明日へ−支えあおう−証言記録東日本大震災33▽南相馬市〜孤立無援の街で生き抜く 2014.09.28

あの日未曽有の災害に襲われた人々と町の「証言記録」。
第33回は福島県南相馬市です。
南相馬市は東京電力福島第一原子力発電所の北10kmから40kmに広がっています。
震災当時人口は7万人でした。
町を襲った津波の高さは7m以上。
636人が犠牲になりました。
そこに原発事故が追い打ちをかけます。
1号機3号機の建屋が相次いで爆発。
政府は3月15日南相馬市に屋内退避の指示を出します。
この指示により南相馬市は放射能汚染地域と見なされました。
町には一切の物資が入ってこなくなります。
この時市内には5万人が残されていました。
彼らの命をどう救うのか?力を尽くした市民たちがいました。
この鮮魚店は市内の食料品店がほとんど閉まっている中店を開け続けました。
原子炉建屋の爆発を受けて避難が自主判断に任された市立病院でも入院患者のために残った医師や看護師がいました。
一度は避難した運送業者も支援物資を運ぶために南相馬に戻りました。
放射能の恐怖にさらされながら物資が途絶した町で支え合い屋内退避を乗り切った南相馬市民の証言です。
福島第一原発から北へ25km。
市役所のある原町区は南相馬市の中心地です。
原発事故のあとほとんどの住民は町を離れました。
商店街の一角にある山田鮮魚店。
全国から新鮮な魚を集めるこの店は町一番の人気店です。
ここに事故のあとも町にとどまり店を開け続けた家族がいます。
店主の山田護さん。
あの日震度6弱の地震が南相馬市を襲いました。
店は大勢の客でにぎわっていました。
それからおよそ2時間後店の片づけをしていた家族はテレビのニュースにがく然とします。
(アナウンサー)「南相馬市上渋佐の老人福祉施設ヨッシーランドが倒壊して十数人が建物の下敷きになっているという情報があって現在現場に向かっているという事です」。
海岸から2km内陸にある老人福祉施設ヨッシーランド。
山田さんの母富子さんはその日の朝施設のバスに乗ってヨッシーランドのデイケアサービスに出かけていました。
店からヨッシーランドまでは3km。
山田さんは車で裏道を急ぎます。
パトカーや消防車ばかりが行き交う道路の手前で山田さんは車を降ります。
ヨッシーランドまでは200mほど。
急ぐ山田さんの前に消防の封鎖線が現れます。
津波に襲われたヨッシーランドでは36人のお年寄りが犠牲になりました。
泥の中から救出された被災者は病院に緊急搬送されていきます。
施設から西に1kmの位置にある南相馬市立総合病院。
津波にのまれた人々が次々に運び込まれ野戦病院のようになります。
1階のロビーにマットが敷かれ人工呼吸器レントゲンなどが運び込まれて臨時の救護所集中治療室が作られました。
その時救急外来を担当していた…搬送されてきた被災者は津波で全身泥だらけになり泥水をいっぱい飲み込んでいました。
その夜山田鮮魚店では驚きの声が上がっていました。
母富子さんが施設のバスで運ばれてきたのです。
富子さんは津波が施設を襲う直前に車に乗せられて助かりました。
翌日。
東京電力福島第一原子力発電所1号機の建屋が水素爆発を起こします。
事態を受けて枝野官房長官が政府の指示を発表します。
原発から20km圏内に住んでいる人は全て避難しなくてはならなくなりました。
病院は原発から23kmの位置にありました。
その時病院が行った原発事故への対応策を克明に記憶している医師がいます。
太田さんは20km圏内の避難指示をロビーのテレビで知りました。
病院には自力では歩けず避難できない入院患者が大勢いました。
院長は病院のスタッフを避難させずこれまでどおりの治療を続ける事を決めます。
その一方で放射能への対策を幾重にも講じていきます。
まず出入り口を限定します。
外に出る時は皆防護服を着ました。
そして放射線技師が1時間置きに病院の外と中の放射線量を測定しました。
屋内の値は屋外の3分の1程度。
その当時どれくらいの値が健康被害をもたらすのか病院の医師でも分かっていませんでした。
放射能への恐怖から南相馬市を脱出する人もいました。
運送会社を経営する上田由幸さんもその一人です。
妻と3人の子供を守るために福島市に避難する事にしました。
福島市に向かう途中上田さんは町に人がいない事に気付きます。
大型店のほとんどは12日の夜店を閉めました。
商品はあっても従業員が避難してしまい店を開けていられなくなったのです。
商店街も閑散としていました。
明くる13日の早朝山田家の扉が激しくたたかれました。
そこには原発で働いている親戚の男性2人がいました。
真人さんには妻と5人の子供がいました。
子供への放射能の影響を心配して真人さんは避難を決めます。
しかし護さんは避難を拒みました。
寝たきりの自分の母親。
そして原発事故のあと避難してきていた同じく寝たきりの妻の父親を連れて逃げるわけにはいかないというのです。
山田家は寝たきりのお年寄り2人と共に残る護さん夫婦と福島に避難する真人さん一家に分かれる事になりました。
3号機建屋が水素爆発します。
その様子を市立病院のスタッフはテレビで見ていました。
30分後。
院長が病院のスタッフ全員に集合を命じました。
「このままでは命の保証ができないので避難するか残るかはそれぞれの判断に任せる」と言うのです。
看護師長の小野田さんはその時の様子をよく覚えています。
スタッフおよそ250人のうち150人ほどが避難を選びました。
小さな子供を持つ親が多かったといいます。
小野田さんにも2人の子供がいました。
しかし小野田さんは子供たちの避難を夫に託し自分は病院に残る事を選びます。
同じ日の夜運送業者の上田さんは会社に置いてきたトラックを取りに福島市から南相馬に向かっていました。
そこで異様な光景を目撃します。
路肩に止めたパトカーから出てきた警察官が上田さんに警告します。
明くる3月15日。
政府は決定的な指示を出します。
20kmから30km圏の屋内退避指示により南相馬市は放射能汚染地域と見なされるようになりました。
物資を運ぶトラックは一切入ってこなくなります。
その時南相馬市には5万人が残っていました。
物流が完全に遮断され食料ガソリン生活用品何もかもが急速に無くなっていきます。
西谷地さんは屋内退避指示以降物資の搬入を運送会社に断られ続けていました。
・山田鮮魚店にはひっきりなしに電話がかかってくるようになりました。
店を開けた山田さんは冷蔵庫に残っていた魚を連日売り続ける事になりました。
避難できない人々が店に行列を作ったのです。
お客は日増しに増えていきます。
お年寄りを抱えた人が多いと山田さんは感じていました。
食糧不足は病院でも深刻でした。
給食を作っていた業者が避難してしまったため看護師たちが食事を作る事になりました。
しかし新しい食材は補充されません。
一食の量は半分に減らされました。
写っているさけの切り身は職員が自宅から持ってきて提供したものです。
患者の命に関わる医薬品も枯渇していました。
糖尿病治療薬のインスリンや血液製剤など治療に欠かせない薬も屋内退避指示以降急激に減っていきました。
ニュース番組に南相馬市の桜井市長が電話出演し物資不足の実情を訴えます。
市役所では連日災害対策本部会議が開かれ市民を窮状から救う方策が話し合われました。
市の支援物資担当者西谷地さんはその議論を覚えています。
しかし問題がありました。
車を動かすガソリンがありません。
市内のガソリンスタンドは手持ちのガソリンを売り尽くして休業状態。
タンクローリーは30km圏内に入ってきてくれません。
南相馬市から60km離れた郡山市。
そのころ南相馬市の要請で政府が調達したガソリンのタンクローリーが4台到着していました。
しかし関東から運んできた運転手は放射能を恐れ郡山市で車を降りてしまいます。
タンクローリーを南相馬市まで運ぶには新たな運転手と危険物取扱免許を持っている人が必要でした。
危険物取扱者として市から依頼を受けたのは南相馬市でガソリンスタンドを営む若盛かほるさんでした。
郡山市から南相馬市に向かうルートには難所と呼ばれる八木沢峠があります。
その夜曲がりくねった山道に雪が積もり危険な状態になっていました。
関東から来たタンクローリーは雪道用のタイヤを装着していませんでした。
峠を下る時若盛さんは初めてその事実を知ります。
急カーブが続く道でブレーキを使うと車はスリップしてしまいます。
運転手は時速20kmでゆっくりと雪の山道を下ります。
運ばれたガソリンは南相馬市内の4つのガソリンスタンドに配られます。
そして車1台につき10リットルずつ無料で配給されました。
南相馬市に閉じ込められていた人々はこのガソリンで町を脱出していったのです。
車が無い市民は市が用意したバスで市外・県外の避難所に向かいました。
そして3月20日までに3万人以上が町を離れていきました。
市立病院に残っていた107人の入院患者も自衛隊によって全員移送されました。
一部の患者は相馬港に停泊した巡視船からドクターヘリで青森の病院に搬送されていきました。
入院患者がいなくなっても看護師長の小野田さんは南相馬市から避難しませんでした。
市内に残った人はおよそ1万人といわれます。
その3割は寝たきりなど介護を必要とする人とその世話をしている人だったと推測されています。
市は残された人々のための生活物資を集める計画を立てます。
ホームページに支援物資の送り先として相馬市の卸売市場の住所を記しそちらに送ってもらうよう全国の人々に呼びかけました。
相馬市の市場は30km圏外にあります。
南相馬市に物資を運ばない大手業者もここまでなら物資を運んでくれます。
集まった物資を南相馬市からトラックで取りにいくという仕組みです。
南相馬市からの依頼を受けて物資を運んだのは福島市に避難していた…上田さんは相馬市と南相馬市の往復を繰り返しました。
物資を運んだ先は南相馬市の集積所小川町体育館です。
物資はすぐに体育館いっぱいになったといいます。
配給所には長蛇の列が出来ました。
上田さんたちが運んだ物資が町に残らざるをえなかった人たちの命を支えたのです。
こうした配給品を頼りに南相馬市民は1か月以上物資不足の日々を耐え忍びました。
遮断されていた南相馬市への物流が38日ぶりに回復し町に人が戻ってきました。
今も相馬市の卸売市場に通い魚を買い付けている山田護さん。
南相馬市に物流が復活し始めた時の気持ちを忘れる事はありません。
今南相馬市の人口はおよそ5万人だといいます。
震災前より2万人減ったままです。
原発事故などの深刻な災害が起きた時屋内退避地域への支援をどうするか。
南相馬市が投げかける未来への宿題です。
「南相馬は必ず復活します。
15年後にまた来て下さい」という最後に登場した鮮魚店の山田さんの言葉。
原発事故からの回復は簡単ではない事は分かっているけれども希望を持ち続ける事で未来を開いていくんだ。
そんな覚悟と勇気を伝えて頂いたように思いました。
さて季節は味覚の秋ですよね。
もう銀ピカのサンマ召し上がりましたか?東北の沿岸は新鮮な海の幸が多く水揚げされますけれどもそうした旬の海の幸をふんだんに使った名物料理もたくさんあります。
料理自慢の浜のかあちゃんたちによる料理を紹介しましょう。
岩手県大船渡市の小石浜漁港です。
名物のほたては夜明け前に水揚げされます。
かあちゃんたちが紹介してくれるのは素材の味を丸ごと楽しめる「焼きほたて」です。
焼き始めて5分。
おっ開きましたよ。
ひっくり返しま〜す。
下の貝から剥がれてきましたらひっくり返しまして…何もつけずにそのまま食べるのがお勧めだそうです。
甘くてうまみたっぷり。
さあ続いては?するめいかは今が旬です。
ここ三沢のいかは通称「昼いか」。
昼間に漁をして夕方に水揚げされます。
新鮮なまま夜の食卓や飲食店に運ばれるんです。
そのいかを使った郷土料理は「いかめし」。
作ってくれるのは漁協のおかあさんたちです。
まずいかの胴から足と内臓を抜きます。
だし汁で炊き上げる事50分。
しっかりと味を染み込ませます。
いかのうまみが詰まったもちもち御飯。
熱々を頂きます。
いかがですか?もう焼きほたてのように素材をそのまま味わうのもよし。
それからいかめしのように一手間加えて味を引き立たせるのもよし。
こうしたふるさとの味浜のかあちゃんたちの名物料理は1分のミニ番組で随時放送しています。
季節ごとに海の幸を使った料理を紹介していきます。
さあそれでは被災された地域で暮らす皆さんの今の思い。
福島市で暮らす皆さんの声です。
福島市で観光いちご園をしております。
原発事故当初はいちご園はできないのではないかと不安に思っておりましたがその年からお客様が変わらず来て頂けていたのでこれでしたらやっていけるのではないかと今まで続けてくる事ができました。
その方たちに残念な思いをさせないように…飯坂温泉で旅館を経営しています。
震災から3年がたち復興が進み支援に来て頂いたお客様や仮設住宅から来て頂いたお客様が少なくなりました。
いよいよ純粋に観光に力を入れる時が来たと思っています。
福島市で牧場を経営しています。
原発事故以来福島市をイメージで語られるのが悔しくて昨年夏から牧場見学会を始めました。
2014/09/28(日) 10:10〜10:58
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう−証言記録東日本大震災33▽南相馬市〜孤立無援の街で生き抜く[字]

福島第一原発の事故に際し屋内退避指示が出された南相馬市では、放射能への恐怖から一切の物資が入ってこなくなった。市内に残る5万人のために力を尽くした市民たちの証言

詳細情報
番組内容
福島県南相馬市は、福島第一原子力発電所の事故に際して屋内退避指示が出された。同時に放射能への恐怖から物流が途絶、一切の物資が市内に入ってこなくなった。市内には5万人が避難できずに残っており、たちまち食料、生活物資、燃料の窮乏に苦しむことになる。そんな人々の命を救うために力を尽くした市民たちがいた。番組では、彼らの証言を通して屋内避難地域への支援という課題を浮かび上がらせる。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他

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