2014年11月30日05時00分
秋篠宮さまは30日、49歳の誕生日を迎え、これに先立って記者会見した。概要は以下の通り。
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(問1)殿下にお伺いします。今年は、広島の土砂災害や御嶽山の噴火など全国各地で災害が相次ぎ、多数の犠牲者が出ました。皇室では、千家典子さんの結婚という慶事の一方、桂宮さまが亡くなられるという弔事もありました。この1年を振り返り、印象に残っている出来事と御感想をお聞かせください。御公務では両殿下で中南米やアフリカに3回の公式訪問を重ね、国際親善に努められました。皇室の外国訪問についてのお考えも併せてお聞かせください。
【秋篠宮さま】この1年様々なことがありました。中でも今質問にありました広島の土砂災害、それから御嶽山の噴火による事故を始めとして、自然災害が台風なども含めて多かったというのが印象に残っております。この関東の近辺でも2月に大雪が降って、それによる被害もかなり出ました。また、短時間に非常に降水量の多い雨が降るというのが増えていると思いますし、これからも数が多くなってくるだろうという報告書も出ています。そのような災害に対するリスクの管理が非常に大事になってくると思っております。また、御嶽山の噴火による事故についても、なかなか予測も難しいところがあるということも聞いていますけれども、日本には火山も多い一方で、登山を楽しむ人もかなり多いと聞いています。そのようなことを考えると、登山をして、これはいろいろな目的で行く人がいると思いますけれども、もちろん噴火に対する予知も大事ですし、山を登る人たちのリスク管理というのも大変大事になってくるのではないかと思っております。
また、もう一つ挙げるのであれば、今、西アフリカの方で広がっているエボラ出血熱があります。これは非常に感染力の強い感染症ですけれども、それに携わっている医療関係者には深く敬意を表したく思います。これに限らず様々な感染症があります。こういうものが一旦(いったん)流行したときにどのように対応するか。何となくアフリカで起こっていることで、日本にいると遠いところで起こっているような気持ちになりますが、これだけ海外との行き来が容易にできる時代になっていることを考えると、そのことに適切に対応することが求められてくると思っております。日本でも約70年ぶりにデング熱が発症したわけですが、例えば気候の変化に伴って今後マラリアなどもまた日本で出てくる可能性もあるかと思います。そういうことへの対応をきちんと考えていくということが大変大事なことだと思っています。
皇室の外国訪問については、これは公式と非公式と両方あるわけですけれども、非公式の方は非常に多様なので、とりあえず公式の訪問というものについて少し私の考えをお話ししてみたいと思います。例えば天皇の公式訪問であると、国賓という形がとられることが多いと考えますけれども、皇族の場合には、国賓としての訪問というのはまずないわけです。そうすると国際親善・親善訪問という形になろうかと思います、枠組みとしてはですね。ただこれは、なかなか受け入れる側としても、皇族、しかも天皇でもない皇太子でもない皇族をどう捉えていいかというのは難しいときがあるのかなという気がします。私たちも今まで何回くらいか分かりませんけれども、行った中で向こうの元首の方であったりとか大臣だったりとかとお話をしている中で、今回あなたたちが訪れた目的は観光旅行ですか、というふうに聞かれたことが2回くらいありますかね(妃殿下を振り向かれて)。こちらも観光旅行ではないけれども、かといって単なる親善だけですと主たる目的が見当たらなくて、なかなか答えるのが難しかったことがあります。皇族ですから、外交に携わってはいけないわけです。外交ではない親善、例えば王室がある国ですと、向こうの王室との親善というのはある程度分かりやすいかもしれませんけども、そうでない国もたくさんありますし、もし公式の訪問をするのであれば、例えば外交関係ができてから何十周年であるとか、日本と当該国との何か大きい文化行事があるとか、何か一つの核になるものがあるべきではないかと思います。そうではなくて単に親善ということを目的とした公式訪問というのは、目的があいまいになりますし、そういうものはあまりよろしくないな、というふうに考えております。
(問2)両殿下にお伺いします。来年は戦後70年を迎えます。両陛下は今年沖縄と長崎を訪問し、来年にはパラオ訪問が検討されています。両殿下も今年、悠仁さまと共に対馬丸の追悼イベントに参加されました。両陛下から戦争や慰霊についてどのようなことをお聞きになり、どのように受け止められていますか。お子様にはどのように伝えていますでしょうか。
【秋篠宮さま】私が本当に子どもの頃から度々に両陛下から戦争の話を聞きました。特にあれは、1975年でしたでしょうか、まだ復帰から3年の沖縄で海洋博が行われたときには、非常に激しい地上戦になった沖縄の戦争のときの話を、折に触れてというよりも非常に頻繁に沖縄戦の話を聞き、またそれに関連する映画を見たりいたしました。その後も度々に戦争のときの話を聞く機会があり、私たち(両殿下)は、戦争というものを二度と繰り返してはいけないということを強く思ったわけです。ただ、一方で私が子どもの頃にたくさん戦争の話を聞きましたけれども、それをなかなか子供心に理解するというところには、非常に大切なことだということは分かりましたが、きちんと理解するというところには至らなかったと思います。むしろ、そのことを分かるようになったのは、やはり、ある程度大人になってから話を聞くとともに、それに関連する昭和の歴史について戦争に触れているところがたくさんありますので、それに関連する書籍を読んだりしながら、だんだんと理解をできるようになっていったように思います。ただ、そうではあっても私自身、私たち自身がその時代に生きていたわけではありません。終戦後20年たってから生まれています。そのようなことからこういう出来事があったということは分かっても、そのときのその時代の雰囲気というのはどうしてもやはり理解、実際の感覚として分からないところがあります。
また、慰霊についてですけれども、これは戦後50年の機会に両陛下は大きな被害を受けた広島、長崎、沖縄と、東京大空襲被害での東京を慰霊されております。また60年のときに、これも多くの人が犠牲となったサイパンでの慰霊をされております。この慰霊について、やはり戦争中、そして終戦、それから戦後の復興を見てこられた両陛下にとって、その礎となった人たちのことを、考え、思いを寄せないわけにはいかないというお考えがあったと思います。そして1回慰霊をするごとに、また新たな事実を知るようになり、やはり慰霊をすることが非常に大切なことだという気持ちに自然になっていかれたと聞いております。特に、サイパン。今の陛下にとってサイパンがとりわけ印象に残っているのは、戦争がだんだん激しくなって、疎開が始まって、最初の疎開をされたのが静岡県の沼津だったのです。沼津の疎開中に、ある日学校の授業から帰ってきたときに、お付きの人からサイパンが陥落して、危ないので日光の方に場所を移しますということを言われて、それでサイパンが陥落したということが大変なことなのだと強く印象に残っているということを伺ったことがあります。いずれにしても、やはり戦争の中に日々の生活があった両陛下にとって、戦争の記憶を風化させることがないようにするという気持ちが非常に強くて、それが国内、それから海外での慰霊というものにもつながっていると私は理解しております。
子どもたちについてどのように伝えているかということですが、私たちも時々戦争の話を自分が知っている範囲で伝えることはあります。一方、子どもたちが御所へ伺ったときに、折々に両陛下から、その当時のことについてのお話がありました。先ほども申しましたように、私たちは戦争そのものを知らないので、自分の子どもたちに大事なことで伝えられることは伝えますけれども、なかなか当時の様子というのを正確に伝えることには限界があります。その意味からも両陛下から子どもたちへの話というのは非常に大切な機会であると思っております。私たちが今までしたこととすれば、例えば戦争で大きな被害を受けた場所に一緒に行って、その場で慰霊碑に花を手向けたり、体験のある方から話を聞いたり、そういうことはいたしました。先ほど質問にもありました、今年が学童疎開船対馬丸の悲劇から70年という節目の年ということもあり、その行事に家族で出席をしたわけです。これはそのときに長女から聞いた話ですが、彼女は対馬丸のことを、私たちがそのときの話をしたり、沖縄に行ったときに当時のことを知っている方から聞いたことが最初だと思っていたのですが、学校の図書室に、対馬丸の、(妃殿下を振り向かれて)何て本でしょうね。ちょっと題名は分かりませんけれども、あって。小学校の低学年の頃だと思うのですが、そのときに本を読んで、そういうことがあったことを知ったということを話しておりました。
〈宮内記者会幹事〉妃殿下はいかがでしょうか。
【紀子さま】宮様と御一緒に参内しました折などに、両陛下より戦争や慰霊のことについてお話をお伺いすることが度々ございました。戦争によりかけがえのない尊い命を失われた多くの人々やその御遺族に対する深い思い、そして戦後の荒廃から復興に向けてたゆみない努力をされてきた人々に寄せるお気持ちをこれからも大切にしてまいりたいと思います。
天皇陛下が皇太子殿下のときにお話をされた「日本人として忘れてはならない4つの日」には、子どもたちが小さいときから一緒に黙禱(もくとう)をし、戦争で亡くなった人々のことを静かに思いながら過ごしてまいりました。また、本を読みましたり、戦争を体験した人や専門家からのお話を伺いましたり、関係する場所を訪れたりすることを通して、子どもたちが自然に平和の尊さを感じることができるよう心がけてまいりました。
戦争を直接知らない世代の私たちにとって、戦争を体験された方々の様々な思いをしっかりと受け止め、次の世代に引き継いでいくことは容易なことではありませんが、これからも戦争と慰霊について考える時間を大切にしていきたいと思っております。
(問3)両殿下にお伺いします。佳子さまは学習院大学を中退し、国際基督教大学に合格され、入学することを決められました。12月には成年を迎えられます。ご両親として佳子さまの決断をどのように受け止め、アドバイスをされましたか。佳子さまとの20年間の思い出と成年皇族として期待することもお聞かせください。英国に留学された眞子さまに期待されることと、小学2年生となられた悠仁さまの御成長ぶりについても併せてお聞かせください。
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朝日新聞社会部
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