阿部重夫発行人ブログ「最後から2番目の真実」
朝日新聞の記者諸兄へ
2014年09月13日
今さら何を言っても始まらないので、FACTAを創刊したおよそ9年前、このブログで書いたことを、もう一度再録しましょう。当時のタイトルは
「最初のジャーナリスト」とトマス福音書
でした。たぶん、一連のディザスターで傷ついた人も、初心に帰れば、同じ思いに至るのではないでしょうか。われわれも改めて、イデオローグになるまい、という初心に帰ろうと思います。
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人類の歴史で一番古い職業は「娼婦」、二番目は「スパイ」と、おおよそ相場が決まっている。では、ジャーナリストという職業はどれくらい古いのか。
そんなことを考えて私の眼前に思い浮かぶのは、蒼穹としか言いようのない、底なしの青い天蓋の下に広がる荒涼とした砂漠である。そこはナグ・ハマディ(正確には「ナグゥ・アル・ハンマーディ」)、ナイル河の河口から1000キロさかのぼるあたりだ。
有名なルクソール(古代エジプトではテーベ)の遺跡の手前八〇キロほどの西岸にその小さな町があり、対岸には紀元4世紀ごろ、キリスト教の修道士共同体ケノボスキオンが開かれた。船でナイルをさかのぼったことのある人はどんな風景かおわかりだろう。
先の大戦が終わってすぐの1945年12月、このケノボスキオンの北の山岳地で一人のアラブ人農夫が肥料となる軟土を採集中に、密封された素焼きの壷を掘りあてた。中からコプト語(古代末期のエジプト語)で記された13冊の羊皮紙の古写本が出てきた。これがのちに「ナグ・ハマディ文書」と呼ばれるようになる。一冊はこういう書き出しだった。
「これは、生けるイエスが語った、隠された言葉である。そして、これをディディモ・ユダ・トマスが書き記した」
現行の新約聖書のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4福音書とは微妙に記述の違う、イエスの114節の言行録があとに続く。はじめは新発見の福音書として世界を震撼させたが、調べていくうちにこの「トマス福音書」はマニ教徒の間に流布し、キリスト教正史から異端として排斥された幻のグノーシス派の文献であることが明らかになった。
トマスはイエスの十二使徒の一人だが、新約4福音書(共観福音書)では印象が薄い。ヨハネ福音書でのみ「ディディモ(双子)のトマス」と呼ばれている。東大名誉教授の荒井献によれば、この「双子」には「イエスの双子」という含意があるらしい。
印象が薄いといっても、教団を継承したとするペテロなどに比べた頻度の話であって、ヨハネ福音書20章24節のエピソードは、私には一読忘れられないものだった。十字架上で死んだイエスが復活する場面である。マグダラのマリアが墓をあけると死骸がない。遅れて来た使徒ペテロは、空っぽの墓を見て驚き立ち去る。マリアだけ残って泣いていると、イエスが現れる。彼女ははじめ墓守と思うが、「マリアよ」と呼ばれて、つい「師よ(ラボニ)」とこたえた。彼女はイエスの復活をわれ知らず信じたのだ。
イエスはやがて他の弟子の前にもすがたを現し、手と脇腹(の傷跡)を見せた。トマスはその場にいなかったため、師の復活を容易に信じない。
「我はその手に釘の痕を見、わが指を釘の痕にさし入れ、わが手をその脇にさし入るるにあらずば信ぜじ」
八日後、戸を閉ざしていたトマスの前にも、イエスが現れる。こう言った。
「汝の指をここに伸べて、わが手を見よ。汝の手をのべて、わが脇にさし入れよ。信ぜぬ者とならで信ずる者となれ」
トマスが「わが主よ、わが神よ」と言うと、イエスはこう言うのだ。
「なんじ我を見しによりて信じたり。見ずして信じる者は幸福なり」
私自身はクリスチャンではないから、こういうエピソードを逆さまに考える。トマスこそ、最初のジャーナリストではないか、と。イエスに向かって、釘の痕を見せろといい、傷口に指を入れて確かめていいかと迫るのは、あっぱれいい根性ではないか。
いざイエスが眼前に現れると、その奇跡に圧倒されて舌が凍りつき、「主よ神よ」としかつぶやけなかったのが残念だが、ここはもう一押し頑張って、傷口をあらためてくれれば、後世はイエスの復活は幻影か伝説かで悩むこともなかったろう。
「見ずして信じない」者は不幸かもしれない。でも、信ずることの甘やかさを自らに禁じる存在があってもいい。そう思うと、「不信の使徒トマス」が、メシアたるイエスの分身(アルターエゴ)、双子であり、ジャーナリストの祖であってもおかしくない。「ディディモのトマスのように」――いつか、それをジャーナリストの合言葉にしよう。
「求める者には、見出すまで求めることを止めさせてはならない。そして、彼が見出すとき、動揺するであろう。そして、彼が動揺するとき、驚くであろう。そして、彼は万物を支配するであろう」(トマス福音書)
見るまで信ずるな。
※本ブログは再録ですが、識者の方のご指摘により、ナグ・ハマディの正式地名の最初には定冠詞「アル」が入らないとのことですので訂正します。
投稿者 阿部重夫 - 20:37| Permanent link | トラックバック (1)