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【コラム 月刊猪瀬直樹】

作家としてもう一度生きる

2014年11月26日

◆格別に早い一年

 年の瀬が迫ると誰もが、何と一年たつのは早いものだ、と感慨に浸る。僕の場合は格別である。昨年のいまごろ、僕はほぼ1カ月にわたって“炎上”中だったのである。

 12月24日に都知事を辞任し、今年3月28日に公職選挙法違反で略式起訴(罰金50万円)され、ようやく渦中の人から解放された。有権者の皆さんにご迷惑ご心配をおかけしてほんとうに申し訳ないと反省している。

 4月から別の面で僕は気ぜわしかった。妻ゆり子が、2020東京オリンピック・パラリンピック招致活動の最中の昨年5月26日、悪性脳腫瘍で余命数カ月と宣告され、7月21日に急逝した。9月7日のブエノスアイレスで「TOKYO」が決定したその日、ゆり子の49日であった。

 12月には徳洲会の5000万円問題の中で、やり残した課題があった。妻の納骨法要である。葬式後に骨壺(こつつぼ)を仏壇に安置したままであった。まずお墓を決めなければならない。どこのお寺にするか、お墓の形はどうするかなど専門業者と打ち合わせをしなければいけない。命日の7月までに一周忌を執り行い、納骨する必要があった。お墓の場所選びでも悩んだ。郊外の霊園では遠くてお参りにいけないので都心の仕事場に近い場所に決めたのは、何軒もお寺を見て歩いて得た結論だった。

◆妻への思い形に

 お墓の目処(めど)がつくと、40余年ともに過ごしたゆり子への思いをどう形にしたらよいのか悩んだ。家には遺品が残っている。段ボール箱に保育園の連絡ノートが詰まっていた。僕が作家として自立する前、必死の思いで若い夫婦は共働きで子どもを育てたのである。

 そんな折り、「奥さまとともに過ごした時代を一冊にまとめたらいかがでしょうか」と編集者から手紙をいただき、7月の一周忌を自らの締め切りと設定して、このほどようやく『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』(マガジンハウス)を上梓(じょうし)した。5000万円についても真相を記した。

◆予期せぬ出来事

 ゆり子が余命数カ月を宣告されたのは突然だった。ロシアのサンクトペテルブルクで最初のプレゼンテーションのために出発する前日、トランクを2つ並べて荷造りをした直後、少しだけ言葉に漢字変換ミスのような言い間違いがあるので軽い脳梗塞かもしれない、と念のため病院で検査をしてみた結果だった。

 人生には予期せぬ出来事が起きる。僕は作家としてもう一度、生き直そうと机に向かっている。この経験を人のために生かすことができれば、長い一年も意味をもつだろうと信じている。

    ◇

 昨年11月から休載していた連載を再開します。

 <猪瀬 直樹(いのせ・なおき)> 作家、前東京都知事。1946(昭和21)年11月、長野県生まれ。87年「ミカドの肖像」で第18回大宅壮一ノンフィクション賞、96年「日本国の研究」で文芸春秋読者賞。02年、小泉内閣で道路公団民営化推進委員を務め、道路公団の民営化を実現させた。その時の話をまとめた「道路の権力 道路公団民営化の攻防1000日」「道路の決着」。近著に、妻ゆり子さんとの出会いから死別、東京五輪招致成功の裏側や都知事辞任に至った5000万円借り入れの真相などを書いた「さようならと言ってなかった わが愛 わが罪」。07年6月、石原慎太郎前知事から副知事に任命され、12年12月の知事選で当選。13年12月に辞任した。ツイッターのフォロワーは38万人。趣味はテニスとジョギング。

 

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