黒人青年射殺事件の不起訴が決定後、デモ対応に当たったロサンゼルス警察の列の前でひざまずく若者 Getty Images
私はウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の数少ない黒人男性記者の一人だ。これまでに白人の同僚には分からないが他の黒人男性にとっては珍しくない経験をしてきた。私たち黒人男性は全員、思いがけない場面に遭遇した過去を持つ。黒人であること自体が疑われることと同じ意味を持ち、権利や尊厳を重視した扱いを要求すれば法の執行に抵抗しているとみなされかねない状況に置かれている。
米ミズーリ州ファーガソンで黒人青年が白人警官に射殺された事件では地元の大陪審が警官を不起訴とする評決を下した。この決定を受け、私は自分がこれまでの人生で経験してきたエピソードを思い出さざるを得なかった。最初に考えたことは、身長192センチメートル、体重104キログラムの黒人青年だった17歳当時の私と、身長170センチの40代ほどの黒人男性との間に違いはあっただろうかということだった。状況にもよるが、それほど違わないことは分かっていた。
私が17歳の高校生のときは1970年代後半で、体格は上記の通りだった。成績は良く、大学への進学を希望していた。あるすがすがしい土曜日の午後、私はルイジアナ州アレクサンドリア市のボーリング場から歩いて家に向かっていた。バッグの中には約7キロのボーリングボールとシューズ、タオルが入っていた。
帰宅途中、私はパトカーが猛スピードで走っているのに気づいた。数台が通り過ぎた後にルイジアナ州警察のパトカーが停止し、乗っていた警官が私に気をつけるよう注意を促した。近くで射殺事件が発生し、身長170センチほどの黒人男性が自転車で逃亡したというのだ。
そのまま歩き続けていたが、ブレーキの「キー」という音を聞いて振り返った。止まった車からはラピッズ郡保安官代理が飛び出してドアの後ろに身をかがめ、その上から357マグナムの銃口を私に向けたのだ。一歩間違えれば、マグナムの銃身は私にとってまさに死へのトンネルとなっていた。
直感的に、私の頭の中には「走るな」「動くな」「反論するな」、そして何より「なぜ止められたかを聞くな」という考えがよぎった。死にたくなければおとなしくしようと、私は思った。保安官代理はけん銃を持っていたが、それを使わせないようにするのは私の責任だった。
保安官代理は「ゆっくりこちらを向け」と言った。私が取った行動は振り返るだけだった。私はゆっくりとボーリングバッグを置いていいかと聞いた。保安官代理の恐怖心を誘わないよう、できる限りのことをすべきだと分かっていた。無実で死んでも、死んだことに変わりはないからだ。
保安官代理は私をボンネットに押し倒して手錠をかけたが、その際も私は口を閉じていた。
最初に私に注意を促した州警察の警官が戻ってきたため、私は助かった。警官は保安官代理をしかり飛ばし、いくつか質問をしたが答えたのは私だった。状況が異なればコメディーになりかねない場面だった。
「この子どもの身長が170センチに見えるのか」
「私は192センチです」
「この子どもが40代に見えるのか」
「私は17歳です」
「この子どもの体重が68キロに見えるのか」
「私は104キロです」
州警察官は容疑者の特徴をいくつか挙げたが、私に当てはまったのは1つだけだった。私は「基本的に黒人ということ以外に、どの特徴が私に当てはまりますか」と尋ねた。
保安官代理は「偉そうにするな」と叫んだ。ただ、激怒していた白人警官は口論を遮った。彼には本当に感謝している。
数年後も、あのとき私が動いて保安官代理をおびえさせ、怒らせていたら私は撃たれ、それを正当化する理由が見つけられるのだろうという思いに疑いを持たなかった。
10代のころにも「容疑者」に間違えられた場面があった。私が働いていたファストフード店で、店長が冷凍庫を外に隠したことがあったのだ。初めは私を驚かそうと悪ふざけをしているのかと思ったが、黒人店員がハンバーガーのパティが入った箱を盗んでいると店長が疑っていただけだと分かった。実際には裕福な白人家庭の子どもがパティを盗み、友人とバーベキューをしていたのだ。私はそれに呼ばれたことはない。10代のころから、私にとってはパティより将来の方が重要だった。
知らない間に疑われたことは他にもある。ルイジアナ州の州都バトンルージュで1979年に開催されたジュニアボーリング大会で、私のチームメートの集団がホテルでごみを散らかし、酒を飲み、わめき散らし、ホールで騒いでいた。私は最初から彼らが悪ふざけをすると分かっていたため、ホテルでは反対側に部屋を取った。
それでも、ホテルの警備員が市の警官とともに最初に私の部屋を訪れるのを止めることはできなかった。警官らは警察バッジを示しながら部屋に入ってきたが、発見されたのはベッドに散乱するテキストだけだった。私は月曜日の試験に向けて勉強していたのだ。私の知る限りでは、チームメートで私と同じように目を付けられたのは1人もいない。
私は愚かな10代として振る舞うこともできた。ただ、友人や同僚と比較して、私には失敗して許される余地はないと当時から分かっていた。完璧と言えるほど素晴らしい日に、射殺されるほど深く警察に疑われる可能性すらあったのだ。
米国に住む多くの黒人男性にとって、許される失敗の範囲は広がっていない。私はファーガソンの暴動を大目に見るつもりはないが、米国民にはこの状況の原因となるフラストレーションと怒りに対して少しでも気を配ってもらいたい。
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