安倍首相は、戦後日本の安全保障政策を根っこから覆すような転換を進めてきた。

 政権発足から2年。外交・安全保障の司令塔となる国家安全保障会議(日本版NSC)を創設し、今後10年の指針となる国家安全保障戦略(NSS)を初めて策定した。特定秘密保護法を成立させ、戦後の安保政策の柱だった武器輸出三原則の撤廃に踏み切った。

 途上国援助(ODA)の大綱や宇宙基本計画も安保重視に衣替えし、年末に決定する運びとなっている。

 首相が唱える「積極的平和主義」のもと、国際社会での日本の軍事的な役割を拡大する内容ばかりだ。それらは、海外の紛争から距離を置いてきた日本の平和主義を変質させる。

 金融緩和になぞらえれば、「異次元」の転換の連続だったと言っていい。

 なにより大きな転換は、憲法9条の解釈を変えた7月の閣議決定である。歴代内閣は一貫して「集団的自衛権の行使は認められない」としてきたが、安倍内閣はその一線を越えた。

■回避される争点化

 重大な政策変更後の衆院選にあたり、首相は集団的自衛権を真正面に据えてはいない。

 閣議決定を反映させる日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の再改定も、安全保障法制の国会審議も、来春の統一地方選後に先送りされた。

 あれほど急いで閣議決定に踏み切ったのに、その後、政権の動きが鈍いのはなぜか。有権者の賛否が割れる課題を回避しようとしているのではないか。

 実際、自公両党の公約に「集団的自衛権」という言葉はない。自民党の公約は「平時から切れ目のない対応を可能とする安全保障法制を速やかに整備する」と触れているだけだ。

 一方、公明党の公約も安全保障法制について「国民の理解が得られるよう丁寧に取り組む」との表現にとどめている。

 公明党が歯止め役を果たしたからこそ、全面的な集団的自衛権でなく、自国防衛と重なる範囲内での「限定容認」でとどまった――。そんな見方もあるだろう。

 しかし、肝心の歯止めの中身はあいまいである。「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」という武力行使の新要件について、自公両党の間で見解が分かれたままだ。

 公明党は新要件を厳格にとらえ、「事実上、日本周辺の事態にしか対応できない」と説明してきた。ところが安倍首相は国会で、中東ホルムズ海峡の機雷除去も新要件にあてはまる可能性があると答弁した。

 この溝を残したまま、自公は選挙戦に入ろうとしている。

■国内外からの疑念

 公明党の山口代表は昨年の参院選で、集団的自衛権の行使容認に「断固反対」と強調していた。1年もたたないうちに容認に転じたのは、連立維持を優先させたとしか思えない。

 統一地方選までは集団的自衛権をはじめとする安全保障論議を封印し、その後は政府主導の解釈で押し切る。このままではそんな流れにもなりかねない。

 解釈変更の閣議決定を受けて、自衛隊はどこまで派遣され、何をするのか。与党内ですら見解が分かれるのに、広く理解が進むはずもない。

 憲法9条には、先の大戦と植民地支配の反省を込めた国際的な宣言の意味がある。「戦後レジームからの脱却」を唱えてきた安倍首相が解釈変更を推進したことで、歴史認識の問題とあいまって、国内外からの疑念を招いているのが実情だ。

 中国の軍拡と海洋進出に対応するため、日米同盟の抑止力を強化する狙いはあるだろう。だが基本的には、領土・領海を守ることは個別的自衛権の問題である。尖閣諸島周辺の緊張は、集団的自衛権の行使と直接は関係していない。

 安倍政権が次々と安全保障政策を転換してゆくなか、国会での審議はあまりに乏しく、そのことについて首相が国民の信を問おうとすることもなかった。首相は「アベノミクス解散」と言うが、安保政策についても、ようやく有権者が判断する機会がやってくる。

■政策の継続か否か

 民主党は、集団的自衛権の閣議決定について「立憲主義に反するため、撤回を求める」と公約した。自公政権との対立軸は鮮明になっている。

 安倍首相が強引とも言えるやり方で解釈変更に突き進んだのは、国会での数を頼みに、従来の憲法解釈に穴を一つ開けようという思惑が働いたとみるべきだろう。そして将来的には全面的な行使容認をめざす――。

 安倍政権が進めてきた安保政策をこのまま維持するのか、それとも立ち止まって再考するのか。自衛隊は閣議決定だけでは動かない。今後の法制論議を見すえて、どんな国会の姿を描くのかが問われる。