歴史秘話ヒストリア▽親父!いいかげんにしてくれよ!信長に振り回された家族たち 2014.10.01

フィギュアスケートで天下一を目指す織田信成選手。
本能寺の信長廟を参拝する信成さん。
偉大なご先祖様を持つ心境はどんな感じなのでしょうか。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
6月21日は父の日です。
あなたはお父さんにどんな言葉で感謝の気持ちを伝えますか?恐ろしくて「お父さんありがとう!」なんてうかつにも口にできそうにないですよね。
信長の家は信長を入れて24人兄弟。
そして信長の子は養子を入れて23人というまあ大変な大家族でした。
それを仕切っていたのが乱世のカリスマ織田信長だったのですから家族の多くがその嵐のような生き方に振り回され波乱に満ちた人生を送りました。
戦国の大家族を兄として父として率いた織田信長。
その家族を通して見る信長とは一体どんな人物なのでしょうか。
歴史。
それは絶え間なく流れる大きな河。
その中のキラキラした一滴を「秘話」と呼びます。
戦国乱世の風雲児織田信長。
家族にとってはまさに嵐のような人でした。
すべてが破天荒な兄信長に比べて弟信勝は家族思いの常識人。
2人の生き方は相いれる事なくついに兄は弟に対して冷酷非情な鬼と化します。
信長だって人の親。
長男信忠を立派な後継ぎにしようと厳しくしごきます。
父が与える無理難題の数々。
信長流教育に息子信忠はついていけるのでしょうか。
偉大な父は死んだ後も子供を縛ります。
三男信孝は父を手本に信長軍団を引き継ごうと奮闘します。
ところが軍団は父の部下羽柴秀吉に乗っ取られます。
後継ぎになれなかった信孝が迎えた悲しい最期とは?良くも悪くも型破り。
そんな偉人を家族に持った人々の心の叫びをお聞き下さい。
戦国時代の半ば。
尾張の国現在の愛知県西部を取り仕切っていた武将織田信秀が急死しました。
葬儀の席におよそ場違いな格好の若者。
信秀の嫡男19歳の織田信長です。
信長は抹香をつかむや父の仏前に投げつけます。
あっけにとられる家臣たち。
そこにすぐ下の弟信勝が進み出ました。
作法通りに礼儀正しく焼香をする信勝に家臣たちはホッとします。
父の葬式で浮き彫りになった兄と弟の違いはやがて織田家を血に染め信長を非情な鬼へと目覚めさせる事になります。
兄信長と弟信勝。
この兄弟はあらゆる点で対照的でした。
正妻の長男で後継ぎと目された信長は戦国の世のならわしとして両親とは別の城で離れて育ちました。
血のつながらない家臣たちに英才教育を施されて育つ事で信長は独立心旺盛な若者へと成長していきます。
信勝にとってこの織田家の安泰と一族の繁栄こそ戦国武将として大事な事でした。
父の死後織田家の当主となっても信長は奇抜な格好を続けます。
そして家臣のうち家でやっかい者扱いされている次男や三男を引き連れて行動します。
「衣類など使いやすければよい。
家臣は実力さえあれば家柄や血のつながりなど無用」。
信長はそう考えていました。
一方信勝のもとには織田家に代々仕えてきた由緒正しい家臣たちが集まります。
大うつけ常識のない愚かな信長に織田家は任せられない。
礼儀正しい常識人信勝こそが主君にふさわしいと考えたのです。
このころ父から受け継いだばかりの尾張の国はまだまとまっていませんでした。
信長の行動は尾張を自分が使いやすいようつくり替えるためだったと言われています。
その反動でまじめに振る舞っていた弟信勝はいつの間にか反信長勢力の筆頭に担ぎ上げられるようになります。
信長22歳の時信長と信勝の亀裂が決定的となる事件が生じます。
10代半ばの弟秀孝が一人馬で遠乗りをしていた時ある武将が相手が誰とは知らずにおどかしてやろうと矢を放ちました。
矢は運悪く無防備な秀孝を貫きました。
秀孝は亡くなります。
これを聞いた信勝はただちに軍勢を出し弟を殺した武将の領地の町を焼き払ってしまいました。
武士たる者家族の絆は大事。
弟が遊び半分で殺されれば報復を行うのは当然の事でした。
ところが信長は全く逆の対応をします。
この信長の態度に信勝を支持する古参の家臣たちは怒ります。
「血を分けた弟を殺されながらその弟を責め相手を許すような男を主として仰ぐ事はできない。
信勝様こそ織田家の主」。
弘治2年織田家古参の家臣たちは信勝を織田家の当主にしようと信長の領地に攻め込みます。
その数1,700。
迎え撃つ信長の兵力は半分以下のおよそ700人。
しかもやっかい者扱いの若者たち。
勝敗は明らかのはずでした。
ところが彼らは信長に認められた実力をここで発揮します。
激しい戦いぶりと素早い動きで二手に分かれる敵を一つずつ打ち破っていきます。
信長はその先頭に立って全軍をまとめていました。
強く新しい織田軍団の誕生でした。
敗れた信勝は信長のもとへ謝罪にやって来ます。
信長信勝兄弟の生みの親である母親も息子の命ごいをします。
申し訳ございません!許す。
母上の仰せでもある。
今後は心を入れ替えよ。
ありがたき幸せ!信勝はあくまで家臣たちに担がれたまで。
信長はそんな弟を大目に見ました。
更に信長は反乱の首謀者である家臣たちまでおとがめなしとします。
型破りながらも強さと統率力を兼ね備えた信長の姿を目の当たりにし古参の家臣たちもたちまち信長に従うようになります。
信勝は取り残されました。
「信長に織田家は任せられない」という声に自分は応えただけなのにいつの間にか兄の方が家臣の支持を得ている。
2年後信勝は再び信長に謀反を企てます。
今度は自分自身の意思でした。
しかしこれは信勝の家臣の密告で信長の知るところとなりました。
自ら反旗を翻そうとしている信勝を今度は許すわけにはいきません。
信長25歳の冬に織田家に起きた悲劇を信長と親しかった宣教師が記しています。
ある日信勝は信長から病気になったので見舞いに来てくれと呼び出されます。
傍らの弟に脈を診てほしいと左手を差し出す兄。
兄の手を取る弟。
その瞬間信長は信勝を引き寄せ短刀を手にその懐に飛び込みました。
尾張の国をまとめるため兄は弟を自ら手にかけたのです。
常識では計りがたい兄と弟の悲劇。
鬼と化した信長はその後非情な天下取りへと突き進みます。
織田信長には信長の手によって殺された信勝を含め11人の男の兄弟がおりました。
その多くは信長の部下として戦さに駆り出され5人が戦場で亡くなりました。
11人のうち天寿をまっとうできたのは僅かに2人だけです。
次に信長の子供たちについて見てみましょう。
23人いた子供の幸せについて信長はどう考えていたのか。
ご覧頂きたいのはこちらでございます。
子供たちが生まれた直後に信長が付けた名前幼名です。
長男から順に奇妙な顔だったのでしょうか。
「奇妙」。
お茶を点てる「茶筅」。
「三七」は3月7日に生まれたからとも言われております。
四男以降は更に不可解になります。
もはや「次」とか「人」までいくと父親として本気なのかふざけているのか。
天才信長の考える事は見当もつきません。
信長が一体子供たちに何を期待しそしてどんな教育を施したのかご覧下さい。
京都市。
北部にある阿弥陀寺では「本能寺の変」の犠牲者を弔っています。
本能寺で亡くなった織田信長。
その横に並んで祭られている若者。
幼名は「奇妙」と呼ばれた長男織田信忠です。
信長はこの信忠を自分の後継者にしようと愛に満ちた教育をしていました。
しかしそこは信長。
アメとムチ無理難題が相次ぐものでした。
一体信長流教育とはどのようなものだったのでしょうか。
長男信忠が13歳のころに信長はどう接していたのかポルトガルの宣教師が記しています。
信長は信忠と次男を身の回りに置いて客への応対などに立ち会わせました。
「信長は次男に茶を持ってこさせた。
やがて次男に夕食の支度のために別室に行かせた」。
弟と家を二分する悲劇を経験した信長は後継ぎと他の兄弟の差をあらかじめはっきりさせようとしていました。
信長が甲斐の大名武田氏を破った長篠の合戦を描いた屏風絵です。
信長のすぐそばに陣を敷いているのが信忠です。
信長は主要な戦いの数々に信忠を連れ自分の戦いぶりを積極的に学ばせました。
信忠は19歳の時初めて自らが総大将となって城攻めの機会を迎えます。
信忠が攻めたのは岐阜県恵那市にある岩村城。
ここの主は信長を裏切り宿敵武田氏に味方していました。
信忠はこの攻めにくい山城をあせらずじっくりと包囲します。
5か月後城の人々の命を助ける事を条件に岩村城は降伏。
信忠は勝利しました。
ところが…。
信長は信忠が命を助けると約束した武将たちをことごとく処刑してしまいます。
信忠は父の非情な鬼の顔を目の当たりにしました。
信忠は21歳のころから各地の戦場に派遣されます。
羽柴秀吉や明智光秀など有能な部下を使いこなしながら信忠はまさに現場で信長の後継者として鍛えられていきます。
信忠の評判を示す逸話があります。
ある時信長は家臣たちに信忠の器量をどう思うか尋ねました。
家臣は語ります。
「信忠様は我々がこうあるべきと予想したとおりの理にかなった行動をなされます。
とても器用な方です」。
ところが信長は…。
フンそれのどこが器用だ。
信忠にはとてもわしの後を継げそうにないな。
人が考えるとおりにしてどうする?戦で敵の思いどおり動けば負けぞ。
まさに信長の後継者ならではの厳しいハードルが設けられました。
信忠26歳の時信長は武田氏の支配地信濃の国に攻め込むにあたり信忠に最初に切り込む役を命じました。
信濃に入った信忠軍は武田勢を打ち破りながらその拠点高遠城を目指します。
ところがそこに信長から手紙が届きます。
信忠は判断を迫られます。
偉大な父であり総司令官の信長は「攻撃をやめよ」と命じています。
しかし目の前の武田軍は信忠軍の勢いの前に次々に降伏していました。
このチャンスを逃す事はできません。
信忠は父の命令に背きます。
信忠は城に攻めかかります。
自ら塀をよじ登り戦闘で指揮を執るその姿はまるで若き日の信長のようでした。
高遠城は僅か1日で陥落。
これを機に織田の宿敵武田氏は滅亡しました。
信忠の判断を知った信長は語りました。
信忠は真の後継者として認められたのです。
3か月後後継者が育ち安泰と思われた織田家に不運が襲います。
天正10年6月2日京都の寺妙覚寺に駐屯していた信忠に信じがたい知らせが届きます。
本能寺にて父信長が明智光秀の軍1万以上の襲撃を受けているというのです。
信忠の妙覚寺から本能寺まで1km。
すぐに駆けつけられる距離です。
しかし信忠の手勢は僅か数百。
1万以上の明智軍を突破して父を助けられるはずもありません。
家臣たちも明智軍がこちらに来る前に脱出するよう勧めます。
信忠の答えは…。
いや父上のもとへ行こう。
信忠は自分を育ててくれた父の救出を選んだのです。
信長の研究家谷口克広さんはこの信忠の判断に信長の教えに足りなかったものが見えてくるといいます。
信長ならば金ヶ崎の退き口の時ももういわば泥まみれになりながら京都までは逃げるわけですね。
信忠の場合そういう生への執念というかなそれがなかったと言われてもしょうがないですね。
まあ信長も随分信忠に少年時代から教育してますけどともかくお前はこの際命だけは助かれとそういうところを教えるのは抜けてたと。
信長は本能寺で死亡。
信忠も明智軍と戦いますがやがて力尽きます。
父の期待を一身に受けその教えに応えてきた長男信忠。
その死によって織田家は未来を大きく奪われたのです。
本能寺の信長と運命を共にした信忠の肖像画です。
親子で似ておりますよねえ。
細面である事また目は切れ長これは信長一家の特徴だったようです。
実は織田家は美形が多い一家と言われます。
信長の5歳ほど年下の弟はその顔立ちをこう記されるほどでした。
一方信長の妹たちも美貌に定評がありました。
この肖像に描かれております信長の妹お市の方は戦国一の美女と評判でした。
そして妹の一人目のパッチリしたお犬の方は肖像画に添えられた文章によりますと楊貴妃がこの世に再び現れたかのような美女であると記されております。
こうした妹や娘たちは多くが他の大名や武将などと政略結婚させられました。
お市は夫浅井長政を兄信長によって滅ぼされお犬の夫は信長の敵と戦って命を落としております。
美しさと背中合わせの信長一家の悲劇は信長本人が亡くなった後も続きます。
偉大なる父の大きな影響力は息子の一人を縛り続けついには死へと追いやる事になるのです。
愛知県知多半島にある安養院。
ここに信長の息子の一人が命を落とした部屋があります。
こちらが織田信孝公自刃の間でございます。
信長の三男織田信孝はこの部屋で切腹したと伝えられます。
当時部屋にあったという掛け軸です。
左下のシミは信孝が自分のはらわたを投げつけた血の跡だと伝えられています。
信孝はなぜそれほど怒りに満ちた最期を迎えたのでしょう。
そこには偉大な父信長の後を追おうとして果たせなかった信孝の無念の思いがありました。
本能寺の変によって当主と後継ぎを同時に失った織田家。
混乱と失望に包まれる中一縷の望みを残していたのが三男信孝でした。
信孝と会った宣教師は信孝をこうたたえています。
しかし信孝への織田家での扱いは恵まれていたわけではありません。
信孝は本来信長の次男になるはずでした。
しかし20日余り遅れて生まれた別の子供が母親の家柄が上だという事で次男に繰り上げられ信孝は三男とされました。
この入れ替わった次男信雄と信孝は終生競い合うライバルになります。
信長は長男信忠を手もとに置いて育てる一方で信孝と信雄が10代になると伊勢の武将の家に養子に出します。
信雄の養子先の家柄は信孝に比べはるかに格上でした。
似た扱いの中でも明らかに差があったのです。
こうした境遇の中信孝は父に自分を認めてもらおうとさまざまな戦場で勇猛果敢に戦います。
自ら先陣を切って戦う姿はまさに信長譲り。
信孝は偉大な父に近づこうとします。
25歳のある日信孝に驚くべき知らせが届きます。
京都で信長と長男信忠が明智光秀に殺されたと。
11日後京都郊外で信長の敵討ちの戦い「山崎の合戦」が行われます。
明智光秀と羽柴秀吉の軍勢が激突したこの戦い。
秀吉軍の総大将は信長の子である信孝でした。
信孝は秀吉の力を借りて明智を倒し父の敵を討ちます。
これによって信孝は織田信長の後継者にふさわしい男として名を上げました。
信孝は父信長をますます意識するようになります。
このころ信孝が新たに使い始めた印章ハンコに刻まれた文字です。
それは父信長の「天下布武武をもって天下をおさめる」という印章にならったものです。
かつて武力で天下を治めようとしていた父の姿に信孝は自らを重ねていました。
ところが織田家の当主に近づいた信孝に兄の信雄が反発します。
信雄は順序からいえば自分が次の当主であると主張。
兄弟骨肉の争いが起こり始めます。
しかもこの信雄に意外な人物が協力します。
信孝を支援していたはずの羽柴秀吉です。
根回しを得意とする秀吉は信雄を織田家の当主とするよう信長の元家臣たちの支持を取り付けていきます。
これに信孝は反発。
信長の子として剣の力を持って秀吉を倒す決意を固めます。
ところが信孝は逆に秀吉の軍勢に攻め込まれます。
この時信孝に味方する武将はほとんどいませんでした。
当時の記録にはこう記されています。
秀吉の根回しを受けた武将たちは信孝の城岐阜城を包囲しました。
孤立した信孝はこれに抵抗しますがおよそ半年後ついに捕らえられます。
この時信孝を捕らえたのは秀吉に担がれた兄織田信雄でした。
信孝は信雄によって愛知の寺に送られました。
この6畳間は信孝が最期の日を過ごした部屋をほぼ当時のまま残したものと言われます。
捕らえられてから数日後。
信孝は兄信雄から切腹を命じられます。
この時部屋にあったという信孝の血染めの掛け軸。
信孝は切腹しながら怒りのあまりはらわたをこの掛け軸に投げつけたと伝えられます。
信長が一代で積み上げた織田家の天下取りの夢はこうして急速に消えていったのです。
信長に後継者と認められた長男信忠。
父の背中を懸命に追おうとした三男信孝と信長の天下取りの夢を継ぐべき息子たちは相次いで倒れました。
では次男信雄はその後どうなったのでしょう。
信雄が持つ「信長の子」というブランドは天下取りを狙う者にとって味方に引き入れておくと大義名分が得られる都合のよいものでした。
信雄は2人の大物豊臣秀吉と徳川家康の間を渡り歩いた末にもともと自分より立場が下だったはずの彼らに従うようになります。
それでも信長の息子たちの中でただ一人大名としての家を残し73歳の天寿を全うしました。
結局信長の血筋を残したのは乱世の英雄である父信長とは異なる生き方を選んだ信雄だった事になるわけです。
それでは最後にもう一つ。
天下取りの夢は信長一代で終わりましたが現代全く異なる分野で信長の家族たちの名残を見る事ができます。
そんな秘話をどうぞ。
愛知県犬山市。
ここに織田家ゆかりの建物が残されています。
信長8番目の弟織田有楽斎が造った茶室です。
有楽斎は本能寺の変の時京都を脱出。
九死に一生を得ます。
如庵はそれまで武家が用いた2畳ほどの狭い茶室ではなくくつろげるよう倍以上の広さにしています。
有楽斎は信長のもとでの乱世を忘れ安らぎの場を得ようとしたのでしょうか。
如庵完成の3年後有楽斎は75歳の天寿をまっとうします。
彼が残した有楽流は現代まで続いています。
信長の次男信雄の子孫フィギュアスケートの織田信成選手です。
(取材者)本能寺は初めてですか?本能寺初めてです。
初めてなので緊張します。
来年のバンクーバーオリンピック出場を目指し6月1日信成さんは信長を供養する本能寺に必勝祈願に訪れました。
信成さんは子供のころから自分が信長の子孫である事を意識してきたといいます。
小学生高学年になってから信長の事とかを勉強し始めて。
ちょうどそのころから髪を切ると「ちょんまげにしないの?」とか「リコーダーが実は刀なんじゃないか」とか友達に少しからかわれたりという事はありました。
逆にあまりいい思いはなかったんですけど成長して大人になっていく過程で本当に自分がその家族に生まれた幸運さみたいなのをすごく思ってて。
すばらしい才能のおじいちゃんっていう言い方をしたらおかしいかもしれないですけどそういった家系に生まれる事ができて自分はラッキーだったなと。
世界で戦うようになってから思い始めました。
偉大な肉親を身近に持つという誇りとプレッシャーそして決意。
生まれついた宿命に人はどう向き合っていくのか。
信長の家族たちが懸命に生きた姿は私たちに語りかけています。
2014/10/01(水) 00:40〜01:25
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア▽親父!いいかげんにしてくれよ!信長に振り回された家族たち[字][再]

もしお父さんが織田信長だったら、あなたの人生はどうなると思いますか?常識はずれのカリスマを家長とした織田家の人々が、信長を尊敬しながらほんろうされる騒動と悲劇。

詳細情報
番組内容
もしお父さんが織田信長だったら、あなたの人生はどうなると思いますか? 織田信長の一家は、兄弟姉妹や子どもが20人以上という大家族。ではなぜ、誰も天下取りを引き継ぐことができなかったのか? 巨大なカリスマ家長・信長を尊敬しながらも、その常識はずれの個性にほんろうされる織田家の騒動と悲劇を、家族を心配して信長と対立する弟や、信長の無茶な教育にとまどい、父を超えようと悩む息子たちの姿を通して描く。
出演者
【出演】織田信成,【キャスター】渡邊あゆみ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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