魔法少女まどか☆マギカ 続かない物語  (FTR)
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第4話

「あんな説明で良かったかしら」

「充分だと思う」

 まどかとさやかを送るついでに立ち寄ったもう馴染みつつあるいつもの夜の公園で、自販機の紅茶を手にベンチに座るマミさんと私。そんなことをしながら、何となくこの公園に『変わり者のメッカ』フラグが立っているのかも知れないと思っていた。

「多分、あの子たちが魔法少女に夢を見るようなことはないと思うわ。キュゥべえの干渉も、できる範囲でフォローするつもり」

「お願いしたい」

 缶紅茶を飲み干し、マミさんが表情を暗くした。

「でも、貴女の言う通りすごい才能の持ち主よ、あの子。あんなすごい子、初めて見たわ」

「それが相転移した時のことも、判ってもらえたと思う」

「……そうね」

 2人の事は可能な限り詳細にマミさんに伝えてあった。まどかが持つ不世出の才能の事と、その力が魔女化した時の事。当の魔法少女であるマミさんには私の言葉以上にそれを感じることができるのだろう。それが魔女となった時にどれほどの脅威になるか。言葉だけでは伝えられない様々なものを、マミさんに上手く伝えられたこともまた、今日の収穫だろう。
 然様に素養については高いものを持つ2人だ。この先、必ずインキュベーターはコンタクトして来るだろう。先入観の植え付けには成功したものの、純粋なまどかが奴の話術にどこまで対抗できるかが気がかりではある。ほむらのガードはもとより、そこにマミさんと言う助っ人を得られたことは大きいと思う。
 そんなことを思う私に、マミさんが声のトーンを落として言った。

「でも、本当にごめんなさい。偉そうなこと言ってたのに、貴女を危険に晒してしまったわ」

「仕方がない」

 結界が発生後、即座に対応してくれたマミさんを出迎えたのは、予想外に多数の使い魔だったらしい。
 マミさんが足止めを食うくらいなのだから誰がやってもダメだっただろう。
 でも、確かに危なかった。
 あの闖入者がいなかったら、割と真剣に命の危機だったと思う。




 事件の後の展開は、慌ただしかった。
 グリーフシードを回収したあと、銀色の魔法少女は私たちを一瞥もすることなく宙に舞って去って行った。
 呆気にとられる私たちの周囲は、既に通常空間に戻っている。
 事の次第が呑み込めないさやかとまどかではあったけど、冷静になった私はすぐに次のアクションに移った。

「行こう。ここにいると人が来るから」

 もともとは立ち入り禁止のバックヤード、ここは早目に立ち去るべきだろう。
 さやかはともかくまどかが再起動に手間取っていた時、予期した人物の内の一人が到着した。
 反応は無言。
 黒とグレーを基調とした時をかける少女が無表情で立っていた。

「転校生?」

 さやかが呆気にとられてほむらを見つめるが、彼女の視線は静かに私の方に向いていた。
 その視線の質は、お世辞にも友好的なものではなかった。猜疑と敵意。UMAを見るような目と言うのはこういうものかも知れない。そんな視線を受け止め、できるだけ情報を与えぬよう無色な視線を返す。
 やたら長い1秒が過ぎる。
 まどかの無事が確認できて安心したのかほむらは視線を外し、すぐに踵を返して建物の外に消えて行った。
 意味不明な安堵のため息を一つついた時。

「大丈夫!?」

 聞きなれた凛としていながら柔らかい声が聞こえ、見ると未だ魔法少女装束のマミさんが鉄砲片手に走ってきた。
 ここから先はちょっとお芝居だ。アイコンタクトを交わし、用意していたシナリオの展開に持ち込むことを互いに確認する。

「大丈夫」

「偶然通りがかってよかったわ。それより……」

 まどかとさやかに視線を向けて殊更に困った顔をするマミさん。流石中二病罹患者。割と女優だな、この人。
 2人をマミさんに紹介し、逆にマミさんを2人に引き合わせる。淫獣とのコンタクトを失敗に導くのと同時にやりたかったことがこのイベントだ。ほむらにもいて欲しかったが、そこまで欲はかくまい。

「この子たちも巻き込まれた。まだ何も話せていない」

「あら、それじゃ改めて説明が必要ね」

 冷静にマミさんと三文芝居を進める私を、まどかとさやかは怪訝そうな顔で私を見つめていた。

「ねえ有季、もしかして、あんたさっきのあれが何なのか心当たりあるの?」

 さやかの言葉に、私は頷いた。

「良かったら家に来て欲しい。詳細を説明したい」



 3人を連れて家に帰る。客間に通してお茶でも出そうと思ったが、時間的には夕飯の頃だ。
 さて、どうしよう。

「お茶を淹れようと思うけど、お腹が空いているなら何か簡単なものを作る」

 そう言うや、まどかの顔がぱっと輝いた。

「やったー、有季ちゃんの御飯だー!」

「私、この間のあれが食べたいな」

 シリウスのように輝くまどかの笑顔と遠慮のないさやかのリクエストが飛んで来る。立ち直りの早い連中だなあ、と思うが、実際には何が何やら判らないというのが本音ではないだろうか。
 それはともかく、あれを作れと来たか。さて、食材の在庫はどうだったかな。

「判った。作ってる間に、マミさんの話を聞いてほしい」

 そのマミさんは、バンザイで喜んでいるまどかとさやかの意外なリアクションにやや驚いている。

「香波さんの御飯、そんなに美味しいの?」

 そう言えば、マミさんとはお菓子は幾度も交換しているけど本格的な料理は振舞ったことがなかったな。

「いや~、美味しいというか、一度食べたらもう最後と言うか……」

 眉根を寄せてさやかが答える。意味が理解できずにマミさんが首を傾げた。

「どういうこと?」

「まあ、ここは黙って有季っちの料理を食べてみて下さいよ。そうすれば判ってもらえると思います」

 何だか私の料理が麻薬呼ばわりされているようだが、その傍らで既にまどかは携帯で家に連絡を入れている。あちらのパパさんのお手並みもかなりの物だと思うだけに、そのまどかに喜んでもらえるなら私も鼻が高い。

 キッチンに戻ると、リビングで2人を相手にしたマミさんのレクチャーが始まった。
 このレクチャーこそが、今日のメインディッシュとも言うべきイベント。この2人に魔法少女と言う禁忌を植え付けるためのものだ。
 いささか予定と違ってしまっているが、TVではマミさんの部屋で行われた魔法少女に関する一連の説明が、私の家のリビングに場所を変えて再現されている。
 華々しい、魔法少女の表の顔。満漢全席がどうとかと言って嬉しそうに悩んでいたさやかが脳裏をよぎる。
 だが、美味い話には裏がある。利のある話には必ず等量かそれ以上の不利益が裏に隠れているのが世の倣い、大宇宙の不変の真理だ。
 まだ中学生の彼女らにそれに気づけというのは酷な話だ。小さな子供が接する物語では、正義の味方は無償で弱い人を助けて悪者と戦うし、魔法少女につきもののマスコットキャラだって悪意の欠片の無い奴らばかりだ。だが、現実は厳しい。日和る、寝返る、二枚舌。そういう物事の裏側を身をもって知ることで人は大人になっていくのだ。
 そんなことを思いながら、愛用の中華鍋にGABANの花椒をどっさりと投入する。いつもなら作業中は光の速さで明日へダッシュするアレをハミングするところだが、今日は耳ダンボで背後のやり取りに傾注した。我が家のコンロは火力が強いからこういう料理は非常に捗るのだけど、こういう時はちょっと音が大きいことが障害になるのだと気づいた。




「お話はこれで終わり。だから、間違っても魔法少女になりたいとは思わないで。貴女たちの大切な人たちのためにもね」

 料理が出来上がり、大皿に盛ったそれを抱えてリビングに行くと、ちょうどマミさんの話が終わったところだった。マミさんの前に並んで座る2人が、さすがに神妙な顔をしていた。
 向精神性の劇薬を投入されたのだから仕方がない。素面で聞いたらとても信じられないすっ飛んだ話ではあるものの、今日の2人はあんなことの後だ。信じざるを得ないだろう。
 事前にマミさんと打ち合わせていた内容は簡単。
 まず、私が魔女に襲われていたところをマミさんに助けてもらったのが私たちの出会いのきっかけと設定。
 そこから先は正直に現実を話してもらった。
 奇跡を売って歩いている淫獣のこと。魔女と対峙する魔法少女のこと。ソウルジェムは魔法少女の魂であること。そして、その魔法少女がそのままでは魔女に堕ちてしまうこと。
 そのダークファンタジー世界について語るマミさんの声音は、当事者故に発することができる凄みがあった。
 これでいい。
 人知れず、無償で、しかもリスクを抱えながらも戦う魔法少女は気高くはあるが、好んでそれになろうという物好きは現実の世界にはいないだろう。
 たった一つの命を捨てて、生まれ変わった不死身の体。根幹にあるものは、改造人間の悲哀を抱えて悪の組織と戦った昭和ライダーや9人の戦鬼に通じるそれだ。マミさんもまた、そういう悲しい現実の世界に住まう女の子なのだ。
 淡々と、でもどこか寂しそうに話すマミさんを見て2人がどう思ったか、正確なところは判らない。私が知るような魔法少女巴マミへの憧憬の念は抱いていないと思うが、だからと言って憐憫の情を持つような子たちでもないだろう。

「……食べられる?」

 さすがにご飯は喉を通らないかと思って2人に聞くと、まどかとさやかは一度だけ視線を合わせて頷いた。

「もちろん、せっかく作ってくれたんだもん」

 ちょっとだけ無理を感じるまどかの笑顔に、少しだけ胸が痛んだ。
 無理はしなくて良いと言おうと思った時、マミさんが得体が知れないものを見るような怪訝な表情で私の手元を見ながら言った。

「それ、何?」

 ややシリアスに傾いた雰囲気の中で派手に湯気を立てている赤黒いこれは、ちょっと彼女が知るそれのイメージと異なっているだろう。大抵の日本人はそうだと思う。私は答えた。

「麻婆豆腐」



 テーブルの上に鎮座ましましているのは、有名な中華料理の一品だ。
 麻婆豆腐。あとは簡単なサラダとインスタントの中華スープ。できればついでに青椒肉絲とか回鍋肉なんかも並べたかったが、そっちは食材が足りなかった。買い物してないから仕方がない。
 
「どうぞ」

 私の勧めに従って、いただきますと行儀よく挨拶したマミさんがレンゲを使って醤油皿のような小さな取り皿に麻婆豆腐を取った。
 敢えて注意をしなかったが、この料理、初手から多く口に含むことは死を意味する。
 食らうがいい。そして思い知れ。これが『麻婆豆腐』と言うものだ、と内心でどこぞの英雄王のように叫んでいたのは内緒だ。
 普通の麻婆豆腐を食べるようにレンゲいっぱいのそれを口に放り込んだ時、マミさんは顔のデッサンを崩壊させながら噎せ返った。
 漫画なら目を剥きながら口や耳から爆煙を噴き出しているところだろう。唇はもちろんタラコのごとく。
 声にならない悲鳴を上げて、お冷に手を伸ばして貪るように飲む。お約束の遵守、痛み入る。

「ちょっと、何これ……」

 涙目で私に訊いてくるが、答えられることは一つしかない。

「これはそういうもの」

 見れば、まどかもさやかも顔を顰めながらも箸を進めている。この子たちも初体験の時は今のマミさんのようだったのだが、今はすごくいい笑顔をしていなさる。

「辛~い!」

「くぅ~っ! 相変わらず効きますなあ」

 そんな2人にマミさんが驚愕の視線を向ける。

「2人とも平気なの?」

「辛いけど、これがまた癖になるんですよ~」

 あっけらかんと言うさやかは、早くも額に汗を滲ませている。それを見て、私は自作の出来栄えに納得した。
 麻婆豆腐は四川料理だ。中華料理の基本は医食同源。高温多湿の四川の地で、夏場の猛暑を乗り切るために編み出されたのが四川料理であり、その中の最もポピュラーなものの一つがこの麻婆豆腐だ。あばた顔のお婆さんが作った料理と聞くが、その破壊力は年の功で生み出されたというには可愛げがなさすぎる。口の中に爆竹を放り込んだようなその辛さは大匙2杯も食べれば全身の汗腺から汗が噴き出すくらいだが、それにより代謝を促進させて暑さを乗り切るという機能を有する食べ物なのだ。でも辛さの主役が『麻』、つまり山椒の辛さなためか後味がいい。某ゲームで『泰山』という店の麻婆豆腐がネタにされていたようだが、あれは唐辛子ばかりを主役に据えた辛さだったはず。私の尺度では邪道だ。
 そして困ったことに、少しずつ慣らしていくとお皿が空になるころには舌がこれを美味と感じるようになる。そうなったら末期。もはや世間一般的な甘辛い麻婆豆腐には帰れない。
 前にまどかとさやかに振舞った時は最初はパニックになっていたが、最後には予定通りに賛辞の言葉が飛び交っていたっけ。その顰に倣う様にマミさんも徐々に箸が進むようになってきた。

 見方によってはそんなネタみたいな料理だが、やや重くなった空気を振り払うにはちょうど良かったようだ。
 淫獣と接触する前にまどかとさやかが魔法少女の裏側を知ること。その目的はこれでクリアできたと思う。
 『辛い辛い、でも美味しい』と楽しげな声が飛び交う食卓で、私は一つのフラグを折ることに成功したことを確信した。
 この子たちは今はもう、これでいい。
 ここから先は、私とマミさんのサイドの問題だ。







 だが、立ちはだかる懸案がもう1つある。
 こっちはさすがにマミさんも露骨に警戒していた。空になった紅茶の缶に書かれている情報に何かいいアイディアでもあるかのように見つめながら、マミさんは警戒した声を発した。

「それはそれとして、あの場にいた、貴女の予想外という銀色の魔法少女の事も気になるわ」

 私は頷いて同意した。
 私が知る限り、彼女はオフィシャルの魔法少女ではない。
 しかし、原作にもスピンアウト作品にも登場しない魔法少女ではあるものの、困ったことにその知名度においては他の魔法少女に比してもそう劣らない特殊な存在だ。
 神名あすみ。銀色の魔法少女。
 インターネットの掲示板で、アンカー指定で意見を出しあって組み上げられた異色な生い立ちを持つ彼女。普通は三十路だの通行止めの標識だのホームレスだのといったふざけた設定が飛び出して破綻するのが常なのだが、いかなる訳かスレ民は一致団結して本気を出してしまったらしく、その完成度についてはあの虚淵玄すら唸ったと言う。多分、『まど豚釣ろうぜ』と言いながらも実はスレ民全員がまど豚側の人間だったのだろう。ツンデレは二次元だけにして欲しい。奴らはそれでいいかも知れないが、然様な厄介なものと同じ天を戴くことになった私としては非常に迷惑だ。
 彼女はまだ12歳の小学生だったはずだが、問題は彼女のそういう出自ではなく中身の方だ。
 確か、えらく陰険な性格付けをされていたように記憶している。スレ主が『病んでるよ!』とか言ってた気もする。
 何より恐いのが、その性格的な部分から来る攻撃オプションだ。
 精神攻撃。
 絶望を天敵とする魔法少女にとって、最悪の相性をもつ存在だ。ある意味、刀や槍を持っていてもガチンコ勝負をやったら相手が魔法少女である限りは勝てないだろう。
 近接戦闘においても得物はモーニングスターと隙がない。しかもあのマジカルモーニングスターは杏子の槍のように鎖の長さが自由自在。えげつない棘鉄球が鞭のように打ち出されて敵を屠るのは私が見た通りだ。
 
 誕生秘話はさておいて、それらのことをマミさんに話すと彼女はさすがに警戒した顔を作った。

「ずいぶん怖い子がいるのね」

「戦いで重要な相性と言う要素において、基本的に魔法少女は彼女に対し不利。活動を止めるには遠距離から一撃でソウルジェムを砕く必要がある」

「それなら何とかなりそうだけど、できれば事を構えたくないわね。でも、私の街で好き勝手やられるのは気に入らないわ」

 それは私も引っかかっていたことだ。
 危険物に敢えて近づく必要はない。でも、彼女がここにいることがどうにも解せない。
 魔法少女と言うのは縄張り意識が強いと聞く。この見滝原は現時点ではマミさんのシマなはずなのだが、何故あの子はここにいるのだろうか。







 いささかおかしな展開ではあったが、当面の目標を達成した翌日の朝が来た。
 いつものように朝御飯を作りながら、私は今一度状況を反芻した。
 問題はここからだ。
 知っている歴史に手を加えて改変を成し遂げた時、そこから先に見える世界は未知のそれだ。どこかの十字路でハンドルを切れば、そこから先は知らない道。もう既知の道には戻れない。私が持つアドバンテージには限りがあり、使えば使うだけその貯金は目減りしていく。目の前に広がる通学路で、淫獣を肩に載せていないまどかの姿に、私は私の手持ちのカードが大きく減っていることを自覚した。
 私の優位を維持できるのは、あとどれくらいだろうか。
 何とかすべてが穏便に解決するまで、手持ちが間に合えばいいのだが。
 
「おはよう」

 挨拶をすると、まどかとさやかは少しだけぎこちない顔で挨拶を返してきた。まだ昨日のことを少し引きずっているのだろう。無理もない。あんな卦体な経験をしたのだから。
 でも、まだ彼女らは戻れる地点に踏みとどまってくれている。原作の劇中で、マミさん亡き後の世界を知らない世界に来たようだと語る2人の姿があったが、彼女らが今いるのはまだかけがえのない日常の範疇のはずだ。
 道中も言葉少なな2人の様子に、仁美が首を傾げて寄ってきた。

「お二人、あの後何かあったんですか?」

「判らない」

 小首を傾げて私は端的に答えた。
 揺るぎない日常側にいる仁美に言えることは何もない。適当にとぼけるしかないのだ。



 学校に到着し、教室に入ると予想外の異変が私の身を訪れた。
 ドアをくぐると同時に、日常の生活においては体験しえないとんでもないプレッシャーを感じた。宇宙世紀の人じゃなくても判るぞ、こんなすごいのは。
 刺すような鋭利な視線の方向を見て得心がいった。
 黒い瞳が、探るように私に注がれていた。まあ、昨日の今日だ。私に興味を示すなら妥当なタイミングだろう。
 着席し、授業が始まると視線はなりを潜めたが、それでもしばしば盗み見るようにラピュタのロボット兵が放つレーザーのような視線が飛んでくるのを感じる。
 そんな視線の発信源が行動に移ったのは、昼休みに入ってからの事だった。

「ちょっといいかしら」

 昼食後にまどかたちとのんびりとオレンジジュースを啜っていた私のところに、暁美ほむらが私と互角の感情が読めない面を下げてやって来た。

「何?」

「少し時間をもらえないかしら。話があるの」

 言葉は丁寧だけど、死線を越えて来た者特有のものと思しき有無を言わせぬ迫力がある。

「話ならここですればいいじゃない」

 慇懃無礼なほむらの態度に、さやかが噛みついた。昨日のマミさんの説明の中で、ほむらもまた魔法少女であることは伝えてあったが、さやかはあまり頓着していないようだ。基本的に相性が悪いのかな、この子たち。あまり騒ぎを大きくするのも面倒なので、私はオレンジジュースのパックを手にしたまま応じた。

「プライベートな話?」

 私が出した助け舟に、ほむらはあっさりと乗り込んだ。

「そんなところよ」

 それだけ言うと、ほむらはついて来いと言うように視線でドアを示したので、私は素直に席を立った。

「ちょっと有季……」

「心配いらない」

 腰を浮かしかけたさやかを制し、私はほむらの後について歩き出した。途中、わざと音を立てて飲み干したジュースのパックをゴミ箱に投げると、わずかの差で縁に嫌われて拾い直す羽目になった。



 無人の屋上で、ほむらは私の方を向き直って鋭い視線を向けてきた。向敵相というのはこういうのを言うのかも知れない。
 相変わらず、闇が深い眼をしている。ハイライトが消えたおかしな眼と言うわけではないが、覗き込んだらSAN値がおかしなことになりそうな気すらする瞳だ。微かに香る狂気、というのがこの場合は一番適当な表現だろうか。幾度ものやり直しの中で、介錯とは言え親友を手にかけた経験すらあるのだから心の器に罅が入らない方がおかしいだろう。恐らく、『まどかを守る』という思念だけを道標に傷だらけの正気にしがみ付いているのが今の彼女だ。その状態の彼女がまどかの温もりを失い、まどかを想いながら長い闘いを繰り返すこととなれば真性の狂人にクラスチェンジしてしまうのも判る気がする。そんな妖怪と近い距離で相対する私としては脂汗が止まらない。
 そして、その暁美ほむらが開口一番ずいぶんなことを口走った。

「貴女は、何者なの?」

 おいおい。確かに魔女だの魔法少女と言った電波なキーワードを学校みたいな場所で出して周囲に聞かれると社会的にピンチかも知れないが、それでも幾らなんでも端折りすぎだろう。
 彼女の発する剣呑な雰囲気に呑まれかけていた私ではあるが、流石に苦情の一つも言いたくもなる。

「……質問の意図を理解しかねる」

 私が何者か。どこから来てどこへ行くのか。そんな問答は真性の中二病罹患者にお任せしたい。自分探しとかいって遊び歩いている連中でもいい。世界中歩いたってどこにも落ちてないもんだよ、そんなものは。そういう思考の持ち主には、是非一度メーテルリンクの名作を一読することをお奨めしたい。

「なら質問を変えるわ。貴女は何故、鹿目まどかに接触したの?」

「個人的なことにつき、回答する必要を認めない。むしろ何故貴女がそれにこだわるのか疑問に思う」

 続く質問はなおも言葉足らずだった。大方、ほむらの大切なまどかちゃんの近くに私のようなイレギュラーが侍っていることに危機感を抱いて焦っているのだろう。言い方を変えれば『お前の知った事かボケ』という内容の私の返答をどう斟酌したのか、今度は更に質問を先鋭化してきた。

「貴女は……私の敵なのかしら?」

「私は冷静な人の味方で、無駄な争いをする馬鹿の敵」

 非常にど真ん中ストレートな質問を逆らわずにセンター方向に打ち返すような私の返事にほむらの視線がさらに鋭くなったが、怒るのは理不尽だ。これは元はお前の台詞だぞ。だが、そんな毒気溢れる切り返しに多少テンションが落ち着いたのか、1つ深呼吸をした後にほむらが努めて冷静な声で今一度問うてきた。

「私が訊きたいのは昨日の事よ。ずいぶん冷静に立ち回っていたけど、貴女は何を知っているの?」

 ようやく出て来たまともな質問。それでいい。初手はこういう質問から入ってくれると建設的なやり取りができるというものだ。

「ある程度状況を把握している自負はある。貴女の目的も認識している。必要があれば証明のためにここでそれを口にしてもいい」

 その言葉にほむらの瞳に剣呑な光が宿る。おおう、怖いのう。
 私がそっち側の人間だということは、これで充分に確認できたことだろう。

「私には貴女と敵対する意思はない。また、貴女の目的に鑑みるに利害において対立する要素もないと推察される」

「どうかしらね」

 ほむらの声が固い。当然だと思うが、やはり淫獣サイドの存在だと疑われているのだろう。

「もし貴女が相互理解のため話し合いの場を持つことを希望するのであれば、条件によっては対応する用意がある」

 私の提案に、ほむらは表情を硬くした。予想外の展開だったのかもしれない。彼女にしてみれば、この流れはこれまで体験したことのない不確定要素なのだろう。

「……今日の放課後は?」

「問題ない。場所は?」

「あとでメールで送る。それで、貴女の条件と言うのは?」

「条件は2つ。まず、同行者1名を希望する」

「同行者?」

「貴女のような能力者にイニシアチブをすべて委ねるわけにはいかない」

「……いいわ。好きになさい。もう1つは?」

「今は保留する。話し合いの後で述べさせてもらう」






「ふ~ん、ここが貴女が言ってた魔法少女のお住まいなのね」

 その日の放課後、私はメールで届いた指定場所に出向いた。
 到着して見上げてみれば、案の定そこはほむホーム。ギロチン振り子が揺れているあれだ。いきなり奥座敷にお招きとは恐れ入るが、やはりここもまた魔術師の工房的な家主有利な場所なのかも知れん。
 無感動に見上げる私の隣で、同行してくれたマミさんが『ここがあの女のハウスね』と言わんばかりにまじまじと家の様子を眺めている。
 私としては立地条件はあまり好みじゃない。マミさんの部屋の方が落ち着いていて私は好きだ。
 彼女に同行を願い出たのは、昨日引き合わせようと思った計画がおじゃんになったことの仕切り直しだ。ほむらのことは既にマミさんに知らせてあるが、この接触が上手くいくかどうかはほむら次第。ちょっとした賭けだ。

「それじゃ、お招きに与るとしましょう」

 私は頷き、彼女に先立ってドア脇のインターホンを押した。



 屋内に入ると、外見と釣り合わない奇妙に広い空間が広がっていた。
 無味乾燥とした居室は、家主の心情を反映したようでもあった。
 いつも通りに無愛想なほむらは言葉少なに私たちを招き入れ、ソファーに座るとお茶を淹れて持ってきてくれた。
 塩水でも出てくるかと思ったら、普通に紅茶だった。少なくともそこまでの敵意はないようだ。ハルシオンやラボナールのような薬とかが入っていなければだが。
 対面に座るほむらの瞳は相変わらず深い闇を感じさせるそれではあるが、それもいい加減慣れてきた気がする。
 こういうことは最初が肝心、私は念のため聞いてみた。

「紹介の必要はある?」

 マミさんを示しながら問うと、ほむらは少し考えてから言った。

「お願いするわ」

「巴マミさん。私の友人であり魔法少女」
 
 当たり障りのない単語を並べて様子を見たが、ほむらは眉一つ動かさない。結構、ならば掛け金をレイズだ。

「貴女が知る彼女と違うところは、インキュベーターと魔法少女のからくりを知っていること」

 私のその言葉に、期待通りにほむらの表情に罅が入った。日頃感情が読みづらい彼女の表情だが、今は驚愕と言う感情がそこからは読み取れる。 
 会話の矢合わせと言うには刺激が強い私の言葉に、ほむらが一気に臨戦態勢に移行した。

「もう一度訊くわ。貴女は何者なの」

「質問が抽象的過ぎる。具体的に表現して欲しい」

「どう言えばいいか判らない。でも、貴女は知りすぎている。魔法少女でもない貴女が、何故?」

「詳細は現時点では説明できない。条理から外れた存在は、魔法少女だけではないということは認識して欲しい」

 手札を見せぬ私の対応に、ほむらはしばし考え込んだ。

「俄かには信じがたい話ね」

「私には敵対の意思はないことは信じて欲しい。私たちの利害は一致していると認識している」

「どうかしら」

「本当。暁美ほむらという個体についてもある程度情報を保有した上で、私はこの場に臨んでいる」

 自身の事に踏み込まれてさすがにほむらが少々怯む。攻守交代だ。

「どういうこと?」

「暁美ほむら。転校後に鹿目まどかに出会うが、学校生活がうまく行かず、迷いが生じたところを芸術家の魔女の結界に取り込まれ、危機に陥ったところを魔法少女鹿目まどかとその仲間である魔法少女巴マミに救われ縁を持つ。その後に現れたワルプルギスの夜との戦いの中で2人の魔法少女は死亡。鹿目まどかとの出会いをやり直し、鹿目まどかを守ることを目的にインキュベーターとの契約に及ぶ。その結果として手にした魔法は時間操作。主な活用法は時間遡行と時間停止。その能力を用いてやり直した世界で鹿目まどかを救うべく、彼女とインキュベーターとの接触を阻止しワルプルギスの夜を撃退するべく幾度となく挑むものの、ことごとく失敗、敗退して現在に至っている」

 そこまで話した時、唐突にほむほむが変身した。気色ばむ彼女に合わせて私の隣のマミさんも変身した。
 ここで無策なまま時間を止められてはさすがにマミさんも辛いと思うけど、ちゃんと足にリボン巻き付けてくれているのかしら。
 魔法少女ではない私は静かに座っているだけだが、怒れる時間遡行者はそんな私にHBV-512のバイナリー・ロータスのような視線を向けてくる。

「貴女は危険すぎる。これが最後よ。貴女の目的は何?」

「私の目的は鹿目まどかを魔法少女にしないこと。ワルプルギスの夜を撃退すること。そして可能であれば地球人類に対するインキュベーターの干渉を排除すること」

 私の回答に、流石にほむらの視線が揺れた。

「何故、鹿目まどかにこだわるの?」

「理由は2つ。1つは彼女があまりにも膨大な因果を抱え込んでいること。彼女が魔女化したと仮定した場合、その被害は全惑星規模に及ぶことが予測される。それは許容できる結果ではない」

 私の言葉に、ほむらが息を飲んだ。隣のマミさん表情も硬い。地球規模の災害となると、さすがに普通の魔法少女ではどうにもできないからだろう。

「なお、その原因は暁美ほむら、貴女にある」

「私に?」

 唐突な名指しに、流石にほむらの表情に今一度罅が入る。

「因果律量子論と言う理論体系についての知識は?」

 私の問いかけにほむらは首を振った。知らなくて当然だ。
 
「因果律量子論によると、時間というものは単一の流れではなく、重なり合った幾つもの時間平面、言い換えるとそれぞれの世界で閉鎖している。その平面間を何者かが移動するとき、そこには微細な穴が生じる。そして、それぞれの世界で閉鎖している因果が、その影響で流出することが観測されている。因果は高位から低位に流れる。また、それは平面間の移動者であり因果の流入を導く担い手、通俗的に『因果導体』と呼ばれる存在の性質に左右される。そのため、貴女の時間遡行により移動した世界の数だけの因果が現在のこの世界に持ち込まれている。その因果の渦の中心にいるのは鹿目まどか。彼女が因果導体である暁美ほむらの行動基盤の中心であるためにこのような現象が発生していると推測される」

 香月博士の物とはちと違うだろうが、もっともらしく聞こえるはったりとしてはこれで充分だろう。一説ではワルプルギスの魔女もほむらのせいでどんどん強くなってしまっているとも聞いたが、そこまでは面倒見きれないから気にしない。

「これまでの過程として、鹿目まどかは貴女が時間遡行を繰り返すたびに強力な魔法少女に変貌していったと推測される。このため、この時間平面において鹿目まどかはインキュベーターにとって好餌としか言えないほどの膨大なエネルギーを内包する魔法少女として認識されている」
 
 さすがにほむらは絶句した。この辺は予想通り。

「最強の魔法少女となった後、最悪の魔女に相転移した彼女を止められる対抗戦力はこの惑星上に存在しない。予想される猛威を回避するために取れる手段は唯一、彼女を魔法少女にしない事だけ。これが一つ目の理由。そしてもう一つの理由。重要度はこちらの方が高い」

 重要度という単語にほむらは反応した。
 でも、私は告げた言葉は彼女が警戒したものとは違ったものだっただろう。

「鹿目まどかは、私の友達。だから守りたい。これが最大の理由。そして、これは貴女も同じ思いだと私は確信している」

「何故」

「貴女が経験してきた数多の世界において、まどかは貴女の一番の友達だったと認識している」
 
 私の言葉に、ほむらは答えなかった。

「学校で保留したもう一つの条件は、これらを踏まえた上のものと認識して欲しい」

 私が広げる最後のカードに、ほむらの気配に緊張の色が滲んだ。

「私の希望は、貴女との連合を組むことにある。間もなく、ワルプルギスの夜がこの街に来る。それを撃退したい。エンチャントウエポンを持たない貴女単体ではワルプルギスの夜は倒せない。どうしても他の魔法少女との協力が不可欠」

 それは、私が知る絶望と悲しみに染まった未来にこの世界が続かないようにするための戦いだ。
 またこれは、ほむらが看取ってきた多くの鹿目まどかの無念を晴らす弔いのための戦いでもある。
 だが、ほむらは静かに首を振った。

「無理よ……誰も未来を信じてくれなかった」

「あら、私なら大歓迎よ、暁美さん」

 黙って聞いていたマミさんが、その時笑って声を上げた。

「貴女の事は香波さんから聞いているわ。貴女の事を信じなかった違う時間の私の事を私が謝るのも変だけど、今の私は貴女の置かれた状況を信じられるし、キュゥべえの正体についても理解している。私は見滝原の魔法少女よ。ワルプルギスの夜のせいでこの街が破壊されてしまうなら、私は喜んで貴女と手を組むわ。どう?」

 ほむらの視線には、それでもまだ猜疑の念が宿っていた。

「私たちだけで、ワルプルギスの夜に勝てると思っているの?」

「それはやってみなくちゃ判らないわ」

 何事もやってみなければ判らないというのは確かだが、オッズを考えると分が悪いと考えるのも無理はない。
 マミさんのやる気に水を差すようで気が引けたが、私は口を挟んだ。

「貴女たち2人だけで犠牲がなく確実に勝てるとは考えていない。増援については私の方で手配する」

 私の言葉にほむらが鋭い視線で問うてくる。

「美樹さやかを魔法少女にするつもりじゃないでしょうね」

 さすがはまどか原理主義者。まどかがらみの情報には反応が鋭い。
 私は首を振って答えた。

「風見野市にいる佐倉杏子を招聘する」

 その言葉に、マミさんとほむらはそれぞれ驚いた顔をした。
 驚愕と言う意味では同じ顔。だが、その驚きの質は全く違うもののはずだ。
 マミさんもほむらも、杏子のことはよく知っているはずだ。
 かつての戦友、という意味では同じと言えば同じだが、マミさんと杏子の間にはある種の確執がある。そのために、杏子に対する認識についてはマミさんとほむらの両者の間に天と地ほどの違いがあることについては私も承知の上だ。
 だが、今回はそんなことに頓着してはいられない。

「佐倉杏子を見滝原に連れてくるまでは少し時間が欲しい。それまでに、まずこの連合について受けてくれるかどうか考えて欲しい」

 一瞬逡巡し、ほむらは口を開いた。

「判ったわ。考えてみる」

 その言葉に私は内心で歓喜した。交渉が不調に終わることすら視野に入れていただけに、方向性として前向きなこの回答は成果としては申し分ない。
 仲間が増えるよ。やったねマミちゃん。
 そう思ってマミさんの顔を見ると、日頃の彼女からは想像できない暗い顔をしていた。





「彼女、割と乗り気みたいに見えたけど、どうかしら?」

 ほむホームを辞してのんびり歩く帰り道、マミさんの言葉に私は首を傾げた。

「まだ判らない。彼女にしてみれば、話がうますぎて手を出していいか悩んでいるのだと思う」

「貴女の正体を素直に話せばよかったのに」

 そうはいかん。普通は中二病ネタは中二病罹患者にしか通用しないのだ。
 ほむらが患っているのは中二病ではなくヤンデレ症候群なのだ。まどかとの初対面の時に植え付けられたそれは今は潜伏期間、早くしないと発症してしまう。

「彼女は多分まだ私の言葉を完全には信じていない。私は彼女が経験してきた過去の時間軸の中には存在しないから。今は信頼を積み重ねるしかない」

「その代り、その時間軸の中には私や佐倉さんはいる訳ね」

 私は頷き、そして説明を付け加えた。異なる世界線において皆が幾度となく死線を越えた間柄だということも、ほむらが必死に説いた淫獣の正体を仲間の魔法少女たちが認めようとしなかったことも。流石に同士討ちの事は言えなかったが。

「でも、暁美さんだけでなく、貴女も知っているのね。彼女の事」

 私は頷いた。

「かつて佐倉杏子と貴女の間にあった衝突のことは知っている」

 恐らく、私のその言葉はマミさんにとっては予想していたものだったのだろう。マミさんが一つため息をついた。

「……そう」

「ごめんなさい」

「謝る事じゃないわ。もう、終った話よ」

 そう呟くマミさんが、やけに寂しそうに見えた。

「佐倉杏子は単純だけど繊細な性格をした対応が難しい子。でも、すごく優しい人」

「そうね。不器用な子だと思う」

「彼女との共闘については?」

「私は良くても彼女はどう思うかしら、というところね。でも、来てくれるなら頼もしいわ」

 自分のせいで一家心中を引き起こしてしまった呪われた過去を持つ強烈な生い立ちの魔法少女。確か今はATMから魔法で金を引き出して無頼な生活をしていたはず。
 腕力担当と思われがちな彼女だが、実は彼女にはマミさんもさやかも、そしてほむらもまどかさえも持たない優れた資質がある。
 それは『自己完結することができる程度の能力』とでも言うべきであろうか。
 父親のため、ということで願った彼女の因果は、本来であれば父とその愛情を失った段階で彼女に牙を剥いたはずだ。だが、彼女はそれを自業自得と考えるアプローチで無効化している。普通に考えればどうと言うことのない発想の転換かも知れないが、魔法少女にとってはこれはとてつもない福音だ。心に棚を作るスキルを身に付ければ、それこそ『絶望する必要なんてない』のだ。
 簡単に聞こえるが、意図したものでないにしても彼女のその思考の柔軟性は注目に値する。劇中で彼女がさやかに説教するシーンがあったが、さやかがそれに感化されて思考を切り替えられていれば恐らくお魚にならずに済んだと思うものの、それができないからこそのさやかなのではあるが。
 ともあれ、その筋では『万能の杏子』と言われるくらい多くのタレントを有する魔法少女。私が期待するのは、そんな彼女の硬軟両面の引き出しの多彩さにある。

「それで、風見野にはいつ行くの?」

「明日から」

「放課後でいいかしら」

 そう問うマミさんの瞳の中に、微かな不安が揺れているのが見えた。
 杏子説得と言うミッションは、今の彼女には荷が重いような気がした。

「貴女には暁美ほむらとワルプルギスの夜対策の計画を進めて欲しい。まだ彼女は貴女を完全には信用できていないはずだから、うまく距離を埋めてもらえると助かる」

「……一人で大丈夫?」

「困ったら電話する」

「判った。気を付けてね」



 そんなやり取りをしながら、私はあと数手で私が望む未来が手に入ると考えていた。
 それは、まどかたちが笑っていられる未来。
 そしてほむらが夢見た、たった一つの出口。
 恐らく、私が知る忌まわしい未来に続かない物語の筋道が微かに見えて来た気がして浮足立っていたのかも知れない。
 私が住まうこの世界が、すべてが意のままには運ぶことのない紛れもない現実であることを忘れかけるほどに。

 原作の劇中、さやかの独白にこんなものがある。


 『思えばその時の私は、まだ何もわかっていなかった。奇跡を望む意味も、その代償も』



 数日後、その言葉の意味を、私もまた理解できていなかったことを思い知ることとなった。




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