も授かりようやく幸せが訪れたかに見えた
だが文子さんは
1958年当時の最高権力者・毛沢東は経済大国・イギリスを15年で超えると宣言
工業の発展を目指し農民にも鉄を作らせ無謀な生産目標を強制
昼夜を問わず労働を課した
それにより本来の農作物の生産が低下
大飢饉を生む結果となり4千万人以上が餓死したといわれている
当時の日本はサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約により再び独立した国家として歩み始めていた
しかし米ソ冷戦中のソ連はこれに猛反発
中国はソ連陣営についていたため日本との国交は断絶したままだった
日本に帰りたくても帰れないそんな文子さんに追い打ちをかける出来事が起こった
1966年に始まった
毛沢東は大躍進政策で失った権力を奪回しようと資本主義を試みる政治家を弾圧していった
平等な社会主義を実現させるためには特別な階級にある人物は排除すべきである
この思想に毛沢東を崇拝する学生たちは賛同
知識人や学者などを迫害
これにより300万人が投獄50万人が処刑
中国の近代化は30年遅れたといわれている
その矛先は残留邦人にも向けられた
日本人で日本語が話せるという理由だけでスパイ容疑をかけられた
文子さんの家族にもその目は向けられた
ご主人は政府の職を失いその後農業に従事
貧しい生活を強いられることに
文子さんに
田中角栄総理が訪中
日中共同声明を発表し国交が正常化
終戦から27年の月日がたっていた
1974年文子さん47歳の時ようやく日本への一時帰国が許された
家族と30年ぶりの再会となった
(六平)まだ生きてんのに?うん
死んだと思っていた娘を前に母はただただ涙を流した
しかし父に再会することはかなわなかった
実は父は満州行きを最後まで反対していた
文子さんはそれを押し切り満州へと渡ったのだった
(六平)う〜ん…そらそうだな
中国にはご主人と2人の子どもがいる
家族を残して日本で暮らす事は出来ないとその年白泥村の家族のもとへ戻った
2007年ご主人が他界してからは町で銀行員として働く息子さんが白泥村で一人になった文子さんを呼び寄せ…
夫婦で身の回りの世話をしてくれている
食卓に並ぶのは食べ慣れた中国の料理
つらさを耐え忍び懸命に生きてきたその姿はまさに日本の母そのものだった
このあと文子さんが今まで歩んだ自分の人生を語る…
すみません…
文子さんの思い出が詰まった白泥村の家へ
今でも時々その様子を見に行っているのだという
車で1時間半
高いビルは姿を消し山と川が織り成す昔懐かしい景色が広がる
はいはいそう…
ここが文子さんが
橋を越えた村外れに文子さんの家はある
ここで7年前までご主人と暮らしていた文子さん
ここに来ると住んでいた頃のように自然と手入れをしてしまう
今でも水道はひかれていない白泥村
野菜やみかんを栽培し家族のために働きづめだった毎日
電気が通ったのは…ほんの10年前
それまでは灯油の明かりや月明かりのもとで暮らしていたという
この家に残るすべては文子さんが異国の地で懸命に生きてきた証し
どんな人生が待っていたのだろうか?
はい用心してお元気でねありがとうございます
中国・湖南省石門そこには…
(スタジオ内拍手)口ではねおばあちゃん「幸せです幸せです」って言うのよ山ほど苦労を重ねていらしたにもかかわらず「幸せな人生だった」っておっしゃるっていうのが…すみません…やっぱり戦争ってのはすごいね…
(大野)過酷すぎて想像もつかないですねあのさっきの息子さんなんの話なんですか!ここに来て
このあとリーダーが…
アメリカに着きました〜見てくださいロスの青空です
次回は…
アメリカ最果ての地・アリューシャン列島
日本から1万4000kmの大移動!
こんなに寒いとは思わなかった!テレビでよく見ますね
そこで出会った日本人は…
家庭を支えなきゃいけないってそういう使命感っていうのかね
一体なぜこんなところに?
2014/10/31(金) 21:00〜21:54
ABCテレビ1
世界の村で発見!こんなところに日本人[字] 電気ない少数民族の村「中国残留婦人」87歳
「中国残留婦人」…。半世紀前、日本と戦争下にあった中国に大陸の花嫁と呼ばれる日本人女性たちがいた。その中に夫・子供と死別、敗戦後の弾圧の時代を生きた87歳女性が!
詳細情報
◇みどころ
世界には「一体なぜこんなところに?」と首を傾げたくなるような場所に住む日本人が多数いる。旅人となった芸能人が、自力で世界の僻地にいる日本人に会いに行き、そこにあるたった一つの人生ドラマをひもとく。
◇出演者
【司会】千原ジュニア
【旅人】六平直政
【パネラー】楠田枝里子、千原せいじ、森泉
【データマン】大野拓朗
◇番組内容1
中国・上海から1000キロ離れた湖南省・石門。そこはトウチャ族ら少数民族の町。満州開拓民の花嫁候補として日本を離れ71年、戦争により人生の歯車を狂わされた一人の日本人女性がいた。迫害・弾圧から身を守るため、日本人であることを隠し生き抜いた波乱の生涯とは?
◇おしらせ
☆『お願い!せいじおじさん』は
番組HP
http://asahi.co.jp/konnatokoroni/
ジャンル :
バラエティ – 旅バラエティ
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
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日本語
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