11月29日に台湾で実施された統一地方選挙(六大直轄市長をはじめ9つのレベルの選挙が同時に行われるため「九合一選挙」と呼ばれる)は2016年に予定されている総統選挙の前哨戦と位置づけられているため、事実上、国政選挙並みの盛り上がりを見せていた。選挙結果を見た直後の印象論なので不正確の誹りをまぬかれないだろうが、現時点で考えられる点をメモしておきたい。
馬英九政権の支持率は極端なまでに低迷したままである。今年3月に大きなうねりを見せた「太陽花学生運動」で示されたように国民党の大陸政策への不信感も根強く、食品安全、貧富の格差など内政でも様々な問題が山積している。今回の選挙で馬英九総統の影は薄く、かわりに将来の総統候補と目されて人気の高い朱立倫(新北市長に再選)が選挙応援に駆け回っているのが目立った。
こうした現政権への風当たりがどのような形で表われるのかが注目されていた。結果としては、予想をはるかに上回るほどの国民党の惨敗であった。民進党が13の県市長を当選させた一方、国民党は事前の予想では勝てたはずの選挙区を次々と取りこぼし、6県市長にとどまった(このうち、連江県は有権者1万人に満たない特殊な事情のある離島)。選挙結果を受けて江宜樺行政院長は早々に辞任を表明。馬英九総統の求心力はますます低下し、態勢の立て直しをめぐって国民党内部はもめるかもしれない。
六大直轄市のうち南部に位置する台南市と高雄市はもともと民進党の地盤が強い。例えば、私がいま住んでいる台南市では、将来の総統候補とも目される現職・頼清徳市長の個人的な人気もあって、ある意味、無風区と言ってもいいほどの静けさだった。頼市長は市政に専念すると言って選挙活動は敢えて控えめにし、国民党の対立候補が「軽視されている」と怒るほど。
他方、台北市や台中市は選挙前から国民党敗北の可能性がささやかれていたが、国民党優勢と見られていた桃園市や新北市でも、桃園市は民進党候補が当選、国民党から唯一当選できた新北市の現職・朱立倫も票差1%程度の大接戦の末、辛うじて抜け出せたほどの苦戦である。
もともと国民党の苦戦は予想されてはいたが、これほどまでとは実に予想外であった。民進党の勝因は、民進党が積極的に支持されたというよりも、馬英九総統の不人気など国民党側の敵失を民進党がうまく拾い上げることに成功したことにあると言えるだろう。そこで注目されるのが、台北市長選挙に無党派として立候補した柯文哲との連携である。
台湾の政局を大雑把に言うと、中台統一派で青色をシンボルとする泛藍陣営(国民党及び国民党から分裂した新党、親民党など)、台湾独立派で緑色をシンボルとする泛緑陣営(民進党及び李登輝を支持して国民党から分裂した台湾団結連盟など)という二大勢力の対立図式として整理される。泛藍陣営は北部、泛緑陣営は南部を主な地盤としており、泛緑陣営が両者の境界線である濁水渓よりも北へ勢力を伸ばせるかが焦点であった。
結果としては泛緑陣営の勝利であるが、次の二つの局面で勝利の性格は異なる。第一に、台湾南部では民進党が順当に地盤を固めることができた。第二に、最も注目を浴びていた台北市長選挙での柯文哲の当選は無党派層の動向が大きな影響を持っていた(柯文哲についてはこちらの記事を参照のこと)。
国民党を批判する野党として民進党が結成され、対立する政治勢力が互いにせめぎ合う中で政権交代(2000年の陳水扁政権、2008年の馬英九政権)が可能となったダイナミズムは、台湾においてデモクラシーが定着する過程として重要な意義を持っている。他方で、泛藍陣営と泛緑陣営の対立構造がマンネリ化すると、様々な政治的イシューを効果的に汲み取るのが難しくなってきていた。
社会が成熟するにつれて無党派層の割合が増加するのは日本でも見られた傾向だが、台湾のとりわけ都市部においても同様の傾向が見受けられる。藍でも緑でもない無党派層をいかにして取り込むか? そうした局面で登場したのが柯文哲である。民進党は柯文哲の無党派色を尊重して、実務的な側面支援はしつつも表立った応援は控える方針をとった。今回の柯文哲の勝利は、泛緑陣営の票を固めると同時に、無党派層へ積極的にアピールすることで国民党に対する批判票を全体として効果的に取り込むことに成功した点に求められる。
民進党は柯文哲という有力無党派候補との連携によって、泛緑という特定陣営を超えた国民党批判の受け皿として自らを位置づけ、そうしたイメージを台北市以外でも打ち出すことができたと言えるだろう。その結果として、もともと国民党の地盤が強い地域でも浮動票を集めて当選者を出し、新北市のように負けても接戦に持ち込むことができた(ただし、個々の選挙区で国民党系の分裂や、地元有力者の動向など各地特有の事情があるので、一般論としてどこまで言えるかは分からない)。
無党派候補・柯文哲の勢いを前にして、国民党から出馬した連勝文の陣営は危機感を強めていた。そうした焦りの表われであろうか、選挙期間中に連勝文の父親・連戦(国民党名誉主席、元副総統)が「柯文哲の祖父は改姓名で「青山」という日本名を名乗ったから、柯文哲は「青山文哲」だ」などと発言して顰蹙を買った。また、現職の台北市長・郝龍斌の父親で元行政院長である郝柏村は「柯文哲も李登輝も日本皇民で特権階級だった」と発言したが、その後、「ネットで見たウィキペディアの内容が間違っていた」として撤回した。何ともお粗末な失態である。
こうした柯文哲に対する中傷は、彼ら自身にとってもブーメランになってはね返って来た。連勝文の曽祖父、連戦の祖父にあたる連雅堂は『台湾通史』などの著作を持つ著名な歴史家である。この連雅堂を抗日英雄として持ち上げてきた連一族だが、その連雅堂にも実は日本の台湾総督府と協力関係にあった過去がある。第一に、台湾総督・児玉源太郎を称える詩を書いた。第二に、自らの著作『台湾通史』のために台湾総督の明石元二郎や田健治郎の題字を求めた。第三に、『台湾日日新報』で日本のアヘン政策を擁護する文章を発表、同胞の台湾人から顰蹙を買って大陸へ渡り、国民党に身を投じたのだという。また、軍人であった郝柏村も、戦後、蒋介石の軍事顧問として秘かに台湾入りしていた旧日本軍人グループ、いわゆる「白団」と関わりがあった過去がある。
発言内容の是非はともかく、なぜ彼らは敢えて「歴史」に言及したのかが興味を引く。連戦にしても郝柏村にしても、権威主義体制当時の国民党の「宮廷政治」を泳ぎ切った政治家である。対面的な状況で些細な一言でも命取りになりかねない「宮廷政治」を生き残った彼らが、そうそう迂闊な失言をするとも思えない。こうした一連の発言は不注意な失言ではなく、確信犯的な発言であったかもしれない。その意図は何か? 台北には外省人の人口が比較的多い。柯文哲の出身背景に「皇民」というレッテル貼りをすることで敵対心を煽り立て、外省人の票固めを図った可能性があり得る。
現代の選挙では、基礎票固めのロジックと無党派層狙いのロジック、こうした2つの戦略をいかに効果的に組み合わせるかがカギとなる。劣勢に立っているという危機意識が強迫的になると、たとえ1票であっても取りこぼすまいと焦り、視野が狭くなって後者がおろそかになる。今回の台北市長選挙で焦点となったのは無党派層の動向である。連戦や郝柏村の時代錯誤な発言は、限定的な基礎票を引き締めるには役立つかもしれないが、それ以上に藍緑対立に飽き飽きした無党派票を大きく失いかねない性質のものでもあった。
泛藍陣営と泛緑陣営とが対立する台湾の選挙において、基礎票固めのロジックは往々にして「族群」が対象となった。「族群」は本質主義的に自明な属性ではなく、歴史的経緯の中から形成されたものである。簡単に言うと、二二八事件や白色テロといった国民党政権の抑圧体制に対する不満が台湾意識を強めた。そこから現れた政治勢力が泛緑陣営である。民主化以降、こうした台湾意識の声が公の場で大きくなると、今度は外省人がマイノリティーとしての劣等意識を持つに至った(王甫昌[洪郁如・松葉隼訳]『族群──現代台湾のエスニック・イマジネーション』[東方書店、2014年]が最近翻訳されたばかりなので参照されたい)。
言い換えると、本省人・外省人とも過去の出来事に基づく被害者意識を基に「族群」意識が形成されてきたという背景があるため、基礎票固めにあたっては歴史的シンボルを用いた煽動も方法としてあり得る。抗日戦争を戦い抜いて台湾を解放したという「歴史認識」を持つ泛藍陣営にとっては、「皇民」というレッテル貼りはかつての交戦相手であった日本を想起させ、相手を「国賊」と名指すに等しい。連戦や郝柏村の発言が実際にどれほどの影響を持ったのかは分からないが、彼らのような古い世代の政治家の頭の中にこうした意図があったであろうことは容易に想像がつく(公平を期すために記しておくと、かつて汚職疑惑で機能不全に陥った陳水扁政権が台湾意識を意図的に高揚させようとしたのも同様に歴史的シンボルを用いた政略だったと言える)。
他方、二二八事件で犠牲となった祖父を持つ柯文哲の家族背景は泛緑陣営の人々から見ると同情の対象となる。
現在の選挙をめぐる報道の中で「皇民化」や「二二八事件」といった歴史上の事件に言及されたのはちょっと意外に感じられるかもしれない。台湾近現代史の複雑な背景を理解しておかないと、泛藍陣営と泛緑陣営とがくっきり分かれた台湾の政治状況はなかなか分からないだろう。
その一方で、台北市長選挙における柯文哲の勝利は、無党派層が増えつつある社会状況の中で、「族群」意識を刺激しても基礎票効果がなかなか期待できないケースを示している。国民党の場合にはもともと利益誘導も支持調達の大きな柱となっていたが、無党派層の増加は利益誘導の恩恵にあずからない層の増加をも意味している。
2016年の総統選挙に向けては、第一に藍緑対立の政治構造は当面なくならないだろうが、第二にそうした対立構造そのものに不満を抱く無党派層をも取り込むという二つの局面をバランスよく組み合わせて対策を練り上げる必要がある。今回の統一地方選挙にあたって民進党はとりあえずその第一歩に成功したと言えよう。
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