3ニッポン戦後サブカルチャー史 第9回▽90年代(2)おたく→オタク→OTAKU 2014.09.26

今年8月に行われたコミックマーケット通称「コミケ」。
50万人を超える人であふれた。
世界最大規模のマンガやアニメなどの同人誌の即売会。
自分の好きなキャラクターにふんしたコスプレイヤーたちが集結し会場は熱気に包まれた。
オタクカルチャーの祭典とも言える「コミックマーケット」。
それが大爆発期を迎えたのは90年代だった。
そう今宵の「ニッポン戦後サブカルチャー史」キーワードは「90年代」そして「オタク」。
月にかわっておしおきよ!90年代はバブル崩壊後の長引く不況を背にアニメゲームマンガフィギュアなどオタクカルチャーが一気に花開いた。
そのパワーは街を丸ごと飲み込んだ。
更にはニッポンを飛び出し海外へも波及。
もはや「OTAKU」は世界共通語となった。
そんな90年代オタクワールドへの旅。
ナビゲーターは…。
そうすると…90年に劇団「遊園地再生事業団」を旗揚げした演劇界の奇才宮沢章夫。
今宵も愛と独断の異色のサブカルチャー論を展開!共に旅に出るのは…。
美少女キャラが好きかっていったら…ジャニーズのサブカル男子にして俳優の風間俊介。
そして…。
・「しゃにむにぶんぶんぶんぶんなでしこジャンプ!」・「ふりそでふれふれ」秋葉原を拠点に活動する人気アイドルグループ「でんぱ組.inc」のプロデュースを行う「もふくちゃん」こと福嶋麻衣子。
更にハーバードの修士論文のテーマが村上春樹というニッポン・オタクのアメリカ人マシュー・チョジック。
オタクが分かれば90年代サブカルチャーが分かる?いざ出撃!こんにちは。
先週に引き続きレコードを持って登場しました。
これはコーネリアスという小山田圭吾君ですね。
大好きです。
大好き?
(マシュー)僕も大好きです。
大好きです。
レコードをせっかく持ってきたんだからかけていいですか?まずは本日の一曲。
90年代には渋谷系ブームを巻き起こしたコーネリアスの…まあコーネリアスは僕も大好きでこの写真かっこいいでしょ?かっこいいっすねえ。
この写真。
これこれなんですよ。
(マシュー)ブライアン・ウィルソンですね。
全然知らなかったです。
元ネタ。
これはね僕はもうこの小山田君がこの写真をやる全く同じものを作るというのはある種のコスプレ的な。
これ大好きだからっていう事があると思うんですよね。
リスペクトっていう。
でそれからもう一つ言うとこの「レコーディング・スタジオの伝説」というのはね各レコーディング・スタジオでどんなレコードがこれまで録音されてきたかそこにいたスタジオミュージシャンミキサーそういうものを調べて網羅してるんですよ。
でね「オタク」って言葉があるじゃないですか。
これってオタクじゃないのかこれは。
オタクっていうとアニメーションとかコンピューター周りの事とかゲームとかっていうような事だけでこういうのは「マニア」と言うのかこれもオタクではないのか。
じゃあオタクってそもそもどこからやって来たかという事を何かここから出発しなきゃいけないんだろうなと考えてるわけなんです。
皆さんはご存じですか?その辺の話。
1983年ですね中森明夫さんがここにありますけど「漫画ブリッコ」というこういう…何て言ったらいいんですかねちょっと…エロ系のねそういう雑誌で連載したんですよ「『おたく』の研究」という。
その時に「おたく」っていう言葉が使われました。
それは今使われてる「オタク」とは全く違うし何よりも重要なのが平仮名だったって事です。
83年雑誌「漫画ブリッコ」で「『おたく』の研究」という連載を開始した中森明夫。
中森は当時ロリコンマンガやアニメのファンたちを中心ににぎわっていたコミックマーケットに足を運び彼らの姿をこう描写した。
「おたく」の由来それには諸説あるがこれをきっかけに知る人ぞ知るものとなってゆく。
そのコミケの存在を知った中森君がそれをルポしてそこにいる人たちの事を「おたく」と呼んだ。
なぜかというとお互いを呼び合うのが「おたくはさ〜」っていうような呼び方をしてたと。
それで「おたく」っていう彼らの事を「おたく」って。
言葉というものは不思議なもので言葉が出来た事によってそれは存在すると。
でここに「おたく」という集合体が存在するという事を中森君が発見するわけですね。
このあとこれはでも我々はこの話はほとんど知らなかった。
ただところどころで「おたく」という言葉を聞いたしそれからコミケではこういう人たちがいるっていう話は何かで読むっていう事は機会はありました。
それがいよいよ「おたく」がカタカナの「オタク」になる事によってまた別の種類のものになっていった。
平仮名の「おたく」からカタカナの「オタク」へ。
その変換は90年代に起こった。
コミケの変遷とともに歴史的転換期を見ていこう。
コミックマーケットが産声を上げたのは1975年。
「マンガファンが交流する場」として東京・虎ノ門の小さな会議室でスタートした。
時代はまだ「おたく」という言葉が誕生する前。
集まったのはおよそ700人。
その9割は10代の少女たちだった。
当時少女たちの間で絶大な支持を得ていたのが漫画家萩尾望都の作品。
代表作「ポーの一族」は永遠に年を取らない吸血鬼が主人公。
この作品に刺激を受けて作られた同人誌などがひそかな人気を博していた。
およそ40年にわたりコミケの運営に携わる安田かほるは初期のシーンをこう振り返る。
「ポルの一族」っていって当時ものすごいはやっていた「ポーの一族」というマンガのパロディーなんですけれど小冊子印刷して結構売れてましたけれど。
その当時みんな大学生だったんでまあ別に体制をひっくり返そうというんじゃないんですが大きいものに巻かれたくないみたいなのとかあと自分たちで一つ一つ全て作っていこうみたいなところはものすごくあって。
一部のマンガ好き少女たちの同好会的存在だった「コミケ」。
しかしそのエネルギーは80年代に入るとより大きなものとなってゆく。
時代は70年代後半から続くアニメブーム。
81年アニメ「機動戦士ガンダム」の劇場公開イベントが行われた新宿には1万人を超えるファンが集結。
その熱狂ぶりがマスコミでも大きく報道されアニメが子供だけのものではなく若者文化の一つとして認知されるきっかけとなった。
アニメブーム拡大とともにコミケはアニメファンをも取り込み参加者を大きく増やしてゆく。
「新しい元号は『平成』であります」。
そして89年長きにわたった「昭和」が幕を閉じ「平成」の時代へ。
4月には初めての消費税3%が導入され人々の暮らしが変わってゆく。
そんな時代だった。
そのやさき日本中を震撼させる事件が起こる。
東京・埼玉で幼い女児が次々と被害者となった連続誘拐殺人事件が発生。
人々の関心をかきたてたのは容疑者の部屋。
ビデオやマンガが大量に積み上げられた様子がセンセーショナルに報道され「おたく」という言葉が世間一般に知られるきっかけとなった。
そして迎えた90年代。
(拡声器音声)「ゆっくり歩くようにして下さい。
走らないで下さい」。
「オタクバッシング」「有害コミック騒動」。
コミケは世間からマイナスの注目を浴びる事で皮肉にも参加者数を急激に伸ばしてゆく。
そして90年代後半。
コミケは大爆発時代を迎える。
このころ日本はバブル崩壊後の長引く不況のただ中にあり証券会社や銀行が相次いで破綻。
出口の見えない不況は社会全体を大きな不安で包み込んだ。
そんな中にあってもオタクカルチャーシーンは活気にあふれていた。
アニメ業界では「新世紀エヴァンゲリオン」が爆発的ヒットを記録。
一大ムーブメントとなりその経済効果はこれまでで1,500億円を超えたとも言われている。
ゲーム業界では各メーカーから発売された次世代ゲーム機が市場を席巻。
さまざまな人気ソフトも誕生した。
マンガ業界では95年「週刊少年ジャンプ」発行部数が空前の653万部を記録。
これらのブームに支えられオタクの時代が到来しようとしていた。
確かに不況だったり就職が厳しかったりとかっていう現状はあるんですけれど自分たちが好きなものに1点集中的にお金をかけるみたいなのがやっぱり「オタク」って言われてる人たちの中では結構標準な感覚なのでどれだけお金をかけても作品をコンプリートしたいとかビデオを全部そろえたいとかという気持ちというのが強いのでまあ折れなかったっていうか気持ちが折れなかったというところであまり関係なかった。
そんな時代コミケは会場を日本最大規模の会場東京ビッグサイトに移して開催される。
そこに集結したのは40万人を超える胸を張ったオタクたちだった。
今の中で「おたく」君たちはもうカタカナの「オタク」だったと思うんです。
もっと言うならば何だ…「ヲタク」?あ〜面白いですねそうやって言葉に変えていくと。
でまあこれは一つは…一般化したっていう事はかなり大きな意味があったんじゃないかと思うんですよね。
だからネガティブさというのをもう少しカジュアルにしたというかなそれが「オタク」になった時にそれは感じたんですけどね。
アメリカは「ナード」って言葉がありますよね。
昔「Nerd」とか「Geek」ちょっとニュアンス的に「オタク」に近いですね。
「Nerd」「Geek」ちょっとネガティブな言葉なので最近みんな「僕はNerdじゃなくてオタクです」みたいなちょっとオシャレな感じしますね。
オシャレ!「オタク」はオシャレなんですね。
「Nerd」と「オタク」っていうのももはや両方言葉としてあるって事なんですか?はいそうです。
僕は今回こういう90年代を話するので「エヴァンゲリオン」を見たわけじゃないですか。
やっぱり僕は「エヴァンゲリオン」が95年から96年にかけて放送されてそのあとさまざまな事が「エヴァンゲリオン」について語られた時代というのが一つの90年代を分ける力になったんじゃないかと思うのは「オタク」というものを変えたっていう気がするんですね。
そこに「オタク」の分岐みたいなものがあると。
非常にカジュアルになったカタカナの「オタク」になった層というのが一方にありそれからもう一方がよりコアなところに行ったんじゃないかなと思うわけですね。
それを「エヴァ」が一つの分岐点としてそれを見る事によってそれに対してどういう態度をとるかっていう事をある種の試金石みたいな感じで存在したように僕には見えるんですね。
ほんとにそうだと思います。
その「エヴァンゲリオン」そして「攻殻機動隊」っていうこの2つの作品はまずオシャレでかっこよかったんですよね。
で今までアニメっていうのはオシャレでかっこいいわけではない。
けどそれがまた海外から見たらクールだったんだと思うんですが間違いなく誰が見ても多分これはオシャレっていうものが生み出されたのが「エヴァンゲリオン」だと思うんですよ。
そうしたらこれを好きだっていう事は恥ずかしい事ではないという概念が生まれてそこからやっぱり平仮名の「おたく」というのとカタカナの「オタク」。
街の男の子とかがもうすごいかっこいい格好してる子が「あっ俺オタクだからさ」って言う「オタク」と今まで使われてた「おたく」っていうのの分岐点はこのかっこいい「エヴァンゲリオン」にあったんだと思うんですよ。
なるほどそうだね。
だからここでやっぱり明確にカタカナの「オタク」というのが出てきたっていうふうに考えてもいいのかなぁ。
オタクがカタカナへと変貌した90年代後半。
コミケは会場を移転する事になった。
宮沢はコミケが開かれる場所に注目する。
1996年にコミケはビッグサイトに動くんですね。
これもやっぱりすごく大きな意味があるような気がするんです。
これは紀伊國屋書店ですね。
60年代の新宿という街を象徴する建物である。
これは前川國男さんが建てられた。
これすごくはっきりした名前があるわけですよね。
新宿それから前川國男という建築家の名前というものがありました。
一方ビッグサイト。
ビッグサイトを設計したのは誰だか知ってますか?黒川紀章さん。
違います!株式会社佐藤総合計画というところなんですよ。
なるほどそれの設計者というのを調べてったら会社が。
会社であると。
そういうところはいくつもあるんだけどでもこれも無記名性であると。
さっきの60年代の前川國男という一つの名前記名された名前とは違うという僕はこの事を発見した時にちょっと面白いなと思ったんですね。
明確な名前がない。
感覚的に海の端っこじゃないですか。
何かこう他の人に干渉されない端っこ感というか。
もちろんここにはお台場があったりあそこの島にはいくつかのものはあるけれども島の中でやるっていう感覚が何かここだったのかなって個人的には思うんですよね。
なるほど。
あのコミケっていうのは明らかに閉鎖空間だったと。
…というふうに僕らも感じてたしやってる側もそういうふうに考えてた。
開かれた閉鎖空間。
(福嶋)うん。
まさに。
これは謎なんだけどさ50万人集まる閉鎖空間なんですよ恐らく。
ぎゅうぎゅうなんですよ。
すごい意識的にね意識の問題として。
もちろんここに50万人いたら大変な事になるんだけど意識としての閉鎖空間は保ってると思うんだ。
じゃないとコミケじゃなくなってしまうという何か矜持みたいなのがありつつのあの50万人というふうに思いますけどね。
開かれた閉鎖空間コミックマーケット。
そこでは何が生み出されていたのか?90年代コミケを席巻していたのは二次創作。
二次創作とは既存のマンガやアニメなどの物語の設定やキャラクターを利用し創作された独自の作品。
二次創作がブームとなったのは80年代。
サッカーマンガの名作「キャプテン翼」がきっかけだった。
「キャプテン翼」のキャラクターの人間関係や物語の世界観をアレンジした同人誌が登場。
特に女性ファンの間で男性の同性愛を題材にした作品が人気に。
更に通常のストーリー構成に必要な「山場オチ意味」がない事を意味するいわゆる「やおい」系作品がブームに。
二次創作はさまざまな作品やジャンルに波及してゆく。
そして90年代。
罪もない観光客を脅かしてうさぎちゃん一家の団らんを邪魔するなんて許せない!月にかわっておしおきよ!美少女キャラクターが変身し敵と戦うアニメ「美少女戦士セーラームーン」が子供大人性別の垣根を越え爆発的人気に。
「セーラームーン!」。
自分もそのキャラクターになりきる「コスプレイヤー」が増加。
更にコスプレの対象は当時流行していた格闘ゲームの人気キャラクターにまで及んだ。
90年代はさまざまなメディアから大量のコンテンツが登場。
キャラクターに強い愛情を持ちその思いを表現するツールとしてコスプレカルチャーが拡大していったのだ。
今年コミケの会場で作品販売を行った…80年代「うる星やつら」ラムちゃんのコスプレで一世を風靡した伝説のコスプレイヤーだ。
90年代は海外で開催されたアニメイベントにも招待されていた。
コスプレというものって目で見て分かるじゃないですか。
同人誌とかっていうとすごく描いて印刷をしてそれを搬入して並べて売って買う側も手に持って開いて中を見ていかないとどれだけ面白いものなのか分からないわけですよね。
それに対してコスプレというのはもうポーンと出てきたらそれだけでもう見た目で分かるわけですよ。
誰にでもできる最も簡単な二次創作がコスプレ。
一番最もハードルの低い普通の人でも簡単にできる遊びだという事にいろんな人が気付き始めた時代だと思います。
90年代大きなムーブメントとなったコスプレは現在に至るまでコミケに多くの外国人を呼び寄せる起爆剤となっている。
同人誌そしてコスプレという二次創作。
コミケという空間は新たな表現を生み出す場でもあったのだ。
二次創作に関してこれはもう完全にコミケに関して言えば愛ですよね。
リスペクトそれから敬意を持つとかという事があるじゃないですか。
ものまねっていうのあるじゃないですか。
ものまねも2種類あって批評のものまね。
これは例えばタモリさんとかがそうだったんだけど竹中直人がもう愛しかないんですよ。
ある時竹中に誘われて松田優作さんが主演する映画の舞台挨拶がある上映の時に行ったんですね。
竹中はもう既に松田優作になってるんですよね。
行ったら15人ぐらいは松田優作がいるんですよ客席に。
そんなに…。
これ考えてみれば今考えるとコスプレだよね?…だしやっぱり二次創作だし愛ですよね。
音楽の話ちょっとすると風間君が好きそうな。
ああもうどんぴしゃですね。
どんぴしゃでしょう。
どんぴしゃです。
「ブギーバック」最高です。
この時代例えば大瀧詠一さんの作品もそうだったけども元ネタをみんな探すというところが面白いと。
それはリミックスとか音楽というのがもうオリジナルというものがもう存在しないのかもしれないというような事にも通じるじゃないですか。
二次創作もそうなんだけどそもそも私たちが作るものは何かに影響を受けてるの。
僕も僕の舞台を作ってる時あるいは小説書く時にこれは何かを見たからこうして作ったんだと感じるしそれは「エヴァ」にも感じますよね。
ロボットアニメっていうのも日本の昔からあるフォーマットですよね。
PIZZICATOFIVEだってねいろんなものから引用してきて。
ここからここまで使ってるなという事がやっぱり面白い。
90年代の二次創作という事は単にコミケだけの問題ではなく何かから引用してくる引用先が何であるかという事ももちろんそうだけどそれに気付かなくてもいいわけじゃないですか。
気付いた人はそれはそこに引っ掛かるだろうしそうでなくてもいいわけですよね。
僕も舞台の中でものすごく引用するんです。
ただそれは分からなくても別にいいわけですよね。
その事を通じて言葉というものがより豊かになると思ってるんです。
それは僕がしゃべってる今この言葉も僕はどこかから引用してきた言葉であろうと。
僕は何かに影響を受けてしゃべってるんだと思うんですね。
歴史的に考えても…。
短歌の世界でも本歌取りという歌をそれをちょっとこう二次創作するんだよね。
それは平安かそれぐらいの時代からあったと。
そういうのはやっぱりある伝統なんだろうなと思うしそういう事は絶対あるなと。
二次創作。
リミックスカルチャーの全盛。
それはコンテンツが飽和しオリジナルなものなどもはや存在しないという時代の気分にマッチした現象だったのか。
音楽や文学のシーンでもこれまでの作品から引用し新たなオリジナルを生み出す実験が果敢に試みられていた。
そんな90年代に急激に拡大したオタクカルチャー。
同時期若者カルチャーの中心地として君臨していたのが渋谷だった。
90年にオープンした外資系レコード店を中心に「渋谷系」と呼ばれる新しいムーブメントが発信。
SMAPや小室サウンドが全国チャートを席巻する中先鋭的なアーティストたちによる独自の流行が生まれていた。
更に渋谷の主役となっていたのは女子高生。
「超マジムカツク」。
「ガングロ」と言われたギャル系メークや厚底ブーツなどの独特なファッションで街を闊歩していた。
そんな中渋谷カルチャーとは一線を画すオタクたちが目指したのは秋葉原だった。
ちょっとその歴史をひもといてみよう。
戦後焼け野原となった秋葉原にはラジオ部品を扱う露天商などが集まるようになる。
そしてラジオや無線の愛好家らマニア気質を持った人たちの集まる街となっていった。
高度経済成長へ突入した60年代。
冷蔵庫洗濯機テレビという「三種の神器」を求める人々がやって来た。
秋葉原は家電の街となり80年代後半まで大きなにぎわいを見せた。
90年代に入ると一つの大きな転機が訪れる。
90年ビル全体をコンピューター関連商品にあてた大型専門店がオープン。
それをきっかけに主力商品を家電からパソコンへと移行する店舗が急増した。
新型OSの発売が社会現象に。
(店員)はい押さないで下さい!ゆっくりと!若い男性を中心としたパソコン愛好家たちの熱気が秋葉原の変貌を物語っていた。
長年この街を見守ってきた彼が秋葉原独特の街の魅力を語る。
まあそもそも昔からこの街は専門店街なわけですね一種のね。
専門オタクまあ非常に趣味のこの街に来ればあるだろうと思って来るような品ぞろえをしている店がたくさんあるわけじゃないですか。
だから例えば今でもこの街にケーブル電線をこの街の専門店に来ればあるだろう。
あるいはこんな変わったネジだけどこの街に来るネジ屋さんならあるだろう。
やはりそういう受け皿になってると思いますね。
ですからマニア今風のゲームマニアにしてもあるいはいわゆるフィギュアマニアにしてもそういう方たちが集う街なんですよねここはね。
オタクの街秋葉原。
もともとこの街は集まる人々の趣味や趣向により変貌を遂げてきた街「趣都」なのだ。
秋葉原っていろいろ歴史がありますけどCD屋もいくつかあったんですよ。
ところが秋葉原でコーネリアスのCD買おうと思ったらどこのCD屋に行ってもないの。
それで「これはすげえ売れてんだ」と。
売り切れちゃったんだと思って渋谷に帰ったらすぐ見つかったという事があって渋谷系が一方にあるんだったら秋葉原系があるんじゃないかという事を僕は90年代の半ばエッセーに書いた事があるんです。
そのあと「アキバ系」という言葉が出てきた時には何か勝ち誇った気持ちになったといった事もありますけどね。
まあそういう前フリがあってですね。
枕があってですね?ええ。
僕は90年前後コンピューターが好きで既に商品として存在するだけじゃなくてパーツ買ってきて組み立てたりもしてたんです。
僕がよく行ってたのはこの通りです。
この通りとかねここもそうだね。
パーツ屋があるじゃない?一時期は住もうと思ってたんです秋葉原に。
ここに住みたいって。
欲しいものがすぐ手に入るじゃない?パーツに埋もれて眠りたいみたいな事ですか?
(福嶋)そんなに?そんなだったです。
まあそれでねある日例えばこの辺のパーツ屋入りますよね。
それでパーツをこう選んでると階段の上の方からコソコソッとした人たちが下りてくるという事に気が付いたわけです。
要するにエロゲーを買ってる人たちだったんですけど。
「あれは何だろう?」と思って行ってみるとそういう店だったと。
それが90年代のある時突然1階に下りてきた。
その時に秋葉原が変貌してきた。
堂々としだしたという。
「あれっ?」と思った。
「あれっ?」と思ってるうちにこの辺に何かメイド服を着た人がサッと通り抜けた。
「あれっ?」ってやっぱりそれも思った。
そしたらある日突然この通りに中央通りにメイドが現れたって。
その辺の秋葉原の変化のしかたこれはさ他はね例えば新宿はある時の若者文化の代表する都市だった。
それが原宿に移った渋谷に移ったとか流れてくじゃない?この中で新陳代謝するという特殊性をこの街は持ってて最初ラジオパーツを売る店がこのガード下に並んだという話がありましたね。
そこから家電の街になるそれからPCパーツの街になるそれからオタクの街になってったというふうに一つの街の中で変貌を遂げてそのつどまた新たな活気が生まれてくるという事にそれはそれで面白いなと思ってるんですよね。
98年4月秋葉原のエポックメーキングとなる出来事が起こる。
それは1店の…出店した場所は秋葉原を象徴するランドマーク秋葉原ラジオ会館である。
現在この建物のおよそ7割の店舗がオタクカルチャー系の専門店だ。
しかし98年以前はそのようなオタク系ショップは一切なかった。
この建物が秋葉原駅前に誕生したのは1962年。
以来家電量販店オーディオ専門店マイコンショップなどがひしめき秋葉原の街の縮図と言われた。
しかし98年にフィギュア店が出店してから勢力図が塗り替えられる。
僅か3年でフロア面積全体のおよそ半分をオタク系ショップが占めるようになったのだ。
そのきっかけを作ったのが…80年代渋谷に店を構えていた宮脇は秋葉原へ移転する決断を下した。
90年代半ばからまあ言うたら「エヴァンゲリオン」というものが一つの大きなエポックメーキングな作品となり爆発的なお客さんの市場の広がりでありファン層の広がりがあったもんですからこのままダラダラと渋谷の方で普通のお店としてやっていくのかまたはもう一皮むけようかというところの気持ちがあった時に電脳でありゲームでありアニメでありそういうものはこれからは渋谷じゃなくて秋葉原であろうという。
秋葉原への出店を決めた98年折しもフィギュアブームの波が来た。
もともと一部のマニアが楽しむ世界だったフィギュア。
だが人気のアニメやゲームなど二次元の世界のキャラクターを立体化したフィギュアは多くのファンの心をつかむようになった。
宮脇の店舗は瞬く間に人気となりそれを追うように他の店舗も続々とラジオ会館に出店していったのだ。
ある程度小さなマニアの世界のものがいきなりそうやって市場に広がってきた。
世の中に認知される日の当たる場所だったので。
それまで日陰でずっといた人たちが一気に地底人がワッと外に出てきていろんな所に広がった。
生命の大爆発が起こった場所であると。
中心になる場所だったんですね。
そして2000年代初頭オタク系ショップは一つのビルから飛び出し次々と秋葉原の街なかへと勢力を拡散していった。
実際にもふくちゃんはここにお店を持ってる。
はい。
よく話してるのはその全てが全部なくなってしまうんではなくてすごくレイヤーで重なった状態で全部一緒に存在しているっていうのがすごく他の街にない魅力的なところだなと思いますね。
だからほんとにパーツ屋さんもまだあるし電気街の…家電もたくさん売ってるしオタク的な二次元のお店もあればメイドのお店もあれば最近だとアイドルのお店もあるっていう全てが趣味的なものが全部秋葉原に行ったら手に入るというのがすごい面白いところじゃないかなと思ってます。
なるほどね。
秋葉原のそういった魅力が一つあると。
それじゃこれと六本木を比較するとどうなるか。
あそこは開発する土地じゃないですか。
開発された。
まあ「WAVE」っていうものが80年代にあってそれが無くなってしまったのが99年なんですけどその時に六本木っていう街に絶望したわけです。
そのあとの開発。
そこの時にその周辺にあった風俗店全部…全部じゃないけど大半を立ち退かした。
そうする事によって六本木を健全な街にするっていう事とそれが強いて言えば土地の価値を上げるって事でしょ?秋葉原ももちろん開発されましたよね?この辺がね。
随分開発された。
…とは言うもののこの辺に小さなパーツ屋があったりいろんなお店が並ぶというのはまだ賃料が安いという事もかなり大きな意味があると思うんですよ。
下北沢もそうなんですよ。
下北沢もやっぱりいろんなお店が。
古レコード屋があったり。
古着のお店にしてもそれからアンティークな小物売ってるお店とかそういうのが街を活気づかせてるのはやっぱり古いビルだったりするという事じゃないですか。
それからもう一つ高円寺もそういう意味では面白いんですよ。
ロックや演劇が盛んで古着屋やアジア系の雑貨店などが建ち並ぶストリートカルチャーの街…この街には外部からの侵入を拒否せず多様なものに対する許容度が高いなど秋葉原と共通するものがあると宮沢は考える。
この地図見て下さい。
高円寺ありますね。
秋葉原あそこですね。
高円寺の少し上に早稲田通りってありますね。
この早稲田通り沿いにあるわけですよ。
そのまま早稲田通りは外堀通りになって秋葉原につながってるわけです。
これが今六本木を攻めてる。
オタクたちが六本木という街を攻めてる。
攻めて今こう来てる。
挟み撃ちにした。
こういった意味で僕は非常に今秋葉原という街はこれはハードディスク買いに行くだけの街じゃないなと思って非常に魅力的な街だというふうに感じてるわけです。
街の姿は都市計画だけでは生まれない。
そこに集う人々の思いが重なり一つのパワーとなりその姿が定まっていく街もある。
そんな街が生み出す自然発生的なエネルギーがサブカルチャーを牽引する力になるのだ。
90年代カタカナの「オタク」はローマ字の「OTAKU」へと更に変貌を遂げる。
63年アメリカで「鉄腕アトム」が放送されたのを皮切りに日本のアニメは徐々に欧米に浸透。
70年代後半には「UFOロボグレンダイザー」や「キャンディ・キャンディ」などがフランスで子供たちに大人気となる。
90年代日本アニメで育った世代が大人となりオタクカルチャーの種は花開いた。
91年ソビエト連邦が消滅。
およそ半世紀続いた東西冷戦に終止符が打たれた。
世界はグローバル化へと突き進み経済的にも一つの市場として結ばれていく時代に突入した。
そんな90年代初頭日本のアニメやマンガもグローバル化の波に乗る。
特にフランスでは日本アニメ人気が大爆発。
その起爆剤となったのは90年代の人気テレビ番組「クラブ・ドロテ」。
フランスの有名女優がナビゲーターを務めたこの番組。
これ以降安価で作品のバリエーションが豊かな日本アニメが多数放送されるようになり人気チャートまであった。
日本アニメファンが爆発的に増加したパリ市内では日本マンガの輸入専門書店も登場。
90年代半ばには日本マンガの一大ブームが発生した。
一方時を同じくしてアメリカでも日本のオタクカルチャーが浸透。
90年代前半日本アニメの熱狂的なファンたちがイベントを開催する動きが各地で起こっていた。
アメリカで日本のアニメが流通するきっかけとなったのは70年代後半に登場した日本製の家庭用ビデオデッキだった。
当時は日本企業が次々とアメリカへ進出した時代。
日本製ビデオデッキが普及する中日本からアニメのビデオを取り寄せ鑑賞するサークルも各地に誕生。
大手レンタルビデオ店にも日本アニメコーナーが設置された。
そんなアメリカのコアなアニメファンたちをとりこにしたのが…どうせオタク族って差別されるんならとことんオタクになってやるのさ!なにぃ?オタクを超えたオタクの中のオタク!オタキングになってやるんだ!日本のオタクたちの日常を描いた作品にアメリカの視聴者も感情移入。
「オタク」という言葉の響きも新鮮で世界語となる一つのきっかけとなった。
ついに俺は夢を手に入れたんだ!俺はオタクの中のオタクオタキングだ!伝説のコスプレイヤー一本木蛮は当時アメリカのアニメイベントに頻繁に招待されていた。
まあアメリカ人ですから明るいですよね。
野球ファンが野球場に集まるのと同じ感覚です。
私はOTAKUである事にプライドを持っている。
誇りです。
若い子がいると「君にはまだ早い。
大人になったらOTAKUになれるよ」っていう「OTAKUがクール」っていう単語になってましたもうその時点で。
そのころアメリカで旋風を巻き起こしたのが「攻殻機動隊」。
ビルボードチャートでビデオソフトの週間売上1位を獲得。
その繊細な描画や世界観が衝撃を与えた。
更に「劇場版ポケットモンスター」が大ヒット。
一方アジアでは日本企業が生産拠点を移していく動きの中でアニメやマンガも続々と進出。
こうしてオタクカルチャーは世界へと浸透していったのだった。
マシュー君は実際海外で日本のこうした文化を受容したという立場からどういうふうに感じたんですか?僕は高校生の頃パンクとかスケボーそのサブカルチャーすごい好きでしたね。
そして友達と一緒によく高校早く出て「セーラームーン」見に行ったんです友達の家に。
当時「セーラームーン」まあアメリカ人として見るとみんな急にセーラー服に変身したり猫と話したりちょっとアバンギャルドなように見えてちょっと実験的に感じました。
それはケーブルテレビとかそういう…。
はいそうです。
それで深夜に日本のアニメやってたんです。
その前にブロックバスタービデオが出てきたんですけどブロックバスタービデオに多分95年か96年にアニメの部分出来て「ジャパンアニメ」っていう言葉ちょっとはやってたんですけど多分全作友達と一緒に見ました。
全作!?それで「OTAKU」ってアルファベットになったわけじゃないですか。
OTAKU。
今現象としてのOTAKUっていうのだけを見るだけではなくてこれはどこからどうやってやって来たかという事を今日話してきたと思うんですよね。
もちろん他にも例えば音楽で渋谷系はあったわけだしそれからもう一つは悪趣味系ですね。
といういくつかの流れがあってそれぞれが並び立ちながらも90年代という時代を作ってる中で…。
「おたく」っていうのはねある系譜を持ってずっとそのままローマ字になるまでつながっていくっていうのはさ渋谷系だとやっぱある切断はどこかであった。
それから悪趣味系もやっぱり切断があった。
現象だけを捉えるとねそこだけしか分からないけどもこれを過去に遡ってこれはどうして出てきたのか。
ローマ字になったOTAKUというものはどっからやって来たのかという事をやっぱり何かね表象だけで見つめちゃいけないというふうに感じるんですね。
今もうオタクっていうものは一般化しましたね。
みんな誰でも「私はオタクである」という事は堂々と言えるようになってきたという事があって一つの文化潮流としての日本から生まれたある特別性だと思うんですけどね。
ただその巨大化したオタクが妙な商業主義みたいなものって言うかな資本に支配されてない事にちょっと驚くんですよ。
だってこんなに商売になりそうなものってないじゃないですか。
50万人集まるフェス。
すごい数ですねほんとに。
やはりオタクっていうものを大手企業そして国が今注目して見つけちゃったんだと思うんですよね。
政治と大衆文化とか政治とサブカルチャーって結び付きが強くなればなるほど何かに利用される可能性があると。
ですよね。
そのサブカルチャーの類義語「カウンターカルチャー」がありますよね。
それでちょっと政府に対抗してるようなイメージなくはないですけど。
オタク文化の底にあるそうした資本に支配されないメンタリティーとか仕組みみたいなシステムみたいなものが僕は興味深いなと思ってるんですけどね。
間違いなく変わってこれからあの「OTAKU」の表記から何かにまた変わっていくだろうという事を確信してるのは見届けたいなと思いますよね。
なるほど。
2000年代に入りオタクカルチャーは更に拡大を続けていく。
アートの世界ではオタクカルチャーを現代アートに取り入れた村上隆の作品が世界的な評価を受ける。
2004年ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館展示テーマは「おたく」。
美術のオリンピックと称される晴れの場でオタクは日本代表となる。
そして2014年フランスで開催されたJapanExpoは20万もの人々を動員。
独自の閉鎖性の中から生まれ熟成期間を経て驚きと共に発見された「オタクカルチャー」。
今や世界のカルチャーや美意識に影響を与えるほどになっているのだ。
あの時があるから今がある。
「ニッポン戦後サブカルチャー史」。
2014/09/26(金) 23:00〜23:55
NHKEテレ1大阪
ニッポン戦後サブカルチャー史 第9回▽90年代(2)おたく→オタク→OTAKU[字]

90年代快進撃を続けたオタクカルチャー。漫画やアニメの二次創作、コスプレなど新たな表現は、世界へと波及していった。電気街から趣味の都へ。秋葉原の変遷を考察する。

詳細情報
番組内容
今や世界に通用する言葉となった「OTAKU」。80年代、主にコミックマーケットに集まる人々を称していた「おたく」は、いかにして「OTAKU」となったのか? ニッポンのオタク文化は、フィギュア、マンガなどの作品をリミックスしたり、スピンオフを行う二次創作、コスプレファッションなど、新たな表現を生み出し、快進撃を続けている。その意味を考察する。電気街から趣味の都「趣都」となった秋葉原の変遷も紹介。
出演者
【出演】劇作家岸田戯曲賞作家…宮沢章夫,【ゲスト】風間俊介,福嶋麻衣子,マシュー・チュジック,【語り】小松由佳

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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