第1回 遺伝子解析 
遺伝子でいま、何がわかる?

古代ギリシャからヒトゲノム計画まで 「生命の設計図」をめぐる探索の歴史

わずか2ページの論文が、いのちの神秘を描き出す

 遺伝子、DNA、ゲノムとは

 メンデルの法則の再発見により、20世紀の幕開けとともに始まった遺伝子研究はその後飛躍的な発展を遂げる。特に遺伝子の本体であるDNA(デオキシリボ核酸)の構造が明らかになった20世紀後半以降の進歩はめざましい。その流れを追う前にそれぞれの言葉の意味を整理しておこう。

 遺伝子、DNA、最近ではゲノムという言葉もよく聞かれる。似た内容を指しているのだが少しずつ意味が違う。まず遺伝子は、元は抽象的な概念を指していた。メンデルの言った「要素」と同じで、その実体は分からないまま、生物の遺伝情報を伝える仮定の単位として考え出されたものだ。それが、1940年ごろから「遺伝子の実体は何か?」という研究が進み、それがDNAという長い鎖状の高分子であることが分かった。さらにDNAの鎖の中で遺伝情報が書き込まれているのはごく一部であることが明らかになり、現在は「DNAの中で遺伝情報が書き込まれている部分」のことを遺伝子と呼ぶ。一方、ゲノムは生物を丸ごと形作るために必要な遺伝子のフルセットのことを指す。

 ゲノムを形づくる遺伝子、その実体のDNAという関係が分かったところで、その仕組みと働きを見てみよう。

 バクテリアなどを除くほとんどの生物の細胞には「核」がある。その中にある「染色体」は色素に染まりやすいことからこの名がついたのだが、実は長い鎖が複雑に折りたたまれたDNAそのものだ。その事実は20世紀前半までに分かっていたが、実際にDNAがどんな構造をしており、どのように遺伝情報を保持、伝達するのかの解明は1953年発表の一編の論文まで待たなければならなかった。それこそ、生命科学で「20世紀最大の発見」とも言われる「DNA二重らせん構造の発見」だ。

 二重らせんが見せた奇跡

 その論文は英国の科学誌ネイチャーに掲載された「デオキシリボ核酸の分子構造」というもの。わずか2ページしかない。著者は米国のジェームズ・ワトソン(1928〜)と英国のフランシス・クリック(1916〜2004)という若い科学者2人だ。当時、ワトソンは25歳になったばかり、クリックは36歳で物理学から生物学に転向した研究者だった。2人はDNAの写真を提供したモーリス・ウィルキンス(1916〜2004)とともに1962年にノーベル賞を受けている。

DNAの二重らせん構造

 2人が明らかにしたDNAの構造は「二重らせん」というシンプルかつ、幾何学的な美しさを持ったものだった。リン酸とデオキシリボースという糖が交互に連なった鎖が2本向かい合い、らせん状にねじれた構造をしている。2本の鎖をつないでいるのは塩基という物質。いわば、多数の塩基でつながれた「はしご」がらせんを描いてねじれた形だ。

 そしてこの塩基の並び方が遺伝情報そのものだった。DNAを構成する塩基はA(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)の4種類があり、かつAとT、GとCという組み合わせでのみ結合できる。塩基同士の結合が外れると二重らせんはほどけ、鎖は1本になる。1本になった鎖が再び2本になる時は必ずAとT、GとCの組み合わせで結合する。つまり一本の鎖の塩基配列が決まれば、二重らせんを作る「相方」の配列も自動的に決まる。この仕組みによって、4種の塩基の並び方があたかも4文字の組み合わせで記述された「暗号」の役割を果たす。その暗号は二重の鎖がほどけ、再び形作られる過程でコピーされる。二重らせんという構造自体が、遺伝情報の保持と伝達の機能をも実現しているわけだ。