フェアブリーズは、2003年4月12日生まれのドイツ産馬で、生産者はドイツのM.ヴェッツェル夫人。
同馬は、ドイツを代表する調教師の一人である、マリオ・ホーファー師(52歳)の厩舎に所属。ホーファー師の管理馬であるパプウス(2002年)、およびオミクロン(2004年)がジャパンカップダートに出走し、それぞれ16着、15着でした。
フェアブリーズは、2歳から5歳秋の現在まで、コンスタントに活躍しており、重賞勝ち鞍にはコリダ賞(フランス、G2、芝2,100m)、アレフランス賞(フランス、G3、芝2,000m)やヘッセンポカル(ドイツ、G3、芝2,000m)があり、リディアテシオ賞(イタリア、G1、芝2,000m)2着やバイエリシェスツフトレンネン(ドイツ、G1、芝2,000m)3着と、G1戦線でも堅実な成績を残しています。
2歳時(2005年)はいずれも未勝利戦を3、2着の結果に終わり、3歳時(2006年)は10戦4勝の成績を残します。ドイツ未勝利戦を勝ちきれないまま、オーストリアに遠征。2006年6月にオーストリアダービー(エブライヒスドルフ競馬場、芝2,200m)に出走しますが、7頭立ての6着と大敗します。
レース後、ドイツに戻り、2006年7月の未勝利戦で初勝利を挙げますが、重賞初挑戦のヴァルターJ.ヤコブス牝馬賞(ドイツ、G3、芝2,200m)の5着を含め、なかなか勝利を収めることができませんでした。2006年10月に入り、フェアズィッヒェルングスグルッペレネン、11月のヘルプストシュトゥーテンシュテーアー賞、ソリテュード賞と、J.カルパーリョの騎乗で、3連勝を飾ります。
2007年5月のアレフランス賞から始動した4歳から、近走のオペラ賞(フランス、G1、芝2,000m)までの13戦はすべて重賞競走に出走。アレフランス賞5着に敗れた後に臨んだパオロメッツアノッテ賞(イタリア、G3、芝2,000m)では、日本でもお馴染みのA.スボリッチの騎乗による積極的なレース運びで2番手から直線一旦先頭に立つものの、優勝馬ウィックウィングにかわされ、着差1/2馬身の2着。単勝2.2倍の1番人気に惜しくも応えられませんでした。この後ドイツに戻り、出走したフェールホファー牝馬賞、バーデン貯蓄銀行賞の独G3は、それぞれ3着、4着に敗れます。2007年10月にフランクフルト競馬場で行われたフランクフルト牝馬賞(ドイツ、G3、芝2,150m)も、1番人気に推され、A.ヘルフェンバイン騎乗で直線に入り2番手外側から末脚を伸ばすものの、優勝馬ラダンシアに3/4馬身差届かず、2着。続いて、イタリアに向かい、リディアテシオ賞(G1、芝2,000m)に出走。このレースもA.ヘルフェンバイン騎乗で、直線8番手から鋭い末脚を繰り出し、優勝馬ターフローズとクビ差の2着。4歳時最後の出走となった11月のヘッセンポカル(ドイツ、G3、芝2,000m)で、重賞初勝利を飾ります。このレースもA.ヘルフェンバインが騎乗で、好位でレースを進め、直線早めに抜け出し、2着のスキャティーナに2馬身差をつけて快勝。重馬場での勝ちタイムは、2分17秒4。
今年は、4月にフランスのシャンティイ競馬場で行われたアレフランス賞から始動。前年5着に敗れていたこのレースで、A.ヘルフェンバインが騎乗し、好位2番手から直線抜け出し、後続に4馬身差をつけるパフォーマンスを披露しました。重馬場での勝ちタイムは、2分9秒0。続く5月のコリダ賞では、J.カルバーリョの騎乗で、直線入り口3番手から末脚を繰り出し、2着のラブームを3/4馬身差し切りました。重馬場での勝ちタイムは、2分15秒9。
この後、ドイツに戻り、G1のバイエリシェスツフトレンネンに出走するも、優勝馬リンガリに4馬身差をつけられての3着。8月のジャンロマネ賞(フランス、G2、芝2,000m)は2番手追走のまま、優勝馬フォークオペラを捕らえきれず、2着。9月のユーロカップ(ドイツ、G3、芝2,000m)も勝ち馬のツァオンガストに差し切られ、2着と、惜しいレース内容が続きます。前走10月5日のオペラ賞(フランス、G1、芝2,000m)では、積極的に先行したものの、直線で力尽き、シンガリの14着に敗れました。
<血統>
父のシルヴァノは、2001年のアーリントンミリオン他、アメリカ、香港、シンガポールでG1を3勝。母のフェアウインドは生涯64戦に出走したタフな牝馬。母の父アンドラングは、ドイツ準重賞競走のヴィンターファヴォリテン賞を制している。以上3頭は、いずれもドイツ調教馬でした。
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