・「さとうきび畑」・ざわわざわわざわわ・広いさとうきび畑は・ざわわざわわざわわ・風が通りぬけるだけ・むかし海の向こうから・いくさがやってきた・夏の陽ざしの中で・ざわわざわわざわわ・この悲しみは消えない
(ナレーション)歌。
歌にはその時代の空気が残っています。
・「雪の進軍」・雪の進軍氷をふんでおよそ120年前。
日本は初めて近代的な戦争をします。
朝鮮を巡り朝鮮半島を戦場とした中国清との戦争でした。
日本は勝利し大陸進出への足場を固めました。
今の世相の反映でしょうか。
他国を批判する本や戦争を振り返る本が増えています。
(辻田)日清戦争の頃っていうのはかなり下品な歌がはやっていて。
エリートが要は上から作ったようなものっていうのは割とおとなしい歌詞なんですけれども。
もう一般民衆が歌うものとなるとある種民衆の欲望みたいなのが露骨に出てくるので。
例えば中国人のことを豚と言ったりとかですねうじ虫と言ったりとか。
日清戦争の頃流行した軍歌の歌詞が残っています。
ちゃんちゃん坊主の蛆虫め。
豚の様なる頭して。
(辻田)中国なんか大したことないじゃないかと。
戦えばすぐ逃げてくるようなやつらだと。
特に豚っていうのは当時中国人辮髪を着けてるのであれが豚の尻尾たるに見えると。
そういうような歌がまあばく大に作られたと。
もちろん自国を愛するっていうのもナショナリズムの1つの大きな要素ですけど。
やっぱりそれだけだとあんまりこう何て言うんですかね空中分解してしまうというか。
やっぱり…1904年満州と朝鮮半島などを戦場にロシアとの戦争があり日本は勝利します。
更に10年後第一次世界大戦。
連合国の勝利に大きく貢献し中国や太平洋の権益が膨らみます。
日本は大きな帝国へ成長していきます。
・「肉弾三勇士の歌」1932年上海事変。
鉄条網に爆弾を抱いて突進し突破口を開いて戦死したとされる3人の兵士がいます。
陸軍は覚悟の自爆とたたえ上げ新聞社が懸賞付きで歌を募集します。
歌を通じて3人を軍神として浸透させていきました。
戦前レコードのコレクター…5,000枚ものレコードや雑誌から当時の音楽事情をひもときます。
(保利)もう1つ…
(保利)ですから格好の材料として関連したレコードがたくさん作られるとでまた売れると。
まあ味をしめたレコード会社というのはその後いろんな国家的…まあ国家的でなくてもちまたのニュース…そしてえぇ〜新聞社の懸賞募集などとタイアップですね。
そしてどんどんどんどん増幅していくという。
それにみんな…だからそれは…
(保利)日中戦争の時代の…こう聴こうというね。
・「愛国行進曲」・見よ東海の空明けて・旭日高く輝けば天地の正気1937年日中戦争が始まり国内でも戦争ムードが高まってきました。
軍部の力の強い内閣情報部が出来国民精神総動員を目的にこの「愛国行進曲」が公募されます。
いくつものレコード会社が競って歌手に歌わせ累計売り上げが100万枚を超える大ヒットになりました。
・日本の誇りなれ・旭日高く輝けば・天地の正気溌剌と・希望は踊る大八洲
(田中)勝って来るぞと。
・勝って来るぞと満州ですから。
・ここはお国を何百里…とかね。
そういう歌を歌いながらあのまあ…
(アコーディオン)
(田中)・勝って来るぞと勇ましく・誓って国を出たからは・手柄立てずに死なりょうか・進軍ラッパ聞く度にまぶたに浮かぶ旗の波・弾丸もタンクも音楽も戦争の色が濃くなっていきます。
日中戦争が始まると毎日新聞社が軍の士気を鼓舞するための「進軍の歌」を公募。
このとき佳作のほうに味があるなどと審査員の菊池寛や北原白秋が推薦したものが「露営の歌」となり時代を代表する歌になりました。
(田中)青春を国にささげようということがテーマでしたから。
懐かしくもありねまあ…。
哀れでもあったなと。
人間としてね。
哀れな青春であったなと。
新聞社っていうのは要するに部数を争っていたわけでその部数を争うための要するに読者を引き付けるためのイベントとして軍歌を歌詞を一般から募集するっていうことをよくやってました。
で特にまあ有名なのは毎日新聞で一般からすごい人気を博するわけですけど。
逆にそれに対抗馬であった朝日新聞っていうのがですねまあこうやられたと。
自分たちも軍歌を作らなきゃいけないんだということで毎日新聞に対抗するためにですね「皇軍大捷の歌」っていう歌を作ったりとか。
まあこれはあんまりはやらなくて何か大こけしちゃったわけですけど。
でそれにまた奮起してですねもう1回1938年になって「父よあなたは強かった」っていう歌があって。
それでまあ要するに大ヒットできたのでようやく朝日としては毎日に一矢を報いることができたみたいな。
映画も戦争の歌を作りました。
日活映画「国家総動員」の主題歌もその1つです。
・「軍国の母」・生きて還ると思ふなよ・白木の柩が届いたら・出かした我が子天晴れと・お前を母は褒めてやる
(島田)靖国神社っていうのも明治以降に作られた新しい神社の1つです。
当初は官軍政府軍の戦没者を祭るために作られた施設だったのがまあ日清戦争それから日露戦争っていう外国との間の戦争をするようになってからそういう戦争の死者を祭るための神社に変わっていくわけですよね。
特に満州事変日中戦争それから太平洋戦争っていうふうに日本が激しい戦争をするようになった時代になってからこの靖国神社っていうのはまあいわゆる英霊を祭るための施設としてまあその数も非常に増えたんですね。
がぜん注目というかその社会の中で重要な役割を果たすようになったんですね。
・ああ国民の拝み称ふ・いさをしの宮靖国神社
(島田)戦争が激しくなると戦没者の数が増えますよね。
でそれまでの時代とは違う数の何万人の人たちが戦死してでその人たちが祭られるようになると。
祭るときに合祀祭っていうお祭りをやるわけですけどそこに遺族がみんな来るわけです日本全国から。
靖国神社のその合祀祭が非常に規模の大きな国家的なイベントになっていくわけです。
それによってその英霊っていうものがその時代になって初めて強調されるようになったんであってそれ以前の時代っていうのはあまりそういう側面は強調されてなかったんですね。
国民を戦争にやっぱり駆り立てていくための1つの装置としてこの靖国神社が機能するようになって。
靖国神社に英霊として祭られるっていうことが名誉であると。
だから戦死っていうことが非常に国のために貢献しているんだっていうイメージをこう強くするためにこの靖国神社が利用されたっていう。
(アナウンサー)これは中野の野方町。
防空ごうは私たちの手でと隣組の奥さんや娘さんを動員してもんぺ姿もかいがいしく防空ごうを作りました。
・とんとんとんからりと隣組地震や1940年近隣数軒の世帯を1つの組織とする隣組が制度化されます。
団結して物資の供出などにも当たりましたが互いを監視し合う役目も担っていました。
TBSラジオナインファイブフォー。
(宇多丸)時刻は11時44分です。
TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」。
今夜は終戦の日翌日ということで史上最強のJ−POPそれが軍歌すなわちG−POPあなたの知らない軍歌の世界特集リターンズをお送りしております。
我々の今あるようなヒットチャートソングのように聴かれていたという意味でのG−POPでございます。
後半はちょっとねちょっとこれはどうなんだいくらなんでもどうなんだというG−POP珍品などを紹介していただくというコーナーとなっています。
どんな感じの曲なんでしょうか?まずは。
(辻田)はいそうですねいきなりタイトルをご紹介するとですね「爆弾位は手で受けよ」という曲です。
(宇多丸)そんな…まずそんな曲があったんですね。
ありましたしかもこれ太平洋戦争に入る直前に作られた歌でですね。
(宇多丸)じゃあ戦局がそんなに極端になってない前ですか?
(辻田)そうですねただまあちょっとヤバいなっていう雰囲気がありますよね。
このままだとアメリカと戦争になるぞみたいな。
(宇多丸)「爆弾位は手で受けよ」。
・「爆弾位は手で受けよ」・一ツとや日毎に高まる波の音・太平洋に危機迫る・用意は出来たか合粘か・いざと言ふ時體当たりソレしかもさ…
(辻田)上がらないですよね。
何でこんなの作ってたか…
(宇多丸)粗製乱造。
(辻田)そうです粗製乱造ですね。
次のとんでもG−POPはどんな曲でしょうか?・「軍艦行進曲」・守るも攻むるも黒鉄の・浮かべる城ぞ頼みなる・浮かべるその城日の本の・皇国の四方を守るべし1941年12月8日日本軍のハワイ真珠湾攻撃などから太平洋戦争が始まりました。
・征くや激しき皇軍の砲火を哮ぶ大東亜
(辻田)「大東亜決戦の歌」っていうのは毎日新聞が募集した歌なんですけれども開戦した当初って戦争の名前も決まってなかったので初めは「皇国決戦の歌」っていう名前だったんですよね。
それがまあいわゆる大東亜戦争っていう名前が決定したので急きょ「大東亜決戦の歌」に名前を変えたりとかそういうごたごたがあって。
でまあ12月中に作りたいってことですごい大急ぎで募集され作曲されレコーディングされたっていう歴史があるんですけども。
この歌の特徴としてはですね歌詞がすごいわかり…まあ印象的なんですがつまり日中戦争というのはですね何のために戦争してるかよくわからない戦争だったわけですよね。
初めは何か地域紛争だったと。
で中国にちょっと1発殴ってればおとなしくするだろうみたいな暴支膺懲みたいなこともいわれてですね。
まあ戦争目的ってすごい限定的だったんです。
日本国民もこれ何で戦争してるんだろうとよくわからない状態がずっと続いてたと。
ところが太平洋戦争というのはある意味わかりやすい戦争でつまり侵略者であるアメリカイギリスからアジアを開放するんだっていう。
あるいは日本が侵略されそうなんで自存自衛のために戦うんだという極めてある意味では目的としてはっきりした戦争で初めっから。
そういった意味では「大東亜決戦の歌」ってまさにそういう内容で。
アジアを要するに興すっていうんですかね救うための歌であり日本を守るための歌だってことをばぁ〜んと押し出した歌詞なんですよね。
開戦と同時に東南アジア方面などへの攻略を始めます。
当初日本軍は破竹の勢いでした。
しかし4隻の空母を失うミッドウェー海戦の大敗を機に戦局は後退の一途をたどっていきます。
(江種)私としてとてもつらかったことは好きなことができなくなるということでした。
まずピアノが弾けなくなりました。
あの戦争によってですね。
学徒動員によって。
昭和19年1944年の4月一日からは通年制一年中を通した学徒動員になるわけですから学生は1時間の授業もできないということでございますね。
軍隊の命令で仕事をすると。
戦争とはそういうことだと。
しかも1週間は月月火水木金金ですね。
歌まで作られておりましたから私たちはでっかい声で…。
・月月火水木金金と歩きながら歌わされたわけですね。
インパール作戦のような無謀な作戦がありました。
(アナウンサー)飛行機の援護もなく補給のあてもなく乏しい火力しか持たない捨て身の作戦であった。
飢えと病気に虫けらのように死んでいった。
石油資源確保のための南方作戦は苦しい戦いが続いていましたが国内では勇ましい歌が鳴り響いていました。
マーシャル諸島も悲惨な戦場の1つでした。
(上田)海岸もなあめちゃんの弾…爆弾の数がごついだろ。
島の形変わってしまうぐらい来るんやけんな。
そやから海岸線やいうたらもう荒れてな。
魚は取れんよ寄りつかんよ。
ねずみがおったらねずみは必ず捕まえて食べる。
食料攻めに遭うたんと一緒よ。
食べるもん一切なかった。
そういうときはなまともな死に方のできへん人が多かったんやな。
うん…。
戦後上田さんは戦友の遺骨収集に島を訪れています。
多くの仲間が亡くなる中上田さんも米軍機に撃たれ死のふちをさまよいました。
そのとき助けてくれた戦友も島に眠っていました。
(上田)中村がな今度は止血をな11時間中村…。
いうたら殺すなよと…。
まあそれで助かった。
中村のおかげでありぃの滝さんのおかげでもあるし。
植木のあれにはな…それらの人が携わってくれた。
それが皆先に死んでもうて。
あぁ〜あなぁ…。
まあそやさかいなせめて……と思ってな。
70年前のあの日がずっと心の中にあります。
アメリカ軍が日本本土の攻略を目指し沖縄へ上陸。
多くの犠牲を出した沖縄戦が始まりました。
劣勢の日本は飛行機などに爆弾を搭載して体当たりする特攻を行ないました。
・攻撃隊・神風特別攻撃隊日本海軍が世界一と自負した戦艦大和。
大和も一億総特攻の先駆けとして沖縄戦で特攻を命じられます。
アメリカ軍艦を撃ったあと座礁して砲台になるという作戦でした。
(北川)神風特攻隊にしたって皆志願して行ってるわけです。
そら大和の場合は我々ここへ志願書判おせってそんな話1つもない。
志願はしてないんです。
特攻を命ずるて特別攻撃隊っちゅうそういう名目がついたのであっこれは…特攻隊やなというふうに皆直感するわけですわ。
で解散というたときね足がやっぱりこう何ちゅうか甲板へへばついたような感じでね動けなかったんです。
誰か後ろからとんと押されてはっと我に返ったっちゅうようなときでしたな。
ちらちらね田舎のことやとか家族のことがちらちらやっぱり頭浮かんでましたな。
特攻命令から2日後大和は使命を果たす前に攻撃を受けます。
3,000人以上の乗組員が海に投げ出されました。
浮き上がった途端に波がば〜っと覆いかぶさってきてねあっこれは巻き込まれるなと思てるけどこれはできないから。
なんぼやったかてね圧力がきついから。
ほんで巻き込まれてしもたんです。
で巻き込まれてる瞬間にねダダ〜ン!と大和が誘爆するわけです。
その誘爆のその何が…圧力がお尻をね戸板でぽ〜んぽ〜んとたたかれる。
こう上へ上げられたんですね。
それがまた私の生きるその何があったんじゃないかと。
顔から血出してる人もおりましたし私らはけがも何もしてなかったですけどね。
片腕飛んでる人もおりましたし。
これはもうそうざらにあるもんじゃないから。
母親が作ったお守りの帯が命を救ってくれたと思っています。
戦場ではいつも死と隣り合わせでした。
1人2人戦死しますわね。
そしたら軍艦旗で巻いてね水葬するわけですよ。
そのときに「海ゆかば」を歌うわけです。
歌は下手ですけどもそういう曲。
涙出てきます。
だから宴会とかそういうときはこの「海ゆかば」歌わない。
知ってる兵隊は。
ところが水葬するときにはこれを歌うわけです。
うん涙出てきまっせ。
・
(スタッフ)やっぱり仲間を見送るとき…。
そうそうそう…。
戦友なんか沈めるときねあぁ〜。
今度は自分が後自分だっつうことを思いますからね。
今は友達であっても戦友であっても明日あさっては自分になるんじゃないかっていうそういう予感がしますわなうん。
・山ゆかば草むす屍
(アナウンサー)そして昭和20年8月6日原爆第1号は広島に投下されました。
ぴか〜!この3秒間でございます皆さん。
今皆さんが音をなくしましたけれどものすごい光がぱ〜っと飛び散ったわけですね。
人間は服着ておりますけど服は燃えますし人間の皮膚や肉燃えます。
私は救援活動に行きましたけれどね黒焦げの死体を無数に目にすることになるわけですね。
(関)本当に太陽がなくなったと思ったと言っていますね。
でそれで見ると周りを見ると友達は誰が誰やらわからない。
焼けただれてもうすごい格好。
人間と思えないかに焼けただれて。
それでみんなが波多先生〜!って言って先生の名前を呼んだそうです。
あの日関千枝子さんは学校を休んだために助かりました。
建物を取り壊す作業に駆り出されていた級友のほとんどが亡くなりました。
同じように作業中に被爆し亡くなった6,000人の少年少女の慰霊碑を毎年巡っています。
(関)クラスのね記録を作るべきじゃないかという気がしてきたんです。
30年たってそっと何もしないのが思いやりじゃなくて被爆の記録を聞いて集めてそれをちゃんと残すのが思いやりというのか供養になるんじゃないかと。
はい出したらとにかく外は真っ暗だった…。
8年かけて級友の最期を調べ本にまとめ伝え歩き続けています。
・お元気ですよほんと。
だってさ私友達より69年長く生きたんだからこのぐらいしなきゃ申し訳ないでしょはははっ。
ははははっ。
ねぇ。
・黙とう。
ゴーン!
(鐘の音)
(松井)唯一の被爆国である日本政府は我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している今こそ日本国憲法の崇高な平和主義の下で69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要があります。
そして今後も…。
8月6日は何十年がたとうとも悲しみの1日です。
涙涙しかないです。
私8歳のときに両親家族皆亡くなって。
防空ごうの生活っていうのは一生忘れられません。
すごい独特な雰囲気で今まで感じたことのない空気だったっていうのとみんな同じような願いを持って今日の日を忘れたくないといいますか。
8月6日を忘れないでいたい。
平和への願いみたいのをすごく強く感じました。
誇りある日本を取り戻すために憲法改正に今こそ立ち上がるべきだときだと。
英霊の前にお誓いをさせていただいたしだいでございました。
終戦記念日の靖国神社にはさまざまな思いの人が集まります。
若い参拝者も増えています。
歴史の勉強をしてまあこういう命懸けで祖国に日本に貢献したという方を表敬するために行こうと思いました。
日本人っていうのはやっぱりこういう礎としてこういう先祖に感謝する気持ちっていうのを持っているんだなとすごい思いました。
・貴様と俺とは同期の桜多くの人の営みで築かれる国の歴史。
それをどう捉えるかはどの出来事を見つめるかで違ってきます。
・・花の都の靖国神社音楽グループHEAVENESEのリーダーは歴史を語り日本人の誇りを諭します。
(MARRE)連合艦隊司令長官まで務めた人ですから。
連合艦隊司令長官言ってちょうだい。
・連合艦隊司令長官。
そうです。
でこの人がいなければ日本の終戦の軌跡はなかったです。
散ってく桜のように美しく終戦を迎えたこのドラマを演出したのは彼の功績ですよ。
この人がいなかったらそのようなすばらしい終戦というのは…すばらしい終戦って言ったら変だけども犠牲がいっぱいあったから。
でもその潔さっていうのはねなかったと思います。
この日本の歴史なんて勉強したら見えない神の手だらけじゃないですか。
だって神風なんて2回も吹いたじゃないですか。
だから昔から日本は神の国だっていってるわけよ。
だけど昔森さんっていう総理大臣が「神の国」って言ったら失脚したんですよ。
神の国なんですよ日本は。
皆さん。
知ってましたか?来るとやっぱり日本のこと…日本人で良かったってすごい思えるので。
昔はこういう気持ちで何かいられたかなっていうような気持ちを思い出すようなところが自分は好きですね。
歴史を学び意見を持とうとする人々が増えています。
外務省もグループのステージを後援しています。
・・夜明けには花を咲かせても・・また移ろい・夕べにはしおれて枯れる
(MARRE)・あまりに儚くて・信じるのが恐いとき・隠れる場所は何処だろう・隠れる場所は何処だろう・・あなたを呼ぼう人々の求めるものが変わり始めています。
彼らはそのニーズを受け止め日本人としてどう生きるかを導こうとしています。
(辻田)自衛隊の広報担当者の言葉がここにあってですねアニメやドラマを通じて自衛隊の活動を知らせることが大切なんだということを実は書いてる。
これ戦車です戦車ですね。
この隣で敬礼してる女性は声優なんですアニメ声優。
なるほどなるほど。
(辻田)…が実はこういうふうにコラボしてるっていうんですかね。
・はいはいはいはい。
(辻田)アニメの側としては自分たち売れるからいいやと思ってるだけなのかもしれません本当は。
他にもこんなのもあるんですね。
(笑い)すごいとこから持ってきますね写真を。
私これすごい衝撃受けたんです。
首相じゃないですか。
この後ろは何かと言うともともと18禁ゲームとかの絵を描いていた人なんですイラストで。
・エロゲーですね。
(辻田)1つその政治とエンタメというのが急速に結び付いてきた象徴になってるんじゃないかなと思って。
リミッターが外れた感があるというか。
やっぱり戦後すぐ戦前の経験があるので政治とエンタメが結び付くことに対する心理的なある種抵抗みたいなのがあったのかもしれませんが。
・何かしらねブレーキが勝手に働いていた…。
もうブレーキなしみたいなずぼ〜ん!みたいな。
これが悪いのかどうかっていうのは私はわかりませんが。
例えば戦前の軍歌というのはある意味そのコラボですよねまさに。
そういうエンタメと戦争というか政治のコラボをした結果ああなってしまったわけですよ。
だからそういうことを考えるとやっぱりやり過ぎるとヤバいよねっていう意識はどうしても持たざるをえない。
・はいはいはい。
やっぱり歴史の話だけじゃなくて現代に結び付けた際にこういうのどうなのよっていう1つの視点を養うというのがやっぱり私の本の1つの大きな目標だったんですよね。
沖縄の激戦地読谷村に戦争の悲哀をつづった歌の碑があります。
曲名はアメリカの艦砲射撃の生き残りを意味します。
作ったのは…妻子供両親戦争で家族全員を失いました。
戦後再婚して生まれた娘たちに歌わせました。
(島袋)父としては何もね最初から反戦歌ですという感じではないと思うんです。
やっぱりある日私たちのことをこうまとめたいってそれを娘たちに歌わせたいというそういう感じで作ったかもしれないんだけども。
やっぱりそれが戦争を体験した人たちにとってはものすごいまあ…気持ちに響く歌突き刺さってくるような歌だっていう人もいましたね。
(三線)・若さる時ねー戦争ぬ世・若さる花ん咲ちゆーさん・若さる花ん咲ちゆーさん・家ん元祖ん親兄弟ん・艦砲射撃ぬ的になてぃ・着る物喰ぇー物むる無ーらん・スーティーチャー喰でぃ暮らちゃんやー・うんじゅん我んにんいゃーん我んにん・艦砲ぬ喰ぇー残さー・我親喰ゎたるあの戦争・我島喰ゎたるあの艦砲・我島喰ゎたるあの艦砲・生まり変わてぃん忘らりゆみ・誰があのじゃましー出ちゃら・恨でぃん悔やでぃん飽きじゃらん・子孫末代遺言さな・うんじゅん我んにんいゃーん我んにん・艦砲ぬ喰ぇー残さー
(島袋)父の場合は今この子たちと幸せ。
でも過去にはああいうつらい場面があったわけでね。
それを人間忘れるってことないと思う。
私たちが寝たあとねやっぱりこう自分1人思い出してるんですよね。
1人だけこう柱に寄っかかってねもうこう三味線弾いてんのね。
声にならない声っていうのかな。
それをこう歌ってるの見るとね私は泣けちゃうんだけどははっ。
涙が出るんだけどね。
でもね…。
あのころはね話せなかったと思うんですううっ…。
私たちもねかわいいわけじゃない。
とってもちっちゃくて。
この子たちに戦争のこと話してもねってきっと思ったんでしょうね。
自分1人夜中こう三味線弾いているのを見るとね今考える…今そう思うの。
あのころはね思わないですよ。
今あの場面があったなぁって。
父のあの場面はきっと思い出していたよねって。
今思うのね今わかったのとってもうん。
幸せはつかの間。
恒敏さんと妻・シゲさんはアメリカ兵の飲酒運転による事故で亡くなりました。
終わらない戦争です。
この辺にね好きな歌があったんだけどね全部真っ黒になっちゃったさみんな消すから。
だから訳わかんないでしょははははっ。
これはほんとに訳わかんないでしょ。
(スタッフ)でもこれ消したのは戦後ですよね?
(関)だから…戦後。
これ悪い歌なんですよねきっと。
軍歌みたいな歌…。
(スタッフ)みたいなんでしょうね。
(上田)だんだんと年取ってあと何回来られるかわからんけどな。
まあ歩ける間はまた会いにくるわ。
・ここはお国を何百里・離れて遠き満州の・赤い夕日にてらされて・友は野末の石の下・勝って来るぞと勇ましく・誓って国を出たからは・手柄立てずに戦後生まれが8割を占めるようになりました。
2014/09/28(日) 01:35〜02:30
関西テレビ1
ザ・ドキュメント うたと戦争〜70年目の私たちへ〜[字]
敗戦から69年。戦後生まれが国民の8割を占めるようになった。戦争があったころ、国民は何を考えて日々暮らしていたのか、歌を通して考えてみたい。
詳細情報
番組内容
歌には、その時代の空気がまとわりついている。戦争の歌には、軍歌や戦時下に歌われた軍国歌謡などがあり、総じてメッセージ性が強い。
ただ、音楽としてつまらないものは流行らず、国民の感情にうまく合ったものが売れるという傾向は昔も変わらない。『露営の歌』や『愛国行進曲』など戦後でも耳にする歌は、当時の人々の気持ちに合うヒット曲だった。
番組内容2
番組では、軍歌研究家・辻田真佐憲氏の解説や、戦前レコードのコレクター・保利透氏の資料や分析をもとに、「戦争の歌」が当時、誰のどういう思惑で生み出されていったかをひも解く。レコード会社や音楽関係者など「当事者の複雑な利害関係」がどう影響していったか、「時局便乗」の歴史には考えさせられる。歌を通して日本が戦争をした頃の空気を感じ、改めて今という時代を視聴者とともに考える。
スタッフ
【ディレクター】
柴谷真理子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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