「被爆給水塔」F50 アクリル画
おはようございます。
匿名です。
先日の展示にいらしてくださった方から、絵に関して質問をいただきました。
その展示にわたしは「被爆給水塔」を描いて出しました。
質問内容は二つ。
「広島の若い方が被爆建物をどのように捉え、そこからなにを紡ぎだそうとしているのか非常に興味を持ちます。」
これは非常にまずい質問です。
なぜならわたしは、絵の題材としては「被爆建物」に対してほとんど何の熱心な興味も無く、特に強い何かを持ってあの絵を描いたわけではないからです。汗。
ではなぜ被爆建物を描いたのか。
理由はほんとにあっさりさっぱりしていて、興味は無いけどただ絵として面白くなりそうだなと思ったからです。たぶん。
次
「構図も内観のどこか廃墟になった西洋の教会を思わせる感じで、他の人が外から眺めているのに対して内面に入り込もうという雰囲気を感じましたが、なにか特別な思い入れがあれば聞いてみたい。」
(他に被爆給水塔の外側を描いた方もいらした)
確かにわたしは給水塔の内部を描きましたが、だからと言って特に何かの内面性を現そうとしたわけでもなく、、
困っちゃうな。
そこに特別な思い入れみたいなものも、あるわけではないんです。
ただ、外部からより内部の方が面白い絵になりそうだったから選んだだけでした。
まとめると、
若いわたしには、原爆について知ろうとすることはできても、解ることはできません。
被爆建物については、正直に言うと、茶色っぽくて古びた建物だなという印象程度です。
絵にすることで何を紡いだかというと、たぶん、「原爆」や「平和」などではなく、「古い建物としての面白さ」や「壊れて外部から漏れた光と内部の陰の面白さ」です。単なる「面白み」を追求しただけなので、「紡いだ」とも言えないかもしれません。
わたしはいつも、「ただ描く」のみです。
心象画のように、強い何かコンセプトや心の内を描こうとしたことはありません。
わたしにはまだまだむずかしいことだから、というのもあります。
また、わたしは大それたことを考えて描くのは好きではないので、本当に「ただ描く」だけです。
皆がご飯を食べ仕事に行き趣味に興じ、寝る、という意識しない流れを生活するように、わたしはご飯を食べ仕事に行き趣味に興じ、絵を描き、寝る、という意識しない流れを生活しているだけです。
描くこと自体わたしにはただ生活の一部で、あまり強い意識はありません。
強い意識を持たないことが好き、というのもあります。
本当に、ただ描く。それだけです。
なかなか求められている回答になっていない気がしますが、面白い質問をくださったIさま、考えて文章にしてみる機会を与えてくださり、ありがとうございました。
匿名
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