イギリスは古代の歴史に関わりが深い場所です。
世界的に知られる石器時代の遺跡が数多くあります。
ところが最近それらのどの遺跡をもしのぐ新たな発見がなされました。
(ニール・オリバー)これまでの常識を覆す世紀の大発見です。
イギリス北部スコットランドのオークニー諸島で発見された巨石神殿。
5,000年前の新石器時代の世界が再現されようとしています。
当時の信仰に関する謎が解き明かされるかもしれません。
考古学者のニール・オリバーと共にその謎に迫ります。
いくつもの建物から成る神殿だった可能性があります。
生と死2つの世界をつなぐ特別な場所だったのかもしれません。
ストーンヘンジ誕生の謎もオークニーでの発見によって解き明かされるかもしれません。
これまでの世界観がひっくり返るようなものです。
だってあんな北の果てに当時の文化の中心地があったんですから。
ええ。
オークニーは今最も重要な遺跡発掘の現場です。
その発掘は古代史における最大の謎の一つに新たな光を当ててくれるかもしれません。
新石器時代に生きた人々は生命や死についてどのような世界観を持ち何を信じていたのかという謎です。
今からおよそ5,000年前の新石器時代。
イギリス北部のオークニー諸島はたくさんの人でにぎわう場所でした。
人々はこの地にさまざまな建造物を築きました。
今研究者たちが注目する「オークニーの遺跡群」です。
その一つが世界最古のストーンサークルの一つ「ストーン・オブ・ステネス」です。
その1.5km北にはまた別のストーンサークルがあります。
巨大な「リング・オブ・ブロッガー」です。
リング・オブ・ブロッガーの直径は100m以上。
現在残っている石柱は21基ですがもともとは60もの巨石が立っていました。
周囲の溝を掘るだけでも100人がかりで半年はかかったでしょう。
途方もない規模です。
近くには「スカラブレイ」と呼ばれる新石器時代の人々の住居跡も見つかっています。
この遺跡は保存状態がよく5,000年前の生活の様子をかいま見る事ができます。
さてと…。
ここはかつての住居跡スカラブレイ。
床には火をたくための大きな四角い炉があります。
寝床はこちら。
ここで横になって寝たのでしょう。
一方別の遺跡では古代の人々が亡くなった時の様子を知る事ができます。
「メイズハウ」はこの時代を代表する墳墓の一つです。
すばらしい。
中に入った途端それまでいた世界とは全く違う場所に来た気がします。
ここは死者を葬るための墳墓ですが先ほどスカラブレイで見た古代人の住居と構造がよく似ています。
壁には寝床のようなくぼみがあります。
亡骸はここに納められ永遠の深い眠りについたのです。
オークニーの遺跡の中で今最も刺激的なものといえばブロッガー岬にある「ネス・オブ・ブロッガー」でしょう。
この遺跡はかつてこの地に生きた人々が何を信じていたのかを解き明かしてくれるかもしれません。
発掘されたのは今から5,000年も前の建造物の数々。
壁や入り口がしっかりと残っていました。
更に当時を物語る遺物が数多く見つかっています。
すごいな…。
この遺跡の発掘調査は2008年から進められています。
(ニック・カード)よし。
プロジェクトチームを率いているのは考古学者のニック・カードです。
これはクジラの骨で作られたこん棒頭という道具です。
できるだけ早く掘り出して保管する必要があります。
5,000年も前の貴重な遺物です。
手に取る時は緊張しますね。
壊さないように…。
よし移すぞ。
やった!見事ですね。
発掘が始まった当初からこの遺跡はこれまでとは全く違うという手応えを感じたのではありませんか?考古学者にとっては夢のような場所で毎日が興奮の連続です。
新石器時代の北ヨーロッパでこのような場所は他にないでしょうね。
中東や地中海の文明にも匹敵しうると思います。
ストーンヘンジにも匹敵しますか?ひょっとしたらそれ以上かも。
オークニーの遺跡はイギリスで最も有名な新石器時代の遺跡ストーンヘンジに並ぶ規模を誇るというのです。
ストーンヘンジはオークニー諸島からおよそ960km南に位置しています。
長い間新石器時代の文化の中心地だと考えられてきましたがオークニーでの発見が全てを覆すかもしれません。
ブロッガー岬にあるネス・オブ・ブロッガーは古代の複合建築の一部だと考えられています。
ストーン・オブ・ステネスとリング・オブ・ブロッガーという2つのストーンサークルに挟まれ近くにはメイズハウの墳墓もあるからです。
しかし発掘されているのはほんの一部でしかありません。
レーダーを使って地中を調査したところ最大で100もの建造物が埋まっている事が分かりました。
ネス・オブ・ブロッガーにはまだ手付かずの遺跡が眠っているのです。
ネス・オブ・ブロッガーとは一体何だったのでしょうか。
人々はなぜこれほど巨大な建造物を建てたのでしょうか。
そしてそれらは何に使われたのでしょうか。
調査の結果遺跡の両端に巨大な壁が埋まっている事が分かりました。
岬を横切るほどの大きさです。
発掘チームは南側にある壁の一部を掘り返し調べる事にしました。
岬に眠っているのは建物だけではありません。
イギリスの他の遺跡にはない独特なものが見つかり始めました。
これはレッサー・ウォール「小さな壁」と呼ばれているものです。
壁の厚さは2mもあります。
それでも小さな壁と呼ばれるのは遺跡の北側の端に更に大きな壁「グレート・ウォール」が見つかっているからです。
壁の高さは3m。
新石器時代の壁でこれほど大きなものは他に見つかっていません。
単なる住居の壁や防壁としては大きすぎます。
一体何に使われていたのでしょうか。
チームはレーダーを使って更に細かく調査しました。
石や岩やレンガはそれぞれ特有の磁気を帯びています。
それらのデータを集めれば地中に埋まっているものの分布図を作る事ができます。
チームは地下を走る壁をたどります。
知りたいのはあの壁がどこまで延びているかという事でした。
分析した画像を見ると壁は曲がりながら更に続いています。
この先が現在発掘を行っている場所ですからかなり大規模な建造物だった事が分かります。
地中に埋まっていた壁は一つの建造物で巨大な境界線だったようです。
壁の厚さは最大で3m60cmもありおよそ1万tもの切り出した石で出来ています。
内部にあるたくさんの建造物を隠し守るために造られたのでしょう。
当初は集落のようなものだと思っていました。
しかしこれほど複雑な建造物や巨大な壁があるなら単なる集落ではありえません。
壁に囲まれた全ての建物が神殿のような役割を果たしていたのだと思います。
神殿?ええ。
非常に大胆な発言ですね。
ええ確かに。
しかしこれまでの発掘状況から見てそう考えた方が自然です。
新石器時代ここには北ヨーロッパのどこにもない堂々たる建造物が建っていたのです。
これまでの調査で判明した事を基にCGで建物の当時の姿を再現する事ができます。
高さ3mの壁がそびえ外からは中の様子はうかがい知れません。
それこそがこの壁を築いた理由なのでしょう。
つまり中に入れる者を厳しく制限していたのです。
壁の内側では恐らく新石器時代の祭儀と信仰のための儀式が行われていました。
そこは周囲の世界から隔絶された神聖な空間だったのです。
ではこれらの神殿群はいつ造られたのでしょうか。
そして周囲にある他の遺跡とどのような関係があるのでしょうか。
神殿群を取り囲む壁から見つかった木炭を調べれば建てられた時期が特定できるかもしれません。
放射性炭素年代測定法で調べます。
分析の結果壁が造られた時期が判明しました。
測定したのはレッサー・ウォールの土台の下から採取した木炭です。
分析の結果今から5,000年以上前のものである事が分かりました。
壁は周囲にある集落や墳墓そしてストーンサークルの一つストーン・オブ・ステネスと同じ時期に築かれたものでした。
オークニーの遺跡群はストーンヘンジに先立って造られた祭儀用の複合建築だったのです。
どっしりとした石で知られるストーンヘンジですが実は石の総重量はオークニーの神殿ネス・オブ・ブロッガーを取り囲んでいた壁の1/3ほどしかありません。
しかもストーンヘンジが造られたのはオークニーに神殿が建てられた500年も後の事でした。
ストーンヘンジの研究家マイク・パーカー・ピアソンはその年代に注目しています。
ストーンヘンジは新石器時代の壮大な建造物ですがこれを築いた人たちは自分たちより何百年も前にオークニーで花開いた文化を知っていたんでしょうか?非常に難しい質問です。
それについては興味深いものが見つかっているんです。
ストーンヘンジの人々が使っていた道具の中に溝がついた陶器のようなものが含まれています。
どうもその起源はオークニーにあるようです。
オークニーで使われ始めた陶器が次第にイギリス全土に広まったんでしょう。
はるばるオークニーから?そうです。
ですから新石器時代のオークニーの人々はイギリス各地に大きな影響を及ぼしていたと言えるでしょう。
これまでの世界観が塗り替わりますね。
あんな北の果てに当時の文化の中心地があったなんて。
新しい物や技術が南から北ではなく北から南へも広がっていたわけですね。
ええ。
はるか北の文化がストーンヘンジに影響を与えていました。
新石器時代のイギリスの中心地はストーンヘンジだと思われがちですが更に時代を遡れば文化の源はオークニーにあったのかもしれません。
つまりオークニーの遺跡の謎が解明されればイギリスの新石器時代における祭儀や信仰の謎も解き明かされるかもしれないのです。
オークニーの2つのストーンサークルはストーンヘンジと同じように吹きさらしの開けた場所にあります。
まるで儀式のために用意された舞台のようです。
2つのストーンサークルの間にあるのは橋のような細長い土地。
そこにある遺跡は非常に変わっています。
いくつもの建造物が1つの壁で囲まれ巨大な神殿を形づくっているのです。
巨大神殿は一体どんな姿をしていたのでしょうか。
そしてどのように使われていたのでしょうか。
地上からでは建物の配置がよく分かりません。
全体を見るために上にのぼりましょう。
地上15mの高さから見下ろすと違う眺めが広がります。
発掘が進む14の建造物のうち研究者たちが特に関心を寄せるのがそのうちの3つです。
あの左の方にあるのが建造物1番の跡です。
だいぶ発掘が進んでいます。
建造物1番には入り口が3つあります。
この時代の建物で複数の入り口を持つものが発見されたのは初めてです。
更に火をたくための炉も3つあります。
2つは建物の中央部にもう1つは入り口に。
これらは儀式のために使われたと見られています。
入り口の火は恐らくお清めの役割を担っていたのでしょう。
一番向こうにあるのが建造物8番です。
クジラの骨で作られた遺物がたくさん出土しています。
建造物8番は入り口は1つですが建造物1番と同様に3つの炉があります。
細長い建物の壁に沿って石柱が立てられ三方が囲まれた小さなくぼみが作られています。
これは死者の遺骨を保管していた新石器時代初期の墳墓に似ています。
柱の周りの空間は石板で更に細かく仕切っていたと考えられます。
教会や大聖堂もそうですが祭壇への通路はいくつもの空間に仕切られているものです。
恐らくそれは神聖なるものに向かう参道だったのではないでしょうか。
一番手前にある建造物12番は建造物8番とほぼ同じ形をしています。
柱の周りに小さな空間が作られている点も同じです。
しかし違いもあります。
出入りを制限するかのように出入り口がかなり狭く設計されていました。
建造物12番は発掘されたばかりで建物の役割などはまだ分かっていません。
5,000年前にこれらの建物の中で何が行われていたかは正確には分かりません。
しかし謎めいた出入り口や命の象徴である火をたくための炉そして墓のような小さな空間はそのどれもが儀式のための仕掛けを連想させます。
そこでは人々の出入りが制限され時には禁じられていたのでしょう。
5,000年以上昔の壁なのにまるで昨日土の中に埋められたかのように見えます。
至る所で壁や炉の跡部屋や通路のようなものが見つかっています。
ここにはストーンヘンジに匹敵する神聖な建造物があったのに違いありません。
紀元前3000年ごろオークニーの人々が労力を注いで造り上げた巨大な石造りの神殿群。
高い壁で覆われ外からは見る事のできなかったこの巨大な神殿の中で新石器時代の謎めいた信仰が守られていたのです。
オークニーに神殿が築かれたのは人々がちょうど新しい時代を迎えようとしていた激しい変化の時期でした。
新石器時代の訪れはヨーロッパの人々の生活を劇的に変化させました。
それまで狩りなどをしながら住まいを転々としていた人たちが農耕民となって土地に定着したのです。
私たちの社会はそこから発展しました。
町や都市あらゆるビジネスなど現代社会のルーツは全て新石器時代の変化にあるのです。
オークニーの遺跡からは磨かれた斧やこん棒頭が発見されています。
どちらも権力を象徴するものです。
こん棒頭は何に使ったんですか?まずは武器として使う事ができますよね。
こうやって握り相手の頭を殴るわけです。
一方権力を示す武器でもあり力のある人物がこれを手に儀式を執り行いました。
武器である以上に儀礼的に重要な役割があったんです。
こん棒頭はとても珍しいものですが建造物8番からだけでも4つも発見されています。
しかもそのどれもが割れていました。
宗教的儀式でしょうか?ええ間違いありません。
スッパリときれいに割れている物が多い事から見て人為的に割られたんでしょう。
何らかの宗教的儀式で使われたんだと思います。
という事はこれを使ったのは王や戦士といった人物ではなくいわば宗教的な力を持つ指導者だったわけですね?そうです。
当時の社会では神権政治のような形がとられていました。
神や先祖と結び付きその力を操る事ができる者こそが権力を握る事ができたんです。
だとするとブロッガー岬にある神殿は新石器時代のオークニーの中心地であった可能性がありますね。
ええ。
宗教的な意味でね。
私はそう思います。
イギリス北部スコットランドのオークニー諸島。
5,000年前ここは現在とは違う顔を持っていました。
オークニーは新石器時代にはコミュニティーの中心であり宗教だけでなく技術や社会においても最先端の場所だったのです。
ここに神殿が建設されたのはストーンヘンジよりもエジプトのピラミッドよりも前の事でした。
これほど大規模な建造物を造れたという事は組織的で成熟した社会だったと考えられます。
建造物8番では割れたこん棒頭の他にも大きな発見がありました。
壁の表面に色が塗られていたのです。
新石器時代には顔料などの塗料は肌に化粧をしたり繊維を染めたりするのに使われたと考えられてきました。
しかしこちらの遺跡では石材に色を塗ったものが見つかったんです。
だいぶ剥げていますがかすかに色が残っています。
5,000年も前に塗られ長い間土の中に眠っていたものです。
新石器時代の遺跡で色を塗られた壁が発見されたのはイギリスでは初めての事です。
色を塗るのに使ったと思われる道具も発見されています。
小さくてうっかり見過ごしてしまいそうですが粘土を焼いて作った素焼きの器のようなものです。
もしかしたらこれは古代の芸術家が使っていた道具かもしれません。
建物の中で石材に色を塗る際にこのような容器に顔料などを入れて使っていたんでしょうか。
シンプルなものですが想像をかきたてられますね。
顔料にはオークニーで手に入る珍しい鉱物が使われていたと考えられます。
オークニー諸島は地質学的に変化に富んでいるため島中至る所に珍しい鉱物があるのです。
ほらこれがそう。
今朝浜辺で拾った赤鉄鉱という鉱物です。
新石器時代の人々はこれを岩にこすりつけると色がつく事に気付きました。
さびたような赤い色です。
他にも手に入る鉱物がたくさんありました。
これは酸化鉄の一種で手でこすると黄土色やオレンジ色の粉になります。
暖かみのある色です。
更にこれもまたオークニーのどこでも手に入る鉱物で岩にこすりつけると黒い色がつきます。
こうした鉱物はこの島で暮らす新石器時代の人たちの周りにふんだんにあったのです。
しかし新石器時代の人々が使ったのは顔料だけではありません。
粘土も使いました。
あの芸術作品を是非見せて下さい。
すばらしいですよ。
これです。
2つに割れてしまっています。
石ではなく粘土を焼いて作ったもので人形のようですね。
ここに見えるのが頭。
ここら辺が胴体でそして下が脚でしょう。
発掘されて以来「ブロッガーの少年」と呼ばれています。
これが本当に人形ならばこの時代には極めて珍しい遺物と言えます。
北ヨーロッパ全体でも他にほとんど例がありません。
こうした発見はかつてここに暮らした人々の姿を身近に感じさせてくれます。
彼らは私たちと同じように豊かな感性でものを形づくりデザインしていたのです。
それではブロッガー岬にある神殿はオークニーの遺跡群の中でどのような役割を果たしていたのでしょうか。
そして人々にとってどのような意味を持ちどのように使われていたのでしょうか。
高い所から見るとなぜこの場所が特別だったのか分かる気がします。
周りをぐるりと丘に囲まれちょうどすり鉢の底のような地形です。
更に淡水のハリー湖と塩水のステネス湖に挟まれています。
この特別な地形に建つ神殿ネス・オブ・ブロッガーを取り囲むようにして南にはメイズハウの墳墓とストーンサークルのストーン・オブ・ステネスがそして北にはもう一つのストーンサークルリング・オブ・ブロッガーが建っていました。
全ての中心となるこの岬こそ神殿にふさわしい場所だったんです。
神殿を取り囲むようにして広がるこの地形に考古学者たちは興味を抱いてきました。
地形との関係性から遺跡がどのように使われていたかを解き明かす事ができるかもしれないからです。
ストーンヘンジの地形と比較してみましょう。
オークニーの遺跡と同様にストーンヘンジも単独で存在していたわけではありません。
祭儀における一つの施設として組み込まれていたのです。
ストーンヘンジは「ダーリントン・ウォールズ」と呼ばれるもう一つの遺跡と関連があります。
2つの遺跡はエイボン川によってつながっていました。
この地形が生きている人々の世界と死者の世界との境界線の役割を果たしていたとする有力な説があります。
この説を唱えているピアソンはストーンヘンジ研究の第一人者です。
生と死の世界はどのように分かれていたんですか?人がふだん生活している場所とは別に先祖のための場所を設けていたのです。
ストーンヘンジには埋葬や火葬の跡がたくさんあり今60体の遺骨の分析を進めているところです。
一方ダーリントン・ウォールズには遺骨などはなく人々の住居が密集していました。
先祖の世界を訪ねるという考え方は実はここストーンヘンジよりも先にオークニーにあったと見られています。
オークニーは2つの世界をつなぐというアイデアを天然の地形によって実現させた最も古い事例だと思います。
ブロッガー岬は両側にある2つのストーンサークルをつなぐ重要な道だったのです。
ブロッガー岬から眺めた時2つのストーンサークルが生者の世界と死者の世界という対比を成している事が分かると思います。
オークニーでは南にあるストーン・オブ・ステネスが生きている人々の世界でした。
死者の世界を訪ねる道はそこから北へ延びまずはブロッガー岬の神殿へと向かいます。
そして神殿を越え岬の端に建つリング・オブ・ブロッガーでその道を終えるのです。
そこは死者の世界です。
(カード)ブロッガー岬の神殿は生と死が出会う場所として使われていたのだと思われます。
人を導き入れ独特の方法で内部を移動させるように出来ています。
炉の位置もわざわざ避けて通らなければならない場所にあり更に特殊なのが出口を選べるという点です。
正面とそして横にも出口があります。
気楽に出入りするような場所ではなく何か特別な目的を持つ人だけが中を通過したんですね?通常と違う体験をするために。
別世界に行くためとか?ええそうです。
(リチャーズ)ブロッガー岬の巨大な神殿はメイズハウのような新石器時代の墓と構造がよく似ています。
建物の特徴から考えて恐らくここは先祖や神々と対面し交流する場所だったのだと思います。
そういった状況の下では人は極端な制約を求めるものです。
巨大な壁や複雑な仕切りさまざまな装飾に囲まれたくなるのです。
ブロッガー岬の遺跡は古代の人々が生と死のドラマに立ち会う劇的な場所だったようです。
生者の世界を出発した人々が湖を渡ってこの岬に上陸した時目の前には巨大な壁がそびえていました。
人々は神殿へと足を踏み入れます。
先祖の霊を弔うための最後の舞台が整います。
人々はいくつもの建物をうやうやしく歩いて回りお清めの火を通り過ぎさまざまな儀式に参加したのでしょう。
先祖や神と心を通わせ感謝をささげたり助言を求めたりしたのかもしれません。
生と死2つの世界をつなぐ特別な場所だったのかもしれません。
オークニーの人々の神殿のある暮らしは紀元前3000年ごろから1,000年ほど続きました。
発掘チームはそれぞれの建物の年代を特定する事でその使われ方に突然変化が訪れた事を発見しました。
建造物1番と8番と12番は数世紀にわたって利用されたあと取り壊されていたのです。
これは信仰が劇的に変化した事を示しているのかもしれません。
そしてそれまでになく壮大なたった1つの建造物が他に取って代わったのです。
ひときわ大きいのがここ建造物10番の跡です。
その規模は周りの建物と比べて群を抜いていました。
この建造物は一辺が25mもあった可能性があります。
だとすると私の後ろにあるあの建物の近くまで続いていた事になります。
更に興味深いのが5mもの厚さがある壁です。
壁の内側はここ。
厚みはなんとここまであります。
屋根は壁から張り出し通路を覆っていたかもしれません。
建造物10番には建物の前に空間がありそこには儀式用の入り口を示す2本の石の柱が立っていました。
ブロッガー岬にそびえるこのたった1つの巨大な建造物は数km離れた所からも見えた事でしょう。
しかし建造物10番は入り口が1つしかありません。
たくさんの人が中に入る事を想定してはいない事が分かります。
これは当時儀式用の建造物の存在意義が以前とは変化していた事を示しているのかもしれません。
ここには数世紀にわたって神聖な建物が建ち並び周辺の人々にあがめられてきました。
しかし同じ場所に突如として全く異質な巨大建造物が現れたのです。
つまりこの場所から特別な入り口や出口が消えてしまったとお考えなんですね。
あの10番の建造物がそこにあった道を分断し塞いでしまったのだと。
ええ。
あの建物はそれまでのやり方を全て否定し排除しているかのようです。
もしかすると人々の信仰の世界に重要な変化が起きていたのかもしれません。
時代は紀元前2300年ごろ。
建造物10番は神殿の中で最後に残った建物でした。
一つの時代の終焉を象徴するこの建物にはもう一つ謎がありました。
建物を取り囲む通路が600頭以上もの牛の骨で覆われていたのです。
この骨が神殿がどのようにしてその役目を終えたのかを教えてくれるかもしれません。
(メインランド)600頭分もの家畜の骨が埋まっていました。
しかも骨はバラバラに砕かれ完全な形を残しているものはありません。
もともとはこんなに大きな骨なのに。
骨が砕かれたのは骨髄を抜き取るためでしょう。
つまり食べるためです。
1頭で200人以上も賄う事ができる牛は当時とても貴重なものでした。
その牛600頭分の骨が発見されたという事は非常に重要な意味を持ちます。
たった一度きりの大規模な儀式が行われた可能性もあります。
骨の内部にも表面にも風化の跡があまり見られません。
つまりこれらの骨は捨てられたあとすぐに土に埋められたものです。
一度きりの大きな儀式を思わせますね。
想像して下さい。
600頭もの牛がたった一度の儀式のために提供される。
さぞ壮大な眺めだった事でしょう。
それは年越しのお祝いなどではなかったようです。
発掘された遺物はこれが神殿の終わりを告げる弔いの儀式であった事を示しています。
人々は神殿の最期を悼むと同時にある強力な宗教が過去のものになった事を示したのでしょう。
この遺跡の歴史が終わりに向かう頃建造物10番は意図的に取り壊されたようです。
残骸は土に埋められ壁もバラバラに壊されました。
まるでこの場所を人々の記憶から永遠にかき消そうとしたかのようです。
しかし何百年もかけて築いたものをなぜわざわざ壊したんでしょうか?恐らくは社会の大きな変化によるものでしょう。
宗教あるいは政治的な変化かもしれません。
新石器時代は劇的な変化の時代でした。
ここオークニーで新石器時代が続いた1,500年の間その社会は常に変化し続けていたのです。
人々はある時それまで脈々と築いてきたものを意図的に一掃したわけですね。
全てを白紙にしたのです。
新石器時代の文化の中心を担ったスコットランドのオークニー諸島。
その華々しい時代は終わりを告げようとしていました。
石器時代そのものが終わろうとしていたからです。
紀元前2300年ごろオークニーでの新石器時代は終わり青銅器時代が始まろうとしていました。
これを見て下さい。
美しく磨き上げられた石の斧です。
オークニーの社会ではこうした石器が長い間力をふるってきましたがやがてかつてのような威力を発揮できない時代がやって来ました。
その原因は青銅の斧などが手に入りだしたからです。
以来全てが金属を中心に回りだし社会秩序も経済活動も信仰も変化したのです。
次にやって来たのは全く異なる価値観の時代でした。
それまでにはなかった新しい考えがヨーロッパ大陸から押し寄せました。
オークニーは時代から取り残されていったのです。
(ピアソン)オークニーの遺跡は衰退して自然に埋もれたのではなく意図的に土に埋められたのだと思います。
それは恐らく古い時代の生き方世界観社会の価値観と共に葬られたのでしょう。
建造物10番とそれを取り囲む巨大な壁は取り壊され土に埋められました。
建築に要したのと同じくらい途方もない労力がかかったはずです。
1,000年にわたって守られてきた神殿の終焉は象徴的な出来事でした。
間もなくここには何もなかったかのように静寂が訪れました。
そしてその状態が4,000年以上も続いたのです。
これまでイギリスにおける新石器時代の信仰はイギリス本島に点在するストーンサークルや墳墓に起源があると考えられてきました。
しかしオークニー諸島での遺跡の発見によってそれよりも前にこの地に信仰を持った人々がいた事が明らかになりました。
巨大な遺跡からは神権政治で治められていた洗練された農耕社会そして生者の世界と死者の世界とをつなぐ儀式の存在が浮かび上がります。
オークニーの遺跡群は5,000年前の人々について多くの事を教えてくれます。
人々は自分たちのいる世界から死者の世界へと向かう道を大切にしました。
彼らはそうして人生というすばらしい旅をたたえていたのかもしれません。
2014/09/29(月) 00:00〜00:45
NHKEテレ1大阪
地球ドラマチック「スコットランド“巨石神殿”の謎」[二][字][再]
スコットランドで発掘された約5000年前の巨石神殿。この神殿をCGで再現し、当時の精神世界に迫るとともに、神殿が影響を与えたとされるストーンヘンジの謎にも迫る。
詳細情報
番組内容
イギリス北部スコットランドのオークニー諸島で発掘された石の巨大神殿。新石器時代のものとされ、当時の死生観にまつわる新たな事実が次々と発見されている。生と死の世界をつないでいたと見られるこの神殿は、ストーンヘンジにも大きな影響を与えたとされ、人類の「信仰」が形成された道筋が解明できると期待されている。最新CGで神殿を再現、当時の精神世界に迫る。(2011年イギリス)アンコール放送
出演者
【語り】渡辺徹
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境
ドキュメンタリー/教養 – 宇宙・科学・医学
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
他言語の時もあり
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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英語
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