SWITCHインタビュー 達人達(たち)「西村賢太×稲垣潤一」 2014.09.27

映画「苦役列車」。
主人公北町貫多は19歳。
日雇い労働で生計を立てている。
劣等感とやり場のない怒りを抱え生きる日々が描かれる。
正二の野郎…山出しの専門学生の分際でいっぱしの若者気取りの青春おう歌しやがって…。
原作を書いた小説家西村賢太47歳。
中卒2度の逮捕歴今どきまれな無頼派作家である。
2011年芥川賞を受賞した際の会見は話題を呼んだ。
受賞作「苦役列車」は私小説。
主人公北町貫多は父の性犯罪が原因で一家離散しふ頭の冷凍倉庫で日雇い仕事をして暮らしている。
ホリエモンも実は北町貫多に強く共感する愛読者の一人だ。
女の子と一緒に野球見に行って切れて帰ってくるとか。
割と僕もそういうところがあったんで。
貴重なんじゃないですかね。
社会の底辺を描いてきた西村が執筆中にずっと聴いているのは…。
シティー派ポップスだった?不思議な…本当に不思議な性質っていうんですかね。
西村はなんと…。
・「クリスマスキャロルが」稲垣潤一の30年来の大ファンなのだという。
ちょっと意外。
・「雪は降るのだろうか」稲垣潤一は西村の短編小説の中にも登場する。
同棲中の彼女がファンという設定だ。
「彼女は食器洗いとか風呂掃除の際なぞに必ず音楽を欲すと云うのか要すと云うのかまずそれをかけてからでなければ取りかかろうとしない習慣があり余程気に入っているのかその選曲は大抵の場合稲垣潤一に限られていた」。
西村は稲垣のコンサートやディナーショーがあれば欠かさず足を運んでいる。
東京・新宿のライブ会場の外にいたのは大勢の稲垣ファンの女性たち。
事あるごとに稲垣好きを公言している西村はファンの間でも一目置かれる存在だ。
稲垣さんのそういうイベントとかに僕もよく行くんでそれは当然顔がね…。
西村は中学2年の時テレビでたまたま見た稲垣に一目ぼれしたという。
ありがとうございます。
ここでも女性ファンが熱烈歓迎。
(ノック)・はい。
失礼します。
あ西村です。
どうもどうも…。
どうもご無沙汰しております。
どうもご無沙汰です。
お疲れさまですどうも。
いやいやいやいや…。
いつ以来ですかね?去年の暮れのディナーショーの時にちょっと楽屋に伺って…。
あ〜そうか。
それ以来ですか。
そうです。
7か月ぶりで。
賢太さんはどうですか?お変わりないですか?今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
(取材者)ちょっと別格な感じなんですか?誰と会っても緊張しないんですけどね…シティー派ボーカリストと無頼派作家がぶっちゃけトーク。
ハハハハハ…そんな身も蓋もない事を…。
イラっとはしてないんですけど難しいなと思いながら。
愛ゆえに毒を吐かずにはいられない。
ところが稲垣さんが歌うと全然詞が…。
意味が全部違ってくる感じなんですよね。
4は2曲以外全て好きです。
あれはそのまま「エスケイプ」って。
稲垣もびっくり布団から生まれる小説とは?僕は稲垣さんの曲っていうのは…延々かけてやってても…何でそうなのかとずっと考えてたんですけど…稲垣さん独特の声。
声が邪魔にならないという言い方をするとすごい失礼な事になるんですけど。
いえいえいえ…。
これはほかの歌い手の方にはまずない現象で。
ではここで芥川賞作家西村賢太による私小説的稲垣潤一論いってみましょう!西村が最初に恋に落ちたのはデビュー曲「雨のリグレット」。
運送業を営む裕福な家に生まれた西村。
ところが小学5年生の時父親が事件を起こし逮捕される。
生活は一変した。
母子家庭だったんですが母が風呂入ってる時が狙い目で財布から毎日のように100円200円小銭に限って盗み…レコード。
はい買いました。
そうですか。
ありがとうございます。
これも今考えると…当時やっぱりラジオですか?最初。
いや最初はテレビだったんです。
いきなりだったんですよ。
いきなりビジュアル込みで。
しかもこのドラムをたたきながらマイクが変なインカムのこんなんじゃないんですよ。
俺あれ嫌いなんですよバカみたいで。
これですか?ハハハハハ…。
すごいまぬけに見えるんですよね。
このマイクがどんと置いてその前で歌ってるたたきながら。
あれでこれはかっこいいなと。
しかも何か…非常に引かれまして。
それからキーの設定というのをちょっと上げたんですよ。
デビューの頃というのは無理やりキー上げてレコーディングしてたっていうね…。
だから「雨のリグレット」はそういう意味でキーが低い曲で。
逆にでも僕何か低い雨上がりの夕方の何かこう情景が浮かんできますね。
この…これぐらいのが。
2曲目は「エスケイプ」。
許されぬ恋に身を投じようとする男女を歌う。
やっぱり僕何だかんだ言ってもやっぱりこう…。
以前の曲を言われるのは好きじゃないかもしれないですけどこれが一番好きです。
これはちょっと思い入れがありましてちょうど僕が中学を卒業する間際にレコードを買って姉の持ってたレコードプレーヤーでラジカセに録音して…ただもうすぐに僕はお金に困りましてそのラジカセを質屋に1,500円で入れてしまったんです。
でそれを流してしまったんでそっからもう聴けない状況になったんです。
一番いい曲なのに実際聴いてた期間が極めて短いという。
だからその飢えがあるからこそ…高校にも行かず家を飛び出した西村。
3畳一間のアパートで肉体労働の日々を送った。
最後の「エスケイプ」でハモるところ声がかぶるところ…・「あなたとエスケイプ」あれはそのまま「エスケイプ」ってス〜ッと稲垣さんの声だけで。
あそこで僕いつも引っ掛かるんです。
当時はレコーディングっていうとやっぱりドラマーベーシストギタリストキーボーディストがちゃんとそろってせ〜のでとるというのが普通でそれまで聴けないんですよね。
いきなりアレンジされたものを聴くというのはスタジオでしかなかったんですよ。
「エスケイプ」最初聴いた時には「そうかあの曲がこんなふうになったんだ」と思って聴いてましたね最初スタジオで。
そうですか。
それはありがたい事です。
3曲目はデュエットアルバムに収録されている「スローモーション」。
中森明菜のヒット曲を夏川りみとデュエットした。
・「出逢いはスローモーション」こんな容貌してて何ですけども…中森明菜ファンという事もあり好きな曲だったんですね。
でもその曲が…もう詞がくだらないんですよよく聴くと。
詞がめちゃくちゃ…。
まあアイドルのデビュー曲という事もあって。
特に稲垣さんが歌うと全然詞が…。
意味が全部違ってくる感じなんですよね。
いろいろないろんな作家の曲を歌う訳ですけど…それはもう当然デュエット曲に関しても。
そうですね。
基本は変わってないですね。
西村は稲垣の自伝についても小説書きとしてうならされたという。
稲垣は高校卒業後地元仙台でキャバレーやディスコで演奏するバンドいわゆるハコバンのドラマーとして働いた。
自伝にはそれでもプロデビューする夢を抱いて過ごした仙台での10年間が描かれている。
「ハコバン70’s」。
はい。
その読み方が一番頭に入るんです。
そんなこうビシッと読むと絶対教科書的な感覚になっちゃって頭入んないんですけど。
功成り名を成し遂げた人ってそういう苦労エピソードはかなり針小棒大にいかに自分はここで武勇伝を込めちゃいながらやりがちなんですけども。
いえいえいえ…そんな事はないと思うんですけども。
ディスコで灰皿飛んできたりね。
酔っ払いだから挑発してきますでしょう?でもリクエストやんないと駄目なんですよね。
そう言えない環境がありました。
できる曲はやってました。
できない曲は「ちょっと…」って言いましたけどね。
この日のライブではハコバン時代に稲垣が歌っていた曲が演奏された。
(拍手)ドラムをたたきながら歌うのは当時身につけたスタイルだ。
・「Sunny,yesterdaymylifewasfilledwithrain」・「Sunny,yousmiledatmeandreallyeasedthepain」60年代や70年代の名曲の数々をたたき語りした。
・「もっと愛してほしいのよ」・「わかって」・「ビーマイリトルベイビー」・「Honestyishardlyeverheard」・「AndmostlywhatIneedfromyou」稲垣の原点に返るライブだった。
(拍手)どうもありがとうございました。
(拍手)
(拍手)いやもう正直言って言葉が出ないという感じで。
今まで30年稲垣さんのファンをやってて初めてこういう面を見たんだなとびっくりはしたんですよ。
そうかもしれないですね。
余韻を抱えたままもう抱え込んで帰りたかったですね。
よく10年間ぐらいハコバンやってこれましたねって話当時もね友達からよく言われました。
大きなお世話だというふうによく言ってて。
プロデビューって夢はもちろんありましたけどだから続けてこられたというのがあるのかなと思いますね。
27歳の時スカウトされ上京。
念願のメジャーデビューを果たす。
当時はシティー・ポップと呼ばれる都会的なサウンドの全盛期。
稲垣も次々とヒットを飛ばす。
・「都会の夜はドラマティック」僕がデビューした80年当時は詞を見て映像が浮かんでくるような詞が多かったんですよ。
つまり僕の曲を聴くと映画的な映像が浮かんでくると。
そういうところは意図して作ってたような時代なんですね。
それは作り手側が?ええこちら側が。
ですから「ドラマティック・レイン」例えばありますよね。
ハハハハッそんな身も蓋もない事…。
そんなにないんですよ。
ああそうですね。
そういう80年代というのは時代で。
それも80年代ですね。
「ロング・バージョン」は本当に。
何かドロッとしてるけど癖になりますね。
あれは。
ドロドロの世界ですからね。
あ〜なるほど!僕の曲とか歌っていうのはあまり何て言うんですかね…あくの強い歌い方なんかするとあまりよくないんですよ。
自分で作為的に歌うと駄目なんですよ。
アーティストの方によってはいろいろ頭の中にストーリー筋書きみたいな賢太さんはそうやって最初設計図みたいなのを書かれてから作品に取りかかるっていう…。
出たとこ勝負みたいな。
歌は。
だから…スタジオの中で作り上げていくというものなので。
じゃああんまり詞の情景なんかも思い浮かべず…。
もちろん最初歌う前には歌詞の内容を把握します。
そのあとは…そこがだから賢太さんにはそういうふうに聞こえるという…。
いろいろ作業しても邪魔にならないっていうそういう音っていうか歌になってんのかなっていう気がするんですけどね。
稲垣の歌声は数多くのCMにも起用された。
このCMに人生を変えられたという男がいる。
元F1レーサーの片山右京。
雨の中をものすごいスピードでワイパーを動かして立ち上がってきてその曲とで…俺も絶対あそこまで行くんだというのは曲と一緒に入ってるから。
だから…レーサーのプライベートの生活っていうか稲垣さんの歌の中の主人公と重ね合わさっててそういう人になりたいって。
・「クリスマスキャロルが」ドラマの主題歌となった「クリスマスキャロルの頃には」は累計200万枚に迫るミリオンセラーとなる。
ところがこのころ稲垣は大きな壁にぶつかっていた。
歌が大好きで中学生からずっとバンドやってプロデビューしてきたんですけど歌ってても楽しくなくなってきたという時代だったんですよ。
じゃあこれが発売された時には既にそういう状況だったんですか?そういう結構症候群だったんですよ。
でもやっぱりCDはチャートガ〜ッと上がっちゃってレコード会社は盛り上がってるわ事務所盛り上がってるし何だかなって感じはちょっとあったんですよ。
実は。
ずっとやってきた金属疲労みたいなものがちょっと出てきたみたいなところがあったのかな。
というのはセミプロとかアマチュアの頃お店に来る方も僕の歌を聴きに来るって方ほとんどいないんですよね。
デビューしてコロッと変わった訳じゃないですか。
これはセミプロ時代みたいな気持ちで歌ったらまずいなっていう…。
ちょっと変えないといけないなという気持ちもあったりして。
ちょっと改めたんですよ。
自分が楽しむようにライブでも何でも変えていこうって。
おはようございま〜す。
この日稲垣は都内のレコーディングスタジオにいた。
歌手沢田知可子とのデュエット曲に取り組む。
稲垣はなんと座ったままレコーディングする。
デビュー前からずっとドラムをたたきながら歌ってきたためこのスタイルが一番しっくりくるという。
はいじゃあお願いします。
・「何もかもが当たり前だった」・「しあわせっていう平凡な日々」すごい。
すごすぎます。
あっいえいえ…。
2個目聴かせて下さい。
いい意味でですよ年齢不詳っていうんですか。
変声期前の男の子のような美しい…本当に不思議な…何て言うんですかね。
こうフワ〜ッとエアーというか霧のように包んでくれる。
・「風向きは空を超え世界の果てまで運んで行く」・「ぼくらの夢や希望」いやいやいやいや…。
初めて?初めて聴きましたし今こう回ってる間稲垣さんが座って歌ってられるのがいつもの事だと聞いて甚だ驚いてます。
昔からドラムをたたいて歌ってるという事なのでデビュー当時からレコーディングも座って…。
座ってる方が声が出るとか。
本当は立って歌う方がいいらしいんです。
僕の場合ずっと昔から座って歌ってきたので座ってる方が楽っていうか歌いやすいってのはありますね。
・「Ican’tstop」稲垣は近年さまざまな女性アーティストとのデュエットを続けている。
男女でポップスの名曲をカバーする新しいスタイルだ。
・「あなたに逢いたくて」これまでに4枚のデュエットアルバムを発表。
50曲近くをカバーしてきた。
これは石原裕次郎が持っていたデュエット曲数を抜く最多記録である。
・「JINーJINーJIN感じてる」総じて男と女シリーズというのは…相乗効果もやっぱり当然ありますね。
あれは失礼ながら12僕あんまり好きじゃないんですよ。
3になってちょっと3曲ぐらいいいのがあるなって感じで4は正直なところ2曲以外全て好きです。
レコーディングの場合はスタジオでいい環境で歌入れっていうかそれもバラバラで歌うという事なんで…。
ライブっていうのは一緒にステージで歌うんですけどライブは難しいですね。
むしろ素人の考えでは逆だという気もするんですけどね。
ですからそれは難しいですね。
いやいやイラっとはしないんですけど難しいなと思いながらライブでやってますけどね。
稲垣さんはもう30年これで走り続けてきた訳ですけども一回92年ごろに疲れて…それからまた更に20年たってどうなってんのかなという気はしますね。
今の状態はもしかしたら一番いいかもしれないですね。
歌う事楽しいしデビューする以前のカバーもこうやって歌う事もできてるし。
やっぱり楽しんで。
やってる側が楽しむっていうのが。
やっぱりそういう意味で自分が調子がよくないといい歌を歌えないというのはつくづく分かりましたね。
だから精神的にもフィジカルな面でも調子がよくないとやっぱり歌っていうのは歌えないんだなって…。
それが何かその32年歌ってきてこう分かってきたっていうところはありますね。
後半は舞台をスイッチ。
5日後今度は稲垣が西村を訪ねた。
向かった先はとある一軒家。
出版社が締め切り間近の作家やライターをいわゆる缶詰めにする建物だ。
こんにちは。
あ〜どうも。
あ〜どうもどうも。
この間はありがとうございました。
アハハ!今ちょっと仕事させて頂いてます。
すいません。
あっ!ハハハ!やっぱりこういう何か不思議なあれがありますね。
いやずっと違う曲が流れてたんですよ。
順番で。
いや〜不思議なもんですね。
これが今書き終わって今推こうしてあと十数枚ですか…。
これで渡すだけです。
西村が手を入れているのは短編「下水に流した感傷」。
西村作品おなじみの主人公北町貫多が登場する。
同棲する秋恵に暴力を振るい彼女が大切にしていた犬の縫いぐるみをめちゃめちゃに引き裂いてしまった貫多。
金魚を買って罪滅ぼしをしようとするのだが…。
どうしても女性と上手に接する事ができない駄目男貫多の迷走ぶりが描かれる。
物語を紡ぐのはデビュー以来使っているボールペン。
これじゃないと駄目らしい。
何の変哲もないボールペンですけどもこれもずっと初期から使ってた。
これじゃないと駄目?駄目なんです。
こだわりがあるんですよね?300円のボールペンなんですけども…この原稿用紙じゃないと駄目なんですね?そうです。
吉行淳之介さんが昔そういう事を言いだして。
…で今もう手書きの作家なんてほとんどいないんで。
そうですよね。
だから今じゃもうそんなジンクスも生きてないんですけどもでも僕はまあ何かの間違いで取れたんで意外とそういうのってあんのかなと。
西村が小説の下書きに使うのは大学ノート。
長編だと8冊にもなる。
見てもよろしいですか?はい。
おおまかなプロットを考えたらとにかくノートに書き始めるのだという。
最初の方はすごいまだ読める字なんですよ。
これってあれですよね。
スピードを保つためには自分が分かるぐらいの字でいい…。
そうですそうです。
ですよね!うわ〜っと書いちゃうんですよね。
さすがお分かりになってますね。
字なんて気にしてたらばせっかく浮かんだあれが分かんなくなっちゃうんで。
とりあえず何でもいいから書こうという事で。
そうですよね分かります。
やっぱりこういう場所で缶詰めになって書いた方が集中できますか?いや〜僕はどっちかって言うと家の方が。
集中できますか?はい。
誰かがどんな親しい人が入ってもそれによって何かかき乱されちゃうんですよね。
とにかく布団に寝転がって書くのがいつものスタイル。
まあ本当にもうこう…。
まあここに灰皿と缶コーヒーは必需品なんですけども…でもう完全にこれです。
これで書いてこの姿勢にもなりますし。
…でそうするとだんだん筋が痛くなってくるんで枕を脇の下に入れてちょっと高くしてこれです。
は〜。
こっち側はさすがに無理なんです。
ハッハッハッ!こっち向きだともう何時間でも書いてられるんです。
これやってるとここもやっぱり痛くなってきますのでそしたらこれですね。
上向きになるとボールペンが書けなくなるんで。
難しいですよね。
こっちかこっちですね。
本を読む時も?同じです。
同じ姿勢っていうか…。
そうです。
ただ本を読む時はこっちもいけるんですよ。
(笑い声)正岡子規じゃないですけどここの…西村初の長編小説となる…19歳の北町貫多は勤め先である女性に恋心を抱く。
「だからその点からも佐由加のことを“100パーモノにできる”との予感を抱けば彼は生きていることが本当にうれしくそして楽しくて幸せで仕方なかった。
根は眠れるスケコマシ気質なのに如何せん恋愛の経験には乏しくできている貫多は自分のこの想いをどう佐由加に伝えればよいのかそれは皆目分からないのだった」。
ろくろく話す事もできないまま貫多はこっぴどく失恋する事になる。
堀江貴文は主人公の貫多に時代の寵児となる前の自分の姿を見るような気がすると言う。
何て言うのかな…一番書けないですよねああいう事が。
自分の弱い部分とか駄目な部分とかをあんまり出したくない。
作品として。
特にああいうこう…。
もう本当社会の底辺みたいなところの日常ってあんまり出てこないじゃないですか。
それはやっぱり中の人たちが書くのと外部からそれを見て書くのとは全然やっぱりリアリティーが違うんで。
ある意味…なかなかそういう人もいないんで。
みんな周りに遠慮しながらせこせこと生きてるんでそういう人たちに俺みたいに自由に生きてみろよみたいな感じのメッセージを発信し続けてほしいですけどね。
そういう人ってなかなかいないんで。
貴重な存在なのでそれは続けてほしいですね。
いや僕も自由に生きさせてもらってるんで大丈夫です。
おっ!すごいなって思うのは暗くないし映像が何かすごく浮かびやすいという感じが読むとするんですよね。
違いますね。
エンターテインメント性というのもないと駄目だし。
あと…そこが何か絶妙だなって思うんですよ。
もちろんだからそこも自分で必要とされてるから私小説といえども考えてバランスをよくまとめて書いてる訳ですよね?そうですね…結局は落語的な要素を私小説に入れたいなというのがだんだん思ってきて暴言とか罵倒とかそういうのがやっぱり入ってきましたね。
結局落語なんてものすごい差別的な笑いでやってる訳ですよね。
でもそれがやっぱりおかしいと。
結構どっとそういうとこで受けるし。
差別の意識じゃなくそういうのをうまく伝統的な戯画化して書けばまた違った私小説が出来るんじゃないかなというところで。
「の歌」には貫多がある私小説と出会った時の感銘が記されている。
「私小説を読んでいるときに覚えるこの世の憂さを忘れると云う感覚にはウサだの恥だのを逆手に取るその或る種の技の示唆を得る効能も含まれるものだった」。
「この点からもすでに該私小説家の存在は『この人を見よ』ではないが貫多にとって現時人生最強の心の援軍となっていたのである」。
北町貫多と西村賢太。
北と西町と村貫多と賢太。
2人はどのぐらい重なるのだろうか。
僕のその主人公の貫多っていうのは本当にもう怠惰な人間ですけども変に自信家なんですよ。
もうどんなどん底生活でもいつか逆転できるんじゃないかなという非常に曖昧な期待を…。
それ以上深刻に考えないんですよね。
深刻に考えたら終わるな自分の命自体終わっちゃうなというのがどっかで分かってるんでしょうね。
今だから俯瞰で見れてる貫多の部分それは賢太さんなのかもしれないけどそういうところがありますよね。
あっ確かに僕のあんなヘボな小説にも…貫多っていう名前は付いてなかったんです主人公に。
「僕」「私」で書いてるうちにだんだん書いてる作が多くなってくると15歳の時の話とか17歳とかつまり若い時期の青春時代の話を書くようになった時に…主人公の「私」と現在の40を過ぎた「自分」との。
そこで北町貫多っていう名前を付けて1人称なんですけども3人称的な立ち位置に置かせてやってみたらものすごいしっくりいったんですよね。
だからそれ以来もう北町貫多っていうのをキャラクターとして…私小説でありながらキャラクターとして確立させようというとこでやってるんですが書いてるうちに何かだんだんこうう〜ん…。
僕が貫多的な事を演じてる私生活でも。
編集者とつきあいの中でも演じてる時ありますし…だけどそこは自分でも面白い現象だなと思ってるんです。
アハハハハ!そうです。
それは貫多のイメージとちょっと違うからっていうのでラフな格好されるようになった?そうです。
それ意外なんですけど。
今となっては貴重なスーツ姿の西村の映像が残っていた。
確かにスタイリッシュ。
貫多のイメージに合わせるのも大変なんですね。
前のを知ってる人は今何であいつはこんなブタって汚い格好してるんだと。
わざと太るはうそですけどね。
ああ〜!だからこれもあえて着た切りすずめにしてますけどでも毎日のように洗って柔軟剤入れて…。
同じようなものを10着ぐらい持ってるとかそんな事はないんですか?西村はこの寺に毎月のように墓参りに訪れる。
ここには西村が師と仰ぐ作家藤沢清造が眠っている。
藤沢清造は明治から昭和にかけ極貧生活を送りながら私小説を書き続けた。
西村はその作品との出会いをこう書いている。
「…という作中主人公の嗟嘆は殊に心に響いた」。
30を目前にした西村は藤沢の没後弟子を名乗り月命日の29日に墓参りに訪れるようになった。
同人誌向けに書いた私小説が編集者の目に留まり文壇デビューを果たしたのは37歳の時だった。
今日はちょっと騒がしい事も多少ありますけどもお許し下さいというところで。
新鮮な気持ちになりますしね初心に返るというのか。
やっぱり最初に来た時の…平成9年ですか平成9年の3月に初めて来た時の気持ちを思い出しますね。
実は西村は藤沢の墓標のすぐ隣に自らの生前墓を建てている。
墓に刻んだ文字は藤沢の自筆を集めたもの。
「賢」の字は3つの文字を組み合わせて作ったという。
まああんまりそう言っちゃうと変に神懸かっちゃうんですが僕の気持ちの中ではやっぱりありますねそれは。
すいません失礼します。
あっどうもすいません。
どうも。
どうもどうも。
この寺の住職高僧英淳とは20年近いつきあいになる。
高僧とのやり取りは西村の小説にしばしば登場する。
小説「墓前生活」には主人公が寺にあった藤沢清造の木の墓標を譲り受けるくだりが書かれている。
「『これぼくに頂けませんか』『えっ』我知らずに口をついて出ていた。
言ってからそう口走ったことに気がついた」。
「『どうしてですか』『どうして……あ縁の下なんかに置いてあったものですから不用ならと……』咄嗟のことで考えがまとまらない。
多分聞かれた意味は目的の方を指していたものであろうが縁の下なんかにのところで困惑気だった副住職の目に一瞬悪光りが走った」。
「『別に粗末にしてたわけやないですよ。
捨ててもいないしこうして保管してあったんやから』」。
ああいう嫌らしい書き方で僕の人格を全くもう…。
初期の頃にはだいぶ登場させてたんですがあまりにも抗議が激しいのでここ最近のには抑えて出すようにしてるんです。
事後承諾でごめんなさいと…。
(高僧)なるべく親しくならないようにしようと思って。
おなかの中の事全部表現されてね。
いやまあ臆測ですけどね。
じゃあ臆測って書いとけばいいのに。
東京に行って結構西村さんと飲んだりした事もあって。
その時の印象とここへ来る印象とは全然違いますかな。
ああやっぱりここお寺にはきちっと来てるんだなという…。
そして自分を…それをエネルギーにしてやってるというところがすごいなと…。
それは本当に尊敬しますよ。
まあ仕事もままならず家賃も滞納し続けというような時代が30過ぎぐらいまであったもんですから。
何かこう…非常に甘えた態度で接していたんですが…。
ところが自分で小説を書くようになってしかも書き続けるようになるとなんと藤沢清造というのはすごい人だったんだなと。
そこで初めて分かる事ってありますよね。
偉大なる先達として仰ぎ見る度合いっていうのが以前よりは確実に増してます。
お参りしたりとかしてなかったらば書く意地っていうんですかね。
気力…まあ意地の方ですね。
意地がなくしてたと思いますね。
気持ちの中では藤沢清造の没後弟子というのを自認してはいたんですけども自分が書いてなかったら弟子も何もならないんで空っぽの頭絞ってでも…そこがやっぱりつながってる気がしますね。
ここにも西村作品の大ファンがいる。
その男とは…。
どうも六角精児です。
実は私六角精児は西村作品の全てを読んでいる。
対談した事もある熱狂的なファンなんです。
成功してる事なんてあんまり人は読んだって面白くないんだけどもそれがとても…それが…あの人の文章とあの人のスタイルは。
その中からやっぱり面白いもの面白くないものは…その取捨選択の幅というのは…やる限りはどこまでも自分を見つめていった方がいいと思うしその自分というものがあまり楽になっては面白くありませんから。
そこに…西村さんにとって小説家とはどんなものなんですかね?いや…。
これ小説家っていうのは多分歌手ミュージシャンの方と違って読んで頂いて自分の考えを伝えたいとかじゃなく所詮…小説家ほど人間的に駄目な人間っていうんですかね。
バカ…それは僕を指してるんですけども。
やっぱり10代20代の頃は実際僕もなんとかなると思ってたんですよ。
こんな生活をしてても。
でもだからまあ…どこでどうなるかっていうのは本当分かんないですね。
でもその時も…何の根拠もないんですけどね。
これが利口な人だと30までに芽が出なかったらやめようとか自分で諦めちゃうんですよね。
全然無駄にもなってないし…。
むしろそれがあったから今続けてられると。
やっぱり…僕も小学校中学校ぐらい自分が興味を持てたものしか駄目なタイプなんですよ。
そういう意味で近いと思うんですよね。
あのぐらいの私小説を書けて小中学校の国語の成績がいいかというと違うんですよね。
僕の場合は全くでした。
えっ?通知表でいうとちなみにどれぐらいの…。
僕小学校の時ねお恥ずかしい話ですけどね…いやいやいやいや…。
そういうところで何か似てるなというふうに思ったんですよね。
7月生まれですよね?そうです。
12日です。
稲垣さん…。
僕9日なんで。
(笑い声)やっぱりそうなんだ。
何か似てる部分あんのか…。
前回の対談でも感じたんですけど…。
西村が連載を始めたばかりの長編小説の一節を披露するという。
北町貫多17歳の冬を描いた作品だ。
「室中において唯一の賑やかしのツールであるトランジスタ・ラジオからは貫多が好きな稲垣潤一の曲が流れていた。
まだ家にいた中学生の頃は『エスケイプ』までの全曲のレコードを買い姉の留守中にその部屋にあるレコードプレーヤーでもって自分のラジカセに録音しそれを繰り返し繰り返し聴いていたものだった。
それらのテープこそ今も手元に残していたがラジカセ本体のほうはすでに質屋に入れ1,500円でとっくの昔に流してしまっている。
しかし今ラジオから聞こえてくる昨年の冬に発売された曲のため甚だ馴染みの薄かった『ロング・バージョン』のそのシルキーボイスにじっくり耳を傾けているうち貫多はあの洋食屋で最初の給料をもらったらまずはラジカセとそして安物の中古品でもいいから是非ともレコードプレーヤーを買い込む腹を固めた。
そしてまた明日からの労働意欲をにわかにみなぎらせるのであった」というラスト10行ほどの部分なんです。
ありがとうございます。
僕の曲を聴いてる方たくさんいらっしゃってその中に貫多君がいたという…。
紛れ込んでいたというんですか。
いえいえ。
僕が小学生の頃にビートルズを聴いて感じたように…だからそれって僕が歌ってる曲を聴いてる人がいろんな方がいらっしゃる…。
そういう人に何かいろんな届き方をするけれどもでも何かそうやって感じてもらえるとうれしいなというふうに思いますね曲で。
西村さんも…そしてちゃっかり稲垣にサインをもらう西村。
あれ?そのアルバムあんまり好きじゃないって言ってませんでしたっけ?ありがとうございました。
ありがとうございます。
収録を終えた西村と稲垣。
まだ日は高いが西村のなじみの赤ちょうちんへと繰り出していった。
まだまだ話し足りないみたいです。
2014/09/27(土) 22:00〜23:00
NHKEテレ1大阪
SWITCHインタビュー 達人達(たち)「西村賢太×稲垣潤一」[字]

中卒・逮捕歴あり「苦役列車」で芥川賞の無頼派作家・西村賢太は意外にもシティー派ボーカリスト稲垣潤一の30年来の大ファン!念願・異色の顔合わせぶっちゃけトーク炸裂

詳細情報
番組内容
西村は稲垣の歌声を聴きながら執筆、小説にも登場させるほど。どん底暮らしを慰め支えてきた曲を振り返りつつ「歌詞が下らないんですよ」「最後のハモりはいらないですね」と言いたい放題!?稲垣はタジタジとなりつつ「私小説の逆襲」と評される西村独特の作品世界に切り込む。「クリスマスキャロルの頃には」の頃に稲垣が直面していたスランプから西村の不思議な執筆スタイルまで。正反対に見える2人の結論は「意外と似てる?」
出演者
【出演】小説家…西村賢太,ボーカリスト…稲垣潤一,堀江貴文,片山右京,沢田知可子,【語り】吉田羊,六角精児

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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