NHK高校講座 日本史「開国と開港」 2014.10.31

歴史に対する憧れと深い知識を持ったアイドルの養成所。
それが日本史研究の殿堂高橋歴史女学館である。
おはよう!あっ館長。
(3人)グッドモーニングミスタータカハシ。
グッドモーニング…。
え?あら英語ですか?一体どうしたんですか。
今回はいよいよ鎖国が終わってアメリカの人たちが来るんですよね。
だから私たち英語で外国の雰囲気を出そうと思って。
勉強熱心でいいですね〜。
では1853年にアメリカから来て日本の開国を要求した人は?中学校で習いました。
せ〜の。
そのとおり。
ペリーが日本に来た事で日本の社会が大きく変わったんですね。
では早速今回学ぶべき重要ポイントを見てみよう。
今回は江戸時代の終わりごろ。
200年以上にわたって続いた鎖国。
しかし突然現れた黒船に江戸の人たちは大混乱に陥ります。
そして1854年開国を強く望んだアメリカによって日本の鎖国体制に終止符が打たれます。
一体なぜアメリカは日本に開国を迫ったのでしょうか。
そして開国は一体日本にどのような影響を与えたのでしょうか。
今回押さえるべき「三つの要」は…鎖国から開国へその変化を見つめます。
鎖国状態だった江戸の人たちはアメリカの人たちを見てびっくりしたんでしょうね。
そうですよね。
ペリーさんはアメリカの東インド艦隊の司令長官でした。
こんな人が突然来たらびっくりしますよね。
じゃあ軍人さんなんですね。
やっぱり戦争をするためにやって来たんですか?ペリーさんはね軍艦でやって来たんですが戦うために日本に来たのではありませんでした。
ではペリーが来た目的は何だったのか詳しく見ていこう。
「三つの要」その一。
1853年6月江戸湾に4隻の巨大な黒い船が現れました。
ペリー率いるアメリカ東インド艦隊です。
ペリーは日本に開国を求めるアメリカ大統領の国書を携えてやって来ました。
アメリカ側の目的は戦うためではなく通商。
つまり貿易の開始でした。
18世紀ごろから急速に発展していったアメリカは大陸の西部を開拓。
アメリカ西海岸まで領土を拡大し更に太平洋を横断して中国をはじめとする東アジアと貿易をしようとしていました。
これはアメリカの国書を和訳したものです。
船の燃料の補給や緊急時には日本の港に避難させてほしいなどと書かれています。
更にアメリカの目的は日本で採れる良質の石炭でした。
船の燃料となる石炭はアメリカが太平洋を往復して東アジアと貿易するためには欠かせないものでした。
初めて目にする巨大な軍艦。
外国と戦争になるのではないかと江戸の町は大混乱に陥ります。
ペリーの強い態度に押された幕府はアメリカ大統領からの国書を受け取ります。
ペリーは1年後に開国などの要求の答えを受け取る約束をして日本を立ち去りました。
ペリーの要求に対する答えをどうするか。
開国するか鎖国を続けるのか。
窮地に陥った幕府は諸大名や武士庶民に至るまで国書を公開し開国に関する意見を求めました。
独裁的に政治を決定していた幕府にとって異例の事でした。
諸大名などから意見が幕府に寄せられました。
「通商はその時期ではない」。
「開国もしかたがない」。
「戦うべきだ」。
意見がさまざまに分かれました。
幕府の結論が出ないまま約束の1年がたち1854年江戸湾に再びペリー率いるアメリカの軍艦が姿を現しました。
ペリーは改めて要求を日本に突きつけました。
1か月半にわたる話し合いの末幕府は通商は受け入れられないが港は開くという結論を出します。
ペリーはその案を受け入れました。
1854年3月日米和親条約が結ばれました。
日本が初めて外国と結んだ条約でした。
…などが盛り込まれました。
更に幕府はイギリスロシアオランダとも同じような条約を結び日本は開国していきます。
200年余りにわたって続いた鎖国はここに終わりを告げたのです。
幕府が諸大名に意見を聞くなんて今までは考えられなかった事ですね。
そうなんですよね。
このころはですねだんだんと幕府の力が弱まってきていて独裁的に物事を決めていくって事ができなかったんですね。
そこで幕府はアメリカの要求を広く公開して意見を募った上で開国という決断をしたんですね。
でも貿易する事は拒否したんですよね。
うん。
日本はこのあとどうなっちゃうんですか?気になりますね〜。
では江戸幕府とアメリカなどの外国との関係はどうなっていくのか。
その様子を見てみよう。
「三つの要」その二。
ペリー来航後初代アメリカ総領事として下田に着任していたのがハリスでした。
ハリスはアメリカが日本と自由貿易を始めるために…しかし条約を調印する事について天皇の許可を求めた幕府に対して朝廷側はこれを拒否。
攘夷つまり外国の勢力の排除を主張する朝廷はアメリカとの貿易を拒否する姿勢を打ち出します。
一方このころ中国大陸では清が英仏連合軍との戦いアロー戦争に敗れ賠償金の支払いやキリスト教布教の自由などを認めさせられ半ば植民地化していました。
欧米からの圧力が増していく中幕府の最高職大老となった井伊直弼にハリスは通商を迫ります。
そして1858年井伊直弼は天皇の許可を得ないままに条約に調印しました。
しかし「アメリカの領事裁判権を認める」。
「関税は日本に決定権がない」など日本に不利な条文も入っていました。
更に同じ年幕府はオランダやロシアイギリスフランスともほぼ同じ内容の条約を結び開国政策を加速させていきます。
こうして日本は歴史上初めて外国との本格的な貿易を始めていく事になったのです。
ついに日本も海外との貿易が広く行われるようになっていくんですね。
当時はどんなものを輸出したり輸入したりしてたんですか?関税自主権の欠如によって安い綿織物がたくさん入ってきて国内の綿産業これは大きな打撃を受けて中には休業してしまった所もあったんですね。
(3人)え〜!大変。
一方輸出品は生糸やお茶などが中心だったんです。
館長。
ああ。
絹…シルクの糸の事です。
(2人)ああ。
館長。
その生糸について私が調べてきました。
「三つの要」その三。
込山さんがやって来たのは…。
はい!今回は群馬県のみなかみ町にやって来ました。
行ってきま〜す!うわ〜。
群馬県みなかみ町。
人口およそ2万。
緑豊かな自然に囲まれた町です。
みなかみ町の福田さんに案内してもらいました。
では早速…。
あっ!蚕を飼育している農家にお邪魔しました。
(込山)こんにちは。
こんにちは。
こちらで40年近く蚕を飼育している杉木さんです。
(杉木)みんな最初気持ち悪いんだけど私がこうやって触って「ほら〜」って言うと「ええ」って言いながらもだんだん慣れてくると触る事ができるようになるんだけど。
触っていいですか?どうぞどうぞ。
込山さん触れるかな?大丈夫かな?
(込山)えっかわいい!何か足の感覚が分かります。
(杉木)ああ〜。
脚がいっぱいあるでしょ。
かわいい。
カメラ見てます。
顔が分かる。
(杉木)あと2〜3日すると大体これが繭になる準備。
(込山)へえ〜。
お手伝いしてもいいですか?どうぞどうぞ。
じゃあどうしましょう。
(込山)はい!
(杉木)白い所がありますよね。
蚕の餌桑の葉です。
ここら辺とかかな。
(杉木)そうそう。
そんな感じでいいですね。
(込山)一日にどれくらい食べるんですか?そうだねえ。
大体この束が重さにすると約16キロぐらいあるんだけどそれをそうね一回にくれるのがこの長さで2束かな。
(込山)2束だから32キロ?
(杉木)そういう事だね。
(込山)え〜すごい!
(杉木)それを3回。
3回?32×3?ええ〜!食べるんですねいっぱい。
そうね。
だからこの桑を取ってくるのが大変。
(込山)大変ですね。
蚕の幼虫は3週間以上桑の葉を大量に食べ続けおよそ1万倍もの大きさに育ちます。
(蚕が桑の葉を食べる音)自分一人で繭作るんですか?そうですね。
ちょうど繭。
これはもう出てしまった…。
これが繭です。
(込山)すご〜い。
(福田)分かりますか?
(込山)はい。
蚕の幼虫が繭を作る様子を見てみましょう。
小さな部屋で休む事なく糸を吐き続けおよそ2日で自分の体を包み込む繭を作ります。
繭をお湯でほぐして糸を取りそれを束ねて一本の糸にしていきます。
これが生糸です。
その生糸は開国間もない日本の輸出品の代表でした。
輸出用に貿易商人が生糸を買い占め品不足となり価格が上昇。
関東地方や長野山梨などの各地で養蚕業が盛んに行われました。
ここ群馬県みなかみ町でも最盛期にはおよそ9割近くの農家が蚕を飼育していたそうです。
今では数が少なくなった養蚕農家。
杉木さんは祖父の代から100年以上養蚕を続けてきました。
生き物の蚕は大切に育てないと病気で全滅してしまう事もあるそうです。
杉木さんたち養蚕農家の努力が当時の日本の輸出産業を支えたのです。
込山君いい体験してきましたね。
はい。
初めて蚕を飼育する様子を見て養蚕をお手伝いさせてもらったんですけどすごい大変でした。
でも私があげた餌をすごいむしゃむしゃ食べてくれてかわいかったです。
よかったね〜。
じゃあちょっとこれ見て下さいね。
実は輸出が盛んになり生糸などの価格が上がった事によってほかの品物…例えば米やだいずなどの値段も急速に上昇したんです。
(生徒たち)ええ〜。
結構庶民の暮らしも大変だったんですね。
そうなんですよ。
そしてそれと並行するように百姓一揆の件数これが急激に上昇したんです。
(3人)ああ〜。
本当だ。
更にですね海外との貨幣価値の違いから一層経済は混乱していくんですよ。
貨幣の価値の違い?ってどういう事ですか?これね結構難しいので特別講師にお願い致しましょうか。
小風先生!我が女学館の特別講師小風秀雅先生です。
(一同)よろしくお願い致します。
先生。
海外との貨幣価値の違いで経済が混乱した。
これどういう事なんでしょう。
ご説明します。
これは外国と日本との間の金と銀との交換比率の違いから起きます。
私が外国人だとします。
上海のイギリス人だとしますと上海では金1つについて銀貨が15枚。
これが交換比率です。
ところがこの銀貨をですね日本に持ち込みます。
はい。
15枚持ち込む。
ところが日本では金1つについて銀貨5枚なんです。
はあ…。
という事は15枚だと全部で3個もらえる訳ですね。
そうか。
15枚持ってくれば金が3つもらえる。
えっちょっと待って下さい。
そうするとそれを持って上海へお帰りになったら…。
(小風)つまり金3つで全部で45枚。
という事は30枚もうかるという事?そういう事ですね。
つまり日本からそれだけ大量の金が出ていってしまうという事です。
あら〜。
って事はじゃあ日本は外国のお金もうけにうまく利用されちゃったっていう事ですか?そういう事ですね。
開国するといろいろ大変な事も出てくるんですね。
小風先生改めましてよろしくお願いします。
(一同)よろしくお願いします。
先生。
実は日本の開国というのは世界中がみんな注目していたんです。
そういう非常に世界史的にも重要な事件だったんです。
(3人)へえ〜。
その事を地球儀でご説明したいと思います。
お持ちしましょう。
よろしくお願いします。
ペリーがどうやって日本にやって来たかを…。
アメリカですねこれが。
(小風)アメリカの東海岸ここから大西洋を南へ南へ来てアフリカを回って…。
喜望峰を回って…。
(小風)それからインド洋を出てですねそれから香港。
そして日本へ来るという。
すごい距離!地球を半周してやって来る訳ですね。
大体4か月とかですね…。
(3人)4か月!半年かかって。
アメリカは中国に対して貿易をしたい。
しかし4か月もかけてやって来るのでは非常に効率が悪い訳ですね。
そこでアメリカが考え出したのが太平洋を横断する航路です。
例えばサンフランシスコから日本にやって来るあるいは中国にやって来る時には必然的に太平洋横断航路を使おうとする時には日本の沿岸を通らざるをえない訳です。
確かに。
(込山)本当だ。
(小風)ですからこの航路を実現するためには日本の鎖国をやめさせるつまり日本を開国させる事が必要だったんです。
(3人)へえ〜。
面白いねえ!へえ〜!何か新たな事を気が付きましたね。
本当に先生ありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。
外国の世界史っていうのも面白いなと感じるようになった。
200年余り続いた鎖国体制に終止符を打った。
1858年日米修好通商条約を締結。
外国との本格的な貿易が始まった。
安い輸入製品が綿産業などに打撃を与えた。
一方…2014/10/31(金) 14:00〜14:20
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 日本史「開国と開港」[字]

日本の今は、誰が、どのように作り上げたのか? 日本史研究の殿堂、高橋歴史女学館がその謎に迫る。出演:高橋英樹・AKB48(向井地美音、土保瑞希、込山榛香)

詳細情報
番組内容
1853年、アメリカ東インド艦隊司令長官のペリーが日本に来航し、国交と通商の開始を要求した。アメリカが日本に開国を求めたのはなぜだったのだろうか? 幕府はアメリカに続き、イギリスやロシアなどとも同じような条約を結び、本格的な貿易が始まったが、海外との貿易は国内の経済に混乱を招いてしまう。それはなぜだったのだろうか? 開国と開港が日本に与えた影響の大きさを考える。
出演者
【講師】お茶の水女子大学大学院教授…小風秀雅,【出演】土保瑞希,向井地美音,込山榛香,【司会】高橋英樹,【語り】杉村理加

ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
趣味/教育 – 大学生・受験
趣味/教育 – 生涯教育・資格

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