ハートネットTV「どうしたら救えたのか〜宮城・志津川病院からの報告〜」 2014.09.30

震災から3年半を迎えた被災地に1人の男性の姿がありました。
かつてこの場所にあった志津川病院で働いていました。
(菅野)病院の外壁ですね。
この中が駐車場でもう草だらけと盛り土で元何があったかこれじゃ分かんないですよね。
仲間と共に懸命につないだ患者の命。
自分はここにいた事は死ぬまで忘れないですしここで一緒に頑張った人たちの事も忘れないですね。
病院に押し寄せた大津波。
大勢の高齢者が入院していた病院は瞬く間に水没。
63人が命を落としました。
その後も試練は続きました。
暖房もなく医療もままならない極限状態の中更に7人の患者が息を引き取りました。
さっきまで生きてて急に…本当にどんどん火が消えていくように亡くなっていく方を見ると大きな喪失感と悔しい思いと無力だなあという思いでいっぱいでしたね。
翌日救出された患者の多くは地域の災害拠点病院に運び込まれました。
災害が起きた時重症患者に対する救命救急を担うこの病院。
しかし病院を埋め尽くした患者の多くは医療というよりはむしろ介護を必要とするお年寄りでした。
医療じゃないんですよだから。
介護福祉っていうかそういう感じなんですよ。
その方々をどこかにやっぱりお願いしない事には病院としての機能がだから何度も言いますけど維持できないと。
救急医療の最前線で十分なケアを受けられなかった高齢の患者たち。
体調を崩す人が次々に現れ志津川病院の患者を含む14人が亡くなりました。
あの時に「この人は亡くなっていい人」っていう人は一人もやっぱりいなかったって思うんですね。
助けられなかったっていうのはずっと引っ掛かってますね。
残ってます。
どうすれば一人でも多くの命を救う事ができたのか。
志津川病院の患者がたどった1週間を検証します。
「ハートネットTV」キャスターの山田賢治です。
3年半前に起きた東日本大震災ではおよそ2万人の命が失われました。
その中で救えた命があったのではないか。
今被災地の病院で検証が進められています。
この作業を担っているのは当時被災地で救命活動に携わった医師たちです。
亡くなった患者の一人一人についてその経緯や原因を調査。
将来の大規模災害で一人でも多くの命を救うためのヒントを探ろうとしています。
今回番組で検証するのはかつて私の後ろにあった志津川病院です。
当時病院には106人が入院していましたがその7割近くが震災から1週間以内に亡くなりました。
なぜ多くの命が失われたのか?そこから見えてきたのは日本の災害医療が抱えるさまざまな課題でした。
(激しく揺れる音)3年半前東北地方を襲ったマグニチュード9.0の大地震。
志津川病院も震度6弱の揺れに見舞われました。
その日病院には106人の患者が入院していました。
大半が寝たきりや慢性疾患を抱えた高齢者でした。
当時内科で医長を務めていた菅野武さんです。
それは回診を終えた直後の事でした。
縦にドドドドドドッて揺れたあとに目の前がゆがむようにグワ〜ンと長い横揺れが続いたっていう感じでしたね。
味わった事がないぐらいの大きな揺れで隣にあった棚が倒れてきて火花が散ったりとかとりあえずけがしないように机の下に隠れるような形で揺れが収まるまでやり過ごして。
三陸の海を間近に臨む志津川病院。
菅野さんたちは尋常ではない激しい揺れに大津波の襲来を警戒。
患者たちを3階と4階にある入院病棟から最上階の5階まで避難させる事を決めました。
しかしエレベーターは地震の揺れで動かなくなっていました。
そのため足腰が弱った高齢の患者を車椅子や担架に乗せ担ぎ上げる事になりました。
人1人を2人で運ぶのもかなり大変なんですね。
特に階段とかで下になる人は非常に重いので3人とかあるいは4人とかで1人を運んで担架以外にも車椅子をみんなで担いだり背中におんぶしたりして患者さんたちを上のフロアにどんどん運んでました。
地震発生の40分後津波が病院に押し寄せてきました。
この時点で避難できていた患者は1/3ほどにとどまっていました。
もう諦めた。
どうしようもねえよもう。
津波は瞬く間に4階の天井まで達し逃げ遅れた63人が命を落としました。
付き添っていた職員のうち4人が犠牲になりました。
階段に向かって「早く上がってこい!」っていうような形で叫んで呼んでる人はいました。
ぼう然としてしまうんですよ。
あまりに理不尽に人の命が目の前でたくさんに奪われていく状況で悲しいとか苦しいとかっていう感覚よりも「何が起きてるんだろう?」というところでぼう然と流されていってしまう人たちを見つめていたという部分は周りも自分もあって…。
夕方になり少しずつ水が引き始めると菅野さんたちは生存者を捜しに入院病棟に下りました。
がれきが散乱した病室には患者たちの変わり果てた姿がありました。
それでも懸命に捜索を続けるとまだ息のある患者が10人近く見つかりました。
その一人…脳梗塞の後遺症で寝たきりでしたがベッドのマットごと水の上を漂い助かったと見られています。
生きてた人がいてよかったって素直に思う部分ともう壮絶すぎる景色の中で何て言うのかな…巡り会えたっていうかそういう感覚があって…。
ふだんの医療の中の助ける助けないっていうところと少し違う本当に同じ立場でお互い死にかけて巡り会って「よく生きてたね」っていう思いがあったので…。
津波を生き延びた43人の入院患者たち。
しかしほっとするのもつかの間更なる試練が待ち受けていました。
最も厳しかったのは寒さでした。
ボイラーや非常用電源は1階にあったため水没。
暖房は使えなくなりました。
看護師たちは手分けして集めたカーテンやタオルを凍える患者に巻きつけました。
しかし医薬品は流されまともな医療ができない中容体を悪化させる患者が次々に現れました。
波を飲み込んでしまってむせてるゼロゼロする人が結構いましたので本当に可能な範囲ですけれども手でかき出したり…たんを…上がってきたものを手でかき出してあげたりとかあと確か注射器で先に少しビニールみたいなのをつけて吸ってるような看護師さんもいましたけど本当にふだんの吸引器とか酸素投与とかって事に比べると非常に原始的というかもうできる事がほとんどなかったんですけど…。
そばにいてあげるというところに尽きたと思いますけどね。
日が暮れると病棟の中も氷点下まで冷え込みました。
寒さで体力を奪われた患者が一人また一人と息を引き取っていきました。
亡くなった方をみんなが集まってた会議室からスタッフと一緒に静かに隣の図書室に運んで順番に横たえて私自身がその人のお名前と確認した時間と自分自身の名前を書いて体に直接貼ってあげて手を合わせたのは覚えてます。
さっきまで生きてて急に…本当にどんどん火が消えていくように亡くなっていく方を見ると大きな喪失感と悔しい思いと無力だなあという思いでいっぱいでしたね。
孤立していた病院に自衛隊の救助がやって来たのは翌日の昼過ぎ。
それまでに7人の患者が亡くなりました。
犠牲者は震災発生からの24時間で合わせて70人に上りました。
志津川病院で失われた70人の命。
そこからどんな教訓を受け継いでいけばいいのか。
東京・立川にある災害医療センターを訪ねました。
震災の時災害派遣医療チームDMATの指揮に当たった小井土雄一さんです。
どうすれば患者さんや医療のスタッフの皆さんの安全を確保できるかというところでちょっとこういうデータがあるんですね。
震災後なんですが全国の病院にアンケート調査をしまして回答のあった6,122の病院のうちおよそ3割が病院の建ってる場所が津波や洪水土砂災害などのリスクの高い場所にあるという事だったんですがこれについてはどういうふうに受け止めたらいいのでしょうか?今地震学者によると日本全国どこでもマグニチュード7.0の地震は起こりうると考えてますので全ての病院はそういうものに対して対応しておかなければいけないと思います。
この3割だけじゃなくてですね。
それでさまざまなハザードっていいますか危険因子っていうのはそれぞれの病院が持ってるものがあると思うんですね。
もろさをちゃんと評価してそれに対して準備をしておけばある程度リスクは下げられますしそれが減災につながるっていう事になると思います。
志津川病院では例えば非常用電源や医薬品これはしっかりと災害に向けて準備をしていたにもかかわらず津波にのみ込まれてしまって結局使えなかったという実態があったんですね。
これについてはどう考えればいいのでしょうか?病院っていうのはとにかく電源がオフになりますと人工呼吸器はじめ大変な事になる訳なのでそこはしっかりと準備をしておかなければいけない一番重要なポイントだと思いますけども今後津波が来る病院においては発電機を移すとかそういう対策が今後は必要になってくる。
まさに今回の震災から学ばなければいけない点だと思います。
消防警察あるいは自衛隊含めた地域の中で一緒になって平時からどういうリスクがあるのかあるいはもしも病院が被災して入院患者さんが避難搬送が必要になった場合にはどういう手段でどこへ運ぶのかというような事も含めて地域でしっかりと計画を作っていく事が病院の強化っていう事につながると思います。
志津川病院から40kmほど離れた石巻赤十字病院です。
震災翌日の午後志津川病院で救出された35人が運び込まれてきました。
その中にはがれきの中から救い出された千葉茂さんの姿もありました。
地域の災害拠点病院に指定されている石巻赤十字病院。
近隣の病院が医療機能を失う中ふだんの10倍を超える患者が殺到していました。
こうした事態に対応するため病院では治療の優先順位をつけるトリアージを行いました。
軽症でほとんど治療の必要がない緑。
治療が必要なものの重症ではない黄色。
今すぐ手術などが必要な緊急性が高い赤。
そして救命の見込みがない黒。
脳梗塞の後遺症のため寝たきりの状態が続いていた…検査の結果差し迫った命の危険はないと判断され黄色のエリアで処置される事になりました。
いわゆるバイタルサインが黒ではなかったので今すぐ危ないとかそういうような状況では恐らくはなかったんじゃないかと思います。
それで黄色いエリアの方にあとの管理をお願いしたって事ですね。
病院にとって想定外だったのは千葉さんのような寝たきりの高齢者が数多く押し寄せた事でした。
災害拠点病院は重症患者に対する救急医療の拠点としての役割を担っています。
ところが今回は患者の多くが救命救急というよりはむしろ介護を必要とするお年寄りだったのです。
現場を指揮していた医師の石井正さんです。
想定外の患者を数多く抱え込んだ事に危機感を抱いたといいます。
(石井)医療じゃないんですよだから。
介護福祉っていうかそういう感じなんですよ。
その方々をどこかにやっぱりお願いしない事には病院としての機能がだから何度も言いますけど維持できないと。
病院の機能が維持できないイコール石巻医療圏の医療救護活動はパンクすると。
医療救護活動がパンクするとどうなるかと。
まだ病院に来れないような方々はどうなるんだと。
もしかしたら全滅するんじゃないかと。
外を見ると雪降ってる訳ですよ。
そういう危機感は非常にありました。
しかしこうした患者をほかの病院に受け入れてもらう事は容易ではありませんでした。
担当者に任命された伊藤茂樹さんです。
電話が通じない中内陸の病院を一軒一軒訪ね患者をお願いできないか頭を下げて回りました。
比較的30分圏内で行ける医療機関かつ患者搬送の受け入れが可能ではないかと想定したところにあります。
なんとか受け入れ先の病院は見つかったものの今度は搬送手段の確保に悩まされます。
患者さんを搬送するすべがないのでなんとか手伝ってもらえないかというふうなお願いをしたら「じゃあガソリンが続く限りお手伝いしましょう」という事で民間のタクシー屋さんの方に最初。
あとはもう「ガソリンが無くなったのでうちの業者はもうこれ以上搬送できない」っていう事で終わってしまった。
搬送できた患者は2日間で15人。
千葉さんを含む多くの高齢者が病院にとどまる事になりました。
震災3日目。
医薬品が底を尽きかけた病院で異変が起こり始めました。
トリアージで緊急性が低いとされた患者の中から体調が急変する人が次々に現れたのです。
とにかく本部の方にも何回も連絡したんですけど「優先考えてほしい」と言われてその時に「優先って何だろう?」というのをずっと頭の中でぐるぐる思ってて重症度だったりそういう優先もあるしただこんなに要介護の人とか…災害弱者の人ですねたくさんいる人たちの優先を自分がどう判断してつけるのかっていうところはすごくこう…ジレンマですよね。
その日の深夜。
70代の女性が息を引き取りました。
志津川病院から運ばれてきた千葉茂さんも血圧が低下し震災から6日目に亡くなりました。
あの時に「この人は亡くなっていい人」っていう人は一人もやっぱりいなかったって思うんですね。
人手も足りなくてそういう人がいっぱいいる中ではあ〜ってなってる中でやってて…。
助けられなかったっていうのはずっと引っ掛かってますね。
残ってます。
その後東北大学などの支援を受け本格的な患者の搬送を始めた石巻赤十字病院。
トリアージで黄色や緑に判定されながら亡くなった患者は震災から1週間で14人に上りました。
その中には千葉さんをはじめ志津川病院の患者も4人含まれていました。
今までそういうサポートの手があって健康を維持できたような方々はいきなりそのサポートを失う訳ですよね。
そうするといきなり生命の危機にさらされると。
そこの認識が僕らは震災前は甘くて…でまざまざとそういう事を見せつけられたと思いますので次の災害については落ちてしまったケア能力を早く少しでも底上げできるような体制を作る事が結果として災害弱者といわれるような方々の命を救う事になるんじゃないのかなと思いますけど。
志津川病院から災害拠点病院に搬送された35人の患者さんのうち千葉さんを含む4人の方が1週間以内に亡くなっていったと。
これについてはどういうふうに受け止めてますか?どうしても阪神・淡路以降防げた外傷死をどうするかっていう事で災害医療体制ができてきてしまったので今回の東日本では災害弱者に対する医療が不十分ではなかったかなと思います。
今後やはりこの災害医療っていうのは急性期なそういう外傷を含んだものはもちろん重要ですけども災害弱者に対する治療あるいは搬送の事を含めてしっかりと計画作りをしていかなければいけないと思ってます。
計画やマニュアルを作るっていうのは非常に大事な事だと思いますがそれをどうやってアクションに結び付けていくかっていう…。
今我々が一生懸命やっているのは阪神・淡路でできた外傷中心と急性期医療プラス今後は災害弱者に対しても十分な体制を作ろうっていう事で救急医療だけじゃなくて保健師さん保健所そしてリハビリ関係者あるいはさまざまな全ての医療従事者を含んだ形の災害医療体制長いスパンで見た災害医療というものを構築していかなければいけないと思っている訳です。
東日本大震災を経験してしまった我々はやっぱりそれは決して忘れてはいけなくてその事を次に生かさなければやっぱり経験してしまった事が生かせない訳ですからそれは全員が忘れずにやっていくと。
しっかりやっていくって事が大切だと思います。
それは我々みたいに災害医療をやっている者だけじゃなくて全ての医療人には必要だと思ってます。
どうもありがとうございました。
どうもありがとうございました。
今も被災地の病院で続く救えたかもしれない命の検証。
これまでに900人を超える患者の調査を終えこのうちおよそ130人の死について防ぎえた可能性が高い事が明らかになっています。
次の災害に備えどのような医療を構築するか。
医師たちの模索が続いています。
2014/09/30(火) 13:05〜13:35
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV「どうしたら救えたのか〜宮城・志津川病院からの報告〜」[字][再]

2万人近い命が失われた東日本大震災。その中に救えた命があったのではないか。宮城県の志津川病院の事例から将来の大規模災害で一人でも多くの命を救うためのヒントを探る

詳細情報
番組内容
2万人近い命が失われた東日本大震災。その中に救えた命があったのではないか。震災から3年半、当時、被災者の救命に携わった医師達が検証を進めている。今回番組で取り上げるのは、津波によって106人の入院患者のうち63人が犠牲になった宮城県南三陸町の志津川病院。津波を生き延びた43人のうち11人が、震災から一週間以内に亡くなった。なぜ、多くの命が失われたのか。その検証を通して、日本の災害医療の課題を探る。
出演者
【司会】山田賢治

ジャンル :
福祉 – その他
福祉 – 高齢者
福祉 – 障害者

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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