病気を予防し、体形、知性、性格までも司る−−って本当?
「遺伝子」という言葉がにわかに注目を集めている。もちろんこれまでも理科の授業では出てきたし、世界初、国内初の「遺伝子治療」が大きなニュースになったのは1990年代前半から半ばにかけてのことだ。決して新しい用語ではないのだが、最近はより身近な文脈で語られることが増えている。遺伝子の解析や診断から、病気を発見、予防するという話題はもちろん、遺伝子に基づいたダイエット、遺伝子相性診断などのサービスも登場し始めた。「遺伝子」が理解できれば人体のすべて、性格や知能までもが手に取るように分かり、健康長寿もスリムな体も明晰な頭脳も自由自在−−。そんなふうに感じている人もいるかもしれない。が、果たして事実だろうか。遺伝子をめぐる人類の探索の歴史を振り返りながら、最新の研究がもたらす成果を追ってみよう。
どうして子は親に似るのか?
そもそも「遺伝」とは何か。広辞苑(岩波書店)には「親から子・孫に、また細胞を単位とみて、その次の世代に、体の形や色などの形質の伝わる現象。遺伝子の授受とその働き(発現)により支配される」とある。難しく感じるが、「遺伝」という概念は「なぜ親子は似ているのか?」というごくシンプルな疑問が出発点だ。人間に限らず、子犬は親犬の毛色を受け継ぐのはなぜか? 歴史上、多くの知性がその謎に挑戦してきた。
「医学の父」と言われる古代ギリシャの哲学者、ヒポクラテス(紀元前460ごろ〜370ごろ)は父親の体の各部分が遺伝に関わるある種のものを作り、それが精液に集められて子へと伝えられると考えた。それに対し、体の一部を失った父親の子にその特徴は受け継がれないこと、父親より離れた祖先に似る子も多いことなどの例を挙げて反論したのは「自然科学の祖」アリストテレス(紀元前384〜322)だ。アリストテレスは子に伝えられるのは、形質(体の形や色などの性質)ではなく、「形質を作る能力」だとした。この考えは現在知られている真実と、基本的な発想は大きくずれていない。しかし西洋最大の学者と言われるアリストテレスの考えは以後、絶対的権威のようになり、遺伝に関する研究は以後2000年近く、大きな進展が起きなかった。
メンデルの発見と、その「再発見」
遺伝にまつわる理解を根本的に変えたのは教科書でもおなじみのグレゴール・ヨハン・メンデル(1822〜84)だ。当時のオーストリア(現チェコ)で修道院の司祭をしていたメンデルは、エンドウマメの品種改良の研究に取り組んだ。まず1854年から修道院の庭で34種類のエンドウマメを栽培し、形質が一定の純粋な品種(純系)22種類を選び出した。それをもとに56年から交配実験を行い、65年にその成果を口頭で初めて発表、翌66年には論文「植物雑種の研究」にまとめて公表した。これがいわゆる「メンデルの法則」だ。しかし当時、反響はゼロに等しく、メンデル自身も晩年は修道院長として忙しく働いて死去している。その学術的成果が日の目を見たのは、1900年のこと。オランダ、ドイツ、オーストリアの3人の研究者がほぼ同時に、メンデルの法則を「再発見」した。最初の発表から35年、メンデルの死からも16年がたっていた。
メンデルの法則は(1)優性の法則、(2)分離の法則、(3)独立の法則の三つからなる。優性の法則とは、丸いマメとしわのあるマメができるエンドウマメをかけ合わせた時、生まれてくる子の世代で片方の形質(丸いマメ)だけが現れることを言う。そしてこの場合、丸いマメができる形質を「優性」、しわのマメができる形質を「劣性」という。
次に子世代の丸いマメ同士をかけ合わせて孫世代を作ると、およそ4個に1個の割合で再びしわのマメが現れる。この現象を説明するのが分離の法則だ。しわのマメを作る劣性の遺伝子は、子世代では隠れていて表に見えてこないが、分離して受け継がれており、孫世代で表面に現れてくる。
そして三つ目の独立の法則。これはエンドウマメのしわの有無、背丈の高低、マメが黄色か緑色かなどの形質の違いはそれぞれ独立して遺伝し、互いに相関関係がないというルールだ。いずれも難解に思えるが、例えば人間でも両親と子どものABO式血液型の関係は優性の法則と分離の法則で説明できる。「孫がおじいちゃんにそっくり」といういわゆる「隔世遺伝」も、分離の法則がその一因だと考えると分かりやすい。
メンデルの画期的な点はこれらの法則が成り立つ背景として、さまざまな形質を生む「因子」の存在を予想したことと言える。この因子をメンデルは「要素」と呼んだが、これこそ今で言う遺伝子そのものだ。メンデルによって、遺伝を司る単位「遺伝子」の概念が初めて確立したと言える。