サッカーワールドカップ。
国の威信を懸けて戦う4年に1度の祭典。
(歓声)
(実況)大歓声です。
大きな大きな声が選手たちに送られています。
出場32チームの中でただ一つ初出場の国がある。
ボスニア・ヘルツェゴビナ。
初戦で優勝候補アルゼンチンとぶつかった。
(国歌)
(歓声)ボスニア代表の戦いを特別な思いで見つめる男がいた。
ボスニア代表はムスリムセルビアクロアチア3つの民族の混成チームだ。
(砲声)3つの民族は互いに憎しみ合いかつて20万人もの命が失われる内戦を戦った。
(銃声)対立する民族を団結させワールドカップ初出場に導いた立て役者それがオシムだ。
敵対した民族がパスをつなぎゴールを目指す。
ボスニア代表は民族が壁を超え一つになるシンボルだ。
対立と憎悪を乗り越え奇跡のチームはどうやって生まれたのか。
ボスニア代表とオシムの戦いの記録だ。
6月15日ボスニアの首都サラエボ。
(ブブゼラ)間もなく始まる世界との戦いを前に街は高揚感に包まれていた。
ボスニアは人口390万の小国。
その代表チームが激戦のヨーロッパ予選を勝ち抜いた。
主軸となったのは2人の選手だ。
エースストライカーの…世界最高峰イングランド・プレミアリーグの強豪マンチェスター・シティーに所属。
エースの証し10番を背負いリーグ優勝に貢献した。
チームの司令塔…かつてドイツ・ブンデスリーガのトップクラブで活躍し歴代最高の20アシストを記録した。
ミシモビッチがゲームを組み立てジェコが決める。
それがボスニア代表の戦い方だ。
キックオフを1時間後に控えたサラエボ。
スポーツバーにイビチャ・オシムが現れた。
今はボスニアサッカー協会の顧問を務めている。
(手拍子)祖国の初出場の瞬間を見届けようと観戦の輪に加わったオシム。
ここまでの道のりは長く厳しいものだった。
(実況)2014FIFAワールドカップ。
グループFアルゼンチン対ボスニア・ヘルツェゴビナ。
ワールドカップ出場初めて…初出場のチームが強豪アルゼンチンとの対戦という事になりました。
サッカーは国を一つにも引き裂く事もできる。
それを目の当たりにしてきたのがオシムだ。
24年前オシムはワールドカップの舞台に立っていた。
オシムは当時まだ連邦国家として存在していたユーゴスラビアの監督だった。
多彩なタレントがそろいドリームチームといわれたユーゴ代表。
しかしその内実は複雑だった。
5つの民族6つの共和国から成りモザイク国家といわれた旧ユーゴスラビア。
80年代後半民族主義が高まり分離独立運動が激化していた。
サッカーは民族の代理戦争と化しスタジアムでは民族主義を掲げるサポーターの暴力事件が頻発していた。
代表チームでも民族の利害がぶつかり実力で選手を選ぶ事が難しくなっていた。
そんな中監督に就任したオシムは民族主義者からの圧力をはねのけ実力で選手を起用。
ユーゴ代表をワールドカップに導いたのだ。
オシム率いるユーゴ代表は強豪を次々に倒し快進撃を続けた。
(実況)ダイレクトか!?いや止めた!打った〜!入った!後半32分ユーゴスラビア1対0リード!先取点を挙げたのは10番のストイコビッチ。
(歓声)迎えた準々決勝。
ぶつかったのは天才マラドーナを有する優勝候補のアルゼンチン。
一方ユーゴも異なる民族から才能が集結。
実力は互角だと見られていた。
優勝さえ見えてきた代表の姿に人々は国の分裂を防ぐいちるの望みを託していた。
(実況)マラドーナとストイコビッチです。
ユーゴは連係した守備でマラドーナを封じ込め正確なパスでアルゼンチンゴールに迫った。
(実況)シュート!惜しい。
惜しいプロシネツキ。
試合は0対0のままPK戦に突入した。
オシムは選手たちに尋ねた。
「PKを蹴りたい者はいるか?」。
手を挙げたのはたった2人。
ちゅうちょさせたのは失敗すれば民族主義に捉われた人々からどんな攻撃を受けるか分からない恐怖だったという。
異常な緊張に支配されていた選手たち。
Jリーグでも活躍したドラガン・ストイコビッチもその一人だった。
PK戦が始まった。
(実況)ユーゴは10番ご覧のストイコビッチ。
(実況)外した!外した…ストイコビッチ。
(歓声)
(実況)アルゼンチン勝ちました!ゴイコチェアよく止めた!アルゼンチン準決勝進出!オシムのワールドカップは終わった。
そしてこの敗戦のあと民族の亀裂は急速に深まっていく。
翌年ユーゴスラビアは内戦に突入した。
とりわけ凄惨な戦いとなったのがボスニアだった。
3つの民族の利害が激しく衝突し20万人が命を落とした。
オシムは戦争に抗議するため一つの決断をする。
その後ユーゴは分裂する。
スロベニアクロアチアなど民族ごとに新たな国家が作られた。
しかし3つの民族がせめぎ合うボスニアでは国の主導権を巡り更に内戦が続いた。
戦いを終結させるため国はムスリム人とクロアチア人の地域とセルビア人の地域に分けられた。
内戦で最も傷ついたのはオシムのふるさとサラエボだった。
サラエボの公園で毎年行われる子どもたちの追悼式。
(歌声)サラエボでは内戦で1,600人の子どもたちが犠牲になったという。
対立する3つの民族を分けていたのは宗教の違いだった。
人々は宗教の異なる民族ごとに分かれ殺し合った。
ボスニアでは今も内戦中に行方不明になった人の捜索が続いている。
去年10月には森の中で数百人の遺体が見つかった。
埋められていたのはムスリム人とクロアチア人と見られている。
(すすり泣き)平和を取り戻したかに見えるボスニア。
しかし憎悪の記憶は人々の心に焼き付いたままだ。
(手拍子)
(一同)ボスニア!ボスニア!かつて民族の対立に絶望し代表チームを去ったオシム。
いよいよボスニア代表のキックオフの瞬間を迎えた。
前半開始早々。
(実況)お〜っと抜けていきました。
先制点アルゼンチン!まさかのオウンゴール。
(実況)これが先制ゴールアルゼンチン。
オウンゴールで先制点を取りました。
不運な失点。
しかしボスニア代表は落ち着いていた。
(実況)メッシがドリブル。
アルゼンチンのエースメッシを抑え全く仕事をさせない。
必死にチャンスを作ろうとするミシモビッチ。
パスを引き出そうとするジェコ。
今のボスニア代表の主力はオシムが率いたユーゴ代表に憧れた少年たちだ。
(実況)11番のジェコが中央です。
彼らは激しい民族対立の中で少年時代を過ごしサッカーと出会った。
ムスリム人のエースストライカージェコ。
国民的な人気を集めるスターでボスニアのダイヤモンドとたたえられる。
一方セルビア人のミシモビッチはチーム最多の出場を誇る代表の大黒柱だ。
絶妙の連係を誇るジェコとミシモビッチ。
2人にはかつて互いに殺し合った民族の影は感じられない。
1986年サラエボ生まれのジェコ。
小学校に入った年に内戦が始まり戦禍の中を生き抜いた。
ジェコの両親は今もサラエボに住む。
ごく普通のサラリーマン家庭だったという。
一家が内戦中に避難していたという団地が残っている。
この場所で遊んでいた子どもも命を落としたという。
地下には当時砲撃から逃れるために身を潜めたシェルターがあった。
足を踏み入れるのは内戦終結後初めてだ。
この狭い空間に100人以上が肩を寄せ合っていた。
避難生活で子どもたちが唯一楽しみにしていたものが残っていた。
20年前ジェコたちが描いていた漫画のキャラクター。
テレビを見る事も騒ぐ事も許されずさし込む光を頼りに絵を描いていたジェコ。
砲撃がやむ僅かな時間を惜しんで命懸けで練習したのがサッカーだった。
ボスニア代表の多くの選手は過酷な少年時代を生き抜いてきた。
セルビア人のミシモビッチもまた戦禍とは無縁ではない。
ミシモビッチが育ったのは…父のオストヤは今もこの街に暮らしている。
ボスニアの貧しいセルビア人の家に生まれ20代で出稼ぎのためにドイツにやって来た。
異国での苦しい生活の救いとなったのが息子ミシモビッチだった。
父が教えたサッカーで息子は才能を開花させ名門クラブバイエルンミュンヘンの育成選手に選ばれた。
実はミシモビッチには10歳年上の兄がいる。
ボスニアの親戚に預けられていた兄は兵士として内戦を戦った。
ボスニアの北部セルビア人が多く住む国境沿いの街にミシモビッチの兄ヴィートは住んでいた。
内戦当時徴兵されてヴィートはセルビア人の部隊にいた。
(取材者)首から掛けているのは何ですか?ヴィートが戦った相手はムスリム人の武装勢力。
国の主導権を握ろうと動くムスリム人を阻止しようと各地で戦った。
内戦終結後セルビア人たちは国内の少数派として生きる事を余儀なくされた。
人口で多数を占めるムスリム人への反感は根強い。
ムスリム人のいる代表チームで弟ミシモビッチが戦う事を快く思わない人も多い。
ジェコとミシモビッチが代表チームで顔をそろえたのは7年前。
更なる試練が待っていた。
当時ボスニアのサッカー協会は民族ごとに3人の会長が存在する異常事態に陥っていた。
民族の対立感情は代表チームを揺さぶる事件を引き起こす。
5年前前回のワールドカップ予選。
ボスニア代表は勝てば本大会出場が決まる最終戦を迎えていた。
しかし司令塔ミシモビッチはスタンドにいた。
2日前に膝を負傷。
欠場を余儀なくされたのだ。
(声援)
(ホイッスル)司令塔を欠いたボスニア代表はワールドカップへの切符を逃す。
その5日後…。
当時のクロアチア人の監督が「敗戦の原因はセルビア人のミシモビッチにある」と発言した。
ボスニア代表を快く思わないセルビア人政治家の圧力を受け試合をボイコットしたというのだ。
ミシモビッチがラジオを通じて反論した。
セルビア人ゆえにミシモビッチに降りかかった中傷。
ボスニア代表は大きな危機に立たされた。
(歓声)ワールドカップ初戦を見守るオシム。
ボスニア代表はオウンゴールで失点したもののその後はアルゼンチン相手に互角の戦いを見せていた。
(歓声)
(実況)サイドのルリッチへ。
ルリッチいきます。
ルリッチのファウル。
ここで前半終了。
1対0。
アルゼンチンが1点をリードして折り返します。
オシムは自分の民族を口にする事を好まない。
自身はクロアチア系の血を引き妻のアシマはムスリムだ。
どの民族かと聞かれれば自分はサラエボっ子だと答えてきた。
一時は解体寸前に陥っていたボスニア代表チーム。
それをワールドカップの舞台に導いたのがオシムだった。
2011年ボスニアのサッカー界に激震が走った。
国際サッカー連盟が会長が3人乱立する状態が解消されない限り国際試合への参加を認めないと通告してきたのだ。
このままではワールドカップへの道が断たれる。
どうすればこの事態を解消できるのか。
白羽の矢を立てられたのがオシムだった。
与えられた期限はひと月半。
それは至難の業だった。
ボスニアではあらゆる組織や団体が3つの民族に分かれていたからだ。
この時オシムは69歳。
4年前に脳梗塞に倒れ左半身にはまひが残っていた。
不自由な体にむち打ち各民族の政治家や関係者を訪ね説得を行った。
最大の関門はセルビア人勢力。
少数派のセルビア人はほかの民族への警戒心が強くボスニアが一つになる事にも否定的だった。
オシムはボスニアからの独立を主張するセルビア人の指導者ドディックに直接掛け合った。
オシムは時にジョークを交えながらドディックに語りかけた。
「それをあなたが潰してしまってもいいのか」。
会談の結果ドディックはサッカー協会をまとめる事を支持した。
期限の5日前サッカー協会の総会が開かれた。
民族の壁を超えたサッカー協会を作る事が全員の賛成で決まった。
オシムの力で出場が認められたワールドカップ予選。
ボスニアは快進撃を続けた。
そして本大会出場を懸けた最終戦。
(拍手と歓声)代表チームに復帰していたミシモビッチが起点となりジェコに展開。
決勝ゴールへとつながった。
(ホイッスル)
(歓声)オシムが珍しく人前で涙を見せた。
サラエボへの攻撃に抗議しユーゴ代表監督を辞任して以来22年ぶりに見せた涙だった。
ボスニア代表が祖国に凱旋する。
選手たちの口から自然に出たのはボスニアのシンボルフラワーユリの花の歌だった。
サッカーの力で人と人をつなげるというオシムの夢。
その理想の姿がそこにはあった。
(歌声)先月ボスニア代表がブラジルに向けて旅立つ日。
空港にはオシムの姿があった。
オシムが一人一人にエールを送る。
独立から22年。
ボスニアが勝ち取った初めてのワールドカップ。
後半に入りアルゼンチンのメッシに追加点を決められていた。
(実況)ジェコワントップ収める。
前を向いてドリブル。
中には誰もいません。
しかしボスニア代表は諦めない。
ジェコがミシモビッチが必死にボールを追った。
(実況)ミドルシュート。
ミシモビッチのシュートです。
だがなかなか点が入らない。
もはやこれまでと誰もが思った後半40分。
(実況)スルーパス出てきました。
クロスだシュート!こぼれた!決まった!1点を返しました。
歴史的な1点が入りましたボスニア・ヘルツェゴビナ!ボスニアのシュートがゴールに転がり込んだ。
(拍手と歓声)ボスニア代表がワールドカップの歴史に名を刻んだ初得点だった。
(歓声)
(ホイッスル)
(実況)ここで試合終了。
後半に息を吹き返したアルゼンチンが2対1。
初戦を取りました。
(歓声)試合には敗れたボスニアイレブン。
しかし祖国の人々の声援はいつまでも鳴りやむ事はなかった。
試合終了後サポーターたちが歌い始めたのはオシムをたたえる歌だった。
(歌声)誰もがこの夢舞台に立ち会えたのはオシムのおかげだと知っていた。
サッカーの力で民族の違いを超えて一つになる。
その実現はまだ遠い先の事かもしれない。
しかし共存が可能だと信じる人々が確かにこの国に生まれ始めている。
そして今朝ボスニア代表はナイジェリアに敗れた。
最後の一戦初勝利を目指して戦いに挑む。
2014/10/30(木) 01:30〜02:20
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「民族共存へのキックオフ〜“オシムの国”のW杯〜」[字][再]
W杯に初出場したイビチャ・オシムの母国ボスニア・ヘルツェゴビナ。内戦から続く民族対立の中、多民族で構成される代表チームは、国の未来を変えられるか。闘いの記録。
詳細情報
番組内容
ブラジルW杯に、特別な使命を背負って初めて出場する国がある。元日本代表監督イビチャ・オシム氏の母国、ボスニア・ヘルツェゴビナ。90年代、国内の民族紛争から死者20万人という内戦を経験し、対立は今も続く。こうした中、かつて敵同士だった民族がパスをつなぎゴールを目指す代表チームは、共存への可能性を示す唯一の存在と言われる。ボスニア代表は、サッカーの力で、国の未来を変えられるのか。オシムと代表チーム
おしらせ
平成26年度文化庁芸術祭参加
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – スポーツ
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
スポーツ – サッカー
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