ガイアの夜明け【シリーズ「復興への道」第17章〜福島の未来のために…】 2014.09.30

「GAIA」…それは息づく大きな生命体。
混沌の時代にも希望を見いだし再生を果たして未来へ向かう。
そこにきっと夜明けがやってくる。
あそこに煙突のようなものが見えるのがこの場所は福島第一原発から6.5キロ離れた浪江町の海沿いです。
ほぼ津波が来たときのままということですかね。
この辺りはまだ。
ただ今こちらの放射線量は0.11…その辺りですね。
しかしあちらの道路の溝や林のほうでは依然として高い数値も計測されるということです。
こちらは海岸から1キロほど来た所ですけれどもこのように船がその時のままですね。
そしてこちらにはがれきの作業もしてます。
鉄と木と…分けられ始めていますね。
作業の車が結構来ますね。
この辺りではまだ船が60隻以上車が400台以上所有者が見つからないまま放置されてるということです。
岩手や宮城に比べて2〜3年近く復興が遅れてるような感じがありますね。
『ガイアの夜明け』今回はシリーズ復興への道第17章。
少しずつ復興に向けて動き始めた福島の今を追いました。
元東電マンは誓った。
復興の担い手の育成に一生をかける。
もう100まできたよ。
大好きな福島のために女子高生が考えた新たなビジネスとは?はいいってきま〜す。
バイバイお父ちゃん!子供たちが誇れる故郷を取り戻す。
離れ離れになった大人たちの挑戦。
津波のつめあとも生々しい…。
南相馬市には3つの区があり小高区はそのいちばん南に位置しています。
街からは生活の音が消えていました。
誰もいない街を歩く1人の男性。
小高に生まれ育ったこんな…夏の夕方のこう少し涼しくなってきたやっぱり半谷さんは東大法学部卒業後2010年まで働いていました。
介護ビジネスなど数多くの新規事業を手がけ震災時はすでに退任していたとはいえ変わり果てた故郷を前に自責の念にかられていました。
やっぱり…。
あの…。
事故を起こしてしまった東電の役員の端くれだった身ですからやっぱり私はそういう責任を一生背負っていかなくちゃいけない。
で背負うだけじゃなくてどうやって南相馬や福島の復興に少しでも役立てるのかっていうことをやっぱり毎日毎日全力で少しでも復興に役立つようにしなくちゃいけないなっていう思いですよね。
原発からおよそ25km小高区の北に位置する原町区。
半谷さんはすでに去年この場所に復興に向けてある施設をオープンさせていました。
そこにはずらりと並んだ太陽光発電のパネル。
この施設で使う電気はすべてソーラー発電でまかなっています。
植物工場ではサラダ菜などを水耕栽培し県内のスーパーに出荷。
被災した地元農家の人たちの雇用の場にもなっていました。
実は半谷さんがこの施設を作ったのにはもう一つ目的がありました。
それは子供たちの育成に役立てることです。
何かドームみたいなものが見えてきましたね。
おはようございます。
どうも。
責任者の半谷です。
おはようございます。
どうも江口です。
よろしくお願いします。
ここはそういうことをされてるんですか?はいそうなんです。
それが実はいちばんの目的です。
真ん中へどうぞ。
はいおはようございます。
おはようございます。
この子供たちは小学生ですか?小学校6年生。
南相馬って書いてあります。
そうですか。
先ほどの…。
はいそうなんです。
あちらにある水力発電の体験ですね。
いいですね。
はいそうなんです。
こういった身をもって体験できて…。
ちょっとこちらにどうぞ。
なかなか大変ですよね。
頑張れ頑張れ。
18.4。
この子も頑張るなぁ。
19.8。
上がってる上がってる。
いいねいいね。
頑張れ〜。
頑張れ〜。
すごいすごい!18はすごいな。
18いってるってほら。
おっ23。
23。
これもすごいなぁ。
24.1。
いいねいいね〜。
はいストップ。
ありがとう。
ちょっといいですか?どうぞどうぞ。
ではお願いします。
あ〜結構重いねこれね。
あ〜ほんとだ。
おっすごい!27までいく!いやぁこれは大変ですね。
これで携帯電話3つ分くらいですか?そうですね。
へぇ〜。
0.816.629.0。
33.533.6。
32.531.330.229.2…。
わかりやすいですね非常に。
はい。
なかなかこういった体験は日本全国でもないですよね。
あのおそらく初めてだと思います。
私たちは自分はこう思うんだという意見を持つことが大事…。
そのとおりですね。
そうですね。
若者たちが集まっていました。
バスに乗り込みある場所へと向かいます。
彼らは福島県内から集まった高校生たちです。
到着したのは半谷さんです。
到着を心待ちにしていました。
バスの中までお出迎え。
実は小中学生の体験学習だけでなく高校生たちと大胆な取り組みを始めようとしていたのです。
県内の高校生たちと復興につながる事業を起こしたいと考えました。
4回にわたる無料のオープンスクールを始めたのです。
今日はその1回目。
世界的に活躍する環境ジャーナリスト枝廣淳子さんも講師役を買って出てくれました。
自分のやりたいことを明確にしどう形にするかその道筋を探ります。
参加者の一人彼女には悔しいと思っていることがありました。
菅野さんはふるさと福島復興のためのさまざまな活動に積極的に参加してきました。
およそ1か月後福島市2回目のオープンスクールが開かれていました。
今回は個人的に取り組んでみたいものを決めていきます。
福島県に対する悪いイメージを変えたいと言っていた菅野さん。
その目的のために着目したのは福島県産の農産物でした。
ペアになって具体的なアイデアを絞り込みます。
半谷さん目標に向かって一歩踏み出した高校生たちに手応えを感じているようです。
菅野さんが動きだしました。
まず向かったのは…。
福島で開かれていた高校生のための無料オープンスクール。
高校2年生の菅野智香さんは福島への悪いイメージに悔しい思いをしていました。
そのため福島の農業の復活に役立ちたいと考えたのです。
夏休みを利用して菅野さんが動きだしました。
この日やってきたのは郡山の自宅近くのスーパー。
福島県産の野菜がどのように売られているのか調査してみようと思ったのです。
こんにちは。
こんにちは。
アサカ高校の菅野智香といいます。
今日はご苦労さまです。
よろしくお願いします。
この店では多くの売り場を割いて福島産の野菜を取り扱っていました。
すべて放射線量を検査して基準値以下のものだけを販売しているそうです。
早速主婦たちの声を聞きます。
すみません。
ありがとうございます。
めげてなんかいられません。
次々と声をかけます。
すみません。
今お時間よろしいですか?なんでしょう?子供連れの主婦にも聞いてみます。
思っているんですけれども。
何て言うんですかねはい。
気持ちのなかではい。
地元福島の人でも不安を持っているようです。
そんななか菅野さんの目がくぎづけになった場所がありました。
売り場の一角主婦たちがどんどん福島産の野菜を手に取っていきます。
同じ福島産の野菜なのに売れ行きが違っていたのです。
ここには生産者の顔写真が掲げられていました。
もちろんこれは菅野さんはこのあとも夏休みを利用して生産者の話を聞くなどさまざまな調査を重ねました。
オープンスクールも大詰め。
福島駅に仕掛け人である半谷さんの姿がありました。
今日いよいよですね。
そうですね。
お盆の最後の日になりましたけど。
この日よかったな。
宿題は終わってませんけどね。
それを聞いてもらうため半谷さんはさまざまなジャンルの人たちを招待しました。
大学生やNPOの関係者中にはビジネスマンの姿も。
単に発表を聞いてもらうだけではなく賛同者を募り実現の可能性を探りたいと考えていたのです。
持ち時間は1人15分。
高校生たちが自分の言葉で自分の企画を熱い思いとともに訴えます。
はい。
いよいよ菅野さんの番がやってきました。
ありがとうございます。
皆さんこんにちは。
(一同)こんにちは。
アサカ高校の2年生の菅野智香といいます。
これまで調べてきた現状を分析し次に自らが考えた具体的な事業展開を発表します。
そして賛同者を募るのです。
これは菅野さんの事業計画書。
地元農家と協力し福島県産の野菜を宅配するというもの。
更に生産者の顔写真やその思いを伝える情報誌を添えることで消費者との信頼関係を築きたいと考えていたのです。
以上で終わります。
(拍手)菅野さんの事業計画に可能性を感じた半谷さん。
実現するためにバックアップしていくことを決めました。
ありがとうございます。
真剣に考える真剣に考える。
よろしくお願いします。
はい。
ありがとう。
半谷さんはこれからも福島の将来を担う子供たちの育成を続けていくつもりです。
そして原発20キロ圏内でも…。
主婦たちが事業を起こそうとしていました。
原発から20キロ圏内のため避難区域となった南相馬市小高区。
1年半後の2016年4月に避難指示解除による住民の帰還を目指しています。
街の玄関口小高駅。
賑わいの消えた駅前に事務所がオープンしていました。
小高で事業を起こしたいという人の拠点となるシェアオフィスです。
この日は避難生活を送る人たちが小高で食堂を開きたいと集まっていました。
事務所を立ち上げたのはこの街で生まれ育った街の人たちが帰還する日に向けて復興に役立つ事業を生み出したいと考えていました。
一方こちらは同じ小高区にあるNPO法人浮船の里。
まだ住むことのできないふるさとにみんなが立ち寄れる場所を作りたいと地元の中高年たちが集まって作りました。
そこに和田さんの姿が。
浮船の里のメンバーたちとあるプロジェクトを始めようとしていたのです。
うわぁ〜!動いてっからあれだな。
動いてる動いてる生きてる。
蚕さまさま。
中から出てきたのは蚕の幼虫。
食べてる食べてる。
蚕を育てて繭から絹の糸を作る。
名づけてこっち側に…。
うわ食べてる食べてる。
小高はもともと養蚕と機織りが盛んな街でした。
そんな慣れ親しんでいた地場産業に復興の糸口を見つけようというのです。
蚕を育てるのと並行して機織りの練習も開始されました。
早速買ってきた絹糸で手織りの練習に励みます。
いずれは自分たちで育てた蚕の繭から糸を紡ぎその糸で織ることが目標です。
どんなこと考えながら…。
これやってるときは考えることも…。
ただイチニ…。
和田さんは養蚕と機織りならお年寄りが手作業で楽しみながらできるのではとひらめいたのです。
このプロジェクトをなんとか事業化したいと考えていました。
和田さんは中央大学卒業後その後独立を機に南相馬市の小高にUターン。
家族とともに故郷で一生を過ごそうと決めていました。
ところが3年半前の原発事故で状況は一変したのです。
現在和田さんは20キロ圏外の南相馬市原町区にある借り上げ住宅に暮らしています。
そして週末は家族が避難する会津若松へ2時間半かけて通う生活を続けています。
ただいま。
おかえりなさい。
おかえり。
おかえりなさい。
当時まだ小さかった長女は5歳に。
長男は小学1年生になりました。
和田さん一家は小高が避難指示を解除されたら子供たちを連れて帰郷したいと考えています。
イチ君も小高に帰りたいと思う?やだ。
やだ!いってきます。
バイバイ!お父ちゃん!バイバイ!お父ちゃん!バイバイ!子供たちが誇れるふるさとを取り戻したい。
そのためにも今は前に向かって進むしかありません。
7月末夏の訪れを告げる蹄の音が響いていました。
南相馬伝統の祭りです。
(花火の音)ハイライトのひとつさて本日5発目6発目の花火が上がっております。
さて…吸い込まれていった!避難先からも多くの人が帰省し久しぶりの賑わいを取り戻していました。
お蚕様プロジェクトが始まって3週間。
この日和田さんが持参したのは蚕が繭になったもの。
繭になってる。
おはようございます。
やってきたのは原発20キロ圏内にあるお宅。
震災直前まで養蚕を営んでいました。
和田さんたちが初めて育てた繭をプロに見てもらいます。
繭の出来はどうですか?機械を借りて毛羽取りと呼ばれる作業を行います。
およそ500匹の蚕から400個の繭がとれました。
その頃…。
ここで暮らすおよそ400人のうちお蚕様プロジェクトのメンバーが仲間を募っていました。
こんにちは。
もし時間がありましたらば小高のほうにいらしていただきたいなと思って回ってきました。
はい。
できるだけ多くの人に参加してほしいと声をかけます。
いつもお世話さまになっております。
あっどうも。
養蚕が盛んだった頃のことを覚えていました。
小高でやっぱり住んでらっしゃったんですね。
いよいよ大仕事の日がやってきました。
原発20キロ圏内の南相馬市小高区にあるお蚕様プロジェクトの拠点。
主婦たちが続々と避難先から集まってきました。
その中には仮設住宅で声をかけられたあの島抜さんの姿も。
すごい地味なエプロンで恥ずかしい。
わぁ〜!この日は繭から糸を作るための作業をします。
これでほら。
20人以上が小高に駆けつけました。
懐かしい顔が揃ったのです。
まずは煮出した繭からさなぎを取り出します。
繭をやさしく広げていきます。
これを真綿といいます。
ほら!すばらしい!小高に笑い声が戻ってきました。
10月にはこの真綿から和田さんたちは糸を紡ぐ予定です。
販売することが決まりました。
ちゃんと…。
詰めなきゃダメだね手織りだから。
ブランド名は「小高天織」。
まずはコースターとランチョンマットをセットで売り出します。
いい感じ。
いい感じです。
どうもはじめまして。
こんにちははじめまして。
よろしくお願いします。
和田さんですか?はい和田と申します。
よろしくお願いします。
じゃあどんなことやってるか見せてもらえますか?はいぜひ。
こちらどうぞ。
これは…。
いいのいいの。
大丈夫?わかんないほうがいいの。
そのための結び目なの。
どのくらいの割合でこちらには来られてますか?初めてですか。
ベテランの方なのかなっていうくらい。
いえ。
そうですか。
楽しそうですね。
そうですか?なりますね。
これなんですけども。
これがその?うわいいですか?どうぞ。
軽いですね。
そうですね。
すごい。
重量がないですね。
そうですね。
やっぱり手触りとか違いますね。
違いますねそうですね。
自然なものというかこれはいいですね。
いいですか?色がいい。
ランチョンマットいいじゃないですかこれ。
売ってるんですか?これ。
これから売るんですか。
まずはこういうコースターランチョンマットから始めていろいろ広めていこうと。
なるほど。
はい。
ここでこういうかたちで始めようと思ったきっかけもう一度うかがってもいいですか。
その人の生まれた環境みたいな土台を自分の芯を自分のなかに作りたいということですね。
そうですね。
そうですね。
はい。
ありがとうございます。
頑張ってください。
ありがとうございます。
9月中旬首都圏で開かれたイベント。
その人だかりのなかに久米さんの姿がありました。
あの手織りの絹製品がすごいことに。
そのイベント会場に南相馬の小高からお蚕様プロジェクトの久米さんが来ていました。
一枚一枚手織りした絹製品。
ふるさとへの思いを織りこみました。
そうなんですか?そうなんです。
これがたいへんな人気に。
すみませんありがとうございます。
みんなお揃いでもいいよ。
用意していた商品すべてが売り切れました。
今回は福島第一原発から20キロ圏内を見てきました。
放射線量の問題もあって岩手や宮城に比べ復興はようやく始まったばかり。
そんな印象を受けました。
しかしそれでも復興に向かって動きださないといけない。
そんな思いで行動を始めている人たちがいるということも今回わかりました。
子供たちが大人になったときに戻れるふるさとを作っておきたい。
そして将来福島のために役立ってくれる人を育てたい。
そんな思いも伝わってきました。
『ガイアの夜明け』ではこれからもそんな復興への長い道のりを忘れることなく見つめていきたいと思います。
2014/09/30(火) 22:00〜22:54
テレビ大阪1
ガイアの夜明け【シリーズ「復興への道」第17章〜福島の未来のために…】[字]

江口洋介が福島原発から20キロ圏内を取材▼原発から6.5キロ離れた浪江町の海岸のいま▼福島復興のために一生を捧げた元東電マン▼20キロ圏内で産業復活を目指す37歳の挑戦

詳細情報
番組内容
福島第一原発の事故により多大な被害を受けた、福島県。昨年4月から20キロ圏内でも一部で昼間の出入りが自由となった。そして、いずれ帰還できる時に向けて、産業を復活させようという動きが…。番組案内人の江口洋介はこれまで、3回にわたって宮城県と福島県の被災地を取材。今回は、福島第一原発から半径20キロ圏内の地域に入った。
少しずつ復興へと動き始めた福島の今を伝える。
出演者
【案内人】江口洋介
【ナレーター】杉本哲太
音楽
【音楽】
新井誠志
【テーマ曲】
◆オープニング曲
 「鼓動〜ガイアの夜明け」(作曲/岸利至)
◆エンディング曲
 「夜空の花」(作曲/新井誠志)
「ガイア」とは
ギリシャ神話に登場する「大地の女神」を意味し、後にノーベル賞作家のウイリアム・ゴールディングが「地球」を指して“ガイア”と呼んだことから「ガイア=地球」という解釈が定着している。「ガイアの夜明け」という番組タイトルには、地球規模で経済事象を捉えることで21世紀の新たな日本像を模索すること、そして低迷する経済状況からの再生=「夜明け」を目指す現在の日本を描くという意味合いが込められている。
関連情報
◆ホームページ

http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/

◆公式Twitter

https://twitter.com/gaia_no_yoake

ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32118(0x7D76)
TransportStreamID:32118(0x7D76)
ServiceID:41008(0xA030)
EventID:27710(0x6C3E)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: