行動宣言を書くときに…。
みんなも行動宣言!いじめをへらすためにいっしょに動こう!
(ギター演奏)懐かしいドラマのテーマ曲。
多くの人の心に残る曲を演奏してきたこの男。
今も音楽への情熱を燃やし続けています。
その原点は60年代グループサウンズブームの先駆けとなった「ザ・スパイダース」。
井上さんはリードギターを担当します。
その後自らバンドを結成しトップスターをギターで支えてきました。
超えちゃってるっていうのかな。
何かが取りついたのかも分からないんだけどね。
ギターの神様がね。
しかし華やかな活躍の裏には常に音楽との葛藤がありました。
…って事を発見する訳ですよ。
67歳の時引退を決意。
小樽へ旅立ち1年半ボランティア活動に身を置きます。
そして今新たな気持ちでステージに臨む井上さん。
(拍手)いつまでも音楽と向き合い前進し続ける姿に迫ります。
司会の風吹ジュンです。
国井雅比古です。
今日はその人物の魅力生き方に迫る「D’sスタイル」です。
今日は音楽家の井上堯之さんです。
うんカッコいいですね〜。
ステキ。
昔から大好きでした。
じゃ早速お呼び致しましょう。
はい井上堯之さんです。
今日はどうも。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
すごいおしゃれな感じがします。
この靴とズボンとシンプルな感じ。
何だろうこのさりげな〜く。
サラッと。
井上さん我々世代グループサウンズといえば「ザ・スパイダース」。
もう50年。
そうですね〜もう。
あの頃はGSブームって事で起こったんですけどもエネルギーがド〜ッと混とんとわき出してきた時代ですよね。
現在73歳になられて…。
はい73です。
5年前に現役引退プロ引退という…。
はい。
現在はどういう活動を?今は引退表明をしてしまったりしてしまったんですけど…。
「それでも構わないから来てくれしゃべってくれギター聴かせてくれ」って言ってくださるとねアマチュア的ではあるんですけども遠慮しがちに…。
そんなこと…。
月に1〜2度程度です。
引退に至るまではさまざまないきさつがあったと私伺っとるんですけど…。
まずは井上さんの現在の活動とこれまでの足跡をご覧下さい。
井上さんは5年前から家族と離れ一人暮らしをしています。
物思いにふけっては心に浮かんだ言葉をノートに書き留め一人の時間を過ごしています。
「バタバタウロウロモタモタしているうちに気付くと73だよ」。
「年を重ねたわりには利口になっていない。
困ったもんだ」。
(取材者)今の喜びってどんな事があるんでしょうか?1。
2に…アルコール。
3コーヒー。
4喫茶店に行く事。
5…そのギターを抱えてやってきたのは京都市のとあるバー。
井上さんは月に数回ライブで全国各地を回っています。
(拍手)かつては大きなコンサート会場やテレビの音楽番組がステージでした。
今は一人で演奏し歌います。
・「哀しみが痛くこの胸を」語りかけるような歌声哀愁を帯びたメロディーが多くのファンを魅了しています。
16歳でギターを始めた井上さん。
歌手になろうと神戸から上京します。
21歳の時「スパイダース」のメンバーを探していた田邊昭知さんと出会いリードギターを任されます。
井上さんのギターが印象的なこの曲で「スパイダース」はその名をとどろかせました。
60年代後半ヒットを連発。
井上さんは人気グループを支えるリードギターの責任を感じていました。
当時ボーカルを担当していた井上順さん。
今でも覚えているエピソードがあると言います。
ある時堯之さんの手を見たらここじゃなくて爪の上じゃなくてこっち側にマニキュアしてんですよ。
それも小豆色のマニキュアなの。
へ〜なんて思ったら実はマニキュアじゃなくて血豆だったの。
しかし次々と新しい音楽が生まれ時代はフォークソングへと移ります。
「スパイダース」は1971年に解散。
それぞれの道を歩み始めます。
ギタリストとして評価を得ていた井上さんは他のグループサウンズのメンバーだった沢田研二さん萩原健一さんらと組んでロックバンド「PYG」を結成。
新しい音楽を追求します。
イギリスやアメリカで最先端と言われているタイプの音楽にそういう精神性を持ち込むと。
そしたらそりゃ…人気実力のあるメンバーが集まったにも関わらず1年足らずで活動に終止符を打ちます。
井上さん31歳の時でした。
井上さん最初は歌手を志望されてたんですね。
そうなんですよ。
私ずっとギターのイメージばっかりで…。
「スパイダース」でもだから歌で最初参加なんです。
そしたらある日突然昭ちゃんが田邊さんが「お前あしたからギター弾け」って。
「はい」って。
田邊さんの命令ですか?はい命令です。
それでさっきの順さんの話じゃないけど血豆の?練習しなきゃなんなかった。
マニキュアを。
ただね気概があったんですね。
ロックってこうやるんだみたいな。
生意気でしょ。
思い上がりも甚だしいけどもロックっていうのはもっとみんなでのらなきゃいけないよと…。
…という事でそういうギターを弾き始めた。
グループの中で井上順さんたちは年は若い方ですね。
堺正章さんにしてもね。
そうですねはい。
お兄さん的存在だったようですが。
旅なんか行きますとまだホテルがない土地へ行きますと旅館になりますよね。
そして堺と順と僕とでいつも一緒に風呂行ったり3人がいつも同室なんです。
ですからホントに仲よかったしステージでもホントに汗びっしょりかいて楽しかった。
もうお金がなかろうと何がなかろうとそれさえやってられればっていうぐらいのイメージでしたから。
それで「スパイダース」は解散になって。
そうですね。
71年。
71年ですね。
そのあと「PYG」で活動されるんですけど…。
結成当時はどんな事を期待されてスタートだったんですか?GSっていうのは商業主義だとかお前らコマーシャルだってよく言われてたんです。
非難の対象だったんですね。
ですからそういう時代に「PYG」ってグループは精神やそういうものを盛り込む音楽を発表する。
それがロックだって思ってたんです。
井上さんの胸の内はすごいですね。
「異邦人」…カミュの「異邦人」をこれを描くんだっていう…。
そう。
そういう事でした。
だけど「そういう事じゃなかったんだなお客さんはポリポリ」っていうんで「PYG」が半年…1年未満で自然消滅しまして…。
お客さんの気持ちっていうかそれが分かるもんなんですか演奏してる時。
だから受け入れられない訳ですから…。
でショーケンとか沢田が客席とけんか腰で歌歌ってるんです。
みかんの食べかすがバ〜って飛んでくるんです。
ステージに。
金儲けでやってると思われる訳ですね。
そういうんじゃなかった。
ないものを目指してやりながら。
やってるのに…。
でも言ったって始まらないって事があって…。
ずいぶんそれはたくさんの経験しましたね。
そういう事は。
その後井上さんは沢田研二さんと共に再び華やかなステージで活躍します。
「PYG」解散後自らリーダーとなり「井上堯之バンド」を結成。
沢田研二さんのソロ活動を支えます。
数々のヒット曲と共に井上さんの演奏も注目を集めました。
沢田さんとはおよそ10年間活動。
しかし次第に井上さんは音楽の方向性に違いを感じるようになりバンドの解散を決意します。
ひそかに自分の中に「う〜んこれはな…」っていう思いがだんだん生じてきて…。
だけどもちろんいつも言うように沢田の事は決して嫌いじゃないですから。
好きですから。
ありがたい事だ…。
そういう意味であいつのおかげで生きてこれた10年がある訳で。
その後は作曲に専念。
1987年この曲が「日本レコード大賞」を受賞。
・「愚かな者よ」・「おまえの流した涙を受けよう」・「愚かな者よ」更に映画音楽の依頼も次々と舞い込み作曲に追われる日々が続きます。
・「今夜は眠れよ」「もう駄目だ。
今から1時間寝るから起こしてくれ。
同情して2時間にしたら仕事に穴が空くから絶対に起こしてくれよ」って頼んで1時間寝る時に布団に入ると涙がポロポロこぼれるのうれしくて。
今から1時間も寝られる事が。
なぜそもそも作曲するのがしんどいんだろう面倒なんだろうという事に至った時に行き当たるのが…。
…って事を発見する訳です。
心の中に。
48歳の時妻子のいる家を出て一人暮らしを始めます。
一切の仕事を辞め見失った自分を取り戻そうとしました。
・「愚かな者よ」何か「愚か者」がすごく耳について何かこう。
そのあとですか?収入もない一人暮らしを…。
はいそうですね。
始めるってどのぐらいの期間?2年。
最初から2年と決めておりまして…。
実は50からの生き方っていうのをどういうふうに生きていくか…キザな話ですけど求めたくて…。
それまでの自分の人生っていうのは社会的な立場の話じゃなくて精神の次元においてかい離する訳じゃないですか現実と気持ちが。
そんな中に心に安らぎとかそういうものはホントにあるのかどうかっていう事を求めるために2年。
一人暮らし収入もなし。
収入もなしどうやって生きるんですか?その2年間。
2年間?まあ実は2年でうちへ帰るとうちの次男が大学の入学合格してるんだけど入学金が無いというところからまた始まるんです。
大変。
現実的にはそういう問題で。
はい。
「やってられません!」って家内に貯金通帳をバ〜ンってたたきつけられたりして…。
「そうだよな」と思ってそっから改めてまた社会的に普通に頑張って生きていこうと思ってまた奮い立って頑張っていくんですが自分の疑問の答えがまだ出ていないからやっぱりまた葛藤が始まるんですね。
仕事をコツコツ始めますが50〜67歳までのプロ引退宣言まで17年間ありますがこの間は何をしてたんですか?やっぱりライブをやってみたり過去と違うスタイルのライブをやったりつまり一人っきりでやるライブはそれが初めてだったんですね。
それから映画音楽ドラマ映画にも出してもらったりとか。
激しい仕事のしかたをしてたんですね?はい。
それはもう寝る間のない。
おまけに自分の音楽的教養の狭さの中で自分らしさを求められるって事はキャパが狭いでしょ。
そうしますと自分らしいものを作ると映画なんか見に行って試写会に…「はい試写会です」って自分の音楽聴いてゾッとするんですよ。
いやらしくてもう暗くて重くてっていう感じがもう許せなくなるんですね自分で…。
普通だと自分らしさを出したい自分ならではのものを書きたいって思うのが普通ですよね。
自分自身に対して自己嫌悪劣等感っていうのは身の程をわきまえてますからその中でどうやりゃいいんだろうってもがくしかないんですね。
完璧志向。
何かあるんでしょうね。
自分のこうしたいっていうのが。
そうなんだ。
だから自分が許せないんだ。
そう許せないんですよ。
(笑い)困ったもんですね。
ほ〜んとに。
そういう事があったりしながら67になる時にもうこのままではどうにもならん。
何て言うんだろうな。
「うんこれ!」っていうものにきっと出会ってないんですよ。
喜びっていうものはいつもつかの間で消えていく。
色あせていく何も。
何か全部自身っていうか人間としての何か悟りっていうふうに聞こえますけど。
だから音楽も捨てるつもりで言ったんですだから引退。
ああそこで…そういう意味の。
音楽もやめようと。
全てやめて…。
はい。
この井上さんは引退と同時にとった行動があります。
それは多くのファンを驚かせました。
2009年突然の引退。
元スパイダースのメンバーをはじめ多くの人を驚かせました。
引退を決めた3日後井上さんは北海道小樽に旅立ちます。
向かった先はかつてツアー中に体調を崩した時お世話になった市内の病院です。
その時治療に当たったのが当時院長を務めていた…以来2人は親交を深めていました。
正月の2日か3日だったと思うんですけどもいきなり私の携帯にメールをよこしまして「実は引退する事を決めました」と。
「ついては小樽に行く」っていうんですね。
私には「全て捨ててきたんだ」と。
それで「もう帰るとこはどこにもないんだ」と宣言してたんですね。
何か手伝いたいと申し出た井上さん。
高齢者のリハビリセンターにボランティアで通う事になりました。
しかし介護の資格も医療の知識もない井上さんは見守る事しかできません。
果たして自分は他人に何ができるのか。
それはやはり音楽でした。
お年寄りのために二度と人前で弾くつもりのなかったギターを手に取ります。
しかし…。
それまでずっとやってたライブの延長で例えば「愚か者」とかね。
それから堯之さんが作詞・作曲された歌とかロックっぽいものとかインストルメンタルのギターで弾くやつとか。
いかんせん聴いてる側は80歳超えの高齢者の方だと共通項が全くなくて…。
堯之さんも焦れば焦るほどみんなもエッて顔になるので…。
そういう事がありましたねうん。
大川さんは童謡や唱歌の楽譜を買い井上さんに渡しました。
それは井上さんにとってほとんど縁のない音楽でした。
しかし楽譜や詞を読むうちにその魅力にひかれ次々と自分なりに編曲します。
そして再び病院のステージに。
・「叱られて叱られて」・「あの子は町までお使いに」お年寄りには大好評でした。
その後この童謡・唱歌のコンサートは幾度となく開かれました。
コンサートの評判は町の人たちにも広まり地元のイベントで演奏を頼まれるようになります。
・「山のお寺の鐘がなる」・「静かな静かな里の秋」小樽で過ごした1年半。
誰よりも歌に魅せられ励まされたのは井上さん自身でした。
でも引退を決意して3日後に小樽に行っちゃったんですね。
はい。
メールをして。
はい。
引退して行かないと何か話題づくりに行ってるみたく受け取られるのも嫌だし本気だって事のために引退って事ももちろんありましたし…。
ところがあれは資格がないと駄目なんですよ。
介護のね。
ああ介護はね。
いちいち主任さんに「車椅子押していい?あの方の」。
…って言ったら「いいですよ」って言われたら押すとか…。
でもその時に車椅子を押す事が目的ではないけど人の役に立てる喜びってのはこういう事かなとすごくうれしかったんです。
まあ要するに何でそんな事やるかって言ったら一生懸命ただ生きたかった。
一生懸命生きたいけどそこでもできない訳です。
でこうやって隅っこでジ〜ッと一日中最初は立ってる事から始まる訳です。
大川さん院長さんはよく引き受けたよね。
いやでも切なかったですよね。
ただそうやって見守って立って自分が何ができるのかって…。
やっと音楽にそこで戻るっていうか。
そういう事です。
病院でコンサートが一番ボランティアにつながる。
なっちゃったんです。
迷惑かもしれないんですけどね。
大川先生から童謡・唱歌・歌謡曲をと言われてからあの譜面とか歌詞を見て明治・大正の作家たちは何とすごいんだろうかと。
子供があんな事分からない。
この年になってやっと「雨降りお月さん」ってこういう意味だったのって鳥肌立つ訳ですよ。
童謡・唱歌ってものがこんなにすばらしい内容を含んでいた…って気持ちが僕の中にカムバックしてきたんです。
戻ってきたんです。
そういう事があってそこでライブをやるとお客さん患者さんたちはみんな一緒に歌ってくれたり涙流したりそれから意識がないとされてる人がウァ〜っと泣き出したりしてくれるとねこれも音楽の力だと思う訳ですよ。
僕は自分の事ばっかりでしたから音楽は。
アカデミックにカッコいい曲をってお客さんの事なんか考えてないんだもんそりゃ。
それは音楽の力の源泉と言うか。
そうですね。
それにやっぱり気づかされると。
そうなんだって感じがしました。
だからやっぱり励ましにいって慰めるつもりで歌った歌が結局自分を救い上げるみたいな事になってきてしまってありがたい時間でした。
この1年半は。
小樽にいたのが…1年半で東京に戻ってこられますけれど東京に戻ってからは何をなさってたんですか?そうなんです東京へ戻ってからいよいよホントに脱ぎ捨てなきゃいかん。
自分を捨てなきゃいかんって事で生涯で一番勉強した時期になりましょうかね。
集中的にいろんな本を読んではこうやって書いて…。
すごいですね。
仏教の本や写経まであります。
あらすごく小さな字で埋まってます。
ホントだね〜。
字が埋まってます。
ホントに。
うわ〜これすごいです。
これは日記風のものですか?これは僕の日記みたいなもんですね。
つれづれにその時感じている事とか…。
「退屈の考察。
「見よ!人々を。
退屈を恐れ退屈せぬように慌ただしく駈けずり回っている。
退屈こそを忌むべきものとして」。
う〜ん。
考えさせられますね確かに。
退屈を常に受け入れてくという。
結構追い込み型ですね。
難儀でしょう?でもそれを言葉に書く事でまた答えって出てくるものなんですか?そうですね書くといったん終わるんです。
だけど3年ぐらい前の自分が書いたものを読むと今日は何か心がスッキリしてないなってなるとこれ読むと自分がフ〜ッと整うんですね。
でもこれだけ考える。
言葉になった分だけ考えてらっしゃる事がすごくないですか。
すごいですね。
いやいや。
まあ何かすごくうれしいです。
そうやって言ってくださる事自体はもうホントに。
ただただもう一生懸命。
何にも無駄に生きてない…。
そんな言われ方最高ですよ。
さてプロ引退宣言から5年がたちます。
井上さんは今再びギターに情熱を燃やしています。
この日井上さんが向かったのは病院でした。
あこんにちは。
どうぞ。
いかがですか?はいえっとあの…。
ギターの練習をしすぎて左手の指がけんしょう炎になり激しい痛みが生じていたのです。
この先もライブの予定が入っている井上さん。
指の不調をものともしない元気な姿がありました。
3分。
はい!ああ良かったと思いました。
メロディー弾く訳じゃなくて「ドレミファソラシドレドシラソファミレド」なんてやってるだけで…。
朝から晩までやってる。
ギターに触る事が楽しくてしょうがない。
今井上さんは再びギターの練習に燃えています。
(女性)暑い時に重いものをね〜。
この日ビールの差し入れを持ってきたのは加藤充さん。
加藤さんは「スパイダース」でベースを担当。
井上さんとは今も「イノヤン」「かっぺちゃん」と呼び合う仲です。
そして加藤さんこそが70歳を超えた井上さんにラブコールを送りライブ活動を再開させたのです。
助かってんだよ顔が立って。
昔のホントにね現役辞めた頃…
(拍手)ここは1年半前ライブ活動を本格的に再スタートさせた思い出の場所です。
集まったファンにはGS世代そして10代の若者もいます。
こんばんは。
こんばんは。
イモ上タコイカです。
(笑い)
(お客さんの歌声)・「時の過ぎゆくままに」・「この身をまかせ」・「男と女がただよいながら」何だっけ。
思い出せねえや。
ごめんね。
思い出せない。
忘れちゃった。
まあいいや。
小樽で出会った童謡や唱歌は今も大切なレパートリーです。
・「兎追いしかの山」・「小鮒釣りしかの川」演奏の合間日々の暮らしの中で気付いた事を語ります。
いいよな。
こんな話でよろしいか今日は。
(拍手)昔沢田に作った曲の一曲です。
「遠い旅」。
ご存じの方いらっしゃる?
(男性)持ってます!あ〜。
沢田みたいにちゃんと歌えないけど。
・「二人あまりに遠くきすぎた」かつては悩み苦しみながら演奏してきた曲を今は一曲一曲かみしめるように歌います。
・「愛を胸にどこまで旅を続ける」・「そのはずだったのに」・「小さな肩が震える」・「戻るなら戻ろう今でも遅くない」・「ああ喜びや悲しみをあなたとともに知りたいと」癒やされるっておっしゃってましたね。
皆さんホントにこう聴いてて感動してましたよね。
恐れ入ります。
でも長い間音楽に苦しんでたのにギターの練習でけんしょう炎になるっていう。
(笑い)ホントに顔を見てますと歌ってまた語ってる時の井上さんすごい幸せそうな感じがしますね。
ありがとうございます。
幸せです。
生涯で今一番幸せです。
おかげさまで。
音楽選んできたこれまでの人生って悔いというか他の道を行けばよかったってな事考える事ありますか?再び人間として生まれてきたら自分がどんな人間になりたいかを考えてみたんです。
その時にこうやって精神的に探求していく人間になりたい…と思ったんです。
だから生涯で初めて「何だお前自分の事好きだったんじゃないか」…って気がつくんですよ。
やっぱり自分になりたい。
また生まれてきてもと思いました。
そっから自分が自分をきっと救ったんですね。
いやもう何か感動して私は言葉にならないですね。
ありがとうございます。
ここで井上さんね今でも井上さんを音楽家として尊敬している井上順さん。
おっ。
こんなメッセージが届いてますんでちょっと…。
一生懸命やって日本一のギタリストになった堯之さん。
やっぱりそっからまたねどんどん成長してると思うの。
そして井上堯之ワールドっていうのをつくってると思う。
エネルギーを十分に蓄えてそのエネルギーを今度どうやって世の中に出していくかっていう事だと思うの。
だからとってもこの先がね楽しみ。
まあありがたい事を順が言ってくれておりますけどホントにそうだろうと。
そうしなきゃいかんと思いがすごく強くします。
ですからやっぱり今のこういう気持ちの中からどんな曲が生まれてくるのかまだ分かりませんけどそれからどういうふうにやっていくのがいいのかも分かりませんけど自然発生的にでもその自然発生の時には例えいくらかの人々の事を思いながらできるようになっていければ…。
聴き手の事をとかそういう事を思えるようになってくればちっとはマシなミュージシャンになれるかなって気はします。
だからありがとう順。
頑張ります。
何かすごいものを見ちゃった気がしました今。
言葉を全部文字に今しときたかった…っていう感じですね。
井上さんの言葉を。
これからなんですねいつもね。
ね〜。
どうしてこんなに謙虚で生きられるんでしょう。
すばらしいですよね。
今日はホントにありがとうございました。
こちらこそありがとうございましたどうも。
え〜と今日はお茶ではないですね。
はい今日のお茶は沖縄コーヒーです。
沖縄ですか?沖縄でコーヒーが栽培されてるのご存じでした?国井さん。
私は最近見てきましたけどね。
まだ青い実を。
そうですか。
さあどうぞ。
いい香りだな。
ね〜。
じゃあ頂きます。
南の地域を生かした沖縄のコーヒー。
う〜ん。
マイルドでこれまたカリッと濃い。
おいしいですね。
濃い目にいれたのかな。
私こういうのが好きなもんですから。
いや〜僕は泡盛も好きですけど。
ヘヘヘ…。
このコーヒーも好きになりそうですね今度はコーヒーも。
コーヒーもね。
う〜ん。
さて続いては…今回は茨城県の名淵政義さん65歳の方から頂きました。
「退職後妻の勧めでウクレレ教室に通いました。
若い頃ギターの経験はありましたがウクレレは初めてです。
2年ほど前偶然出会った団塊の世代の4人でウクレレのユニットを結成。
フォークソングハワイアン歌謡曲そしてグループサウンズなどを演奏しています」。
うわ〜。
これがそのグループ。
何かおしゃれですねステキ。
こんな空間で。
「月に2回歌声喫茶でコンサートを開くほか高齢者の福祉施設などを訪問しボランティアで演奏活動を行っています」。
ふ〜んいいですね〜。
「お年寄りの皆さんのキラキラした笑顔と元気な歌声に勇気とやる気を頂いています。
これからもみんなと一緒に歌い続けたいと思っています」。
若々しいですね。
格好もいいですね。
うん格好もいいです。
カッコいいです。
何か音楽のすばらしさっていうか人と人をつなぐ力とかいいですね。
憧れますね。
「私の団塊スタイル」では皆さんから写真とお便りを募集しています。
趣味や仕事に打ち込んでいる輝いている姿をお寄せ下さい。
皆さまからのご投稿お待ちしています。
井上さん自身音楽家であれだけやってきていながらあの小樽の病院でお年寄りたちと一緒に唱歌を歌ってそれで自分が音楽っていいなって改めて気づいたってやっぱすごいですね音楽ってね。
ね〜。
何か今日はありがたいなって…。
あんなふうに生きられたらいいしあそこまで生きられたらいいし。
演技でもあそこまであんなふうに言えないなってあんなセリフを頂いたらどんなふうに言えばいいんだろうっていう言葉でした。
ああ女優として。
やっぱりセリフとしてこういう言葉を言えるところまで役者をやっていたいなってこういうセリフを言いたいなっていうような言葉でした。
コーヒーもおいしい。
2014/09/26(金) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
団塊スタイル「わが旅に終わりなし〜音楽家 井上堯之〜」[解][字]
輝いて生きる人物の魅力に迫るD’sスタイル。今回は、“ザ・スパイダース”などで活動していた、音楽家の井上堯之さん(73)。プロ引退後の生き方や人生の転機に迫る。
詳細情報
番組内容
輝いて生きる人物の魅力に迫るD’sスタイル。今回は、“ザ・スパイダース”のリードギターや沢田研二さんのバックバンドで活躍していた、井上堯之さん(73)。作曲なども手がけ、「自分の音楽」を追求するあまり、悩み苦しんで、5年前にプロを引退。その後、病院でお年寄りに童謡・唱歌を聞かせるなど地道に生きてきた。再び活力を取り戻し、小さなライブステージに立つ今の生き方に迫りながら、人生の転機について伺う。
出演者
【ゲスト】音楽家…井上堯之,【VTR出演】井上順,【司会】風吹ジュン,国井雅比古,【語り】秀島史香
ジャンル :
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
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