徹子の部屋 大月みやこ 2014.11.20

今年は生産地が天候に恵まれ、熟成度の高いブドウが収穫できたそうで、全国のイオン系列のスーパーでは、1本1000円くらいのものが、よく売れるということです。
(黒柳)すごい魅力的。
これは初めてお買いになった水着だそうでございます。
水着姿。
初めて買った水着。
大月みやこさん今日のお客様です。
いつものしっとりとした情念を燃やす歌手になるとはこの時は思っていらっしゃらなかったと思いますけども本当に可愛らしいお写真です。
よくいらしてくださいました。
ありがとうございます。
どうもありがとうございます。
もう自分でびっくりです。
フフフッ。
でも可愛い。
初めて買った水着だそうでございます。
でもあの時はすごく陽気そうにお目に…写真でね楽しそうにしてらっしゃるでしょ?胸もこんな大きくて。
でもあれですね。
なんかあんまり…。
割と陰気だったんですって?初めの頃。
そうなんです。
とても恥ずかしがり屋で何ていうか人前でもしかして「何か歌って」なんとかって言われたりしたら「嫌!」なんて言うそういう…。
まさかこんなふうに歌を聴いていただくほうに進むとは全く思ってなかったような感じでしたけど。
そうですってね。
びっくりなさるぐらいですってね。
まあ可愛い。
でも本当にねすごくいい胸。
いや…ハハハッ。
いつも着物を着てらっしゃるからわかんないんですけどお洋服も随分お召しの…イブニングもお召しのがあって。
あっそうなんですね。
そういう時にやっぱりね胸がね奇麗に…奇麗に見えるっていうかね。
いえいえいえ。
胸が奇麗な…。
何枚もお写真あるんですけどちょっと見せていただきます。
でも大変ですね。
お着物とお洋服と両方だとね。
そうですね。
歌の内容に合わせて色々着替えたりして。
まあ本来は自分の聴いてた大月の歌っていうのは和服で着物で届けるようなものが主なんですけれども。
でもあれですよね普段お着物…今日も奇麗なすごい大胆な模様のね金箔の上等なお着物なんですけど。
いえいえ…。
こういうの何があるかとか全部写真に写してよっぽど整理よくしてらっしゃらないと大変でしょう?そうですね。
ついついこの着物にはこの帯をしたとか帯締め帯揚げとかっていうのも忘れてしまうといけないのでその都度写真を撮って保管してそれをこう見て取り出してくるというようなことを…。
こういうのがあるわとかねそういうふうなのがねきっとね。
すごいと思います。
数からするとね。
いえいえいえいえ。
さて…まあそういうことなんですけど何といっても大月みやこさんの一番の趣味ビールっていう…有名なんですって。
びっくりしました私。
ビール…。
あれなんですよお手伝いさんが大きいゴミの袋にいっぱい空き缶のビールを入れてるので「ゆうべお客さんあったっけ?」って仰ったら「いいえ。
お一人でお飲みになりました」って言われたっていうから相当でしょうね量としちゃ。
自分でもびっくり。
フフフッ。
こんなこと言うと本当恥ずかしい話なんですけれども。
でも…うんとうんと若い頃は全然飲めなかったんです。
えー!って言うとみんな嘘嘘って言うんですけど。
でもまあ仕事の関係でスタッフとか色んな…お疲れさまっていうのもありますし。
そんなことでついつい自分は…。
体質がお酒に結構合ってるんだなと気がついてからはなぜかどんどんどんどん…。
ましてその色々お酒も種類がありますでしょう?ええそうそう。
色々お水で割ったりとかお湯で割ったりとかっていうのを皆さんやってくださるんですけどついこうパッパッパッと飲めるもののほうが簡単でいいなと思い始めて。
それならパッと飲めるというのはいささかおビールが一番早いかな。
そしたらみんな他のスタッフはご自分のお好きなものの種類に…。
ついつい私一人が最後までビールビールビールになってしまう。
結局たくさん空いてるのは私一人が飲んでしまったという形にいつもなってしまって自分でも驚くほど数をいただいて…。
なんか冷蔵庫ね2つ…。
全部で5つあるんですって。
冷蔵庫が5つ。
そのうち2つはお酒用なんだそうですけど。
その1つはなんかお写真さっきちょっと拝見したらビール用なのか全部ビール入ってましたね。
びっくりしました。
でも恥ずかしいですね。
いやいや。
でもあれですかね。
こんなにビールをお飲みになっても全然お太りじゃないの。
ビールって太んないっていう話だけど本当?そうですね。
皆さんお酒飲んだあとにとてもおなかがすくから油のものを食べたいとかって。
自分はどっちかっていうとあっさりしたもののほうが好みといいますか。
心がけてるわけではないですけども全然心がけてないんですけど。
元来そういうもののほうが好きであんまりこう飲みながら…いただきながら食べるっていうことはあんまりしないタイプ…。
そうなんですってね。
せいぜい召し上がっても枝豆とか畳いわしとかそういった程度の。
そう…。
ね?だからうん…。
みんながそれをわかっててくれてるみたいでついつい私の前はもう枝豆がこんなにあって。
いつの間にか全部一人で食べ…。
すごいわね。
でも聞きますとおビールにはお豆さんっていうかそれがいいという話を聞きまして。
あっそうなんですか。
だからいいんじゃないかなと思いながら…。
でもね全然お太りじゃないのはビールっていうのはビール腹とかよく言うけどそれはね違ってますってこの間何かに出てたんですよ。
だからなるほど違うんだなそれ。
今仰るようにねビール飲んだあとでそんなさ色んな油っぽいもんとか食べたりする人が太るんでしょう?きっとね。
たぶんそうだと聞きますフフッ。
でもあれですよね。
なんか…笑ってる最中に何ですけどなんかお一人なんですって?お暮らしが。
はい。
まああの…母を送り出しまして。
最後に残った家族が母なんですけれども。
お父様もその前だった…?はい。
もっと前に旅立ちました。
で兄弟がいなかったものですからいささか家族が最初から少なくて。
でまあちょっと寂しいなって子供の頃からそんな思いがずっとあったんですけど。
たくさん兄弟いらっしゃる方のお話聞くと羨ましいなと思う時もありますけど。
でもまあその代わりって…今私本当にありがたいことに家に一緒に住まいをしてくれるおばちゃんがいてくれたりですね。
そういう方との出会いがとってもたくさんあったんです。
あっよかったですね。
はい。
それは本当にうれしい出会いがいっぱいこうあったように…感謝してますけれども。
そうですね。
でもあれですよね。
普段こうやってお話伺ってるとあんまりそんなにお喋りになる方と思わないんですけどレコード大賞事件っていうのがありまして。
あのマッチが『愚か者』で私が花持っていくことになっていたんですけど。
その時私知らなかった。
その前に一番欲しいと思ってた賞をお取りになったんですってね?最優秀歌唱賞というのをいただけて。
そのあとにグランプリが発表がもちろんあるわけです。
私がその前にいただいたんですけどあまりに興奮して「いかがですか?」「どうでした?」って聞かれて「もうこんなに…もう賞いただけた!」って言って。
歌唱賞。
もう延びて延びて最後のマッチのグランプリの発表とその歌のご披露がもう本当にこんなになってしまいましてね。
あとから「そんなにたくさん喋って」って…。
もうこっちは全然わからないので。
私も知らなかったんですけど私もマッチに急いで渡してくださいって…急いで渡しておめでとうって言ったらマッチ泣きながら歌ってたんですけど。
マッチの歌ってるところにどんどんどんどんもうなんかタイトルが出ちゃうような感じで。
そうでした。
最後だったんでねマッチがね。
もう本当にずーっとずっとあの話は今でも言われてしまいます。
それでそれだけだったらいいんですけどなんだか私が司会したんですってね?そうです。
なんか『レコード大賞』。
であなたが大賞をお取りになったんですね。
そしたら物も言わずに「どうぞお歌いください」って私がねインタビューもしないで。
えっ!っていう…。
「あっ…じゃあ歌いきましょう」っていうふうに。
私もうちょっと喋りたかったって思ってたんですけど。
そう。
なんか時間がなかったらしい…。
そうなんですね。
それで結局レコード大賞の時にはお話しなしでお歌いになったっていうことがあるそうでございますので私と大月さんの間にはそういうような関係が。
でも覚えていただけて光栄でございました。
本当。
本当におめでとうございましたね。
欲しいものが両方ともお取りになれてね。
いやいや本当にそういうものも出会いと…。
まだおばあ様が生きていらした頃はおばあ様は仏前で手を合わせると「どうぞあの子がお酒を飲みませんように」って何ですかね?それは。
母の母親だったんですけれどもいわゆるおじいちゃんですね連れ合いがとてもお酒飲みだったんです。
お酒が原因でいささか早く亡くなったという経験もあるおばあちゃんで。
でそのあとを継いでねその素質があるだろうからと思いながら。
で母親も…。
その子供私の母ですね。
いささかちょっと好きになったんですお酒が。
父は全く飲めない人だったんです。
だからどうぞその…孫がね飲めないように。
お酒をいただきませんようにというふうに毎朝毎晩お仏壇に頼んでたんですよ。
そうですってね。
でそれで母がね私の母が「おばあちゃんあのねもうそんなこと頼んでもねもうね既にもう飲んでるから今更もう効きへんわ」って言って「ああそう」。
そしたら次の日から言わなくなりました。
そうですってね。
しかもお酒じゃなくてビールですっていうことになったんですって。
それでまあ今お家にビールを入れたりするのが2つ…お酒用に2つとお客様とか普段用のと3つで全部で5つも冷蔵庫がお宅にあるんですってね。
いやそんなにたくさん本当に飲んでないと私は思うんですけれど。
みんなに言わせますとビールだけの冷蔵庫がこんなに2つもあるのはおかしいっていつも言われますけど。
でもその代わりいつでもお家へ帰ればすぐ冷たいビールが召し上がれる?まあそういうことです。
フフフ…。
すごいねでもね。
いやーもう恥ずかしながら。
なんかそんなにしつこく飲んでるわけじゃないんですけどついつい家に一緒にいてくれるおばちゃんとかね私の仕事を手伝ってくれてる彼女たちが結構集まってきてくれるので一緒に…。
一人で食事することほとんどないんです。
あっそうですか。
いいですね。
だからそういう彼女たちが「どうぞどうぞ」ってついでくれるんですね。
私ついでもらったらいいですっていうのはあまり言わないたちなのでどんどんどんどん…。
勧められたらどんどん飲む?そうです。
で結局自分はわからないぐらい…翌日朝見たら「これ昨日どなたがみえてお客さん何人みえたの?」って言ったら「いいえ一人で飲みました」。
「えー!」なんて私…。
すごいですね。
でもねまあねそれで大丈夫なら大丈夫ね…。
とりあえず今のところまだ何ともないので大丈夫かと思います。
大丈夫だと思いますよね。
で話の初めになるとスカウトで歌手の世界にお入りになった?まああの…私大阪でした。
でレコード会社から「関西のほうにどんな…人いませんか?歌う」っていう話があってそれで私が習いに行ってました歌謡学校というのがあってそこからいわゆるテープをね送ってテストをしてくださいとお願いしてその中から選ばれて…。
これを歌ってる人っていうことで選ばれて一応レコード会社の入社っていうのが決まったということだったんですね。
ええ。
それがとってもとんとん拍子にねお話いただいたんですけど。
で…「大阪から早く東京に出てらっしゃい」「出てらっしゃい」。
当時はそのそれこそ50年で…新幹線が10月1日にスタートしたんですけれども私その前でしたから。
あら。
まだなかったんです。
東海道線で。
東海道線で?あら可愛い…。
可愛い。
でもそれからもう51年ですって?すごいですよねデビュー51年って。
この頃歌手の方でも51年って随分少ないって思いますよね。
いえいえ。
皆さんとてもご活躍で…なんですけれども私の場合はあんまりものすごく一生懸命なんていう空気が本当になくてですね。
まあちょっといい気持ちに歌えればいいなみたいなスタートだったものですから。
でもそれが反対によかったというのはついついデビューをしてわーっとすぐ華やかな世界でねわーっと活躍できるというんじゃなくて。
私は先輩方のいわゆる前座歌手っていう。
それで全国本当に東京離れたあちらこちら連れていっていただいて。
そうですってね。
でも連れていっていただいてなんですけど女の港町ですか…。
『女の港』という曲…。
あっ『女の港』ね。
『女の港』が大ヒットしたのはデビューなすって22年。
これは当時『紅白歌合戦』でも話題になったんですけど。
22年目だったんですってね女の…。
あら奇麗。
そうなんですはい。
まったく本当に…。
まあ普通だったらデビューをして20年も経ったらねあるいは10年15年経ったらましてふるさとに帰ってねもうそろそろねえ。
女の子としてもお嫁さんにとかっていう話もあってね。
だと思うんですけど全然。
毎日毎日が先輩方とのそのコンサート…舞台の中で歌わせてもらえるというのがずーっと続いたんです。
それがとっても幸せだったんです。
だから22年経って本当のデビューしてヒット曲っていうのは…。
だからあなたがお出になった時すごい…何ですか?遅咲きとか何とかってね。
私もどのくらいだったんだろうと思ったら22年っていうんでちょっと驚いたんですけど。
まあ22年目にデビューの大ヒットとしても今51年っていうことはそれから30年もうずーっとトップで歌ってらっしゃるわけですからね。
そりゃもう…。
これもまたやっぱり出会いがいっぱいあって。
今の…私のことをずーっと守ってくれてるスタッフとかですね。
もちろん曲を書いてくださる先生方とかというのの本当にお付き合いとかなんかもずーっと長く長く続けてこれて私は本当に出会いと経験できることに恵まれてきました。
とてもラッキーですよね。
でもその間お母様が病気でお倒れになってで随分看病をなさって。
脳卒中?はいそうですね。
でもまあ…たくさんやっぱり手伝ってくださる方いてくださいまして。
看護もですね。
まあ母もとても幸せな思いで…。
突然に歩けない喋れない食べられないという状態。
突然になってしまったんです。
ええええ。
それはもう治療じゃなくて介護ということになってしまいました。
でも土日とか夜とかはあなたもいらっしゃって介護なすったんですってね。
はいもちろん一緒に。
もう家で一緒に…寝たきりですけど一緒に住まいしてました。
どのくらい?1年8か月です。
あっそうですか。
はい。
でまあ…色々手伝いをしてくださる方々が一緒にこう介護も一緒に手伝ってやってもらって。
もちろん私も仕事がありましたからお家にずっといるわけにもいかなかったんですけど。
でも仕事中に旅先で亡くなったって?はい。
残念ながら私1週間という日程で出なくちゃいけなくて。
長い旅で。
それでどうしても戻ってこれないわけですね。
仕事ということもありましたので。
まあいささかちょっとだけ具合悪くなってた時期だったもんですから。
一応自分としてもいささか覚悟はちょっとして出かけたんですけれどもやっぱり駄目だったんですね。
で帰れないものですからまあ我がスタッフが全然他人ですけれども身内はいないもんですから。
そうですってね。
私が帰るまできちっと全部やってくれました。
もうあの…本当に最後の焼き場のことからひつぎを出すところまで全部もう…。
ちょっと時間がね長く旅行に行ってらしたんで全部やってくださる方がいらしたくらい周りの方がよくやってくだすったそうですけど。
その中のお一人の方がねなんかね今日お出になるということでねお手紙をくださいました。
えっ?キングレコードの坂本敏明さんと仰る方。
あっはい。
いいですか?ちょっと一部省略してますけど。
「大月みやこ様歌手生活50周年おめでとうございました」「私も歌手・大月みやこに巡り会って35年になります」「担当した作品1作1作ごとにとてもいい思い出ができ本当に感謝しています」「35年の間にはささいなことでケンカになり口を利かずにレコーディングして周りを心配させたりご自宅でスタッフみんなで夜通し歌談議に花を咲かせたこともありましたね」「今でもとても懐かしく思い起こされます」「何事にも真剣に取り組む大月さんならではのエピソードはたくさんありますが何より作品の表現者としてその素晴らしい声の魅力と歌唱力は誰にも代え難く最高の人に出会えたことは私の誇りです」「これからもスタッフみんなを奮い立たせる歌い手でいてください」「大月さんとスタッフみんなで思いを一つに新たなる飛躍に向かって新曲『霧笛の宿』頑張っていきましょう」「追伸体を大切に。
ビールは控えめに」キングレコード坂本敏明様。
ありがとうございます。
ちょっとこれでよろしいですか?あっすいません。
あっそんななっちゃう。
あら…ごめんなさい。
皆さんとってもご親切な方だった?はい。
『女の港』を担当してくださった…ディレクター。
あっこの方?そのあとずっと担当が代わってね若く…今の担当者までずっと代わって。
でもその全部がみんな集まってくれまして。
本当にそういう意味では私は歌を歌うためのそういうスタッフ…。
この感動を聴いてくださる人に届けるんだということを教えられて。
本当に今日も…今日もまだまだまだ何かあるだろうと。
この先もまだ何かきっといいことがあるだろうと思わせてくれるスタッフに本当に恵まれたそのきっかけを作ってくださった人たちと今もつながってることが幸せです。
そうですよね。
このお手紙どうぞ。
はい。
坂本さんっていうのはキングレコードの?はい。
ありがとうございます。
でも随分長くね35年間一緒に仕事をしてらっしゃるっていうことですからね。
だからそのあなたが仰ったあの『女の港』の時ももうこの方いらしたわけですよね。
はいそうです。
でそれと同時に皆さんの家族の方々ともお付き合いをしてもらってるんです。
あっそうなんですか。
えー。
だからお嬢さんの結婚式にも私を呼んでくださったり。
えー。
本当にねそういう意味で本当に出会えたことってうれしくうれしく思っています。
でも本当にそうですよね。
あっこれは今の方は…お手紙くだすった方は向かって左の方。
左の方なんですけども。
でも残念ながら…。
私が真ん中におりますけど。
右の方は双子のねお兄さんなんです。
よく似てらっしゃいます。
ええ。
似てらっしゃる。
なんですけれど残念ながら突然にお兄さんも亡くなってしまったんです。
お兄様が?はい。
本当に突然に突然に亡くなってしまって…。
あっそうなの。
えー。
これが本当に悲しかったんですけれども。
でも家族ぐるみで皆さんとお付き合いをさせて…。
じゃあお兄様もそういうレコードの仕事してらした?いえそうじゃないんですけども。
九州のほうでね。
ご出身が九州博多です。
そちらでお魚のほうの会社をずっとやってらして。
今は奥様がずっとやってらっしゃるんですけど。
突然に…まだ1年半ですけれども。
そうですかそう。
じゃあまだねお悲しみもまだ癒えないぐらい。
でもまあ左側の方が今日のお手紙くださった方なんで。
ありがとうございます。
お元気でこれからもね。
思いがけず…。
やってくださったっていうのは本当によかったと思います。
今もお手紙ありましたその方がやっぱり関わってくださってるんだと思うんですけど。
『霧笛の宿』。
霧笛って「霧」の「笛」って書く霧笛ですよね。
『霧笛の宿』と。
なんか今が一番いいなんかあれなんですって?歌っていらして。
はい。
この曲は先ほど『女の港』の話が出ましたけれども作曲が同じ船村徹先生が書いてくださいまして。
詞のほうが私のレコード大賞をいただいた『白い海峡』の作詞をしてくださった池田充男先生。
すごい。
で今回50年を重ねてきて51というあらためてのねスタートの時にこういうやっぱり大月の歌はこれを目指せと。
すごい。
心を込めて作っていただけた新曲だと…。
じゃあちょっとそのVTRありますんでちょっとねご覧いただいて聴いていただきたいと思います。
「霧笛がしみます雪の夜」「わたしはあなたの腕のなか」「夢も現も」「この霧多布」わあーちょっと残念。
フフフッ。
あとはご本人のあれをお聴きになっていただければと思いますけど。
皆さんすごくあれね。
なんか…何ていうんですか?みんなで歌うじゃないですか。
カラオケなんかで。
カラオケの中で。
すごく歌いそう歌いそうな曲ね。
ええなんかねついついちょっと聴いたら難しい。
大月の歌って難しいって言われたりするんですけど。
ちょっと挑戦してくださったら結構歌いたい歌…。
今のなんか絶対歌いたいと思います本当に。
それからコンサートもなさるんでしょ?はい。
11月の20…。
26日?はい。
東京なんですけど。
渋谷公会堂で。
毎年暮れに近くになって東京でのこういうコンサートも皆さんに応援いただいています。
あっそうですか。
でもさっきの今度のポスターも見たんですけどおぐしがこうすごく上のほうまでいってねすごいのね。
私もさっき…。
すごいのねって言うけどよくお似合いだからいいんだけど。
あれ大変?ああいうふうに…こういうふうに上のほうに持っていくの。
今でこそとてもみんなちゃんとやってくださる方がいてくださって。
そうよね。
そうなんです。
昔々自分たちがデビューした頃っていうのは自分でやらなくちゃいけなかったですね。
うん。
ご自分だったらとてもあんなふうにはできないと思いますけどね。
どなたかやってくださらないと手が届きませんもんねあんなとこまで。
でもねお着物だと本当にああいうふうな頭でもね全然ねバランス取れるんですもんね。
すごいですよね着物って。
いやーまあそうでしょうか?着物っていうのはどうも…何ていうんですか?近頃の悩みは自分の本当の歳よりも老けて見られがちになるんじゃないかと思い…。
着物を着ると?うん…。
大変ですけどやっぱりね着物を着てるとなんかこう日本人のような気がして。
そうですね。
だから私たちは歌をね聴いていただいて感動していただきたい思いがいっぱいなんですけども。
やっぱり時々出てますと着物もね「今回はどんな着物かしら?」なんて言ってくださる。
それもまたうれしくてですね。
そうですよね。
でもそういう色んなスタッフの方がいらっしゃってご家族いらっしゃらなくてもね楽しい生活で何よりです。
はい。
本当に幸せです。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
どうぞ。
2014/11/20(木) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 大月みやこ[解][字]

〜独身(秘)私生活…恩人に涙〜大月みやこさんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
デビュー51年目!大月みやこさんがゲスト。
◇番組内容
高校3年生で大阪から上京、歌手デビューをはたしたが、最初のヒット曲『女の港』で紅白に初出場したのはデビュー22年目だったという。一人っ子で両親の愛情を一身に浴びて育った大月さん。若い頃に父を亡くし母も亡くなった今、天涯孤独となったが日々の癒しは大好きなビール。家にはビール用の冷蔵庫が2つあり何時でも沢山飲めるように準備していると語る。そんな大月さんに長い歌手生活の恩人からサプライズが!
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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2/0モード(ステレオ)
日本語
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